幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc 理由は異なる
併結相手となる形式派生元の1000が
量産で9000と合わせて
まとまった勢力となるまで
年数を要することが見込まれたこと
H3年の時点では
まず7000や7100と併結できる10000を
固定4連化した方がベターだと
11000は車両部が
本来のVVVFビジネス特急車として
登場させられる技術的環境だったが
運輸の組合支部が難色 近鉄21000や小田急10000と
南海のVVVFビジネス特急車企画は
時期として5年以内の差だが
この間にGTO-VVVFの普及や
IGBTへ繋がる汎用素子VVVFの蠢動が
一挙に起こったことは事情として大きい >>795
最終的に南海11000と同い年の近鉄22000はVVVFになったけどね 近鉄21000と小田急10000の数年後の
東武100やJR785は日立GTO-VVVF
近鉄標準軌特急車は主回路全て三菱
小田急は
特急車の多くは主制御が東芝で
MMが東洋と三菱そしてTDカルダンだが
通勤車は主回路全て三菱
つまり両者の車両仕様選定は
三菱の影響が大
そこで南海は一部を除き主制御が日立
これも特急車のVVVF早期採用を
後押ししたのかもしれない
また近鉄は21000の頃から
大阪線特急の高速化を志向し
ここではVVVF採用を見送ったが
22000にて5年越しで理想を具現化し
高速化の方針は23000まで踏襲 福知山線脱線事故が無ければ201・205の転入でも置き換えきれなかった分の103は321直接投入で置き換えられていただろう
また、震災が無ければ阪神9000は登場せず、今の9300が9000を名乗っていた
ただその場合は実際の9300より登場が早くなっていただろうからIGBTではなくGTOだったかも
車体9300の足回り5500みたいな >>765
南海2000はあの時に橋本分断が実現していれば登場しなかったろう
先行で登場した初期車は単なる増備用で代替廃車はなかったみたいだし >>798
425事故がなければPがないことで追いやられた113系や117系がつい最近まで残っていたかも。 >>798
震災前は8000量産により
3561-3061や3501や7701-7601やR車の一部
といった赤胴車の置き換えが一段落し
次は5151や5311や5261といった
青胴車の置き換えを進める段階
そこで阪神初のVVVF車として5500を企画
つまり震災で
当面廃車計画がない赤胴車を30両も失い
9000を急遽企画
さらに遡ると8000第13次車以降は
設計変更の検討段階で
本来VVVF赤胴車の新形式となる
可能性もあった車両群
これらは当然GTO-VVVFの世代
一方震災前の5500企画段階から
将来の新形赤胴車として想定されたのは
3000などが置き換え対象で
仮称8300の9300原形
これらは登場のタイミングから
史実通りのIGBT-VVVFだっただろう >>799
話の前提を史実と混在させ杉
2000-1次車2次車登場の段階で
橋本までの複線化によりS車直通拡大と
Z車との系統分割が実現していたとして
やはり南海は21000全廃による最終形は
2000の4連8本で山線専属基本を想定
仮称9100試作を経て1000量産車まで
2000増備は複線延伸の輸送力増強に充て
数年後の1000量産開始で玉突き的に
2000は本来の21000置き換えを開始
というのは史実と似たタイミングに
実際21001×4廃車はH5年のこと >>798
尼崎事故前の段階にて
通勤形ないし一般形は321を
C電または環状線へ投入で
前者なら201や205を全車転用
後者なら103老朽車を直接置き換え
近郊形は
新快速140km/h運転用の旧225で
223-2000か221または両方とも
相当数捻出
何れにしろヒネとモリとナラで
大量に残存していた103は
捻出ホシ223-2000の転用改造車
または223新造車にて
ヒネ関空快速形やナラ120km/h運転用を
大量に増備し
103など通勤形で残る快速運用を差し替え
その分で103老朽車置き換え
323モリ投入の史実の通り
事故前の計画にて
321の投入先がホシとモリで前後しても
結局双方とも手当されることに
また現状の史実では
ナラに205-1000転入で運用開始後も
103旧延命工事車が残存
つまり事故がないタラレバでは
前述した経緯の結果
ヒネも通勤形運用は全廃になることなく
103は体質改善車が相応規模で残存と これら残存103にトドメを刺すのは
タラレバ側も具体に想定されずじまい
そして
史実側すら現在は表沙汰になっておらず
221転入車なりナラ用の新近郊形か
321がアーバンで
大規模展開の計画すらあったことからも
結局タラレバ側は後に
103体質改善車から201までを含めた分を
321増備車で置き換えたのかもと >>801-804
あなたはちゃんと根拠を示してね
脳内妄想ならそう明記して や、やっと南海の幻に終わった仮称9100と1000の件がようやく氷解した
要は今の1000が仮称9100として計画されていたが、登場していたら旧8000みたいに1本で終わり
後は泉北7000を南海仕様にしたようなものを量産する予定だったのか
つまり仮称9100が東武10080や営団05ワイドドアVVVF的なもので、1000が東武30000や営団05VVVF的なもの
南海は東武や営団みたいにGTOが少数派になる筈だったのか
実際の1000は京王8000や西武6000的な感じだけど
本来1本だけになるはずだった1000と1本だけで終わってしまった1051ということね >>805
そろそろ妄想長文君がまたキャラ変えて逆ギレしてきそうw 大阪市営地下鉄10系サハ1700型(新造として)
21系や北急8000系はサハを新造して
10両化したが、10系に関してはサハ新造ではなく
1〜3編成目を分解して一部中間車に改造の上
4〜26編成目に組み込み10両化されたため、
新造としての1700型は幻となった。 10連化の時点で
大阪市21は編成単位の増備途上
そして北急8000は
直前の編成増備から2年しか経っておらず
登場から10年以内のため形落ちでなく
これらは10連化用付随車を新造
一方の大阪市10は
量産車登場から15年を超え既に形落ち
そして01編成が試作車独特のチョッパー
02と03が量産車で風冷チョッパー
04以降がフロン冷却チョッパー
つまり10連化に際して
先頭車の少ない組成も相まって
中間車化改造も最小限で済ませながら
異端なチョッパー装置の淘汰も叶うという
一石二鳥な方策が採られた
また5年後に迫った
量産車登場20年目の近い将来を見越し
新車へ置き換えか更新工事か
判断する時期にも来ており
10の付随車を新造する訳にいかず >>808
キャラ変えは807かな
でも結局809で元に戻すんだな >>807追加
幻ではないが関連性あるので
泉北5000も当初は1本だけで、実際の南海1000が出たときに増備車が登場してる
もしかして泉北も5000は試作だけで終わる予定が量産に変更された? >>810
でもこの際に余剰車はそのまま捨てられたんだよね?
何とかならなかったのか >>812
泉北5000は
5501×8こそ量産先行車的な位置付けだが
輸送力増強や和泉中央延伸など
当初から量産していくことが見込まれ
>>813
大阪市10が10連化した際の廃車は
1101と1102と1103と1801
つまりM2ecが3両とTecが1両
これでは本当にどうしようもない
だから史実通りの展開になった訳で >>807訂正
営団05VVVFというより06・07と各種派生型か >>728
実際の1000が登場したときに渡された図面に9100と書かれていたものもあったとか 新製のキハ41形。キハ47形の両運車タイプとして計画されていたが、新製されず。
はるか後年、キハ47の改造で登場することになるとは。 >>794
あくまでもその南海ビジネス特急は仮称9100とその場合の1000が実現した場合での想定であって
実際には仮称9100が量産に変更されて1000になったから、ビジネス特急の計画も白紙になったのかな
実際の1000と10000中間増備車・11000の登場は同じ1992年だからね 仮に仮称9100が実際1000と同じ1992年に登場していた場合、この場合での1000登場は1994〜1995年頃だったろうから
ビジネス特急も史実10000中間増備・11000より登場が後だっただろう 南海はあと
30000の貫通型改造
11000の増備
10000増備の先頭車
このくらいか >>822
仮称9100試作車がH3年度
1000量産車がH5年度という感じ
>>823
10000の先頭車増備は構想すらなく
VVVFビジネス特急車へ移行
>>824
電機子チョッパーの
新造電機か
EF60改造の荷物機か EF68と言えば、EF70の直流化改造機が名乗る可能性もあったな。 >>825
電機子チョッパの新造電機はD型が想定されていたはず。
粘着が良いからDで十分という考え。 >>826,828
失礼
幻の電機子チョッパー電機において
EF68はEF70直流化改造機
ED95が新造の試作機
ED63がその量産新造機 福知山線脱線事故による車両の代替新造(207-3000と思われる)
実際にはまさかの103で代替となったが、もしかして当時の酉はJR型が不評だったからなのか? 既に207-2000増備を終了し
321量産体制へ移行していたため 南海では1000派生型をいくつか想定していたらしいが、どれくらい想定があったんだろうか? >>823
南海30000の他に名鉄1000も貫通式に改造する計画があったらしい
両方とも中止という 東武500の原形となる
250増備の3連3連分併編成の話では >>807
>>821まとめ
・南海1000の原計画が仮称9100で1本のみの予定
・仮称9100・9000増備→1000狭幅車、1000量産→1000幅広車、2000車端クロスに変更
・ビジネス特急車→10000中間増備・11000に変更
>>834
wikiに有ったような >>823追加
現8000の高野線投入
8300の総車製 仮称9100試作VVVF通勤車
拡幅車体でIGBTそして三菱TISの
一般車1000量産1次
その1000派生形として
支線等ワンマン対応21m4扉車2連
山線2連ワンマン対応の新世代Z車
本線高野線共用VVVFビジネス特急車
VVVF空港特急車 国鉄時代に構想されていた幻の105だが、実現していたら阪和線もそれになっていた?
(今の105ではなくて大阪万博前に構想されていた105) 史実だと大阪圏103新造投入は
京阪神緩行線より阪和線が先行したものの
本来適した各停用でなく快速中心に充当
幻の105は103量産車設計と並行の検討で
仮に具体化し阪和線も対象となれば
やはり仕様から快速用志向だったのだろう
オトへの新性能車増備は
阪和線旧性能車追放や関西線電化準備とも
新造は叶わず全て転入中古車による手当
113は紀勢線電化準備まで
103は阪和線輸送力増強設備大改良まで
新造車は待つことになり所属はヒネ時代
最初の快速用オト103新造が
幻の105に差し替わっていたとて
阪和線用としてこれだけの投入に終わり
後は史実通り
103転入車ばかりだったのでは
>>834,836
その記述は見当たらず >>836
南海2000系が登場した時点で、9000系の増備は
少なくとも既存車と同じ仕様では無理だったかと。
9100系をVVVF試験車として登場させるのであるなら
2000系より前に登場しているはずだし、(2000系の後に
試験車を登場させるのは順番としては不自然)
やはり史実の通りになったと思う。
(>>787でも書かれているが、2000系登場時に4ドアの
VVVF車を登場させる計画があったのは事実) あ、西武で6000系の後にN2000系VVVF試験車が
登場した例があったか。
でも、関西で量産前提のVVVF車の後に
試験車が登場した例はないはず。 だから
2000登場時に予定されていた
21m4ドアVVVF通勤車こそ
仮称9100試作
仮称9100試作はVVVFだけに留まらず
車体や艤装関係を含め
車両全般の新機軸を検証する使命
よって2000がGTO-VVVF車として
先行して登場する計画だったのは変わらず
それと9000増備車の車体が
従来仕様を踏襲できるかどうかは別の話 今の1000を登場させる方針になった時はまだ形式が定まっていなかったみたいだね
図面には9100と書かれているのもあったらしい
実際の1000(0番代)は増備車で車体幅を広げただけで終わったが >>844
いや
1000-6次車において
2Lev.IGBT-VVVFやIGBT-SIVに
モノリンク軸箱支持台車など
当時の新機軸を一挙採用
変更後の方針通り
導入の目処が立った新機軸から
随時設計変更を繰り返して盛り込むことは
1000としてやはり貫徹
>>845
国鉄末期に経営陣の一部が感情論から
それまでの実績を無視し
各社線との直通を廃止する意向を示し
南海においては急行きのくに
社線内は実質特急扱いだったが
紀勢線電化の実態に合わせて
東北新幹線開業で余剰発生の485や583を
国鉄車の併結相手として
中古車譲受にて保有するよう要請
これらの形式は車両限界の差から
電鉄側の大幅な設備改良が自明なため
要はこれを機に乗り入れ廃止を
南海から申し入れよという
国鉄から暗に示された意思表示
似たような状況は名鉄や小田急
そして富山地鉄や富士急や大井川に
どの社も対応に苦慮していた >>845
当時の新聞に記事があるようだね。
>>846
小田急の場合は、短編成のLSEに乗り入れ車を交代させようとしたところ、
「前面展望車を入れるなら、乗り入れ廃止だ」と言われ、やむを得ずSSEを
更新して継続使用した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
小田急にあったEF65購入計画
新車などの甲種輸送時、それまでは自社のEL重連でけん引していたが、故障と老朽のため
JR貨物からEF65 1000を1台購入する検討をした。しかし、新松田−渋沢間の
鉄橋がEF65を走らせるには強度不足と判明。電車けん引とすることに。
ただし、現在も新松田駅での入れ替えには、EF65 2000が使われており、
小田急の運転士が入れ換えを担当するため、講習を受けた運転士が存在する。 >>833
名鉄の3700や3100は
増備で前面常時貫通とし
1600を指定席車とした空港急行の運用も
という話と勘違いしているのではないか >>846
システム的には1本だけで終わる予定が量産された実際の1000(0番代)と、量産する予定が1本だけで終わった1000-50ということか >>707
南海1201、1521、21001の新塗装も幻になったよな >>850
そういう認識に近い
>>852
21001×4は
南海の新標準新塗装にこそならなかったが
形式21000として新塗装編成は実現 >>838
車体的には2000後期車が新世代17m車、1000狭幅が仮称9100、1000幅広が幻の1000、11000がビジネス特急に近いのかな
それと50000を一時4連化する構想が有ったとか
30000の貫通化は31000に合わせるためだったと思われるが、今思えば中止になってくれて良かった >>853
山線2連ワンマン対応の新世代Z車は
史実の2300相当
50000は組成システム上
特にSIV給電体制が6連8連10連と
6連から2両ずつ長編成化の前提しかなく
6連より短い組成は対応できず
これまでも検討すらなかった >>838
仮称9100とその場合の1000は投入路線が気になる
実際の1000が今でこそ両方の線区に投入されているけど、登場時は南海線用と書かれていた模様だし 仮称9100試作は本線
1000量産は本線と高野線 >>755
2200・7100更新が途中で中止になったのは鋼製一段下降窓が災いしたのか?
小田急9000・京王6000が廃車早かったのはこれが理由と言われているし
>>756
7000の車体に1521の足回りってこと? >>857
7100-1次車更新工事の方針撤回は
仮称9100試作から1000量産への
計画シフトが明確になったため
22000更新工事の対象編成削減は
2000が当初方針以上の増備決定を受けて
7100や2200で一段下降窓の部分を含め
側構体など車体台枠以外は
多くが更新工事にて新製されており
その構造はもはや問題でなく >>843
>>858まとめ
恐らく1990年8月辺りまでは仮称9100の計画で7100の更新メニューが変更された辺りにVVVF通勤車の方針も変更されたんだろう
ちなみに、7100の更新メニュー変更は1990年10月
実際の1000登場は京王8000と同じ1992年2月
京王8000の計画決定は1990年12月 阪急8300系のC#8904とC#8984の2両は
将来の8300系増備が行われた際に、
8315Fから8304Fに戻す予定だったが、
8300系増備ができる状況では無くなったため
計画は中止となった。
ちなみにこの2両が8315Fに転用されたのは
当時6連だった8315Fの車内情報装置の
有効活用の為だったが。
>>843
京阪6000系の8連化用増結車や阪急7327F、
阪神8233F以降のように車体だけ
マイナーチェンジされていたと思われるが、
少なくとも2000系が登場した時点で従来の
南海9000系車体は型落ち。 223日根野車は結局5+3編成化まで増備が無かったが、仮に6+2時代に増備が行われていたら223-1000ベースになっていた?
207は223-1000と同時期の増備車はドアが223-1000と同じ窓枠になっただけで終わったけど
阪急が仮に更なる8000増備をしていた場合、京都線用は機器は従来通りだったけど、幻の神宝線用は8200ベースになる予定だったらしいし 223-1000はH7年度の130km/h新快速用
当時これは近郊形の特化仕様で
やはり新機軸が多い283や285など
特急形の一部へも展開したが
何れ新標準としての昇華を目指すも
まだ通勤形など汎用車への適用は尚早と
東芝だけでなく日立三菱からも
供給が開始されていた
営団06などの3Lev.IGBTは
まだ小容量で未成熟な面もあったため
先駆的な技術を志向する車両案件へ訴求
よって223-1000でもテクノスを通じ採用
登場以降に増備の207-1000や281-3連
そして681量産車すら
207-1000や223-0や281と既存仕様を踏襲
そもそも207-1000と223-0と281の3形式は
西のVVVF車としてH5年度に
初めて形式間共通の標準設計を具体化し
東芝が東901Bや681量産先行車で提案の
小容量GTO-VVVF1C1Mを量産採用
阪急も同じく提案を受け
目標の3M5Tが実用的に組めるため
神宝線で8200に採用し幻の8010も予定
つまりメーカー標準の1つになりつつあり
価格帯なども相応なため
当面の安定量産を志向する車両案件へ訴求
小容量GTO-1C1Mも当時十分に新しく
特殊な223-1000の登場を受けて
すぐ207-1000や223-0を設計変更する
までの動機には乏しく
よって223-1000ベースの関空快速形は
タラレバでも展開としてあり得ず
それは結局223-2500となるしかなく >>862
3M5Tは9000で京都線用、神宝線用とも実現したけど、制御単位は1C2Mになったね >>618
9000系や1000系は登場している
但し、今頃は7000系鋼製車まで置きかえられているかも
下手したらアルミ車も >>860
南海10000系中間車(11000ベース車体)みたく
1000系1次車ベース車体の9000系増備車。
>>862
幻の阪急8010は梅田側から
8010-8610-8560-8760-8790-8660-8510-8160。
(>>448にも書かれているが)8790を震災急造サハに
番号を譲った時点で計画中止。 >>866
南海9000増備車は車体で
東武の10000と10030の差異みたく
側面がコルゲートかビードかの仕様変更は
あったかもしれないが
史実の南海1000-1次車は
旧東急車輛も野心的な提案で
軽量ステンレス車体の表面を荒らして塗装
これは仮称9100試作での新機軸として
掲げられていても不思議ではない内容
信頼性から当面9000を増備する趣旨で
東武や京王みたく従来ベースの車体も
新造できる体制であったのに
仮に9000主要機器に1000-1次車の車体なら
もはやそれは形式9000の増備でなく
設計変更の規模から
監督官庁も別形式付与を指示 >>867
ソース出してね
根拠ゼロじゃ信用できないよ >>867
東武10000が10030にモデルチェンジ後、10000の8連の10連化を行って
コルゲート車体の車両を作っているが、製造メーカーはアルナ工機。
その当時、東急車輌でコルゲート車体の車両を製造出来たのかどうかは知らない。 >>864
東芝小容量GTO-1C1Mは1M2Tまで実用
よって3M5Tなら十分だった一方
2Lev.IGBTだと3M5Tは1C2Mとしても
制御精度を確保できるため
主回路素子の世代交代がコスト抑制に奏功
>>866
阪急では7000鋼製車新造の時代から
将来のVVVF車導入を視野に仕様策定
その1つが編成内のM車配置で
高粘着を活かしたM車削減を念頭に
編成の両端か中央かを検討したところ
編成長の弾力性や車種構成の抑制から
両端とする方針
それは削減理想の3M5Tの決定版である
9000番台まで踏襲し8010も
Mc1:8010
T1:8560
T2:8660
T2:8760
T2:8680
T1:8580
M1:8510
Mc2:8110
ちなみに8790新造以降に
8010は計画されており付番は錯綜せず >>865
阪急の車両計画は
バブルの頃だと8000番台登場以降
旧1010や2000から置き換えていくが
既存車の寿命を調整するための更新工事を
7000番台を含め実施せず
VVVF車統一までの年数を大幅短縮する
大胆な方針
8010や8304を
8000番台決定版にて量産の計画段階だと
置き換え対象が
前者は3000と3100と5000
後者が2300と3300
さらに続く車両更新を
同形式か新形式で充てがうかは別として
5100や5300や6000なども視野に
この時点で直前世代の7000番台は
更新工事が計画中のため念頭になく
9300登場で車両新造再開となり
同時に車両寿命平準化のため
既存車大規模車体更新工事の方針が決まり
現況の原形を成しているが
アルミ車は更新改造でIGBT-VVVF化
これで寿命60年目標
鋼製車は主制御装置オーバホール
こちらは寿命50年目標
長期計画で9000は構想になかったが
頓挫した8010の代わりに企画され
それを
9300ベースで神宝線用通勤車として構成
つまり
8010の無念を9000やN1000で実現 ササクッテロ
この人は事実と妄想がごっちゃになってるからたちが悪い。 >>867
メトロ05は監督官庁の指摘は受けなかったのか? >>819
>>844まとめ
今の1000になった当初は南海線特化だったから図面は9100だったけど
作る直前になって高野線にも導入が決定したために1000になったんではないかな
>>871
阪急は元々抵抗制御を極力排除する方針だったのか
実際は2000年代でも関西各社はどの会社とも抵抗制御現役だったが(酉でも103が抵抗制御)
最近になって関西抵抗制御車の廃車が本格化してるが、これはようやく関西各社でも抵抗制御車が不要不急線であると気づいた結果だろうね サハ223-200
223-0登場時に一応想定されていた模様 >>875
仮称9100試作はVVVFの冗長性を活かし
1000量産での本線高野線共通化を意識
つまり
試作車のとりあえずの投入先は本線で
種別行先や車内の案内は本線仕様でも
設計は高野線も共用できることを前提に
そして阪急だけでなく
南海も上記の1000量産と派生形
京阪は7000以降
近鉄も現1421試作の早くからVVVFの取組
など在阪大手民鉄はVVVF車の初期から
将来は保有車の大多数を占める相当な普及
を意識して展開
阪神も8000第13次車以降を
新形式VVVF赤胴車とする検討もあったが
そこは国内大手でも西鉄と並び慎重だった >>874
4次車では前頭部や車体寸法そのままに
ワイドドアとGTO-VVVFの試作
6次車では1300mmドア回帰するも
側面レイアウト変更と
3Lev.IGBT- VVVF化
8次車では前頭部意匠変更
11次車では
側面レイアウトの4次車以前回帰と
2Lev.IGBT-5M5T化
つまり設計変更の大きな次車でも
05としての基本仕様は順々に踏襲
しかし15000では当初
形式05のまま増備の次車を予定するも
変更点が多岐に亘り過ぎて新形式へ >>493 >>494
似たように泉北7000系は6連をあと2編成
増備する予定だったが、所要車両数見直しにより
中止。
しかし反面6連が1編成のみとなったことから、検査時の予備対策として4連2本
を6連と2連に組み替え。(鉄道ピクトリアル
臨時増刊「鉄道車両年鑑2005年版」より) >>879
東京メトロ15000系は、05系初期車の
置き換え用なので、世代的に
1x000系シリーズで良いとなり
15000を付番したと思われる。 >>882
ミトーカが881だとロゴの座りが悪いから、とゴネたのだったな。
まあ、北か西がそのうち使いそうだが。 >>877
とりあえずは関西各社も抵抗制御激減は念頭にあったと
でもなぜ今に至るまでゴロついていたんだろう
仮称9100は南海では実現しなかったけど車体までゼロベースの予定だったということは束の901的な感じ? >>884
バブル崩壊の影響が関東より関西の方が大きかったからな。
加えて1990年代に関西の基幹産業だった電機産業が海外移転して、
また金融なども東京に本社が移転して、通勤客が激減。 >>871
えっ9000って8000増備ができなくなったから計画されたものなの!?
つまり8000増備が予定通りなら9000番代は京都線用のみの付番になってたのか
まるで2800みたいな位置だな >>888
>>871の改行しまくる奴は妄想と史実がごちゃ混ぜになってて
ソース出せと言われても理解できないアスペだから信じないほうがいい >>888
当初の計画では
8010で神宝線老朽通勤車
8304で京都線老朽通勤車
9300で京都線特急車すなわち6300を
置き換える前提
そこで形式9000の想定はなく
ところが8010登場と8304増備とも中止
そして7年後ようやく9300に絞り実現し
企画段階の2扉車から3扉車へ設計変更
ここで6300よりも9300の運用は拡大され
置き換え対象を特急車だけでなく通勤車も
つまり
予算の制約上で特急車しか新造できないが
運用を工夫することで老朽通勤車も捻出
車両関係の新造予算も年々増額され
既存車の更新工事だけだった神宝線も再開
そこで8010は形落ちのため
急遽9300ベースで通勤車を構成して対応
そういう意味で9300と9000は
急遽2300ベースで構成した特急車2800
を彷彿とさせるし
神宝と京で対になる通勤車特急車がない
6000と6300のような関係とも言える >運用を工夫することで老朽通勤車も捻出
というよりは
特急車の仕様を
通勤車専従運用へも充当しやすいよう
従前と異なり通勤車折衷とすることで
老朽通勤車も並行して捻出しやすい環境に
特急の停車駅増加と
列車本数や運用車両数の最適化を併せて
阪急が考えた最大効率
京都線特急車の更新が完了し
9300ベースの設計も形落ち
9000も特急車ベースでコスト抑制の要請
そこで
大規模置き換えと将来の車両運用を見据え
従前の車両設計方針が全て見直され
通勤車特化で1000と1300へ >>867 >>869
東急8500系(8642F)の増結用中間車(0818+0718)が91年3月に、京王
7000系6連(7706〜7712F)の8連化用中間車(7106+7556〜7112+7562)
が92年1〜3月に、それぞれ東急車両で製造されている。しかし、この時点で
両社ともコルゲーション車体の編成単位製造は終了していた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています