幻の鉄道車両を語るスレ
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc 阪急京都線に6330系にダブルデツッカーの構想があったな。 豊橋鉄道1900系(元名鉄5200系)の京福電鉄(福井)譲渡計画。
渥美線1500V昇圧で余剰になり豊鉄で冷房改造されてた事もあって譲渡する計画があったが車体が大きかった事もあり実現せず。
もし譲渡されてたら旧型車両が整理されてあの運転士が殉職した正面衝突事故は防げたかも。
後に自社発注で登場した5000系にこの車両の台車とか流用してるのはこの譲渡計画の名残かな? 房総ローカル向け205系
どんな感じになっていたんだろうな >>254
もし他社に譲渡されてたとしても、冷房化されてるとはいえ車体は老朽化してたから、
5年使用のつなぎで終わりそう。 本線用E型テンダー蒸機
特急牽引機だったようだけど内燃機の登場とか電化でお流れ。 福井鉄道600型603。
名古屋市営地下鉄の車両を改造して投入、先頭車2両をニコイチで単行に改造。
当初は合計3両投入予定だったが単行では収容力に問題があったので2両投入した所で計画変更。
最後の車両は先頭車2両をそのまま2両編成にした610型として登場。
最初に登場した2両のうち1両は廃車され残りの1両もイベント列車等で細々使ってるのに対して610型は今でも第一線で活躍中。
600型はデビュー直後に乗った事あるけど確かに福井市内では昼間なのに大混雑だった。 名鉄パノラマカー7000系の展望ドーム車の模型の写真はよく見るけど、
実現していたら、どういうふうな構造になっていたんだろう?
余談ながら、模型といえば、コンコルドのJAL塗装(先先先代バージョン)の模型にも
結構萌える。 300系は量産車で仏フェブレー社製V字型シングルパンタを装備する予定だった よく言われるけど、客車時代の「つばめ」「はと」用に計画されていた
密閉型(ドーム型)展望車が実現していたら、
マイテ49とかが「かもめ」や「はつかり」に回り、
百關謳カをして「特急なのに一等車がない」と嘆かせることもなかっただろう。 >>262
確か3号で頓挫した「鉄道」にラフなイラストが出ていた記憶があるが、
旧満鉄あじあ号の密閉型展望車からの発想かも。
あじあ号式の密閉型はCPのCANADIAN号もそうだが、それ以前は解放型で
屋根が厚い形だった。1970年夏に両方ともVancouver BCの車庫で撮影している。 阪神の普通の電車を乗せて山に登る台車型ケーブルカー。実現していたら箱根や信貴も直通列車が走っていたかも。 東武5000系で2000年ごろに廃車された2両編成2本は他社に譲渡する予定だったが
実現せず解体されたそうだが、どこの会社に譲渡予定だったんだろう。
元々東武自体廃車車両を他社に売却した事例は少ないが。 >267
ああ、考えられるな。実際は京王3000に取って代わられたとすれば納得 何かの本で、京急900形のイラストを見た
今の2000形によく似てた >>270
「よく似てた」ではなく、今の2000形そのものでしょ?以前、何かの本で
「2000形は当初900形と仮称されていた」という記述を読んだことがある。
(余談だが、東急の8500系は当初9000系となる予定だったらしい。そして、
その後に登場した8090系も当初は9000系となる予定だったとのこと。) ロングおじさん著のカラーブックスでしょ。
「900形登場」って速報が載ってたの覚えてる
その2000形も既に廃車多数・・・ ロングおじさんは今の京急の銀千をどう思っていたんだろう? E1と言えば、使えないデジカメ。
電源を入れなければ、置きピンすら出来ない。 「短命に終わった車両」スレにて話題が出ていたが、長崎電気軌道800形は
都電3000形を5両購入して801〜805とする予定だったが、801と802の2両は
改造されたものの、803〜805の3両は改造〜入籍されないまま車庫で放置され
、801・802も数年間使用した後に廃車となり、5両全車が解体された。 >>276
801・802は6・7年走ったから幻ではないと思う 長崎や函館が買った元都電は傷みが酷かったんじゃね?
まあ ソレをキャンセルせずワザワザ遠方から調達したのは、ワケあり?
・・・今後の中古車供給先減少(新車は経営的に無理)?
・・・購入契約をしてから発覚でキャンセルできず?
購入価格自体も興味がある。
他にも地方私鉄で購入後、使わず解体って 三岐が買った東武の電機とか何気に結構あるよな。
資金が潤沢じゃなさそうなワリに不可解。 長崎電軌800って購入から竣工まで時間かかってるのも謎なんだよな。
しかも何故かワンマンじゃないからラッシュ時限定だったし。
その後仙台から5両購入して、置き換える予定の150形、160形の合計7両と数が一致した時点で
残り3両はイラネってなったんじゃないの? >>278 279
竣工に時間がかかったのは自社発注車のワンマン化改造を優先していたため。
801 802の改造が完了して、804が竣工間近の時に仙台市からワンマン対応の100形が来た。
さらに800購入の最大の動機であった赤迫以北延伸が事実上凍結して803以降の3両は放置。
竣工した2両はとりあえず予備車として使い続けるつもりだったようで、
802が側窓のアルミサッシ化とZパンタ化が施行されたが、
車体が大きく先輩の150形よりも稼働率が悪かった。
廃車の直接要因は長崎大水害。倉庫も含め全車が冠水し
その直後に冷房付きの新車1200形が入線したことで
完全に使い道がなくなって、秋に2両が廃車
倉庫も含めて年内に全車解体された。 >>280
詳しい説明サンクス。
でも800形をワンマン化するのは無理だったのかな? >>278
東葉高速鉄道は、96年の開業時に当時の営団地下鉄から5000系を120両(10両
編成12本)を譲受して、このうち100両(10両編成10本)を改造して1000形と
して投入した。残りの20両(10両編成2本)は将来の増発用として未改造の
まま八千代緑ヶ丘の車庫に保管していたが、一部の車両の帯色が変更された
ものの、結局営業用に改造されないまま1000形の廃車が開始される直前に
解体された。
当時のRF誌には5023F→1110F・5044F→1120Fとなる予定と記されていた。 幻の車両ネタを2点
東京メトロ05系05-044F〜05-047F
東西線の5000系置き換え用の最終増備車として新造される予定だったが、
5000系の最終置き換えについては、副都心線開業に関連したホームドアの
設置に伴い有楽町線から追い出されることになった07系の07-103F〜07-106F
の4本で実施することになったため、この07系を置き換える10000系を新造
して有楽町線に投入することに変更された。
東武2080系2183F・2184F
日比谷線直通用の東武2000系を20000系に置き換える際に、2000系の車齢の
若い中間車を野田線用に改造した2080系だが、当初は4本ほど改造して野田線
に投入する予定だったが、非冷房車であることから利用者からの評判が悪く
、結局2181F・2182Fの2本が改造されたのみで中止となり、その2181F・
2182Fの2本も92年に廃車となっている。 くりはら田園鉄道KD95ひたちなか海浜鉄道譲渡計画。
くりでん廃止後まだ10年そこそこしか使っていなかった事もあって譲渡話が進んでいたけど交渉担当してた人が岩手宮城内陸地震で被災して亡くなった事により話がストップ。
結局車両は地元で保存。
ひたちなかはその後もミキやキハ11が希望の両数買えず苦難続き。 >>280は出先で書いたから少し無茶苦茶だなw
ちょっと訂正
竣工に時間がかかったのは自社発注車のワンマン化改造を優先していたため。
改造は昭和43年(1968年)から始まって、49年度(1974年)に完了。
それから800形の改造が本格的に始まり、入線から3年越しの50年(1975年)11月に801(3145)、翌年4月に802(3215)が竣工した。
ところが、3両目の804(3241)の竣工間近に廃止される仙台市電から100形5両を購入する話がまとまる。
100形は昭和51年10月に入線して車両数に余裕が生じ、さらに800購入の動機の一つであった
赤迫以北延伸(延伸計画の発表そのものは昭和48年)が凍結され、この時点で804と803(3240)・805(3242)の改造は中止となり、
3両は籍も入れられず浦上車庫に放置され倉庫になった。
竣工した2両はとりあえず予備車として使い続けるつもりだったようで、
昭和56年(1981年)8月に802が側窓のアルミサッシ化と集電装置のZパンタ化がなされたが、
ツーマン車だったのと、在来車と比べて定員が多めだったことから先輩の150形よりも稼働率が悪かった。
(当時の主力車両であった自社発注車の定員は76〜82名だったのに対し、800は94名)
廃車の直接要因は57年(1982年)7月に発生した長崎大水害。
発生当時801・802と倉庫代用だった5両全車が冠水した浦上車庫に留置中で全車が被災。
稼働率が低かったこと、老朽化が進んでいたこと、そして水害直後の8月に冷房付きの新車1200形が入線予定だったことから復旧は見送られた。
(800形よりも車齢が上の150形は5両全車が復旧している)
そして同年の9月6日付で801・802が廃車となり、倉庫になっていた3両も含めて年内に全車解体された。
余談だけど、長崎に入線した800形のうち801〜804までは西鉄100形流用のK-10台車だったのに対し、
805は66形77号流用のブリル76E台車を履いていた 訂正、153は廃車になっていた模様。
>>281
やろうと思えばできたんだろが、今更高い費用をかけて改造するほどでもなかったんだろうね。
赤迫以北の滑石・寺河内延伸が実現していたらワンマン化されていたかもしれない。 東葉は東急8500(01,02)を買おうとしたらしいよ。
弘南 大鰐の108 (元秩父鉄道の木造車で大栄で京成もどきの鋼体に化けた車)は、栗原が買おうとした・・・流れた理由は知らない。 新造車の投入中止や中古車の譲渡の話とかではないが、これも幻に終わった
ということで書き込みする。
東京臨海高速鉄道臨海副都心線(現りんかい線)は96年の開業時に、当時沿線
で開催予定だった都市博覧会への観客輸送のため、70-000系4両編成4本を6両
編成2本に組み換えて、(余剰となるTc車4両はこの間は休車)不足分の穴埋めと
臨時電車の増発用としてJR東日本から103系1000番台を18両(6両編成3本)借り
入れて対応する計画だった。
しかし、開業前年の95年に実施された東京都知事選挙にて、都市博覧会の
開催中止を選挙公約に掲げて立候補して当選した青島幸男氏が公約どおりに
都市博覧会の開催中止を実行したため、臨海副都心線は開業当初から70-000
系の4両編成4本での運行となったため、JR東日本からの103系1000番台を借り
入れての運行は実現しなかった。 >>285
東京では6000形と並ぶ主力車だったのに、長崎では不遇過ぎる…。 >>289 都電って他社に模倣、類似車の雛形に好まれたけど、
元祖の中古車は他社に流れても長生きできないケースが多いよなっ。
京都市電や大阪市市電とのこの差は、ナニなのかね?・・・広島や長崎に嫌われたから? 都電は線路幅が他と違って1372ミリだから台車を手配するのが面倒なのかな? 東京都議会が面倒臭いのだと思う。
確か、都バスも中古で売れなくなっちゃったんだよね。
横やりが入って。
まだ使えるモノを売るとは何事かという指摘を受けて、これからはまだ他で使えるモノを解体処分する事にしたんでしたっけ? >>290
長崎でも元2000形(700形)は車体狭くて評判が悪かったが、生き残っているんだよねぇ。
1500が入るまでは朝ラッシュ時に走っていた。 >>293
都営バスの場合は都議会と言うより石原が原因だし、理由も逆だ
使える車両を売るのが問題なんじゃなく、排ガス規制の厳しい都市部で使えなくなった車両を地方にばら撒くのは何事か、と
今は石原も辞めたし長期排ガス規制適合(排ガス規制記号KL)車が放出されるようになったから去年から都営バスの地方譲渡は再開されている >>226
この前の大宮のイベントで見てきた
キハ181というか、名鉄8000に似てるような。
一応特急車になるのかな? >>295
大型車に独自の排ガス規制をかけたとき、大手の運送会社が使えなくなったトラックを
地方の営業所に転属させたことにかみついたんだよな。
だったら何で都バスの中古を地方のバス会社に売るんだ、って言い換えされたw >>295 行動力や賛同できる政策も多数あるけど、あのヒトの言動自体或る意味 毒ガスレベルだったなっ。 長野電鉄OS11の第2編成(雑誌に載った)
小田急1082(事業計画に1000形8両2編成と書かれた年度に1編成しか製作されなかった) 超本命が大穴
暇つぶしに覗いて見たけど あり得ない女が・・
見返りをもらって損はしなかったww
◎をnに変換、◆を取る
s◎n2ch.◆net/s11/7109deep.jpg >>140
多分、Rail Magazine の雑誌企画か何かでは? 京王3000系銚子電鉄譲渡車
2009年ごろに京王井の頭線で余剰となった3000系が、銚子電鉄に譲渡される計画があった。
しかし銚子電鉄側の資金難により譲渡計画は中止となり計画変更で伊予鉄道へ譲渡される事となり
銚子電鉄は伊予鉄道から3000系購入で廃車予定だった800系(元京王2010系)を購入する事になってしまった。
結果的に銚子電鉄は資金難でやむなく車齢50年のポンコツ車両を買う羽目になってしまったが
もしも京王から3000系購入が実現していたらどうなっていたんだろう。 >>304
岳南みたいに単行になっていたんじゃないかと思う 新京成800の車体を切って短くしてことでんに、って話もあったよな。
結局名市交の電車になったけど。 上にも書いたけど東葉高速鉄道の開業で新京成の客が減って置き換え計画が一旦中断した事で琴電行きが消えた。 東急3500系琴電譲渡車
1988年ごろに東急池上線を引退した3000系列のうち、3500系が琴電に譲渡される計画があった。
しかし、車体限界の関係から長尾線・志度線への入線が不可能だったことが判明し譲渡計画は中止となり
廃車となった。東急は古くから廃車車両の地方私鉄への譲渡を多く行っているが
意外にも琴電に譲渡された実績は未だになかったはず。 山鹿温泉鉄道の湘南顔DC
有田と茨城に引き取ってもらったやつ
ゴメン、あまりに有名過ぎてつまらんね >>310 アレね、橋が重さに耐えないからもあるだよ。
大東急時代に(東急としての意向だから)京急所属の木造車が行っているよ。
琴電は、今の富山みたいに基本自社でDIYする方針だったみたい
だから 東急や西武みたいに、車両整備、改造コミコミの会社から入手はできなかった。 以前に他のスレでも話題となったが、東急デハ3450形の長野電鉄譲渡計画
長電が長野駅付近の地下化に際して、東急に5000系の譲受を希望したのは
有名だが、それに対して東急は当初は長電にデハ3450形を売りつける計画
だった。しかし、車両の調査を実施したところ、デハ3450形が地下線を走行
するのに必要な難燃基準を満たしていなかったことと、>>315と同様に長電の
橋が重さに耐えられないことが判明したため、長電の5000系譲受の希望を
受け入れることにした。 木屑じゃ地下線で問題ありだわな
既得権の新名古屋などと違って、新設では仕方ない 営団5000系しなの鉄道譲渡車
2002年ごろに東西線を引退した5000系数編成がしなの鉄道に譲渡され、
同社の169系を置き換える計画があった。しかし、しなの鉄道側の資金難により
譲渡計画は中止となり廃車となってしまった。もし営団からしなの鉄道への5000系譲渡が実現していたら
どうなっていたんだろう。 仙石線へのローカル線向け3ドアセミクロスシート車(119系?)投入計画
79〜80年に仙石線の73系(除くアコモ改造車)を置き換える際に、当時の
国鉄本社は、仙石線が観光地の松島海岸を通ることから新設計のローカル線
向け3ドアセミクロスシート車(119系?)を投入することを決めて、車両の
設計図を描いて仙台鉄道管理局へ送った。
しかし、仙台鉄道管理局からは「確かに仙石線は観光地を通るイメージが
あるが、それ以上に朝のラッシュ時の混雑が激しい。特に多賀城以南の混雑
状況では4ドアロングシート車ではないと捌けない。3ドアセミクロスシート
車なんぞ問題外である!!」と猛反発を食らったため、この計画は無くなり
、山手線・京浜東北線のATC化計画とリンクして、103系の初期車が73系の
置き換え用として仙石線に転用されることになった。
(30年位前のRF誌の国電特集の中に、当時国鉄の車両課長だった現北越急行
社長の大熊孝夫氏が執筆した文章の中に、そのエピソードを語った記述が
あった。) >>319
長電と屋代の工場を共同使用していたしなの鉄道。
長電のマッコウクジラと共通部品が多いからと、5000の譲渡を
うけようとしたけど、当時の長野県知事は田中康夫。
赤字なのに新しい電車なんて、と反対されて中止。
同時期製造の営団の電車にすれば補修用部品の共通化が出来る、という
メリットは理解出来なかった模様。 東急5000大挙投入 旧型車一掃前600v時代の上田交通別所線には、
一足先に東急5000導入で不要になった長電の旧型車を都合5両買い込んだけど、
結局4両しか使わなかった(うち2両はT車化)最初から余分に部品取りとして買ったの?それとも近隣私鉄故
お友達価格で4両も5両も価格が変わらないとか? リゾートサルーンフェスタタイ国鉄譲渡車
2001年にJR西日本を引退したキハ58改造のジョイフルトレインリゾートサルーンフェスタが、
引退後タイ国鉄に無償譲渡される計画があった。しかし、エンジン老朽化の問題により
譲渡計画は中止となりそのまま廃車となった。気動車ジョイフルトレインの海外譲渡といえば、
数年前同じくキハ58改造のこがねがフィリピンに譲渡されたことがあったが、
もしフェスタのタイ国鉄譲渡が実現していたらどうなっていたんだろう。 口を開けばなにを言うかと思ったらタイ語で自己紹介してたかも でも、そのフェスタの口も晩年は故障して動かなくなってたんだよな。 >>328
そこまで老朽化が進行していたとは。
これじゃあタイへの譲渡など夢のまた夢だったな。 以前、他のスレでも話題となっていたが、武蔵野線への72系アコモ改造車
(クハ79600・モハ72970)投入計画
1973年の武蔵野線府中本町−新松戸間開業時には、当初の計画では各地で
余剰となっていた72系を集めてアコモ改造を実施した車両を3M3Tの6両編成
で11本の66両を投入する計画だった。
しかし、実際には中央快速線への103系新製冷房車の投入に伴い、捻出された
101系を改造して難燃基準(A基準)を強化した1000番台が武蔵野線に投入され
、72系のアコモ改造車の投入は実現しなかった。(そして、改造が計画されて
いたサハ78のアコモ改造車も登場しなかった。) 国鉄80系の当初から量産する案。ドッジ・ラインなければいきなり故障多発となったか、運転が軌道に乗って3枚窓のまま量産になったかな? >>326
キハ58の譲渡車も車両限界や運転台の位置が現地の標準仕様と異なっていたのが原因で持て余されて
早い段階で休車や廃車扱いになっていたんで、フェスタが行ったとしても同じ運命を辿っていただろうな
>>329
イロモノ系ジョイフルトレインとしてはアイデンティティの喪失だろうが、
中古の輸送機器としてはギミックの故障など瑣末な問題だけどな
足回りや車体の状態の方がよっぽど重要だ 城北線103系。
国鉄〜JR瀬戸線として工事してた時建設中の高架橋に掲げてあった看板に描かれていたイラストがスカイブルー高運転台で行き先表示に名古屋と書かれていた103系だった。
恐らく当時中央線で走ってた103系(ただし低運転台)をイメージしてたと思われるが実際に国鉄がここに103系を走らせるつもりだったのかは不明。
現実には非電化で開業してキハ40→キハ11の単行が今日まで続く。 仙石線の地下化工事の看板に、203系が描かれていた。 名鉄の営業運転用のリニアモーターカー(HSST)
25年ほど前に、名鉄は名古屋本線の線路の直上にリニアモーターカー(HSST)
を建設して、特急はすべてHSSTに移行するという構想を出した。(当時のRJ誌
にも記述があった。)しかし、いつの間にかこの構想は自然消滅してしまい、
大江の実験線で使用されていた車両もリニモでは実用化されたものの、名鉄
では実用化はされなかった。
大阪環状線の無人運転用の新型電車
20年ほど前の関西空港の開港時前後に、JR西日本から大阪環状線の無人運転
と、24時間運転を将来実施するとの構想が出された。しかし、こちらの構想
についてもいつの間にか自然消滅してしまい、結局無人運転対応の新型電車
も製造されなかった。(その頃に起きた住之江公園でのニュートラムの暴走
事故が影響したとの噂が数年前に他のサイトに出ていたが、真相は不明。) HSSTの実用化はドリームランドが第1号か?などと言われていたな
ドリームランドはアボン、本線のバイパス計画も消滅
東部丘陵線が出来たものの他に普及せず
このまま日本唯一になってしまうのか >>330
形式、どうなる予定だったのかね?
33両モハを作ったら970番台超えて4ケタいっちゃうよ。
モハ72981〜モハ721013とかさ。 ・新幹線による郵便輸送計画
・お召し専用新幹線車両計画 EF59。旧58の弟分として登場する予定だった。
投入線区や充当列車は諸説。特急用とか、重連貨物とか。 三鷹発秩父行き武州鉄道モノレール。武州鉄道といっても、今の埼玉高速鉄道沿いに走っていた方ではない。
鉄道会社自体が幻に近い存在だった。 ほとんどペーパープランであれば、明治時代、東京都内のロープウェー鉄道構想というものがあったようだ。 >>340
台湾にED42が行く話があったってマジ? ED43
ED42の改良後継機として形式だけキープ
その為交流電化試験機はED44からに
結局は横軽粘着化で具体的な青写真も出ないままあぼん 201系のクハ201-3から改造のクハ200-156?
97年10月に、中央東線大月駅を通過中のE351系の下り「スーパーあずさ」の
側面に、入換運転待ちの201系が入換信号機を冒進して衝突する事故が発生
してE351系が脱線転覆した。
E351系に衝突した201系のうち、先頭車のクハ200-116は当初は廃車とする
ことが検討され、その代わりに88年の東中野での追突事故以来三鷹電車区で
保留車として留置されていたクハ201-3を方向転換の上クハ200-156?に改造
して代替車とするため、クハ201-3は三鷹電車区から大井工場に回送された。
しかし、結局クハ200-116を復旧することになったため、クハ201-3の改造は
実施されなかったことから、再び三鷹電車区に回送されて保留車のまま06年
に廃車となった。 国鉄末期の福知山線・山陰本線宝塚−城崎間の電化開業に伴い、新設された
特急「北近畿」には381系を新造投入する計画だった。しかし、国鉄の財政が
厳しかったことにより、実際には伯備線特急「やくも」の減車などにより
捻出された381系を紀勢本線「くろしお」に転用して、その「くろしお」から
捻出された485系を「北近畿」に転用して充当した。
同じく国鉄末期の話だが、日中の横須賀線逗子ー久里浜間の輸送改善を図る
ため、武蔵野線から運用を離脱して大船工場に廃車回送されていた101系1000
番台のうち、クモハ101-1000+クモハ100-1000の2両で編成を組んで車体塗色
も変更して、「シーサイドライナーヨコスカ」のヘッドマークも装着して
営業運転への投入を前提としていたようだが、結局この計画は実現せず、
この「シーサイドライナーヨコスカ」塗色の101系1000番台の2両編成も大船
工場にて解体された。 >>350
スカ色に塗られた103系がなかったっけ? サハシ455改造のバスルーム車・ゲーム車・和式車
2階建て新幹線の階上:ラウンジ、階下:ビュッフェ
リニアエクスプレスMLU00X1 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています