国鉄101系スレB
>>405
生産時期から云えば1957就航なので機械式速度計のはずで、
後日、何らかの改造を受けたときに電気式速度計に換装したものが有ったのでは?
扇形メーターというのは私鉄の電気式速度計によく見られた形で、
1958就航の京成旧3000〜、改軌投入3050、3100、3150・・・・・・の方式。
国鉄一斉導入のメカ式速度計表示部は円形で、扇形というのは見たことがないが・・・・・・・。 >>406
電気式は明らかだが、故障だね(w。特に後者は酷い。
磁気式ピックアップで、トランスを介して整流表示するから超低速10km/h以下の目盛りが詰まる。
メカ式でも速度指示が不規則に飛ぶ故障してる速度計は結構見られたもの。 関西の101系は早い時期に電気式速度計に交換されたのかな?
片町線に居たMc26やMc33といった初期グループに属する車両の速度計は電気式だった気がする。 電気式速度計の構造図 3100のもありました!おまけです。
京成電鉄3100型 1960年 速度計結線図
http://www.geocities.jp/jtqsw192/FIG/330kdk/kdk3100s.jpg
過飽和トランス・パルスカウント式速度計
今の鉄道用速度計は、構造が違い、ロータリーエンコーダ式のはずです。 現在の鉄道車両でも10km/hまで間隔狭いのあるな
自動車のアナログメーターでも同様
BVEで速度計作る時はどうしても等間隔速度計になってしまうがグラスコックピットにしない限り誤差は避けられないはず 南武線にJR化後も原型ライトの101系走ってなかった? 101系はあれこれ旧型国電のパーツ引きずってたな
初期車はパンタがPS13だったし貫通幌も旧国と同じの(幌枠上部にV字型のフックがある)使ってた >>415
試作車のパンタがPS13だったのは
PS16の開発が遅れたから。
元々は101系(モハ90系)の設計段階で同時進行で開発していたらしい。
量産初期でもPS13が使われてたのは多分PS13の在庫処分という意味合いがあったのかも。 >>415
2連のジャンパ線も旧型だな
そういやパンタについては秩父鉄道に譲渡された当時、なぜかPS13に換装されたけど
部品供給の関係なのかな 相鉄はパンタグラフの使い回しが常態化してて何故か9000系もPS13付けてた バイクプラモデカール用ではあるがメーターCGを写真から自作した
10Km/hまでの詰まりはそれか 今年101系還暦なんだな
秩父鉄道のやつは流石に還暦まで持たなかったか
鉄道車両で還暦行ったのは電車では希少だな MGが主抵抗器ブロワと繋がってたとか異端な設計だったな
113系とかだと長時間停車時にレバーサを切にすると2分後にブロワがオフになるが101系はブロワを切ると停電してしまう
冷房車はどうだったんだ? 歯車比が6.07だったらどうなっていたか
最高速度が90km/h程度しか出なくなるがT車が多くても加速度を維持できる 南武支線は化石のように残ってたんだな
仙石線の105系転用だと1編成不足だし103系だと先頭車化改造しないといけないため置き換えに踏み切れず21世紀まで生き残ったってスゲーなw
しかも外幌設置や妻窓埋めや吊革三角化は行われていたが特別保全工事や車両更新工事は未施工であった >>426
いや、その7年前まで鶴見線でクモハ12が生き残っていたことに
もっと驚いて欲しい…… Nゲージのkato521系のついでに見つけたtomixの富山港線73系を買って思いついたが
富山港線に73系の代わりに101系を入れるという発想は無かったのかね
1985年当時だと関東も関西も
状態のいい奴はもうしばらく継続使用
余った奴を回そうにもオンボロ
というパターンだったろうが
このあたり微妙に王寺の水害が絡んでいる気も >>428
ドアの半自動化・レールヒーター取り付け・スノープラウ取り付けが必要
2両編成で驚異的な加速になって所要時間短縮にはなるだろうが
103系や113系などの簡易半自動化改造はドアエンジンを空回りさせて手動で開けられるようにしてるがドアが連動したままで重くしかも半自動・全自動の切り替えが不可能
101系のTK6ドアエンジンで半自動化改造やった事例はないな >>427
クモハ42も車齢70年とか驚異的だったが晩年は部品が無くなってクモハ42006を部品取りにしてる有様だった
国鉄・JRの電車で最長寿記録保持してる >>428
あの時期に、短小ローカル線のためにわざわざ専用車を用意するという
発想は無かった。
本線筋の475系でそのままカバーできるなら、多少の使い辛さは甘受できる、
ということだろう。
73系が導入された頃は、北陸本線のローカルは客車列車ばかりだったから、
さすがに共通運用は無理。
475系の両数がもっと逼迫していたら、富山港線はキハ40やキハ58になっていた
可能性がある。 >>431 105系を回すと思ってた。103系1000代改造の方だろうけど。
仙石線に比べても小所帯だから、ここで新たに直流車投入するよりも交流車の使い回しの方が便利だったのだろうけど。 >>429
そういえば仙石線の101系1000番台はドアの半自動改造はされなくて
ラッシュの仙台〜東塩釜限定運用だった いつものように高尾行に乗ると、扇風機のない車両だった。
同心円状の丸い穴だけあいているだけ。
こんな電車もあるんだなーとそのときは思った。
その理由がすっとわからなかったのだが
ネットを始めて、初めて知った。 南武線にかなり遅くまで原型ライトの101系が走ってた
1990年頃まで? 初期車の機械式速度計ってこんなの?
京都鉄道博物館のモックアップを撮影したが
http://imepic.jp/20170409/806020 中央快速線の冷房車は8M2TにするかMT54に交換すれば非冷房車と同じスジに出来たのに
103系は限流値アップで対処できたが101系でやるとモーターが焼けてしまう >>436
その通りだよ。
で、針が動いては止まり動いては止まりを繰り返す動きをしていて、機械式速度計と言う言葉を
しらない頃はカチカチ式速度計と呼んでいたわ。 機械式速度計って蒸気機関車みたいだな
JR東はATS-P対応のために電気式に交換している
73系やキハ20は扇形だったが初期のモハ63は速度計が無かったとか >>438
の仰るとおりだ。仮にノッチオフ、60キロで走行していたとしよう。針は
62キロ 58キロ 62キロ 58キロ と振れながら表示していた。
0から加速するにも、0→5→8→10→13→16と振れながら上がって
いったなァ・・・ >>439
扇形のタイプは針がなめらかに動いていた記憶がある。
それとどこで知ったか思い出せないが、101系の試作車も当初は速度計がなく、
後で扇形の速度計を取り付けたらしい。 >>441
まことにその通り、おおかたの携帯型電流・電圧テスターのような形で、滑ら
かな動きだった。63改のクモハ73、クハ79 クモハ60やクハ55にも
多数ついていた。それも運転席真正面ではなく斜め前の壁面、直につけてあっ
た。クハ111の様に斜め向いていた。サハ57改のクハ55300はクハ1
03のような新型で付け方も103と同じ正面下だった。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 南武支線はAU75冷改車だったらどうなっていたか
非冷房のままワンマン化してて後年AU712を搭載した唯一の事例(103系に改造された元101系も含めると101系でAU712は他にサハ103-775しかない)
他にも唯一のワンマン化・唯一の転落防止幌取り付け・唯一の妻窓潰し・唯一のATS-P取り付け・唯一の車外スピーカー取り付け(妻面にラッパ型)と唯一尽くしだったな >>446
あと103系のように方向幕の電動化+側面に方向幕追加したら完璧だなw
でもマジメな話101系で前面幕を電動化するなら幕を103系と同じ寸法に拡大することが必要な気が。 >>447
KE76をもう1本増設しないと指令線が足りず難しいはず
101系は2本だが113系は3本あるのは方向幕指令のため?
113系でも非冷房車は2本で冷房車と混結すると1本余る上に方向幕指令が出来ない デビュー当初の試作車はドア窓と戸袋窓のRが小さくE233系みたいに真四角に見えるがいつの間にかRが大きいのに変わり外観が量産車や103系みたいになった
アルミ金具押さえからHゴムに変わったためだとか
前面窓や運行番号幕や方向幕は廃車までRが小さいままだった 四角い戸袋窓ってわざわざ板金して一般仕様に直したの? 小田急の2600・旧4000・5000は側面の窓割が101と同じだったんだな
運転台直後まで戸袋窓があるのも101と同じ
車内の配色まで101と同じで、要するに101を小田急仕様にアレンジしたようなもの >>450
傷んだ外板の張替えや割れたガラスの交換などで部材の準備などが大変なので、
折を見て量産車に合わせていったんだろうな。
屋根も量産車と同じ構造に改造していたな。 2016年11月に総武線から引退した千ラシの101系は秩父に行ったんだっけ?
2015年4月時点で70両いた101系も2年足らずでよく消したよな >>453
総武線から101系が引退したのは1988年だよ。直後に東中野で201系が103系に追突する事故が起きたり、
年が明けたら昭和天皇が崩御されたりと、いろいろあって正式なさよなら運転ができなかったんだよな。 よく101系はMT比同一には出来ないと言われるが、だったらたとえば熱海〜修善寺間の153系2M3Tは、いったいなんだったのですかね?
401・421系や下関の111系後期、四国の111系も、2M2Tが基本。
ギヤ比を考えても、101系の方が有利に思えます。加減速の点でも、中央快速朝ラッシュの過密ダイヤならMT比同一では問題ありだとしても、支線の旧型国電置き換え程度なら、対応出来そうですが…? >>456
そうだね。113系の起動加速が1.6-1.7だから、
2割までは落ちないMT46の111系でも1.3-1.4くらいは出て
旧国並の加速は出来るよね。北海道711系1M2Tは1.1だったと思う
秩父の2M1Tは85kwに落とされてるから実質1.7M1Tだったし >>456
MT46でMT比1:1はモーターが焼けるため瀬野八自力登坂禁止 ロングシートで超満員の101系とクロスシートで立ち客ありの153系が、それぞれのギヤ比でどれだけの負荷だったかだよな。 >>454
ラシ車のさよなら運転は企画されていたんだけど、日本生命が自社の100周年記念列車として借り切っちゃったんだよ。
両国から銚子まで走ったんじゃなかったかな。
習志野から中原に転属した101系の一部は秩父鉄道に譲渡されて長寿を全うした。
中原では3両編成は基本的に10連の附属3連(クモハ101ユニット)を使っていたので、秩父には基本7連(6連)側のクモハ100ユニットが譲渡された。 >>456
中央線で4M4Tの走行実験やったことがあるが空車時はともかく積車時にモーターが過熱し没になった
MT54プロトタイプを装着して実験した事もあるがやはり熱容量不足で没になった >>458
セノハチの話は出てないでしょ?
ちなみに、111系は53-10改正の少し前ぐらいまでは、4M2Tでセノハチ超えを含む運用もあったが、広島・下関の80系置き換えのために撤退して広島以西の運用のみになり、その後昭和58年には2M2T化された。 MT46って静かだけど、コイルの巻きがとかの理由だけじゃなく
ファンのパワー不足で冷却が弱いからってこともあるのかな?
MT55の爆音が通勤電車用の過負荷向きって言う話の対極な気がしてね >>464
MG付属のファンが抵抗を強制冷却している音が、MT46モーター音をマスクしてるんじゃないの?
吊り掛け式の旧型国電とは桁違いに静かになった最初のモーターだから印象深いのだけれど・・・・・・、 https://www.youtube.com/watch?v=YzDPBQ5E4No
よく見ると時速30キロ以下で空制補助入ってる
101系は締切電磁弁制御が不完全でブレーキハンドル角度67度以上で空制補助が入る仕様
103系では常用最大でも空制補助が入らない
JR北海道の車両は雪噛み防止のためM車も微弱な空制補助を入れてる >>466
全電動車構成の電制失効速度30km/h:101系と、
4M4T省電力化でTを繋ぐのが前提の遅れ込制御103系の違いじゃないかねぇ。
モハ90時代は私鉄車輌も発電制動の失効速度は30km/h前後が普通だった。 昭和32年当時の技術で発電制動は立派だなと思う、理屈は架線とモーター抵抗間切り替えるだけにしても 南武支線の101系は部品共通化を目的に主電動機がMT54に換装されてもおかしくなかったのでは?
JR西の471系やクモヤ145でMT54化が行われた
黎明期にMT54プロトタイプの試験をやったことはあるがMT比1:1だと満車時にRMS電流が許容値オーバーで没になったとか >>458
111系も4M2T→2M2Tになってからは呉線経由だったな。 >>461
その編成、秩父で初代オレンジバーミリオンにリバイバル。 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 900番台のMT46は0番台のMT46Aとは異なり高速寄りで381系用のMT58に似通った特性だった
加速力不足で改良された
900番台は高速域の伸びが結構よかったとか? 101系に限らず、国鉄の初期高性能車は20年程度で軒並み廃車され、車体老朽化やMT46電動機を理由にされていたけど、それならば秩父へ転じた組が数年前まで現役で走れていた理由が分からない。
結局は国鉄の整備技量や、車両メーカーの新車製造稼働率確保の為だったのではないのかな。関西の103系が更新を重ねて、いよいよ引退近しと云いながらも総武線のように配電盤から発煙したりしていないのを見るに、秩父もなかなか丁寧に手を入れていたのではないかと。 >>476
譲渡する際にオーバーホールして、改造もしたりしているわけだろ、全面修理や改造にかかるコストと、寿命延長による効果が引き合うか、更に路線の規格、安全設備が将来的に変化せず、旧式車両を走らせ続けることができるか、という問題。 追加、それに秩父鉄道譲渡改造の際、主電動機のデチューン、出力減少改造をしているから、モーターの負担が軽減されているんだろう。
ローカル私鉄への譲渡車が長持ちするのは、輸送密度が低く、負担がかからないからさ。おまけに路線の規格は昔のまま >>478
限流値下げてるだけのはず
85KWに下げたとか文献があるが連続定格である
仮にもしMT54に交換して高性能化していたら変電所の負担が半端じゃないことになってただろう >>476 それに、後期生産型の一部を除き、80年代当時、車体の年齢が高く冷房化改造に向かなかったからでは。金かけて101の冷房化するよりも、103を全て冷房化する方が費用対効果が高い。
私鉄でも、例えば京王の2000が101と同世代で冷房化されないまま、大量廃車されてるよね。 >>480
>車体の年齢が高く冷房化改造に向かなかった
101系の後期形って車体構造に何らかの変更点があったのだろうか?
AU75が搭載された冷房車で最古なのは1962年製のサハ103に改造されたサハ101-100だったからね。
>私鉄
京阪の2000系も101系と世代が近いけどこちらも2600系に改造される際に冷房改造も併施されたのだがその際に車体を大改修したという話があることからこの時代の軽量車体共通なんだろうね。>冷房改造困難 >>480
小田急も101世代の2400は80年代で全廃されたね
反対に103世代の2600・旧4000は2004年まで生き延びたが >>480
101系の場合、車齢の問題だけでなく、冷房を搭載することで車体の重量が10両編成で
約32t増加して、運転基準時分を確保できなくなるという問題があった。
(中央快速線では10両編成5本のみに冷房改造して停車駅の少ない特快運用にほぼ限定
で運用したが、総武・中央緩行線では10両編成5本のうち3両の附属編成のみ冷房改造した
ものの、103系の投入開始により半年少々〜数ヶ月で南武線に転出した。なお、15両のうち
の9両は1度も総武・中央緩行線では冷房を使用しなかった。)
>>481
101系の後期車も初期車とは車体構造の違いは無い。単に車両の寿命を考慮して、後期車
のうちの状態が比較的良好な車両に限定して冷房改造を実施した。 >>483
片町線の冷房車は1965年製車両だけで構成された2編成だけが1978年に冷房改造されたけど先頭Mc基準で1965年製は他に3本あったからこれらも冷房改造出来なかったのかな?
Mc202の編成にはT68が居たけど他の編成に元T200番台から改造された1963年製T車が居たから組み換えたら片町線の101系後期車のみで構成された5編成全て冷房改造出来ていたと思う。 片町線の101系7連をリニューアル(体質改善40N)するのを妄想したことがあった。
内容は103系の工程に追加して
・モーターをMT54に増強
・ドアエンジンを新品に交換
・前面方向幕を電動化、側面に電動方向幕新設
・編成をTcMM'TMM'T'cに変更
・中間3両の非冷房車は冷房化 >>485
昭和30年代前半はナハ10系に始まる軽量構造流行りだったしね。
あんなデカい機器を屋根に載せるには相当補強したはずだ。
内装をひっぺがして両サイドや天井裏、さらに台枠へのパッチワーク…すごい手間ひまだな。
総武緩行を103系に置き換える際、冷房化すると編成で32トン増加だと当時のRPかRJ誌に説明記事があったよ。 単純計算で1両あたり3.2トン増か
満員電車に乗るデブの人全員にダイエットをお願いしても達成無理だなw 中央快速線の冷房車は8M2TにするかモーターをMT54にすれば非冷房車と同じスジに出来たのに
103系は限流値アップで対応できたが101系でやるとモーターが焼き付く
MT54はプロトタイプの試験をやった事があるがMT比1:1だと満車時にRMS電流が定格ギリギリになるとかで没になった 白くまくんなら8基つけても400Kg80Aで済むのにな、暑かったら自宅のリモコン持ち込んで勝手に温度下げられる >>489
MT54でもそうだったのか?MT46ならなんとなくわかるのだが…
北隣の西武なんか、MT54相当でMT比1:1の701系や801系を冷房改造してがんがん使い倒して、
最終的に1997年まで運用していたが。
どこで差がついたんだろうか… >>491
その頃の西武の新宿線系・支線は加減速の条件が緩かったはず
高加減速の(西武)101系が出てきて池袋線から早くに撤退したし >>492
西武内部での事情ならそうだが、あくまでも国鉄101系との比較なら、悪くはなかった。
中央線との比較でいうと、当時の中央線101系10連(6M4T非冷房)が加速度2.0位(かぶりつき実測値。以下同様)で、
よりMT比の条件の悪い西武の701系8連(4M4T冷房車)が加速度2.3位だった。
西武101系のMT比1:1での加速度2.6よりは劣るものの、当時の基準ならそんなに悪い加速度ではなかった。
だから、制御系と変電設備さえマトモならMT54搭載の通勤者もあながち全くの夢物語、というわけでもなさそうなん
だよな。
ちなみに、歯数比が異なる近郊型だが参考までに、国鉄115系(MT54搭載)がMT比1:1で加速度1.7位出していた。 401・421系は交流機器搭載で重いとあって限流値が400A固定だった
MT46でMT比1:1とかこれでよくモーター耐えられたな
ただ1.5km/h/s程度しか出なかったはず
末期の101系はこれよりしょぼい応荷重不使用で360A固定とか異常w >>494
門司−鳥栖間 101.3kmに駅が44駅だから平均駅間距離2.356km=101.3/43。
山手線1周が34.5kmに29駅だから平均駅間距離は 1.190km=34.5/29で、5周くらいは廻るから170km余の連続運行。
駅間距離が2倍(=発生熱量が時間あたりで約半分)、連続運転距離が6割、乗客も半分だったから耐えられたんだろう。
同じ101系でも、非常にトロトロ走った総武線では、発電制動は生きてたし、山手線運用が特に過酷だったってことだろう。
総武線も書いとくと、お茶の水-千葉間20駅で38.7kmだから駅間距離2.037km=38.7/19、で、山手線の倍近い距離。 山手線はモーターが耐えられないとかで発電ブレーキオフにして運転してたとか異常w
何かオールMでも乗客多すぎて熱容量的に問題が起きたとか >>496
491のいう西武のMT54車も電気制動なしだったな 国鉄時代で900番試作電車って保存車両無いのでは?
101の900番台も保存されて無いよ
あれだけ革新的な車両だったのにね ・・と思ったら101の900番台って1両保存されてたんだな
これにはびっくり・・南武線で最後の時期に乗ってるだけぢ感慨ひとしお
是非、今度見に行こう 編成によってパンタグラフの位置がまちまちで検修が大変だっただろうな
京葉線の201系で10両固定でもサハの位置を6+4のクハに合わせたのはパンタグラフ点検台の位置の関係から
京浜東北線のE233系は209系に合わせて電動車の位置を決めてて真ん中のモハの部分に増設するだけで良かった