国鉄101系スレB
>>285
車体の点では72全金の時点で完成形まで行ってんのよね 鋼板ドアは下部が腐蝕して膨れて開閉に支障をきたしたケースが多発してステンレスドアに交換された。
自分の知る限り、開かないより閉まらない方が多かったように思う。 >>287
昔はドア下の靴ずりも鋼鉄だったな
京阪で2200系で未だに鋼製の靴ずり使っててビビった覚えがある
あれもレールが錆びると動かなくなるとかで軒並みステンレス化されたな
それに中心部にドアのバタつき防止ストッパーがあるのとないのがあってないやつはすれ違いやトンネル進入時にドアが振動してバタバタうるさい 101系って、緑のドアと銀のドア、両方ありませんでしたか? 座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
これも後年ステンレスになった
リニア・鉄道館のクハ111-1は製造当初の原型をほぼ保ってて鋼製ドアと鋼製蹴込み板である 正確に言うならば
ドアは設計変更で新造時からステンレス製と鋼製から交換した場合の2種がある。
蹴込み板は101系の場合は全て鋼製で新造されたように思う。 >>290
>座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
黄緑色にあらず、灰色なり 鋼製車でドアがステンレスというと、701系等の西武の車両を連想してしまう。
あっちは、外側も無塗装だが。 靴ずりも必要な箇所だけ交換したから、ステンレスと綱製のが混在してる車両もあった。しかも両者で寸法も違ってたし 内装のステンレス(無塗装)化はなぜかさみだれ式で、あっちこっちぽつぽつと
進行していったおかげで、101系や103系に乗ると番号とどこが変わってるかの
関係で変遷が知れて面白かった。シート形状も3パターンくらいあるんだっけか。
最終的には(103系の話になるが)ドア本体や天井・蹴込み部はもちろん客室ドア
の鴨居カバー・ブラインド巻き取り部カバーまで無塗装化されて、室内で塗装
された部分はほとんどなくなったような。 >>271
その記憶で合ってるよ。
元々103系の主抵抗器ブロワーはパンタが上がると回りっぱなしだったんだけど、後年になって逆転器を中立位置にして3分経つと止まるように改められた。 MGと一体になった主抵抗器ブロワは冷房化後もそのままだった?
103系は非冷房時代の照明用小型MGを撤去出来たが クモハ101とクモハ100がどっちも新製形式で存在したのでユニット変更のみで2両編成を組めたんだな
南武支線が最後まで2連だったが
103系や113系でも2連があったが先頭車化改造を伴った
富山港線や福塩線やJR四国などの直流閑散路線に使い古しの101系が2両編成で投入されてもおかしくなかったのでは? >>299 2Mユニットだと、直流ローカル線の変電所容量が対応できないのでは?
だから、1M方式の105系が各地で使用された。 イニシャルコストは101系の方が上
ランニングコストは105系の方が上
南武支線も105系に置き換えるとかデマが流れてたな
結局205系に置き換わったが 101を地方線区に投入しても、じきに105に変わったのでは?
車体が老朽化しているから。南武線のアコモ更新車は例外 南武支線で2003年まで活躍したって想定外だな
103系に置き換えると先頭車化改造を伴って面倒だったから(クモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニットを組めば改造なしで2両編成を組めてそれを利用した入換車があったが種車が足りず南武支線転用が出来なかった)みたいである 片町線に残った2編成は民営化後最後に全検を受けたがMc203-M'257、M264-M'c193は靴摺り原型+ステンレスドア化(これは多数に例あり)でMc205+M'259、M261-M'c190は靴摺りはステンレスレール化したがドアは原型の鉄製塗りドアというちぐはぐな組み合わせになってた。
ステンレス製靴摺り+鉄製塗りドアというちぐはぐなな組み合わせって他にもあったかな?
103系では見掛けなかった。 長期計画で205の先が見えてたから
103淘汰共々あれ転用すりゃいいじゃんってことで
余計な投資せず延命させてたんだろ >>302
いや、南武支線のはワンマン化と冷房化はやったけど、更新なんてやってないんだ…。
恐るべし! 101系は特別保全工事や車両更新工事やった車両がないはず
南武支線のも未更新だった
JR西のサハ103-750番台で戸袋窓潰したのはあったが内装は手つかずだった >>307 南武線の101系の場合、ロングシートのモケットを茶色のものに張替えたり、網棚の網を金属製にしたり、車内の塗装を暖色系に塗り替えることはやっているんでは
「車両更新」というほど大掛かりなものではないけど。簡易なイメチェンという程度だな。 試作冷房改造車は何故AU75を偏心取り付けしたんだ?
グロベンが5個しかなく目立った
その後の改造ではど真ん中(厳密には20mmオフセットしているらしい)に取り付けて6個になったのに 末期の南武支線は方向幕が2種類あったな
2行表示で「尻手⇔浜川崎」と1行表示で「尻手・浜川崎」があった 101系使用線区は方向幕が区間表示タイプ(〇〇←→XX的な表示)が多かった気がする。
電動方向幕でないから表示変更が面倒だからかな?
103系のように冷房化の際に電動化する発想はなかったんかな? 側面になかったから
目の前のそこにしかないんだから手で回せってなもんだろう
終点前に走行中ウテシが立ち上がって回してるの見たことあるわ
あぶねーっての >>311
関西は淀川・奈良両区共そう(区間表示タイプ)だったな>101系
淀川末期(片町線全線電化〜森ノ宮移籍まで)の数ヶ月は103系のそれを流用した
行き先駅名表示に変わったが 103系でサハ103-750番台が入ってるとドアが閉まるのが遅く異様に目立ったな
乗務員室にテプラで注意書きがあった チラッと101系が映っていますね
ttps://m.youtube.com/watch?v=ugmXS2NrgHY&itct=CDkQpDAYACITCNzPt-uEscUCFRUZWAodP3gAGFIS44GC44KL5qmf6Zai5Yqp5aOr&hl=ja&gl=JP&client=mv-google BSフジ このあと深夜1:00からの「鉄道伝説」で
101系特集やるぞ 秩父鉄道1000系はマスコンハンドルを交換していたんだな
南武支線はブレーキ弁が103系と同じのに交換されてた
最後まで残ってたのはどっちも運転台が原形を留めてなかった事になる >>320
秩父は3000系もマスコンを800系の発生品に交換して抑速を殺していた。
しょっちゅう乗り入れていた、扱い慣れた車だったのに。 蒸機の時代に開通した路線だから意外と急勾配は少ないんだよな秩父鉄道は なんだ今TOKYO MXでやってるのか
中川礼二出てるやつ 試作車が雨樋内蔵(JR西日本の103系体質改善40N車みたいな感じ)だったのに外付けに変更になったのはゴミが詰まって雨樋の中に水溜りが出来てしまい錆びやすかったからか?
外付け雨樋はFRPなので壊れたらすぐ交換できるみたいだが
新幹線は雨樋が騒音源になる懸念から300系から雨樋なし(モハ63みたいにドア上に水切りがあるだけ)になった >>322
敢えて急勾配に振ったのは、最初から電化開業になった三峰口延伸時だからな >>315
特高圧配線の劣化が置き換えの直線的原因だけど、県からの補助金絡みのしがらみで静態保存すらも出来なかった。
鉄道博物館開業の時にJRに懐かしの国電が無いから秩父で走らせろと注文しておきながら、わがままな話だ。 >>327
> 特高圧配線の劣化が
「特別高圧」とは 7000V以上、(略称「特高」)
「高圧」とは直流で750Vを超え7000V未満、交流で600Vを超え7000V未満、
「低圧」とは直流で750V以下、交流で600V以下
旧通産省令の電気設備技術基準(旧電気工作物規定)に定められていて、呼称区分で義務的扱い方が異なるので注意を要する。
3条の一二三等。
路面電車600V〜750Vは低圧、
直流電化鉄道1,200V〜3,000Vは高圧、
交流電化15kV〜25kVは特別高圧、
ということになる。
大昔の電気工作物規定だと低圧が350VAC以下とかあって、
新技術開発による例外規定が非常に多かったし、大出力の拡声器やアマチュア無線送信機、テレビのB電源では
無許可で高圧領域に踏み込んでいたりで、実態に合わせて整理した模様。
規定の性格は行政指導だが、実効的には法定の内容なので、誤用により意味合いが大きく違ってしまうことも有り丁寧に使いたい。 101系は下段窓が一番上まで上がって窓全開可能なんだな
まるでトロッコ列車みたいだな
流石に危険だと判断したのか103系は冷房化で途中までしか開けられないよう改造されたのが多かった >>329
開かなくしたのは改造冷房車で、行先表示幕のある車端部の上段だけだぞ。
“多かった”なんてはずはないが、どこの地区を言ってるの? やっぱこの感じが良いね
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a587b42341fc72ea17c7f1a2c7a7f63d.jpg 南武支線のやつは車両更新工事はおろか特別保全工事すらやってなかったんだな
101系で特保車・更新車は103系に改造されたのを含めても存在しない
施工していれば吊革が枕木方向三角になってたはず(線路方向三角は実在した) >>307 >>335
サハ103-762〜765・777・780の6両はJR西日本への継承後に延命N工事を施工
されている。(特別保全工事+車内の内装の寒色系→暖色系への変更) 鉄道ファン2013年8月号の101系の車内イラストは間違っている
ドアエンジン点検蓋が書かれていない
第1・第4ドアは枕梁と被らないようドアエンジンが中心からオフセットして設置されていたがアンバランスで左右バラバラに開閉していた? そういやJR西のサハ103-750番台にはJR化後TR64からTR212に交換したのもあったな。 >>338
T777・T778・T780の3両が、92年の学研都市線への207系投入に伴い保留車と
なり、翌93年の207系増備に伴う復帰時に合せて台車がTR64→TR212に交換
された。 ふむふむ…ここも興味深いレスが多い
みんなよく知ってるわ E233で40キロ辺りの加速音は、なんとなく101系を偲ばせるものがある。 昨夜の千葉発緩行上り終電が500番台のE231だった!山手線流れ。
下りの終電1本前千葉行きでうたた寝して乗り過ごして、そのまま折り返してきたんだけど、
下車の目印のサハ6扉車がなく6号車まで行って5号車に戻ったらモハではないか!?
なんだこりゃ?!と酔眼暫く考えて、何気なく形式表示を見たら500番台!あっ、山手からの流れ者か!
着駅まで立ちっぱなしにして無事ご帰還。昨夜というか、今日の未明。 秩父鉄道のやつはCPがC-2000に交換されてたな
勾配線区なのでブレーキの空気使用量が多いためか?
C-1000×2じゃダメか? https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイトパクリスホテル(40代マジコン弥勒ソフト質問ある? もしも101系の急行列車や指定席列車があったらどうなっていたか
旅客輸送特約上は急行列車は専用車両を使うと明記されておらず極端に拡大解釈すると101系の急行があってもおかしくない事になる あれ、101系の急行って、東京から高尾まで走ってなかったっけ? >>346
秩父鉄道では立派に
有料急行になったぞ >>349 冷房付きというだけで急行料金取ったのか。インドネシア並みじゃん。 >>346
かっての房総夏季臨時急行列車に投入されたんでは?
かっては海水浴客に溢れて、電化前なんか153系をDD13に牽かせた列車もあったくらい無茶苦茶だった。 >>348
それは急行電車
電車の急行列車が出来て快速電車に改称 >>346
キハ35で急行があったよな。
もし101系で急行を設定するなら同じような扱いかと。 電車の場合は113系や115系を急行に入れて、本来113.115系を使う定期列車を101系や103系が代走で穴埋めという感じだったと思う。
特急型以外ほとんどの形式が混結出来る気動車とは事情が違うだろう。 >>354
あれ房総急行が多客で大変な事になって急遽キハ35を併結した所マスコミに叩かれたとか
オールキハ17とか何でもありだった >>344
C-1000の部品の入手が困難になったので、部品の入手が容易なC-2000に交換した可能性も考えられるよ。 あずさアルプス普通特別快速快速緩行、中央線の種別が多い時代ナツカシス
中心だった101系は扉内側も薄青緑だった
たまに車内でタバコ吸ってるアホも乗ってた 個人(法人だったかな)が譲渡を打診したが、秩父は売れない事情があったみたい。
>>327にある税金の関係かも? 101系は編成によってモハの位置がバラバラだったな
4M3Tの7両編成だとMcM'TTTMM'cとMcM'TTMM'TcとTcMM'TTMM'cとTcMM'TMM'Tcの4通り存在してた
極めつけは総武緩行線に3+4+3とかあった
10両貫通編成は交番検査ピットの長さが足りないので組成した事が無かったはず >>362
総武緩行線でもTcMM'TMM'TMM'T'cてのは無理だったんかな? 側面方向幕が取り付けられなかったのはジャンパ栓の信号線が足りずKE76をもう1本取り付ける羽目になるためか?
113系とかKE76×3とか異様に重装備だが 交通科学博物館の101系モックアップはドアエンジンが不調で何か引っかかるように開閉してたな
京都鉄道博物館に移設でスムーズに動くようになるのかどうか
秩父鉄道1000系のパーツ持ってきてスペアとして使えば何とかなるはず
交通博物館のやつは90年代までは通り抜けが出来たが挟まれ事故が多かったのかいつの間にかアクリルカバーが取り付けられて鉄道博物館では非公開となった >>365
今日見た限り幾分スムーズになってた
しかし床下設置のドアエンジンは他にキハ30に採用されただけで広まらなかったな
103系は座席下に置いて片側のみアームがあってベルトで連動する方式で113系は101系と同等のリンク式ながらドア上にドアエンジンボックスがあって威圧感があるためにJR西ではリニューアルで直動式に交換されたの多い 101系試作車で後年雨樋を外付けに改造した理由が謎
量産車のはFRPで出来てて壊れたらすぐ交換できるとか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際は103系体質改善40N車みたいに埋め込んである
雨樋の下は汚れやすいので雨樋を埋め込んだ方が洗車機で洗浄しやすい >>367
西武鉄道
「701系が801系になる時に実施済み。
101系は最初から埋め込みさ」 >>347
昔、715系の臨時急行が運転された時、ロングシート部分も指定席になってたらしいぞ。 >>367
103系体質改善40Nの雨樋の処理方法は101系試作編成のアイデアを拝借したってことかな? 毎年、夏になると昭和57年の王寺水害を思い出す。
本当にあれは悪夢だった。
「高台に車両を避難させようとしたが間に合わなかった」らしいが、それほど短時間で浸水したのかな? >>371
新幹線鳥飼では本線上に避難させて列車30本と保線機械は全部無事だった(s42.7.9)から、
中心的運営者の日頃の想定と機転と、行動陣容の問題。
s57発生じゃ「良い前例があったのに幹部は何をしてたんだ!」って話だろ。
ほとんど待避してないんでやられたんでしょう。
全列車避難には結構時間が掛かるぞ。「想定外」だったわけだ(w 水没して使えなくなった転轍機等のスペアと応援作業者を
東京から新幹線臨時列車に乗せて鳥飼に送り込んで、
走行距離超過による運休も防いだって齋藤雅男氏が繰り返し書いている。
縦割り耐性の弱点、想定不十分の弱点の表れが王子水害での全滅惨事じゃないかねぇ。
鳥飼じゃ待避の事前訓練はやっていたって書いてるよ。保線機械はその場で待避に含めたが。 >>371
あの水害による廃車の代替車両を首都圏から急遽転属させたというのも国鉄時代だから可能だったろうね。
もし今103系や201系が同じように使用不能になったら新車で置き換えるしかなく所要車両の数はなかなか元に戻らなかったかも。 >>374
相互融通くらいはやるだろ。
3度の大震災復旧で全国から支援動員して脅威の速度で復旧してたから、
あとは金のやり取りと、保安関係の微調整。DN/DK/DXはアホなことをしたもんだ! 節電のためかパンタを降ろしてT車代用として使ってたのあったな
JR西日本のやつがそうだったがサハが足りなかった? >>362
10両貫通編成はツヌに居た。
McM'TTMM'TTMM'c 3.11の時は直流モーターのブラシが不足したんだよね
供給元を絞るとそんなことも起こる >>379
寿命など品質保証にこだわったから原発被爆地になって
製造停止分に替えての他国製を使えなかった。
基幹部品は複数調達にしてリスク分散を図るものだが・・・・・・・・マサカの事態だったんだろねぇ。
後日、ブロックに固めたのは運び出して、他社でブラシに加工したはず。
今は他社製品の試験を終えて正式採用されてない? 車端部のドアはドアエンジンがオフセットして取り付けてあるが左右ずれて開閉するという事は起きてないな
リンク式ドアエンジンは結局構造が複雑で保守が面倒だったのか103系からベルト式に変わった
113系は101系と同様のリンク式だがドアエンジンが鴨居部にあってドア上のボックスが妙に圧迫感を与えるために延命工事車では直動式に交換されたの多い 101系全盛期時代の頃は、現在の車両のように天井には化粧版が用い られ
て居らず、トタン・ブリキ板であったので、車両検査入場時に天井を真っ白に
塗りなおして出てくると、新しいペンキ特有のいいにおいを後日しばらくの間
楽しむことができた。(刺激臭が苦手な人には気の毒だが・・・)そんな
車が来るのがとても楽しみだった。 >>382
南武線の101系で、車号を書きなおすのが面倒だったのか、車内の車号が書かれている部分を
塗り残してある車両があった。クモハ101ー77 だったと思った。
路線バスでも車内を塗りなおしている車両に出くわすことがあったな。 登場時の101系や103系は車両番号がプレートではなく直に書いてたな
津山のキハ58が最後までそうだったどころか天井も塗り天井だった
化粧板に変わったのは特別保全工事施行後から?
101系で更新工事されたのはなく南武支線のやつは吊革が枕木方向三角に取り換えられてたが未更新だった >>384
101・103系で車両番号の直書きを止めたのは1965年辺りの製造分辺りだったような。
101系で1967年辺り以降の最末期ロットのクハ・サハとそれと同時期に製造された103系はアルミ箔に印刷されたステッカーを貼り付ける方式になった。
直書き→プレート式になった1965年製以前の車両もその後の補修でステッカー式になった車両は多いが(特に101系では後期形に分類される1962年製以降)。