キハ10系とキハ20系を語る2
水島に行ってきた
市街地高架区間とキハ20とのアンバランスさがいい >>102
キハユニ15は屋根上排気だよ
ただキハユニ25/26と同じように片側1カ所のみだけど
ttp://drfc-ob.com/wp/wp-content/uploads/2009/07/e382ade3838fe383a6e3838befbc91efbc95efbc93.jpg
ttp://tekkenweb.sakura.ne.jp/70railways/70dc/images/rem1021.jpg
ttp://mazenannpuu.blogzine.jp/photos/uncategorized/2008/11/30/s19681136.jpg >>103
キハ104は不調のようで走らなかったです。次回に期待しましょう。 水戸線で真岡線から直通してきたタラコ色のキハ25に乗ったことがある。
ドアはプレスドアで閉まる時だけ自動。内装の色は緑系統だった。
窓框は211系のボックス席の物みたいに客室側に少し張り出して
いるやつだったな。 イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6609090.html ときめき恋(静止画)
https://www.youtube.com/watch?v=bdt2gddJ2gk
3:00あたり。
122・123は明知線?から長野管内へ来てから、イベント塗色でいることが多かったね。
晩年の122は国鉄一般色に塗られて米坂線で活躍してましたね。 キハ17系は、旧型客車よりもガタガタした乗り心地だったのを覚えている。
でもあの車内灯、バス窓などなど味のある車両だったね。 キハユニ15やキハユニ16の湘南型は、数が少なくて貴重
紀勢線と奈良でキハユニ16を見ただけでついに乗車の機会は無し
加古川線ではキハユニ15が3と6と9になんとか間に合いました
背もたれが特に低く感じました(錯覚か?)
乗り心地はよくなく、ふらふらした走り?
それに9は確か赤坊主の首都圏塗装、3はバス窓ですらない
1980頃の記憶です
郵便荷物の輸送も普通に行われていました 客車窓はレアだね
湘南顏もいいけど、亀山にいた切妻貫通キユニ19もレアだよ。乗れないが。 >>116
関西線なら、キハユ15 4はいかがでしょう?
非貫通ですが
見たかったですね、残念ながら無理でしたが、乗った方等います? 和歌山ー亀山ー奈良と転属してますが、亀山時代ならわかります。
夕方の湊町行き、最後尾に繋がっていました。
座席はキハ17と同じですよ。
一等室が残っていれば面白かったんですが。 >>118
ロ室が格下げで残っていたら、ぜひ見たかったです
写真で見る限り、26400よりもはるかに一等らしくない感じに思えますね
>>119
多少のローカル線でも、まだ鉄道に頼られていると素直に実感しました
特に通勤客や郵便荷物がごく普通にあって、朝夕はそれなりに活気ありと思いました
だからいい時代と感じていたのではないかと思います
キハユニ以外では、飯田線や身延線のクモハユニ・クハユニ
五能線や鹿児島近辺でのオハユニ(スハユニ)など、合造車が本来の目的で使用されていましたから
加古川線のキハユニ16も、二回目に行ったときからほどなくして廃車
湘南顔の二両(6と9)が交換駅で並んだシーンがいまだに忘れられません >>121
車体はキハ55系だけど、心臓部であるエンジンは従来の車と異なるため単独グループ >>122
キハ60。のちにエンジンは並のDMH17Hに換装されている。晩年は木更津に配置され、久留里・木原線などで使用された。 キハ10系は、昔ボロボロのイメージが強く、乗るのを避けてた記憶があります。
できるだけ急行型の55,58系を選んでた。
でも今になると、なつかしいんですよね。
キハ20系は国鉄時代からなじみでしたが、その終焉は、僕にとって
島原鉄道でした。
加津佐発の最終列車に乗ったのはいい思い出です。 東北に残ったキハ52-100は、平成初期に更新されて十分にきれいだった。
首都圏103系の土崎更新車がいい出来だったが、それらの工法を踏襲したんだな。 キハ20の湘南顔バージョンとか見てみたかった。
キハ10/17量産の段階で気動車の湘南顔はいらね、となったのだろうか。 >>128
電気式試作気動車キハ44000系と液体式試作気動車キハ44500は湘南顔
>>127
地方線区を受け持つ気動車は、電車のような固定編成より1両単位で増解結するほうが便利だと悟った
中間車もキハ18で打ち止めになったし >>124
DMF31HSな。DD13の猿人をベースに横型にした。 結局残った湘南先頭車て
ほとんど郵便荷物車になったんかな
気動車は特急形もほとんど貫通車だしね
80系、183も非貫通で始まったが最後は貫通車 んだ。
3ドアのキハ44000、44500は キハユニ15、2ドアの44100は キハユニ15 になった。運用的、どっちも編成端につなぐ。
さらに事故ったキハユニ15に、使いやすく貫通型に改造されたもあるだ。 すまぬ、44100の改造後は キハユニ16なり。打ち間違い。 単行(両運)、分割・併合用途の多い一般型気動車に非貫通は使い勝手悪すぎでしょ。
湘南顔を、編成の先端もしくは最後尾に位置するユやニに改造して活用した
のは賢明な使い方ですよね。 >>132
貫通型改造は事故が原因ではなかったんじゃない?
編成単位の大きい岡山周辺などではキハユニを編成の中間に入れることも多く、
やはり貫通型の方が使いやすかったんじゃないかな。
キハユニ26も貫通型として新製されたわけだし。 水島の20国鉄色2両は車庫にまだ健在ですね。
大通りからもバッチリ見えます。
いい感じに色褪せていて最高。 >>136
>>137
これからどうするのでしょうか?
解体? >>138
1両保存予定
>>139
津山に同系のキハ52があるから多分いらんでしょうが、加悦のキハ10何とか
元に戻して欲しい。座席とか処分してしまったんでしょうか? キハ17タイプのシートは、後ろに元気がいい高校生集団が乗っていると振動がすごい。 今日はかつてキハ17が走っていた長野原線(現・吾妻線)の115系に乗って、川原湯温泉駅を訪ねました。
間もなく八ッ場ダム建設にともない、当時の面影を残す、唯一の木造駅舎や鉄橋が水没の為、姿を消します。
明後日は湊線のキハ2004+キハ222へ乗車する予定です。 俺が幼少の頃、親父の田舎に行けばキハ10系(珍車キハ18含む)や20系、23系、55系、40系、58系など様々な気動車が走っていて、本当に夢みたいだった。
高速道路が無かった頃は7両とか8両編成なんてのも珍しくなかった。
残念なのは殆ど写真に撮ってないこと。
当時、自分用のカメラなんて持ってなかったからだが、本当に勿体ないことをしてしまった(>_<) 真岡駅のキハ20、本線走行出来ないのかな・・・。
2両あるんだから何とか1両分仕上げられないかな。
標準色に戻して、C12と交換する姿が見たいなぁ。。。 >>144
海浜鉄道はキハ40導入予定なので代わりに廃車が予想されるキハ205を譲り受けた方が
真岡のキハ20より安く復活させることが可能かも知れません。
会社が興味を示してくれないと現実的に無理ですけどね。 確かにキハ205なら冷房もついてるし、名案ですね。 水島の20ももう本線走行は無理?
20+30の国鉄色コンビで、ぜひ昭和50年代の国鉄ローカル線を再現させてほしいですね。 キハ10系の横須賀色が拝める貴重な映像。
ttps://www.youtube.com/watch?v=o_jj4OY9aT8&feature=related >>148
ありがとう。
20と30を分けたのは、両方の列車に乗って下さいということだろうか。 キハ52盛岡色(未更新・前面強化無し)でドアがプレスドアの車両は実在しましたでしょうか? 電車線沿線育ちのおかげで、キハ20に初めて乗れた時は嬉しかったなあ。
これが図鑑で見た気動車というものかと!
走って近寄って、ステップを生まれて初めて見てまごついた。
ドアの向こうに階段があるとは。
ただ、タラコ色であった事を残念と思うクソガキではあった。 台風の前日、水島の20に乗ってきた。
定期列車のスジなので鉄よりも一般の人のほうが多かったな。 >>0151
盛セキ配置
キハ52 108・109・110が該当車かと 島原のキハ20がつぶされたのが残念だが、あそこは下手すると会社自体が潰れかねんから仕方がないな ひたちなかのはまだ大丈夫そう?
1両引退するらしいね >>152
俺の小学生時代と全く同じですハイ。
俺も高砂線で乗ったキハ10がタラコ一色塗りだったのが気に入らなくて
標準色の車が来るまで粘ると駄々をこねて親を困らせていたらしいです。 九州のバス窓のキハ20のある喫茶店はまだやってる? >>144
修理をしなければ動かせないよ。
車籍を入れなければ本線走行は無理だ。
車籍がない車両を運ぶ場合は、ディーゼル機関車にけん引してもらう甲種輸送だと。 国鉄篠山線は廃止されるまでキハ17しか走っていなかったようだ 40年前、坂町から米沢まで米坂線のDC普通でキハ17に乗ったが、隣のキハ20に比べると車体が小さく車内灯が薄暗くて、貧弱な感じがしたことを覚えている。 その頃花輪線は51,52,55,58といったところが居たけど51は意識して避けた。
夏は扇風機がなかったのが致命的で扇風機を求めて急行色を選んで乗ってた。
一度発車ぎりぎりに急行色を見つけて飛び乗ったら51だったときは参った。 筑波鉄道に移籍したキハ10は10年も活躍できず残念だった 高千穂線などでは夏場、先頭車のキハ20やキハ52が前面の貫通扉を開けたまま
走行したいることがあったが、非冷房のキハ20系は夏場は貫通ドアを開けて
正面から車内に風を入れなければならないほど運転室も客席も暑苦しかったのだろうか 小学生の頃福山駅の福塩線ホームでキハ20−1 の福塩線経由広島行を
たまたま見たんだが写真に撮らなかったのが残念。
トップナンバーは広島にいた時期があったんだな 米子運転所構内で一般色のキハ52がキロ180を牽引推進して転線させる光景を
米子駅のホームから見た キハ16、キハ17は更新工事を受けて6両が現役だね。
もっとも1両の台車以外何も面影は無いが。 >>168
乗務員室と客室が腰の高さくらいの垣根の様な仕切だけで仕切られたタイプだからこそ出来たサービスだよね。
昔の旅鉄で唐津線か筑肥線の10系気動車が真夏に貫通扉を開けて駅に停まってる写真が載ってたのを思い出した。
満員で暑くて皆さん機嫌悪そうな顔してたぞw 鹿児島交通のキハ10ならぬキハ16の両運転台版本家に先行したキハ300は、
当初総括できなかったり、三菱製バスエンジン、華奢な自連とか
総括制御運転可能にする為 改造で、かなり面倒なハードルをクリアしたみたいだけど・・・
全て自社施工? 10系や20系気動車って扇風機無かったの?
子供の頃関西線で乗った時、窓間のボタンで扇風機を操作した覚えがある。
10系、20系のどちらだったかは失念したけど30系や58系でないことは確か。 10台はキロハ18のごとく取り付けるために屋根を凹ませた位だからほぼ付いてないんじゃないか
20台はバス窓初期車と登場時白熱灯車両が個体依存
蛍光灯付きの最終増備車は最初から付いてるだろうけど キハ20 500番台、キハ25 300番台は最初から蛍光灯(40W直管なのでそれ以前の車両が改造で装備した20W直管とは異なる)と扇風機装備。
キハ22 200番台は北海道など極寒地仕様のため蛍光灯のみ。
そのほかは、キハユニ26を含めて白熱灯で扇風機なしが標準。
のちに、蛍光灯化と扇風機設置が施されたものもある。
蛍光灯化のみで扇風機のないものや、扇風機は配線と取り付け座のみだったものも存在。
また、扇風機はあるが白熱灯照明のものもあった(キハ20 423等) ちなみに、改造により蛍光灯なり扇風機装備になったものは、10台形式にも多数存在。
蛍光灯に関しては、20W直管のみならず、20Wサークライン採用のものもあった。
たとえば、1975年から初の首都圏色(朱色5号。1978年10月以降の国鉄一般DC標準色)を採用したキハ10 61は、20W直管蛍光灯と扇風機を装備していた。
当時、八王子機関区(相模線用)にあった10台形式(キハ10・16・17)のうち、約半数位が扇風機と蛍光灯で、それ以外は白熱灯で扇風機なしだった。 10台の低い天井に無理やり扇風機付けてたのか、それは知らなかったよ ベンチレーターの整風グリル?を取っ払って、そこに扇風機埋め込んだのね、なるほど
しかしベンチレーターの機能は殺してるのかな? 昔の雑誌にいくらでもあるぞ
迷列車の動画とかに使われそうだから上げない と言うより、そんなのはググれば沢山出てくる。
クレクレにくれてやる餌は無し 20の客用扉はなかなか洒落てますな。
のっぺらぼうじゃなく、プレスしているのがいい。 キハ20系といえば窓側の席の枕
寝る時ちょうどよかった
国鉄にしてはいいサービス 日田彦山線など九州地区の編成でよく見られた、車体幅の異なるキハ58+キハ17+キハ55というような
デコボコの編成は車両のつなぎ方が面白いようにも見えた キハ110系の加速に慣れたヒトが乗ると、遅く感じないか? キハ20の急行なんてなかったっけ??
閑散路線でキハ58を集められず、
仕方なしに一般車両をそのまま急行に仕立てたような・・ 広島県で走ってた
キハ52なら福島県
キハ22なら、星の数ほどでてくるよ 北海道だと22→40でシートピッチが狭くなった
鬼の急行ちとせが宗谷・天北に化けた事は歓迎されただろう