キハ10系とキハ20系を語る2
国鉄気動車の名車の一つであるキハ10系とキハ20系を語ろうぜ!!
関連形式の話題も歓迎!! キハ20系、キハ35系、キハ52系の変直切替は、完全に手動式で、ウテシの勘と技量が出ますね。
手荒にやると、ドッゴーン!という大きな音と衝撃を響かせながらギアが直結になる。
キハ40系、キハ66系、キハ65系の場合は、半自動切替で、直結段に入れる際、自動的に
エンジンの吹き上げを行うので、完全とは言わないが、ショックの少ない変速が可能。
変直切替のタイミングは、TC2、DF115系では、45km/h、DW9、DW10では60km/hとなります。
※DMH17京エンジン搭載車との併結では、45km/h程度で直結に切り替える必要があります。 キハ10、キハ20ときたらキハ30。
智頭急のHOT3500を3ツ扉にしたようなヤツだった。ミャンマーでは元気かな? >>5
つ通勤型気動車のキハ35系を語る
ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1361609287/l50 水島のキハ20乗ったけど、カランカランといい音するね。
エンジンに詳しくないんだけど、DMH17のA B Cて何が違うの? 前スレにいた人ならわかると思うけど、自治厨が沸いてくるから放置推奨。
質問系はwiki見て学べ。
はい、このスレ終了。 いすみのキハ52が旧国鉄色やめるみたいだ。来年の検査を前に来月中にタラコにするとか。 渦巻室とか予燃焼室式とか書いてあるよな〜意味は知らんw >>10
タラコ色、人気ないんだよね。
俺は結構好きなんだけどな。
タラコ色の現役車って他にあるのかな? 先祖代々、東北の山持ってる日本人の人?w
青函連絡船 4便
546 :回想774列車[]:2014/01/31(金) 15:54:42.48 ID:aCQ/s/5+
八重洲発の夜行バスを おりたときから青森駅は原野の中
北へ発つチョンの群れは 騒音公害で案内放送も きこえない
私もひとり白鳥に乗り
こごえそうなカラス見つめ溜め息ひとつ
ああ.. 津軽海峡冬景色 ごらんあれが魔改造車 北のハズレと見知らぬヲタが教えてくれる
泥でくもる窓のポリカ ふいてみたけど、はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります道内事故が胸をゆする泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色
さよならあなた 私は帰ります
北不祥事が胸をゆする
泣けとばかりに
ああっ!? 津軽海峡冬景色 >>10 >>12
キハ52の全検が3000万ほど掛かるらしい。廃車にするかもな? 2000万でキハ30復活?
タラコ色の現役というか保管のキハ52 156があるけど、こちらは糸魚川駅展示には
ツートンカラーに塗り替えられそう。 すこしの間、夢?を見れましたかね。
キハ52が無くなったら国鉄風お面のアレで我慢でしょう。 >>17
我慢出来ない!! 水島のキハ20持ってきて。 そういえば水島のは処遇どうなるんでしょうね?
まさか・・・ミャンマーに?
ビルマの縦型!ミャンマーディーゼル! >>17
お面はあのとおりなので、どうせなら国鉄色にして欲しかったわ それは今の国鉄色のがワヤになったら考えるので少し待ってておくれとかな? 娘「昼間干してた下着が盗まれたみたいなの」
父「ビルマの星形死体が恵まれた痛みなの?何を言ってるんだ!気は確かか」
というやりとりのマンガがあったな。何のマンガだったかな。 電車て雪に弱いね!!
いすみのキハ52やひたちなかのキハ22タイプが大活躍だった。 東京都知事選挙の争点に女性専用車両の廃止
東京の問題は、女のわがままによって生まれた女性専用車両が存在し
車内で男性が被害を受け、不便さを押し付けられ、混雑した状況に不当に押し込まれていることです。
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
新しい東京都知事のテーマは、
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両を廃止させることです 基本的にキハ30系列ばかりの線で、どうかして1両キハ20が入っていたりしただけで嬉しかったっけなぁ〜。
眺める風景も全然違うし!グリーン車の開放より嬉しかったねw 八王子にキハ20が停まっているのを見つけると足早にキハ20のボックスシートへ
乗り込んだのを今でも覚えているよ。
東京にキハ20。 今では信じられない光景がそこにあった。 >>28 西武池袋沿線民の俺にとって汽車との接続駅 東飯能は不思議な世界だった。 この当時の八高線はキハ30系シリーズ主力でも他にも何でも連結していたからね。
キハ10系20系だけでなくキハ23らもいたみたいだし、短期間ながら当時出来た
ばかりのキハ40も入っていた時代もあった。
もしあれとキハ47が比較的ごっそり入っていたら?八高線の車両も多少違った展開だったのかも。 >>30
キハ23じゃなくて45ね
オールロングシートのキハ47とか見てみたかったような、見たくないようなのが出てきたかも 八高線のそれって正直言って足尾線のオコボレでしょw 昔の相模線はキハ17系ばかりだったな。本数も1時間に1本走っていたくらいしかなかった。
キハ35系に置き換わって、多少なりともロングシートながら“近郊電車”風情になったと思った。
単にクロスシートだからキハ17系が良かった…なんて思わなかったよ。
あのべコベコシートなんかちっとも快適ではなかった。 非電化時代の八高線と横浜線乗り入れで八王子に遊びに来た相模線で車両の融通や臨時直通って皆無なの? >>34
鉄道総研内で見た。キハ22 299
キハ20やキハ30等もあった。 >>33 登場間もないころデモだか展示発表だかで10(多分こちら)か20?は、東京駅に来たでしょ。
高度経済成長の初期 国鉄が債務や労使問題で泥沼化する前 地方ローカル線近代化に夢を抱いていた時代の出来事。 >>36
走行ルートは知らないけど、青梅線内発着で相模線経由の海水浴臨はあったんでね?
YouTubeで動画があった加藤 八高線と相模線の間で移動した車といえば、相模線電化で転属or借入車が14両あったけど、それ以前にも八高線→相模線だと35-519や904があったし キハ10は南部縦貫にも保存されていますが、あれは今でも動きますか?
この路線、レールバスしか走っているのを見たことがないのですが、キハ10はどのくらいの頻度で走っていたのでしょうか? >>46
運行最終日に行ったらレールバスの続行で動いてたけど。
南縦は1閉塞だったから、よほどの多客が見込めるイベントの時位しか動かなかったんじゃない? >>46
キハ104は近年トルクコンバーターの調子が悪く、すぐにエンストしてしまうそうです。
だから最近は走行していません。
レールバスでは運びきれない乗客に対応するため、昭和55年に八戸機関区から
元国鉄キハ10 45号を譲り受けました。 元常総筑波鉄道のキハ103と入れ替わり
キハ104として運行当初は朝の通勤・通学輸送を中心に活躍しました。
しかし、年々乗客は減り、大型車体であるため燃費が嵩み稼働率が減っていきました。
その後、園児の遠足やお買いもの無料列車など年に数回程度しか走らなくなってしまいました。
縦貫廃止間際になるとレールバスでは運びきれない乗客の為、キハ104がレールバスの続行便として
大活躍しました。 キハ10系は南縦廃線後のGWイベントでアイドリングしていたのと、鉄博と金城ふ頭の
収蔵品でしか縁がない。20系なら水島、茨交・ひたちなか、島原で辛うじて乗れた。
52なら花輪と米坂に大糸での末期に一回ずつ乗ってた。大糸は125号だからいすみへ
逝って再度乗りたいところではあるが。今度タラコに変わるそうだし。
>>48
南縦休止直前はレールバスに乗れるのが40名までにされてましたな。その掲示が
野辺地駅の窓口に手書きで貼ってあったけど、なぜだか緑の国鉄マーク入り用紙
だったと記憶があるんでして…。一枚撮っておくべきだったな。 >< >>49
用紙は国鉄(JR)からの頂き物でしょうね。
いすみのキハ52125がタラコへ塗り替えられるけど
今度は糸魚川駅に展示するキハ52156がタラコから一般色へ変更する予定とか。 いすみ車は、あえて小湊色にしてみたら?
キハ52と京成仕様ライトの小湊車で印象の変わり具合がよく判りそう。 >>51
小湊色も味わいがあり良いですね。
いすみ鉄道にキハ200型の初期製造車を譲って欲しいです。
この車両は五井駅から国鉄千葉駅へ乗り入れた経歴があり
房総西線(内房線)の気動車(キハ10系やキハ30系等)と併結運転しました。 真岡や天竜二俣に保存されているキハ20が復活したら面白いのに。 同一人物じゃあないんだろうけど
サビてボディの脇腹に穴が明いてるようなヤツを走らせろといったり
その一方でこの前まで走ってたものをいきなり静態でとか
節操が無いな
水島のは津山気動車館に行くんじゃねーの 相模線は首都圏色(朱色5号単一)発祥の地。
1975年のキハ10 61が最初(大宮工場)。
当時の相模線専用車はキハ10が主力。
ほかにわずかのキハ16・17・20・30・35・36(八王子機関区)があった。
原当麻〜橋本に単行運転仕業もあり、それ以外は2〜3両編成が主体で、両運転台が好まれた。
10台形式は、白熱灯照明扇風機なしのものも多かったが、上記のキハ10 61は蛍光灯・扇風機装備だった。
一方、昭和52年に七尾から転入したキハ20 281は白熱灯照明扇風機なしだった。
その後、昭和55年までにいったん30台形式への統一がはかられた。
昭和57年になんとバス窓のキハ20 56が転入。
蛍光灯・扇風機装備でテールランプも外ハメ式に換装、前灯も当然ながらシールドビーム2灯化されていたが、DT19C台車はそのままで、半年ほどあとに美濃太田からキハ30が転入してくるまで使われた。
昭和40年代に、夏季に茅ヶ崎〜八王子間に海水浴臨時として主要駅のみ停車の「しらほ」(市販時刻表にも掲載)が運転されたことがあるが、車両は通常どおり八王子機関区の相模線専用車。
相模線専用車は通常は茅ヶ崎に常駐して、1エンジン車のみであり、八王子以西中央線はもちろん不適。
また、方転でしかも中央線をまたがねばならない八高線への直通などは、初めから眼中になかったようだ。
余談ながら、ステンレス車体キハ35の最後の生き残りキハ35 904は、相模線にてJRに継承され、最後はクリーム色に青帯の相模線色にもなった。 首都圏色は退色すると薄紫色になったね。
四国のDCに多くいた。 >>51-52
いすみとひたちなかと並んで首都圏でDML17エンジンのに乗れる唯一の路線だからね。
東京に近い千葉で乗れる自体ある意味貴重。
小湊と言えば五井の車庫にあるキハ5000形も走行不可だがDML17Cはまだ始動できるらしい。 >>59
関東地方はDMH17王国ですね。
小湊さんのキハ5800はエンジン始動できるのですか。
電車の車体にエンジン音聞いてみたいものです。
鹿島さんや那珂川さんのキハ601やTD-2機関車は10系気動車と同じ
DMH17Bエンジンらしいですね。 ひたちなか海浜鉄道のキハ22もどきのディーゼルカーは全て国鉄籍だったことはなかったのに国鉄の線路を走ったことがあるのですね