幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc 名鉄 北アルプス号8500系展望席有バージョン
東武スペーシアみたいな塗装の
パノラマSUPERと言えば良いのか悪いのか >>439 >>440
試作もなにも南海9100系は1000系の仮称
製造開始の時点で1000番台が空いていたから1000系に変更されただけ
あと南海1051Fは8000系の試作
最初から増備するつもりはなかった オハネ17(→スハネ16)の緩急車バージョン
寝台列車の増加に伴い最後尾に連結するハネフの需要が増えたため100両程検討されたが
10系ハネとして最初に制作されたナハネ10が後に作られたナハネ11やオハネ17と比べて定員が一区画6人分多く、両数も要求に近かったので
定員を他形式に揃える意味合いも含め、一区画分を乗務員室に改造(ナハネ10→ナハネフ10→最終的に冷房化でオハネフ12)で緩急車化 戦前鉄道省のクルーズトレイン計画
1940年の東京オリンピック・東京万博に合わせて計画され、流線型で一等車のみの豪華仕様
両者の計画と共に消滅 >>426
武蔵野線新製投入車のうち40両は、編成組み替え補填分だから仕方ない。
武蔵野線は103時代に8両化されたが、8両化がJR化後だったために103を追加製造できず、仕方なく103は組み替えで対応。
その不足分として205を5本だけ新製投入することで補った。
小田急が8両各停を固定編成化推進の当初の計画と同じパターン。
各停用として設計された2600を8両化するが平成に入った頃だったために2600を追加製造できず組み替えで対応し、不足分を新製2000で補う予定だった。
しかし2600の8両化した編成がラッシュ時に故障したために8両化は途中で中止し、2000を増備することで8両化編成は真っ先に淘汰された。 >>519
セノハチ用に補機連結の控車にかなり旧型の客車を湘南色にした事業用車なかったか?
それと、営業用にそんなことするくらいなら80系の足回り交換のほうがオモシロそう。 >>532
仮称9100試作の場合は1本のみで
新車が必要な局面は当面9000増備
とりあえず確定できた仕様から採用し
量産用の決定版を待たずに
21mVVVF通勤車を増備しながら
その都度目処が立った要素を取り込む方針
になった1000企画段階でも
図面作成は仮称9100のままだったが
方針転換で既に仮称から変更前提の展開へ
1000-6次車のことなら
この次車だけで当初は4連3本の計画
そしてこの仕様を基本に約60両量産見込
増備の段階で一部転換クロス仕様も検討 西武新2000系ベースのVVVF量産車・地下鉄乗り入れ対応車
所沢工場の廃止がなかったら今の6000と9000は登場せず、かわりにこれらが登場してたかもしれない >>288
そういえば臨海線って全通後しばらくは線内折り返しは6連の専用編成が充てられてたけど、これは当初臨海線が6両で計画されていたからなのかな
結局全通から2年ほどで埼京線と線内折り返しの運用が共通化されて6連は消滅したが・・ >>288
1990年代初頭では、103系1000番台は地下鉄乗り入れからはすでに撤退していた。
再び地下鉄乗り入れ化するということは、東西線向けに改造したのと同じようなことになったのか。 >>538
もともと、2000系自体が、有楽町線乗り入れ車両として計画されていた。
しかし、有楽町線乗り入れ工事がなかなか進まなかったことや、4ドア車の要請が高まったことで、2000系を通勤型のスタンダードに位置づけた。
ちなみに、実在した新2000系のVVVF車は、登場は6000系とほぼ同時期なので、地下鉄乗り入れとは別目的なのでは。 >>541 そりゃ、デマだな。2000系初登場の頃の鉄ピクの記事で、西武鉄道としては新宿線の混雑解消目的で導入するものであり、将来の地下鉄乗り入れ用車両は別に造る、と書いてある。 >>540
実際三鷹に1本転属していたことを考えるとその可能性はありそう 西武といえば1983年に3000系が登場する際、東急車輌からアルミ車体・電機子チョッパ制御・ボルスタレス台車を採用することを提案されてきたけど、
結局は所沢車両の都合で新101ベースの車体(ただし側面の窓割は異なる)+2000の機器という事になってしまったがな
でも西武は昔からそんな金かけた車両は作らない傾向があったが・・
新2000系VVVF車は1993年製で、6000系先行車が1992年製だから、この時点で所沢車両潰す気はあっただろうが、何故1本だけ作ったのか? そういえば西武2000系には青と白のツートン塗装の案が存在したらしい。
6000系のかなり前から塗装を青系にイメージチェンジするのが考えられていたということか。
↓2014年の西武フェスタで展示されていたデザイン参照
ttps://blogs.yahoo.co.jp/orange50090/11547279.html >>540
りんかい線のトンネルはシールドドンネルで断面が広いので、あえて地下鉄対応車でなくても
入線可能(70-000系も205系もE233系も前面非貫通の一般仕様)
>>543
当初、301系には車両更新工事を施工せずに90年代前半に廃車とする計画だったため、
置き換え用として松戸→三鷹へ更に数本の103系1000番台が転出する計画もあったらしい。
>>544 >>545
西武2097Fのモハの1ユニットがVVVFインバータ車だったのは、地下鉄非乗り入れ車への
VVVFインバータ制御導入のための試験用として導入された。 で結局所沢工場の廃止が決まったから、N2000系VVVF車は増備されなかったんだな
9000系は所沢廃止前提のキャパ縮小で流用車になったと聞く >>544
2097Fは多分地上線専用のVVVF車として登場したが、所工が閉鎖前提のキャパ縮小で9000系に移行してしまったため量産が見送られたんでは?
2097F登場の時点では、既に6000系試作車が登場していた。
ちなみに6000系は当初計画では有楽町線直通は試作車も使われる予定だった。
運転台機器が違うため試作車の有楽町線直通は見送り。 運転席回りの窓を1段凹ませて回りを黒くしたデザインを流行らせたのは東急車両でしょ 東急車両はブラックフェイス非対称デザインをあちこちに売り込んでたっぽいけど
最初に201系に使わせろって国鉄から圧力がかかったんだよな >>553
ということは、>>400で書かれていた京急800形の前面デザイン案を変更させた原因となった
他社の車両はやはり201系だったというわけか。 >>446
2600形の組み替えは、2671Fの事故が由来。
91年10月に黒川〜小田急永山間で土砂崩れに巻き込まれ、2771と2871が現地搬出不能と判断され解体された。
残り4両は大野工場に回送されたが、2671Fが車体修理工事施工済で、編成単位の最終増備グループでもあったため、
1次車で車体修理工事未施工の2654Fを編成解除し、2754-2854を2671Fの残りと組成した。
2654Fの残りは休車となったが、この休車を有効に活用するため、2604-2704-2804を東急車両に入場させ、2651Fから2751を抜いた5両と組成、
8連の2代目2654Fを組成した。(この際2654・2751は休車)
この8連化で総編成数が1編成減少したため、その補充分として1000形の8連が1本(1081F)製造された。
VVVF車は、後から増備したために車齢の若い2750型を有効活用することが目的だった。
>>450
>>458
>>459
93年度に小田急が発表した設備投資計画で、「1000形8両を新造」と記載されていた。
(鉄道ピクトリアル93年11月号にある大手私鉄各社の事業計画でも記載があった)
ちなみに1081Fは、92年度設備投資計画に載っていた「1000形38両を新造」の中の8両。
94年度の車両新造に関しては、同年12月の時点で2000形になることは決定されていた。
2600形8連の廃車は、8連化編成がラッシュ時に故障したのも理由。 >>553 201系の正面デザインって、試作に終わったが591系のを踏襲したものではなかったっけ? >>556
ってことは、京急800デザイン変更の原因になった電車は、東武9000ってこと?
同じ時期に東急車輌が絡んでいて前面非対称って、国鉄201と東武9000くらいしかないし。 国鉄201や営団6000系統のツラは、永田重工のラムダシグマみたいで気持ち悪かった
嫌悪感を覚えた >>547
臨海線は地下鉄規格なら70-000はあんな形で出ないし、埼京線205は207-900似の顔の別番台になってただろな
e233-7000も-2000と同じ車体だったろう
東西線は営団車も当初は90年代中に05系に統一する構想あったみたいだね
(5000は3000等と同じで冷房化せずに廃車) メトロ15000系は、当初は05系14次車(計画中止になった144F〜147Fを入れると15次車)として計画されていた。
しかし、その時点で、05系の初期車が20年以上過ぎていたことや、05系を05系で置き換える(ワイドドア化という、とても改造不可能な内容ではあるが)ことになってしまうため、さすがに無理があった。 メトロ05は増備のたびに仕様が変わりすぎて
名乗る形式を変えるタイミングを
うかがっていた感じ >>560
05系15次車は、当初は九段下駅の折り返し線の改良工事の実施に伴う増発用として2〜3
本が投入される予定だった。しかし、九段下駅の折り返し線の工事が地上の建造物との
関係で当時は工事に取りかかれず、一方で朝の混雑が激しくて遅延も発生していたので
何らかの対策が必要だったため、ワイドドア車をピークの時間帯の列車に追加導入して、
車体についても10000系の仕様を取り入れることとしたことから、新たに15000系として投入
されることになった。 >>562
15000系導入の時は05系初期車を千代田線に転属という話もあったよな
なんでも小田急側が拒否したとか
更に06系東西線転属説も
結局05系初期車と06系はあっさり廃車になってしまったな
05系初期車を転用しなかった時点で、06系も廃車の運命に遭うのは決まっていただろうが 都電7000形7012・7014の豊橋鉄道譲渡(豊橋鉄道当初計画のモ3503・モ3504)
都電7000形は6両が非冷房のまま8500形に置き換えられて廃車となったが、91年に廃車の
7011(市川市内に保存)・7006(江東区内の施設に保管)に続いて92年に廃車となった7009・
7028の2両は豊橋鉄道に譲渡されてモ3501・モ3502となった。豊橋鉄道は翌93年に廃車と
なった7012・7014についても譲受の意向を東京都に申し出ていたものの、東京都は当時、
この2両を都電博物館の展示物として保存する計画だったため、豊橋鉄道からの申し出を
断ったが、資金難で都電博物館構想が頓挫したため、7012・7014の2両は結局解体された。
なお、その後2000年には7017・7021の2両が豊橋鉄道へ譲渡されてモ3503・モ3504となって
いる。 >>563
もともと06は廃車の方向だった。
ホームドア設置の都合上、ドア位置の違う06は残せない。 そういえば小田急の千代田線乗り入れ車に
メトロ06、JR209
みたいな少数派っていましたっけ 千代田線05系転属説は、小田急新型ATC取り付け工事のための車両不足を補うためのものだった。
しかし、千代田線走行経験のない05系(機構的にも対応していない)を無理やり入れるよりも、6000系の廃車を延期させればこと足りるということで没に。 >>566
小田急の地下鉄直通列車自体が、直通開始から長らく少数派だった。
さほど編成数が必要無かったから、少数派車両も存在しなかった。 小田急といえば、この前復刊されたロマンスカー本に載っていた話。
SE車以前に旧型車を改造して前面展望式の車両を試作してみようという計画があり、
運転台はフランスの気動車のように車体中央の天井から飛び出したものにする予定だったとか。 >>569
シュピーゲル号の1号艦を思い出したW。 >>564
都電荒川線は当初は8500に統一する構想だったらしい
8500だらけの荒川線、見たかったな それはそれで面白そうだが、結果的に旧型がこんな遅くまで生き延びたのは趣味的に見るとありがたかった
更新車の再利用もなかっただろうし、車両のバリエーションがあるのは楽しい 小田急9000形(当初の)9409Fと9410F
小田急9000形は当初6両編成・4両編成各10本が製造される予定だったが、6両編成8本・
4両編成10本が落成した時点で6両編成・4両編成各9本で千代田線乗り入れの所用本数が
足りることとなったため、当初計画されていた9409F9410Fは製造されず、旧9010Fに新造
された9559・9659が挿入されて9409Fとなった。 >>575
明確な計画があったわけでは無い。ウソ書いちゃダメ。
9000は「おおよそ10連×10本程度」ということで、新製開始(経済輌数が、
小田急の場合約100輌なので)。
しかし当時はまだ急行の10連化もまだだったので、4連が不足気味であったこともあり、
まずは4連を10本製作し、次いで6連を増備。8本作ったところで、
乗り入れ開始が工事の遅れから延期気味になったので、
「最終的な運用本数が決定するまで増備中止」とし、結局5運用と決まった時に、
9010Fを9409Fへ組み替えて、4連6連ともに9本に。 秩父鉄道の京阪3000系(初代)購入計画
(これがご破算になって、代替で165系購入になった)
富山地方鉄道の阪急2800系購入計画
(これがご破算になって、代替で京阪3000系購入になった)。 あの165系は台車と電装品の部品取り用のつもりで用意してたんだろうか >>576
何かの小田急関連の本にはそのように書かれて記憶があったのだが、実際はそういうこと
だったのか。教えてくれてありがとう+大変失礼いたしました。。 >>577
地鉄の当初案では、仲介業者の提案により
阪急2800形の車体をリニューアル(2扉化)するため
京阪3000系の座席のみ入手する手筈だったが
阪急からの追加情報で2800形は老朽化により
再改造が不適当なことが判明
再度、仲介業者が探ると?京阪から
3000系は車体ごと入手可能なことが判明
急遽、京阪と交渉し導入が決まったとか
その交渉時、京阪関係者は
3000系がダイレクトマウント式なのを心配していたらしい >>580
当時(1990〜1年頃)の鉄道雑誌で読んだんですが、阪急2800系の件は(もちろん雑誌にはそう書かれてない)、単に、相手の廃車計画が進まないためと書かれてました。
阪急2800系の2扉化ということは、元の姿に戻すということですね。
ダイレクトマウント台車の件は、当時廃車が進んでいた営団日比谷線3000系が同じダイレクトマウント台車だったので、これを使うことにしました(軌間も1067ミリになって一石二鳥)。
偶然にも、3000系と3000系のコラボ。 >>575>>579
ごめん、謝るのはオレだわ。
古い鉄道ピクトリアル286号を、気になって読み返してみたら、p51に当時の車両部
車両課長山岸氏の記事で、「当面10輌編成10本を用意する計画」とあることが判明。
当然、当時9010×4が登場済みで、6連登場直前だったので、9401×6〜9410×6
になることは予想されるわけだから、>>575の記述は正しそう。
大変失礼いたしました。
で、当時4連の増備が先行したのは、急行の大型8連化を推進していた時代で、
急行の10連化は9000の新製開始から実に5年後になったので、当時大型の4連の
増備を必要としていたから。当時はまだ4+6で編成出来なかったと。
ただ、乗り入れ工事の完成が、例によって遅延したために、いったん5000の増備に
戻ってしまい、9000を最終的に何編成にするか未定になり、最終的にT×2を造って、
9010×4が9409×6に組み替えられたのは史実の通り。 >>582
その記事は、多分ジャーナルでしょ
阪急の件(2800系)は伏せたままだったから、座席が必要な車って?
その当時は疑問だったな(大年の優等車も引退しつつある時代に)
地鉄10030形(←京阪3000系)は
当初、営団3000系(1、2次車)の台車をアルストムリンクのFS-336を採用
主電動機はMB-3054(75kw)WN駆動
しかし、高速域におけるアルストム特有の癖(揺れ)が問題化
営団3000系3次以降のSUミンデン式FS-510に交換
第5編成は
導入時から485系後期のDT32Eを採用、主電動機をMT52(120kw)中空軸となる
以後の増備車(第6〜8編成)と、既存車両(第2、3編成)に同様の改造が施された 東急新玉川線(現・田園都市線渋谷-二子玉川間)、銀座線乗り入れ車両
路面電車の東急玉川線の代替路線として計画された地下鉄の東急新玉川線は、当初は営団銀座線との相互乗り入れを計画していた。
そのため、車両も、当然のことながら、銀座線と同じ、16m、第三軌条の車両が計画された。
その後、半蔵門線との相互乗り入れに計画が変更されて、これが大正解だったのはいうまでもないが、この計画のままだったら、東急の路線としては、「新玉川線」として、渋谷-二子玉川で完結していた。
また、大手私鉄初の第三軌条による路線の称号が与えられたはずだった(現実は、近鉄東大阪線[現・けいはんな線]、ただし、この路線も地下鉄がらみ)。 >>585
逆に田園都市線は大井町線に乗り入れていただろう。 というか、当時は大井町〜長津田方面の直通で、線名も全体が田園都市線だったわな 本場ニューヨークやフィラデルフィアの地下鉄電車にそっくりなステンレス第三軌条の小型車が
銀座線を走る姿は絵になったことだろうな。 >>585
二子玉川は近鉄生駒みたいな感じになっていただろうな。 >>590つづき
1962年、運輸省・運政審主導による6号線案
(桐ケ谷-五反田-田町-日比谷-巣鴨-志村)
を田園都市線の新たな直通先と想定
1964年、6号線の一部(桐ケ谷-泉岳寺)を東急が取得
池上線を旗の台から(かつて駅があった)桐ケ谷を改良し
泉岳寺線(仮称)経由で都営6号線と相互乗り入れを目指す
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK0603H_X00C13A3000000/?page=3
http://tokyosigaku.jugem.jp/?eid=24
1965年、都が東急に対して五反田-泉岳寺を平行する
1号線建設を優先するため、単独で行う通告をしたことで
泉岳寺線の建設が頓挫
1968年、運政審は泉岳寺線を「再検討が必要(重複路線で緊急性に乏しい)」
との見解により、東急側は社内の慎重論が強まり撤退を決断 >>589
生駒の路線別配線よりも、二子玉川は方向別配線だから
実現していれば、同じホームでの乗換だから便利かと 〉〉592 二子玉川の下り方向の配線が複雑化するんでは?
駅のすぐ南、多摩川の鉄橋の上に第三軌条折り返し用留置線を設けなくてはならなくなる。
それを挟むようにして、田園都市線(大井町線)の線路が鉄橋を渡ることになる。大井町方面から来た電車の折り返し用の留置線を設けるスペースがない。
鉄橋拡幅して二子新地までの間に留置線を確保するか、二子玉川折り返しをあきらめるか? 幻の鉄道路線の話になりかけているが、第三軌条車両の二子玉川折り返しには、終着駅の辺りに銀座線渋谷駅のような整備施設を設けなくてはならないだろう。
鉄橋上の留置線では不十分かも。砧線の跡地を利用して検車区等整備施設を設けるのが合理的ではないか。
そういったことも考えると、銀座線乗り入れプランはデメリットが多かった。 >>595
高度成長期とはいえ、まだ貧しかったんだなぁと感じる写真だね もしかしたら横浜市営が銀座線と直通していたかもと思うと 西日本321系は、当初は207系の旧色と同じカラーリングで出す予定だった。
しかし、福知山線脱線事故であのカラーリングの悲惨な場面が大写しになって、「事故を思い出す」ということになって、321系はカラーリング変更。既存の207系も同じカラーリング(今の色)に。 ついでに言えば321系でJR宝塚・学研都市・C電の207系を置き換え、
阪和線などに転属も検討された。
しかしまだ使える(w)103系を廃車することになり不経済、ということで見送られた。 「日立評論」1991年3月号より
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1991/03/1991_03_04.pdf
EF200の台車は160km/h以上の運転を想定して設計されていたらしい…
この頃のJR貨物では超高速貨物列車でも計画されていたのか 1000t級の貨物が160km/hで走ったら軌道破壊も相当だろうな >>599
そんな計画は当初から無かった筈。
よってガセ。 >>444
小田急2000は、10連化を見据えてデハ2200とサハ2350が欠番になっている
他に東急9000のデハ9500とサハ9900
京成3600の末尾4・5の車両とか
札幌市東西・東豊線・仙台南北線・メトロ南北線・都営三田線・名古屋市鶴舞・桜通線・京都市烏丸線も将来の増結を見越していくつか百位を飛ばして付番している(地下鉄に多い?) >>547
東急8642Fも一部VVVFなのは2000系のための試験なのか? 地下鉄は固定編成を伸ばす方式が多いからな。
短い編成を組み合わせて長くする手法は使わない。 >>605
銀座線・丸ノ内線旧形車。
千代田線5000系。
名古屋市交通局鶴舞線3000系。他
探せば無くも無いな。 >>605
地下鉄でも古い路線は
固定編成という概念が1960年代半ば頃まで無く
・両運の数珠つなぎオンパレード
・片運による背中合わせ+α
程度だった
大阪市営も50系(←5000形)辺りまではブツを寄せ集めて組成
谷町線では中間に雑形扱いされた旧形などの電装解除車を挟んでた
竣工時 番号整理 付随車化
1200 → 200 → 5700
6000 → 800 → 5800
6100 → 900 → 5900
最初から固定編成なのは堺筋線からでしょ 営団東西線も10連化時に
5000系の半端同士の5+5とかそこそこあったし
都営浅草線の5000形も
ユニットが合ってる程度だから丸の内線と大差ない
6連中に組み込まれたMc-M'-M-Mc'の4連※が(※ある場合に)
車号が並んでいればいい方 >>606
鶴舞線の3000系は元々中間車組み込んで編成伸ばす計画で番号もそれに対応した付け方してたけど伸ばす頃には既に古いタイプになっていて今さら新製出来なかった。
結局編成バラして別の編成に組み込む手法になった(名城線でも同様、東山線と桜通線は新車組み込みで伸ばした)。 >>609
都営新宿線の10-000系は、中間車がオールステンで新しかったが、それを残すために、先頭車を新製し、年齢差19年という編成を6本も作り上げたという暴挙をやりとげた。
編成美もへったくれもないというすさまじいものだった。
これなら、一部のセミステンの先頭車を残して組み合わせることができなかったのか。
メトロでは、車齢40年を過ぎている6000系や7000系が平気で走っているのだから。 >>603
札幌の東西線では7両化の時に6000形に8300形を入れて7両にしていたな 結局、10-000の増結車捨てるのが勿体ないからと先頭車だけ新造したのに、その先頭車ごと廃車だからな
千代田線も最初から06系なんか作らず、6136Fを増備で良かった
207-900番代はやむを得なかったにしても
都営新宿線は90年代になっても10-000増備してたからな 国鉄の50系と同様、ペアとなる車両の世代が異なると、こういう事になるのはやむをえない
今ならリサイクル前提だろうから、もったいない車両は少なくなっていくだろう そういえば80年代前半の鉄道ジャーナルに「将来の国鉄客車」みたいな記事があって
そこに近郊型客車の構想が触れられていた。
二扉デッキ無しで近郊型電車の中間車そっくりの仕様だったと記憶。 >>614
413みたいな感じか。117みたいなわけにはいかないだろうし。 東葉高速で、営団5000系をそのまま東葉カラーと東葉のTマークにした車両。
写真は出たけど、実際に使われたのは、前面にふちどりとブラックマスクがしてあった。 阪急8010系
これがもし導入されていたらアルナ工機は解散しなかっただろうし、3000/3100の板車は早期淘汰されていたかもな。
支線転用絡みで2000の中間も。
その場合は9000で5000/5100置換
1000で残りの5100置換だったかもな >>617
8010系が登場していれば恐らく9000系は登場していない。
2000年代前半までに3000系列はもちろん、5000系もB更新をせず淘汰まで視野に入れていた。
8010系の先行車ともいうべき8040系はGTOのベクトル制御だったが、
途中からIGBTに変更され、さらに番台区分が細分化されていた可能性はある。 大阪地区の211系
113系の非冷房車、試作冷房車の淘汰を目指して、大阪局、天王寺局が86年に本社へ
上申。本社側も老朽具合の深刻さを認識していて、発注寸前まで行っていたが、分割
民営が決まり白紙になった。
当初は、87年度に奈良区に6連×3本、網干区に7連×4本の計画だった(86年9月大鉄
局車両課訪問時に、頂いた資料より)
同時に本線も205系を増備して、2年掛けて玉突きで103系追放する予定だったのだが。
ちなみに同時点では阪和205の投入話は一切なし。その代わり明石103系の玉突きと
東京地区転属車による阪和線の冷房化率向上話はあった。
ちなみに221系の誕生は、この211系計画が没になった代替もある。 >>621
えっ221系って211系が西日本に無かったから企画されたものなの!?
近鉄5200の影響だと思ってた >>537
南海9100系はおそらく9000系ベースでVVVFの試験車になる予定だったと思われる。
また、1000系50番代は03年に7100系1次車の最終置き換え用として2編成程度の増備が予定されていたが、
高野線運用見直しにより1003Fと1033Fが南海線に転属することになったため、中止となった。
>>493
8000系最終増備車は、総合車両製作所との兼ね合いにより取り消しとなり、近車製の8300系に変更された。 >>621-622
西にも数編成入っていたら、東や東海のようにJR化後も製造続いていたかもね。
そしたら西独自バージョンの211もあったかも >>622
設計は明らかに影響受けてるね。
近鉄が設計した近車にクレーム入れたとか。 >>622
内装とかは近鉄5200系の影響を受けているけど
導入に関しては西日本に
通常タイプの211系がないからその代わりに導入したのだろうな
213系は瀬戸大橋用に民営化寸前に導入されていたけど >>624
その場合は221は出なかったかもしれないけどね >>574
更新車体の7000や7500が旧型…? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています