幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc 東急新玉川線(現・田園都市線渋谷-二子玉川間)、銀座線乗り入れ車両
路面電車の東急玉川線の代替路線として計画された地下鉄の東急新玉川線は、当初は営団銀座線との相互乗り入れを計画していた。
そのため、車両も、当然のことながら、銀座線と同じ、16m、第三軌条の車両が計画された。
その後、半蔵門線との相互乗り入れに計画が変更されて、これが大正解だったのはいうまでもないが、この計画のままだったら、東急の路線としては、「新玉川線」として、渋谷-二子玉川で完結していた。
また、大手私鉄初の第三軌条による路線の称号が与えられたはずだった(現実は、近鉄東大阪線[現・けいはんな線]、ただし、この路線も地下鉄がらみ)。 >>585
逆に田園都市線は大井町線に乗り入れていただろう。 というか、当時は大井町〜長津田方面の直通で、線名も全体が田園都市線だったわな 本場ニューヨークやフィラデルフィアの地下鉄電車にそっくりなステンレス第三軌条の小型車が
銀座線を走る姿は絵になったことだろうな。 >>585
二子玉川は近鉄生駒みたいな感じになっていただろうな。 >>590つづき
1962年、運輸省・運政審主導による6号線案
(桐ケ谷-五反田-田町-日比谷-巣鴨-志村)
を田園都市線の新たな直通先と想定
1964年、6号線の一部(桐ケ谷-泉岳寺)を東急が取得
池上線を旗の台から(かつて駅があった)桐ケ谷を改良し
泉岳寺線(仮称)経由で都営6号線と相互乗り入れを目指す
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK0603H_X00C13A3000000/?page=3
http://tokyosigaku.jugem.jp/?eid=24
1965年、都が東急に対して五反田-泉岳寺を平行する
1号線建設を優先するため、単独で行う通告をしたことで
泉岳寺線の建設が頓挫
1968年、運政審は泉岳寺線を「再検討が必要(重複路線で緊急性に乏しい)」
との見解により、東急側は社内の慎重論が強まり撤退を決断 >>589
生駒の路線別配線よりも、二子玉川は方向別配線だから
実現していれば、同じホームでの乗換だから便利かと 〉〉592 二子玉川の下り方向の配線が複雑化するんでは?
駅のすぐ南、多摩川の鉄橋の上に第三軌条折り返し用留置線を設けなくてはならなくなる。
それを挟むようにして、田園都市線(大井町線)の線路が鉄橋を渡ることになる。大井町方面から来た電車の折り返し用の留置線を設けるスペースがない。
鉄橋拡幅して二子新地までの間に留置線を確保するか、二子玉川折り返しをあきらめるか? 幻の鉄道路線の話になりかけているが、第三軌条車両の二子玉川折り返しには、終着駅の辺りに銀座線渋谷駅のような整備施設を設けなくてはならないだろう。
鉄橋上の留置線では不十分かも。砧線の跡地を利用して検車区等整備施設を設けるのが合理的ではないか。
そういったことも考えると、銀座線乗り入れプランはデメリットが多かった。 >>595
高度成長期とはいえ、まだ貧しかったんだなぁと感じる写真だね もしかしたら横浜市営が銀座線と直通していたかもと思うと 西日本321系は、当初は207系の旧色と同じカラーリングで出す予定だった。
しかし、福知山線脱線事故であのカラーリングの悲惨な場面が大写しになって、「事故を思い出す」ということになって、321系はカラーリング変更。既存の207系も同じカラーリング(今の色)に。 ついでに言えば321系でJR宝塚・学研都市・C電の207系を置き換え、
阪和線などに転属も検討された。
しかしまだ使える(w)103系を廃車することになり不経済、ということで見送られた。 「日立評論」1991年3月号より
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1991/03/1991_03_04.pdf
EF200の台車は160km/h以上の運転を想定して設計されていたらしい…
この頃のJR貨物では超高速貨物列車でも計画されていたのか 1000t級の貨物が160km/hで走ったら軌道破壊も相当だろうな >>599
そんな計画は当初から無かった筈。
よってガセ。 >>444
小田急2000は、10連化を見据えてデハ2200とサハ2350が欠番になっている
他に東急9000のデハ9500とサハ9900
京成3600の末尾4・5の車両とか
札幌市東西・東豊線・仙台南北線・メトロ南北線・都営三田線・名古屋市鶴舞・桜通線・京都市烏丸線も将来の増結を見越していくつか百位を飛ばして付番している(地下鉄に多い?) >>547
東急8642Fも一部VVVFなのは2000系のための試験なのか? 地下鉄は固定編成を伸ばす方式が多いからな。
短い編成を組み合わせて長くする手法は使わない。 >>605
銀座線・丸ノ内線旧形車。
千代田線5000系。
名古屋市交通局鶴舞線3000系。他
探せば無くも無いな。 >>605
地下鉄でも古い路線は
固定編成という概念が1960年代半ば頃まで無く
・両運の数珠つなぎオンパレード
・片運による背中合わせ+α
程度だった
大阪市営も50系(←5000形)辺りまではブツを寄せ集めて組成
谷町線では中間に雑形扱いされた旧形などの電装解除車を挟んでた
竣工時 番号整理 付随車化
1200 → 200 → 5700
6000 → 800 → 5800
6100 → 900 → 5900
最初から固定編成なのは堺筋線からでしょ 営団東西線も10連化時に
5000系の半端同士の5+5とかそこそこあったし
都営浅草線の5000形も
ユニットが合ってる程度だから丸の内線と大差ない
6連中に組み込まれたMc-M'-M-Mc'の4連※が(※ある場合に)
車号が並んでいればいい方 >>606
鶴舞線の3000系は元々中間車組み込んで編成伸ばす計画で番号もそれに対応した付け方してたけど伸ばす頃には既に古いタイプになっていて今さら新製出来なかった。
結局編成バラして別の編成に組み込む手法になった(名城線でも同様、東山線と桜通線は新車組み込みで伸ばした)。 >>609
都営新宿線の10-000系は、中間車がオールステンで新しかったが、それを残すために、先頭車を新製し、年齢差19年という編成を6本も作り上げたという暴挙をやりとげた。
編成美もへったくれもないというすさまじいものだった。
これなら、一部のセミステンの先頭車を残して組み合わせることができなかったのか。
メトロでは、車齢40年を過ぎている6000系や7000系が平気で走っているのだから。 >>603
札幌の東西線では7両化の時に6000形に8300形を入れて7両にしていたな 結局、10-000の増結車捨てるのが勿体ないからと先頭車だけ新造したのに、その先頭車ごと廃車だからな
千代田線も最初から06系なんか作らず、6136Fを増備で良かった
207-900番代はやむを得なかったにしても
都営新宿線は90年代になっても10-000増備してたからな 国鉄の50系と同様、ペアとなる車両の世代が異なると、こういう事になるのはやむをえない
今ならリサイクル前提だろうから、もったいない車両は少なくなっていくだろう そういえば80年代前半の鉄道ジャーナルに「将来の国鉄客車」みたいな記事があって
そこに近郊型客車の構想が触れられていた。
二扉デッキ無しで近郊型電車の中間車そっくりの仕様だったと記憶。 >>614
413みたいな感じか。117みたいなわけにはいかないだろうし。 東葉高速で、営団5000系をそのまま東葉カラーと東葉のTマークにした車両。
写真は出たけど、実際に使われたのは、前面にふちどりとブラックマスクがしてあった。 阪急8010系
これがもし導入されていたらアルナ工機は解散しなかっただろうし、3000/3100の板車は早期淘汰されていたかもな。
支線転用絡みで2000の中間も。
その場合は9000で5000/5100置換
1000で残りの5100置換だったかもな >>617
8010系が登場していれば恐らく9000系は登場していない。
2000年代前半までに3000系列はもちろん、5000系もB更新をせず淘汰まで視野に入れていた。
8010系の先行車ともいうべき8040系はGTOのベクトル制御だったが、
途中からIGBTに変更され、さらに番台区分が細分化されていた可能性はある。 大阪地区の211系
113系の非冷房車、試作冷房車の淘汰を目指して、大阪局、天王寺局が86年に本社へ
上申。本社側も老朽具合の深刻さを認識していて、発注寸前まで行っていたが、分割
民営が決まり白紙になった。
当初は、87年度に奈良区に6連×3本、網干区に7連×4本の計画だった(86年9月大鉄
局車両課訪問時に、頂いた資料より)
同時に本線も205系を増備して、2年掛けて玉突きで103系追放する予定だったのだが。
ちなみに同時点では阪和205の投入話は一切なし。その代わり明石103系の玉突きと
東京地区転属車による阪和線の冷房化率向上話はあった。
ちなみに221系の誕生は、この211系計画が没になった代替もある。 >>621
えっ221系って211系が西日本に無かったから企画されたものなの!?
近鉄5200の影響だと思ってた >>537
南海9100系はおそらく9000系ベースでVVVFの試験車になる予定だったと思われる。
また、1000系50番代は03年に7100系1次車の最終置き換え用として2編成程度の増備が予定されていたが、
高野線運用見直しにより1003Fと1033Fが南海線に転属することになったため、中止となった。
>>493
8000系最終増備車は、総合車両製作所との兼ね合いにより取り消しとなり、近車製の8300系に変更された。 >>621-622
西にも数編成入っていたら、東や東海のようにJR化後も製造続いていたかもね。
そしたら西独自バージョンの211もあったかも >>622
設計は明らかに影響受けてるね。
近鉄が設計した近車にクレーム入れたとか。 >>622
内装とかは近鉄5200系の影響を受けているけど
導入に関しては西日本に
通常タイプの211系がないからその代わりに導入したのだろうな
213系は瀬戸大橋用に民営化寸前に導入されていたけど >>624
その場合は221は出なかったかもしれないけどね >>574
更新車体の7000や7500が旧型…? >>629
東海から続く、0番台の追い番でしょう。
2000番台(オールロングシート)は、当時の関西では絶対許さないでしょう。 >>629
205が山手の続番だったから211も続番だったろう 民営化後、西に211の転換クロスが出ていた可能性があるね。 南海8000系近車案
8000系企画時は、近車での製作も検討され、実際にデザイン案も出されたらしい。
今の8300系とは違い、1000系を近車で製作したような印象だったとか。
結果は、8000系に関しては実績のある東急で製作されることになったが…
南海2300系当初案
実際には赤系の色で登場した2300系だが、計画当初は2連単独で使用可能・ワンマン対応を除いて殆ど2000系と共通化した思想だった。
塗装も南海通勤車標準のものになる予定だった。
車内も2000系後期型に準じ、車端部がクロスシート以外はロングシートの計画。
現在の意匠になったのは、高野山が世界遺産登録に認定されたかららしい。 東海で211系の転換クロスハージョンが311系だからな。 もし新快速用の211系を造ってたら213系のMM’ユニット仕様になってたのか311系の西日本仕様になってたのだろうか >>636
多分311の西日本版みたいなもんだったと >>638訂正
南海1000系50番代ベースの2連・8000系3連
南海1000系6次車は、4連1本しか製造されなかったが、計画時は4連と2連を合わせて60両を量産する予定だった。
(>>623でも書いたが、2003年度に8両程度の増備が予定されていたが中止)
また、8000系は2連を作る計画はなかったものの、南海線普通車の利用者減少により、普通車専用の3連を作る構想があった。
しかし8000系の増備がままならず、普通車に関しては
高野線で余剰となっていた2000系を南海線普通車に転用することになったため、8000系3連の計画は中止となった。
南海7200系
6200系ベースの鋼製車として計画されていたが、当時の南海線の輸送人員が横ばいだったため、登場しなかった。 他にも南海では、サザンの構想が出た時に名鉄のような一部指定席車の6両固定編成の構想もあったとか。 >>537 >>623 >>633 >>639
南海1000って当初は座席を一部転換クロスにする案もあったのか・・
でも京阪9000や大阪モノレール1000増備車みたいに今頃はロングシート化改造されてそう
もしかして2300の転換クロスは1000で幻になった計画が形を変えて実現したもの?
それと1050は現8000の試作車だと当初は思ってたけど阪急8010や京阪10000の7両(新造として)の例を見る限り、南海1050も増備計画があっただろうな っていうか南海って少数編成作りすぎw
知っている限りで旧8000.1050.11000.31000
せめて旧8000・旧8200は最初から6000番台で、9000は7000番台の系列に入れられなかったのか?
11000は製造せず31000をもっと早く作るべきだった 四国でも、東海から113譲渡の計画あったんだけどな・・・
瀬戸大橋出来た直後に。
分散クーラー(東海で使っているやつ)載せて、111と同じ特保メニューやってだな。
朝晩のマリンは213で辛いとの輸送事情あったのと、高松近辺の気動車淘汰用でな。
ところが瀬戸大橋の騒音問題で頓挫。
89年に名古屋で廃車になった113あっただろ?そん中の一部が四国へ行く予定だった
んだぞ。最初は西に打診したのだが、当面使用するってことで断られたための話。 >>642
メトロは逆に、同じ形式でも、初期と後期では別形式といっていいほど違う。
特に05系は、初期と最終型では別形式といっていいほど違うし、それに、その中間でも、窓割りが変わったり、ワイドドアがあったり、チョッパからVVVFに変わったり、また、同じVVVFでもシステムが変わったり、他社(特に関西)でいうと、3,4形式ぐらいにもなる。
しかし、面白いことに、窓割りは、巡りめぐって、後期型では、初期型と同じものに戻った。 >>623,639,641
南海1000-6次車は本来なら
当該だけで4連3本の予定が1本のみに
しかし一応は60両程度の規模が念頭に
その後はH15年度を含めしばし見送られ
2300新造を挟み
H18年度から7次車として10両増備を計画
このときそれこそ2300の影響で
一部転換クロスも視野に
N8000-3連口は
将来の増備として設計上想定された話で
2000の本線転用とは全く関係なし
>>621-622,636-637
大鉄局としてはあくまで211は快速用
そしてベタに新快速用で213を想定
1M2Tベースのままでは
スジ的に厳しかっただろうから
Mc-T-M-T-M-Tcくらいが適当か
または415-1500みたく
213車体の117-200として4M2Tか
211の4M2Tそのまま2ドア転換クロスが
妥当なんだろうが うろ覚えだけど昔のRF誌に酉が伯備線特急用に一軸連接車体のタルゴ列車を投入するという記事が載ってたが、
あれってガセだったのかな >>645
もし南海1000の7次車が登場していたら7000廃車開始はもっと早かったかもね
実際2000転用時に同数廃車、8000の5次車製造時に廃車があれば7000は1年早く引退してた 北大阪急行の8000形は当初VVVF更新を含めた延命をする予定だったが、結局9000形に置き換え廃車に変更 >>647
狭軌新幹線スーパー特急を意識して
JR総研がNEXT250なる
実試験車から実営業試作車への反映も
当然念頭にしながら
在来線超高速車の要素開発を企画
そこで生まれたのが四8000や東E351
そして東E991TRY-Z
西におけるその取組がWEST21なる
短車体1軸連接振り子車
紀勢線伯備線などの
381や183-800の置き換えだけでなく
山陽山陰の衛星都市間非電化線区用も
紀勢線高速化事業でも
まず暫定で681
後に暫定の前提が差し代わって283
を手当したのち
このWEST21の営業用量産車を
本命として投入する算段だったのだが
九州スーパー特急がフル規格化決定にて
NEXT250自体が中途で頓挫 >>649
北急8000は
大阪市ともに可動柵計画がなかった頃は
箕面延伸を見据えて
全編成とも車内と機器の更新改造を計画
そして延伸用は当然新形車を増備
だったのだが
どうせ新形車を造るなら
在来車更新改造との費用対効果が言われ
入場工程や施工内容が何度も見直し
その間に可動柵の検討まで割り込み
改造の規模が益々大きくなり
いよいよ新形車置き換えが有利なのかと
大規模な機器更新は棚上げされ
最小限の機器取り替えにて様子見
10年以上の紆余曲折の後
地上設備は
大阪市のようなATO+TASCとせず
可動柵に対しマニュアルブレーキ対応
そして車両は
新形9000が置き換え用4本と延伸用増備
8000は3本だけ更新改造車として残す
ただし御堂筋線用に全車ATO+TASC設置
8000は
IGBT-VVVF化など大規模機器更新は完了
今後は車内の本格的な更新と
ATO+TASC設置など残る改造を予定 >>645
2006年というと南海1000系の登場から14年が経過しており、その時点で1000系を増備できる状況ではなかったんではないか? 南海1000-6次車では
車両部内で新形式と呼ばれるくらい
根本からの設計変更点が多岐にわたるため
実質ここで1〜5次車からリセット
よってH18年においてまだ形落ちでなく
機器調達上も増備できた段階 >>642
1050系は増備の計画があったから仕方ないにしても、旧8000系は要らなかったろ
似たような近鉄3000や阪急2200だって同じく1編成で終わってるし
9000系も旧1000系置き換えだけで終了だったらもう少し待てばよかったんじゃなかろうか?
