国鉄101系スレB
中央快速線の冷房車は8M2TにするかモーターをMT54にすれば非冷房車と同じスジに出来たのに
103系は限流値アップで対応できたが101系でやるとモーターが焼き付く
MT54はプロトタイプの試験をやった事があるがMT比1:1だと満車時にRMS電流が定格ギリギリになるとかで没になった 白くまくんなら8基つけても400Kg80Aで済むのにな、暑かったら自宅のリモコン持ち込んで勝手に温度下げられる >>489
MT54でもそうだったのか?MT46ならなんとなくわかるのだが…
北隣の西武なんか、MT54相当でMT比1:1の701系や801系を冷房改造してがんがん使い倒して、
最終的に1997年まで運用していたが。
どこで差がついたんだろうか… >>491
その頃の西武の新宿線系・支線は加減速の条件が緩かったはず
高加減速の(西武)101系が出てきて池袋線から早くに撤退したし >>492
西武内部での事情ならそうだが、あくまでも国鉄101系との比較なら、悪くはなかった。
中央線との比較でいうと、当時の中央線101系10連(6M4T非冷房)が加速度2.0位(かぶりつき実測値。以下同様)で、
よりMT比の条件の悪い西武の701系8連(4M4T冷房車)が加速度2.3位だった。
西武101系のMT比1:1での加速度2.6よりは劣るものの、当時の基準ならそんなに悪い加速度ではなかった。
だから、制御系と変電設備さえマトモならMT54搭載の通勤者もあながち全くの夢物語、というわけでもなさそうなん
だよな。
ちなみに、歯数比が異なる近郊型だが参考までに、国鉄115系(MT54搭載)がMT比1:1で加速度1.7位出していた。 401・421系は交流機器搭載で重いとあって限流値が400A固定だった
MT46でMT比1:1とかこれでよくモーター耐えられたな
ただ1.5km/h/s程度しか出なかったはず
末期の101系はこれよりしょぼい応荷重不使用で360A固定とか異常w >>494
門司−鳥栖間 101.3kmに駅が44駅だから平均駅間距離2.356km=101.3/43。
山手線1周が34.5kmに29駅だから平均駅間距離は 1.190km=34.5/29で、5周くらいは廻るから170km余の連続運行。
駅間距離が2倍(=発生熱量が時間あたりで約半分)、連続運転距離が6割、乗客も半分だったから耐えられたんだろう。
同じ101系でも、非常にトロトロ走った総武線では、発電制動は生きてたし、山手線運用が特に過酷だったってことだろう。
総武線も書いとくと、お茶の水-千葉間20駅で38.7kmだから駅間距離2.037km=38.7/19、で、山手線の倍近い距離。 山手線はモーターが耐えられないとかで発電ブレーキオフにして運転してたとか異常w
何かオールMでも乗客多すぎて熱容量的に問題が起きたとか >>496
491のいう西武のMT54車も電気制動なしだったな 国鉄時代で900番試作電車って保存車両無いのでは?
101の900番台も保存されて無いよ
あれだけ革新的な車両だったのにね ・・と思ったら101の900番台って1両保存されてたんだな
これにはびっくり・・南武線で最後の時期に乗ってるだけぢ感慨ひとしお
是非、今度見に行こう 編成によってパンタグラフの位置がまちまちで検修が大変だっただろうな
京葉線の201系で10両固定でもサハの位置を6+4のクハに合わせたのはパンタグラフ点検台の位置の関係から
京浜東北線のE233系は209系に合わせて電動車の位置を決めてて真ん中のモハの部分に増設するだけで良かった 10両貫通編成ってあったっけ?
総武緩行線は6+4とか7+3とか3+4+3とか何でもアリだった
他にも南武線で3+3とか意味なし分割編成多かった 試作車は当初埋め込み雨樋(雨樋が無いと誤解する人がいるが実際は103系体質改善40N車みたいに埋め込まれてる)だったのを後で外付け雨樋追加した理由が謎だな
先頭部に縦管通してて不細工になってるのあった >>506
総武緩行線で10両貫通編成があったという話が。
101系の場合両方の向きそれぞれにクモハとクハがあるから103系の貫通編成みたいにTcMM'TMM'TMM'T'cだけという ことがなさそう。 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 6M4Tの10連の場合サハを1両200番台にしないとMG・CP容量が足りない
C-1000は3両が限界
秩父鉄道は103系と同じC-2000に交換されてたが急勾配が多いから容量を増強したとかではなく部品枯渇の為みたい
それも何故か主抵抗器のブロアファンとMGを共用してるとか変わった設計だったが冷房化後はどうなったんだ? >>511
>それも何故か主抵抗器のブロアファンとMGを共用してるとか変わった設計だったが冷房化後はどうなったんだ?
