幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc 京阪8031F(旧3000系)の新塗装。鉄道ファン誌にイラストが載っていた。
中之島線爆死で新3000系が特急に入ったので塗り替えられる前に廃車。 >>407
まあ、軌間のこともあるのだろうが…
当時(88年)、琴電は京急1000形を購入して1080形として導入したが、非冷房
で半鋼製車体で旧性能(ツリカケ駆動)の東急3500形と冷房付で全鋼製車体で
新性能の京急1000形では、琴電でなくてもやはり後者を選ぶでしょ?
>>409
今後、標準軌の車両では都営5300形・神戸市交1000系が新型車に置き換え
られて廃車となる予定なので、琴電に譲渡される可能性が高いかも? 勝田の日立製作所にあったED500が解体されたらしい スカ色のサロ112って、昔トミーが模型を出してたけど
実在したの?
新前橋から三鷹に貸し出されてた
スカ色のサロ165-4があっただけだよね? >>417
無いよ、スカ色のサロ112は。
ただ、あのトミーNのサロ112は、車番がサロ112-14なので、
「サロ165」に書き換え、台車交換できれば、サロ165-14に出来るかもねw >>413
想像したらなかなかのゲテモノやな…(笑) その一方で、クハ111ATC車の湘南色はJR化後にあったな。
東海道のは正規の塗り分けだったけど、小山のは115系塗り分けだったww 幻の東海道・山陽緩行105系は現実の車両でいえば東武8000系がそれに近いと思う。
東武8000系はよく「私鉄の103系」といわれるが性能的にはむしろ近郊形。
もし東海道・山陽緩行に105系が出てたら「私鉄の105系」といわれてたかもしれない。 生活再生支援ならNPO法人STAで
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詳しくはHPもご覧下さい。 幻の105系は京阪神緩行線を想定されていたが、首都圏でも中央線、武蔵野線あたりには新製配置されていたかも。
とりわけ201系は高コストだったので試作だけに終わり、昭和末期でも生産されていたかも。 >>424
西国分寺〜新秋津の間の長大トンネルがなかったら、72系が入っていたんじゃないか、
ってのが武蔵野線。
101-1000だって、101の初期型ばかりをあえて選んで改造したくらいなんだから、
武蔵野線に新車なんて・・・
武蔵野線43年の歴史の中で、新製投入車は46両だけ。これからも中古車天国なんだろうな。 EF65型1000番台(PF)の「サロンエクスプレス東京」専用塗装機
RF86年1月号の直流電気機関車特集の中の記述に、当時東京機関区に配置されて
いたEF65型1000番台(PF)のうちの1両を「サロンエスプレス東京」専用機として
塗色変更をする予定であるとあったが、結局実現しなかった。 >>427
同時期に登場したサロンカーなにわは専用機を設定する考えはなかったんかな? >>429
総武緩行線その他から101をひっかき集めて常磐快速線で使う
って計画もあったそうだが。
103で高速運転は不向き、って国鉄本社も気付いてはいたみたい。 >>5 >>299
OS11は当初OS1、2000、モハ1500以外の地下区間に適合しない全車両をすべて置き換える構想もあったが
コスト面から青ガエル買う計画に変更されたらしい
>>390
まさか元HiSEで長電の展望車が実現することになるとは
なぜ3000は中止になったのか? >>383
小田急2000形って千代直は想定されてたっけ >>312
当初はサハ1900を全て1700番台に組み込み、1600番台は全て6連にする計画だったらしい
それが600形に移行したため、サハ1900の1700番台転用は3編成で終了、
1700番台そのものも6編成で終了となった >>299
小田急だが確かに1082Fの製作は予定されていたな
しかし現車は年度末になっても現れず
>>311
06系は元々1編成しか作る計画はなかった筈
6000系の更新予備だったから >>432
千代直機器を設置するためのスペースは確保されているため想定していたんだと思われ。 >>431
長電パノラマカーは二階運転台だとタブレット交換の問題があるので没になった。
昔のピクの甲信越私鉄特集号に載っていたはず。 >>125
阪急6300系5扉試験改造と5200系機器流用のワイドドア車って、1993年時点で構想にあった座席収納車両の当初案?
結局は8200系(8000系べースのセミワイドドア車)になったが…
更に8300系の8305〜、8316〜、8334〜(いずれも8315仕様だったと思われる)、
8040系の8連版(多分8010番台)も没になっている
それにしても6300系5扉試験改造無茶ではないか?
強度低下がひどく営業出来ずに廃車だったかもしれないな 能勢電鉄自社発注新車は実現していたら阪急8000系ベースだったと思う
正雀工場で検査だから
>>125
阪神8000系第13次車以降は時期的にVVVFの新形式に移行してもよかったと思うが、
なぜ8000系をマイナーチェンジの上で継続増備だったのか
鋼製車体VVVF赤胴車新形式って、はんしんまつりにあったクレイモデル?
(8502と書かれていたが、実際に登場していたら9000系だったと思われる)
震災前の計画では5500系と並行して赤胴の新形式(おそらく9000系)を製造する計画で、1997年以降の登場を計画していたと聞いた記憶あるが >>125
>南海7200系
>南海9100系
7200系は6200系の南海線用鋼製車として計画されていたのか
それとも7000系更新車は7200系に改番する計画があったのか
ちなみに7000系4連はcM-T-T-Mcから
冷房化改造後はcT-M-M-Tcにする計画があったらしい
実際はそのままだったが
9100系はVVVF試作車として1編成のみ作る予定(9100系以外は引き続き9000系増備する計画)だったが、
何故か1000系を最初から量産する計画に変更されたらしい
路車板で南海が1990年に車両新造しなかったのは、新塗装化が絡んだCI制定と並行して、
この9100試作から1000量産へ計画変更されたからとのこと あと1000系6次車以降(1050系)も、結局2001年に製造された1編成のみで終わってしまったが
当初は2002年に2編成、それ以降も増備を続け最終的には60両前後になる予定だった
予算承認の問題があって1編成で終了 京阪7005F〜・7204F〜・10007F〜・10000系7連
7000系は当初計画では従来車置き換えに増備する予定であった(反対に8000系は1編成+増結用中間車のみ)
しかし8000系が好評だったため、旧3000系を8000系に置き換える計画に変更
結果的に7000系は最初の3編成+制御方式統一の為に製造された1編成の計4編成で終了となった
7200系・10000系も当初100両くらい製造する計画であったが、前者は9000系、後者は現3000系の構想が出たためいずれも少数で打ち止め
10000系は4連のみであるが、当初は7連も製造する計画だったし、
7200系8連が5連化できる構造であるのも将来5連の増備車が出ることを見越していたんだろう 小田急2000形の10連
編成中番号が飛んでいるのは、この10連化を見越していたんだろうな >>442
千代田線に乗り入れる構想だったらしいしね。 >>432 >>435 >>442 >>443
RP誌の99年12月臨時増刊号「特集 小田急電鉄」の中に、2000形が千代田線
への直通運転への使用も想定して新造されたという記述がある。
>>434
06系は、6000系の更新予備ではなく、1993年3月のダイヤ改正に伴う増発用
のため新造された。 >>439
1990年ではなく1991年が新造なしでは?
1990年は2000系3編成と泉北高速5000系1編成が新造されている
9100系は1000系の仮称だと思う
1000系登場時に渡された図面に「9100系」と書かれていたものもあったらしい 小田急N8の14本計画
6連の数からして、おそらく3本がVVVF車になっていたと思う
結果的に6本(うち1本がVVVF)で打ち切りになったが…
飛び飛びだったN8の編成番号だが、最終的には2653〜2663Fが原型の抵抗制御、2664〜2666FがVVVF車になる計画だっただろう 京王8000系流線形
8000系の設計当初は流線形を含む各種の前面形状が検討されたが、客室面積を犠牲にしないこと、全長20mにすること、分割編成で使用されるために正面に貫通扉を付けることなどの各種制約から今のデザインになった
仮に流線形だったら8両固定だったかもしれない 阪急8010形
個別分散制御3M5Tで、8040形の8連版
組成はおそらく8010-8610-8560-8760-8790-8660-8510-8160
8790を8020Fの増結Tに番号譲った時点で計画倒れになったと思われる >>448
今の9000と同じで
Mc-T-T-T-T-T-M-Mc
となっていたと思われる。 小田急の幻の車両ネタを2点
1000形は8連が1本しかないが、当初計画では1082Fの製作も予定されていた。
1993年度の事業計画に「1000形8両を新造」という項が存在する。
しかし年度末になっても現車は現れなかった。
次に2000形だが、1994年度の事業計画では「1000形のニューバージョンを8連2本導入、ドア幅が一般車とワイドドア車の中間の大きさとなる」と項があり、
2000形とは公表されていなかった。
おそらく計画当初は1000形のセミワイドドア車として計画されていただろう。
>>446
1082Fが中止になった時点で、2600形組み替え計画も縮小されたと思われる。 >>383 >>442
2000形は当初計画では2600形の8連化による不足分しか製造しない計画だったので、最初から8連しか計画されていなかったのでは?
複々線の目処が立たないから2000形を増備して2600形組み替え編成を廃車にしたらしいし。 >>5
小田急LSEは、当初御殿場線乗り入れ用に短縮編成を作る計画があったという話はあるらしいが、実現していたら通常運転台だったの?
HiSEとRSEの関係に近い感じだな
何で中止になったんだろうか?
小田急1000形1257F以降の6連増備車
1000は登場時の新車雑誌で「2600形置き換え用」という小田急の公式見解が記述されていたらしい
実現していたら1992年以降に2600形置き換え用として6連を増備し、最終的には1278Fまで増備されていただろう 名鉄が北アルプスに新車入れる際にパノラマスーパーみたいな展望席付いた車両入れようとしたけどJR東海が難色示して実現しなかったとか。
仮に実現したとしてもワイドビューひだとの併結運転の絡みで片側にしか連結できず使い勝手悪かっただろうな。 >>453
末期のダイヤも嫌がらせみたいな感じだったからな、国鉄時代から世話になったのに恩を仇で返した典型だな。逆に名古屋発犬山経由でひだを運行してたらバスに善戦できたのにな。 北アルプスは、まぁ仕方ない
沿線から飛び出して観光開発、地鉄を乗っ取ろうとした頃とは時代が変わってしまった
線内特急で何度か乗ったが、1扉で停車時間が延びて後続が糞詰まり
八百津廃止と同時、中金なども廃止の方針だったし、
内燃車を手放すタイミングとして適当だったろう >>452
S-LSE(ショートLSE)については、>>5の間違い。
当初の計画では、LSEを6連程度に短縮したもの(もちろん展望付き)を作り、
SSEと置き換える計画だったのが、当時の硬直化した国鉄の労使関係の中、
「展望車を入れるのなら、乗り入れは廃止だ」と当局側から言われ、
計画が宙に浮いた。当時御殿場周辺にレジャー施設を持っていた小田急としては
乗り入れ廃止を受け入れるわけにも行かず、SSEを更新して使用。
結局国鉄そのものがなくなり、JRに移行するまで代車は製作できず、
S-LSEは幻に終わった。連接ロマンスカーで7000のみ通勤車と同様の車号設定なのは、
おそらくその計画の名残と思われる。 >>456
当時の国鉄としては乗客から運転室が丸見えになる小田急タイプの展望車なんか乗務員が滅茶苦茶嫌がるだろうし。 小田急1000形ワイドドアの2次車6連
ワイドドア車は、1次車は6連と4連の2種類が製造されたが、室内設備が改良された2次車は4連しか製造されなかった
元々ワイドドア車登場時点では4連・6連共に増備する予定が、既に発注された関係で2次車の6連は幻になったものと思われる
小田急1095〜1098F
千代直を固定編成化する計画で10両固定が登場したが、4編成で打ち止めとなり、最終的には6+4編成が4本残ることになった
2000/12/2改正で昼間の準急を千代直に変更したことに伴い、一旦地上専用になっていた6+4編成2本が千代直に復帰したが、
仮に上記4編成が増備されて千代直を10両固定に統一していた場合、この改正による千代直増発では2000形の千代直10連(2091・2092F)が登場していたかもしれない >>299
1081Fは1092〜1094Fと同じ1992年度新製。
1993年度に8両増備する計画があった(おそらくこれが1082F)が、実現しなかった。
結局1993年度は新造車無し。
>>452
1000形登場時点では2600形の車体修理が行われている段階だったので、1000形が2600形置き換え用だったとは考えにくい。
そもそもその時代の小田急は混雑率200%超の暗黒時代で、急行は相模大野・町田辺りで積み残し出るとかそういうレベル。
更に本厚木以西と江ノ島線は10両が入れなかった。
そんな状況だから増発・増結と上記区間の急行10両化による増備を優先したので、通勤車の置き換えは後回しにされた。 小田急3000形の4連
8連が3600番台なので、当初は4連も製造する予定だったんだろう >>456
伊豆急の幻ネタを思い出した。
開業時の新造車はパノラマカータイプの前面展望車を計画していたものの
国鉄の規格外となるので無理ということで史実の100系に。
ソースは鉄道ファン92年2月号 リゾート21が100系本来の姿
みたいなことなのか
なんか面白い 幻の列車ネタ。
鹿島臨海鉄道への485系乗り入れ。
海水浴の臨時列車として常磐線の臨時特急を水戸からDL牽引で大洗方面へ乗り入れる計画で実際に試運転も実施。
ところが直前に信楽高原鐵道で発生した正面衝突事故の原因のひとつに乗り入れの際の連携の悪さが指摘され不慣れな乗り入れに対する不安から結局乗り入れは中止になり水戸で乗り換えになる。
これ以降鹿島臨海鉄道へのJR旅客列車の乗り入れは行われていない? >>463
そのせいで一部の勝田のクハ481は
連結器を自連にしていたものの、
結局使わずじまい >>463
それってサービス電源はどうやって確保する予定だったの? 鉄道ファンに載ってた試運転の写真では単に機関車が電車を引っ張ってるだけだったけど本番では小海線に165系が入った時みたいに12系か14系客車辺り繋げる予定だったのかな? >>452 >>459
小田急は2400は8000に置き換えられたが、そもそも2400は車体長短かったから話が違うし…
そのためか2400は2478以外は冷房化しなかった
今思えば1000新造の時点で2600の更新が行われていたから置き換えは考え難かったが、
バブル期の通勤需要増加による車両増備が無ければ1000は少数形式になっていた可能性がある 485系時代は12系客車を電源車に使用。
783系時代はヨに発電機載せて電源車に改造して使用してた。 >>5
>西武デラックス特急
それが>>1の西武鉄道7000系ではないか
1990年度に3編成9両が新造される予定だった
ソースは鉄道ピクトリアル1990年11月号 >>470
いかにもバブルが弾けて水の泡、という感じだな、時期からして
どれだけ贅を尽くした特急になっていたことだろう 阪神8300系
おそらく震災前に企画されていたものと思われる、>>125の鋼製車体VVVF赤胴車新形式?
塗装は上半分が赤、下半分が白で、現在近鉄23000系の奇数編成で採用されているものと酷似
後は9300系の仮称が4000系、5500系の仮称が6000系だったという説があるが真偽不明
また、8000系第13次車以降は当初は車体色の変更も検討されていた(実際に8233に3種類の試験塗装を施した)
結局12次車以前と同じ車体色での登場だったが… 川島冷蔵が言ってる(近鉄乗入れ規格車)以外にも隠してるのがあったのかー 阪急京都線新特急車
おそらく8300後期車と同時期に登場していたかもしれない、6300置き換え用の新特急車
基本は6300と同じ2ドア転換クロスシート(扉も6300と同じく両端に寄せる)だが、梅田寄りの2両が車体中央部にボックスシート、それ以外はロングシートという変わった構造になる予定であった
阪急6300系5ドア試作改造(>>125にもあり)
上記新特急車導入によりねん出される6300系の付随車に対し改造
おそらく座席は収納式になっていたと思われる(新特急車と座席収納車両の構想が同時期に出たため)
結局座席収納車両は神戸線に8200系を導入することになったが…
>阪急5200系機器流用のワイドドア車体新製車
多分8000系ワイドドア車(台車のみ5200から流用)として登場していたと思う(現に8000系2連の台車が5200から流用のため) 国鉄163系。
153系のパワーアップ版で165系の平地用の位置付けでまずはサロが登場。
しかし続いて導入される予定だったクハやモハは165系の増備で代用され結局実質幻の形式に。
実現していれば恐らく165系が使われてた東海道線の急行東海や比叡辺りに入ってたかな? 東海道で使われた少数派モハ165のグループは本来163系になるべきだったね >>476
でも、結局急行富士川などでは、抑速ブレーキを使えたわけだから、
あれで良かったのかもよ。
東海では抑速使った場面あったのかなぁ。 JTBの国鉄急行電車物語には163系の先頭車の図面が載っているが
ステップから下を緑の塗り分けにして区別する予定だったらしい >>110
そんな計画は当初からなかった筈
>>114
都営三田線乗り入れが実現していたら8000ベースの車体+2000の機器で9000系が出ていただろう
その場合史実の9000系は別の形式を名乗っていたと思う >>479追加
5050系新造の方が安くつくと判断され9000系は全編成大井町線に転属し、余剰の中間車はあっさり廃車されてしまった
その大井町線転属した車両も目黒線が相鉄との直通開始では、3000系が大井町線に転属するという噂が出ており、余命はわずかと思われる
一昔の東急だったらVVVFをIGBTに換装を含めた大規模更新をして東横線で継続使用だったな 163系先頭車の塗り分けが決まっていたという話はちょくちょく出るが、何を見たら載ってるかな?
ネットには多分無いと思う。随分検索してみたけど、何も出てこなかったし…… >>483
福原俊一「国鉄急行電車物語」163ページ
福原氏の書いた本や雑誌記事ではときどき幻の車両を取り上げているので要チェック >>485
163系だけに163ページか。なるほどね。
ピクの増刊によれば、クハ79902は全金改造時クロハになる予定だったそうな。
クロハ79?新形式? ピクの増刊、63形の設計時に「いっそ側板を無くしてしまったらどうか」というヤケクソの意見まで出たとあった。
本当に案が通っていたらこんなの↓が出来上がっていたかも。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a1/MER-Tram-33.jpg >>485
ページ数が分かり易くていいですね。覚えておく必要が無い(笑)。
10年以上前に出た本か……店頭より図書館探した方がいいかな。
ともあれなんとかして見てみる。ありがとう。 北総鉄道7000形赤色バージョン
前面は鹿島臨海6000形
側面はJR九813系にそれぞれ酷似 南海8000系8014F〜8018F
2014年度の事業計画では、8000系をさらに20両新造する計画があった。
2013年度末の時点で8013Fまで登場していたので、上記5編成だったと思われるが、
結局2014年度末になっても現車は登場せず、計画流れになった模様。
2015年度に近車製の8300系1次車が2014年度計画と同じ5編成20両落成しているので、おそらく総車との兼ね合いで
近車にメーカーを変更した結果、2015年度にずれ込んだものと思われる。
2014年度は泉北から3000を南海に譲渡したが、これは8000増備計画変更で緊急譲渡されたものなんだろう。 新京成8900形はあと4編成作って800形を置き換える予定だったが、東葉開業による収入減で急遽中止。
800形を少しの手直しで延命させる事になった。
そのため、800形を琴電に譲渡する話が流れた。
京王重機の改造で15Mに短縮して志度線、長尾線に入れる計画で、図面までは書いてあったらしい。 さんせくとはいえ、相手は高額鉄道なのに収入減になったというのもすごい話だな >>495
東葉高額鉄道は、乗り入れている先がメトロ東西線だからね。
メトロの運賃は、定期も普通のきっぷも、長い距離乗ると格安な運賃体系だから、
東葉高速が少々高くても気にならないレベル、なのかも。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
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i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 新京成は吊掛8両の時代が華だな
北総東葉と立て続けに都心直結の新線ができたので、人の流れが変わるのは仕方ない
流山線や常総線はもっと深刻だろう 営団6000系 左右対称な顔バージョン
JR西の223系221系を
少しダサくした感じといえば良いのかな >>500
いやいや、前面窓が大型曲面ガラスで本当に酉を数十年近く先取りした感じ。
90年代前半の鉄道ファンの営団特集号に載ってたデザイン案のはず。 ある意味10000系で実現だろ。
出た時は西207系を丸くしたパクリと言われたが。 >>483
163系の先頭車はクハ153だろ? 113系のクハ111と同じ。
そういえば実在したサロ163もサロ113と同じ特ロ仕様だよな。 というわけで、あの先頭車は483系のクハ481のように塗りわけだけ変えたクハ153ではないかと。 国鉄113系?ステンレス車バージョン
側面は実在する鋼製車そのままだが
前面が山陽電鉄5000系風 >>503
その後の書き込みまできちんと読んだか? >>503
特ロってなんだかわかって言っているのか。 >>505
415のステンレス抵抗制御車みたいのとは別に計画があったのか JR東日本E26系は、増備車として12両編成2本を追加製造して「カシオペア」
の定期列車化(実質的には「北斗星」1往復の置き換え)が当初計画されて
いた(当時のRJ誌に記述あり)が、結局実現しなかった。
他にもJR東日本では、常磐快速線のE231系・京葉線のE233系5000番台が当初
の計画よりも実際には1〜2編成少なく製造された。 京成3600形クロスシート試作車 3698編成も1990年春にデビュー予定だった。
しかし3700形という次世代車もデビューする計画が浮上し、3600形の新造は1989年7月の3688編成で打ちきり。
クロスシートは3300形更新車で試みることに。
もし3698編成がいたらこれはロングシートには改造されていたものの間もなく3000形代替としたかもしれない >>487 簡略化するにしても、ドアエンジン取っ払って手動式にするのは、短時間での乗降を難しくするからやらなかったということか。
外吊式の自動ドアなんて考えなかったのかな?欧米では結構よく見られるが。 >>494
それで琴電が置き換え車両を求めて探し回った結果 見つけたのが名市交車の黄電(ただし譲渡計画も予定も無かったので2/3は重機のエサになった後) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています