幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc >>563
もともと06は廃車の方向だった。
ホームドア設置の都合上、ドア位置の違う06は残せない。 そういえば小田急の千代田線乗り入れ車に
メトロ06、JR209
みたいな少数派っていましたっけ 千代田線05系転属説は、小田急新型ATC取り付け工事のための車両不足を補うためのものだった。
しかし、千代田線走行経験のない05系(機構的にも対応していない)を無理やり入れるよりも、6000系の廃車を延期させればこと足りるということで没に。 >>566
小田急の地下鉄直通列車自体が、直通開始から長らく少数派だった。
さほど編成数が必要無かったから、少数派車両も存在しなかった。 小田急といえば、この前復刊されたロマンスカー本に載っていた話。
SE車以前に旧型車を改造して前面展望式の車両を試作してみようという計画があり、
運転台はフランスの気動車のように車体中央の天井から飛び出したものにする予定だったとか。 >>569
シュピーゲル号の1号艦を思い出したW。 >>564
都電荒川線は当初は8500に統一する構想だったらしい
8500だらけの荒川線、見たかったな それはそれで面白そうだが、結果的に旧型がこんな遅くまで生き延びたのは趣味的に見るとありがたかった
更新車の再利用もなかっただろうし、車両のバリエーションがあるのは楽しい 小田急9000形(当初の)9409Fと9410F
小田急9000形は当初6両編成・4両編成各10本が製造される予定だったが、6両編成8本・
4両編成10本が落成した時点で6両編成・4両編成各9本で千代田線乗り入れの所用本数が
足りることとなったため、当初計画されていた9409F9410Fは製造されず、旧9010Fに新造
された9559・9659が挿入されて9409Fとなった。 >>575
明確な計画があったわけでは無い。ウソ書いちゃダメ。
9000は「おおよそ10連×10本程度」ということで、新製開始(経済輌数が、
小田急の場合約100輌なので)。
しかし当時はまだ急行の10連化もまだだったので、4連が不足気味であったこともあり、
まずは4連を10本製作し、次いで6連を増備。8本作ったところで、
乗り入れ開始が工事の遅れから延期気味になったので、
「最終的な運用本数が決定するまで増備中止」とし、結局5運用と決まった時に、
9010Fを9409Fへ組み替えて、4連6連ともに9本に。 秩父鉄道の京阪3000系(初代)購入計画
(これがご破算になって、代替で165系購入になった)
富山地方鉄道の阪急2800系購入計画
(これがご破算になって、代替で京阪3000系購入になった)。 あの165系は台車と電装品の部品取り用のつもりで用意してたんだろうか >>576
何かの小田急関連の本にはそのように書かれて記憶があったのだが、実際はそういうこと
だったのか。教えてくれてありがとう+大変失礼いたしました。。 >>577
地鉄の当初案では、仲介業者の提案により
阪急2800形の車体をリニューアル(2扉化)するため
京阪3000系の座席のみ入手する手筈だったが
阪急からの追加情報で2800形は老朽化により
再改造が不適当なことが判明
再度、仲介業者が探ると?京阪から
3000系は車体ごと入手可能なことが判明
急遽、京阪と交渉し導入が決まったとか
その交渉時、京阪関係者は
3000系がダイレクトマウント式なのを心配していたらしい >>580
当時(1990〜1年頃)の鉄道雑誌で読んだんですが、阪急2800系の件は(もちろん雑誌にはそう書かれてない)、単に、相手の廃車計画が進まないためと書かれてました。
阪急2800系の2扉化ということは、元の姿に戻すということですね。
ダイレクトマウント台車の件は、当時廃車が進んでいた営団日比谷線3000系が同じダイレクトマウント台車だったので、これを使うことにしました(軌間も1067ミリになって一石二鳥)。
偶然にも、3000系と3000系のコラボ。 >>575>>579
ごめん、謝るのはオレだわ。
古い鉄道ピクトリアル286号を、気になって読み返してみたら、p51に当時の車両部
車両課長山岸氏の記事で、「当面10輌編成10本を用意する計画」とあることが判明。
当然、当時9010×4が登場済みで、6連登場直前だったので、9401×6〜9410×6
になることは予想されるわけだから、>>575の記述は正しそう。
大変失礼いたしました。
で、当時4連の増備が先行したのは、急行の大型8連化を推進していた時代で、
急行の10連化は9000の新製開始から実に5年後になったので、当時大型の4連の
増備を必要としていたから。当時はまだ4+6で編成出来なかったと。
ただ、乗り入れ工事の完成が、例によって遅延したために、いったん5000の増備に
戻ってしまい、9000を最終的に何編成にするか未定になり、最終的にT×2を造って、
9010×4が9409×6に組み替えられたのは史実の通り。 >>582
その記事は、多分ジャーナルでしょ
阪急の件(2800系)は伏せたままだったから、座席が必要な車って?
その当時は疑問だったな(大年の優等車も引退しつつある時代に)
地鉄10030形(←京阪3000系)は
当初、営団3000系(1、2次車)の台車をアルストムリンクのFS-336を採用
主電動機はMB-3054(75kw)WN駆動
しかし、高速域におけるアルストム特有の癖(揺れ)が問題化
営団3000系3次以降のSUミンデン式FS-510に交換
第5編成は
導入時から485系後期のDT32Eを採用、主電動機をMT52(120kw)中空軸となる
以後の増備車(第6〜8編成)と、既存車両(第2、3編成)に同様の改造が施された 東急新玉川線(現・田園都市線渋谷-二子玉川間)、銀座線乗り入れ車両
路面電車の東急玉川線の代替路線として計画された地下鉄の東急新玉川線は、当初は営団銀座線との相互乗り入れを計画していた。
そのため、車両も、当然のことながら、銀座線と同じ、16m、第三軌条の車両が計画された。
その後、半蔵門線との相互乗り入れに計画が変更されて、これが大正解だったのはいうまでもないが、この計画のままだったら、東急の路線としては、「新玉川線」として、渋谷-二子玉川で完結していた。
また、大手私鉄初の第三軌条による路線の称号が与えられたはずだった(現実は、近鉄東大阪線[現・けいはんな線]、ただし、この路線も地下鉄がらみ)。 >>585
逆に田園都市線は大井町線に乗り入れていただろう。 というか、当時は大井町〜長津田方面の直通で、線名も全体が田園都市線だったわな 本場ニューヨークやフィラデルフィアの地下鉄電車にそっくりなステンレス第三軌条の小型車が
銀座線を走る姿は絵になったことだろうな。 >>585
二子玉川は近鉄生駒みたいな感じになっていただろうな。 >>590つづき
1962年、運輸省・運政審主導による6号線案
(桐ケ谷-五反田-田町-日比谷-巣鴨-志村)
を田園都市線の新たな直通先と想定
1964年、6号線の一部(桐ケ谷-泉岳寺)を東急が取得
池上線を旗の台から(かつて駅があった)桐ケ谷を改良し
泉岳寺線(仮称)経由で都営6号線と相互乗り入れを目指す
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK0603H_X00C13A3000000/?page=3
http://tokyosigaku.jugem.jp/?eid=24
1965年、都が東急に対して五反田-泉岳寺を平行する
1号線建設を優先するため、単独で行う通告をしたことで
泉岳寺線の建設が頓挫
1968年、運政審は泉岳寺線を「再検討が必要(重複路線で緊急性に乏しい)」
との見解により、東急側は社内の慎重論が強まり撤退を決断 >>589
生駒の路線別配線よりも、二子玉川は方向別配線だから
実現していれば、同じホームでの乗換だから便利かと 〉〉592 二子玉川の下り方向の配線が複雑化するんでは?
駅のすぐ南、多摩川の鉄橋の上に第三軌条折り返し用留置線を設けなくてはならなくなる。
それを挟むようにして、田園都市線(大井町線)の線路が鉄橋を渡ることになる。大井町方面から来た電車の折り返し用の留置線を設けるスペースがない。
鉄橋拡幅して二子新地までの間に留置線を確保するか、二子玉川折り返しをあきらめるか? 幻の鉄道路線の話になりかけているが、第三軌条車両の二子玉川折り返しには、終着駅の辺りに銀座線渋谷駅のような整備施設を設けなくてはならないだろう。
鉄橋上の留置線では不十分かも。砧線の跡地を利用して検車区等整備施設を設けるのが合理的ではないか。
そういったことも考えると、銀座線乗り入れプランはデメリットが多かった。 >>595
高度成長期とはいえ、まだ貧しかったんだなぁと感じる写真だね もしかしたら横浜市営が銀座線と直通していたかもと思うと 西日本321系は、当初は207系の旧色と同じカラーリングで出す予定だった。
しかし、福知山線脱線事故であのカラーリングの悲惨な場面が大写しになって、「事故を思い出す」ということになって、321系はカラーリング変更。既存の207系も同じカラーリング(今の色)に。 ついでに言えば321系でJR宝塚・学研都市・C電の207系を置き換え、
阪和線などに転属も検討された。
しかしまだ使える(w)103系を廃車することになり不経済、ということで見送られた。 「日立評論」1991年3月号より
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1991/03/1991_03_04.pdf
EF200の台車は160km/h以上の運転を想定して設計されていたらしい…
この頃のJR貨物では超高速貨物列車でも計画されていたのか 1000t級の貨物が160km/hで走ったら軌道破壊も相当だろうな >>599
そんな計画は当初から無かった筈。
よってガセ。 >>444
小田急2000は、10連化を見据えてデハ2200とサハ2350が欠番になっている
他に東急9000のデハ9500とサハ9900
京成3600の末尾4・5の車両とか
札幌市東西・東豊線・仙台南北線・メトロ南北線・都営三田線・名古屋市鶴舞・桜通線・京都市烏丸線も将来の増結を見越していくつか百位を飛ばして付番している(地下鉄に多い?) >>547
東急8642Fも一部VVVFなのは2000系のための試験なのか? 地下鉄は固定編成を伸ばす方式が多いからな。
短い編成を組み合わせて長くする手法は使わない。 >>605
銀座線・丸ノ内線旧形車。
千代田線5000系。
名古屋市交通局鶴舞線3000系。他
探せば無くも無いな。 >>605
地下鉄でも古い路線は
固定編成という概念が1960年代半ば頃まで無く
・両運の数珠つなぎオンパレード
・片運による背中合わせ+α
程度だった
大阪市営も50系(←5000形)辺りまではブツを寄せ集めて組成
谷町線では中間に雑形扱いされた旧形などの電装解除車を挟んでた
竣工時 番号整理 付随車化
1200 → 200 → 5700
6000 → 800 → 5800
6100 → 900 → 5900
最初から固定編成なのは堺筋線からでしょ 営団東西線も10連化時に
5000系の半端同士の5+5とかそこそこあったし
都営浅草線の5000形も
ユニットが合ってる程度だから丸の内線と大差ない
6連中に組み込まれたMc-M'-M-Mc'の4連※が(※ある場合に)
車号が並んでいればいい方 >>606
鶴舞線の3000系は元々中間車組み込んで編成伸ばす計画で番号もそれに対応した付け方してたけど伸ばす頃には既に古いタイプになっていて今さら新製出来なかった。
結局編成バラして別の編成に組み込む手法になった(名城線でも同様、東山線と桜通線は新車組み込みで伸ばした)。 >>609
都営新宿線の10-000系は、中間車がオールステンで新しかったが、それを残すために、先頭車を新製し、年齢差19年という編成を6本も作り上げたという暴挙をやりとげた。
編成美もへったくれもないというすさまじいものだった。
これなら、一部のセミステンの先頭車を残して組み合わせることができなかったのか。
メトロでは、車齢40年を過ぎている6000系や7000系が平気で走っているのだから。 >>603
札幌の東西線では7両化の時に6000形に8300形を入れて7両にしていたな 結局、10-000の増結車捨てるのが勿体ないからと先頭車だけ新造したのに、その先頭車ごと廃車だからな
千代田線も最初から06系なんか作らず、6136Fを増備で良かった
207-900番代はやむを得なかったにしても
都営新宿線は90年代になっても10-000増備してたからな 国鉄の50系と同様、ペアとなる車両の世代が異なると、こういう事になるのはやむをえない
今ならリサイクル前提だろうから、もったいない車両は少なくなっていくだろう そういえば80年代前半の鉄道ジャーナルに「将来の国鉄客車」みたいな記事があって
そこに近郊型客車の構想が触れられていた。
二扉デッキ無しで近郊型電車の中間車そっくりの仕様だったと記憶。 >>614
413みたいな感じか。117みたいなわけにはいかないだろうし。 東葉高速で、営団5000系をそのまま東葉カラーと東葉のTマークにした車両。
写真は出たけど、実際に使われたのは、前面にふちどりとブラックマスクがしてあった。 阪急8010系
これがもし導入されていたらアルナ工機は解散しなかっただろうし、3000/3100の板車は早期淘汰されていたかもな。
支線転用絡みで2000の中間も。
その場合は9000で5000/5100置換
1000で残りの5100置換だったかもな >>617
8010系が登場していれば恐らく9000系は登場していない。
2000年代前半までに3000系列はもちろん、5000系もB更新をせず淘汰まで視野に入れていた。
8010系の先行車ともいうべき8040系はGTOのベクトル制御だったが、
途中からIGBTに変更され、さらに番台区分が細分化されていた可能性はある。 大阪地区の211系
113系の非冷房車、試作冷房車の淘汰を目指して、大阪局、天王寺局が86年に本社へ
上申。本社側も老朽具合の深刻さを認識していて、発注寸前まで行っていたが、分割
民営が決まり白紙になった。
当初は、87年度に奈良区に6連×3本、網干区に7連×4本の計画だった(86年9月大鉄
局車両課訪問時に、頂いた資料より)
同時に本線も205系を増備して、2年掛けて玉突きで103系追放する予定だったのだが。
ちなみに同時点では阪和205の投入話は一切なし。その代わり明石103系の玉突きと
東京地区転属車による阪和線の冷房化率向上話はあった。
ちなみに221系の誕生は、この211系計画が没になった代替もある。 >>621
えっ221系って211系が西日本に無かったから企画されたものなの!?
近鉄5200の影響だと思ってた >>537
南海9100系はおそらく9000系ベースでVVVFの試験車になる予定だったと思われる。
また、1000系50番代は03年に7100系1次車の最終置き換え用として2編成程度の増備が予定されていたが、
高野線運用見直しにより1003Fと1033Fが南海線に転属することになったため、中止となった。
>>493
8000系最終増備車は、総合車両製作所との兼ね合いにより取り消しとなり、近車製の8300系に変更された。 >>621-622
西にも数編成入っていたら、東や東海のようにJR化後も製造続いていたかもね。
そしたら西独自バージョンの211もあったかも >>622
設計は明らかに影響受けてるね。
近鉄が設計した近車にクレーム入れたとか。 >>622
内装とかは近鉄5200系の影響を受けているけど
導入に関しては西日本に
通常タイプの211系がないからその代わりに導入したのだろうな
213系は瀬戸大橋用に民営化寸前に導入されていたけど >>624
その場合は221は出なかったかもしれないけどね >>574
更新車体の7000や7500が旧型…? >>629
東海から続く、0番台の追い番でしょう。
2000番台(オールロングシート)は、当時の関西では絶対許さないでしょう。 >>629
205が山手の続番だったから211も続番だったろう 民営化後、西に211の転換クロスが出ていた可能性があるね。 南海8000系近車案
8000系企画時は、近車での製作も検討され、実際にデザイン案も出されたらしい。
今の8300系とは違い、1000系を近車で製作したような印象だったとか。
結果は、8000系に関しては実績のある東急で製作されることになったが…
南海2300系当初案
実際には赤系の色で登場した2300系だが、計画当初は2連単独で使用可能・ワンマン対応を除いて殆ど2000系と共通化した思想だった。
塗装も南海通勤車標準のものになる予定だった。
車内も2000系後期型に準じ、車端部がクロスシート以外はロングシートの計画。
現在の意匠になったのは、高野山が世界遺産登録に認定されたかららしい。 東海で211系の転換クロスハージョンが311系だからな。 もし新快速用の211系を造ってたら213系のMM’ユニット仕様になってたのか311系の西日本仕様になってたのだろうか >>636
多分311の西日本版みたいなもんだったと >>638訂正
南海1000系50番代ベースの2連・8000系3連
南海1000系6次車は、4連1本しか製造されなかったが、計画時は4連と2連を合わせて60両を量産する予定だった。
(>>623でも書いたが、2003年度に8両程度の増備が予定されていたが中止)
また、8000系は2連を作る計画はなかったものの、南海線普通車の利用者減少により、普通車専用の3連を作る構想があった。
しかし8000系の増備がままならず、普通車に関しては
高野線で余剰となっていた2000系を南海線普通車に転用することになったため、8000系3連の計画は中止となった。
南海7200系
6200系ベースの鋼製車として計画されていたが、当時の南海線の輸送人員が横ばいだったため、登場しなかった。 他にも南海では、サザンの構想が出た時に名鉄のような一部指定席車の6両固定編成の構想もあったとか。 >>537 >>623 >>633 >>639
南海1000って当初は座席を一部転換クロスにする案もあったのか・・
でも京阪9000や大阪モノレール1000増備車みたいに今頃はロングシート化改造されてそう
もしかして2300の転換クロスは1000で幻になった計画が形を変えて実現したもの?
それと1050は現8000の試作車だと当初は思ってたけど阪急8010や京阪10000の7両(新造として)の例を見る限り、南海1050も増備計画があっただろうな っていうか南海って少数編成作りすぎw
知っている限りで旧8000.1050.11000.31000
せめて旧8000・旧8200は最初から6000番台で、9000は7000番台の系列に入れられなかったのか?
11000は製造せず31000をもっと早く作るべきだった 四国でも、東海から113譲渡の計画あったんだけどな・・・
瀬戸大橋出来た直後に。
分散クーラー(東海で使っているやつ)載せて、111と同じ特保メニューやってだな。
朝晩のマリンは213で辛いとの輸送事情あったのと、高松近辺の気動車淘汰用でな。
ところが瀬戸大橋の騒音問題で頓挫。
89年に名古屋で廃車になった113あっただろ?そん中の一部が四国へ行く予定だった
んだぞ。最初は西に打診したのだが、当面使用するってことで断られたための話。 >>642
メトロは逆に、同じ形式でも、初期と後期では別形式といっていいほど違う。
特に05系は、初期と最終型では別形式といっていいほど違うし、それに、その中間でも、窓割りが変わったり、ワイドドアがあったり、チョッパからVVVFに変わったり、また、同じVVVFでもシステムが変わったり、他社(特に関西)でいうと、3,4形式ぐらいにもなる。
しかし、面白いことに、窓割りは、巡りめぐって、後期型では、初期型と同じものに戻った。 >>623,639,641
南海1000-6次車は本来なら
当該だけで4連3本の予定が1本のみに
しかし一応は60両程度の規模が念頭に
その後はH15年度を含めしばし見送られ
2300新造を挟み
H18年度から7次車として10両増備を計画
このときそれこそ2300の影響で
一部転換クロスも視野に
N8000-3連口は
将来の増備として設計上想定された話で
2000の本線転用とは全く関係なし
>>621-622,636-637
大鉄局としてはあくまで211は快速用
そしてベタに新快速用で213を想定
1M2Tベースのままでは
スジ的に厳しかっただろうから
Mc-T-M-T-M-Tcくらいが適当か
または415-1500みたく
213車体の117-200として4M2Tか
211の4M2Tそのまま2ドア転換クロスが
妥当なんだろうが うろ覚えだけど昔のRF誌に酉が伯備線特急用に一軸連接車体のタルゴ列車を投入するという記事が載ってたが、
あれってガセだったのかな >>645
もし南海1000の7次車が登場していたら7000廃車開始はもっと早かったかもね
実際2000転用時に同数廃車、8000の5次車製造時に廃車があれば7000は1年早く引退してた 北大阪急行の8000形は当初VVVF更新を含めた延命をする予定だったが、結局9000形に置き換え廃車に変更 >>647
狭軌新幹線スーパー特急を意識して
JR総研がNEXT250なる
実試験車から実営業試作車への反映も
当然念頭にしながら
在来線超高速車の要素開発を企画
そこで生まれたのが四8000や東E351
そして東E991TRY-Z
西におけるその取組がWEST21なる
短車体1軸連接振り子車
紀勢線伯備線などの
381や183-800の置き換えだけでなく
山陽山陰の衛星都市間非電化線区用も
紀勢線高速化事業でも
まず暫定で681
後に暫定の前提が差し代わって283
を手当したのち
このWEST21の営業用量産車を
本命として投入する算段だったのだが
九州スーパー特急がフル規格化決定にて
NEXT250自体が中途で頓挫 >>649
北急8000は
大阪市ともに可動柵計画がなかった頃は
箕面延伸を見据えて
全編成とも車内と機器の更新改造を計画
そして延伸用は当然新形車を増備
だったのだが
どうせ新形車を造るなら
在来車更新改造との費用対効果が言われ
入場工程や施工内容が何度も見直し
その間に可動柵の検討まで割り込み
改造の規模が益々大きくなり
いよいよ新形車置き換えが有利なのかと
大規模な機器更新は棚上げされ
最小限の機器取り替えにて様子見
10年以上の紆余曲折の後
地上設備は
大阪市のようなATO+TASCとせず
可動柵に対しマニュアルブレーキ対応
そして車両は
新形9000が置き換え用4本と延伸用増備
8000は3本だけ更新改造車として残す
ただし御堂筋線用に全車ATO+TASC設置
8000は
IGBT-VVVF化など大規模機器更新は完了
今後は車内の本格的な更新と
ATO+TASC設置など残る改造を予定 >>645
2006年というと南海1000系の登場から14年が経過しており、その時点で1000系を増備できる状況ではなかったんではないか? 南海1000-6次車では
車両部内で新形式と呼ばれるくらい
根本からの設計変更点が多岐にわたるため
実質ここで1〜5次車からリセット
よってH18年においてまだ形落ちでなく
機器調達上も増備できた段階 >>642
1050系は増備の計画があったから仕方ないにしても、旧8000系は要らなかったろ
似たような近鉄3000や阪急2200だって同じく1編成で終わってるし
9000系も旧1000系置き換えだけで終了だったらもう少し待てばよかったんじゃなかろうか?
高野線は1982年以降、8000系(史実の8200系に相当)を製造し、
南海線は1989年から史実とは違う9000系(2000系初期車の20m版・GTO-VVVF)が登場していれば良かったと思う
その場合は10000系登場も遅くなり、また高野線では運用できなくなるが、その時の高野線平坦用は泉北5000と共通設計車で問題なかったろう
>>654
なら1000番台にせず、せめて3000系とかは駄目だったのか? >>655
当時の電機子チョッパーは
既に界磁チョッパーも普及しつつあったが
汎用通勤車の制御方式として
まだ有力視されていた段階
しかも南海選択の三菱AVFチョッパーは
平坦線の高速運転だけでなく
運転頻度起因の回生の問題を除けば
準山岳線区の勾配対応にも適し
むしろ8200が
四象限チョッパーだった可能性の方が
また2000は初のGTO-VVVF車だが
要素単位の採用という認識でしかなく
本格的な21m4ドア通勤VVVF車には
制御伝送など周辺技術を含めた新機軸を
まとめてフルシステムチェンジが大前提
よって中途半端な状態の設計は念頭になく
2000をMBSAと21m4ドアにしただけとか
そういうタラレバはありえなかった
それとやはり
3000番台は当時なら泉北車用
1000-6次車の段階で
既に8000番台の形式付与も検討 阪急2200は企画当初
まず車体はアルミ無塗装で軽量化し
側引戸上半分にマルーンのワンポイント
そこでMMも135kWと容量抑制を実現
そして編成は4連2本で
1本ずつ東芝と東洋でチョッパー装置試作
車体に関して
かつての名鉄6500とは逆の塗装パターン
しかし肝心のアルナが
阪急要求のアルミ車体技術水準に至らず
ここでは見送られ通常の鋼製塗装車
ちなみに無塗装ではないが
3年遅れて6000×8がアルミ試作車で実現
電機子チョッパーに関して
東洋も複雑ながら直並列チョッパーなる
高速域から安定の回生を目指した方法が
京急の旧600試験や
後に201となる国鉄用制式向け開発で
実績を積んでいたが
2200企画の時点で
通常の電機子チョッパー方式など
阪急要求の営業試作車搭載には応えられず
MMに関して
企画段階の5300試験結果もあり
鋼製塗装車に設計変更された後も
容量の再検討の見送りが若干アダに
というのも神戸本線で営業開始後
運転現業から性能不足の反応
しかし試作車のため長く様子見
そこへVVVF長期実用化試験の具体化で
新造VVVF試作車は7000派生でなく
2200形式とし当該編成組込前提
よって4M4Tから一挙潤沢強化6M2Tへ
試験当初は
7030×2の間へVVVF車2両を挟んだが >>634-637
そのJR西版331系は?
前面が独自なのか、それとも211系タイプ顔(ほぼJR四6000系?) 西の311的な車両など
スレのヲタ話における
展開上の思い付きでしかなく
実際に具体で西が考えていた
という次元とは全然異なり
妄想鉄スレ的な産物 >>493
当時の南海の広報誌でも2014年度に20両製造と書いてあったよな<増備車
この20両増備で、7000が全廃になるというと複雑な気持ちだったが、甲種を楽しみにしていたのに・・
スレ本題に戻すと、8300系は仮称は新8200系だったよね
やはり8200系が改造されてそれほど時間が経っていないから8300系になったとかかな・・
となると1050系も旧8000系が改造されて少ししか経っていなかったからやむを得ず1000番台にしたとか? 近鉄シリーズ21後継の通勤車
阪神1000ベースのステンレス車で、形式は少なくとも奈良線用は3020系だったとか
中止になった後、図面は南海8300に転用されたとかなんとか(南海と近鉄は車体長がほぼ同じ) ステンレス車体のシリーズ21の形式が
3020として想定されていたのは事実だが
南海8300とは関係なし >>660
>>623にも書かれているが、総車側の都合によりキャンセルとなり、8300系を前倒しで製造した。
南海6000系VVVF化改造車。
85年〜89年にかけて行われた6000系の冷房化改造だが、当初はVVVF化改造することが検討されていた。
最終的にはVVVF自体が当時高価であったことから見送られ、抵抗制御のままとされた。
7000系のような1C8M化が行われず、また一部車両が東急車両で冷房化を行ったのは、
恐らくその計画の名残と思われる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています