幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc >>110
そんな計画は当初からなかった筈
>>114
都営三田線乗り入れが実現していたら8000ベースの車体+2000の機器で9000系が出ていただろう
その場合史実の9000系は別の形式を名乗っていたと思う >>479追加
5050系新造の方が安くつくと判断され9000系は全編成大井町線に転属し、余剰の中間車はあっさり廃車されてしまった
その大井町線転属した車両も目黒線が相鉄との直通開始では、3000系が大井町線に転属するという噂が出ており、余命はわずかと思われる
一昔の東急だったらVVVFをIGBTに換装を含めた大規模更新をして東横線で継続使用だったな 163系先頭車の塗り分けが決まっていたという話はちょくちょく出るが、何を見たら載ってるかな?
ネットには多分無いと思う。随分検索してみたけど、何も出てこなかったし…… >>483
福原俊一「国鉄急行電車物語」163ページ
福原氏の書いた本や雑誌記事ではときどき幻の車両を取り上げているので要チェック >>485
163系だけに163ページか。なるほどね。
ピクの増刊によれば、クハ79902は全金改造時クロハになる予定だったそうな。
クロハ79?新形式? ピクの増刊、63形の設計時に「いっそ側板を無くしてしまったらどうか」というヤケクソの意見まで出たとあった。
本当に案が通っていたらこんなの↓が出来上がっていたかも。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a1/MER-Tram-33.jpg >>485
ページ数が分かり易くていいですね。覚えておく必要が無い(笑)。
10年以上前に出た本か……店頭より図書館探した方がいいかな。
ともあれなんとかして見てみる。ありがとう。 北総鉄道7000形赤色バージョン
前面は鹿島臨海6000形
側面はJR九813系にそれぞれ酷似 南海8000系8014F〜8018F
2014年度の事業計画では、8000系をさらに20両新造する計画があった。
2013年度末の時点で8013Fまで登場していたので、上記5編成だったと思われるが、
結局2014年度末になっても現車は登場せず、計画流れになった模様。
2015年度に近車製の8300系1次車が2014年度計画と同じ5編成20両落成しているので、おそらく総車との兼ね合いで
近車にメーカーを変更した結果、2015年度にずれ込んだものと思われる。
2014年度は泉北から3000を南海に譲渡したが、これは8000増備計画変更で緊急譲渡されたものなんだろう。 新京成8900形はあと4編成作って800形を置き換える予定だったが、東葉開業による収入減で急遽中止。
800形を少しの手直しで延命させる事になった。
そのため、800形を琴電に譲渡する話が流れた。
京王重機の改造で15Mに短縮して志度線、長尾線に入れる計画で、図面までは書いてあったらしい。 さんせくとはいえ、相手は高額鉄道なのに収入減になったというのもすごい話だな >>495
東葉高額鉄道は、乗り入れている先がメトロ東西線だからね。
メトロの運賃は、定期も普通のきっぷも、長い距離乗ると格安な運賃体系だから、
東葉高速が少々高くても気にならないレベル、なのかも。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 新京成は吊掛8両の時代が華だな
北総東葉と立て続けに都心直結の新線ができたので、人の流れが変わるのは仕方ない
流山線や常総線はもっと深刻だろう 営団6000系 左右対称な顔バージョン
JR西の223系221系を
少しダサくした感じといえば良いのかな >>500
いやいや、前面窓が大型曲面ガラスで本当に酉を数十年近く先取りした感じ。
90年代前半の鉄道ファンの営団特集号に載ってたデザイン案のはず。 ある意味10000系で実現だろ。
出た時は西207系を丸くしたパクリと言われたが。 >>483
163系の先頭車はクハ153だろ? 113系のクハ111と同じ。
そういえば実在したサロ163もサロ113と同じ特ロ仕様だよな。 というわけで、あの先頭車は483系のクハ481のように塗りわけだけ変えたクハ153ではないかと。 国鉄113系?ステンレス車バージョン
側面は実在する鋼製車そのままだが
前面が山陽電鉄5000系風 >>503
その後の書き込みまできちんと読んだか? >>503
特ロってなんだかわかって言っているのか。 >>505
415のステンレス抵抗制御車みたいのとは別に計画があったのか JR東日本E26系は、増備車として12両編成2本を追加製造して「カシオペア」
の定期列車化(実質的には「北斗星」1往復の置き換え)が当初計画されて
いた(当時のRJ誌に記述あり)が、結局実現しなかった。
他にもJR東日本では、常磐快速線のE231系・京葉線のE233系5000番台が当初
の計画よりも実際には1〜2編成少なく製造された。 京成3600形クロスシート試作車 3698編成も1990年春にデビュー予定だった。
しかし3700形という次世代車もデビューする計画が浮上し、3600形の新造は1989年7月の3688編成で打ちきり。
クロスシートは3300形更新車で試みることに。
もし3698編成がいたらこれはロングシートには改造されていたものの間もなく3000形代替としたかもしれない >>487 簡略化するにしても、ドアエンジン取っ払って手動式にするのは、短時間での乗降を難しくするからやらなかったということか。
外吊式の自動ドアなんて考えなかったのかな?欧米では結構よく見られるが。 >>494
それで琴電が置き換え車両を求めて探し回った結果 見つけたのが名市交車の黄電(ただし譲渡計画も予定も無かったので2/3は重機のエサになった後) >>513
琴電の必要車両数は、重機後の車両数でもまかなえたの? 以前中日新聞に地下鉄の車両譲渡についての記事があって名市交の関係者のコメントで「もっと早く言ってくれたら車両あったのに」と載ってたな。 >>494 >>513 >>515
2000年頃のRJ誌の私鉄特集の記事の中にもその件について書かれていた。 >>508
おそらく「世界の鉄道1982年」に載っている211系の初期計画図。
ステンレス車体で東海顔という違和感が凄い。 オハ35改造のサハ153。実現していたら、一体どんな車輌に?
自動ドア化、アルミサッシ化はするだろうけど、
窓配置はどうしただろう。模型を前にいろいろ考えてはみたが、
デッキ部などの大改造は必至で、どうもイメージが湧かない。 >>519
自動ドア化するにしても、引戸に改造するのは大変だから折戸。
ブレーキなどを電車に合わせるだけで、それ以外はそのまんま
ってところかと。 相鉄8707Fの先頭車代替新造
相模大塚留置線で工事用車両と衝突し、2両が大破した8707Fであるが、
当初は大破した2両とそれに隣接する1両のみ廃車し、残りはそのまま、新たに先頭車1両を新製の上で8両編成に組み直す案も出された。
しかし、既に8000が生産終了していること、検査費の点で10000への置き換えが将来的にコスト削減可能と判断し、
哀れ編成ごと廃車された。 >>514
もちろん足らなかった。
元京急230形の30形が通常営業用車両として新塗装になって残ったのもそのため。
だから長尾線を大型車が入線できるように改築して元京急の1250形、1300形を投入、捻出した600系を志度線に転属させて吊り掛け車を淘汰した。
さて、1080形や600形も実は結構いい年なんだが、次はどうするのかね? >>475-478
163系も山陽新幹線博多開業後は地方線区への転配属を容易にするために殆どが165系に改造され、
耐寒耐雪改造も併施されて新潟や松本にも何両かが転属してた可能性もある。 >>525
BARTの出来損ないみたいでカッコ悪www 営団6000系は左右非対称がかっこいいのに、なんで??と思うw タモリが散々東上線をバカにしていたときのデザインだろうからな。
バカにされないような電車作ろうとしてたんだろうけど、バカにしていた理由は
カステラ電車が走っていたことなんだし 名鉄 北アルプス号8500系展望席有バージョン
東武スペーシアみたいな塗装の
パノラマSUPERと言えば良いのか悪いのか >>439 >>440
試作もなにも南海9100系は1000系の仮称
製造開始の時点で1000番台が空いていたから1000系に変更されただけ
あと南海1051Fは8000系の試作
最初から増備するつもりはなかった オハネ17(→スハネ16)の緩急車バージョン
寝台列車の増加に伴い最後尾に連結するハネフの需要が増えたため100両程検討されたが
10系ハネとして最初に制作されたナハネ10が後に作られたナハネ11やオハネ17と比べて定員が一区画6人分多く、両数も要求に近かったので
定員を他形式に揃える意味合いも含め、一区画分を乗務員室に改造(ナハネ10→ナハネフ10→最終的に冷房化でオハネフ12)で緩急車化 戦前鉄道省のクルーズトレイン計画
1940年の東京オリンピック・東京万博に合わせて計画され、流線型で一等車のみの豪華仕様
両者の計画と共に消滅 >>426
武蔵野線新製投入車のうち40両は、編成組み替え補填分だから仕方ない。
武蔵野線は103時代に8両化されたが、8両化がJR化後だったために103を追加製造できず、仕方なく103は組み替えで対応。
その不足分として205を5本だけ新製投入することで補った。
小田急が8両各停を固定編成化推進の当初の計画と同じパターン。
各停用として設計された2600を8両化するが平成に入った頃だったために2600を追加製造できず組み替えで対応し、不足分を新製2000で補う予定だった。
しかし2600の8両化した編成がラッシュ時に故障したために8両化は途中で中止し、2000を増備することで8両化編成は真っ先に淘汰された。 >>519
セノハチ用に補機連結の控車にかなり旧型の客車を湘南色にした事業用車なかったか?
それと、営業用にそんなことするくらいなら80系の足回り交換のほうがオモシロそう。 >>532
仮称9100試作の場合は1本のみで
新車が必要な局面は当面9000増備
とりあえず確定できた仕様から採用し
量産用の決定版を待たずに
21mVVVF通勤車を増備しながら
その都度目処が立った要素を取り込む方針
になった1000企画段階でも
図面作成は仮称9100のままだったが
方針転換で既に仮称から変更前提の展開へ
1000-6次車のことなら
この次車だけで当初は4連3本の計画
そしてこの仕様を基本に約60両量産見込
増備の段階で一部転換クロス仕様も検討 西武新2000系ベースのVVVF量産車・地下鉄乗り入れ対応車
所沢工場の廃止がなかったら今の6000と9000は登場せず、かわりにこれらが登場してたかもしれない >>288
そういえば臨海線って全通後しばらくは線内折り返しは6連の専用編成が充てられてたけど、これは当初臨海線が6両で計画されていたからなのかな
結局全通から2年ほどで埼京線と線内折り返しの運用が共通化されて6連は消滅したが・・ >>288
1990年代初頭では、103系1000番台は地下鉄乗り入れからはすでに撤退していた。
再び地下鉄乗り入れ化するということは、東西線向けに改造したのと同じようなことになったのか。 >>538
もともと、2000系自体が、有楽町線乗り入れ車両として計画されていた。
しかし、有楽町線乗り入れ工事がなかなか進まなかったことや、4ドア車の要請が高まったことで、2000系を通勤型のスタンダードに位置づけた。
ちなみに、実在した新2000系のVVVF車は、登場は6000系とほぼ同時期なので、地下鉄乗り入れとは別目的なのでは。 >>541 そりゃ、デマだな。2000系初登場の頃の鉄ピクの記事で、西武鉄道としては新宿線の混雑解消目的で導入するものであり、将来の地下鉄乗り入れ用車両は別に造る、と書いてある。 >>540
実際三鷹に1本転属していたことを考えるとその可能性はありそう 西武といえば1983年に3000系が登場する際、東急車輌からアルミ車体・電機子チョッパ制御・ボルスタレス台車を採用することを提案されてきたけど、
結局は所沢車両の都合で新101ベースの車体(ただし側面の窓割は異なる)+2000の機器という事になってしまったがな
でも西武は昔からそんな金かけた車両は作らない傾向があったが・・
新2000系VVVF車は1993年製で、6000系先行車が1992年製だから、この時点で所沢車両潰す気はあっただろうが、何故1本だけ作ったのか? そういえば西武2000系には青と白のツートン塗装の案が存在したらしい。
6000系のかなり前から塗装を青系にイメージチェンジするのが考えられていたということか。
↓2014年の西武フェスタで展示されていたデザイン参照
ttps://blogs.yahoo.co.jp/orange50090/11547279.html >>540
りんかい線のトンネルはシールドドンネルで断面が広いので、あえて地下鉄対応車でなくても
入線可能(70-000系も205系もE233系も前面非貫通の一般仕様)
>>543
当初、301系には車両更新工事を施工せずに90年代前半に廃車とする計画だったため、
置き換え用として松戸→三鷹へ更に数本の103系1000番台が転出する計画もあったらしい。
>>544 >>545
西武2097Fのモハの1ユニットがVVVFインバータ車だったのは、地下鉄非乗り入れ車への
VVVFインバータ制御導入のための試験用として導入された。 で結局所沢工場の廃止が決まったから、N2000系VVVF車は増備されなかったんだな
9000系は所沢廃止前提のキャパ縮小で流用車になったと聞く >>544
2097Fは多分地上線専用のVVVF車として登場したが、所工が閉鎖前提のキャパ縮小で9000系に移行してしまったため量産が見送られたんでは?
2097F登場の時点では、既に6000系試作車が登場していた。
ちなみに6000系は当初計画では有楽町線直通は試作車も使われる予定だった。
運転台機器が違うため試作車の有楽町線直通は見送り。 運転席回りの窓を1段凹ませて回りを黒くしたデザインを流行らせたのは東急車両でしょ 東急車両はブラックフェイス非対称デザインをあちこちに売り込んでたっぽいけど
最初に201系に使わせろって国鉄から圧力がかかったんだよな >>553
ということは、>>400で書かれていた京急800形の前面デザイン案を変更させた原因となった
他社の車両はやはり201系だったというわけか。 >>446
2600形の組み替えは、2671Fの事故が由来。
91年10月に黒川〜小田急永山間で土砂崩れに巻き込まれ、2771と2871が現地搬出不能と判断され解体された。
残り4両は大野工場に回送されたが、2671Fが車体修理工事施工済で、編成単位の最終増備グループでもあったため、
1次車で車体修理工事未施工の2654Fを編成解除し、2754-2854を2671Fの残りと組成した。
2654Fの残りは休車となったが、この休車を有効に活用するため、2604-2704-2804を東急車両に入場させ、2651Fから2751を抜いた5両と組成、
8連の2代目2654Fを組成した。(この際2654・2751は休車)
この8連化で総編成数が1編成減少したため、その補充分として1000形の8連が1本(1081F)製造された。
VVVF車は、後から増備したために車齢の若い2750型を有効活用することが目的だった。
>>450
>>458
>>459
93年度に小田急が発表した設備投資計画で、「1000形8両を新造」と記載されていた。
(鉄道ピクトリアル93年11月号にある大手私鉄各社の事業計画でも記載があった)
ちなみに1081Fは、92年度設備投資計画に載っていた「1000形38両を新造」の中の8両。
94年度の車両新造に関しては、同年12月の時点で2000形になることは決定されていた。
2600形8連の廃車は、8連化編成がラッシュ時に故障したのも理由。 >>553 201系の正面デザインって、試作に終わったが591系のを踏襲したものではなかったっけ? >>556
ってことは、京急800デザイン変更の原因になった電車は、東武9000ってこと?
同じ時期に東急車輌が絡んでいて前面非対称って、国鉄201と東武9000くらいしかないし。 国鉄201や営団6000系統のツラは、永田重工のラムダシグマみたいで気持ち悪かった
嫌悪感を覚えた >>547
臨海線は地下鉄規格なら70-000はあんな形で出ないし、埼京線205は207-900似の顔の別番台になってただろな
e233-7000も-2000と同じ車体だったろう
東西線は営団車も当初は90年代中に05系に統一する構想あったみたいだね
(5000は3000等と同じで冷房化せずに廃車) メトロ15000系は、当初は05系14次車(計画中止になった144F〜147Fを入れると15次車)として計画されていた。
しかし、その時点で、05系の初期車が20年以上過ぎていたことや、05系を05系で置き換える(ワイドドア化という、とても改造不可能な内容ではあるが)ことになってしまうため、さすがに無理があった。 メトロ05は増備のたびに仕様が変わりすぎて
名乗る形式を変えるタイミングを
うかがっていた感じ >>560
05系15次車は、当初は九段下駅の折り返し線の改良工事の実施に伴う増発用として2〜3
本が投入される予定だった。しかし、九段下駅の折り返し線の工事が地上の建造物との
関係で当時は工事に取りかかれず、一方で朝の混雑が激しくて遅延も発生していたので
何らかの対策が必要だったため、ワイドドア車をピークの時間帯の列車に追加導入して、
車体についても10000系の仕様を取り入れることとしたことから、新たに15000系として投入
されることになった。 >>562
15000系導入の時は05系初期車を千代田線に転属という話もあったよな
なんでも小田急側が拒否したとか
更に06系東西線転属説も
結局05系初期車と06系はあっさり廃車になってしまったな
05系初期車を転用しなかった時点で、06系も廃車の運命に遭うのは決まっていただろうが 都電7000形7012・7014の豊橋鉄道譲渡(豊橋鉄道当初計画のモ3503・モ3504)
都電7000形は6両が非冷房のまま8500形に置き換えられて廃車となったが、91年に廃車の
7011(市川市内に保存)・7006(江東区内の施設に保管)に続いて92年に廃車となった7009・
7028の2両は豊橋鉄道に譲渡されてモ3501・モ3502となった。豊橋鉄道は翌93年に廃車と
なった7012・7014についても譲受の意向を東京都に申し出ていたものの、東京都は当時、
この2両を都電博物館の展示物として保存する計画だったため、豊橋鉄道からの申し出を
断ったが、資金難で都電博物館構想が頓挫したため、7012・7014の2両は結局解体された。
なお、その後2000年には7017・7021の2両が豊橋鉄道へ譲渡されてモ3503・モ3504となって
いる。 >>563
もともと06は廃車の方向だった。
ホームドア設置の都合上、ドア位置の違う06は残せない。 そういえば小田急の千代田線乗り入れ車に
メトロ06、JR209
みたいな少数派っていましたっけ 千代田線05系転属説は、小田急新型ATC取り付け工事のための車両不足を補うためのものだった。
しかし、千代田線走行経験のない05系(機構的にも対応していない)を無理やり入れるよりも、6000系の廃車を延期させればこと足りるということで没に。 >>566
小田急の地下鉄直通列車自体が、直通開始から長らく少数派だった。
さほど編成数が必要無かったから、少数派車両も存在しなかった。 小田急といえば、この前復刊されたロマンスカー本に載っていた話。
SE車以前に旧型車を改造して前面展望式の車両を試作してみようという計画があり、
運転台はフランスの気動車のように車体中央の天井から飛び出したものにする予定だったとか。 >>569
シュピーゲル号の1号艦を思い出したW。 >>564
都電荒川線は当初は8500に統一する構想だったらしい
8500だらけの荒川線、見たかったな それはそれで面白そうだが、結果的に旧型がこんな遅くまで生き延びたのは趣味的に見るとありがたかった
更新車の再利用もなかっただろうし、車両のバリエーションがあるのは楽しい 小田急9000形(当初の)9409Fと9410F
小田急9000形は当初6両編成・4両編成各10本が製造される予定だったが、6両編成8本・
4両編成10本が落成した時点で6両編成・4両編成各9本で千代田線乗り入れの所用本数が
足りることとなったため、当初計画されていた9409F9410Fは製造されず、旧9010Fに新造
された9559・9659が挿入されて9409Fとなった。 >>575
明確な計画があったわけでは無い。ウソ書いちゃダメ。
9000は「おおよそ10連×10本程度」ということで、新製開始(経済輌数が、
小田急の場合約100輌なので)。
しかし当時はまだ急行の10連化もまだだったので、4連が不足気味であったこともあり、
まずは4連を10本製作し、次いで6連を増備。8本作ったところで、
乗り入れ開始が工事の遅れから延期気味になったので、
「最終的な運用本数が決定するまで増備中止」とし、結局5運用と決まった時に、
9010Fを9409Fへ組み替えて、4連6連ともに9本に。 秩父鉄道の京阪3000系(初代)購入計画
(これがご破算になって、代替で165系購入になった)
富山地方鉄道の阪急2800系購入計画
(これがご破算になって、代替で京阪3000系購入になった)。 あの165系は台車と電装品の部品取り用のつもりで用意してたんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています