国鉄101系スレB
台車換えてまで高速試験やったんだからたくさんだろう。
ワンメイクでレースやってるんじゃなく、日常で走らせるクルマを造るんだぞ。
エポック作品であり、前進のために失敗を認められたのが101系なのだよ。 鉄道伝説
8/3 (日) 22:30 〜 23:25 (55分)
BSフジ
「国鉄101系〜通勤形新性能電車のパイオニア」
朝夕を中心に、乗客を運ぶ通勤電車。その原型となった車両がモハ90形。後の称号改正で国鉄101系と改番される車両である。
大量の人員を効率的に乗降させることができる1300mmの両開扉。乗り心地を飛躍的に良くした中空軸平行カルダン駆動方式の採用。
そして今ではお馴染みとなった路線ごとによる車両カラーの色分け。国鉄101系は、 今回はそんな国鉄101系の伝説に迫る。 101系開発当初は「省エネ」という概念が無かったんだな
省エネが叫ばれるようになったのはオイルショックの頃から >>203
そりゃ省エネって言葉はまだなかったけど
概念自体はあったよ 103系試作冷房車も最初の頃はギンギンに冷やしてて冷蔵庫みたいになってたとかいう話
流石に電気代の無駄や寒いというクレームから温度センサーを付けて26度でストップするようにしたが
家庭用エアコンと違い温度調整が出来ず弱冷房車は温度センサーを改造してたような 101系はブレーキハンドル角度67度以上だと電動車に空制補助が入る仕様だったな
締切電磁弁制御が不完全だった
103系は常用最大でも電動車は電制しか使わないが
JR北海道の車両は雪噛み防止のためにあえて空制補助を入れてるとか それを常に頭に入れて運転されてたんですか
素晴らしいですね >>207
頭に入れるというか、何千回も操作するうちに体が覚えてしまう
そんな事より、同じ形式の車両でもかなり差があり、そちらの方が重要
詰所でもよく話題になる
by関東大手私鉄、現役運転士 秩父鉄道1000系はコンプレッサがC-2000に交換されてたな
空気供給スピード上げるためか?
115系初期車みたくC-1000×2台でも良かったのに >>209
1台で済めばそれに越したことはない
余剰品もゴロゴロあったし C-1000は本来2両に1台搭載するべきだが101系だと3両編成では編成中1台しかなかったために空気供給に凄く時間が掛かってたのでは? 南武支線のやつはブレーキ弁を103系と同じのに交換してたような
ATS-Pに対応できなかったためとか また「…なら…よかったのに」様か。
>>17>>142>>193と同じ人物か?
なぜそうならなかったか、もう一段踏み込めばよかったのにww
後付けでC1000で2基化したら、場所はとるし配管・配線の引き直しが要るじゃん。 >>209>>211
単なる部品供給上の問題かも知れない。
>>210の言うように、C2000ならJRの廃車車両から山ほど出てきてただろうし。
「交換部品がない」はビンテージマシンを維持していく上で最大の難関だ。
SLなら客寄せパンダとして申し分ないからコストかけてもペイできるけど、
「たかだか半世紀前の」電車ではちょっと訴求力がな。
日本はまだまだ産業遺産に対する認知度・理解度が低いのも確かだが、
維持する側はあくまで営利企業である事も忘れちゃいけない。 勾配線区だと稼働率が高まり、イコール故障の確率も高まるから、容量でかくして稼働率を下げたのかも知れんな。
逆に、東武6050みたいに小容量を2機掛けしていざという時のバックアップにする考え方もある。 昔の南武線6連の101系試作冷房車はクモハ100にある210kVAのMGだけで
AU75を6台動かしてたな
消費電力35kVA×6できっかり210kVAで常に全力運転のマージンゼロ
走行用補機電源はクモハ101とモハ101のそれぞれ5kVAから供給だったから影響なかったが
よく冷房用MGは故障しただろうなとは思う
ところでこの編成のMGなしモハ100の重量誰かご存じない?
冷房付きモハ100は42.3dってピクトリアルには書いてあるけど
これは量産冷房の160kVAMG装備車の話で
試作210kVAMG装備車とMGなしで冷房だけ乗せたのの重量は不明
出来ればこの二つとも教えてくださったらありがたい MT46の出力20%増のMT54プロトタイプの実験も101系でやったな
しかし熱容量の問題が解決しなかったため新規にMT55が開発されたとか
101系でMT54化された車両は存在しない
471系やクモヤ145ではMT54化された車両があるが そう 交通科学館にあったのはレプリカだし
旧型国電といい 通勤車保存の扱いはいつたってもひどいな >>226
オレンジのがトラックに乗せられて道路を走っている画像を観ましたが、どこに運ばれたのでしょうか? >>224
交通科学博物館のモックアップはドアエンジンが不調で変なドアの閉まり方してたよな
どっかで引っ掛かりながら閉まる感じだった
実車だとすぐ工場送りになるはず 103より少しだけ天井が高くて好きだった。
モーターも103より静か、出力ギヤ比車輪径の違いを知ったのはずっと後。 もし101系登場時にローレル賞の制度があったら受賞してそう。
流石にブルーリボン賞は無理かも知れないが。 >>231
登場年がブルーリボン賞の最初の年ですね >>232
その年、つまり初代ブルーリボン賞は小田急SEだったから地味な通勤車ではどのみちブルーリボン賞受賞は無理かw
てかローレル賞は通勤車がブルーリボン賞を受賞しにくいために新設されたカテゴリーだったような。
新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
とはいえ101系の場合国鉄としては初の新性能とはいってもパンタが旧形のままだったがw
パンタスレにもあったけど101系の試作編成や量産初期まではPS13だったのは本来は試作編成製造の段階でPS16にしたかったのだが開発が遅れてやむ無くPS13を使う破目になったのとPS13の在庫処分の為に量産初期でも採用した、という説が出てた。 >>232
>>233
実態は小田急に賞を与えるための口実だがな>初代ブルーリボン賞
第二回以降、システム自体は何度か変わってるものの、基本会員(という名のヲタ共)
の投票数がベースとなってるけど、あれだけは一部幹部会員による鳩首協議で決まっ
てるからな(疑おうとすればなんぼでも疑えるしな)。
最もあの年に投票したとしても他にふさわしいのがあるかといえば否だが。
>>233
>新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
最も既に他の大手私鉄で採用されてるものがほとんどだろうしな。 >>234
ブルーリボン嘗を与えるために、毎年持ち回りで組織票の貸し借りやってたもんな。
それが破綻したのがスペーシア事件だったが、この一件で東を怒らせて対立した事もあったな。 >>228
リサイクル工場
鉄博にほんとは101系bフ量産車として涛�錘x線のを持bチていく予定だbチたけど
血エ型とはあまりbノもかけ離れてb驍ゥら 試作車を持って行ったらしいね
乳鉄101系の置き換えがもう数年早く始っていれば量産車が鉄博に行ったかもしれないのに >>236
鉄道博物館に収蔵する際に登場時に近い姿に復元出来なかったんかな?
ガラスの金属押さえとか雨樋の処理方法は103系の特別保全工事とか西日本の体質改善工事の応用で再現出来そうな気がするが。 2月まで弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>238
あれは完全なレプリカだよ ところどころ本物の部品使ってるらしいけど
レプリカであそこまでできるなら 80系の湘南顔と153の低運車も造ってほしいと個人的には
思うね >>238
弁天橋に博物館あったっけ?
確かに101系は昔はあったけど なんだそういうことか
新規にそんなレプリカがあるかと思った あの151系もレプリカだというから驚きだ
梅小路に個人的には485系の非ボンネット車保存してほしいな 485系と言えば
思い浮かべるのはストレートのほうで ボンネットは特別車って感じがするんだよな >>243
ストレートって言い方初めて見たけど普通にそういう言い方すんの? >あれも初期車?
外見で尾灯が後期車、車内のロールカーテン覆いが戸袋窓で途切れるので前期車。 101系初期車は何か機械式速度計付けてたのあったな
蒸気機関車みたいである
しかし最近のSLはATS-P対応のために電気式に交換してるの多い >>247
それ関東の初期車に多くなかった?
関西は早い内に電気式に交換されてたような。
片町線に居たMc26,33も1978年頃には電気式速度計だったと思う。 >>247 >>248
総武線中央緩行線新製投入の8連20編成分40両から電気式になった。
s36年1961年後半頃、津田沼電車区とたしか中野電車区で、三鷹区じゃなかった。
それまでの中央線山手線仕様車は時限爆弾型で、総武線に後から転属してきてチクタクチクタク賑やかになった。 101系は頻繁にMM'ユニット変更やってたよな
試作車と量産車で滅茶苦茶なユニット組んでたのあった >>250
関西では特に中期クモハ+初期モハという組み合わせがよくあった。
一例はMc112+M'13。
恐らく中期クモハはMc+M'cで新製して転属してきたM+M'を交えてユニット組換えしたと思う。
もっとも関東にはMc1+M'197という初期クモハ+後期モハという凄まじいユニットもあったな。 >>251
クモハ100-1もモハ101-254だか256と組んでたな。 181系もユニット相方変更頻繁にやってたな
特にモハ180-115は対になるモハがいないという不思議な形態でモハシがモハに改造中に代わりに連結するという変わった使い方をしていた 秩父鉄道1000系はモーター出力85KWで使ってたみたいだが限流値はどうだったんだろうか?
85KWはMT46の連続定格であるが ドアエンジンの調整の仕方が東西で違ってたってマジ?
西日本は勢いよく閉まってバウンドしたとか 101系試作車は量産化改造で張り上げ屋根から普通の雨樋になってしまったがメンテナンスコスト削減(雨樋が壊れても取り外して交換できる)のためか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際はJR西の103系体質改善40N車みたいに雨樋が内蔵になっている 101系が充当された優等列車(要料金券)ってありましたっけ? >>259
だいたいその手の車両は、内蔵式の雨どいが詰まりがちになってメンテに困るようになるパターン
特に国鉄では 101系のするがシャトル転用があったら良かったのに
2両編成だとオールMになるので加速力に優れるので東海道線の高速ダイヤについて行けるはず 横須賀線の末端の101系の運用も計画されていたような 総武線の101系で3+4+3があったみたいだが真ん中の編成に添乗員付けなくて大丈夫だったのか?
419系の3編成連結の9連が短期間に終わったのは真ん中の編成に添乗員を付けなければいけなかったのと編成全体が貫通しておらず北陸トンネル入線禁止だったため >>266
国鉄時代なら長大トンネル区間以外は問題無しでしょ。常磐快速103系でも5+5+5の15連や7+3+5の15連短期間だけどもやってた。平成時代に入ってからでも西武鉄道では701系4連+701系4連+401系2連の10両編成やってた。 >>267
西武は101系でも4+4+2をやっていたし、今でも2000系でやっている。(4+2+4なんてのもある)
更に昔は6+2+2なんて8M2T編成もあったよ。 101系は主抵抗器ブロワと照明用MGが繋がってて長時間停車時にブロワを切れない(切ると車内が停電してしまう)んだな
冗長性に欠けるので流石に後年の形式では別になったので長時間停車中にブロワを切れるようになった ブロワ音ごときでうるさいとか言ってくるようなうるさい時代じゃなかった時代から言えば、
電気が生きてるうちは常に回ってるMGにブロワを兼ねさせるのは非常に合理的とも言えたのにな。 でもあれか、確かに長時間の停車や留置で抵抗器が十分に冷えてれば回しっぱなしにしとくのは省エネ的観点からは無駄とも言えるか。
103系なんかは晩年の青梅線では立川発車時にブロワが回り出す音が聞こえたけど、昔は回りっぱなしだった気がする。 ラッシュ時に乗客の圧力でドアのガラスが割れる事故が頻発したらしいな
代用として鉄板を入れて応急処置したらしい >>272
割れると言うかガラスが圧力で脱落しちゃうんだよ。Hゴムの弱点。 75年ころ、国鉄ストで超満員となった京成の赤電片ドア車のガラスが無くなっている写真を見たことがあるが、それも脱落したからか・・
ガラス脱落を防ぐには、新京成800系のように片ドアでも小窓化するか、両開きにした方がよいのかも
そういえば、101系、1500台以外の103系、301系で、営団5000系のようにドア窓を小型化したものってないな。 >>274
営団や東急で小窓化したのは子供がドアから景色を眺めて戸袋に手を引き込まれる事故を防ぐためというのもあった >>272
補足
総武緩行線の場合、津田沼・中野両電車区は勿論、派出所(千葉・お茶の水)にドア窓の大きさに誂えた鉄板が常備されていた。 >>275
と言うか営団って小窓、大窓繰り返すよな
東京地下鉄道や東京高速鉄道の作った車両はドア窓の大きさ側窓と一緒だったのに
営団最初の新造車1300だと極端に高さのないドア窓になる
1400で元に戻り、1500でまた1300みたいになり、1600は1400みたいになり1700で両開き小窓になる
そして2000は両開きの長い窓、1500Nでまた小さくなり、01ででかくなる 201系もドア窓小さくなったな
205系の途中で元に戻った 昔山手線でINFOBARという四角い携帯電話でラッシュ時にドアガラス割っちゃったのあったな
故意に割った訳ではないのと乗客が正直に自己申告したので弁償を求めなかった http://irorio.jp/canal/20141119/179539/
近年でも東京メトロ東西線でドアガラス割れたな
最近の車両はドアを平滑化し戸袋に物が引き込まれないようにする観点から窓が分厚い複層ガラス(新幹線の窓ガラスと同じ)になってるのが多く内側は割れて破片が飛び散るのを防ぐべく合わせガラスになっている ドア窓ガラスはTEMPERLITE、ユニットサッシはSEMITEMPERとか言うブランド名のガラスだった。用途別に考えて取り付けてたのでしょう。
それよりラッシュ時にドア自体がよく外れずに頑張ってるなと思う。戦前ドア壊れてお茶の水の神田川に3人落ちて亡くなったり、戦後どさくさ時はドア自体無くて落ちまくってたり。 流石にドアが落ちたという話は聞いたことがないな。キハ30系のような外吊式のドアではないし。 >>278
205は山手用小窓、次の埼京用から大窓だね >>282
戦後の混乱期、ドアが外れて乗客が外堀に転落死ってのがあったよ 101系のドアが木製の粗悪品でなくてよかったと思う・・ >>285
車体の点では72全金の時点で完成形まで行ってんのよね 鋼板ドアは下部が腐蝕して膨れて開閉に支障をきたしたケースが多発してステンレスドアに交換された。
自分の知る限り、開かないより閉まらない方が多かったように思う。 >>287
昔はドア下の靴ずりも鋼鉄だったな
京阪で2200系で未だに鋼製の靴ずり使っててビビった覚えがある
あれもレールが錆びると動かなくなるとかで軒並みステンレス化されたな
それに中心部にドアのバタつき防止ストッパーがあるのとないのがあってないやつはすれ違いやトンネル進入時にドアが振動してバタバタうるさい 101系って、緑のドアと銀のドア、両方ありませんでしたか? 座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
これも後年ステンレスになった
リニア・鉄道館のクハ111-1は製造当初の原型をほぼ保ってて鋼製ドアと鋼製蹴込み板である 正確に言うならば
ドアは設計変更で新造時からステンレス製と鋼製から交換した場合の2種がある。
蹴込み板は101系の場合は全て鋼製で新造されたように思う。 >>290
>座席下の蹴込み板も昔は鋼製で黄緑色だった
黄緑色にあらず、灰色なり 鋼製車でドアがステンレスというと、701系等の西武の車両を連想してしまう。
あっちは、外側も無塗装だが。 靴ずりも必要な箇所だけ交換したから、ステンレスと綱製のが混在してる車両もあった。しかも両者で寸法も違ってたし 内装のステンレス(無塗装)化はなぜかさみだれ式で、あっちこっちぽつぽつと
進行していったおかげで、101系や103系に乗ると番号とどこが変わってるかの
関係で変遷が知れて面白かった。シート形状も3パターンくらいあるんだっけか。
最終的には(103系の話になるが)ドア本体や天井・蹴込み部はもちろん客室ドア
の鴨居カバー・ブラインド巻き取り部カバーまで無塗装化されて、室内で塗装
された部分はほとんどなくなったような。 >>271
その記憶で合ってるよ。
元々103系の主抵抗器ブロワーはパンタが上がると回りっぱなしだったんだけど、後年になって逆転器を中立位置にして3分経つと止まるように改められた。 MGと一体になった主抵抗器ブロワは冷房化後もそのままだった?
103系は非冷房時代の照明用小型MGを撤去出来たが クモハ101とクモハ100がどっちも新製形式で存在したのでユニット変更のみで2両編成を組めたんだな
南武支線が最後まで2連だったが
103系や113系でも2連があったが先頭車化改造を伴った
富山港線や福塩線やJR四国などの直流閑散路線に使い古しの101系が2両編成で投入されてもおかしくなかったのでは? >>299 2Mユニットだと、直流ローカル線の変電所容量が対応できないのでは?
だから、1M方式の105系が各地で使用された。 イニシャルコストは101系の方が上
ランニングコストは105系の方が上
南武支線も105系に置き換えるとかデマが流れてたな
結局205系に置き換わったが 101を地方線区に投入しても、じきに105に変わったのでは?
車体が老朽化しているから。南武線のアコモ更新車は例外 南武支線で2003年まで活躍したって想定外だな
103系に置き換えると先頭車化改造を伴って面倒だったから(クモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニットを組めば改造なしで2両編成を組めてそれを利用した入換車があったが種車が足りず南武支線転用が出来なかった)みたいである 片町線に残った2編成は民営化後最後に全検を受けたがMc203-M'257、M264-M'c193は靴摺り原型+ステンレスドア化(これは多数に例あり)でMc205+M'259、M261-M'c190は靴摺りはステンレスレール化したがドアは原型の鉄製塗りドアというちぐはぐな組み合わせになってた。
ステンレス製靴摺り+鉄製塗りドアというちぐはぐなな組み合わせって他にもあったかな?
103系では見掛けなかった。 長期計画で205の先が見えてたから
103淘汰共々あれ転用すりゃいいじゃんってことで
余計な投資せず延命させてたんだろ >>302
いや、南武支線のはワンマン化と冷房化はやったけど、更新なんてやってないんだ…。
恐るべし! 101系は特別保全工事や車両更新工事やった車両がないはず
南武支線のも未更新だった
JR西のサハ103-750番台で戸袋窓潰したのはあったが内装は手つかずだった >>307 南武線の101系の場合、ロングシートのモケットを茶色のものに張替えたり、網棚の網を金属製にしたり、車内の塗装を暖色系に塗り替えることはやっているんでは
「車両更新」というほど大掛かりなものではないけど。簡易なイメチェンという程度だな。 試作冷房改造車は何故AU75を偏心取り付けしたんだ?
グロベンが5個しかなく目立った
その後の改造ではど真ん中(厳密には20mmオフセットしているらしい)に取り付けて6個になったのに 末期の南武支線は方向幕が2種類あったな
2行表示で「尻手⇔浜川崎」と1行表示で「尻手・浜川崎」があった 101系使用線区は方向幕が区間表示タイプ(〇〇←→XX的な表示)が多かった気がする。
電動方向幕でないから表示変更が面倒だからかな?
103系のように冷房化の際に電動化する発想はなかったんかな? 側面になかったから
目の前のそこにしかないんだから手で回せってなもんだろう
終点前に走行中ウテシが立ち上がって回してるの見たことあるわ
あぶねーっての >>311
関西は淀川・奈良両区共そう(区間表示タイプ)だったな>101系
淀川末期(片町線全線電化〜森ノ宮移籍まで)の数ヶ月は103系のそれを流用した
行き先駅名表示に変わったが 103系でサハ103-750番台が入ってるとドアが閉まるのが遅く異様に目立ったな
乗務員室にテプラで注意書きがあった チラッと101系が映っていますね
ttps://m.youtube.com/watch?v=ugmXS2NrgHY&itct=CDkQpDAYACITCNzPt-uEscUCFRUZWAodP3gAGFIS44GC44KL5qmf6Zai5Yqp5aOr&hl=ja&gl=JP&client=mv-google BSフジ このあと深夜1:00からの「鉄道伝説」で
101系特集やるぞ 秩父鉄道1000系はマスコンハンドルを交換していたんだな
南武支線はブレーキ弁が103系と同じのに交換されてた
最後まで残ってたのはどっちも運転台が原形を留めてなかった事になる >>320
秩父は3000系もマスコンを800系の発生品に交換して抑速を殺していた。
しょっちゅう乗り入れていた、扱い慣れた車だったのに。 蒸機の時代に開通した路線だから意外と急勾配は少ないんだよな秩父鉄道は なんだ今TOKYO MXでやってるのか
中川礼二出てるやつ 試作車が雨樋内蔵(JR西日本の103系体質改善40N車みたいな感じ)だったのに外付けに変更になったのはゴミが詰まって雨樋の中に水溜りが出来てしまい錆びやすかったからか?
外付け雨樋はFRPなので壊れたらすぐ交換できるみたいだが
新幹線は雨樋が騒音源になる懸念から300系から雨樋なし(モハ63みたいにドア上に水切りがあるだけ)になった >>322
敢えて急勾配に振ったのは、最初から電化開業になった三峰口延伸時だからな >>315
特高圧配線の劣化が置き換えの直線的原因だけど、県からの補助金絡みのしがらみで静態保存すらも出来なかった。
鉄道博物館開業の時にJRに懐かしの国電が無いから秩父で走らせろと注文しておきながら、わがままな話だ。 >>327
> 特高圧配線の劣化が
「特別高圧」とは 7000V以上、(略称「特高」)
「高圧」とは直流で750Vを超え7000V未満、交流で600Vを超え7000V未満、
「低圧」とは直流で750V以下、交流で600V以下
旧通産省令の電気設備技術基準(旧電気工作物規定)に定められていて、呼称区分で義務的扱い方が異なるので注意を要する。
3条の一二三等。
路面電車600V〜750Vは低圧、
直流電化鉄道1,200V〜3,000Vは高圧、
交流電化15kV〜25kVは特別高圧、
ということになる。
大昔の電気工作物規定だと低圧が350VAC以下とかあって、
新技術開発による例外規定が非常に多かったし、大出力の拡声器やアマチュア無線送信機、テレビのB電源では
無許可で高圧領域に踏み込んでいたりで、実態に合わせて整理した模様。
規定の性格は行政指導だが、実効的には法定の内容なので、誤用により意味合いが大きく違ってしまうことも有り丁寧に使いたい。 101系は下段窓が一番上まで上がって窓全開可能なんだな
まるでトロッコ列車みたいだな
流石に危険だと判断したのか103系は冷房化で途中までしか開けられないよう改造されたのが多かった >>329
開かなくしたのは改造冷房車で、行先表示幕のある車端部の上段だけだぞ。
“多かった”なんてはずはないが、どこの地区を言ってるの? やっぱこの感じが良いね
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/a587b42341fc72ea17c7f1a2c7a7f63d.jpg 南武支線のやつは車両更新工事はおろか特別保全工事すらやってなかったんだな
101系で特保車・更新車は103系に改造されたのを含めても存在しない
施工していれば吊革が枕木方向三角になってたはず(線路方向三角は実在した) >>307 >>335
サハ103-762〜765・777・780の6両はJR西日本への継承後に延命N工事を施工
されている。(特別保全工事+車内の内装の寒色系→暖色系への変更) 鉄道ファン2013年8月号の101系の車内イラストは間違っている
ドアエンジン点検蓋が書かれていない
第1・第4ドアは枕梁と被らないようドアエンジンが中心からオフセットして設置されていたがアンバランスで左右バラバラに開閉していた? そういやJR西のサハ103-750番台にはJR化後TR64からTR212に交換したのもあったな。 >>338
T777・T778・T780の3両が、92年の学研都市線への207系投入に伴い保留車と
なり、翌93年の207系増備に伴う復帰時に合せて台車がTR64→TR212に交換
された。 ふむふむ…ここも興味深いレスが多い
みんなよく知ってるわ E233で40キロ辺りの加速音は、なんとなく101系を偲ばせるものがある。 昨夜の千葉発緩行上り終電が500番台のE231だった!山手線流れ。
下りの終電1本前千葉行きでうたた寝して乗り過ごして、そのまま折り返してきたんだけど、
下車の目印のサハ6扉車がなく6号車まで行って5号車に戻ったらモハではないか!?
なんだこりゃ?!と酔眼暫く考えて、何気なく形式表示を見たら500番台!あっ、山手からの流れ者か!
着駅まで立ちっぱなしにして無事ご帰還。昨夜というか、今日の未明。 秩父鉄道のやつはCPがC-2000に交換されてたな
勾配線区なのでブレーキの空気使用量が多いためか?
C-1000×2じゃダメか? https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイトパクリスホテル(40代マジコン弥勒ソフト質問ある? もしも101系の急行列車や指定席列車があったらどうなっていたか
旅客輸送特約上は急行列車は専用車両を使うと明記されておらず極端に拡大解釈すると101系の急行があってもおかしくない事になる あれ、101系の急行って、東京から高尾まで走ってなかったっけ? >>346
秩父鉄道では立派に
有料急行になったぞ >>349 冷房付きというだけで急行料金取ったのか。インドネシア並みじゃん。 >>346
かっての房総夏季臨時急行列車に投入されたんでは?
かっては海水浴客に溢れて、電化前なんか153系をDD13に牽かせた列車もあったくらい無茶苦茶だった。 >>348
それは急行電車
電車の急行列車が出来て快速電車に改称 >>346
キハ35で急行があったよな。
もし101系で急行を設定するなら同じような扱いかと。 電車の場合は113系や115系を急行に入れて、本来113.115系を使う定期列車を101系や103系が代走で穴埋めという感じだったと思う。
特急型以外ほとんどの形式が混結出来る気動車とは事情が違うだろう。 >>354
あれ房総急行が多客で大変な事になって急遽キハ35を併結した所マスコミに叩かれたとか
オールキハ17とか何でもありだった >>344
C-1000の部品の入手が困難になったので、部品の入手が容易なC-2000に交換した可能性も考えられるよ。 あずさアルプス普通特別快速快速緩行、中央線の種別が多い時代ナツカシス
中心だった101系は扉内側も薄青緑だった
たまに車内でタバコ吸ってるアホも乗ってた 個人(法人だったかな)が譲渡を打診したが、秩父は売れない事情があったみたい。
>>327にある税金の関係かも? 101系は編成によってモハの位置がバラバラだったな
4M3Tの7両編成だとMcM'TTTMM'cとMcM'TTMM'TcとTcMM'TTMM'cとTcMM'TMM'Tcの4通り存在してた
極めつけは総武緩行線に3+4+3とかあった
10両貫通編成は交番検査ピットの長さが足りないので組成した事が無かったはず >>362
総武緩行線でもTcMM'TMM'TMM'T'cてのは無理だったんかな? 側面方向幕が取り付けられなかったのはジャンパ栓の信号線が足りずKE76をもう1本取り付ける羽目になるためか?
113系とかKE76×3とか異様に重装備だが 交通科学博物館の101系モックアップはドアエンジンが不調で何か引っかかるように開閉してたな
京都鉄道博物館に移設でスムーズに動くようになるのかどうか
秩父鉄道1000系のパーツ持ってきてスペアとして使えば何とかなるはず
交通博物館のやつは90年代までは通り抜けが出来たが挟まれ事故が多かったのかいつの間にかアクリルカバーが取り付けられて鉄道博物館では非公開となった >>365
今日見た限り幾分スムーズになってた
しかし床下設置のドアエンジンは他にキハ30に採用されただけで広まらなかったな
103系は座席下に置いて片側のみアームがあってベルトで連動する方式で113系は101系と同等のリンク式ながらドア上にドアエンジンボックスがあって威圧感があるためにJR西ではリニューアルで直動式に交換されたの多い 101系試作車で後年雨樋を外付けに改造した理由が謎
量産車のはFRPで出来てて壊れたらすぐ交換できるとか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際は103系体質改善40N車みたいに埋め込んである
雨樋の下は汚れやすいので雨樋を埋め込んだ方が洗車機で洗浄しやすい >>367
西武鉄道
「701系が801系になる時に実施済み。
101系は最初から埋め込みさ」 >>347
昔、715系の臨時急行が運転された時、ロングシート部分も指定席になってたらしいぞ。 >>367
103系体質改善40Nの雨樋の処理方法は101系試作編成のアイデアを拝借したってことかな? 毎年、夏になると昭和57年の王寺水害を思い出す。
本当にあれは悪夢だった。
「高台に車両を避難させようとしたが間に合わなかった」らしいが、それほど短時間で浸水したのかな? >>371
新幹線鳥飼では本線上に避難させて列車30本と保線機械は全部無事だった(s42.7.9)から、
中心的運営者の日頃の想定と機転と、行動陣容の問題。
s57発生じゃ「良い前例があったのに幹部は何をしてたんだ!」って話だろ。
ほとんど待避してないんでやられたんでしょう。
全列車避難には結構時間が掛かるぞ。「想定外」だったわけだ(w 水没して使えなくなった転轍機等のスペアと応援作業者を
東京から新幹線臨時列車に乗せて鳥飼に送り込んで、
走行距離超過による運休も防いだって齋藤雅男氏が繰り返し書いている。
縦割り耐性の弱点、想定不十分の弱点の表れが王子水害での全滅惨事じゃないかねぇ。
鳥飼じゃ待避の事前訓練はやっていたって書いてるよ。保線機械はその場で待避に含めたが。 >>371
あの水害による廃車の代替車両を首都圏から急遽転属させたというのも国鉄時代だから可能だったろうね。
もし今103系や201系が同じように使用不能になったら新車で置き換えるしかなく所要車両の数はなかなか元に戻らなかったかも。 >>374
相互融通くらいはやるだろ。
3度の大震災復旧で全国から支援動員して脅威の速度で復旧してたから、
あとは金のやり取りと、保安関係の微調整。DN/DK/DXはアホなことをしたもんだ! 節電のためかパンタを降ろしてT車代用として使ってたのあったな
JR西日本のやつがそうだったがサハが足りなかった? >>362
10両貫通編成はツヌに居た。
McM'TTMM'TTMM'c 3.11の時は直流モーターのブラシが不足したんだよね
供給元を絞るとそんなことも起こる >>379
寿命など品質保証にこだわったから原発被爆地になって
製造停止分に替えての他国製を使えなかった。
基幹部品は複数調達にしてリスク分散を図るものだが・・・・・・・・マサカの事態だったんだろねぇ。
後日、ブロックに固めたのは運び出して、他社でブラシに加工したはず。
今は他社製品の試験を終えて正式採用されてない? 車端部のドアはドアエンジンがオフセットして取り付けてあるが左右ずれて開閉するという事は起きてないな
リンク式ドアエンジンは結局構造が複雑で保守が面倒だったのか103系からベルト式に変わった
113系は101系と同様のリンク式だがドアエンジンが鴨居部にあってドア上のボックスが妙に圧迫感を与えるために延命工事車では直動式に交換されたの多い 101系全盛期時代の頃は、現在の車両のように天井には化粧版が用い られ
て居らず、トタン・ブリキ板であったので、車両検査入場時に天井を真っ白に
塗りなおして出てくると、新しいペンキ特有のいいにおいを後日しばらくの間
楽しむことができた。(刺激臭が苦手な人には気の毒だが・・・)そんな
車が来るのがとても楽しみだった。 >>382
南武線の101系で、車号を書きなおすのが面倒だったのか、車内の車号が書かれている部分を
塗り残してある車両があった。クモハ101ー77 だったと思った。
路線バスでも車内を塗りなおしている車両に出くわすことがあったな。 登場時の101系や103系は車両番号がプレートではなく直に書いてたな
津山のキハ58が最後までそうだったどころか天井も塗り天井だった
化粧板に変わったのは特別保全工事施行後から?
101系で更新工事されたのはなく南武支線のやつは吊革が枕木方向三角に取り換えられてたが未更新だった >>384
101・103系で車両番号の直書きを止めたのは1965年辺りの製造分辺りだったような。
101系で1967年辺り以降の最末期ロットのクハ・サハとそれと同時期に製造された103系はアルミ箔に印刷されたステッカーを貼り付ける方式になった。
直書き→プレート式になった1965年製以前の車両もその後の補修でステッカー式になった車両は多いが(特に101系では後期形に分類される1962年製以降)。 103系の量産が始まっても、暫くの間は101系も製造されてたんだな。
そういえば201系の量産が始まっても103系がしぶとく製造されてたっけ。 >>385
車内の車号標記塗色もブドウ色で登場した初期車はずっとブドウ色のまま、後の青色標記で出た車は
またそのまま。気動車の車内車号標記塗色もブドウ色から赤色、青色への遷移があって色々楽しめたよ。。 >>385
直書きは鉄道博物館のクモハ101‐902とリニア・鉄道館のクハ111‐1で見られる
蹴込み板もステンレスに交換されておらず鋼製で黄緑色である
但しクモハ101‐902はステンレスドアに塗ってある 秩父鉄道のやつは半自動に出来たんだな
仙石線の103系や105系500番台や113系は全自動⇔半自動切り替え不可能でドアが重かった そういや来年は101系登場60周年で還暦なんだな
秩父鉄道のやつは還暦まで行かなかった 国分寺の中央鉄道学園にも101系あったよね?
どこかのHPで東京競馬正門前とか北府中って方向幕出してるのを見たけど。 >>390
もう残ってるのは鉄博の試作車1両だけ? >>392
東日本震災で流された中間車とその片割れが野田市にあったが今もあるのか? >>386
151系→181系改造で発生したMT46Bを搭載した車両もあったとか 山手の8連を総武緩行に移した際に10連化のためのサハが生産されてる。パンタ台やモーター点検蓋のないタイプだ。 最初の頃再開閉スイッチが付いてなかったとか
1か所でも戸ばさみがあると全ドア閉め直さなければならず不便だったため後付けされた >>395
?総武の10連化はTc+Tc'を足して7連+3連にしていた。サハ足しじゃなかったよ。無論パンタ台無し。 101系と103系初期型を混同する人が稀にいる
前面窓が若干縦長の印象を受けるのが101系で横幅が拡大されたのが103系
方向幕も101系は小さいが101系用の幕を103系に取り付けて横が余ってしまったなんて事もあった >>399
総武線に初めて新製車が配置されたのが、101形8連6M2Tの20本。それまでは他線のお古ばかりだった。
その10連化に際してTc+Tc’を20組新製して千葉寄りに挟んでMcMTc+TcMMTTMMcにした。
中央快速線10連の7連部にはTTTとサハの3連が挟まってMcMTTTMMcで、ここにパンタ台無しサハが大量投入されている。
それとの混同では?>395
さらに山手に103形投入で、そこの101形が移籍車となって総武に入った。
山手からの移籍車は速度計がまるで時限爆弾みたいな音を出すメカ式の旧型だった。(新製配置車の速度計は電気メーターだったが)
総武線に103形が入ったのは、それより、かなり後の話。
101の側板が歪んでべろべろになってもズ〜〜〜ッと総武で使ってたんで、103と間違えることは無い。 >>400
あの機械式速度計って音まで出んのか?
針の動きは独特だったけど >>401
機械式ってSLみたいだな
JR東のSLはATS-Pに対応できないとかで電気式に交換された 101系は尾灯反射板付けてなかったな
1965年まで尾灯反射板は規定されてたが電車列車は付けなくても大丈夫だったために153系も無かった
151系は例外で高速運転するため前照灯に赤色フィルターを嵌めていて非常時交互点滅可能だった >>402
昔はどこも速度計なんて付いて無くて運転士のカンだけでやってたから過速度事故が絶えなかった。
その近代化で導入されたのが時限爆弾型速度計で、機関車も電車も共通で取り付けられ、
チクタクチクタクチクタク・・・・・・・って盛大に鳴っていた。
その後、s34当たりから、ギヤに磁気式の速度発電機が付いて振幅制限でパルスカウント式にしたから、
10km/h以下の目盛りが非常に詰んだ速度計になった。
山手線101はメカ式だったが、同時期の車両はどの当たりから電気式になったのだろう?
総武新製Mc100−169〜188では電気式(:磁気検出飽和トランス・パルスカウント式)になっていた。
それは京成3000型などで採用されたものと同構造。
151の初期型ではメカ式ではないか?増備型が電気式になってるかどうか?
速度目盛りがリニアになったのは、回転位置センサー式(ロータリーエンコーダ型)になってから。
それがどの車種からだったか、時期だったか、分からん。 キハ20系や73系は扇形速度計だが電気式か機械式か不明 >>405
生産時期から云えば1957就航なので機械式速度計のはずで、
後日、何らかの改造を受けたときに電気式速度計に換装したものが有ったのでは?
扇形メーターというのは私鉄の電気式速度計によく見られた形で、
1958就航の京成旧3000〜、改軌投入3050、3100、3150・・・・・・の方式。
国鉄一斉導入のメカ式速度計表示部は円形で、扇形というのは見たことがないが・・・・・・・。 >>406
電気式は明らかだが、故障だね(w。特に後者は酷い。
磁気式ピックアップで、トランスを介して整流表示するから超低速10km/h以下の目盛りが詰まる。
メカ式でも速度指示が不規則に飛ぶ故障してる速度計は結構見られたもの。 関西の101系は早い時期に電気式速度計に交換されたのかな?
片町線に居たMc26やMc33といった初期グループに属する車両の速度計は電気式だった気がする。 電気式速度計の構造図 3100のもありました!おまけです。
京成電鉄3100型 1960年 速度計結線図
http://www.geocities.jp/jtqsw192/FIG/330kdk/kdk3100s.jpg
過飽和トランス・パルスカウント式速度計
今の鉄道用速度計は、構造が違い、ロータリーエンコーダ式のはずです。 現在の鉄道車両でも10km/hまで間隔狭いのあるな
自動車のアナログメーターでも同様
BVEで速度計作る時はどうしても等間隔速度計になってしまうがグラスコックピットにしない限り誤差は避けられないはず 南武線にJR化後も原型ライトの101系走ってなかった? 101系はあれこれ旧型国電のパーツ引きずってたな
初期車はパンタがPS13だったし貫通幌も旧国と同じの(幌枠上部にV字型のフックがある)使ってた >>415
試作車のパンタがPS13だったのは
PS16の開発が遅れたから。
元々は101系(モハ90系)の設計段階で同時進行で開発していたらしい。
量産初期でもPS13が使われてたのは多分PS13の在庫処分という意味合いがあったのかも。 >>415
2連のジャンパ線も旧型だな
そういやパンタについては秩父鉄道に譲渡された当時、なぜかPS13に換装されたけど
部品供給の関係なのかな 相鉄はパンタグラフの使い回しが常態化してて何故か9000系もPS13付けてた バイクプラモデカール用ではあるがメーターCGを写真から自作した
10Km/hまでの詰まりはそれか 今年101系還暦なんだな
秩父鉄道のやつは流石に還暦まで持たなかったか
鉄道車両で還暦行ったのは電車では希少だな MGが主抵抗器ブロワと繋がってたとか異端な設計だったな
113系とかだと長時間停車時にレバーサを切にすると2分後にブロワがオフになるが101系はブロワを切ると停電してしまう
冷房車はどうだったんだ? 歯車比が6.07だったらどうなっていたか
最高速度が90km/h程度しか出なくなるがT車が多くても加速度を維持できる 南武支線は化石のように残ってたんだな
仙石線の105系転用だと1編成不足だし103系だと先頭車化改造しないといけないため置き換えに踏み切れず21世紀まで生き残ったってスゲーなw
しかも外幌設置や妻窓埋めや吊革三角化は行われていたが特別保全工事や車両更新工事は未施工であった >>426
いや、その7年前まで鶴見線でクモハ12が生き残っていたことに
もっと驚いて欲しい…… Nゲージのkato521系のついでに見つけたtomixの富山港線73系を買って思いついたが
富山港線に73系の代わりに101系を入れるという発想は無かったのかね
1985年当時だと関東も関西も
状態のいい奴はもうしばらく継続使用
余った奴を回そうにもオンボロ
というパターンだったろうが
このあたり微妙に王寺の水害が絡んでいる気も >>428
ドアの半自動化・レールヒーター取り付け・スノープラウ取り付けが必要
2両編成で驚異的な加速になって所要時間短縮にはなるだろうが
103系や113系などの簡易半自動化改造はドアエンジンを空回りさせて手動で開けられるようにしてるがドアが連動したままで重くしかも半自動・全自動の切り替えが不可能
101系のTK6ドアエンジンで半自動化改造やった事例はないな >>427
クモハ42も車齢70年とか驚異的だったが晩年は部品が無くなってクモハ42006を部品取りにしてる有様だった
国鉄・JRの電車で最長寿記録保持してる >>428
あの時期に、短小ローカル線のためにわざわざ専用車を用意するという
発想は無かった。
本線筋の475系でそのままカバーできるなら、多少の使い辛さは甘受できる、
ということだろう。
73系が導入された頃は、北陸本線のローカルは客車列車ばかりだったから、
さすがに共通運用は無理。
475系の両数がもっと逼迫していたら、富山港線はキハ40やキハ58になっていた
可能性がある。 >>431 105系を回すと思ってた。103系1000代改造の方だろうけど。
仙石線に比べても小所帯だから、ここで新たに直流車投入するよりも交流車の使い回しの方が便利だったのだろうけど。 >>429
そういえば仙石線の101系1000番台はドアの半自動改造はされなくて
ラッシュの仙台〜東塩釜限定運用だった いつものように高尾行に乗ると、扇風機のない車両だった。
同心円状の丸い穴だけあいているだけ。
こんな電車もあるんだなーとそのときは思った。
その理由がすっとわからなかったのだが
ネットを始めて、初めて知った。 南武線にかなり遅くまで原型ライトの101系が走ってた
1990年頃まで? 初期車の機械式速度計ってこんなの?
京都鉄道博物館のモックアップを撮影したが
http://imepic.jp/20170409/806020 中央快速線の冷房車は8M2TにするかMT54に交換すれば非冷房車と同じスジに出来たのに
103系は限流値アップで対処できたが101系でやるとモーターが焼けてしまう >>436
その通りだよ。
で、針が動いては止まり動いては止まりを繰り返す動きをしていて、機械式速度計と言う言葉を
しらない頃はカチカチ式速度計と呼んでいたわ。 機械式速度計って蒸気機関車みたいだな
JR東はATS-P対応のために電気式に交換している
73系やキハ20は扇形だったが初期のモハ63は速度計が無かったとか >>438
の仰るとおりだ。仮にノッチオフ、60キロで走行していたとしよう。針は
62キロ 58キロ 62キロ 58キロ と振れながら表示していた。
0から加速するにも、0→5→8→10→13→16と振れながら上がって
いったなァ・・・ >>439
扇形のタイプは針がなめらかに動いていた記憶がある。
それとどこで知ったか思い出せないが、101系の試作車も当初は速度計がなく、
後で扇形の速度計を取り付けたらしい。 >>441
まことにその通り、おおかたの携帯型電流・電圧テスターのような形で、滑ら
かな動きだった。63改のクモハ73、クハ79 クモハ60やクハ55にも
多数ついていた。それも運転席真正面ではなく斜め前の壁面、直につけてあっ
た。クハ111の様に斜め向いていた。サハ57改のクハ55300はクハ1
03のような新型で付け方も103と同じ正面下だった。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 南武支線はAU75冷改車だったらどうなっていたか
非冷房のままワンマン化してて後年AU712を搭載した唯一の事例(103系に改造された元101系も含めると101系でAU712は他にサハ103-775しかない)
他にも唯一のワンマン化・唯一の転落防止幌取り付け・唯一の妻窓潰し・唯一のATS-P取り付け・唯一の車外スピーカー取り付け(妻面にラッパ型)と唯一尽くしだったな >>446
あと103系のように方向幕の電動化+側面に方向幕追加したら完璧だなw
でもマジメな話101系で前面幕を電動化するなら幕を103系と同じ寸法に拡大することが必要な気が。 >>447
KE76をもう1本増設しないと指令線が足りず難しいはず
101系は2本だが113系は3本あるのは方向幕指令のため?
113系でも非冷房車は2本で冷房車と混結すると1本余る上に方向幕指令が出来ない デビュー当初の試作車はドア窓と戸袋窓のRが小さくE233系みたいに真四角に見えるがいつの間にかRが大きいのに変わり外観が量産車や103系みたいになった
アルミ金具押さえからHゴムに変わったためだとか
前面窓や運行番号幕や方向幕は廃車までRが小さいままだった 四角い戸袋窓ってわざわざ板金して一般仕様に直したの? 小田急の2600・旧4000・5000は側面の窓割が101と同じだったんだな
運転台直後まで戸袋窓があるのも101と同じ
車内の配色まで101と同じで、要するに101を小田急仕様にアレンジしたようなもの >>450
傷んだ外板の張替えや割れたガラスの交換などで部材の準備などが大変なので、
折を見て量産車に合わせていったんだろうな。
屋根も量産車と同じ構造に改造していたな。 2016年11月に総武線から引退した千ラシの101系は秩父に行ったんだっけ?
2015年4月時点で70両いた101系も2年足らずでよく消したよな >>453
総武線から101系が引退したのは1988年だよ。直後に東中野で201系が103系に追突する事故が起きたり、
年が明けたら昭和天皇が崩御されたりと、いろいろあって正式なさよなら運転ができなかったんだよな。 よく101系はMT比同一には出来ないと言われるが、だったらたとえば熱海〜修善寺間の153系2M3Tは、いったいなんだったのですかね?
401・421系や下関の111系後期、四国の111系も、2M2Tが基本。
ギヤ比を考えても、101系の方が有利に思えます。加減速の点でも、中央快速朝ラッシュの過密ダイヤならMT比同一では問題ありだとしても、支線の旧型国電置き換え程度なら、対応出来そうですが…? >>456
そうだね。113系の起動加速が1.6-1.7だから、
2割までは落ちないMT46の111系でも1.3-1.4くらいは出て
旧国並の加速は出来るよね。北海道711系1M2Tは1.1だったと思う
秩父の2M1Tは85kwに落とされてるから実質1.7M1Tだったし >>456
MT46でMT比1:1はモーターが焼けるため瀬野八自力登坂禁止 ロングシートで超満員の101系とクロスシートで立ち客ありの153系が、それぞれのギヤ比でどれだけの負荷だったかだよな。 >>454
ラシ車のさよなら運転は企画されていたんだけど、日本生命が自社の100周年記念列車として借り切っちゃったんだよ。
両国から銚子まで走ったんじゃなかったかな。
習志野から中原に転属した101系の一部は秩父鉄道に譲渡されて長寿を全うした。
中原では3両編成は基本的に10連の附属3連(クモハ101ユニット)を使っていたので、秩父には基本7連(6連)側のクモハ100ユニットが譲渡された。 >>456
中央線で4M4Tの走行実験やったことがあるが空車時はともかく積車時にモーターが過熱し没になった
MT54プロトタイプを装着して実験した事もあるがやはり熱容量不足で没になった >>458
セノハチの話は出てないでしょ?
ちなみに、111系は53-10改正の少し前ぐらいまでは、4M2Tでセノハチ超えを含む運用もあったが、広島・下関の80系置き換えのために撤退して広島以西の運用のみになり、その後昭和58年には2M2T化された。 MT46って静かだけど、コイルの巻きがとかの理由だけじゃなく
ファンのパワー不足で冷却が弱いからってこともあるのかな?
MT55の爆音が通勤電車用の過負荷向きって言う話の対極な気がしてね >>464
MG付属のファンが抵抗を強制冷却している音が、MT46モーター音をマスクしてるんじゃないの?
吊り掛け式の旧型国電とは桁違いに静かになった最初のモーターだから印象深いのだけれど・・・・・・、 https://www.youtube.com/watch?v=YzDPBQ5E4No
よく見ると時速30キロ以下で空制補助入ってる
101系は締切電磁弁制御が不完全でブレーキハンドル角度67度以上で空制補助が入る仕様
103系では常用最大でも空制補助が入らない
JR北海道の車両は雪噛み防止のためM車も微弱な空制補助を入れてる >>466
全電動車構成の電制失効速度30km/h:101系と、
4M4T省電力化でTを繋ぐのが前提の遅れ込制御103系の違いじゃないかねぇ。
モハ90時代は私鉄車輌も発電制動の失効速度は30km/h前後が普通だった。 昭和32年当時の技術で発電制動は立派だなと思う、理屈は架線とモーター抵抗間切り替えるだけにしても 南武支線の101系は部品共通化を目的に主電動機がMT54に換装されてもおかしくなかったのでは?
JR西の471系やクモヤ145でMT54化が行われた
黎明期にMT54プロトタイプの試験をやったことはあるがMT比1:1だと満車時にRMS電流が許容値オーバーで没になったとか >>458
111系も4M2T→2M2Tになってからは呉線経由だったな。 >>461
その編成、秩父で初代オレンジバーミリオンにリバイバル。 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 900番台のMT46は0番台のMT46Aとは異なり高速寄りで381系用のMT58に似通った特性だった
加速力不足で改良された
900番台は高速域の伸びが結構よかったとか? 101系に限らず、国鉄の初期高性能車は20年程度で軒並み廃車され、車体老朽化やMT46電動機を理由にされていたけど、それならば秩父へ転じた組が数年前まで現役で走れていた理由が分からない。
結局は国鉄の整備技量や、車両メーカーの新車製造稼働率確保の為だったのではないのかな。関西の103系が更新を重ねて、いよいよ引退近しと云いながらも総武線のように配電盤から発煙したりしていないのを見るに、秩父もなかなか丁寧に手を入れていたのではないかと。 >>476
譲渡する際にオーバーホールして、改造もしたりしているわけだろ、全面修理や改造にかかるコストと、寿命延長による効果が引き合うか、更に路線の規格、安全設備が将来的に変化せず、旧式車両を走らせ続けることができるか、という問題。 追加、それに秩父鉄道譲渡改造の際、主電動機のデチューン、出力減少改造をしているから、モーターの負担が軽減されているんだろう。
ローカル私鉄への譲渡車が長持ちするのは、輸送密度が低く、負担がかからないからさ。おまけに路線の規格は昔のまま >>478
限流値下げてるだけのはず
85KWに下げたとか文献があるが連続定格である
仮にもしMT54に交換して高性能化していたら変電所の負担が半端じゃないことになってただろう >>476 それに、後期生産型の一部を除き、80年代当時、車体の年齢が高く冷房化改造に向かなかったからでは。金かけて101の冷房化するよりも、103を全て冷房化する方が費用対効果が高い。
私鉄でも、例えば京王の2000が101と同世代で冷房化されないまま、大量廃車されてるよね。 >>480
>車体の年齢が高く冷房化改造に向かなかった
101系の後期形って車体構造に何らかの変更点があったのだろうか?
AU75が搭載された冷房車で最古なのは1962年製のサハ103に改造されたサハ101-100だったからね。
>私鉄
京阪の2000系も101系と世代が近いけどこちらも2600系に改造される際に冷房改造も併施されたのだがその際に車体を大改修したという話があることからこの時代の軽量車体共通なんだろうね。>冷房改造困難 >>480
小田急も101世代の2400は80年代で全廃されたね
反対に103世代の2600・旧4000は2004年まで生き延びたが >>480
101系の場合、車齢の問題だけでなく、冷房を搭載することで車体の重量が10両編成で
約32t増加して、運転基準時分を確保できなくなるという問題があった。
(中央快速線では10両編成5本のみに冷房改造して停車駅の少ない特快運用にほぼ限定
で運用したが、総武・中央緩行線では10両編成5本のうち3両の附属編成のみ冷房改造した
ものの、103系の投入開始により半年少々〜数ヶ月で南武線に転出した。なお、15両のうち
の9両は1度も総武・中央緩行線では冷房を使用しなかった。)
>>481
101系の後期車も初期車とは車体構造の違いは無い。単に車両の寿命を考慮して、後期車
のうちの状態が比較的良好な車両に限定して冷房改造を実施した。 >>483
片町線の冷房車は1965年製車両だけで構成された2編成だけが1978年に冷房改造されたけど先頭Mc基準で1965年製は他に3本あったからこれらも冷房改造出来なかったのかな?
Mc202の編成にはT68が居たけど他の編成に元T200番台から改造された1963年製T車が居たから組み換えたら片町線の101系後期車のみで構成された5編成全て冷房改造出来ていたと思う。 片町線の101系7連をリニューアル(体質改善40N)するのを妄想したことがあった。
内容は103系の工程に追加して
・モーターをMT54に増強
・ドアエンジンを新品に交換
・前面方向幕を電動化、側面に電動方向幕新設
・編成をTcMM'TMM'T'cに変更
・中間3両の非冷房車は冷房化 >>485
昭和30年代前半はナハ10系に始まる軽量構造流行りだったしね。
あんなデカい機器を屋根に載せるには相当補強したはずだ。
内装をひっぺがして両サイドや天井裏、さらに台枠へのパッチワーク…すごい手間ひまだな。
総武緩行を103系に置き換える際、冷房化すると編成で32トン増加だと当時のRPかRJ誌に説明記事があったよ。 単純計算で1両あたり3.2トン増か
満員電車に乗るデブの人全員にダイエットをお願いしても達成無理だなw 中央快速線の冷房車は8M2TにするかモーターをMT54にすれば非冷房車と同じスジに出来たのに
103系は限流値アップで対応できたが101系でやるとモーターが焼き付く
MT54はプロトタイプの試験をやった事があるがMT比1:1だと満車時にRMS電流が定格ギリギリになるとかで没になった 白くまくんなら8基つけても400Kg80Aで済むのにな、暑かったら自宅のリモコン持ち込んで勝手に温度下げられる >>489
MT54でもそうだったのか?MT46ならなんとなくわかるのだが…
北隣の西武なんか、MT54相当でMT比1:1の701系や801系を冷房改造してがんがん使い倒して、
最終的に1997年まで運用していたが。
どこで差がついたんだろうか… >>491
その頃の西武の新宿線系・支線は加減速の条件が緩かったはず
高加減速の(西武)101系が出てきて池袋線から早くに撤退したし >>492
西武内部での事情ならそうだが、あくまでも国鉄101系との比較なら、悪くはなかった。
中央線との比較でいうと、当時の中央線101系10連(6M4T非冷房)が加速度2.0位(かぶりつき実測値。以下同様)で、
よりMT比の条件の悪い西武の701系8連(4M4T冷房車)が加速度2.3位だった。
西武101系のMT比1:1での加速度2.6よりは劣るものの、当時の基準ならそんなに悪い加速度ではなかった。
だから、制御系と変電設備さえマトモならMT54搭載の通勤者もあながち全くの夢物語、というわけでもなさそうなん
だよな。
ちなみに、歯数比が異なる近郊型だが参考までに、国鉄115系(MT54搭載)がMT比1:1で加速度1.7位出していた。 401・421系は交流機器搭載で重いとあって限流値が400A固定だった
MT46でMT比1:1とかこれでよくモーター耐えられたな
ただ1.5km/h/s程度しか出なかったはず
末期の101系はこれよりしょぼい応荷重不使用で360A固定とか異常w >>494
門司−鳥栖間 101.3kmに駅が44駅だから平均駅間距離2.356km=101.3/43。
山手線1周が34.5kmに29駅だから平均駅間距離は 1.190km=34.5/29で、5周くらいは廻るから170km余の連続運行。
駅間距離が2倍(=発生熱量が時間あたりで約半分)、連続運転距離が6割、乗客も半分だったから耐えられたんだろう。
同じ101系でも、非常にトロトロ走った総武線では、発電制動は生きてたし、山手線運用が特に過酷だったってことだろう。
総武線も書いとくと、お茶の水-千葉間20駅で38.7kmだから駅間距離2.037km=38.7/19、で、山手線の倍近い距離。 山手線はモーターが耐えられないとかで発電ブレーキオフにして運転してたとか異常w
何かオールMでも乗客多すぎて熱容量的に問題が起きたとか >>496
491のいう西武のMT54車も電気制動なしだったな 国鉄時代で900番試作電車って保存車両無いのでは?
101の900番台も保存されて無いよ
あれだけ革新的な車両だったのにね ・・と思ったら101の900番台って1両保存されてたんだな
これにはびっくり・・南武線で最後の時期に乗ってるだけぢ感慨ひとしお
是非、今度見に行こう 編成によってパンタグラフの位置がまちまちで検修が大変だっただろうな
京葉線の201系で10両固定でもサハの位置を6+4のクハに合わせたのはパンタグラフ点検台の位置の関係から
京浜東北線のE233系は209系に合わせて電動車の位置を決めてて真ん中のモハの部分に増設するだけで良かった 10両貫通編成ってあったっけ?
総武緩行線は6+4とか7+3とか3+4+3とか何でもアリだった
他にも南武線で3+3とか意味なし分割編成多かった 試作車は当初埋め込み雨樋(雨樋が無いと誤解する人がいるが実際は103系体質改善40N車みたいに埋め込まれてる)だったのを後で外付け雨樋追加した理由が謎だな
先頭部に縦管通してて不細工になってるのあった >>506
総武緩行線で10両貫通編成があったという話が。
101系の場合両方の向きそれぞれにクモハとクハがあるから103系の貫通編成みたいにTcMM'TMM'TMM'T'cだけという ことがなさそう。 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 6M4Tの10連の場合サハを1両200番台にしないとMG・CP容量が足りない
C-1000は3両が限界
秩父鉄道は103系と同じC-2000に交換されてたが急勾配が多いから容量を増強したとかではなく部品枯渇の為みたい
それも何故か主抵抗器のブロアファンとMGを共用してるとか変わった設計だったが冷房化後はどうなったんだ? >>511
>それも何故か主抵抗器のブロアファンとMGを共用してるとか変わった設計だったが冷房化後はどうなったんだ?
クモハ100とモハ100に冷房電源用の大容量のMGを設置して、室内灯や制御用の電源はブロアファンと共用の
MGをそのまま使い続けた。冷改工事の簡略化のためと思われるが、冷房を使わない時期は大容量のMGが単なる
重しに過ぎなくなる結果になってしまった。
アオガエルのニックネームがついていた旧東急5000系も同じ構造で、架線電圧が600Vの私鉄に譲渡される際は
取り付けてあったブロアファンとMGを撤去して、600V用のMGを別の場所に取り付けた上に新しく設計した
ブロアファンを取り付けたらしい。 ブロワファン一体型MGは冗長性に欠けるためか103系から別々になったな
別体だと長時間停車時にブロワを切る(運転台の前後進レバーを「切」にして2分後に切れる)ことが出来るが101系では不可能 103ではM車に制御系、M´に補機類ときっちり分けた格好だね。
パンタだけはユニットのいずれに搭載するのか、ずっと統一感が無かったが…。 >>514
交直流系のパンタは全てM'車搭載で統一されてるね。
直流系では183系が途中でM車からM'車にパンタ搭載が変わってる。 鉄博はDT24でモーターや制御器、ブレーキのエア音があるからぜひコンプレッサも動いてほしいな。
C1000独特の
「クイ〜ン ツァツァツァツァ ストトトトトトトトト……ト ト ト ト、ポンク ポンク ポンク プス〜〜」
という音が臨場感を醸し出す。 MT46は出力算定が特殊だったんだな
定格速度が全界磁ではなく80%弱め界磁だったりユニット当たりの出力が800KWではなく775KW(モーター1個当たり96KW)だったり >>517
> MT46は出力算定が特殊だったんだな
100%界磁が定格の標準ということはないよ。
起動時の一時的な値が100%という考え方で定格規定もある。
私鉄の全電動車型のモーターだと、100%界磁で75Kw出力だが、弱界磁では85kW出力が定格なんて、標準的な決め方だった。
またMT-54は375Vで120kWが標準的定格だが、同じ巻き線のママ端子電圧定格を500Vに上げて、
ほぼ電圧比例で150kW出力という別定格を定めたMT-54E(120kW/150kW)という例もある。711系/415系に使ったモータだ。
モータの設計側がどういう観点で定格を決めるかって問題。「特殊な決め方」ってことはない。 すげー知識だな、チビジャリの頃荻窪駅で冷房車探しして乗ってたが深い事情などつゆ知らず
でも今になって冷改とか鉄模作ってて気になる 101系と73系が併結して営業運転したことがあるってマジ? 151系だと山陽道瀬野八で補機との間に80系を繋いで走ったり、
房総夏臨で電源車としてクハ16を挟んでDD13に牽かせたりとかあるから、
同じ機構の101系でも可能なはず。
空気ブレーキが電磁直通と自動と両方ある。>>521 高崎〜上越線でも80系と153系を繋いだのがあったんだよな。
ブレーキはまだしも加速時はどうやって同調させてたんだろう?
いずれかにえらくストレスがかかりそうなものだが。 >>523
×> 151系だと・・・・・・・・・・・
○> 153系だと山陽道瀬野八で補機との間に80系を繋いで走ったり、
151系だと山陽道瀬野八では補機と直接連結で走り、走行中解放で時間を稼いだり、
>>524
?長野原温泉:吾妻線で、渋川から先で80系を蒸気機関車が牽いた臨時列車の話とは違うの?
同時季に房総夏臨で千葉から先の房総西線で153系6連をクハ16(電源車)を挟んでDD13が牽いて走ってる。 >>525
その蒸機牽引になる渋川まで(から)を153系と繋いでたのよ。
上越いでゆ+草津いでゆ で検索するとよろし。 >>525
瀬野八で153系と補機の間に連結したのは80系ではなくダブルルーフの客車を湘南色に塗装した職用客車オヤ35(スロハフ30改造)
だと思ったが。片側 並型自連、反対側 密着自連 の珍車だったはず。 527 だが
×>密着自連
○>密着連結器
が正しいです。スマン >>529
瀬野八のオヤ35は機関車と153系の間に挟む控車ですからHⅯは付いていないはずです。 >>529
530で書き込みがおかしかったので再度書きます。
瀬野八のオヤ35は機関車と153系の間に挟む控車ですからHⅯは付いていないはずです。 >>531
なんか文字化けします。申し訳ない。
×>HⅯ
○>ヘッドマーク
です。 この板はBBS_UNICODE=changeだから数値文字参照は使えないよ
●マークとかHMとか書かないで素直に最初からヘッドマークでお願い >>534
●(Gマーク)は電車だけが対象だったような
101系には該当車はないけど
改造したクモユニ147には◆と共についてた 中央快速線の冷房改造車はモーターをMT54に交換してもよかったのに
重量増大を限流値アップでカバーが出来ず中央特快のみの限定運用だった
101系でMT54に換装したのは存在しないが南武支線で部品共通化を目的に交換してもおかしくなかったはず >>537
101系のMT54へのモータースワップは以前に妄想したっけ。
但し西日本が片町線用101系を継続使用、103系のような延命工事をすると想定。 105系(仮)とは違うの?
実際に存在している105系とは違うやつ 中央快速線で4M4Tの走行実験したら満車時にモーターが過熱したんだな
MT54プロトタイプでもやはりぎりぎりになるとかで没になったためにMT54交換では済まない事がわかる
4M3Tは非冷房車ではOKだったが冷房車ではモーターが過熱するため不可能だった? >>541
片町線での冷房車4両+非冷房車3連の組合せの時は6M1Tで運行していた 900番台はクモハ100の助士席側にもジャンパ栓納め付いてたな
量産車で廃止された GMの板キットには900番台のお面がついてるトリビア http://www.asahi.com/relife/article/11257990
ラッシュでガラスが割れてHゴムが外れてる
101系や103系は「割れる」というよりHゴムが外れて「落ちる」んだな
201系から金属押さえになって落ちる心配はなくなった >>541
小田急2400のMB-3039Aを借りて、101に取り付けてテストし、
次いでMT-909試作電動機でもテストしたんだよね。 >>539
西日本に継承されたのが少数しかなかったため、関西から早々に姿を消した要因かもね。
>>540
それが101系車体にMT54を載せたものとなる予定だった。 101系は特別保全工事車無いんだな
南武支線のは車両更新工事施工してもおかしくなかったがAU712冷房改造されたものの最後まで未更新だった >>554
元中央総武緩行線では?
国鉄末期の南武線の101系はまだ使う予定だったかと思われ >>555
当時、101系冷改車の中央線快速から南武線への異動が完了し、
103系冷房車の南武線への異動も開始されていたので、
南武線にも廃車待ちの101系非冷房車がいたはず。
そういえばオレンジ色のまま関西線へ行った101系の先頭車の前面に、
黄色の警戒帯が入っていたのが不思議だったな。
関東では、高尾以西の中央線や青梅以西の青梅線をオレンジ一色で走っていたのに。 >>556
オレンジの王寺水害救済転属編成の先頭車前面の黄帯は天王寺・新今宮における大阪環状線103系との区別というか誤乗防止だと思う >>557
そういう理由だったのか。納得。
他の路線への乗り入れがないどころか他の路線とホームの共用がない南武線では、
色違いの車両でも誤乗防止のステッカーを貼るようなことはなかったもんな。 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 弁天橋と弁天町
101系と縁があるのはどちらですか? 南武支線が化石みたいに残ってたのがむしろ以外
仙石線の105系転用は2編成しかなく所要が1編成足りず無理だった ダメ元で諸兄にお聞きしたいのですが、オレンジ色非冷房で800番台ではない中央快速付属3両編成は存在したのでしょうか? 大事なことを忘れてました
「両方がシールドビーム改造された」
という条件です 南武線に平成になってからもなお原型ライトの101系走ってなかった? >>453-454
最後まで残った2本揃って秩父鉄道入り。
C104編成→1011F
C105編成→1009F
この2本、のちに国電ヲタを発狂させたよね?
>>461
チョコバナナリバイバルの1007Fがそれだな。 何処かに南武線、鶴見線の晩年の編成表アップしてるページ無いかな? >>70
101系は4連になれないんでしたっけ?
南武線に4連の101系があったよう気がするんですが、私の記憶違いかも >>569
101系置き換え完了時、6連は稲城長沼までだったので、立川行は4連でした。基本は2M2Tでしたけど、オールMもありました。 大宮工場の解体線(現 鉄道博物館)にダルマ状態のJRマーク付き101系が
2006年頃まで倉庫?として置いてあった
南武線101系だろうか…? >>572
色褪せた黄色だったよね?
冷房載ってたかは覚えてないが… >>571
原型ライト車がJRになった後も走っていたのは意外
南武線のだと、2灯化したのしか印象になかった 角ベンだな
近郊型クモハの先頭についてたような大型 800番台で冷房改造したのは無かったな
115系にはあるが冷房ダクトが低屋根部分でぶった切られてる 南武線支線は105系にしなかったのはどうしてだろう。 鶴見線用と共に武蔵中原の101系で運用されていたからなんでは。105系は1M式だしメンテのこと考えると異なる型式の少数運用は避けたい。 1M1Tの105系で南部支線のラッシュ時輸送対応できるのか?
仙石線の閑散区間ならこれで十分だろうけど。 >>583
南武支線の101系は3編成あったが仙石線の105系は2編成しかなく転用すると1編成足りない
流石に103系転用はしなかったな
先頭車化改造するかクモハ103-0番台+クモハ102-1200番台でユニット組成すれば置き換えは原理上可能だった >>587 中原の101に冷房改造車なかったら、南武支線用のも103の二両ユニットに置き換わっていたんだろうな たくさん105系に改造されたので仙台のを持っくるまでもなく
3編成くらい作れたんではないの。 >>589
CS51がJR東日本で希少種になってしまい保守に難儀する
希少種は早々に淘汰される 武蔵中原に入っていた101は、冷房改造車含めわりと製造年の新しいものが多かったのか?
初期型入ってたっけ?運転室後部の窓が大きいやつ >>591
中央線から101系の冷房車の転入が行われる頃までは、南武線にも101系の初期車が走っていたよ。
1979年の5月頃までは試作車も走っていたし。 究極は優等も普通も同じ車種を使い回す事だろう
これで保守業務は画一化・標準化され、ロボットに任せることさえ視野に入れられる >>594 足回りなら優等と普通の共通化、私鉄でよく見られるのでは?例えば西武の5000と101、東武の1800と8000 >>593
JR東海の211系0番台も保守部品が5000番台と大きく違うのでJR東日本から取り寄せてるとか話がある とにかく走ればよいのなら、戦災で燃えた車両から台枠やモーター持ってきて造ってしまうので十分。そういう時代ではなくなった。
101のような画一的大量生産だとメンテはしやすい。 南武支線のやつは部品共通化で西日本の471系みたいにMT54に交換されてもおかしくなかった
MT46の残存個体が少なく保守困難になってたはず
ブレーキ弁はATS-P搭載工事で103系と同じのに変わってた 南武支線は鶴見線の103系を入れて共通運用にしても良かったはず
浜川崎駅で繋がってるしどっちも中原電車区所属だし
南武線の踏切事故で南武支線の101系が出庫できずクモハ12が代走したなんて逸話もあった >>599
ホーム2両分しかないのに、どうやって103系で2連を作れるのか? >>600
まさか>>599はドアカットとか考えていたとか?
まあドアカットが許されたとしても改造が必要になるわけだが… >>600 103系3500台みたくするんですかね?
クモハ足りるかな? 南武支線ワンマン車の重連?運転て廃車回送が最初で最後だったのかな? クモハ102は5両しか作られなかったからなぁ
クハ79改を入れても東には10両
101系を早々置き換える気があったら西みたく改造してたかも
蛇足だがクモハ102-1201は廃車後クモハ103-11とユニット組んでたね >>256
乳鉄は1000の前任の小田急800もパワー落としているとのことで釣りかけ音が静かだった。 弁天橋と弁天町、101系と縁があるのはどちらですか? >>506
101系は先頭車両が多かったから仕方がない MT46を載せたえちぜん鉄道のMC5001型は、稼働してるの? 元気で走ってる
しかし兄弟を不慮の事故で失ったのは可哀想に思う 亡くなる前にMT46のサウンドを聴きに行こうと思う >>617
交通博物館に展示してあったときに行ったけど、サウンドが全然違って聞こえるよね 弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>618
負荷が掛からないせいなのかけっこうブォーンとした音だったね。
秩父線のはパワーダウンさせたとはいえ、オリジナルに近いクォーーンという高音を響かせてた。 今更だが、101にMT54を搭載した史実とは違う103で良かったような
同時期の近郊型が111にMT54を載せたような113だったので
(401にMT54を載せた403、421にMT54を載せた423で合ってる?) 全Mをやめるだけならそれでも良かったかもしれないけど、
まだ電力の問題が解決できてなかったので、120kWのMT54が使いづらかったということもある
かといって、MT比率を下げるには限界があり、駅間が短い山手線での使い勝手を考えて、
110kWに抑えつつ、通勤電車用の中低速域に特化したMT55が開発されたということなんだろうね
モーターが一回り大きくて、台車も同じように見えて実は専用なんだよな >>619
先頭部と窓一つ分くらいのやつ?
アレは展示用にあつらえたモックアップだョ。
今は梅小路に移った。 >>626 に補足
各部仕様は後期型準拠だった記憶 6M4Tで最大480Aで走行したらラッシュ時モーターが焼けそう
MT54はおろか西武101系用の150KWを積まないと追いつかないはず 鉄ピク・7月号別冊・国鉄形車両の記録・101系通勤型電車が発売された。 前面にスカート取付工事は施工車ないな
南武支線や秩父鉄道ですらやってないが人身事故の時やばそう 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛官)は世界一の天才だと思います、彼を馬鹿にするやつは俺が許さん! TT’ユニットについて調べてる人いる?
電動化されなかったからバラせるのに廃車までTT‘で組んでたのが有るんだが。 2両編成組めるメリットを生かして福塩線や富山港線辺りに転用しても良かったのに
富山港線だと駅間距離が異様に短いので高加速のメリット活かせそうだが耐寒耐雪化工事がいる
105系と比べて消費電力が大きい欠点はある >>629
買ったけど目新しい内容が無かった。
車歴表は相変わらずおかしな所があるし。 主抵抗器ブロワとMGを共用してるとか謎設計だったな
発電ブレーキが今まで前例がなく手探り感あった
103系や111系から分離された 101系と73系は併結運転やった事があるってマジ? ちなみに内房線ではクモハユ74との併結運転はあった。
クモハユ74は73形改造。 旅客用車両同士で新性能+旧性能は急行いでゆで153系と80系が併結した事例があった
ただあれはお化けジャンパを使う必要がある上に153系側で電制カットが必要だった
どんつき衝動凄かっただろうな >>643
小田急は脱線事故多発で懲りた
パイオニア台車の空気ばねが柔らかすぎたのが原因 新性能車の113、115と吊りかけ荷電との併結運転って、当たり前にあったよな。
高崎・上越線や房総地区で。 >>646
西武赤電の吊り掛け+カルダンの組み合わせもだいぶむりやり感があったなぁ。
2代目501系を除く吊り掛け車とカルダン車を連結すると、妙にギクシャクしていた思い出がある。 営団銀座線にも昭和40年代にはあった。カルダン音は静かだったが、旧形車両の地下での吊り掛け音は迫力があった。 クモニ83やクモユニ82は抑速制御付いてたな
165や115にくっついてたから、必須の機能なのだろうが
新宿寄りなのはなんか意味有るのか? >>650
東海道本線のクモユニ74・クモニ83等の荷物電車は大阪寄りに連結された。
理由はそちら側に各駅の荷物を取り扱う設備が備えられていたからという理由でした。
中央東線もそう言った理由では? >>640
客扱い営業用には登録されておらず(つまり旅客営業車としての認可は取っていない)、旅客は乗せていない(乗せたら厳密には違法)。
事業用として、職員輸送などには適宜使われた。 >>649
いや、01系が量産されるまでは
2000+1500+1500+12/300T+14/700M+2000で
釣り掛けは混じってた >>651
東海道線のはユに係る郵便局との位置関係もあって神戸方でしたね。京都も大阪も中央郵便局は前寄りにあった。鉄道郵便局も無くなり、大阪中央は鉄道郵便局が無くなるどころか中央郵便局そのものが移転してしまった。 >>652
だったら「ハ」は記載しないよ。クモヤ22にJR東海が客乗せようとして、クモハ12041にしたのも、
「ハ」でないと客は乗せられないからだろうけど、最初から客乗せない前提なら、クモハ74001で
落成もしないし、クモユにしただろう。
では荷物しか載せないのに、なんでクモハ「ユ」にして区分棚まで設けたのは、
もしかすると新聞を「三種郵便物」扱いして予算を獲得したから? 中央線の冷房車はMT54に交換すれば限流値を上げることが出来て非冷房車と同一スジが可能では?という見方がありそうだがモーター交換だけでは済まないはず
主抵抗器容量増大とMGを主抵抗器ブロワと分離しクモハ100・モハ100に移設する改造もいる >>655
確かに東京のKITTEも名古屋のKITTEも神戸寄りやね。年の為にヤフーマップで調べたが、ナナちゃん人形臨時休業は草。
>>656
全室郵便車は原則郵政省所有だったからでは?建前上でも客室を残せば国鉄が自由に使えるとの判断と推定。
蛇足だが後年の小荷物郵便鉄道輸送廃止でクモユニやクモニはクモハやクモヤ転用が出来たのに、クモユ143は
国鉄譲渡が認められず新製数年で廃車解体されて郵政省が会計検査院から大目玉を食らった。
>>657
103系ですら限流値を抑えていたのにそれをやったら変電所が持つか疑問 >>658
クモユはもったいなかった。
事故なら分かるけど10年に満たない車両を解体したんだからね。 >>658
それならクモハユにする必要はなくて、クモユニ74の増備にすればすむ。
郵便車でも国鉄所有だったのは、スユ71・72の例がある。オハユ30やオハユ61も国鉄所有。
なのでクモハユが国鉄所有にしたいから(というか、国鉄所有のモハ72をタネ車にする以上
郵政車にするわけにはいかない)ハユにしたというのはあり得ないと思う。
それだったらクモハニでもクモニでもクモユニでもいいはずだし。ハユにした理由は別にあるはず。 >>660
今となってははっきりした理由はわからないだろうなあ。
当時の人の多くは既に鬼籍に入っているだろうし。 クモル145は元々の車歴を辿ると元モハ90系として製造された1958年製の初期の車両があって21世紀までゾンビみたいに在籍してたとか凄すぎ
元々の機器が台車とモーターだけなのでほぼテセウスの船状態でもある
特にクモル145-8はクモハ100-2から改造されてて更に遡ったらモハ90514だった tps://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/024/575/21/N000/000/000/134398211432413123401.jpg
tps://jnr-oldtimers.at.webry.info/201208/article_2.html 青梅線の72系で先頭車両の客室内前部を仕切って、新聞等の荷物を運んでいたのを見た記憶があるが、101系あるいは103系でそのような例はあるのだろうか?
確か73年頃だったが、その頃はまだ青梅、五日市線は旧国が大半を占めてたが。 >>663
145系は台車DT21に2種類あって、初期形の丸形側受けの車輌と、
後期形の台形側受けの車輌と2通りあったような。
その後おそらくは廃車発生品の台形側受けに統一されたと思うけれど。 えちぜん鉄道のMC5001に乗ってきました
稼働車では唯一のMT46搭載車
コイルバネのDT21はさすがに揺れました 南武支線の101系は2両オールMだったが限流値設定どうしてたんだ?
試作車デチューンと同じ280A固定だと100%乗車時に2.2km/h/sになりオールMのくせして103系2M1Tより加速が悪い事になる >>670
南武支線の101は、区間としてそれほどの高性能を要求されてないだろうから、
103系より加速が悪くてもかまわないのでは。
本線の代走運用も無いしねぇ。冷房化で重くなった時も調整しなかった? 秩父鉄道のやつは変電所容量的に限流値下げてたが具体的な数値が不明
モーター出力を85kWに下げてたとか書いてるのあるが連続定格である >>671
後釜の205系1000番台は限流値を下げてなくロケットみたいに加速する
4.0km/h/s位出てそう 101/103には試作車があったが111/113/115は最初から量産だった >>670
南武線に103系がデビューしたころに、起動後10秒で達する速度を調べたことがある。
101系4M2T :20q/H
103系4M2T :20q/H
101系2M :30q/H
実際乗ってみると、浜川崎支線の101系の加速性能は本線の6連とは明らかに違っていた。
浜川崎支線が101系に置き換えられて4~5年くらいの間は、時々本線の6連に浜川崎支線用の2連が併結されているのが見かけられた。 >>667
何を運んでいたかわからないけど、101系のみで運行されていた、1980年頃の南武線で見たことがある。
いつも立川方の先頭車の車内を、幕を張って区切っていた。
ほとんどの駅の改札や階段が立川寄りにある下り電車では、立川方の先頭車は込み合うので、利用者には迷惑な話だった。 客車用のハイケンスオルゴールを搭載してた車両があったが何のために搭載してたのか謎だなあ 初期の頃鋳鉄制輪子を使っててそれに対応すべくブレーキが両抱きだった
クモヤ143のDT21Cや103系のDT33は片押しでレジン専用
レジンに変わったのはいつ頃?
秩父鉄道は最後まで鋳鉄だった >>677
東京や高尾到着時に流してくれたら旅情感じて良いなあ >>677
それ、JRになって間もない頃の南武線ですか?だとしたら、矢向の車掌さんで発生品だかのオルゴール箱を携帯している人が居て、川崎発車直後に受話器を箱に付けて流していたのを見たことがあります。 総武線でモーターのたわみ板破損が原因の暴走事故があったんですね
全車両の片側ドア全開で走ったらしい
パンタを下ろしてやっと止まったそうです >>682
オレも週末に動画見ました。
田端駅の追突事故は新聞写真の記憶があるが、総武線のこんな一大事は全く知らなかったですよ。(当時は幼稚園年長組)
近鉄青山トンネル事故とか北陸トンネル火災とか、鉄道の死傷事故か起きた年ですよね。 全Mの101系とか、省エネが重要視される現代ならば絶対に登場しない編成だな。 デビュー当初はブレーキシューが鋳鉄だったが後年レジンになってる
秩父鉄道で鋳鉄が復活した >>682
満員のラッシュ時だったら、後世に名を残す事故になったかもね >>687
秩父線はレール表面の適度なザラつき狙いで今も鋳鉄なんだっけ?
デハ1000系では旧形国電みたいなゴォーって擦れ音は聞けなかったなぁ。 >>682
破片が回路に直撃して電気系統短絡になったと記憶。 電動車の位置が編成によってまちまちでガチャだったんだな
パンタグラフの位置を揃えないとパンタグラフ点検台を編成の全長にわたって設置する羽目になる
京浜東北線のE233系で209系と同じ位置にしたのは元々のパンタ点検台を流用するためで中間M車の位置に増設するだけでよかった 南武支線のやつはAU712冷房改造や妻窓閉鎖やドアステンレス化や吊革三角化してたが特別保全工事や車両更新工事はしてないな
化石のように生き残ってた >>671
尻手出て直ぐの上り勾配をダッシュする必要が有ったんじゃ?
でなければ105-500を投入出来ただろう。 >>695
森ノ宮の101系があと5年生き残って40Nを受けてたら
90系風の雨樋みたいになったのにね。 両端のドアはドアエンジンが枕梁と被らないようオフセットして取り付けてあるが動画を見る限りドアエンジンがど真ん中に付いてる中央寄り2か所と変わらないな
リンクの長さを変えてる? >>692
化粧板張替えもされてたけど他線区での例あるのかな? この系列は全電動車と思い込んでいたのでクハやらサハがいるのは合点がゆかなかった サハ103-750番台も忘れないでね
クーラーもズレてるし、とても異端だったよ サハ103-775だけAU712で冷房改造されてた
101系ボディでAU712は他に南武支線101系だけ 今週公開中の燃える捜査網の第06話で青い101系が走ってた
キレイだね >>708
それは認めるが、元南武線沿線民の俺はカナリア色派 >>708
最初にデビューしたのがオレンジだった影響があるかと。
もしそれまで同様茶色でデビューしたらその後どんな展開があっただろうか? 俺は京浜東北線のスカイブルー派
既に103系が走ってたのに後から101系が走り始めたのは驚いた 昭和30年代の通勤ラッシュは乗車率300%とかあったが101系だと重すぎてなかなか加速しないとかあったのか?
それこそ「旧型国電よりかはマシ」なレベルの性能にしかならない >>716
すべては電力供給系が貧弱なのが悪い。
山手線なんてそれが原因で、旧型国電より101系のほうが低性能なんて体たらくになったし。 中央快速線の冷房車は主電動機をMT54に換装するべきだった
こうすれば限流値アップで非冷房車と同一スジで走れた? >>722
異端児って感じだったね
ある意味京阪神緩行のモハ70系「茶坊主」に通じるところがあった。 前面にスカートを付けた車両が無かったな
南武支線や秩父鉄道も未装着
南武線で側面に乗用車が突っ込んで脱線した事故があった 1996年のディズニー映画「101」とのコラボ企画やって欲しかった
101繋がりネタで是非 自分、青梅線沿線で育ったので、101系といったらオレンジバーミリオンが絶対に似合うと思ってる派なんだが、
1982年に高校の修学旅行で奈良に行ったとき、奈良駅で関西本線のウグイス色101系を見て
えええっなんじゃこりゃ!?って思ったことを覚えている。 秩父鉄道の101系を国鉄塗装再現で、ウグイス色は実施しない方向だったらしいと聞いた
しかし結果は実施、ところがよく見たら関西線の黄帯付き
山手線の101系はウグイス色ではなかったことを熟知している担当者は素晴らしいと密かに感激してしまった
関西線の101系は、黄帯無しの時代はあったのでしょうかね
自分は見たことがなかったですが、初期は黄帯無しの101系があったとか、御存じの方はおりますでしょうか? >>728
> 関西線の101系は、黄帯無しの時代はあったのでしょうかね
電化開業前の試運転時から黄帯ありらしいよ >>728
水田に囲まれた所を走行すると視認しづらいから、黄色帯を付けたって聞いたことがある。 最初から黄帯ありで、101系は黄帯のまま廃車になってるはず
のちに103系の時代になってから一旦消されるけどすぐに白帯を纏うようになる あの色は山手線にはなかったものであって関西本線の再現である、と知っていた人はどれくらいだろうか しかし川越線の103系も抹茶色の113・117系も緑の景色の中を走っているのに
関西線だけ警戒帯が必要な理由がわからん。 でもまあ川越線で踏切事故ってあまり聞かないからなあ
東上線は頻発してるのに何でだ? >>733
いやいや、仙石線も73系の晩年は黄色の警戒帯入れてたから、土地柄とかも関係あるのかもしれない。 横浜線の103系もウグイス色だったけど、警戒帯なかったな・・・と思い出してみたら
そういえば「横浜線」っていう表示をデカデカと貼ってたから
じつはあれが警戒帯みたいなもんだったのかな、と今はじめて思い至った。 >>739
本来の目的はな
でもそれが警戒帯的な役割も結果てkに果たしてたのかもってことだろ つまり165系で下半身の緑を正面に回したのは警戒色
と出鱈目言ってみる >>741
なるほどなww
案外にそんなもんだったりしてな 153系の前面オレンジは神奈川静岡のミカン果樹園の中では視認しづらいとかw >>743
おもしろい説だが・・・それだったら111系・113系も165系と同じにすりゃよかったじゃん、
てことになると思うがな。でもその説、キライじゃないぜw >>731
その103系にクハ100改造のクハ103-2001〜2004がいて黄帯なしの時があった
見た目は101系時代とほとんど変わらなかったからウグイス単色の101系が登場した それとウグイス色のクハは王寺水害応援転入の時の3両と秩父の1両とそのクハ103-2000番台だけだったからかなり希少 すると、正式には103系であるが見かけ101系の黄帯無しウグイスが、一時期だけクハだけ存在した、ですか
凄いはなし
秩父の塗装で、クハだけ黄帯無しは、形式をこだわらなければ見かけ可、ですかね >>748
103系に編入された101系クハ(先頭車)って表現するほうが
わかりやすいかも。
で、"クハ103 2001"で検索したら
その警戒色ナシ時代の画像がいくつか出るね。
ただし編入は民営化後だから
運転席窓下のJRマークは当然付いてるけど
>>750
正面の顔など、外観が大きく改造されてない限り
民鉄へ行こうがどんな形式になろうが
「尽きてない(生きてる)」ってのが順当かな >>728
ググったらこういう掲示板文章が出てくる
>>1973年の春休みの3月下旬ころだったと
>>記憶しておりますが、新製直後の103系「特別快速」で
>>東京に向かう途中、大久保付近で総武緩行の「ウグイス」の
>>ステッカー付き101系の混色車を目撃し、
>>「山手線からの転入車にしては103系化が完了しているし、
>>さてどこからの101系」と思いました。
>>後で知ったことなのですが、これが「関西線電化」用101系
>>だったのですね。塗装はウグイスのモノトーンで
>>関西線特有の黄色の警戒色がなかったので、
>>驚いたことこの上ありませんでした。
当の関西線でのデビュー時は
最初から既に警戒色あったけど、
警戒色が入れられる正規デビュー前に
「警戒色なしウグイス」の姿で
供用されてたんですね。 >>754
引用符は「>」一個な
あと「>数字」だと専ブラにレスアンカーとご解釈されるので「> 数字」で >>757
横から失礼します
中身で語られない方は去ってください
よろしく 国鉄101系と阪急2000系はいずれも両社の以降の車両の原型になったというのが共通点 101系のモーターをMT54に変更した仮称105系の計画があったがぽしゃったな
単純に101系のモーターを換装では主抵抗器が容量不足で限流値を上げられない
南武支線101系は西日本の471系みたく部品共通化でMT54化されてもおかしくなかったはず 今は101系設計者の想定を超えた加速を
233系によって中央線で手に入れちゃったからなぁ
201系すら付いていけないから高架化したあと全車引退を持ってやっとダイヤ改正となった >>754
マジですか、結構大きな発見と思います
画像無いですかね
完全な101系の黄帯無しウグイス、ですね 西日本の101系もMT46の早期淘汰のために比較的早く(1991年4月)に廃車だったそうだが ただ、翌年に103系の非冷房のままで残っていた車両も全廃となっている<西日本 MT46とMT54が混用されてもおかしくなかったはず
MT54が上位互換である
実際混用した事例は209系やE231系のMT73(MT68搭載車にMT73を搭載可能)くらい MT46とMT54が混用されなくもおかしくないわけでな 111系でも「大は小を兼ねる」理論で113系のモハと混用されてたがこれがネックになって限流値引き上げが出来なかった
四国以外では全廃されて113系に統一されたが限流値を115系と同一セッティングにしたのは西日本の110km/h対応車とかごく一部