国鉄101系スレB
>>207
頭に入れるというか、何千回も操作するうちに体が覚えてしまう
そんな事より、同じ形式の車両でもかなり差があり、そちらの方が重要
詰所でもよく話題になる
by関東大手私鉄、現役運転士 秩父鉄道1000系はコンプレッサがC-2000に交換されてたな
空気供給スピード上げるためか?
115系初期車みたくC-1000×2台でも良かったのに >>209
1台で済めばそれに越したことはない
余剰品もゴロゴロあったし C-1000は本来2両に1台搭載するべきだが101系だと3両編成では編成中1台しかなかったために空気供給に凄く時間が掛かってたのでは? 南武支線のやつはブレーキ弁を103系と同じのに交換してたような
ATS-Pに対応できなかったためとか また「…なら…よかったのに」様か。
>>17>>142>>193と同じ人物か?
なぜそうならなかったか、もう一段踏み込めばよかったのにww
後付けでC1000で2基化したら、場所はとるし配管・配線の引き直しが要るじゃん。 >>209>>211
単なる部品供給上の問題かも知れない。
>>210の言うように、C2000ならJRの廃車車両から山ほど出てきてただろうし。
「交換部品がない」はビンテージマシンを維持していく上で最大の難関だ。
SLなら客寄せパンダとして申し分ないからコストかけてもペイできるけど、
「たかだか半世紀前の」電車ではちょっと訴求力がな。
日本はまだまだ産業遺産に対する認知度・理解度が低いのも確かだが、
維持する側はあくまで営利企業である事も忘れちゃいけない。 勾配線区だと稼働率が高まり、イコール故障の確率も高まるから、容量でかくして稼働率を下げたのかも知れんな。
逆に、東武6050みたいに小容量を2機掛けしていざという時のバックアップにする考え方もある。 昔の南武線6連の101系試作冷房車はクモハ100にある210kVAのMGだけで
AU75を6台動かしてたな
消費電力35kVA×6できっかり210kVAで常に全力運転のマージンゼロ
走行用補機電源はクモハ101とモハ101のそれぞれ5kVAから供給だったから影響なかったが
よく冷房用MGは故障しただろうなとは思う
ところでこの編成のMGなしモハ100の重量誰かご存じない?
冷房付きモハ100は42.3dってピクトリアルには書いてあるけど
これは量産冷房の160kVAMG装備車の話で
試作210kVAMG装備車とMGなしで冷房だけ乗せたのの重量は不明
出来ればこの二つとも教えてくださったらありがたい MT46の出力20%増のMT54プロトタイプの実験も101系でやったな
しかし熱容量の問題が解決しなかったため新規にMT55が開発されたとか
101系でMT54化された車両は存在しない
471系やクモヤ145ではMT54化された車両があるが そう 交通科学館にあったのはレプリカだし
旧型国電といい 通勤車保存の扱いはいつたってもひどいな >>226
オレンジのがトラックに乗せられて道路を走っている画像を観ましたが、どこに運ばれたのでしょうか? >>224
交通科学博物館のモックアップはドアエンジンが不調で変なドアの閉まり方してたよな
どっかで引っ掛かりながら閉まる感じだった
実車だとすぐ工場送りになるはず 103より少しだけ天井が高くて好きだった。
モーターも103より静か、出力ギヤ比車輪径の違いを知ったのはずっと後。 もし101系登場時にローレル賞の制度があったら受賞してそう。
流石にブルーリボン賞は無理かも知れないが。 >>231
登場年がブルーリボン賞の最初の年ですね >>232
その年、つまり初代ブルーリボン賞は小田急SEだったから地味な通勤車ではどのみちブルーリボン賞受賞は無理かw
てかローレル賞は通勤車がブルーリボン賞を受賞しにくいために新設されたカテゴリーだったような。
新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
とはいえ101系の場合国鉄としては初の新性能とはいってもパンタが旧形のままだったがw
パンタスレにもあったけど101系の試作編成や量産初期まではPS13だったのは本来は試作編成製造の段階でPS16にしたかったのだが開発が遅れてやむ無くPS13を使う破目になったのとPS13の在庫処分の為に量産初期でも採用した、という説が出てた。 >>232
>>233
実態は小田急に賞を与えるための口実だがな>初代ブルーリボン賞
第二回以降、システム自体は何度か変わってるものの、基本会員(という名のヲタ共)
の投票数がベースとなってるけど、あれだけは一部幹部会員による鳩首協議で決まっ
てるからな(疑おうとすればなんぼでも疑えるしな)。
最もあの年に投票したとしても他にふさわしいのがあるかといえば否だが。
>>233
>新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
最も既に他の大手私鉄で採用されてるものがほとんどだろうしな。 >>234
ブルーリボン嘗を与えるために、毎年持ち回りで組織票の貸し借りやってたもんな。
それが破綻したのがスペーシア事件だったが、この一件で東を怒らせて対立した事もあったな。 >>228
リサイクル工場
鉄博にほんとは101系bフ量産車として涛�錘x線のを持bチていく予定だbチたけど
血エ型とはあまりbノもかけ離れてb驍ゥら 試作車を持って行ったらしいね
乳鉄101系の置き換えがもう数年早く始っていれば量産車が鉄博に行ったかもしれないのに >>236
鉄道博物館に収蔵する際に登場時に近い姿に復元出来なかったんかな?
ガラスの金属押さえとか雨樋の処理方法は103系の特別保全工事とか西日本の体質改善工事の応用で再現出来そうな気がするが。 2月まで弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>238
あれは完全なレプリカだよ ところどころ本物の部品使ってるらしいけど
レプリカであそこまでできるなら 80系の湘南顔と153の低運車も造ってほしいと個人的には
思うね >>238
弁天橋に博物館あったっけ?
確かに101系は昔はあったけど なんだそういうことか
新規にそんなレプリカがあるかと思った あの151系もレプリカだというから驚きだ
梅小路に個人的には485系の非ボンネット車保存してほしいな 485系と言えば
思い浮かべるのはストレートのほうで ボンネットは特別車って感じがするんだよな >>243
ストレートって言い方初めて見たけど普通にそういう言い方すんの? >あれも初期車?
外見で尾灯が後期車、車内のロールカーテン覆いが戸袋窓で途切れるので前期車。 101系初期車は何か機械式速度計付けてたのあったな
蒸気機関車みたいである
しかし最近のSLはATS-P対応のために電気式に交換してるの多い >>247
それ関東の初期車に多くなかった?
関西は早い内に電気式に交換されてたような。
片町線に居たMc26,33も1978年頃には電気式速度計だったと思う。 >>247 >>248
総武線中央緩行線新製投入の8連20編成分40両から電気式になった。
s36年1961年後半頃、津田沼電車区とたしか中野電車区で、三鷹区じゃなかった。
それまでの中央線山手線仕様車は時限爆弾型で、総武線に後から転属してきてチクタクチクタク賑やかになった。 101系は頻繁にMM'ユニット変更やってたよな
試作車と量産車で滅茶苦茶なユニット組んでたのあった >>250
関西では特に中期クモハ+初期モハという組み合わせがよくあった。
一例はMc112+M'13。
恐らく中期クモハはMc+M'cで新製して転属してきたM+M'を交えてユニット組換えしたと思う。
もっとも関東にはMc1+M'197という初期クモハ+後期モハという凄まじいユニットもあったな。 >>251
クモハ100-1もモハ101-254だか256と組んでたな。 181系もユニット相方変更頻繁にやってたな
特にモハ180-115は対になるモハがいないという不思議な形態でモハシがモハに改造中に代わりに連結するという変わった使い方をしていた 秩父鉄道1000系はモーター出力85KWで使ってたみたいだが限流値はどうだったんだろうか?
85KWはMT46の連続定格であるが ドアエンジンの調整の仕方が東西で違ってたってマジ?
西日本は勢いよく閉まってバウンドしたとか 101系試作車は量産化改造で張り上げ屋根から普通の雨樋になってしまったがメンテナンスコスト削減(雨樋が壊れても取り外して交換できる)のためか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際はJR西の103系体質改善40N車みたいに雨樋が内蔵になっている 101系が充当された優等列車(要料金券)ってありましたっけ? >>259
だいたいその手の車両は、内蔵式の雨どいが詰まりがちになってメンテに困るようになるパターン
特に国鉄では 101系のするがシャトル転用があったら良かったのに
2両編成だとオールMになるので加速力に優れるので東海道線の高速ダイヤについて行けるはず 横須賀線の末端の101系の運用も計画されていたような 総武線の101系で3+4+3があったみたいだが真ん中の編成に添乗員付けなくて大丈夫だったのか?
419系の3編成連結の9連が短期間に終わったのは真ん中の編成に添乗員を付けなければいけなかったのと編成全体が貫通しておらず北陸トンネル入線禁止だったため >>266
国鉄時代なら長大トンネル区間以外は問題無しでしょ。常磐快速103系でも5+5+5の15連や7+3+5の15連短期間だけどもやってた。平成時代に入ってからでも西武鉄道では701系4連+701系4連+401系2連の10両編成やってた。 >>267
西武は101系でも4+4+2をやっていたし、今でも2000系でやっている。(4+2+4なんてのもある)
更に昔は6+2+2なんて8M2T編成もあったよ。 101系は主抵抗器ブロワと照明用MGが繋がってて長時間停車時にブロワを切れない(切ると車内が停電してしまう)んだな
冗長性に欠けるので流石に後年の形式では別になったので長時間停車中にブロワを切れるようになった ブロワ音ごときでうるさいとか言ってくるようなうるさい時代じゃなかった時代から言えば、
電気が生きてるうちは常に回ってるMGにブロワを兼ねさせるのは非常に合理的とも言えたのにな。 でもあれか、確かに長時間の停車や留置で抵抗器が十分に冷えてれば回しっぱなしにしとくのは省エネ的観点からは無駄とも言えるか。
103系なんかは晩年の青梅線では立川発車時にブロワが回り出す音が聞こえたけど、昔は回りっぱなしだった気がする。 ラッシュ時に乗客の圧力でドアのガラスが割れる事故が頻発したらしいな
代用として鉄板を入れて応急処置したらしい >>272
割れると言うかガラスが圧力で脱落しちゃうんだよ。Hゴムの弱点。 75年ころ、国鉄ストで超満員となった京成の赤電片ドア車のガラスが無くなっている写真を見たことがあるが、それも脱落したからか・・
ガラス脱落を防ぐには、新京成800系のように片ドアでも小窓化するか、両開きにした方がよいのかも
そういえば、101系、1500台以外の103系、301系で、営団5000系のようにドア窓を小型化したものってないな。 >>274
営団や東急で小窓化したのは子供がドアから景色を眺めて戸袋に手を引き込まれる事故を防ぐためというのもあった >>272
補足
総武緩行線の場合、津田沼・中野両電車区は勿論、派出所(千葉・お茶の水)にドア窓の大きさに誂えた鉄板が常備されていた。 >>275
と言うか営団って小窓、大窓繰り返すよな
東京地下鉄道や東京高速鉄道の作った車両はドア窓の大きさ側窓と一緒だったのに
営団最初の新造車1300だと極端に高さのないドア窓になる
1400で元に戻り、1500でまた1300みたいになり、1600は1400みたいになり1700で両開き小窓になる
そして2000は両開きの長い窓、1500Nでまた小さくなり、01ででかくなる 201系もドア窓小さくなったな
205系の途中で元に戻った 昔山手線でINFOBARという四角い携帯電話でラッシュ時にドアガラス割っちゃったのあったな
故意に割った訳ではないのと乗客が正直に自己申告したので弁償を求めなかった http://irorio.jp/canal/20141119/179539/
近年でも東京メトロ東西線でドアガラス割れたな
最近の車両はドアを平滑化し戸袋に物が引き込まれないようにする観点から窓が分厚い複層ガラス(新幹線の窓ガラスと同じ)になってるのが多く内側は割れて破片が飛び散るのを防ぐべく合わせガラスになっている ドア窓ガラスはTEMPERLITE、ユニットサッシはSEMITEMPERとか言うブランド名のガラスだった。用途別に考えて取り付けてたのでしょう。
それよりラッシュ時にドア自体がよく外れずに頑張ってるなと思う。戦前ドア壊れてお茶の水の神田川に3人落ちて亡くなったり、戦後どさくさ時はドア自体無くて落ちまくってたり。 流石にドアが落ちたという話は聞いたことがないな。キハ30系のような外吊式のドアではないし。 >>278
205は山手用小窓、次の埼京用から大窓だね >>282
戦後の混乱期、ドアが外れて乗客が外堀に転落死ってのがあったよ 101系のドアが木製の粗悪品でなくてよかったと思う・・ >>285
車体の点では72全金の時点で完成形まで行ってんのよね 鋼板ドアは下部が腐蝕して膨れて開閉に支障をきたしたケースが多発してステンレスドアに交換された。
自分の知る限り、開かないより閉まらない方が多かったように思う。 >>287
昔はドア下の靴ずりも鋼鉄だったな
京阪で2200系で未だに鋼製の靴ずり使っててビビった覚えがある
あれもレールが錆びると動かなくなるとかで軒並みステンレス化されたな
それに中心部にドアのバタつき防止ストッパーがあるのとないのがあってないやつはすれ違いやトンネル進入時にドアが振動してバタバタうるさい 101系って、緑のドアと銀のドア、両方ありませんでしたか? 座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
これも後年ステンレスになった
リニア・鉄道館のクハ111-1は製造当初の原型をほぼ保ってて鋼製ドアと鋼製蹴込み板である 正確に言うならば
ドアは設計変更で新造時からステンレス製と鋼製から交換した場合の2種がある。
蹴込み板は101系の場合は全て鋼製で新造されたように思う。 >>290
>座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
黄緑色にあらず、灰色なり 鋼製車でドアがステンレスというと、701系等の西武の車両を連想してしまう。
あっちは、外側も無塗装だが。 靴ずりも必要な箇所だけ交換したから、ステンレスと綱製のが混在してる車両もあった。しかも両者で寸法も違ってたし 内装のステンレス(無塗装)化はなぜかさみだれ式で、あっちこっちぽつぽつと
進行していったおかげで、101系や103系に乗ると番号とどこが変わってるかの
関係で変遷が知れて面白かった。シート形状も3パターンくらいあるんだっけか。
最終的には(103系の話になるが)ドア本体や天井・蹴込み部はもちろん客室ドア
の鴨居カバー・ブラインド巻き取り部カバーまで無塗装化されて、室内で塗装
された部分はほとんどなくなったような。 >>271
その記憶で合ってるよ。
元々103系の主抵抗器ブロワーはパンタが上がると回りっぱなしだったんだけど、後年になって逆転器を中立位置にして3分経つと止まるように改められた。 MGと一体になった主抵抗器ブロワは冷房化後もそのままだった?
103系は非冷房時代の照明用小型MGを撤去出来たが クモハ101とクモハ100がどっちも新製形式で存在したのでユニット変更のみで2両編成を組めたんだな
南武支線が最後まで2連だったが
103系や113系でも2連があったが先頭車化改造を伴った
富山港線や福塩線やJR四国などの直流閑散路線に使い古しの101系が2両編成で投入されてもおかしくなかったのでは? >>299 2Mユニットだと、直流ローカル線の変電所容量が対応できないのでは?
だから、1M方式の105系が各地で使用された。 イニシャルコストは101系の方が上
ランニングコストは105系の方が上
南武支線も105系に置き換えるとかデマが流れてたな
結局205系に置き換わったが 101を地方線区に投入しても、じきに105に変わったのでは?
車体が老朽化しているから。南武線のアコモ更新車は例外 南武支線で2003年まで活躍したって想定外だな
103系に置き換えると先頭車化改造を伴って面倒だったから(クモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニットを組めば改造なしで2両編成を組めてそれを利用した入換車があったが種車が足りず南武支線転用が出来なかった)みたいである 片町線に残った2編成は民営化後最後に全検を受けたがMc203-M'257、M264-M'c193は靴摺り原型+ステンレスドア化(これは多数に例あり)でMc205+M'259、M261-M'c190は靴摺りはステンレスレール化したがドアは原型の鉄製塗りドアというちぐはぐな組み合わせになってた。
ステンレス製靴摺り+鉄製塗りドアというちぐはぐなな組み合わせって他にもあったかな?
103系では見掛けなかった。 長期計画で205の先が見えてたから
103淘汰共々あれ転用すりゃいいじゃんってことで
余計な投資せず延命させてたんだろ >>302
いや、南武支線のはワンマン化と冷房化はやったけど、更新なんてやってないんだ…。
恐るべし! 101系は特別保全工事や車両更新工事やった車両がないはず
南武支線のも未更新だった
JR西のサハ103-750番台で戸袋窓潰したのはあったが内装は手つかずだった