国鉄101系スレB
>>228
リサイクル工場
鉄博にほんとは101系bフ量産車として涛�錘x線のを持bチていく予定だbチたけど
血エ型とはあまりbノもかけ離れてb驍ゥら 試作車を持って行ったらしいね
乳鉄101系の置き換えがもう数年早く始っていれば量産車が鉄博に行ったかもしれないのに >>236
鉄道博物館に収蔵する際に登場時に近い姿に復元出来なかったんかな?
ガラスの金属押さえとか雨樋の処理方法は103系の特別保全工事とか西日本の体質改善工事の応用で再現出来そうな気がするが。 2月まで弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>238
あれは完全なレプリカだよ ところどころ本物の部品使ってるらしいけど
レプリカであそこまでできるなら 80系の湘南顔と153の低運車も造ってほしいと個人的には
思うね >>238
弁天橋に博物館あったっけ?
確かに101系は昔はあったけど なんだそういうことか
新規にそんなレプリカがあるかと思った あの151系もレプリカだというから驚きだ
梅小路に個人的には485系の非ボンネット車保存してほしいな 485系と言えば
思い浮かべるのはストレートのほうで ボンネットは特別車って感じがするんだよな >>243
ストレートって言い方初めて見たけど普通にそういう言い方すんの? >あれも初期車?
外見で尾灯が後期車、車内のロールカーテン覆いが戸袋窓で途切れるので前期車。 101系初期車は何か機械式速度計付けてたのあったな
蒸気機関車みたいである
しかし最近のSLはATS-P対応のために電気式に交換してるの多い >>247
それ関東の初期車に多くなかった?
関西は早い内に電気式に交換されてたような。
片町線に居たMc26,33も1978年頃には電気式速度計だったと思う。 >>247 >>248
総武線中央緩行線新製投入の8連20編成分40両から電気式になった。
s36年1961年後半頃、津田沼電車区とたしか中野電車区で、三鷹区じゃなかった。
それまでの中央線山手線仕様車は時限爆弾型で、総武線に後から転属してきてチクタクチクタク賑やかになった。 101系は頻繁にMM'ユニット変更やってたよな
試作車と量産車で滅茶苦茶なユニット組んでたのあった >>250
関西では特に中期クモハ+初期モハという組み合わせがよくあった。
一例はMc112+M'13。
恐らく中期クモハはMc+M'cで新製して転属してきたM+M'を交えてユニット組換えしたと思う。
もっとも関東にはMc1+M'197という初期クモハ+後期モハという凄まじいユニットもあったな。 >>251
クモハ100-1もモハ101-254だか256と組んでたな。 181系もユニット相方変更頻繁にやってたな
特にモハ180-115は対になるモハがいないという不思議な形態でモハシがモハに改造中に代わりに連結するという変わった使い方をしていた 秩父鉄道1000系はモーター出力85KWで使ってたみたいだが限流値はどうだったんだろうか?
85KWはMT46の連続定格であるが ドアエンジンの調整の仕方が東西で違ってたってマジ?
西日本は勢いよく閉まってバウンドしたとか 101系試作車は量産化改造で張り上げ屋根から普通の雨樋になってしまったがメンテナンスコスト削減(雨樋が壊れても取り外して交換できる)のためか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際はJR西の103系体質改善40N車みたいに雨樋が内蔵になっている 101系が充当された優等列車(要料金券)ってありましたっけ? >>259
だいたいその手の車両は、内蔵式の雨どいが詰まりがちになってメンテに困るようになるパターン
特に国鉄では 101系のするがシャトル転用があったら良かったのに
2両編成だとオールMになるので加速力に優れるので東海道線の高速ダイヤについて行けるはず 横須賀線の末端の101系の運用も計画されていたような 総武線の101系で3+4+3があったみたいだが真ん中の編成に添乗員付けなくて大丈夫だったのか?
419系の3編成連結の9連が短期間に終わったのは真ん中の編成に添乗員を付けなければいけなかったのと編成全体が貫通しておらず北陸トンネル入線禁止だったため >>266
国鉄時代なら長大トンネル区間以外は問題無しでしょ。常磐快速103系でも5+5+5の15連や7+3+5の15連短期間だけどもやってた。平成時代に入ってからでも西武鉄道では701系4連+701系4連+401系2連の10両編成やってた。 >>267
西武は101系でも4+4+2をやっていたし、今でも2000系でやっている。(4+2+4なんてのもある)
更に昔は6+2+2なんて8M2T編成もあったよ。 101系は主抵抗器ブロワと照明用MGが繋がってて長時間停車時にブロワを切れない(切ると車内が停電してしまう)んだな
冗長性に欠けるので流石に後年の形式では別になったので長時間停車中にブロワを切れるようになった ブロワ音ごときでうるさいとか言ってくるようなうるさい時代じゃなかった時代から言えば、
電気が生きてるうちは常に回ってるMGにブロワを兼ねさせるのは非常に合理的とも言えたのにな。 でもあれか、確かに長時間の停車や留置で抵抗器が十分に冷えてれば回しっぱなしにしとくのは省エネ的観点からは無駄とも言えるか。
103系なんかは晩年の青梅線では立川発車時にブロワが回り出す音が聞こえたけど、昔は回りっぱなしだった気がする。 ラッシュ時に乗客の圧力でドアのガラスが割れる事故が頻発したらしいな
代用として鉄板を入れて応急処置したらしい >>272
割れると言うかガラスが圧力で脱落しちゃうんだよ。Hゴムの弱点。 75年ころ、国鉄ストで超満員となった京成の赤電片ドア車のガラスが無くなっている写真を見たことがあるが、それも脱落したからか・・
ガラス脱落を防ぐには、新京成800系のように片ドアでも小窓化するか、両開きにした方がよいのかも
そういえば、101系、1500台以外の103系、301系で、営団5000系のようにドア窓を小型化したものってないな。 >>274
営団や東急で小窓化したのは子供がドアから景色を眺めて戸袋に手を引き込まれる事故を防ぐためというのもあった >>272
補足
総武緩行線の場合、津田沼・中野両電車区は勿論、派出所(千葉・お茶の水)にドア窓の大きさに誂えた鉄板が常備されていた。 >>275
と言うか営団って小窓、大窓繰り返すよな
東京地下鉄道や東京高速鉄道の作った車両はドア窓の大きさ側窓と一緒だったのに
営団最初の新造車1300だと極端に高さのないドア窓になる
1400で元に戻り、1500でまた1300みたいになり、1600は1400みたいになり1700で両開き小窓になる
そして2000は両開きの長い窓、1500Nでまた小さくなり、01ででかくなる 201系もドア窓小さくなったな
205系の途中で元に戻った 昔山手線でINFOBARという四角い携帯電話でラッシュ時にドアガラス割っちゃったのあったな
故意に割った訳ではないのと乗客が正直に自己申告したので弁償を求めなかった http://irorio.jp/canal/20141119/179539/
近年でも東京メトロ東西線でドアガラス割れたな
最近の車両はドアを平滑化し戸袋に物が引き込まれないようにする観点から窓が分厚い複層ガラス(新幹線の窓ガラスと同じ)になってるのが多く内側は割れて破片が飛び散るのを防ぐべく合わせガラスになっている ドア窓ガラスはTEMPERLITE、ユニットサッシはSEMITEMPERとか言うブランド名のガラスだった。用途別に考えて取り付けてたのでしょう。
それよりラッシュ時にドア自体がよく外れずに頑張ってるなと思う。戦前ドア壊れてお茶の水の神田川に3人落ちて亡くなったり、戦後どさくさ時はドア自体無くて落ちまくってたり。 流石にドアが落ちたという話は聞いたことがないな。キハ30系のような外吊式のドアではないし。 >>278
205は山手用小窓、次の埼京用から大窓だね >>282
戦後の混乱期、ドアが外れて乗客が外堀に転落死ってのがあったよ 101系のドアが木製の粗悪品でなくてよかったと思う・・ >>285
車体の点では72全金の時点で完成形まで行ってんのよね 鋼板ドアは下部が腐蝕して膨れて開閉に支障をきたしたケースが多発してステンレスドアに交換された。
自分の知る限り、開かないより閉まらない方が多かったように思う。 >>287
昔はドア下の靴ずりも鋼鉄だったな
京阪で2200系で未だに鋼製の靴ずり使っててビビった覚えがある
あれもレールが錆びると動かなくなるとかで軒並みステンレス化されたな
それに中心部にドアのバタつき防止ストッパーがあるのとないのがあってないやつはすれ違いやトンネル進入時にドアが振動してバタバタうるさい 101系って、緑のドアと銀のドア、両方ありませんでしたか? 座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
これも後年ステンレスになった
リニア・鉄道館のクハ111-1は製造当初の原型をほぼ保ってて鋼製ドアと鋼製蹴込み板である 正確に言うならば
ドアは設計変更で新造時からステンレス製と鋼製から交換した場合の2種がある。
蹴込み板は101系の場合は全て鋼製で新造されたように思う。 >>290
>座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
黄緑色にあらず、灰色なり 鋼製車でドアがステンレスというと、701系等の西武の車両を連想してしまう。
あっちは、外側も無塗装だが。 靴ずりも必要な箇所だけ交換したから、ステンレスと綱製のが混在してる車両もあった。しかも両者で寸法も違ってたし 内装のステンレス(無塗装)化はなぜかさみだれ式で、あっちこっちぽつぽつと
進行していったおかげで、101系や103系に乗ると番号とどこが変わってるかの
関係で変遷が知れて面白かった。シート形状も3パターンくらいあるんだっけか。
最終的には(103系の話になるが)ドア本体や天井・蹴込み部はもちろん客室ドア
の鴨居カバー・ブラインド巻き取り部カバーまで無塗装化されて、室内で塗装
された部分はほとんどなくなったような。 >>271
その記憶で合ってるよ。
元々103系の主抵抗器ブロワーはパンタが上がると回りっぱなしだったんだけど、後年になって逆転器を中立位置にして3分経つと止まるように改められた。 MGと一体になった主抵抗器ブロワは冷房化後もそのままだった?
103系は非冷房時代の照明用小型MGを撤去出来たが クモハ101とクモハ100がどっちも新製形式で存在したのでユニット変更のみで2両編成を組めたんだな
南武支線が最後まで2連だったが
103系や113系でも2連があったが先頭車化改造を伴った
富山港線や福塩線やJR四国などの直流閑散路線に使い古しの101系が2両編成で投入されてもおかしくなかったのでは? >>299 2Mユニットだと、直流ローカル線の変電所容量が対応できないのでは?
だから、1M方式の105系が各地で使用された。 イニシャルコストは101系の方が上
ランニングコストは105系の方が上
南武支線も105系に置き換えるとかデマが流れてたな
結局205系に置き換わったが 101を地方線区に投入しても、じきに105に変わったのでは?
車体が老朽化しているから。南武線のアコモ更新車は例外 南武支線で2003年まで活躍したって想定外だな
103系に置き換えると先頭車化改造を伴って面倒だったから(クモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニットを組めば改造なしで2両編成を組めてそれを利用した入換車があったが種車が足りず南武支線転用が出来なかった)みたいである 片町線に残った2編成は民営化後最後に全検を受けたがMc203-M'257、M264-M'c193は靴摺り原型+ステンレスドア化(これは多数に例あり)でMc205+M'259、M261-M'c190は靴摺りはステンレスレール化したがドアは原型の鉄製塗りドアというちぐはぐな組み合わせになってた。
ステンレス製靴摺り+鉄製塗りドアというちぐはぐなな組み合わせって他にもあったかな?
103系では見掛けなかった。 長期計画で205の先が見えてたから
103淘汰共々あれ転用すりゃいいじゃんってことで
余計な投資せず延命させてたんだろ >>302
いや、南武支線のはワンマン化と冷房化はやったけど、更新なんてやってないんだ…。
恐るべし! 101系は特別保全工事や車両更新工事やった車両がないはず
南武支線のも未更新だった
JR西のサハ103-750番台で戸袋窓潰したのはあったが内装は手つかずだった >>307 南武線の101系の場合、ロングシートのモケットを茶色のものに張替えたり、網棚の網を金属製にしたり、車内の塗装を暖色系に塗り替えることはやっているんでは
「車両更新」というほど大掛かりなものではないけど。簡易なイメチェンという程度だな。 試作冷房改造車は何故AU75を偏心取り付けしたんだ?
グロベンが5個しかなく目立った
その後の改造ではど真ん中(厳密には20mmオフセットしているらしい)に取り付けて6個になったのに 末期の南武支線は方向幕が2種類あったな
2行表示で「尻手⇔浜川崎」と1行表示で「尻手・浜川崎」があった 101系使用線区は方向幕が区間表示タイプ(〇〇←→XX的な表示)が多かった気がする。
電動方向幕でないから表示変更が面倒だからかな?
103系のように冷房化の際に電動化する発想はなかったんかな? 側面になかったから
目の前のそこにしかないんだから手で回せってなもんだろう
終点前に走行中ウテシが立ち上がって回してるの見たことあるわ
あぶねーっての >>311
関西は淀川・奈良両区共そう(区間表示タイプ)だったな>101系
淀川末期(片町線全線電化〜森ノ宮移籍まで)の数ヶ月は103系のそれを流用した
行き先駅名表示に変わったが 103系でサハ103-750番台が入ってるとドアが閉まるのが遅く異様に目立ったな
乗務員室にテプラで注意書きがあった チラッと101系が映っていますね
ttps://m.youtube.com/watch?v=ugmXS2NrgHY&itct=CDkQpDAYACITCNzPt-uEscUCFRUZWAodP3gAGFIS44GC44KL5qmf6Zai5Yqp5aOr&hl=ja&gl=JP&client=mv-google BSフジ このあと深夜1:00からの「鉄道伝説」で
101系特集やるぞ 秩父鉄道1000系はマスコンハンドルを交換していたんだな
南武支線はブレーキ弁が103系と同じのに交換されてた
最後まで残ってたのはどっちも運転台が原形を留めてなかった事になる >>320
秩父は3000系もマスコンを800系の発生品に交換して抑速を殺していた。
しょっちゅう乗り入れていた、扱い慣れた車だったのに。 蒸機の時代に開通した路線だから意外と急勾配は少ないんだよな秩父鉄道は なんだ今TOKYO MXでやってるのか
中川礼二出てるやつ 試作車が雨樋内蔵(JR西日本の103系体質改善40N車みたいな感じ)だったのに外付けに変更になったのはゴミが詰まって雨樋の中に水溜りが出来てしまい錆びやすかったからか?
外付け雨樋はFRPなので壊れたらすぐ交換できるみたいだが
新幹線は雨樋が騒音源になる懸念から300系から雨樋なし(モハ63みたいにドア上に水切りがあるだけ)になった >>322
敢えて急勾配に振ったのは、最初から電化開業になった三峰口延伸時だからな >>315
特高圧配線の劣化が置き換えの直線的原因だけど、県からの補助金絡みのしがらみで静態保存すらも出来なかった。
鉄道博物館開業の時にJRに懐かしの国電が無いから秩父で走らせろと注文しておきながら、わがままな話だ。 >>327
> 特高圧配線の劣化が
「特別高圧」とは 7000V以上、(略称「特高」)
「高圧」とは直流で750Vを超え7000V未満、交流で600Vを超え7000V未満、
「低圧」とは直流で750V以下、交流で600V以下
旧通産省令の電気設備技術基準(旧電気工作物規定)に定められていて、呼称区分で義務的扱い方が異なるので注意を要する。
3条の一二三等。
路面電車600V〜750Vは低圧、
直流電化鉄道1,200V〜3,000Vは高圧、
交流電化15kV〜25kVは特別高圧、
ということになる。
大昔の電気工作物規定だと低圧が350VAC以下とかあって、
新技術開発による例外規定が非常に多かったし、大出力の拡声器やアマチュア無線送信機、テレビのB電源では
無許可で高圧領域に踏み込んでいたりで、実態に合わせて整理した模様。
規定の性格は行政指導だが、実効的には法定の内容なので、誤用により意味合いが大きく違ってしまうことも有り丁寧に使いたい。 101系は下段窓が一番上まで上がって窓全開可能なんだな
まるでトロッコ列車みたいだな
流石に危険だと判断したのか103系は冷房化で途中までしか開けられないよう改造されたのが多かった >>329
開かなくしたのは改造冷房車で、行先表示幕のある車端部の上段だけだぞ。
“多かった”なんてはずはないが、どこの地区を言ってるの? やっぱこの感じが良いね
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a587b42341fc72ea17c7f1a2c7a7f63d.jpg 南武支線のやつは車両更新工事はおろか特別保全工事すらやってなかったんだな
101系で特保車・更新車は103系に改造されたのを含めても存在しない
施工していれば吊革が枕木方向三角になってたはず(線路方向三角は実在した)