高野線は1982年以降、8000系(史実の8200系に相当)を製造し、
南海線は1989年から史実とは違う9000系(2000系初期車の20m版・GTO-VVVF)が登場していれば良かったと思う
その場合は10000系登場も遅くなり、また高野線では運用できなくなるが、その時の高野線平坦用は泉北5000と共通設計車で問題なかったろう
>>654
なら1000番台にせず、せめて3000系とかは駄目だったのか? >>655
当時の電機子チョッパーは
既に界磁チョッパーも普及しつつあったが
汎用通勤車の制御方式として
まだ有力視されていた段階
しかも南海選択の三菱AVFチョッパーは
平坦線の高速運転だけでなく
運転頻度起因の回生の問題を除けば
準山岳線区の勾配対応にも適し
むしろ8200が
四象限チョッパーだった可能性の方が
また2000は初のGTO-VVVF車だが
要素単位の採用という認識でしかなく
本格的な21m4ドア通勤VVVF車には
制御伝送など周辺技術を含めた新機軸を
まとめてフルシステムチェンジが大前提
よって中途半端な状態の設計は念頭になく
2000をMBSAと21m4ドアにしただけとか
そういうタラレバはありえなかった
それとやはり
3000番台は当時なら泉北車用
1000-6次車の段階で
既に8000番台の形式付与も検討 阪急2200は企画当初
まず車体はアルミ無塗装で軽量化し
側引戸上半分にマルーンのワンポイント
そこでMMも135kWと容量抑制を実現
そして編成は4連2本で
1本ずつ東芝と東洋でチョッパー装置試作
車体に関して
かつての名鉄6500とは逆の塗装パターン
しかし肝心のアルナが
阪急要求のアルミ車体技術水準に至らず
ここでは見送られ通常の鋼製塗装車
ちなみに無塗装ではないが
3年遅れて6000×8がアルミ試作車で実現
電機子チョッパーに関して
東洋も複雑ながら直並列チョッパーなる
高速域から安定の回生を目指した方法が
京急の旧600試験や
後に201となる国鉄用制式向け開発で
実績を積んでいたが
2200企画の時点で
通常の電機子チョッパー方式など
阪急要求の営業試作車搭載には応えられず
MMに関して
企画段階の5300試験結果もあり
鋼製塗装車に設計変更された後も
容量の再検討の見送りが若干アダに
というのも神戸本線で営業開始後
運転現業から性能不足の反応
しかし試作車のため長く様子見
そこへVVVF長期実用化試験の具体化で
新造VVVF試作車は7000派生でなく
2200形式とし当該編成組込前提
よって4M4Tから一挙潤沢強化6M2Tへ
試験当初は
7030×2の間へVVVF車2両を挟んだが >>634-637
そのJR西版331系は?
前面が独自なのか、それとも211系タイプ顔(ほぼJR四6000系?) 西の311的な車両など
スレのヲタ話における
展開上の思い付きでしかなく
実際に具体で西が考えていた
という次元とは全然異なり
妄想鉄スレ的な産物 >>493
当時の南海の広報誌でも2014年度に20両製造と書いてあったよな<増備車
この20両増備で、7000が全廃になるというと複雑な気持ちだったが、甲種を楽しみにしていたのに・・
スレ本題に戻すと、8300系は仮称は新8200系だったよね
やはり8200系が改造されてそれほど時間が経っていないから8300系になったとかかな・・
となると1050系も旧8000系が改造されて少ししか経っていなかったからやむを得ず1000番台にしたとか? 近鉄シリーズ21後継の通勤車
阪神1000ベースのステンレス車で、形式は少なくとも奈良線用は3020系だったとか
中止になった後、図面は南海8300に転用されたとかなんとか(南海と近鉄は車体長がほぼ同じ) ステンレス車体のシリーズ21の形式が
3020として想定されていたのは事実だが
南海8300とは関係なし >>660
>>623にも書かれているが、総車側の都合によりキャンセルとなり、8300系を前倒しで製造した。
南海6000系VVVF化改造車。
85年〜89年にかけて行われた6000系の冷房化改造だが、当初はVVVF化改造することが検討されていた。
最終的にはVVVF自体が当時高価であったことから見送られ、抵抗制御のままとされた。
7000系のような1C8M化が行われず、また一部車両が東急車両で冷房化を行ったのは、
恐らくその計画の名残と思われる。 南海9100系(>>439改訂)・9000系増備車
前者は恐らく91年に登場する予定だった、 VVVFの試験車。
試作車なので1編成のみで、量産される予定は無かった。
当初の計画では、>>537にも書かれているように、多分92年まで9000系を増備し、93年から1000系を量産する予定だった模様。
それが、新塗装化が絡んだCI制定と並行して、9100系試作・9000系を増備から1000系を前倒しで製造に計画変更されたため、
9100系は幻に終わり、9000系は中途半端な形式となった。
9000系の製造は88年の9513Fで終了していた為、仮に9000系の増備があった場合、仕様変更箇所が多くなっていたと思われる。
また、1000系に関して営団が提唱した「標準型車両」の規格に準拠した設計にする案もあったらしい。
また、現ラピートも当初は11000系を基本としたデザインの予定だった(鉄道ファン92年2月号の記事より) >>664
えっ南海6000はVVVFにする構想あったの?
でもあの車体でVVVFとか想像できない
仮に実現していたら東急7700以上のゲテモノ >>656 >>665
そういえば南海に阪急7310・2720-2721・京阪6014・近鉄VW21みたいな試作車は存在したっけ
その時代は阪神が震災前までは界磁チョッパ車増備し続けていたから、9000増備も不可能ではなかったろうけど
西鉄・名鉄も90年代まで直流モーター車作っていたが >>664
6000をVVVF化するなら
冷改更新の直後として検討されたこと
つまり
冷改更新の企画時にはまだ具体でなく
最中に機運が高まり
そして前提は1C4Mのまま
>>667
昇圧時に休車で残した21201-21202を
電機子チョッパー試験車として
日立と三菱で競作させる検討も >>125 >>668
もし21201が電機子チョッパ試験車に改造されていれば、旧8000系は出なかったかもね >>665
twitterで見たが、ラピート当初案の関空特急はハイデッカー構造で床下が荷物室になる構造だったらしい。
南海と東急車両が実際に特許を出願したそうだ。 >>622
根底には113系置き換えのため、国鉄最末期の211系投入計画代替があった。
>>624
快速用で更なる新造はされていたと思う。
その後、90年代に入って新形式に移行していたかもしれないが、その段階で、
今の221系のような車両が生まれていた可能性はあるだろうね。
>>629
クモハを要望している、と聞いたから多分名古屋の続番になっていたに違いない。
>>645
後年、JR初期の頃だが、221系の話が出る以前には将来、新快速が増発された場合
213系で増備する案もあったと当時の関係者から伺ったことあり。 >>670
制御システムとしては安定していたため
試験用改造車でのテストランに続き
営業で長期実用化試験がしたいとなり
やはり史実の8501×6相当の車両新造は
確実にされていただろう >>441京阪について
>しかし8000系が好評だったため、旧3000系を8000系に置き換える計画に変更
だったら最初から8000は作らない方が良かったんではないか?
8000が無かったら車両製造は7000に一本化しており、2000番台の形式の大半が90年代中に廃車されてたと思う
旧3000はそのまま使い倒して、2008年辺りから3ドアの新車に置き換えれば良かった
阪急6300みたいに >>671
ラピートは50000なので
単なる空港特急として想定での話
当初のハイデッカー空港特急車は
10000企画当時の古い話で
30000や10000-1〜3次車の車体がベース
続いて1000や11000の計画発表と同時に
11000ベース車体のVVVF車6連が言われ
もともと仮称9100試作車の段階で
量産車1000と併結対応で派生形の
本線高野線共用ビジネスVVVF特急車
そして併結は想定しない前提で
更に派生したVVVF空港特急車
これら2つが近い将来の展開とされ
南海では1000派生形を他にも想定
この前者が11000の原形
そして史実の11000は
高野線特化で抵抗制御に収束
この後者が冒頭に触れた
幻の11000ベース車体のVVVF空港特急車
として具体化
>>672
McM'-T-T-MM'-Tcな大鉄局211か
>>674
出町柳開業準備で特急車増備は必然
よって8000登場は史実で相違なく
しかし
8002-8052製造開始のタイミングから
京阪としては8001-8051の営業開始前に
8000の編成単位増備と3000置き換えを
決断していた 相鉄旧6000、2100のVVVF化
仮に実現していたらやはり3000や5000と同じような機器を採用していたのかもしれない上、8000、9000の導入は少なかったかもしれないな。 そんな話聞いたことないかったな
チャクウィキには書いてあるが >>675
そういえば281も当初はステンレス車体が検討されていたような
京阪特急に関しては出町柳延伸時に旧3000をリピートオーダーは駄目だったのか?
6000登場後に2200の中間増結車を作ったことあるし >>676
経営面で相当ネックがある(VVVF化の理由付けをするには?)
場合によっては台車交換も考慮しないといけないし
旧6000は3000(←3010)の次に更新や冷改が遅かったから(80年代前半に実施)
再改造となるのは面倒だろうね(費用対効果の面で無理)
同時だとしても?
3010の直前に改造した車両の一部ぐらいだろうね(試験用として1本程度〜)
6000を日立製、3000を東洋製で形式(編成)ごとに機器を変えて比較するとか
複数編成だと、MT比の違いによる編成単位の走行性能を比較可能
2100は
70年代後半の改造で、冷改と同時に機器更新(新性能化)をしている
わざわざ更新した機器を10年ほどで入れ替えるかね?
最低でも台車以外は再度入替(場合により下回り丸ごとも)
経理上原価償却の問題があるし >>678
2380新造は同形車体で遡ると
直前の2630から4年しか経過しておらず
3000はS48年の増備完了から数えると
出町柳開業は16年も隔たっており
もはや当時の仕様ベースで新造は不可
だから7連化用中間車は
8000ベースだった訳であり >>680
そういえば旧3000に1両だけ8000挟んでたっけ
6000の中間増結車も7000と同じ車体だったから仕方ないか・・ >>643
高松近郊の一般DC運用の置換な
電化区間の普通列車を原則電車化する計画があって
89年度に実施の予定であった
それプラスで 瀬戸大橋線児島止まりの普通列車も日中は
全て四国延長とする話もあり トータルで111系だけでは不
足が見込まれた そのため 113系を要望する破目に
当初は 西に113系or115系の経年車を手当してもらい
特保+冷房化を施した上で使用する計画だった
しかし 西は当時相次ぐ増発や増車で余剰が少ない状態の
ため断念 代わって211-5000導入で余剰が大量に発生する
見込みの立った海に打診したところ あっさり快諾したのだが・・・
瀬戸大橋の例の件がなければ 普通に入っていたよ >>679
そうなると結果やらなくて正解だったかもな。 とれいんの117・185系特集に載っていた117系計画案。
113系とDD54を混ぜ合わせたようなデザインの非貫通前面で、運転台直後がロングシート。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています