国鉄101系スレB
側面になかったから
目の前のそこにしかないんだから手で回せってなもんだろう
終点前に走行中ウテシが立ち上がって回してるの見たことあるわ
あぶねーっての >>311
関西は淀川・奈良両区共そう(区間表示タイプ)だったな>101系
淀川末期(片町線全線電化〜森ノ宮移籍まで)の数ヶ月は103系のそれを流用した
行き先駅名表示に変わったが 103系でサハ103-750番台が入ってるとドアが閉まるのが遅く異様に目立ったな
乗務員室にテプラで注意書きがあった チラッと101系が映っていますね
ttps://m.youtube.com/watch?v=ugmXS2NrgHY&itct=CDkQpDAYACITCNzPt-uEscUCFRUZWAodP3gAGFIS44GC44KL5qmf6Zai5Yqp5aOr&hl=ja&gl=JP&client=mv-google BSフジ このあと深夜1:00からの「鉄道伝説」で
101系特集やるぞ 秩父鉄道1000系はマスコンハンドルを交換していたんだな
南武支線はブレーキ弁が103系と同じのに交換されてた
最後まで残ってたのはどっちも運転台が原形を留めてなかった事になる >>320
秩父は3000系もマスコンを800系の発生品に交換して抑速を殺していた。
しょっちゅう乗り入れていた、扱い慣れた車だったのに。 蒸機の時代に開通した路線だから意外と急勾配は少ないんだよな秩父鉄道は なんだ今TOKYO MXでやってるのか
中川礼二出てるやつ 試作車が雨樋内蔵(JR西日本の103系体質改善40N車みたいな感じ)だったのに外付けに変更になったのはゴミが詰まって雨樋の中に水溜りが出来てしまい錆びやすかったからか?
外付け雨樋はFRPなので壊れたらすぐ交換できるみたいだが
新幹線は雨樋が騒音源になる懸念から300系から雨樋なし(モハ63みたいにドア上に水切りがあるだけ)になった >>322
敢えて急勾配に振ったのは、最初から電化開業になった三峰口延伸時だからな >>315
特高圧配線の劣化が置き換えの直線的原因だけど、県からの補助金絡みのしがらみで静態保存すらも出来なかった。
鉄道博物館開業の時にJRに懐かしの国電が無いから秩父で走らせろと注文しておきながら、わがままな話だ。 >>327
> 特高圧配線の劣化が
「特別高圧」とは 7000V以上、(略称「特高」)
「高圧」とは直流で750Vを超え7000V未満、交流で600Vを超え7000V未満、
「低圧」とは直流で750V以下、交流で600V以下
旧通産省令の電気設備技術基準(旧電気工作物規定)に定められていて、呼称区分で義務的扱い方が異なるので注意を要する。
3条の一二三等。
路面電車600V〜750Vは低圧、
直流電化鉄道1,200V〜3,000Vは高圧、
交流電化15kV〜25kVは特別高圧、
ということになる。
大昔の電気工作物規定だと低圧が350VAC以下とかあって、
新技術開発による例外規定が非常に多かったし、大出力の拡声器やアマチュア無線送信機、テレビのB電源では
無許可で高圧領域に踏み込んでいたりで、実態に合わせて整理した模様。
規定の性格は行政指導だが、実効的には法定の内容なので、誤用により意味合いが大きく違ってしまうことも有り丁寧に使いたい。 101系は下段窓が一番上まで上がって窓全開可能なんだな
まるでトロッコ列車みたいだな
流石に危険だと判断したのか103系は冷房化で途中までしか開けられないよう改造されたのが多かった >>329
開かなくしたのは改造冷房車で、行先表示幕のある車端部の上段だけだぞ。
“多かった”なんてはずはないが、どこの地区を言ってるの? やっぱこの感じが良いね
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a587b42341fc72ea17c7f1a2c7a7f63d.jpg 南武支線のやつは車両更新工事はおろか特別保全工事すらやってなかったんだな
101系で特保車・更新車は103系に改造されたのを含めても存在しない
施工していれば吊革が枕木方向三角になってたはず(線路方向三角は実在した) >>307 >>335
サハ103-762〜765・777・780の6両はJR西日本への継承後に延命N工事を施工
されている。(特別保全工事+車内の内装の寒色系→暖色系への変更) 鉄道ファン2013年8月号の101系の車内イラストは間違っている
ドアエンジン点検蓋が書かれていない
第1・第4ドアは枕梁と被らないようドアエンジンが中心からオフセットして設置されていたがアンバランスで左右バラバラに開閉していた? そういやJR西のサハ103-750番台にはJR化後TR64からTR212に交換したのもあったな。 >>338
T777・T778・T780の3両が、92年の学研都市線への207系投入に伴い保留車と
なり、翌93年の207系増備に伴う復帰時に合せて台車がTR64→TR212に交換
された。 ふむふむ…ここも興味深いレスが多い
みんなよく知ってるわ E233で40キロ辺りの加速音は、なんとなく101系を偲ばせるものがある。 昨夜の千葉発緩行上り終電が500番台のE231だった!山手線流れ。
下りの終電1本前千葉行きでうたた寝して乗り過ごして、そのまま折り返してきたんだけど、
下車の目印のサハ6扉車がなく6号車まで行って5号車に戻ったらモハではないか!?
なんだこりゃ?!と酔眼暫く考えて、何気なく形式表示を見たら500番台!あっ、山手からの流れ者か!
着駅まで立ちっぱなしにして無事ご帰還。昨夜というか、今日の未明。 秩父鉄道のやつはCPがC-2000に交換されてたな
勾配線区なのでブレーキの空気使用量が多いためか?
C-1000×2じゃダメか? https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイトパクリスホテル(40代マジコン弥勒ソフト質問ある? もしも101系の急行列車や指定席列車があったらどうなっていたか
旅客輸送特約上は急行列車は専用車両を使うと明記されておらず極端に拡大解釈すると101系の急行があってもおかしくない事になる あれ、101系の急行って、東京から高尾まで走ってなかったっけ? >>346
秩父鉄道では立派に
有料急行になったぞ >>349 冷房付きというだけで急行料金取ったのか。インドネシア並みじゃん。 >>346
かっての房総夏季臨時急行列車に投入されたんでは?
かっては海水浴客に溢れて、電化前なんか153系をDD13に牽かせた列車もあったくらい無茶苦茶だった。 >>348
それは急行電車
電車の急行列車が出来て快速電車に改称 >>346
キハ35で急行があったよな。
もし101系で急行を設定するなら同じような扱いかと。 電車の場合は113系や115系を急行に入れて、本来113.115系を使う定期列車を101系や103系が代走で穴埋めという感じだったと思う。
特急型以外ほとんどの形式が混結出来る気動車とは事情が違うだろう。 >>354
あれ房総急行が多客で大変な事になって急遽キハ35を併結した所マスコミに叩かれたとか
オールキハ17とか何でもありだった >>344
C-1000の部品の入手が困難になったので、部品の入手が容易なC-2000に交換した可能性も考えられるよ。 あずさアルプス普通特別快速快速緩行、中央線の種別が多い時代ナツカシス
中心だった101系は扉内側も薄青緑だった
たまに車内でタバコ吸ってるアホも乗ってた 個人(法人だったかな)が譲渡を打診したが、秩父は売れない事情があったみたい。
>>327にある税金の関係かも? 101系は編成によってモハの位置がバラバラだったな
4M3Tの7両編成だとMcM'TTTMM'cとMcM'TTMM'TcとTcMM'TTMM'cとTcMM'TMM'Tcの4通り存在してた
極めつけは総武緩行線に3+4+3とかあった
10両貫通編成は交番検査ピットの長さが足りないので組成した事が無かったはず >>362
総武緩行線でもTcMM'TMM'TMM'T'cてのは無理だったんかな? 側面方向幕が取り付けられなかったのはジャンパ栓の信号線が足りずKE76をもう1本取り付ける羽目になるためか?
113系とかKE76×3とか異様に重装備だが 交通科学博物館の101系モックアップはドアエンジンが不調で何か引っかかるように開閉してたな
京都鉄道博物館に移設でスムーズに動くようになるのかどうか
秩父鉄道1000系のパーツ持ってきてスペアとして使えば何とかなるはず
交通博物館のやつは90年代までは通り抜けが出来たが挟まれ事故が多かったのかいつの間にかアクリルカバーが取り付けられて鉄道博物館では非公開となった >>365
今日見た限り幾分スムーズになってた
しかし床下設置のドアエンジンは他にキハ30に採用されただけで広まらなかったな
103系は座席下に置いて片側のみアームがあってベルトで連動する方式で113系は101系と同等のリンク式ながらドア上にドアエンジンボックスがあって威圧感があるためにJR西ではリニューアルで直動式に交換されたの多い 101系試作車で後年雨樋を外付けに改造した理由が謎
量産車のはFRPで出来てて壊れたらすぐ交換できるとか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際は103系体質改善40N車みたいに埋め込んである
雨樋の下は汚れやすいので雨樋を埋め込んだ方が洗車機で洗浄しやすい >>367
西武鉄道
「701系が801系になる時に実施済み。
101系は最初から埋め込みさ」 >>347
昔、715系の臨時急行が運転された時、ロングシート部分も指定席になってたらしいぞ。 >>367
103系体質改善40Nの雨樋の処理方法は101系試作編成のアイデアを拝借したってことかな? 毎年、夏になると昭和57年の王寺水害を思い出す。
本当にあれは悪夢だった。
「高台に車両を避難させようとしたが間に合わなかった」らしいが、それほど短時間で浸水したのかな? >>371
新幹線鳥飼では本線上に避難させて列車30本と保線機械は全部無事だった(s42.7.9)から、
中心的運営者の日頃の想定と機転と、行動陣容の問題。
s57発生じゃ「良い前例があったのに幹部は何をしてたんだ!」って話だろ。
ほとんど待避してないんでやられたんでしょう。
全列車避難には結構時間が掛かるぞ。「想定外」だったわけだ(w 水没して使えなくなった転轍機等のスペアと応援作業者を
東京から新幹線臨時列車に乗せて鳥飼に送り込んで、
走行距離超過による運休も防いだって齋藤雅男氏が繰り返し書いている。
縦割り耐性の弱点、想定不十分の弱点の表れが王子水害での全滅惨事じゃないかねぇ。
鳥飼じゃ待避の事前訓練はやっていたって書いてるよ。保線機械はその場で待避に含めたが。 >>371
あの水害による廃車の代替車両を首都圏から急遽転属させたというのも国鉄時代だから可能だったろうね。
もし今103系や201系が同じように使用不能になったら新車で置き換えるしかなく所要車両の数はなかなか元に戻らなかったかも。 >>374
相互融通くらいはやるだろ。
3度の大震災復旧で全国から支援動員して脅威の速度で復旧してたから、
あとは金のやり取りと、保安関係の微調整。DN/DK/DXはアホなことをしたもんだ! 節電のためかパンタを降ろしてT車代用として使ってたのあったな
JR西日本のやつがそうだったがサハが足りなかった? >>362
10両貫通編成はツヌに居た。
McM'TTMM'TTMM'c 3.11の時は直流モーターのブラシが不足したんだよね
供給元を絞るとそんなことも起こる >>379
寿命など品質保証にこだわったから原発被爆地になって
製造停止分に替えての他国製を使えなかった。
基幹部品は複数調達にしてリスク分散を図るものだが・・・・・・・・マサカの事態だったんだろねぇ。
後日、ブロックに固めたのは運び出して、他社でブラシに加工したはず。
今は他社製品の試験を終えて正式採用されてない? 車端部のドアはドアエンジンがオフセットして取り付けてあるが左右ずれて開閉するという事は起きてないな
リンク式ドアエンジンは結局構造が複雑で保守が面倒だったのか103系からベルト式に変わった
113系は101系と同様のリンク式だがドアエンジンが鴨居部にあってドア上のボックスが妙に圧迫感を与えるために延命工事車では直動式に交換されたの多い 101系全盛期時代の頃は、現在の車両のように天井には化粧版が用い られ
て居らず、トタン・ブリキ板であったので、車両検査入場時に天井を真っ白に
塗りなおして出てくると、新しいペンキ特有のいいにおいを後日しばらくの間
楽しむことができた。(刺激臭が苦手な人には気の毒だが・・・)そんな
車が来るのがとても楽しみだった。 >>382
南武線の101系で、車号を書きなおすのが面倒だったのか、車内の車号が書かれている部分を
塗り残してある車両があった。クモハ101ー77 だったと思った。
路線バスでも車内を塗りなおしている車両に出くわすことがあったな。 登場時の101系や103系は車両番号がプレートではなく直に書いてたな
津山のキハ58が最後までそうだったどころか天井も塗り天井だった
化粧板に変わったのは特別保全工事施行後から?
101系で更新工事されたのはなく南武支線のやつは吊革が枕木方向三角に取り換えられてたが未更新だった >>384
101・103系で車両番号の直書きを止めたのは1965年辺りの製造分辺りだったような。
101系で1967年辺り以降の最末期ロットのクハ・サハとそれと同時期に製造された103系はアルミ箔に印刷されたステッカーを貼り付ける方式になった。
直書き→プレート式になった1965年製以前の車両もその後の補修でステッカー式になった車両は多いが(特に101系では後期形に分類される1962年製以降)。 103系の量産が始まっても、暫くの間は101系も製造されてたんだな。
そういえば201系の量産が始まっても103系がしぶとく製造されてたっけ。 >>385
車内の車号標記塗色もブドウ色で登場した初期車はずっとブドウ色のまま、後の青色標記で出た車は
またそのまま。気動車の車内車号標記塗色もブドウ色から赤色、青色への遷移があって色々楽しめたよ。。 >>385
直書きは鉄道博物館のクモハ101‐902とリニア・鉄道館のクハ111‐1で見られる
蹴込み板もステンレスに交換されておらず鋼製で黄緑色である
但しクモハ101‐902はステンレスドアに塗ってある 秩父鉄道のやつは半自動に出来たんだな
仙石線の103系や105系500番台や113系は全自動⇔半自動切り替え不可能でドアが重かった そういや来年は101系登場60周年で還暦なんだな
秩父鉄道のやつは還暦まで行かなかった 国分寺の中央鉄道学園にも101系あったよね?
どこかのHPで東京競馬正門前とか北府中って方向幕出してるのを見たけど。 >>390
もう残ってるのは鉄博の試作車1両だけ? >>392
東日本震災で流された中間車とその片割れが野田市にあったが今もあるのか? >>386
151系→181系改造で発生したMT46Bを搭載した車両もあったとか 山手の8連を総武緩行に移した際に10連化のためのサハが生産されてる。パンタ台やモーター点検蓋のないタイプだ。 最初の頃再開閉スイッチが付いてなかったとか
1か所でも戸ばさみがあると全ドア閉め直さなければならず不便だったため後付けされた >>395
?総武の10連化はTc+Tc'を足して7連+3連にしていた。サハ足しじゃなかったよ。無論パンタ台無し。 101系と103系初期型を混同する人が稀にいる
前面窓が若干縦長の印象を受けるのが101系で横幅が拡大されたのが103系
方向幕も101系は小さいが101系用の幕を103系に取り付けて横が余ってしまったなんて事もあった >>399
総武線に初めて新製車が配置されたのが、101形8連6M2Tの20本。それまでは他線のお古ばかりだった。
その10連化に際してTc+Tc’を20組新製して千葉寄りに挟んでMcMTc+TcMMTTMMcにした。
中央快速線10連の7連部にはTTTとサハの3連が挟まってMcMTTTMMcで、ここにパンタ台無しサハが大量投入されている。
それとの混同では?>395
さらに山手に103形投入で、そこの101形が移籍車となって総武に入った。
山手からの移籍車は速度計がまるで時限爆弾みたいな音を出すメカ式の旧型だった。(新製配置車の速度計は電気メーターだったが)
総武線に103形が入ったのは、それより、かなり後の話。
101の側板が歪んでべろべろになってもズ〜〜〜ッと総武で使ってたんで、103と間違えることは無い。 >>400
あの機械式速度計って音まで出んのか?
針の動きは独特だったけど >>401
機械式ってSLみたいだな
JR東のSLはATS-Pに対応できないとかで電気式に交換された 101系は尾灯反射板付けてなかったな
1965年まで尾灯反射板は規定されてたが電車列車は付けなくても大丈夫だったために153系も無かった
151系は例外で高速運転するため前照灯に赤色フィルターを嵌めていて非常時交互点滅可能だった >>402
昔はどこも速度計なんて付いて無くて運転士のカンだけでやってたから過速度事故が絶えなかった。
その近代化で導入されたのが時限爆弾型速度計で、機関車も電車も共通で取り付けられ、
チクタクチクタクチクタク・・・・・・・って盛大に鳴っていた。
その後、s34当たりから、ギヤに磁気式の速度発電機が付いて振幅制限でパルスカウント式にしたから、
10km/h以下の目盛りが非常に詰んだ速度計になった。
山手線101はメカ式だったが、同時期の車両はどの当たりから電気式になったのだろう?
総武新製Mc100−169〜188では電気式(:磁気検出飽和トランス・パルスカウント式)になっていた。
それは京成3000型などで採用されたものと同構造。
151の初期型ではメカ式ではないか?増備型が電気式になってるかどうか?
速度目盛りがリニアになったのは、回転位置センサー式(ロータリーエンコーダ型)になってから。
それがどの車種からだったか、時期だったか、分からん。 キハ20系や73系は扇形速度計だが電気式か機械式か不明 >>405
生産時期から云えば1957就航なので機械式速度計のはずで、
後日、何らかの改造を受けたときに電気式速度計に換装したものが有ったのでは?
扇形メーターというのは私鉄の電気式速度計によく見られた形で、
1958就航の京成旧3000〜、改軌投入3050、3100、3150・・・・・・の方式。
国鉄一斉導入のメカ式速度計表示部は円形で、扇形というのは見たことがないが・・・・・・・。 >>406
電気式は明らかだが、故障だね(w。特に後者は酷い。
磁気式ピックアップで、トランスを介して整流表示するから超低速10km/h以下の目盛りが詰まる。
メカ式でも速度指示が不規則に飛ぶ故障してる速度計は結構見られたもの。 関西の101系は早い時期に電気式速度計に交換されたのかな?
片町線に居たMc26やMc33といった初期グループに属する車両の速度計は電気式だった気がする。 電気式速度計の構造図 3100のもありました!おまけです。
京成電鉄3100型 1960年 速度計結線図
http://www.geocities.jp/jtqsw192/FIG/330kdk/kdk3100s.jpg
過飽和トランス・パルスカウント式速度計
今の鉄道用速度計は、構造が違い、ロータリーエンコーダ式のはずです。