キハ10系とキハ20系を語る2
>>204
83年当時の記憶だと
広島← 58+ロ28+28+58(広ヒロ)+20+23+20+23(広ミヨ)
のような編成が多かった気がする 81/2/15
掛川
キハ25 210↑二俣
キハ20 245
キハ20 263
キハ20 242↑二俣
キハ20 95 新潟に居たキハ17の床って木製だった?
運転室だけ鋼板で足が冷たくなったとか元ウテシから聞いたけど。
あと暖房は軽油を燃焼させていたとか。 なにげに20系ってシートピッチは広いし簡易テーブルはあるし地域の実態にあった車だったな
特に52と53の差は歴然としていたな
田舎の悪ガキどもは53のWC・水タンク側のロングシートをキハネとして使っていたがw
案通り大糸線の52を53で置き換えていたらあれほど人気はでなかっただろうし現場も不信感抱いていただろう 基本的な疑問ですみませんが、
キハ10系に国鉄線上で乗れたのは
いつまでだったのですか?
また、その線区は全国一斉でしたか?
それとも特定の方面だけに残存してたのでしょうか?
首都圏色時代のキハ20など
キハ20系には間に合いましたが 大量廃車は北総電化の時じゃなかったかな、千葉で廃車したのも多かったけど、キハ35の転出で置き換えられたのもおおかったような、タラコ色になってまで残ってたのは相模線などを覚えているな、 キハユニ15も1980年頃まで、タラコ色に塗られて加古川線を走ってた 10系の最後に残ったのはキニ55だったからな
1980年代初め頃は20系にも廃車が及んでいたけど、10系も各地に少数は居たのでは
茨城交通にタラコのまま移籍したのも1980年に真岡線で廃車されたやつだし
八高線にもタラコ10系いた >>209-210
10台形式気動車は、昭和31/1956年製のキハ12(48200)のみ床が木張りであり、それ以外に木張りはありません。
電気式キハ44000・44100・44200からすでに、基礎となる床板は木製ながら、表面は80系電車と同じリノリウム張りでした。
翌年の液体式キハ44500では床板は綱板製に改良(表面はリノリウム張り)されました。
さらにキハ45000(キハ17)からは、適宜床材が改良を目指して変更されていますが、木張りはキハ12だけです。 >>212-215
長崎、小牛田、真岡、秋田などのキハ10・11・17が1980年に入ってからもしばらくの期間、動いていたことは確かです。
郡山・富山・盛岡などのキハ51の55-10(1980年10月1日)ダイヤ改正以降、置き換えに要する暫定期間までの使用が、恐らく旅客使用の最後ではなかろうかと推察しています。
タラコ色(朱色5号一色塗り)は昭和50/1975年に八王子機関区(相模線用)のキハ10 61に採用されたのが発祥であり、塗装行程の簡略化を狙い、以降首都圏(大宮工場全検担当)で次第にこれに塗り替えが進みました。
翌年の新系列キハ47では新製時からこの塗装となり、1978年10月の53-10ダイヤ改正に合わせて車両塗装基準規定が変更されて一般型気動車が全国的に朱色一色塗りに変わることになりました。
八高線は1975年に10台形式の置き換えが完了したので、朱色一色のものは、回送などを除いて走っていないはずです。
しかし、相模線末期(1980年初頭頃に全車引退)には、八王子のキハ10のほとんどが、他地区に先駆けてすでに朱色一色になっていました。
朱色一色の10台形式は、筆者も二俣線(遠江二俣)や加古川線(加古川)、高山・樽見線(美濃太田)などで見ています。
特に加古川には全面二枚窓のキハユニ15(旧キハ44000)に朱色一色塗りが及んでいました。 >>212 探してみたら、こんな情報もあった
【キハ17】キハ10系を語るスレ【キハユニ18】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1158935476/222
222 :名無し野電車区 :2006/12/02(土) 00:40:07 ID:gFfAT3Bh
当時のRF誌毎年恒例(10月号か11月号)の車両の動き、で、小牛田のキハ17の
2両を最後に廃車、形式消滅、とか書かれていたのを覚えてます。<旅客 212です
皆さん詳しくありがとう
よくわかりました。 >>216
キハ22は床が木張りなので、床が50mm高いのは有名な話だけど、キハ12など
他の床木張りの北海道型はどうも床が高くなっていないようだ。
エンジンや燃料タンクを床下に持つ気動車として、防火上問題ないのだろうか >>222
確かに、キハ17は1981-6-19付けで小牛田の280・378を最後に形式消滅しています。
ただしキハ51だけは、運用にはすでに就いていなかったものの、同時廃車1両のほか、その時点でまだ車籍あるものが3両ほど残っていました。
もっとも、最終除籍はトップナンバーの1981-8-13なので、時期に大差はありません。
(鉄道ピクトリアル1997-5に車歴表があります) >>222のアンカー訂正
>>218が正当。
218の引用記事にあった方の番号をアンカーにしたら、自分にアンカー振ってしまいました(汗)すみません。 とある公園に保存されてるキハ22を近代化改修しつつレストアするとしたらどれくらいお金かかるのかな?
エンジンを高性能な物に変えて運転台機器を現代的なものにしたりとかで >>224
新車と遜色ない金がかかると予想。
機器はほぼ全て死んでいるだろうし、外板も腐食して張り替えが必要。
付いているものを外すのも大変。
下北みたいに廃車後も車庫内でしっかり管理されていれば別だろうけど。 動かさなかったら動かさなかったで劣化するんだな
キカイって気難しいわ >>224
三笠?小樽?
あと、幸福にもありましたっけ? 国鉄キハ20 vs 山陽特急3000系。
面白いレースを見させてもらいました。大昔に >>228
赤字ローカル線廃止時にいくつか保存されたような…その後どうなったかは知らんが >>231
砂線。
加古川橋梁まで山陽特急がリート。
鉄橋上で逆転。キハ20がリード。
キハは砂北口停車の為に減速。
山陽特急がキハを抜いて行く。
ですかね。
その時のキハの運転手さんが、山陽に勝ってやる、と言ってくれてた。 鉄博のキハ11を眺めたら、せっかくレストアしたはずなのに荒れてしまってるね。
燃料ラインからもわずかに漏れてるみたいだし。
あんな寂しい場所に置き去られて可哀想だわ。 水島臨海のキハ350がソロソロ引退するらしいと聞いて訪れた時、車庫見学したよタラコ色のキハ20 がズラリと並んでて壮観だった。因みにキハ350 の乗り心地は最悪の部類だった。 水島に居たキハ20って国鉄払い下げで経年車なのに、何故に更に再譲渡されるケースが多かったの?
島原あたりが買ったのも以外?
機関更新以外に、車体の更新、老化予防保全とかも、他社が国鉄から購入して使い潰したソレと違い格段に行ってきたの? >>237
あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
島原が当時新製増備していたNDCタイプに加えて、わざわざ経年車である
キハ20も買ったのは、既存車と形式が同じで部品の融通が効くからなのと、
経年車で置き換えないとままならないほど既存車(特に路線分断時加津佐で留置していた車両)
がくたびれていたからだよ 茨交のは冷房付なのが買われたんだろ。その時分は車両検査してる親父がNDC認めないタイプだったらしいし。
ってか水島から再譲渡されたキハ20って茨交と島原の他にあったっけ? >>240
ない
たった2例で多いと表現する>>237が単に無知なだけ キハ40は過大な車重と低速域では非効率な変速機設定もあるためか、
起動時の出だしは非常に悪く、エンジンが唸っていてもゆっくりとでしか動き出さない感じだったな。
カミンズ DMF14HZ、N-DW14に換装したキハ40の場合は違うかな。
自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至っていないことから、
キハ28程度の加速性能にとどまる感じだと思う。 >>244
昔RJで曽根悟御大が批判していたな
重装備で乗務員面積が過大とか、走行性能もキハ20に劣るみたいなこと言っていた
反面ベタ褒めだったのはキハ37
しかし実態はキハ40系は大量生産、キハ37と後継のキハ38はマイナー系列で終わった あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
反応は単に1レス無駄遣いだから不要。 悪い意味での標準化の産物だね
ローカライズできない大艦巨砲主義時代の国鉄の遺産 茨城交通や一時期鹿島臨海鉄道にいたキハ10は窓サッシがアルミだが、国鉄にいたキハ10系列の中にもアルミサッシの車っていたのかな?
知ってる人いるかい? >>247
その割に、窓だの雨樋だの、図面の数は増える一方で…。 >>232
何度か乗りに行ったことがあるが、そんな光景には遭遇できなかった
羨ましい キハ20系と同じスジで走れた性能なら狙った通り位なんだろう
一般型ディーゼルなのに裾絞りのデザインがモダンでしょぼい旅行感が足りない、と都会者は思った パワー不足はエンジン換装でリカバー。
重いと言われた車体だけど、まだまだ残りそうな耐久性。
サビたとか、腐ったとか、あまり聞かない。
改造種車にも最適な強度みたいだし。 >>232
リアル版「電車でD」だな。
『気動車だからって舐めてたら痛い目みるぜ』なんて呟いてたのかな。 きかんしゃトーマスで言えば、トーマスとエドワードの重連運転で10両編成の客車を牽引している列車と
チャギントンで並走しているみたいな例えだね。 >>252
JR北車の凄まじい老朽化度合いを見れば、
「頑丈さにも限界はある」 >>258
仲間
まあまあマターリしててよかったね。
俺含め「ボッチヲタ集結」独特の空気感はあったがw 水島のキハ205ついに引退発表きたな
休車かけてどうにか残してたみたいだけどさすがに限界か
てかこのニュース見て久々に調べてたら、茨交のキハ205退色酷すぎw 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 10月に初めて乗りに行ったけど、
結果的に最後ではなかったとはいえ
さいご自工前から入区するとき
余韻もなにも全くなかったから、
ラストランの際はもうちょっと考えてほしい…
しばらく停車させるだけでもJRみたいにリレーいじらないと駄目なのか? 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 しんどい社線が最大限残してくれた結果が現在なわけだが。
なかなかないぞ?こんなヲタに優しい社線は
これ以上高望みはかえって失礼。 >>265
自工前に列車が長々停まってるの見たことないなあ。
ま、貴重な車両が平然淡々と走る路線だから、俺はそれも水島らしさのうちだと思ってる。
ここに派手なさよならイベントは似合わないよ。
>>266
ほんとは3年前に全廃、それでも大往生って感じだったんだぞ。
休車かけてよくぞここまで維持してくれたと感謝しなきゃ。 派手にしろとは言ってないじゃん
もうしばらく停車させるだけでいい
着いてハイサイナラ過ぎるって話よ >>168
高千穂線(南延岡機関区持ち)にキハ52はいなかったはず。
キハ11全廃後はキハ20のみ。 鳥塚社長、おたくが買わずに誰が買う!
房総民憧れの気動車準急の雄!
騙し無し、モノホンのキハ20でっせ!
部品は将来隣から大量に補充できるだろうし。 >>271
千葉といえばやっぱりキハ25がいないと… なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
キハ110系などのワンマン構造に通じるとこがある。 >>270
バス窓若番の41番なんてのが民営化後も生きてたよね。
九州色に塗られて、三セク転換まで残ったんだっけ。 >>275
えっ? 何言ってるの??
113系だって折り畳み式… >>275
> なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
あれはどう見てもオープンな構造の全室運転台だろ。 >>279
改造後の姿が原型と思っているでしょうね キハ52の102はアクリル板で塞いでいた
かつての秋田リレー号のキハ110系―3000番台みたいな感じ?
127や137は完全に運転室と客室が隔てられている 貫通路、助手席側が改札ラッチの高さぐらいで仕切られた車?
キハ55の初期車も、それ。 >>283
いや、俺は加古川線とかで原色時代にリアルで乗ってるし
275とかの奴とは別人だよ。
俺がきいた理由は、俺が見て助士側パイプ仕切だけの状態が
すでにそれが原形ではないように読めたから
比較したくて画像ないのって言った 島原に行った国鉄車の写真を調べれば出てくるかと
ネットにあるかは知らん >>284
へー、準急型がそんな構造だったの。
準急ときわの写真で助手席側に乗客らしき人が写っている。 >>24
岡田あーみん先生「お父さんは心配性」に出た親子のやりとり…りぼんの連載マンガ。
スレに関連した話は鳥取でキハ52がキハ58系に繋がれてるのを見たが回送で乗れなかった。
トイレ撤去、ワンマン改造の非冷房だったが2エンジンのお蔭でキハ58の予備に重宝されてたね。 今更だけど、水臨HPに「キハ205は 皆さまの心に永遠に」なるタイトルのコメントが載ってるな
ほのぼのというか、ほんとにいい感じの会社だわ 「第三セクターの意地、見せてやるっぺ!」
北三陸鉄道 大向 大吉 西日本のキハ52の無理矢理感は異常だった
DMH17Hに機関直結クーラー取り付けるとか乗務員室と客用ドアが離れてるのにワンマン化改造とかもう滅茶苦茶
車齢が若いキハ53はワンマン化が困難と判断され早々に駆逐されたはず 水島のキハ205、詳報はまだだけど鉄道の日イベントで動くらしいぞ
構内移動程度かもだけど粘るな
意外と調子いいのか会社の執念なのか >>300
憶測だが、あと10年は持ちそう。
それまでマニア相手に一稼ぎ。 交通博物館のハンカチだったか下敷きだったか10系20系のお面だけ印刷されたの見て違いがわからんかった >>301
鳥塚さん、買うならいまのうちでっせ。
キハ52、今市なんでしょ?