国鉄101系スレB
たくさん105系に改造されたので仙台のを持っくるまでもなく
3編成くらい作れたんではないの。 >>589
CS51がJR東日本で希少種になってしまい保守に難儀する
希少種は早々に淘汰される 武蔵中原に入っていた101は、冷房改造車含めわりと製造年の新しいものが多かったのか?
初期型入ってたっけ?運転室後部の窓が大きいやつ >>591
中央線から101系の冷房車の転入が行われる頃までは、南武線にも101系の初期車が走っていたよ。
1979年の5月頃までは試作車も走っていたし。 究極は優等も普通も同じ車種を使い回す事だろう
これで保守業務は画一化・標準化され、ロボットに任せることさえ視野に入れられる >>594 足回りなら優等と普通の共通化、私鉄でよく見られるのでは?例えば西武の5000と101、東武の1800と8000 >>593
JR東海の211系0番台も保守部品が5000番台と大きく違うのでJR東日本から取り寄せてるとか話がある とにかく走ればよいのなら、戦災で燃えた車両から台枠やモーター持ってきて造ってしまうので十分。そういう時代ではなくなった。
101のような画一的大量生産だとメンテはしやすい。 南武支線のやつは部品共通化で西日本の471系みたいにMT54に交換されてもおかしくなかった
MT46の残存個体が少なく保守困難になってたはず
ブレーキ弁はATS-P搭載工事で103系と同じのに変わってた 南武支線は鶴見線の103系を入れて共通運用にしても良かったはず
浜川崎駅で繋がってるしどっちも中原電車区所属だし
南武線の踏切事故で南武支線の101系が出庫できずクモハ12が代走したなんて逸話もあった >>599
ホーム2両分しかないのに、どうやって103系で2連を作れるのか? >>600
まさか>>599はドアカットとか考えていたとか?
まあドアカットが許されたとしても改造が必要になるわけだが… >>600 103系3500台みたくするんですかね?
クモハ足りるかな? 南武支線ワンマン車の重連?運転て廃車回送が最初で最後だったのかな? クモハ102は5両しか作られなかったからなぁ
クハ79改を入れても東には10両
101系を早々置き換える気があったら西みたく改造してたかも
蛇足だがクモハ102-1201は廃車後クモハ103-11とユニット組んでたね >>256
乳鉄は1000の前任の小田急800もパワー落としているとのことで釣りかけ音が静かだった。 弁天橋と弁天町、101系と縁があるのはどちらですか? >>506
101系は先頭車両が多かったから仕方がない MT46を載せたえちぜん鉄道のMC5001型は、稼働してるの? 元気で走ってる
しかし兄弟を不慮の事故で失ったのは可哀想に思う 亡くなる前にMT46のサウンドを聴きに行こうと思う >>617
交通博物館に展示してあったときに行ったけど、サウンドが全然違って聞こえるよね 弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>618
負荷が掛からないせいなのかけっこうブォーンとした音だったね。
秩父線のはパワーダウンさせたとはいえ、オリジナルに近いクォーーンという高音を響かせてた。 今更だが、101にMT54を搭載した史実とは違う103で良かったような
同時期の近郊型が111にMT54を載せたような113だったので
(401にMT54を載せた403、421にMT54を載せた423で合ってる?) 全Mをやめるだけならそれでも良かったかもしれないけど、
まだ電力の問題が解決できてなかったので、120kWのMT54が使いづらかったということもある
かといって、MT比率を下げるには限界があり、駅間が短い山手線での使い勝手を考えて、
110kWに抑えつつ、通勤電車用の中低速域に特化したMT55が開発されたということなんだろうね
モーターが一回り大きくて、台車も同じように見えて実は専用なんだよな >>619
先頭部と窓一つ分くらいのやつ?
アレは展示用にあつらえたモックアップだョ。
今は梅小路に移った。 >>626 に補足
各部仕様は後期型準拠だった記憶 6M4Tで最大480Aで走行したらラッシュ時モーターが焼けそう
MT54はおろか西武101系用の150KWを積まないと追いつかないはず 鉄ピク・7月号別冊・国鉄形車両の記録・101系通勤型電車が発売された。 前面にスカート取付工事は施工車ないな
南武支線や秩父鉄道ですらやってないが人身事故の時やばそう 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛官)は世界一の天才だと思います、彼を馬鹿にするやつは俺が許さん! TT’ユニットについて調べてる人いる?
電動化されなかったからバラせるのに廃車までTT‘で組んでたのが有るんだが。 2両編成組めるメリットを生かして福塩線や富山港線辺りに転用しても良かったのに
富山港線だと駅間距離が異様に短いので高加速のメリット活かせそうだが耐寒耐雪化工事がいる
105系と比べて消費電力が大きい欠点はある >>629
買ったけど目新しい内容が無かった。
車歴表は相変わらずおかしな所があるし。 主抵抗器ブロワとMGを共用してるとか謎設計だったな
発電ブレーキが今まで前例がなく手探り感あった
103系や111系から分離された 101系と73系は併結運転やった事があるってマジ? ちなみに内房線ではクモハユ74との併結運転はあった。
クモハユ74は73形改造。 旅客用車両同士で新性能+旧性能は急行いでゆで153系と80系が併結した事例があった
ただあれはお化けジャンパを使う必要がある上に153系側で電制カットが必要だった
どんつき衝動凄かっただろうな >>643
小田急は脱線事故多発で懲りた
パイオニア台車の空気ばねが柔らかすぎたのが原因 新性能車の113、115と吊りかけ荷電との併結運転って、当たり前にあったよな。
高崎・上越線や房総地区で。 >>646
西武赤電の吊り掛け+カルダンの組み合わせもだいぶむりやり感があったなぁ。
2代目501系を除く吊り掛け車とカルダン車を連結すると、妙にギクシャクしていた思い出がある。 営団銀座線にも昭和40年代にはあった。カルダン音は静かだったが、旧形車両の地下での吊り掛け音は迫力があった。 クモニ83やクモユニ82は抑速制御付いてたな
165や115にくっついてたから、必須の機能なのだろうが
新宿寄りなのはなんか意味有るのか? >>650
東海道本線のクモユニ74・クモニ83等の荷物電車は大阪寄りに連結された。
理由はそちら側に各駅の荷物を取り扱う設備が備えられていたからという理由でした。
中央東線もそう言った理由では? >>640
客扱い営業用には登録されておらず(つまり旅客営業車としての認可は取っていない)、旅客は乗せていない(乗せたら厳密には違法)。
事業用として、職員輸送などには適宜使われた。 >>649
いや、01系が量産されるまでは
2000+1500+1500+12/300T+14/700M+2000で
釣り掛けは混じってた >>651
東海道線のはユに係る郵便局との位置関係もあって神戸方でしたね。京都も大阪も中央郵便局は前寄りにあった。鉄道郵便局も無くなり、大阪中央は鉄道郵便局が無くなるどころか中央郵便局そのものが移転してしまった。 >>652
だったら「ハ」は記載しないよ。クモヤ22にJR東海が客乗せようとして、クモハ12041にしたのも、
「ハ」でないと客は乗せられないからだろうけど、最初から客乗せない前提なら、クモハ74001で
落成もしないし、クモユにしただろう。
では荷物しか載せないのに、なんでクモハ「ユ」にして区分棚まで設けたのは、
もしかすると新聞を「三種郵便物」扱いして予算を獲得したから? 中央線の冷房車はMT54に交換すれば限流値を上げることが出来て非冷房車と同一スジが可能では?という見方がありそうだがモーター交換だけでは済まないはず
主抵抗器容量増大とMGを主抵抗器ブロワと分離しクモハ100・モハ100に移設する改造もいる >>655
確かに東京のKITTEも名古屋のKITTEも神戸寄りやね。年の為にヤフーマップで調べたが、ナナちゃん人形臨時休業は草。
>>656
全室郵便車は原則郵政省所有だったからでは?建前上でも客室を残せば国鉄が自由に使えるとの判断と推定。
蛇足だが後年の小荷物郵便鉄道輸送廃止でクモユニやクモニはクモハやクモヤ転用が出来たのに、クモユ143は
国鉄譲渡が認められず新製数年で廃車解体されて郵政省が会計検査院から大目玉を食らった。
>>657
103系ですら限流値を抑えていたのにそれをやったら変電所が持つか疑問 >>658
クモユはもったいなかった。
事故なら分かるけど10年に満たない車両を解体したんだからね。 >>658
それならクモハユにする必要はなくて、クモユニ74の増備にすればすむ。
郵便車でも国鉄所有だったのは、スユ71・72の例がある。オハユ30やオハユ61も国鉄所有。
なのでクモハユが国鉄所有にしたいから(というか、国鉄所有のモハ72をタネ車にする以上
郵政車にするわけにはいかない)ハユにしたというのはあり得ないと思う。
それだったらクモハニでもクモニでもクモユニでもいいはずだし。ハユにした理由は別にあるはず。 >>660
今となってははっきりした理由はわからないだろうなあ。
当時の人の多くは既に鬼籍に入っているだろうし。 クモル145は元々の車歴を辿ると元モハ90系として製造された1958年製の初期の車両があって21世紀までゾンビみたいに在籍してたとか凄すぎ
元々の機器が台車とモーターだけなのでほぼテセウスの船状態でもある
特にクモル145-8はクモハ100-2から改造されてて更に遡ったらモハ90514だった tps://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/024/575/21/N000/000/000/134398211432413123401.jpg
tps://jnr-oldtimers.at.webry.info/201208/article_2.html 青梅線の72系で先頭車両の客室内前部を仕切って、新聞等の荷物を運んでいたのを見た記憶があるが、101系あるいは103系でそのような例はあるのだろうか?
確か73年頃だったが、その頃はまだ青梅、五日市線は旧国が大半を占めてたが。 >>663
145系は台車DT21に2種類あって、初期形の丸形側受けの車輌と、
後期形の台形側受けの車輌と2通りあったような。
その後おそらくは廃車発生品の台形側受けに統一されたと思うけれど。 えちぜん鉄道のMC5001に乗ってきました
稼働車では唯一のMT46搭載車
コイルバネのDT21はさすがに揺れました 南武支線の101系は2両オールMだったが限流値設定どうしてたんだ?
試作車デチューンと同じ280A固定だと100%乗車時に2.2km/h/sになりオールMのくせして103系2M1Tより加速が悪い事になる >>670
南武支線の101は、区間としてそれほどの高性能を要求されてないだろうから、
103系より加速が悪くてもかまわないのでは。
本線の代走運用も無いしねぇ。冷房化で重くなった時も調整しなかった? 秩父鉄道のやつは変電所容量的に限流値下げてたが具体的な数値が不明
モーター出力を85kWに下げてたとか書いてるのあるが連続定格である >>671
後釜の205系1000番台は限流値を下げてなくロケットみたいに加速する
4.0km/h/s位出てそう 101/103には試作車があったが111/113/115は最初から量産だった >>670
南武線に103系がデビューしたころに、起動後10秒で達する速度を調べたことがある。
101系4M2T :20q/H
103系4M2T :20q/H
101系2M :30q/H
実際乗ってみると、浜川崎支線の101系の加速性能は本線の6連とは明らかに違っていた。
浜川崎支線が101系に置き換えられて4~5年くらいの間は、時々本線の6連に浜川崎支線用の2連が併結されているのが見かけられた。 >>667
何を運んでいたかわからないけど、101系のみで運行されていた、1980年頃の南武線で見たことがある。
いつも立川方の先頭車の車内を、幕を張って区切っていた。
ほとんどの駅の改札や階段が立川寄りにある下り電車では、立川方の先頭車は込み合うので、利用者には迷惑な話だった。 客車用のハイケンスオルゴールを搭載してた車両があったが何のために搭載してたのか謎だなあ 初期の頃鋳鉄制輪子を使っててそれに対応すべくブレーキが両抱きだった
クモヤ143のDT21Cや103系のDT33は片押しでレジン専用
レジンに変わったのはいつ頃?
秩父鉄道は最後まで鋳鉄だった >>677
東京や高尾到着時に流してくれたら旅情感じて良いなあ >>677
それ、JRになって間もない頃の南武線ですか?だとしたら、矢向の車掌さんで発生品だかのオルゴール箱を携帯している人が居て、川崎発車直後に受話器を箱に付けて流していたのを見たことがあります。 総武線でモーターのたわみ板破損が原因の暴走事故があったんですね
全車両の片側ドア全開で走ったらしい
パンタを下ろしてやっと止まったそうです >>682
オレも週末に動画見ました。
田端駅の追突事故は新聞写真の記憶があるが、総武線のこんな一大事は全く知らなかったですよ。(当時は幼稚園年長組)
近鉄青山トンネル事故とか北陸トンネル火災とか、鉄道の死傷事故か起きた年ですよね。 全Mの101系とか、省エネが重要視される現代ならば絶対に登場しない編成だな。 デビュー当初はブレーキシューが鋳鉄だったが後年レジンになってる
秩父鉄道で鋳鉄が復活した >>682
満員のラッシュ時だったら、後世に名を残す事故になったかもね