国鉄101系スレB
101系の貫通幌は他の形式とは違い旧型国電と同じものを使ってたんだな
車体側にV字型の吊りフックがある モハ90試作車のデザインが量産車に反映されなかったのが残念
フラットな側面となった埋め込め式雨どい、箱型ベンチレーター、金属押さえ込みガラス支持枠と
どれを取っても斬新なデザイン。モハ90試作車の登場した1年前はまだ3段窓でプレスドアだったモハ72600番台
を造っていたから衝撃的なデザインだったはず。あのデザインでのちにAU75型クーラー載せていたらカッコ良かったろうな 前面のJRマークの位置がずれていたのが多かった最晩年の鶴見線の101系 >>179
埋め込み雨トイは、なぜかモハ72920では量産車まで継承されたのに
この点については退化したな
全電動車で高くつくので、旧型よりもコストを厳しく見る必要があった
のかも知れない ありし日の東京駅風景。
ジリリリリリリン!
『2番線より 快速豊田行きが発車しまーす』
ピリリリ〜リピッ!
クスー ガラララララララ バン!
クカー!
ツァツァツァツァクイーンチャチャチャチャチャチャ…
ヒュ〜〜(タ タン)〜 パコン ヒュ〜(タタン タタン)〜
クオォォ〜〜 (タタン)ン (タタン タタンタタン) 先頃引退した秩父車は、いつの間にかCPやブレーキ制御弁を換装しちゃってたからね。
音の面白味は落ちていた。 埋め込み雨樋は腐食の補修に手間がかかるから
外付け樋にしたんじゃなかったっけ? 101系に限らずMT46モーターの車両は1個の出力が100KWだがMM'ユニット当たりの出力は何故か800KWではなく775KW(モーター1個当たり97KW)になってるんだな
MT54搭載車はきちんと120KW*8=960KWになってるのに MT46は100kWで定格計算したら151系がMT比1:1で関ヶ原越えるときのランカーブが熱容量越えちゃったとかで
僅かにパワーを殺した計算をしてるんじゃなかったっけ
MT54は絶縁の熱耐性が上がったから165系6M7Tでも上越国境越え、2M3Tでも身延線走行ができるが。 101系は本来MT比1:1禁止だったが末期の総武線で6+4があったな
それどころか10両貫通とか3+4+3とか7+3とかいろんな編成が入り混じってた 初期車の機械式速度計は何か蒸気機関車みたいだな
JR東のSLはATS-Pに対応できないために電気式に交換されたが 昭和60年ごろ、大阪梅田のコンテナヤードで行われていたイベント会場で、
関西線101系の先頭車の運転室部分が販売されていたが、購入した人はいるのだろうか 101系をはじめとする国鉄のHSC車は自動ブレーキ帯でブレーキハンドルを抜き取る仕様になってたんだな
JR東日本や私鉄では非常ブレーキで抜き取る仕様になってるが
JR東日本ではATS-Pの関係で非常抜き取りに改造したために末期の南武支線のやつは103系と同じブレーキ弁に交換されていた 中央快速線の冷房改造車はせめて弱め界磁率を35%に変更すればよかったのに
こうすればスジを寝かせずに済んだはず
但し加速度は変わらない(かといって103系みたいに限流値を無闇に上げるとモーターが焼ける)ので根本的な解決にはならない
8M2TにするかモーターをMT54に交換すれば非冷房車と同一スジで運転可能だったはず 101系は特別保全工事を施工した車両が無かったような
南武支線のやつも最後まで未更新だったはず >>193
ふーん、調整の工期は何日間くらいで消費電力はどのくらい低減できたんでしょうか。
追加や換装すべき機器はありそうでしたか。
あと運転上の変更・注意点はどんなものがあったでしょうか。
となると組合との話し合いも必要でしたね。 >>193
同じモーターの励磁電流比率(通称弱界磁率)を変えても、既に磁気飽和領域まで励磁しているからほとんど特性が変わらない。
真の弱界磁率は、起動時の磁束=並列フルステップ時の磁束と、弱界磁制御最終段の磁束の比で、
これは定電力制御領域=弱界磁制御領域上下端の速度比として現れるから、
それが40km/hと60km/h前後である101系の真の弱界磁比率は約67%と言うわけだ。
この辺が鉄ヲタには誤って伝えられて伝説を生んでいる。
103系のそれがおおよそ36km/hと54km/hというのも、真の弱界磁率は67%くらいと推定できて、
公称の値は界磁の磁気飽和を無視した励磁電流比率で、それはモータ回転特性には直結していない。
弱界磁比率19%とかいうモータも、モロに電流比率で、現実に弱界磁領域が5倍幅もある車両など存在していない。
直流モータの励磁電流の比率を「弱界磁率」と呼んでいるのは鉄道業界だけと違う? 試作車の運転台をよくよく見ると、何だか中学の技術科(金工や木工)教室を思い出してしまう。
コンソールになった209系辺りからは、もうオペレーションルームって感じだな。 101系試作車が最初積んでたMT46は高回転型だったので本気出せば110キロ運転可能だったのでは?
量産車のMT46Aはトルクを若干上げたが高速域の伸びが低下した 台車換えてまで高速試験やったんだからたくさんだろう。
ワンメイクでレースやってるんじゃなく、日常で走らせるクルマを造るんだぞ。
エポック作品であり、前進のために失敗を認められたのが101系なのだよ。 鉄道伝説
8/3 (日) 22:30 〜 23:25 (55分)
BSフジ
「国鉄101系〜通勤形新性能電車のパイオニア」
朝夕を中心に、乗客を運ぶ通勤電車。その原型となった車両がモハ90形。後の称号改正で国鉄101系と改番される車両である。
大量の人員を効率的に乗降させることができる1300mmの両開扉。乗り心地を飛躍的に良くした中空軸平行カルダン駆動方式の採用。
そして今ではお馴染みとなった路線ごとによる車両カラーの色分け。国鉄101系は、 今回はそんな国鉄101系の伝説に迫る。 101系開発当初は「省エネ」という概念が無かったんだな
省エネが叫ばれるようになったのはオイルショックの頃から >>203
そりゃ省エネって言葉はまだなかったけど
概念自体はあったよ 103系試作冷房車も最初の頃はギンギンに冷やしてて冷蔵庫みたいになってたとかいう話
流石に電気代の無駄や寒いというクレームから温度センサーを付けて26度でストップするようにしたが
家庭用エアコンと違い温度調整が出来ず弱冷房車は温度センサーを改造してたような 101系はブレーキハンドル角度67度以上だと電動車に空制補助が入る仕様だったな
締切電磁弁制御が不完全だった
103系は常用最大でも電動車は電制しか使わないが
JR北海道の車両は雪噛み防止のためにあえて空制補助を入れてるとか それを常に頭に入れて運転されてたんですか
素晴らしいですね >>207
頭に入れるというか、何千回も操作するうちに体が覚えてしまう
そんな事より、同じ形式の車両でもかなり差があり、そちらの方が重要
詰所でもよく話題になる
by関東大手私鉄、現役運転士 秩父鉄道1000系はコンプレッサがC-2000に交換されてたな
空気供給スピード上げるためか?
115系初期車みたくC-1000×2台でも良かったのに >>209
1台で済めばそれに越したことはない
余剰品もゴロゴロあったし C-1000は本来2両に1台搭載するべきだが101系だと3両編成では編成中1台しかなかったために空気供給に凄く時間が掛かってたのでは? 南武支線のやつはブレーキ弁を103系と同じのに交換してたような
ATS-Pに対応できなかったためとか また「…なら…よかったのに」様か。
>>17>>142>>193と同じ人物か?
なぜそうならなかったか、もう一段踏み込めばよかったのにww
後付けでC1000で2基化したら、場所はとるし配管・配線の引き直しが要るじゃん。 >>209>>211
単なる部品供給上の問題かも知れない。
>>210の言うように、C2000ならJRの廃車車両から山ほど出てきてただろうし。
「交換部品がない」はビンテージマシンを維持していく上で最大の難関だ。
SLなら客寄せパンダとして申し分ないからコストかけてもペイできるけど、
「たかだか半世紀前の」電車ではちょっと訴求力がな。
日本はまだまだ産業遺産に対する認知度・理解度が低いのも確かだが、
維持する側はあくまで営利企業である事も忘れちゃいけない。 勾配線区だと稼働率が高まり、イコール故障の確率も高まるから、容量でかくして稼働率を下げたのかも知れんな。
逆に、東武6050みたいに小容量を2機掛けしていざという時のバックアップにする考え方もある。 昔の南武線6連の101系試作冷房車はクモハ100にある210kVAのMGだけで
AU75を6台動かしてたな
消費電力35kVA×6できっかり210kVAで常に全力運転のマージンゼロ
走行用補機電源はクモハ101とモハ101のそれぞれ5kVAから供給だったから影響なかったが
よく冷房用MGは故障しただろうなとは思う
ところでこの編成のMGなしモハ100の重量誰かご存じない?
冷房付きモハ100は42.3dってピクトリアルには書いてあるけど
これは量産冷房の160kVAMG装備車の話で
試作210kVAMG装備車とMGなしで冷房だけ乗せたのの重量は不明
出来ればこの二つとも教えてくださったらありがたい MT46の出力20%増のMT54プロトタイプの実験も101系でやったな
しかし熱容量の問題が解決しなかったため新規にMT55が開発されたとか
101系でMT54化された車両は存在しない
471系やクモヤ145ではMT54化された車両があるが そう 交通科学館にあったのはレプリカだし
旧型国電といい 通勤車保存の扱いはいつたってもひどいな >>226
オレンジのがトラックに乗せられて道路を走っている画像を観ましたが、どこに運ばれたのでしょうか? >>224
交通科学博物館のモックアップはドアエンジンが不調で変なドアの閉まり方してたよな
どっかで引っ掛かりながら閉まる感じだった
実車だとすぐ工場送りになるはず 103より少しだけ天井が高くて好きだった。
モーターも103より静か、出力ギヤ比車輪径の違いを知ったのはずっと後。 もし101系登場時にローレル賞の制度があったら受賞してそう。
流石にブルーリボン賞は無理かも知れないが。 >>231
登場年がブルーリボン賞の最初の年ですね >>232
その年、つまり初代ブルーリボン賞は小田急SEだったから地味な通勤車ではどのみちブルーリボン賞受賞は無理かw
てかローレル賞は通勤車がブルーリボン賞を受賞しにくいために新設されたカテゴリーだったような。
新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
とはいえ101系の場合国鉄としては初の新性能とはいってもパンタが旧形のままだったがw
パンタスレにもあったけど101系の試作編成や量産初期まではPS13だったのは本来は試作編成製造の段階でPS16にしたかったのだが開発が遅れてやむ無くPS13を使う破目になったのとPS13の在庫処分の為に量産初期でも採用した、という説が出てた。 >>232
>>233
実態は小田急に賞を与えるための口実だがな>初代ブルーリボン賞
第二回以降、システム自体は何度か変わってるものの、基本会員(という名のヲタ共)
の投票数がベースとなってるけど、あれだけは一部幹部会員による鳩首協議で決まっ
てるからな(疑おうとすればなんぼでも疑えるしな)。
最もあの年に投票したとしても他にふさわしいのがあるかといえば否だが。
>>233
>新技術は通勤車で先に採用することが多いのもローレル賞の基準の技術面での評価とピッタリ。
最も既に他の大手私鉄で採用されてるものがほとんどだろうしな。 >>234
ブルーリボン嘗を与えるために、毎年持ち回りで組織票の貸し借りやってたもんな。
それが破綻したのがスペーシア事件だったが、この一件で東を怒らせて対立した事もあったな。 >>228
リサイクル工場
鉄博にほんとは101系bフ量産車として涛�錘x線のを持bチていく予定だbチたけど
血エ型とはあまりbノもかけ離れてb驍ゥら 試作車を持って行ったらしいね
乳鉄101系の置き換えがもう数年早く始っていれば量産車が鉄博に行ったかもしれないのに >>236
鉄道博物館に収蔵する際に登場時に近い姿に復元出来なかったんかな?
ガラスの金属押さえとか雨樋の処理方法は103系の特別保全工事とか西日本の体質改善工事の応用で再現出来そうな気がするが。 2月まで弁天橋の博物館にあった101系は今どうなってるのかな?
あれも初期車? >>238
あれは完全なレプリカだよ ところどころ本物の部品使ってるらしいけど
レプリカであそこまでできるなら 80系の湘南顔と153の低運車も造ってほしいと個人的には
思うね >>238
弁天橋に博物館あったっけ?
確かに101系は昔はあったけど なんだそういうことか
新規にそんなレプリカがあるかと思った あの151系もレプリカだというから驚きだ
梅小路に個人的には485系の非ボンネット車保存してほしいな 485系と言えば
思い浮かべるのはストレートのほうで ボンネットは特別車って感じがするんだよな >>243
ストレートって言い方初めて見たけど普通にそういう言い方すんの? >あれも初期車?
外見で尾灯が後期車、車内のロールカーテン覆いが戸袋窓で途切れるので前期車。 101系初期車は何か機械式速度計付けてたのあったな
蒸気機関車みたいである
しかし最近のSLはATS-P対応のために電気式に交換してるの多い >>247
それ関東の初期車に多くなかった?
関西は早い内に電気式に交換されてたような。
片町線に居たMc26,33も1978年頃には電気式速度計だったと思う。 >>247 >>248
総武線中央緩行線新製投入の8連20編成分40両から電気式になった。
s36年1961年後半頃、津田沼電車区とたしか中野電車区で、三鷹区じゃなかった。
それまでの中央線山手線仕様車は時限爆弾型で、総武線に後から転属してきてチクタクチクタク賑やかになった。 101系は頻繁にMM'ユニット変更やってたよな
試作車と量産車で滅茶苦茶なユニット組んでたのあった >>250
関西では特に中期クモハ+初期モハという組み合わせがよくあった。
一例はMc112+M'13。
恐らく中期クモハはMc+M'cで新製して転属してきたM+M'を交えてユニット組換えしたと思う。
もっとも関東にはMc1+M'197という初期クモハ+後期モハという凄まじいユニットもあったな。 >>251
クモハ100-1もモハ101-254だか256と組んでたな。 181系もユニット相方変更頻繁にやってたな
特にモハ180-115は対になるモハがいないという不思議な形態でモハシがモハに改造中に代わりに連結するという変わった使い方をしていた 秩父鉄道1000系はモーター出力85KWで使ってたみたいだが限流値はどうだったんだろうか?
85KWはMT46の連続定格であるが ドアエンジンの調整の仕方が東西で違ってたってマジ?
西日本は勢いよく閉まってバウンドしたとか 101系試作車は量産化改造で張り上げ屋根から普通の雨樋になってしまったがメンテナンスコスト削減(雨樋が壊れても取り外して交換できる)のためか?
雨樋が無いと誤解する人がいるが実際はJR西の103系体質改善40N車みたいに雨樋が内蔵になっている 101系が充当された優等列車(要料金券)ってありましたっけ? >>259
だいたいその手の車両は、内蔵式の雨どいが詰まりがちになってメンテに困るようになるパターン
特に国鉄では 101系のするがシャトル転用があったら良かったのに
2両編成だとオールMになるので加速力に優れるので東海道線の高速ダイヤについて行けるはず 横須賀線の末端の101系の運用も計画されていたような 総武線の101系で3+4+3があったみたいだが真ん中の編成に添乗員付けなくて大丈夫だったのか?
419系の3編成連結の9連が短期間に終わったのは真ん中の編成に添乗員を付けなければいけなかったのと編成全体が貫通しておらず北陸トンネル入線禁止だったため >>266
国鉄時代なら長大トンネル区間以外は問題無しでしょ。常磐快速103系でも5+5+5の15連や7+3+5の15連短期間だけどもやってた。平成時代に入ってからでも西武鉄道では701系4連+701系4連+401系2連の10両編成やってた。 >>267
西武は101系でも4+4+2をやっていたし、今でも2000系でやっている。(4+2+4なんてのもある)
更に昔は6+2+2なんて8M2T編成もあったよ。 101系は主抵抗器ブロワと照明用MGが繋がってて長時間停車時にブロワを切れない(切ると車内が停電してしまう)んだな
冗長性に欠けるので流石に後年の形式では別になったので長時間停車中にブロワを切れるようになった ブロワ音ごときでうるさいとか言ってくるようなうるさい時代じゃなかった時代から言えば、
電気が生きてるうちは常に回ってるMGにブロワを兼ねさせるのは非常に合理的とも言えたのにな。 でもあれか、確かに長時間の停車や留置で抵抗器が十分に冷えてれば回しっぱなしにしとくのは省エネ的観点からは無駄とも言えるか。
103系なんかは晩年の青梅線では立川発車時にブロワが回り出す音が聞こえたけど、昔は回りっぱなしだった気がする。 ラッシュ時に乗客の圧力でドアのガラスが割れる事故が頻発したらしいな
代用として鉄板を入れて応急処置したらしい >>272
割れると言うかガラスが圧力で脱落しちゃうんだよ。Hゴムの弱点。 75年ころ、国鉄ストで超満員となった京成の赤電片ドア車のガラスが無くなっている写真を見たことがあるが、それも脱落したからか・・
ガラス脱落を防ぐには、新京成800系のように片ドアでも小窓化するか、両開きにした方がよいのかも
そういえば、101系、1500台以外の103系、301系で、営団5000系のようにドア窓を小型化したものってないな。 >>274
営団や東急で小窓化したのは子供がドアから景色を眺めて戸袋に手を引き込まれる事故を防ぐためというのもあった >>272
補足
総武緩行線の場合、津田沼・中野両電車区は勿論、派出所(千葉・お茶の水)にドア窓の大きさに誂えた鉄板が常備されていた。