クモハ100とモハ100に冷房電源用の大容量のMGを設置して、室内灯や制御用の電源はブロアファンと共用の
MGをそのまま使い続けた。冷改工事の簡略化のためと思われるが、冷房を使わない時期は大容量のMGが単なる
重しに過ぎなくなる結果になってしまった。
アオガエルのニックネームがついていた旧東急5000系も同じ構造で、架線電圧が600Vの私鉄に譲渡される際は
取り付けてあったブロアファンとMGを撤去して、600V用のMGを別の場所に取り付けた上に新しく設計した
ブロアファンを取り付けたらしい。 ブロワファン一体型MGは冗長性に欠けるためか103系から別々になったな
別体だと長時間停車時にブロワを切る(運転台の前後進レバーを「切」にして2分後に切れる)ことが出来るが101系では不可能 103ではM車に制御系、M´に補機類ときっちり分けた格好だね。
パンタだけはユニットのいずれに搭載するのか、ずっと統一感が無かったが…。 >>514
交直流系のパンタは全てM'車搭載で統一されてるね。
直流系では183系が途中でM車からM'車にパンタ搭載が変わってる。 鉄博はDT24でモーターや制御器、ブレーキのエア音があるからぜひコンプレッサも動いてほしいな。
C1000独特の
「クイ〜ン ツァツァツァツァ ストトトトトトトトト……ト ト ト ト、ポンク ポンク ポンク プス〜〜」
という音が臨場感を醸し出す。 MT46は出力算定が特殊だったんだな
定格速度が全界磁ではなく80%弱め界磁だったりユニット当たりの出力が800KWではなく775KW(モーター1個当たり96KW)だったり >>517
> MT46は出力算定が特殊だったんだな
100%界磁が定格の標準ということはないよ。
起動時の一時的な値が100%という考え方で定格規定もある。
私鉄の全電動車型のモーターだと、100%界磁で75Kw出力だが、弱界磁では85kW出力が定格なんて、標準的な決め方だった。
またMT-54は375Vで120kWが標準的定格だが、同じ巻き線のママ端子電圧定格を500Vに上げて、
ほぼ電圧比例で150kW出力という別定格を定めたMT-54E(120kW/150kW)という例もある。711系/415系に使ったモータだ。
モータの設計側がどういう観点で定格を決めるかって問題。「特殊な決め方」ってことはない。 すげー知識だな、チビジャリの頃荻窪駅で冷房車探しして乗ってたが深い事情などつゆ知らず
でも今になって冷改とか鉄模作ってて気になる 101系と73系が併結して営業運転したことがあるってマジ? 151系だと山陽道瀬野八で補機との間に80系を繋いで走ったり、
房総夏臨で電源車としてクハ16を挟んでDD13に牽かせたりとかあるから、
同じ機構の101系でも可能なはず。
空気ブレーキが電磁直通と自動と両方ある。>>521 高崎〜上越線でも80系と153系を繋いだのがあったんだよな。
ブレーキはまだしも加速時はどうやって同調させてたんだろう?
いずれかにえらくストレスがかかりそうなものだが。 >>523
×> 151系だと・・・・・・・・・・・
○> 153系だと山陽道瀬野八で補機との間に80系を繋いで走ったり、
151系だと山陽道瀬野八では補機と直接連結で走り、走行中解放で時間を稼いだり、
>>524
?長野原温泉:吾妻線で、渋川から先で80系を蒸気機関車が牽いた臨時列車の話とは違うの?
同時季に房総夏臨で千葉から先の房総西線で153系6連をクハ16(電源車)を挟んでDD13が牽いて走ってる。 >>525
その蒸機牽引になる渋川まで(から)を153系と繋いでたのよ。
上越いでゆ+草津いでゆ で検索するとよろし。 >>525
瀬野八で153系と補機の間に連結したのは80系ではなくダブルルーフの客車を湘南色に塗装した職用客車オヤ35(スロハフ30改造)
だと思ったが。片側 並型自連、反対側 密着自連 の珍車だったはず。 527 だが
×>密着自連
○>密着連結器
が正しいです。スマン >>529
瀬野八のオヤ35は機関車と153系の間に挟む控車ですからHⅯは付いていないはずです。 >>529
530で書き込みがおかしかったので再度書きます。
瀬野八のオヤ35は機関車と153系の間に挟む控車ですからHⅯは付いていないはずです。 >>531
なんか文字化けします。申し訳ない。
×>HⅯ
○>ヘッドマーク
です。 この板はBBS_UNICODE=changeだから数値文字参照は使えないよ
●マークとかHMとか書かないで素直に最初からヘッドマークでお願い >>534
●(Gマーク)は電車だけが対象だったような
101系には該当車はないけど
改造したクモユニ147には◆と共についてた 中央快速線の冷房改造車はモーターをMT54に交換してもよかったのに
重量増大を限流値アップでカバーが出来ず中央特快のみの限定運用だった
101系でMT54に換装したのは存在しないが南武支線で部品共通化を目的に交換してもおかしくなかったはず >>537
101系のMT54へのモータースワップは以前に妄想したっけ。
但し西日本が片町線用101系を継続使用、103系のような延命工事をすると想定。 105系(仮)とは違うの?
実際に存在している105系とは違うやつ 中央快速線で4M4Tの走行実験したら満車時にモーターが過熱したんだな
MT54プロトタイプでもやはりぎりぎりになるとかで没になったためにMT54交換では済まない事がわかる
4M3Tは非冷房車ではOKだったが冷房車ではモーターが過熱するため不可能だった? >>541
片町線での冷房車4両+非冷房車3連の組合せの時は6M1Tで運行していた 900番台はクモハ100の助士席側にもジャンパ栓納め付いてたな
量産車で廃止された GMの板キットには900番台のお面がついてるトリビア http://www.asahi.com/relife/article/11257990
ラッシュでガラスが割れてHゴムが外れてる
101系や103系は「割れる」というよりHゴムが外れて「落ちる」んだな
201系から金属押さえになって落ちる心配はなくなった >>541
小田急2400のMB-3039Aを借りて、101に取り付けてテストし、
次いでMT-909試作電動機でもテストしたんだよね。 >>539
西日本に継承されたのが少数しかなかったため、関西から早々に姿を消した要因かもね。
>>540
それが101系車体にMT54を載せたものとなる予定だった。 101系は特別保全工事車無いんだな
南武支線のは車両更新工事施工してもおかしくなかったがAU712冷房改造されたものの最後まで未更新だった >>554
元中央総武緩行線では?
国鉄末期の南武線の101系はまだ使う予定だったかと思われ >>555
当時、101系冷改車の中央線快速から南武線への異動が完了し、
103系冷房車の南武線への異動も開始されていたので、
南武線にも廃車待ちの101系非冷房車がいたはず。
そういえばオレンジ色のまま関西線へ行った101系の先頭車の前面に、
黄色の警戒帯が入っていたのが不思議だったな。
関東では、高尾以西の中央線や青梅以西の青梅線をオレンジ一色で走っていたのに。 >>556
オレンジの王寺水害救済転属編成の先頭車前面の黄帯は天王寺・新今宮における大阪環状線103系との区別というか誤乗防止だと思う >>557
そういう理由だったのか。納得。
他の路線への乗り入れがないどころか他の路線とホームの共用がない南武線では、
色違いの車両でも誤乗防止のステッカーを貼るようなことはなかったもんな。 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 弁天橋と弁天町
101系と縁があるのはどちらですか? 南武支線が化石みたいに残ってたのがむしろ以外
仙石線の105系転用は2編成しかなく所要が1編成足りず無理だった ダメ元で諸兄にお聞きしたいのですが、オレンジ色非冷房で800番台ではない中央快速付属3両編成は存在したのでしょうか? 大事なことを忘れてました
「両方がシールドビーム改造された」
という条件です 南武線に平成になってからもなお原型ライトの101系走ってなかった? >>453-454
最後まで残った2本揃って秩父鉄道入り。
C104編成→1011F
C105編成→1009F
この2本、のちに国電ヲタを発狂させたよね?
>>461
チョコバナナリバイバルの1007Fがそれだな。 何処かに南武線、鶴見線の晩年の編成表アップしてるページ無いかな? >>70
101系は4連になれないんでしたっけ?
南武線に4連の101系があったよう気がするんですが、私の記憶違いかも >>569
101系置き換え完了時、6連は稲城長沼までだったので、立川行は4連でした。基本は2M2Tでしたけど、オールMもありました。 大宮工場の解体線(現 鉄道博物館)にダルマ状態のJRマーク付き101系が
2006年頃まで倉庫?として置いてあった
南武線101系だろうか…? >>572
色褪せた黄色だったよね?
冷房載ってたかは覚えてないが… >>571
原型ライト車がJRになった後も走っていたのは意外
南武線のだと、2灯化したのしか印象になかった 角ベンだな
近郊型クモハの先頭についてたような大型 800番台で冷房改造したのは無かったな
115系にはあるが冷房ダクトが低屋根部分でぶった切られてる 南武線支線は105系にしなかったのはどうしてだろう。 鶴見線用と共に武蔵中原の101系で運用されていたからなんでは。105系は1M式だしメンテのこと考えると異なる型式の少数運用は避けたい。 1M1Tの105系で南部支線のラッシュ時輸送対応できるのか?
仙石線の閑散区間ならこれで十分だろうけど。 >>583
南武支線の101系は3編成あったが仙石線の105系は2編成しかなく転用すると1編成足りない
流石に103系転用はしなかったな
先頭車化改造するかクモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニット組成すれば置き換えは原理上可能だった >>587 中原の101に冷房改造車なかったら、南武支線用のも103の二両ユニットに置き換わっていたんだろうな たくさん105系に改造されたので仙台のを持っくるまでもなく
3編成くらい作れたんではないの。 >>589
CS51がJR東日本で希少種になってしまい保守に難儀する
希少種は早々に淘汰される 武蔵中原に入っていた101は、冷房改造車含めわりと製造年の新しいものが多かったのか?
初期型入ってたっけ?運転室後部の窓が大きいやつ >>591
中央線から101系の冷房車の転入が行われる頃までは、南武線にも101系の初期車が走っていたよ。
1979年の5月頃までは試作車も走っていたし。 究極は優等も普通も同じ車種を使い回す事だろう
これで保守業務は画一化・標準化され、ロボットに任せることさえ視野に入れられる >>594 足回りなら優等と普通の共通化、私鉄でよく見られるのでは?例えば西武の5000と101、東武の1800と8000 >>593
JR東海の211系0番台も保守部品が5000番台と大きく違うのでJR東日本から取り寄せてるとか話がある とにかく走ればよいのなら、戦災で燃えた車両から台枠やモーター持ってきて造ってしまうので十分。そういう時代ではなくなった。
101のような画一的大量生産だとメンテはしやすい。 南武支線のやつは部品共通化で西日本の471系みたいにMT54に交換されてもおかしくなかった
MT46の残存個体が少なく保守困難になってたはず
ブレーキ弁はATS-P搭載工事で103系と同じのに変わってた 南武支線は鶴見線の103系を入れて共通運用にしても良かったはず
浜川崎駅で繋がってるしどっちも中原電車区所属だし
南武線の踏切事故で南武支線の101系が出庫できずクモハ12が代走したなんて逸話もあった >>599
ホーム2両分しかないのに、どうやって103系で2連を作れるのか? >>600
まさか>>599はドアカットとか考えていたとか?
まあドアカットが許されたとしても改造が必要になるわけだが… >>600 103系3500台みたくするんですかね?
クモハ足りるかな? 南武支線ワンマン車の重連?運転て廃車回送が最初で最後だったのかな? クモハ102は5両しか作られなかったからなぁ
クハ79改を入れても東には10両
101系を早々置き換える気があったら西みたく改造してたかも
蛇足だがクモハ102-1201は廃車後クモハ103-11とユニット組んでたね >>256
乳鉄は1000の前任の小田急800もパワー落としているとのことで釣りかけ音が静かだった。 弁天橋と弁天町、101系と縁があるのはどちらですか? >>506
101系は先頭車両が多かったから仕方がない MT46を載せたえちぜん鉄道のMC5001型は、稼働してるの? 元気で走ってる
しかし兄弟を不慮の事故で失ったのは可哀想に思う 亡くなる前にMT46のサウンドを聴きに行こうと思う >>617
交通博物館に展示してあったときに行ったけど、サウンドが全然違って聞こえるよね 弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>618
負荷が掛からないせいなのかけっこうブォーンとした音だったね。
秩父線のはパワーダウンさせたとはいえ、オリジナルに近いクォーーンという高音を響かせてた。 今更だが、101にMT54を搭載した史実とは違う103で良かったような
同時期の近郊型が111にMT54を載せたような113だったので
(401にMT54を載せた403、421にMT54を載せた423で合ってる?) 全Mをやめるだけならそれでも良かったかもしれないけど、
まだ電力の問題が解決できてなかったので、120kWのMT54が使いづらかったということもある
かといって、MT比率を下げるには限界があり、駅間が短い山手線での使い勝手を考えて、
110kWに抑えつつ、通勤電車用の中低速域に特化したMT55が開発されたということなんだろうね
モーターが一回り大きくて、台車も同じように見えて実は専用なんだよな >>619
先頭部と窓一つ分くらいのやつ?
アレは展示用にあつらえたモックアップだョ。
今は梅小路に移った。 >>626 に補足
各部仕様は後期型準拠だった記憶 6M4Tで最大480Aで走行したらラッシュ時モーターが焼けそう
MT54はおろか西武101系用の150KWを積まないと追いつかないはず 鉄ピク・7月号別冊・国鉄形車両の記録・101系通勤型電車が発売された。 前面にスカート取付工事は施工車ないな
南武支線や秩父鉄道ですらやってないが人身事故の時やばそう 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛官)は世界一の天才だと思います、彼を馬鹿にするやつは俺が許さん! TT’ユニットについて調べてる人いる?
電動化されなかったからバラせるのに廃車までTT‘で組んでたのが有るんだが。 2両編成組めるメリットを生かして福塩線や富山港線辺りに転用しても良かったのに
富山港線だと駅間距離が異様に短いので高加速のメリット活かせそうだが耐寒耐雪化工事がいる
105系と比べて消費電力が大きい欠点はある >>629
買ったけど目新しい内容が無かった。
車歴表は相変わらずおかしな所があるし。 主抵抗器ブロワとMGを共用してるとか謎設計だったな
発電ブレーキが今まで前例がなく手探り感あった
103系や111系から分離された 101系と73系は併結運転やった事があるってマジ? ちなみに内房線ではクモハユ74との併結運転はあった。
クモハユ74は73形改造。 旅客用車両同士で新性能+旧性能は急行いでゆで153系と80系が併結した事例があった
ただあれはお化けジャンパを使う必要がある上に153系側で電制カットが必要だった
どんつき衝動凄かっただろうな >>643
小田急は脱線事故多発で懲りた
パイオニア台車の空気ばねが柔らかすぎたのが原因 新性能車の113、115と吊りかけ荷電との併結運転って、当たり前にあったよな。
高崎・上越線や房総地区で。 >>646
西武赤電の吊り掛け+カルダンの組み合わせもだいぶむりやり感があったなぁ。
2代目501系を除く吊り掛け車とカルダン車を連結すると、妙にギクシャクしていた思い出がある。 営団銀座線にも昭和40年代にはあった。カルダン音は静かだったが、旧形車両の地下での吊り掛け音は迫力があった。 クモニ83やクモユニ82は抑速制御付いてたな
165や115にくっついてたから、必須の機能なのだろうが
新宿寄りなのはなんか意味有るのか? >>650
東海道本線のクモユニ74・クモニ83等の荷物電車は大阪寄りに連結された。
理由はそちら側に各駅の荷物を取り扱う設備が備えられていたからという理由でした。
中央東線もそう言った理由では? >>640
客扱い営業用には登録されておらず(つまり旅客営業車としての認可は取っていない)、旅客は乗せていない(乗せたら厳密には違法)。
事業用として、職員輸送などには適宜使われた。 >>649
いや、01系が量産されるまでは
2000+1500+1500+12/300T+14/700M+2000で
釣り掛けは混じってた >>651
東海道線のはユに係る郵便局との位置関係もあって神戸方でしたね。京都も大阪も中央郵便局は前寄りにあった。鉄道郵便局も無くなり、大阪中央は鉄道郵便局が無くなるどころか中央郵便局そのものが移転してしまった。 >>652
だったら「ハ」は記載しないよ。クモヤ22にJR東海が客乗せようとして、クモハ12041にしたのも、
「ハ」でないと客は乗せられないからだろうけど、最初から客乗せない前提なら、クモハ74001で
落成もしないし、クモユにしただろう。
では荷物しか載せないのに、なんでクモハ「ユ」にして区分棚まで設けたのは、
もしかすると新聞を「三種郵便物」扱いして予算を獲得したから? 中央線の冷房車はMT54に交換すれば限流値を上げることが出来て非冷房車と同一スジが可能では?という見方がありそうだがモーター交換だけでは済まないはず
主抵抗器容量増大とMGを主抵抗器ブロワと分離しクモハ100・モハ100に移設する改造もいる >>655
確かに東京のKITTEも名古屋のKITTEも神戸寄りやね。年の為にヤフーマップで調べたが、ナナちゃん人形臨時休業は草。
>>656
全室郵便車は原則郵政省所有だったからでは?建前上でも客室を残せば国鉄が自由に使えるとの判断と推定。
蛇足だが後年の小荷物郵便鉄道輸送廃止でクモユニやクモニはクモハやクモヤ転用が出来たのに、クモユ143は
国鉄譲渡が認められず新製数年で廃車解体されて郵政省が会計検査院から大目玉を食らった。
>>657
103系ですら限流値を抑えていたのにそれをやったら変電所が持つか疑問 >>658
クモユはもったいなかった。
事故なら分かるけど10年に満たない車両を解体したんだからね。 >>658
それならクモハユにする必要はなくて、クモユニ74の増備にすればすむ。
郵便車でも国鉄所有だったのは、スユ71・72の例がある。オハユ30やオハユ61も国鉄所有。
なのでクモハユが国鉄所有にしたいから(というか、国鉄所有のモハ72をタネ車にする以上
郵政車にするわけにはいかない)ハユにしたというのはあり得ないと思う。
それだったらクモハニでもクモニでもクモユニでもいいはずだし。ハユにした理由は別にあるはず。 >>660
今となってははっきりした理由はわからないだろうなあ。
当時の人の多くは既に鬼籍に入っているだろうし。 クモル145は元々の車歴を辿ると元モハ90系として製造された1958年製の初期の車両があって21世紀までゾンビみたいに在籍してたとか凄すぎ
元々の機器が台車とモーターだけなのでほぼテセウスの船状態でもある
特にクモル145-8はクモハ100-2から改造されてて更に遡ったらモハ90514だった tps://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/024/575/21/N000/000/000/134398211432413123401.jpg
tps://jnr-oldtimers.at.webry.info/201208/article_2.html 青梅線の72系で先頭車両の客室内前部を仕切って、新聞等の荷物を運んでいたのを見た記憶があるが、101系あるいは103系でそのような例はあるのだろうか?
確か73年頃だったが、その頃はまだ青梅、五日市線は旧国が大半を占めてたが。 >>663
145系は台車DT21に2種類あって、初期形の丸形側受けの車輌と、
後期形の台形側受けの車輌と2通りあったような。
その後おそらくは廃車発生品の台形側受けに統一されたと思うけれど。 えちぜん鉄道のMC5001に乗ってきました
稼働車では唯一のMT46搭載車
コイルバネのDT21はさすがに揺れました 南武支線の101系は2両オールMだったが限流値設定どうしてたんだ?
試作車デチューンと同じ280A固定だと100%乗車時に2.2km/h/sになりオールMのくせして103系2M1Tより加速が悪い事になる >>670
南武支線の101は、区間としてそれほどの高性能を要求されてないだろうから、
103系より加速が悪くてもかまわないのでは。
本線の代走運用も無いしねぇ。冷房化で重くなった時も調整しなかった? 秩父鉄道のやつは変電所容量的に限流値下げてたが具体的な数値が不明
モーター出力を85kWに下げてたとか書いてるのあるが連続定格である >>671
後釜の205系1000番台は限流値を下げてなくロケットみたいに加速する
4.0km/h/s位出てそう 101/103には試作車があったが111/113/115は最初から量産だった >>670
南武線に103系がデビューしたころに、起動後10秒で達する速度を調べたことがある。
101系4M2T :20q/H
103系4M2T :20q/H
101系2M :30q/H
実際乗ってみると、浜川崎支線の101系の加速性能は本線の6連とは明らかに違っていた。
浜川崎支線が101系に置き換えられて4~5年くらいの間は、時々本線の6連に浜川崎支線用の2連が併結されているのが見かけられた。 >>667
何を運んでいたかわからないけど、101系のみで運行されていた、1980年頃の南武線で見たことがある。
いつも立川方の先頭車の車内を、幕を張って区切っていた。
ほとんどの駅の改札や階段が立川寄りにある下り電車では、立川方の先頭車は込み合うので、利用者には迷惑な話だった。 客車用のハイケンスオルゴールを搭載してた車両があったが何のために搭載してたのか謎だなあ 初期の頃鋳鉄制輪子を使っててそれに対応すべくブレーキが両抱きだった
クモヤ143のDT21Cや103系のDT33は片押しでレジン専用
レジンに変わったのはいつ頃?
秩父鉄道は最後まで鋳鉄だった >>677
東京や高尾到着時に流してくれたら旅情感じて良いなあ >>677
それ、JRになって間もない頃の南武線ですか?だとしたら、矢向の車掌さんで発生品だかのオルゴール箱を携帯している人が居て、川崎発車直後に受話器を箱に付けて流していたのを見たことがあります。 総武線でモーターのたわみ板破損が原因の暴走事故があったんですね
全車両の片側ドア全開で走ったらしい
パンタを下ろしてやっと止まったそうです >>682
オレも週末に動画見ました。
田端駅の追突事故は新聞写真の記憶があるが、総武線のこんな一大事は全く知らなかったですよ。(当時は幼稚園年長組)
近鉄青山トンネル事故とか北陸トンネル火災とか、鉄道の死傷事故か起きた年ですよね。 全Mの101系とか、省エネが重要視される現代ならば絶対に登場しない編成だな。 デビュー当初はブレーキシューが鋳鉄だったが後年レジンになってる
秩父鉄道で鋳鉄が復活した >>682
満員のラッシュ時だったら、後世に名を残す事故になったかもね >>687
秩父線はレール表面の適度なザラつき狙いで今も鋳鉄なんだっけ?
デハ1000系では旧形国電みたいなゴォーって擦れ音は聞けなかったなぁ。 >>682
破片が回路に直撃して電気系統短絡になったと記憶。 電動車の位置が編成によってまちまちでガチャだったんだな
パンタグラフの位置を揃えないとパンタグラフ点検台を編成の全長にわたって設置する羽目になる
京浜東北線のE233系で209系と同じ位置にしたのは元々のパンタ点検台を流用するためで中間M車の位置に増設するだけでよかった 南武支線のやつはAU712冷房改造や妻窓閉鎖やドアステンレス化や吊革三角化してたが特別保全工事や車両更新工事はしてないな
化石のように生き残ってた >>671
尻手出て直ぐの上り勾配をダッシュする必要が有ったんじゃ?
でなければ105-500を投入出来ただろう。 >>695
森ノ宮の101系があと5年生き残って40Nを受けてたら
90系風の雨樋みたいになったのにね。 両端のドアはドアエンジンが枕梁と被らないようオフセットして取り付けてあるが動画を見る限りドアエンジンがど真ん中に付いてる中央寄り2か所と変わらないな
リンクの長さを変えてる? >>692
化粧板張替えもされてたけど他線区での例あるのかな? この系列は全電動車と思い込んでいたのでクハやらサハがいるのは合点がゆかなかった サハ103-750番台も忘れないでね
クーラーもズレてるし、とても異端だったよ サハ103-775だけAU712で冷房改造されてた
101系ボディでAU712は他に南武支線101系だけ 今週公開中の燃える捜査網の第06話で青い101系が走ってた
キレイだね >>708
それは認めるが、元南武線沿線民の俺はカナリア色派 >>708
最初にデビューしたのがオレンジだった影響があるかと。
もしそれまで同様茶色でデビューしたらその後どんな展開があっただろうか? 俺は京浜東北線のスカイブルー派
既に103系が走ってたのに後から101系が走り始めたのは驚いた 昭和30年代の通勤ラッシュは乗車率300%とかあったが101系だと重すぎてなかなか加速しないとかあったのか?
それこそ「旧型国電よりかはマシ」なレベルの性能にしかならない >>716
すべては電力供給系が貧弱なのが悪い。
山手線なんてそれが原因で、旧型国電より101系のほうが低性能なんて体たらくになったし。 中央快速線の冷房車は主電動機をMT54に換装するべきだった
こうすれば限流値アップで非冷房車と同一スジで走れた? >>722
異端児って感じだったね
ある意味京阪神緩行のモハ70系「茶坊主」に通じるところがあった。 前面にスカートを付けた車両が無かったな
南武支線や秩父鉄道も未装着
南武線で側面に乗用車が突っ込んで脱線した事故があった 1996年のディズニー映画「101」とのコラボ企画やって欲しかった
101繋がりネタで是非 自分、青梅線沿線で育ったので、101系といったらオレンジバーミリオンが絶対に似合うと思ってる派なんだが、
1982年に高校の修学旅行で奈良に行ったとき、奈良駅で関西本線のウグイス色101系を見て
えええっなんじゃこりゃ!?って思ったことを覚えている。 秩父鉄道の101系を国鉄塗装再現で、ウグイス色は実施しない方向だったらしいと聞いた
しかし結果は実施、ところがよく見たら関西線の黄帯付き
山手線の101系はウグイス色ではなかったことを熟知している担当者は素晴らしいと密かに感激してしまった
関西線の101系は、黄帯無しの時代はあったのでしょうかね
自分は見たことがなかったですが、初期は黄帯無しの101系があったとか、御存じの方はおりますでしょうか? >>728
> 関西線の101系は、黄帯無しの時代はあったのでしょうかね
電化開業前の試運転時から黄帯ありらしいよ >>728
水田に囲まれた所を走行すると視認しづらいから、黄色帯を付けたって聞いたことがある。 最初から黄帯ありで、101系は黄帯のまま廃車になってるはず
のちに103系の時代になってから一旦消されるけどすぐに白帯を纏うようになる あの色は山手線にはなかったものであって関西本線の再現である、と知っていた人はどれくらいだろうか しかし川越線の103系も抹茶色の113・117系も緑の景色の中を走っているのに
関西線だけ警戒帯が必要な理由がわからん。 でもまあ川越線で踏切事故ってあまり聞かないからなあ
東上線は頻発してるのに何でだ? >>733
いやいや、仙石線も73系の晩年は黄色の警戒帯入れてたから、土地柄とかも関係あるのかもしれない。 横浜線の103系もウグイス色だったけど、警戒帯なかったな・・・と思い出してみたら
そういえば「横浜線」っていう表示をデカデカと貼ってたから
じつはあれが警戒帯みたいなもんだったのかな、と今はじめて思い至った。 >>739
本来の目的はな
でもそれが警戒帯的な役割も結果てkに果たしてたのかもってことだろ つまり165系で下半身の緑を正面に回したのは警戒色
と出鱈目言ってみる >>741
なるほどなww
案外にそんなもんだったりしてな 153系の前面オレンジは神奈川静岡のミカン果樹園の中では視認しづらいとかw >>743
おもしろい説だが・・・それだったら111系・113系も165系と同じにすりゃよかったじゃん、
てことになると思うがな。でもその説、キライじゃないぜw >>731
その103系にクハ100改造のクハ103-2001〜2004がいて黄帯なしの時があった
見た目は101系時代とほとんど変わらなかったからウグイス単色の101系が登場した それとウグイス色のクハは王寺水害応援転入の時の3両と秩父の1両とそのクハ103-2000番台だけだったからかなり希少 すると、正式には103系であるが見かけ101系の黄帯無しウグイスが、一時期だけクハだけ存在した、ですか
凄いはなし
秩父の塗装で、クハだけ黄帯無しは、形式をこだわらなければ見かけ可、ですかね