幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc >>629
東海から続く、0番台の追い番でしょう。
2000番台(オールロングシート)は、当時の関西では絶対許さないでしょう。 >>629
205が山手の続番だったから211も続番だったろう 民営化後、西に211の転換クロスが出ていた可能性があるね。 南海8000系近車案
8000系企画時は、近車での製作も検討され、実際にデザイン案も出されたらしい。
今の8300系とは違い、1000系を近車で製作したような印象だったとか。
結果は、8000系に関しては実績のある東急で製作されることになったが…
南海2300系当初案
実際には赤系の色で登場した2300系だが、計画当初は2連単独で使用可能・ワンマン対応を除いて殆ど2000系と共通化した思想だった。
塗装も南海通勤車標準のものになる予定だった。
車内も2000系後期型に準じ、車端部がクロスシート以外はロングシートの計画。
現在の意匠になったのは、高野山が世界遺産登録に認定されたかららしい。 東海で211系の転換クロスハージョンが311系だからな。 もし新快速用の211系を造ってたら213系のMM’ユニット仕様になってたのか311系の西日本仕様になってたのだろうか >>636
多分311の西日本版みたいなもんだったと >>638訂正
南海1000系50番代ベースの2連・8000系3連
南海1000系6次車は、4連1本しか製造されなかったが、計画時は4連と2連を合わせて60両を量産する予定だった。
(>>623でも書いたが、2003年度に8両程度の増備が予定されていたが中止)
また、8000系は2連を作る計画はなかったものの、南海線普通車の利用者減少により、普通車専用の3連を作る構想があった。
しかし8000系の増備がままならず、普通車に関しては
高野線で余剰となっていた2000系を南海線普通車に転用することになったため、8000系3連の計画は中止となった。
南海7200系
6200系ベースの鋼製車として計画されていたが、当時の南海線の輸送人員が横ばいだったため、登場しなかった。 他にも南海では、サザンの構想が出た時に名鉄のような一部指定席車の6両固定編成の構想もあったとか。 >>537 >>623 >>633 >>639
南海1000って当初は座席を一部転換クロスにする案もあったのか・・
でも京阪9000や大阪モノレール1000増備車みたいに今頃はロングシート化改造されてそう
もしかして2300の転換クロスは1000で幻になった計画が形を変えて実現したもの?
それと1050は現8000の試作車だと当初は思ってたけど阪急8010や京阪10000の7両(新造として)の例を見る限り、南海1050も増備計画があっただろうな っていうか南海って少数編成作りすぎw
知っている限りで旧8000.1050.11000.31000
せめて旧8000・旧8200は最初から6000番台で、9000は7000番台の系列に入れられなかったのか?
11000は製造せず31000をもっと早く作るべきだった 四国でも、東海から113譲渡の計画あったんだけどな・・・
瀬戸大橋出来た直後に。
分散クーラー(東海で使っているやつ)載せて、111と同じ特保メニューやってだな。
朝晩のマリンは213で辛いとの輸送事情あったのと、高松近辺の気動車淘汰用でな。
ところが瀬戸大橋の騒音問題で頓挫。
89年に名古屋で廃車になった113あっただろ?そん中の一部が四国へ行く予定だった
んだぞ。最初は西に打診したのだが、当面使用するってことで断られたための話。 >>642
メトロは逆に、同じ形式でも、初期と後期では別形式といっていいほど違う。
特に05系は、初期と最終型では別形式といっていいほど違うし、それに、その中間でも、窓割りが変わったり、ワイドドアがあったり、チョッパからVVVFに変わったり、また、同じVVVFでもシステムが変わったり、他社(特に関西)でいうと、3,4形式ぐらいにもなる。
しかし、面白いことに、窓割りは、巡りめぐって、後期型では、初期型と同じものに戻った。 >>623,639,641
南海1000-6次車は本来なら
当該だけで4連3本の予定が1本のみに
しかし一応は60両程度の規模が念頭に
その後はH15年度を含めしばし見送られ
2300新造を挟み
H18年度から7次車として10両増備を計画
このときそれこそ2300の影響で
一部転換クロスも視野に
N8000-3連口は
将来の増備として設計上想定された話で
2000の本線転用とは全く関係なし
>>621-622,636-637
大鉄局としてはあくまで211は快速用
そしてベタに新快速用で213を想定
1M2Tベースのままでは
スジ的に厳しかっただろうから
Mc-T-M-T-M-Tcくらいが適当か
または415-1500みたく
213車体の117-200として4M2Tか
211の4M2Tそのまま2ドア転換クロスが
妥当なんだろうが うろ覚えだけど昔のRF誌に酉が伯備線特急用に一軸連接車体のタルゴ列車を投入するという記事が載ってたが、
あれってガセだったのかな >>645
もし南海1000の7次車が登場していたら7000廃車開始はもっと早かったかもね
実際2000転用時に同数廃車、8000の5次車製造時に廃車があれば7000は1年早く引退してた 北大阪急行の8000形は当初VVVF更新を含めた延命をする予定だったが、結局9000形に置き換え廃車に変更 >>647
狭軌新幹線スーパー特急を意識して
JR総研がNEXT250なる
実試験車から実営業試作車への反映も
当然念頭にしながら
在来線超高速車の要素開発を企画
そこで生まれたのが四8000や東E351
そして東E991TRY-Z
西におけるその取組がWEST21なる
短車体1軸連接振り子車
紀勢線伯備線などの
381や183-800の置き換えだけでなく
山陽山陰の衛星都市間非電化線区用も
紀勢線高速化事業でも
まず暫定で681
後に暫定の前提が差し代わって283
を手当したのち
このWEST21の営業用量産車を
本命として投入する算段だったのだが
九州スーパー特急がフル規格化決定にて
NEXT250自体が中途で頓挫 >>649
北急8000は
大阪市ともに可動柵計画がなかった頃は
箕面延伸を見据えて
全編成とも車内と機器の更新改造を計画
そして延伸用は当然新形車を増備
だったのだが
どうせ新形車を造るなら
在来車更新改造との費用対効果が言われ
入場工程や施工内容が何度も見直し
その間に可動柵の検討まで割り込み
改造の規模が益々大きくなり
いよいよ新形車置き換えが有利なのかと
大規模な機器更新は棚上げされ
最小限の機器取り替えにて様子見
10年以上の紆余曲折の後
地上設備は
大阪市のようなATO+TASCとせず
可動柵に対しマニュアルブレーキ対応
そして車両は
新形9000が置き換え用4本と延伸用増備
8000は3本だけ更新改造車として残す
ただし御堂筋線用に全車ATO+TASC設置
8000は
IGBT-VVVF化など大規模機器更新は完了
今後は車内の本格的な更新と
ATO+TASC設置など残る改造を予定 >>645
2006年というと南海1000系の登場から14年が経過しており、その時点で1000系を増備できる状況ではなかったんではないか? 南海1000-6次車では
車両部内で新形式と呼ばれるくらい
根本からの設計変更点が多岐にわたるため
実質ここで1〜5次車からリセット
よってH18年においてまだ形落ちでなく
機器調達上も増備できた段階 >>642
1050系は増備の計画があったから仕方ないにしても、旧8000系は要らなかったろ
似たような近鉄3000や阪急2200だって同じく1編成で終わってるし
9000系も旧1000系置き換えだけで終了だったらもう少し待てばよかったんじゃなかろうか?
高野線は1982年以降、8000系(史実の8200系に相当)を製造し、
南海線は1989年から史実とは違う9000系(2000系初期車の20m版・GTO-VVVF)が登場していれば良かったと思う
その場合は10000系登場も遅くなり、また高野線では運用できなくなるが、その時の高野線平坦用は泉北5000と共通設計車で問題なかったろう
>>654
なら1000番台にせず、せめて3000系とかは駄目だったのか? >>655
当時の電機子チョッパーは
既に界磁チョッパーも普及しつつあったが
汎用通勤車の制御方式として
まだ有力視されていた段階
しかも南海選択の三菱AVFチョッパーは
平坦線の高速運転だけでなく
運転頻度起因の回生の問題を除けば
準山岳線区の勾配対応にも適し
むしろ8200が
四象限チョッパーだった可能性の方が
また2000は初のGTO-VVVF車だが
要素単位の採用という認識でしかなく
本格的な21m4ドア通勤VVVF車には
制御伝送など周辺技術を含めた新機軸を
まとめてフルシステムチェンジが大前提
よって中途半端な状態の設計は念頭になく
2000をMBSAと21m4ドアにしただけとか
そういうタラレバはありえなかった
それとやはり
3000番台は当時なら泉北車用
1000-6次車の段階で
既に8000番台の形式付与も検討 阪急2200は企画当初
まず車体はアルミ無塗装で軽量化し
側引戸上半分にマルーンのワンポイント
そこでMMも135kWと容量抑制を実現
そして編成は4連2本で
1本ずつ東芝と東洋でチョッパー装置試作
車体に関して
かつての名鉄6500とは逆の塗装パターン
しかし肝心のアルナが
阪急要求のアルミ車体技術水準に至らず
ここでは見送られ通常の鋼製塗装車
ちなみに無塗装ではないが
3年遅れて6000×8がアルミ試作車で実現
電機子チョッパーに関して
東洋も複雑ながら直並列チョッパーなる
高速域から安定の回生を目指した方法が
京急の旧600試験や
後に201となる国鉄用制式向け開発で
実績を積んでいたが
2200企画の時点で
通常の電機子チョッパー方式など
阪急要求の営業試作車搭載には応えられず
MMに関して
企画段階の5300試験結果もあり
鋼製塗装車に設計変更された後も
容量の再検討の見送りが若干アダに
というのも神戸本線で営業開始後
運転現業から性能不足の反応
しかし試作車のため長く様子見
そこへVVVF長期実用化試験の具体化で
新造VVVF試作車は7000派生でなく
2200形式とし当該編成組込前提
よって4M4Tから一挙潤沢強化6M2Tへ
試験当初は
7030×2の間へVVVF車2両を挟んだが >>634-637
そのJR西版331系は?
前面が独自なのか、それとも211系タイプ顔(ほぼJR四6000系?) 西の311的な車両など
スレのヲタ話における
展開上の思い付きでしかなく
実際に具体で西が考えていた
という次元とは全然異なり
妄想鉄スレ的な産物 >>493
当時の南海の広報誌でも2014年度に20両製造と書いてあったよな<増備車
この20両増備で、7000が全廃になるというと複雑な気持ちだったが、甲種を楽しみにしていたのに・・
スレ本題に戻すと、8300系は仮称は新8200系だったよね
やはり8200系が改造されてそれほど時間が経っていないから8300系になったとかかな・・
となると1050系も旧8000系が改造されて少ししか経っていなかったからやむを得ず1000番台にしたとか? 近鉄シリーズ21後継の通勤車
阪神1000ベースのステンレス車で、形式は少なくとも奈良線用は3020系だったとか
中止になった後、図面は南海8300に転用されたとかなんとか(南海と近鉄は車体長がほぼ同じ) ステンレス車体のシリーズ21の形式が
3020として想定されていたのは事実だが
南海8300とは関係なし >>660
>>623にも書かれているが、総車側の都合によりキャンセルとなり、8300系を前倒しで製造した。
南海6000系VVVF化改造車。
85年〜89年にかけて行われた6000系の冷房化改造だが、当初はVVVF化改造することが検討されていた。
最終的にはVVVF自体が当時高価であったことから見送られ、抵抗制御のままとされた。
7000系のような1C8M化が行われず、また一部車両が東急車両で冷房化を行ったのは、
恐らくその計画の名残と思われる。 南海9100系(>>439改訂)・9000系増備車
前者は恐らく91年に登場する予定だった、 VVVFの試験車。
試作車なので1編成のみで、量産される予定は無かった。
当初の計画では、>>537にも書かれているように、多分92年まで9000系を増備し、93年から1000系を量産する予定だった模様。
それが、新塗装化が絡んだCI制定と並行して、9100系試作・9000系を増備から1000系を前倒しで製造に計画変更されたため、
9100系は幻に終わり、9000系は中途半端な形式となった。
9000系の製造は88年の9513Fで終了していた為、仮に9000系の増備があった場合、仕様変更箇所が多くなっていたと思われる。
また、1000系に関して営団が提唱した「標準型車両」の規格に準拠した設計にする案もあったらしい。
また、現ラピートも当初は11000系を基本としたデザインの予定だった(鉄道ファン92年2月号の記事より) >>664
えっ南海6000はVVVFにする構想あったの?
でもあの車体でVVVFとか想像できない
仮に実現していたら東急7700以上のゲテモノ >>656 >>665
そういえば南海に阪急7310・2720-2721・京阪6014・近鉄VW21みたいな試作車は存在したっけ
その時代は阪神が震災前までは界磁チョッパ車増備し続けていたから、9000増備も不可能ではなかったろうけど
西鉄・名鉄も90年代まで直流モーター車作っていたが >>664
6000をVVVF化するなら
冷改更新の直後として検討されたこと
つまり
冷改更新の企画時にはまだ具体でなく
最中に機運が高まり
そして前提は1C4Mのまま
>>667
昇圧時に休車で残した21201-21202を
電機子チョッパー試験車として
日立と三菱で競作させる検討も >>125 >>668
もし21201が電機子チョッパ試験車に改造されていれば、旧8000系は出なかったかもね >>665
twitterで見たが、ラピート当初案の関空特急はハイデッカー構造で床下が荷物室になる構造だったらしい。
南海と東急車両が実際に特許を出願したそうだ。 >>622
根底には113系置き換えのため、国鉄最末期の211系投入計画代替があった。
>>624
快速用で更なる新造はされていたと思う。
その後、90年代に入って新形式に移行していたかもしれないが、その段階で、
今の221系のような車両が生まれていた可能性はあるだろうね。
>>629
クモハを要望している、と聞いたから多分名古屋の続番になっていたに違いない。
>>645
後年、JR初期の頃だが、221系の話が出る以前には将来、新快速が増発された場合
213系で増備する案もあったと当時の関係者から伺ったことあり。 >>670
制御システムとしては安定していたため
試験用改造車でのテストランに続き
営業で長期実用化試験がしたいとなり
やはり史実の8501×6相当の車両新造は
確実にされていただろう >>441京阪について
>しかし8000系が好評だったため、旧3000系を8000系に置き換える計画に変更
だったら最初から8000は作らない方が良かったんではないか?
8000が無かったら車両製造は7000に一本化しており、2000番台の形式の大半が90年代中に廃車されてたと思う
旧3000はそのまま使い倒して、2008年辺りから3ドアの新車に置き換えれば良かった
阪急6300みたいに >>671
ラピートは50000なので
単なる空港特急として想定での話
当初のハイデッカー空港特急車は
10000企画当時の古い話で
30000や10000-1〜3次車の車体がベース
続いて1000や11000の計画発表と同時に
11000ベース車体のVVVF車6連が言われ
もともと仮称9100試作車の段階で
量産車1000と併結対応で派生形の
本線高野線共用ビジネスVVVF特急車
そして併結は想定しない前提で
更に派生したVVVF空港特急車
これら2つが近い将来の展開とされ
南海では1000派生形を他にも想定
この前者が11000の原形
そして史実の11000は
高野線特化で抵抗制御に収束
この後者が冒頭に触れた
幻の11000ベース車体のVVVF空港特急車
として具体化
>>672
McM'-T-T-MM'-Tcな大鉄局211か
>>674
出町柳開業準備で特急車増備は必然
よって8000登場は史実で相違なく
しかし
8002-8052製造開始のタイミングから
京阪としては8001-8051の営業開始前に
8000の編成単位増備と3000置き換えを
決断していた 相鉄旧6000、2100のVVVF化
仮に実現していたらやはり3000や5000と同じような機器を採用していたのかもしれない上、8000、9000の導入は少なかったかもしれないな。 そんな話聞いたことないかったな
チャクウィキには書いてあるが >>675
そういえば281も当初はステンレス車体が検討されていたような
京阪特急に関しては出町柳延伸時に旧3000をリピートオーダーは駄目だったのか?
6000登場後に2200の中間増結車を作ったことあるし >>676
経営面で相当ネックがある(VVVF化の理由付けをするには?)
場合によっては台車交換も考慮しないといけないし
旧6000は3000(←3010)の次に更新や冷改が遅かったから(80年代前半に実施)
再改造となるのは面倒だろうね(費用対効果の面で無理)
同時だとしても?
3010の直前に改造した車両の一部ぐらいだろうね(試験用として1本程度〜)
6000を日立製、3000を東洋製で形式(編成)ごとに機器を変えて比較するとか
複数編成だと、MT比の違いによる編成単位の走行性能を比較可能
2100は
70年代後半の改造で、冷改と同時に機器更新(新性能化)をしている
わざわざ更新した機器を10年ほどで入れ替えるかね?
最低でも台車以外は再度入替(場合により下回り丸ごとも)
経理上原価償却の問題があるし >>678
2380新造は同形車体で遡ると
直前の2630から4年しか経過しておらず
3000はS48年の増備完了から数えると
出町柳開業は16年も隔たっており
もはや当時の仕様ベースで新造は不可
だから7連化用中間車は
8000ベースだった訳であり >>680
そういえば旧3000に1両だけ8000挟んでたっけ
6000の中間増結車も7000と同じ車体だったから仕方ないか・・ >>643
高松近郊の一般DC運用の置換な
電化区間の普通列車を原則電車化する計画があって
89年度に実施の予定であった
それプラスで 瀬戸大橋線児島止まりの普通列車も日中は
全て四国延長とする話もあり トータルで111系だけでは不
足が見込まれた そのため 113系を要望する破目に
当初は 西に113系or115系の経年車を手当してもらい
特保+冷房化を施した上で使用する計画だった
しかし 西は当時相次ぐ増発や増車で余剰が少ない状態の
ため断念 代わって211-5000導入で余剰が大量に発生する
見込みの立った海に打診したところ あっさり快諾したのだが・・・
瀬戸大橋の例の件がなければ 普通に入っていたよ >>679
そうなると結果やらなくて正解だったかもな。 とれいんの117・185系特集に載っていた117系計画案。
113系とDD54を混ぜ合わせたようなデザインの非貫通前面で、運転台直後がロングシート。 >>671
アイディアは面白いが、もし実現していたら、小田急HiSE,RSEと同じ理由で早期廃車になっていたかも。 >>671
>>686
まるでハイデッカーの高速バスだな。
バスは良くて鉄道がダメというのは、ちとモニョるな。
施設面とか条件の違いは理解するが。 京急800後継の4扉車(仮称新700形)
1990年代初頭に計画されていたもの。
前面は1500を非貫通にした感じだったとか。
しかし、特急系車両の開発が先になり、そこでこの通勤構想を取り入れたので、600形はあんな形で登場することになってしまった。 >>675
えっ南海1000は特急仕様車も作る予定だったの!?
11000は今思えばVVVFで登場してもよかったな >>460
3000導入時の計画では2008年までに2600・旧4000・5000・9000・5200を全廃する予定だった模様。
よって5000置き換えに4連は作られてただろうな。
千代田線新車置き換え絡みで計画が変更になったとも。
新4000は作る予定はなかった。 >>666
VVVF更新車で、関東にはほかにも?
京成3200形(3291-3294)
相鉄2代3000系(←3010系←初代3000系)
という迷車があった
3000系の方は全10両中7両が、国電63系由来の台枠を流用 相鉄・初代3000系、全9両の内訳
63系(この台枠を3010系→2代3000系に流用)
運輸省割当車、6両
(東急1800系:1500V小田原線用※1→相鉄・初代3000系)
デハ1806-1808→モハ3001-3003
クハ1856-1858→クハ3501-3503※2
※1当初、二俣川以西専用、※2クハ3503→モハ3006
事故車払下、1両(復旧、カテツ交通施工)
クハ3504
※復旧に伴い、63系車体で同車のみ丸屋根・平妻
40系(モハ60形式、モハ60003)
戦災車払下(復旧、本田工業所施工)
モハ3004
※種車由来ノーシル・ノーヘッダー車体が特徴
32系(サハ48形式、サハ48025)
事故車払下(復旧※、浦田車両施工)
モハ3005
※3扉・電装・両運化も同時に実施 >>695
そのうちモハ60とサハ48の改造車が、台枠流用せずで、異形台枠をうまく排除。
サハ3514は新製したので、最初の2輌は台枠新製でうまく処理されたわけだな。
計画のみに終わった国鉄客車オハネフ17形。
40輌が寝台緩急車として計画されたが、ナハネ10の定員54人化にもからみ、
ナハネフ10の改造によって計画中止。 そういえば去年の大宮車両センターの公開イベントで
JR初期のオール二階建て個室寝台客車編成の計画図が展示されていたらしい。 >>655
近鉄3000は
企画の契機こそ京都市との相直だったが
車両自体は標準軌線区の標準通勤車を志向
だからこそ3連対応や
大阪線奈良線にて抑速安定化のため
発電制動用抵抗器を積んだりと
在阪大手だと最後発で
同じ三菱設計でも先行した南海は
準山岳線区を抱える条件も似ながら
界磁チョッパー的特性を加えたAVF方式
やはり似た時期の神戸市は日立のAVF
後の京都市10が近鉄3000と同様の
オーソドックスな電機子チョッパーで
大阪市10量産車や国鉄201も同じく
新方式ゆえコストも勘案したのだろうが
せっかくなら
日立も供給できたAVF方式だったらと
>>697
意匠は25形ベースの図面
その後の26カシオペアの叩き台に
一時は西285を叩き台に
当に出雲と瀬戸の併結みたく
きたぐにとあけぼのを併結したような運行
に向けた新形交直流寝台電車や
その電車設計をベースに
トワイライトエクスプレス用や北斗星用に
各々カスタマイズした
電車で非電化区間は牽引とするか
電車の付随車形式を並べ実質上の客車編成
が関係のJR各社と車両メーカーで検討
その成れの果てが
動力源の弾力化を受けて
バイモード電車としてE001四季島
ハイブリッド気動車としてキハ87瑞風 1000派生形の特急車
だからイメージは
10000-4次車や11000をVVVF化した車両
そして50000なんか当にそのもの
それを後年具現化したのが
8000と12000の関係 都営5328F
都営10−000の10両化用中間車 東海道山陽緩行に投入予定だった「105系」は国鉄では実現しなかったけど、
私鉄では東武8000系(俗に私鉄の103系と呼ばれた)がそれに近いような感じの車両だと思う。
東武8000系は性能的な面では103系よりもむしろ幻の「105系」に近いからな。 東武8000は
超多段抵抗制御に空気制動のみ
そしてエアサスドイツミンデン台車
国鉄の幻の105は
115や165を準拠とした
発電制動付き抵抗制御
そしてコイルバネウィングペデスタル台車
受ける印象は個人差があり自由だが
用途や特性からしてソコはダブらず
むしろ在阪大手の高度成長期の標準通勤車
それも自由席特急から各停まで運用可能な
その多くはエアサスであったりするため
強いて言うなら
定格出力は相当大きいがMT比が近く
発電制動とコイルバネ台車と平行カルダン
ということで阪急3000 幻の105はどちらかと言えば
通勤形として後の201的なポジション
東海道山陽緩行線に導入されておれば
中央快速線や常磐快速線などが
追随していたかもしれない 京阪8000系同様塗り分け反転させた旧3000系。
公式イラストが存在したが結局塗り替え前に廃車。
富山地鉄が実際にやらんかな。
ペンキ自体はダブルデッカーエクスプレスと同じだから金かからんし。 京阪7000の4両
京阪7200の4両
京阪10000の7両・8両
阪急8040の8両
阪神9300のGTO
南海1000IGBTの6両・2両 >>707
何で塗り替え予定があったのに
塗り替えをしない内に引退させたのだろうか >>104-106
幻の105系は、103系の車体に113系相当の足回りだから?
私鉄で言うところの、優等用や汎用の通勤車的なのでしょ!
101系と、のちの201系を正統的に繋ぐ存在だったかと
走行性能的には、高速域のクルージングを確保だから
小田急の103系的な、各停用2600形に対して?
ABFMやHBの正統進化系、急行用5000形のような存在
財政再建の都合で、何でも103系ゴリ押し!でお蔵入り・・・
五方面作戦が行き詰まることに(慢性的な急行線遅延の要因) >>708
南海1000-6次車以降では
2連口登場の計画こそあったが
固定6連は想定ナシ
京阪7000は
7003-7053編成が新製当初4連
また同10000は
もともと7連も想定されていたが
7200や9000を交えた組成再編にて実現
阪急8040に対し
固定8連こそ幻の8010
阪神9300は
当初の仮称が8300だったものの
前提はIGBT-VVVF
ちなみに同8000第13次車企画の段階で
新形式化の検討もあり
このときにVVVF採用だったならGTO この独特な改行&文体の人って言ってる事自体は事実なの?
根拠とか書いてるの見たこと無いんだが >>713
少しばかりの真実にしれっとガセを混ぜて書くからたちが悪い。 どの雑誌の何年何月号に載ってたとか情報源は書くべきだと思う。 >>698
バイモード電車のE001は
そのベースがE655だと >>708書き忘れ
阪急9300のロングシート
近鉄9820大阪線仕様(9850?)
南海1000GTOの4両
南海2000前期の2両
223−1000の関空快速版(223−1500?) >>713
路車板のJR西系のスレでよく見るよ。
一見もっともらしい、見たんかお前みたいなこと書いてるけど
根拠なし。
今じゃ誰も相手にしてない。 >>717
南海2000は当初2連口の計画はなく
3次車4次車の増備で企画
阪急9300は2扉車計画の段階で
転換クロスシートを基本としながらも
先頭車など編成の一部は
中央にボックスサロンシートを設けた
ロングシート車を検討
JR223はもともと
新快速130km/h運転用の開発が先行し
関空快速用は後に急遽浮上したものの
207-1000や281などとの機器共通化で
223-0が先に登場
すぐに続いた223-1000を反映した
関空快速用は検討されることなく
-2000の企画段階で
増備の機運により計画された-2500まで
音沙汰なく >>718
>>713に答えることもなく>>714やあなたに反論することもなく
しれっと>>>719を書く辺り真性なのかも知れませんなあ 223-1000の原形となる
223JR神戸線JR京都線用2-2シート車は
関空開港時点で次年度登場と
一部報道までされ
当時は企画段階で大和路線投入も検討
前述通り223-0は
中期計画で当初の構想になかったため
必要最低限だったが68両も新造
221増備時に
続いて阪和線やJR宝塚線への投入も
検討されていたが実らず
後にナラやホシの広域運用で実現したが
その代わりという訳ではなかったが
実質223-0で103や113の一部は置き換わり
今から思えば今日の
阪和線一般運用の関空快速形統一の端緒に
また207-1000や281の増備が
主要機器の仕様はほぼそのままとされ
結局増備の機運はなかったが
仮に増備するとして
223-0だけが-1000準拠とする根拠もなく 平成3・5年の南海車新造
平成2〜4年の京阪通勤車新造
平成10〜12・14〜16・18・19年度の京阪車新造
平成9〜14年度の阪急車新造
平成14〜16年度の南海車新造
平成15〜18年度の阪神車新造
207の事故代替新造(207−3000?) >>665
試作車で計画もなにも9100は1000の仮称で「9000とは全く似ていない」ために1000に変更されただけだよ 違う
VVVF通勤車の試作として仮称9100
これにて周辺機器を含めて
例えばIGBTなり制御伝送なり
今に繋がる新機軸の蠢動が見込まれたため
関連技術の成熟を少し待つことに
それが量産車に遷移した段階で
形式を1000とする計画だったが
仮称9100の開発を進めている段階で
当初より量産しながら
新機軸を随時取り込んでいく方針となり
改めて形式を1000に >>723
関西私鉄の物持ちがいいのは一時置き換えを休止してた影響なのか >>723
南海は
H3年度内に10000-4次車と1000
H5年度内に1000-2次車と50000 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています