【製造両数】151系車両 4号車【151両】
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昭和33年11月、国鉄初の電車特急として華々しくデビュー。
現在の特急型車両の基礎を築いた、151系車両について語りましょう。
(161系・181系も含めて)
前スレ
【特急こだま】151系車両【パーラーカー】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1221233025/
【ビジネス特急】151系車両 2号車【こだま】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1231878032/
【製造両数】151系車両 3号車【151両】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1288173058/ 181系でDT32・TR69搭載のやつはボルスタアンカと車体裾が異様に接近しててギリギリだったな
クモヤ191系は床下機器が収まらず嵩上げしてるが心皿にスペーサー噛ますだけでOKだったっけ?
クハ481は嵩上げしなかったのは運転台が車両限界突破するため? >>441
回答ありがとうございます。
そうだとしたら、なぜヘッドライトのある「とき」のクハ181の画像が
ネットにないのでしょうか。
短期間だったため、撮影した人が少ないからでしょうか。
お持ちの方がいれば、アップしていただけると嬉しいです。 「とき」用の181系の内、旧161系の40番台は新製時はヘッドライトがあったが181系に改造時に撤去、100番台は最初から無い。
山陽筋からきたクハは転属時に撤去しているのでやはり無い。 >>443
車両限界云々よりウテシの目線高さに違和感が出るからとか本で読んだな。 >>445
ありがとうございます。追加でお尋ねします。
「とき」用の車両のうち、ゼロ番台は181系への改造時に撤去されたと
いうことでしょうか。
そうだとすれば、「あずさ」の設定前なので、理由は何でしょうか。
161系として発注されて、181-44および181-45として落成した2両は
当初は屋根上のヘッドライトはあったのでしょうか。 >>442
その後の直流特急形(183/189系、381系)は運転台屋根上ヘッドランプが非装備なのかデフォになったよね。
これらの系列でもやっぱり何か間の抜けた感じした。
中央東線対応なのだろうけど381系も中央東線投入が考えられてたのか? >>448
西線や篠ノ井線でも狭いトンネルがあったのでは?
低屋根車やPS23が使用された。 >>448
中央東線は架線が振り子対応になってないから381系投入はない。
E351系ではパンタグラフを台車に直結して対応してる。 >>451
それなら381系では運転台屋根上ヘッドランプはあっても良かったね。
クハ481-1500や781系先頭車の屋根上2灯ヘッドランプは格好良かったな。
381系なんかはこうしても良かった気が。 そもそも381系は全高が低い訳でヘッドランプくらいつけても中央東線走れそうだけどな >>453
381系は中央東線では振り子固定になるから183系と同等になるぞ。 >>440 >>441 >>447
>>445 >>447 >>449
スマソ、さっきは書きかけで送信してしまったので、続き。
>>441が正解で、クハ181の運転室上のヘッドライト撤去は
「あずさ」の設定時と思う。
とあるサイトにクハ181-44の写真があり、運転室上のライトがある。
https://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/m/190012
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/20/dec4a724c464ec3aec959f5b28e181b5.jpg
ということは、クハ151から改造されたクハ181も当初は運転室上にライトがあり、
「あずさ」の設定時にライトを撤去したのだと思う。 向日町から直接新潟に行った車両もヘッドライト撤去とかしてるんだよね >>459
あずさ設定時は新製車の100番台のみで当然頭上ライトが無い。
クハ151→クハ181改造車は当初は山陽本線のみで頭上ライトがあった。
撤去されたのは向日町から新潟転属時で「とき」と「あずさ」が共通運用だったため
耐寒改造と同時にライトを撤去してる。 >>461
163系改造のクハ181-41〜43と、161系として発注したクハ181-44・45は、
「とき」と「あずさ」が共通運用になるまでは頭上のライトがあったという
ことでよいだろうか。 >>462
向日町に行かず、田町に残留した151系改造の181系もね。 181系はパンタグラフの碍子部分に台座があって嵩上げしてたんだな
中央本線のやつは台座の高さを低くして折り畳み高さを下げてた >>464
ということで、車体高さが低かったので、特急型は481系も含めパンタ部分を特に低屋根にする必要がなかった。 S45年8月に大阪で撮影しているが、181系はすべてライト付きだった。後に関東に転属して来たときには撤去してあり、帯なしには似合わないと感じた。ましてやチャンピオンマーク付きの車は、いかにも「落ちぶれた」姿に見えた >>461
田町の時から「とき」と「あずさ」って共通運用だろ? >>453
全高が低いのは客室部の方で運転台の高さは他と同じじゃなかったけ? >>469
これはすまない
183系と381系一次車各形式の全高って
https://books.google.co.jp/books?id=GIGfCAAAQBAJ&pg=PA37
なんだな(183系は22ページ)
Wikipediaの数字見てクハ183の方が運転室部分高いのかと思ってたわ 間もなく山陽本線から181系が撤退して、45年になるか。
最後がしおじ下り1号、上り4号だった? >>472
通いなれた山陽路を追われた彼らが翌年悪夢に見舞われるとは夢にも思わなかっただろう。 定期列車の臨時や定期的に運転される臨時列車以外の
単発の臨時列車が151系系統ではあまりなかったな >>476
急行オリンピアとか準急ちよだとかくらいかな? 大ムコの151系を使って大阪-東京間で往復運転された
新幹線代替の臨時急行の写真って
雑誌等で掲載されたことってあるの? >>479
ネットでただの情報しか見ないクレクレ古事記w >>481
1965年の臨時ならRF50号に東京駅での写真と車番メモ載ってる >>484
そんな入手困難な物をソースに出されても。 >>485
ソース出した訳じゃなくて
>雑誌等で掲載されたことってあるの?
という質問に極素直に答えてるだけじゃん 「じゃあどうしろと」の彼はネットに転がっている情報しか漁れない人なんでしょう
金や時間を惜しんで情報を得る気はさらさらないし、ネットにない情報は知らない
専門板よりもツイッターとかで仲間内とだべっているのがお似合いだね >>488
>「じゃあどうしろと」の彼はネットに転がっている情報しか漁れない人なんでしょう
何でそんな話になるんだ?
>金や時間を惜しんで情報を得る気はさらさらないし
情報のソース提示はその情報出した人の責務だよ
いい加減なこと好きに言えるネットの匿名掲示板じゃ大事なこと
偉そうなこと言ってるけど5chご新規の爺さんと見た 平日午前に即レスとは、どうしろと君は5chを監視してるニートなのかぁ
ソースについては本人がしっかり出しているのに、言い掛かりw
やっぱり古事記だね働けw >>490
意味が分からん
もしかして混同してないか? >>490
誰が誰だかちゃんと認識してないんじゃね?
まあそもそもの>>478からしておかしいわけだが
車両の高さ調べるのなんて何だっていいだろう
いちゃもんつける方がおかしい 変なのが居着いてるな
ここに出すならネットのが好都合だろう
みんな見ることが出来るんだから 新幹線の開業後も181系が新潟に少しだけいたんだよな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ パーラーカーは乗務員に言ったら電話を持ってきてくれたんだな
壁面のジャックにケーブルを繋ぐと通話できる
今では携帯電話の通話はデッキでと案内されるがあの当時は客室内で電話してもお咎めなしだったんだろうな
しかし通話料が異様に高額で長電話には適さなかった?
パーラーカー自体も異様に高額だったし(今の貨幣価値で47000円に到達するとか話もある)金持ちの道楽だった 一等開放室を東京−大阪間で利用した場合(昭和36年頃)
1等運賃: 2,360円
1等特別急行料金: 1,920円(通行税2割を含む)
展望車特別座席料金: 1,800円
大卒初任給が一万数千円の時代なので相当高額だったのは間違いない。 パーラーカー(クロ151とクロ181)を最も長く連結していた列車って、
うずしお(36.10から43.10までの丸7年間)だったっけ? パーラーカーは山陽本線では閑古鳥鳴いちゃって結局クロハ化されたな
座席は普通車だが窓が巨大で乗り得だった?
その一方でグリーン車扱いされた個室は何か滅多に使われずボロボロだったみたいである
部屋単位ではなく座席単位で販売してて見知らぬ客と相部屋もしばしばだった 『カレチ』でキセル少年を諭すのに使われたな<ガラガラ特室 ところで東海道時代の利用率ってどんなもんだったんだろう >>503
散々言われてるけどパーラーカーは上信越方面の特急で使われてたら最後までパーラーカーとして全う出来た気がする
現代のレールスターがグリーン車なしだったり九州直通でもグリーンは半室だし山陽ブルトレでも長年B寝台のみのモノクラス列車が多かったほど山陽地域は上等クラス不毛地帯だからパーラーカーの転用先としては不向きにも程があるかと
同時期のナロネ20と比べてパーラーカーは何か不幸だと思う >>501-502
手元の時刻表43年8月,44年4月の編成表を見ると「うずしお」の1号車は
昭和43年8月では展望車(クロ)のみで展望車と2等車(クロハ)の場合が有りますと書かれている。
一方44年4月には展望車と2等車(クロハ)のみになっている。 何巻だっけ、手元にないからわからん
たしかタダで目当ての電車に乗りたいからと車掌への説明に嘘を付く話だった
で、「お金を払う人がいないと、この特別室みたいになくなってしまうんだ」と主人公が諭す
3〜4巻あたりかな? >>506
上信越方面でも同じかもっと早く消滅してたと思うよ
パーラーカーはどうも現在のグランクラスのようなグリーン車のワンランク上どころでは済まないようなポジションみたいだし
ある意味昭和初期に旧1等車が東海道山陽以外から全て撤退していたのが全てを物語っているかと >>510
3等級制時代の1等車、それも東海道・山陽特急展望車の代替だったパーラーカーが
上信越如きの客筋ではとても商売出来たと思えないものな。 >>506
パーラーカーは値段をさらに下げたりしてでも
続けた方が良かったのでは 構造的に厳しかったとは思うが
個室より解放室の1+1リクライニングシートを残した方が
まだ可能性はあったか? そもそも需要があるならクロ161でもクロ189でもパーラーカー作ってるっての。
8両中4両一等車とかならともかく >>515
ありがとう
置いてるお店少ないんだよねー 特急うずしおは宇野線内は変電所が貧弱で2ユニットが限界だったため1ユニットカット運転してたが12両編成の場合4M8Tになって物凄く加速が悪かった?
モーターに物凄く負担がかかってて加速度0.7km/h/sと客車列車並みしか出てなかったはず >>518
お前いつも「○○は○×だった?×○だから××はず」とか意味不明なレスしてるけど何なんだ >>476
確かに季節列車的扱いの臨時や定期列車の臨時以外の臨時運用が少ないな >>511
ある著作によると1等車のステータスは料金が高いだけではない特別な意味を持ってたらしいね
最終日に念願の1等車に乗った人は車掌と顔馴染みの常連さんに怪訝な顔をされて身が縮まる思いをしたらしいし
1等車に乗るに相応しい地位の人ですら皇族が特ロに乗ってたのを目撃したのをきっかけに1等車卒業宣言するくらいだから
これだけの話だとスレ違いになりかねないから同じ著作にあったパーラーカーの話もするが
パーラーカーの区分室は例え予約が取れてもお偉方が乗車される場合はそちらが優先され、別に用意したロ座に回される規定があったらしい
その著者も最初は願いが叶わなかったが、その後一時期仕事上の都合で東海道を何度も往復するうちに車掌と顔馴染みとなり
その期間が終わって時が経ち、私用でハ座に乗ってたら偶然顔馴染みの車掌と居合わせ
車掌さんがパーラーカーに乗り損ねた事を覚えてたのか次に専属のボーイさんが現れ、空いてるからと区分室に案内されて思いがけず夢が叶ったらしい >>521
>パーラーカーの区分室は例え予約が取れてもお偉方が乗車される場合はそちらが優先され、別に用意したロ座に回される規定があったらしい
20系のナロネ20・22とか昔の展望車のコンパートメント、1等寝台とかもそうだったのだろうか? 昔の優等車を利用するにはカネを持ってるだけではダメだった
相応の身分が必要
戦前の身分制社会をまだまだ引きずっていたのだ
そういうのが無くなったのは4310あたりだろうか パーラーカーは文献によって様々だが今の貨幣価値で東京〜大阪が47000円もしたんだな
飛行機に至っては今の貨幣価値で8万円とか驚異的だった
飛行機があの当時はパーラーカー以上に金持ちの乗り物だった事が伺えるがボーイング747の出現で大量輸送が可能になって大衆化し東海道新幹線が大打撃を食らったようである >511
「とき」にパーラーカーが回されていたら、田中角栄のお気に入りになっただろう。
別名「角栄パーラー」と言われたらしい。
架空の鉄道スレになるな 田中角栄だけじゃねえ
総理大臣じゃクロ157みたいな運用無理だろうし
でも実現してたら語り草にはなったろうな 12両編成で今のグリーン車に相当する特別車が5両も存在してたとか驚異的だったな
1等寝台が6両もある殿様あさかぜとかあった >>529
>>524の通り、あの時代はまだファーストクラス的な役割が鉄道にもあった
今も東海道新幹線にグリーン車が3両あるのは流石だと思う >>531
東海道新幹線のグリーン車3両は、100系G編成が食堂車を無くしたのが始まりだけどな。
バブルの産物だった。
それ以前0系ひかり、100系X編成がグリーン車2両+食堂車だったけど。 グリーン車で思い出したが
普通車のシートピッチは初期の910mmから現在は大体1000mm前後と広がってるけど
グリーン車は基本1160mmからあまり広がってないよね
特ロも最初に登場したスロ60が1250mmだったのが次のスロ50が1100mmと狭まり
現場の意見を基に翌年のスロ53から1160mm広げてから以後踏襲し続けてるから 東海道新幹線には、1等車に相当するグランクラスは無い
以前は個室グリーン車が存在したが、車両の統一化で無くなってしまった。 ロの1160mmというのは回転リクライニングシートの黄金比だな。
1950年にスロ60が米軍の肝いりで欧米人の体格に合わせた1250mmで登場。
しかし足置きが遠すぎるとの意見と輸送力確保のため、スロ50・51・52では1100mmに縮小。
今度は狭いとの評が出て、1952年製のスロ53から中間値より1センチ余裕をもたせた1160mmに。
客車特急→151系→0系→100系→300系→700系→N700系と受け継がれてると思うと感慨深い。 >>532
確かに普通のグリーン席はあまり変わっていない あ、中間値より1センチ余裕をもたせた、じゃないわ。
中間値は1175mmだから、それより1.5センチ減だな。 昔の国鉄は「大は小を兼ねる」を露骨に嫌ってたな
瀬野八は8M4Tであれば自力で登れたが平坦区間で消費電力が上昇するのと共通運用が出来なくなるのでやらなかった 151系6Mの編成出力が2400KW、仮に8Mだと3200kW。
EF58が1900kW、EH10が2530kWっていう時代だから
全線8Mでは変電所が持たんじゃろ。 >>538
パーラーカーと食堂車がある前提で8M4Tを組むならパーラーカーを電動車、つまりクモロ151を設定しないと成立しないんでは?
共通運用云々以前に国鉄は動力分散式にする以上先頭電動車は無意味という考え方で先頭車を電動車にすることは非常に嫌っていた
関西私鉄が路面電車発祥ということで先頭電動車を好むのと正反対 >共通運用云々以前に国鉄は動力分散式にする以上先頭電動車は無意味
それは違うと思う。
1957年登場の101系は(変電所容量不足で頓挫したが)10両オールMを志向。
その7年後に登場する0系新幹線はインフラから構築し12両オールMを実現。
1958年登場の151系は、加減速の少なさや東海道線の電力事情からMT比1:1のマイルドな編成で十分とされた。
早期に勾配線にも電車が進出したことを考えるとあまりにも余裕がなさすぎたが、
手探りで開発していた時代だから初作が技術的に色々未熟なのはまぁしょうがない。 >>541
むしろ101系や0系こそ例外的存在では?
国鉄系列で先頭電動車が設定されてるのはシステム上(オールM)又は用途上(2連や3連を組成するため)で不可避なために仕方なく設定せざるを得ない車種というのが共通してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています