【1】中型万能機関車C58について語る【427】
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国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(軸配置1C1プレーリー)型車軸配置を採用している。
設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で設計を担当している。
形態的には、煙室上部の煙突の前に装備された給水暖め装置など、D51形量産型に似ている。
国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けている。
一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されたが、入替機等、温暖な九州では扉を外して使用したものもあった。
太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は昭和18年発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクター(除煙板)やカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、
戦後は昭和21年から製造が再開された。
旅客・貨物・混合と牽引相手を選ばず亜幹線や軟弱路線も入線可能な中型万能機関車C58について語るスレです。 車両の格が全く違うだろうが。
C11でさえ貨物列車の営業を止めた電鉄には大冒険だぞ。 C11とC58が晩年仲良く過ごしてた線ってどこがあったっけか。
本線仕業がC11でC58は機関区ほか入れ換えで余生を過ごしていた会津若松
共に本線で活躍していた小牛田(陸東石巻線管理所)、C11は朝の上りだけの陸羽東線の通勤通学列車も牽いていたっけ。
ともにイベント列車牽引が仕事で残された七尾のC58140とC11328。 広島市内を南へ行く宇品線、転車台がないのか3両位の客車の前後にC11とC58を付けて走っていた。呉線の影に隠れて殆ど注目されなかった。その後廃線に 姫新線の姫路口
短距離旅客列車はC11、県境を越える列車はC58
和歌山線の五条付近も共存していたはず 因美線のC58が鳥取・郡家間で若桜線C11と共存。 >>366
共存かどうか微妙だけど
木曽福島区の上松入換 C12とC56がタンクとテンダの差だけと考えてカマの都合がつかなくて共通運用にしてみたけど短期間でやめちゃった晩年の山野線ってのもあったね。 >>363
父親が津山出身だった。
父親がクルマを買うまでは列車で帰省してたんで、C58牽引の姫新線の列車に乗ったことがある筈なんだが、幼稚園に入る前だったから殆ど覚えてない(;_;) C58は旅客の仕業が無くなったらお役ご免となった。貨物にはパワー不足だと、軸重が丙線対応でC形式なら致し方ないか。誰だよ最後まで残るだろうなんて言ったのは >>371
陸羽西線の貨物列車がC57・C58の共通運用で定数700トンもたされていて雨天時は軸重の
軽いC58は特に難儀したそう。 >>371
そういえば、そんな事言われてたなぁ
結局は大正生まれの古豪9600だったのは笑えた。
D51もC58も逝った後まで働いてたな。 当初は釧網本線と根室本線釧路以遠、石北本線北見以遠が不透明でC58が期限年度末ぎりぎりまで残ってラストになりそうだったが、組合が折れて予定通り完了したため、結果的に室蘭本線沿いしかも入換機がラストになってしまった 東北線桑折〜白石間はどの蒸気機関車の重連で越えていたの? 「大雪くずれ」が最後の晴れ舞台か、C58は他形式のついでに写した程度であまり写真がない、勿体無いことをした。 >>375
C51・C57・C59・C60・C61・D50・D51 >>374
世が世ならばC58が大宮の鉄道博物館に保存されてたかも知れないんだな。 C57135は百恵ちゃんが乗ってから運が回って来た 8620からC58に機種変更した路線が多いが、千葉と四国は何故か8620を全部駆逐することなく最後まで併用された 8620のほうがC58より粘着牽引力大きいんだよね! >>1
>設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で設計を担当している。
C58設計当時の車輌課長は徳永晋作です
島秀雄(前職は浜松工場長)が課長となったのは昭和17年です >>380-381
房総東線は大網から土気の坂(25‰)をC58では空転して昇れなかったので8620が残ったとか やまぐち号に関する書籍やテレビ番組って凄く多いのだけど、
ほとんどC581に触れられる事が無いのが悲しいな。 >>381 今頃すまん
あれは本来入ってはいけない線区にも平気で入れていたという、
普通ならギャーギャーわめく線路屋が何も言わなんだのだろうか。 デフに鳥(鳳凰)をあしらったタイプが印象に残る
意匠に凝ってるのもあったね 鉄道ファンには七尾線に8620がいた頃は坂を登る時は一旦バックして勢いをつけたとあるが、C58はその必要はないということか。このカマはよくわからん 七尾線のC58ってのは記録というかあまり趣味誌に登場しなかったね。出てくるのは1両だけ残った「ふるさと列車」用の140号ばかりだし。 その鉄道ファンにも訪れる人が少ないせいか快く迎えてくれる、とあった。近くには小浜線宮津線舞鶴線があったしC58目当ての人はあまりいないだろう。 金沢ー七尾間のC58は’71/3末で無煙化してしまってるから
それ以前でも貨物列車上下合計3本程度しか撮影できないのに
あえて狙うのは地元のファンぐらいだったと思われる
140号だけでなくせめてあと一機残してバリエーションつければよかったと思うが全検切れ間近のしか残ってなかった 地元のファンは色々狙えていいな、遠くから来たらどうしても本数の多い区間を優先する。朝夕は多く昼間は少ない所が多かった。SLマークのついた時刻表片手にプランを練ったなあ 貨客万能機として誕生したが客車を牽くと力強く見えて貨物だとやや頼りない感じが、一度だけ客車に乗ったがグイグイ引っ張って行くようだった。汽笛が止む前に発進するせっかちな機関士だった 七尾線のC58ついて ご参考までに
鉄道ファン誌によれば昭和44年(1969)12月現在、七尾に在籍していたC58は132・140・154・159・216・324・325の7両で、このうち216はかつてお召し列車を牽引したカマだった。
その半年後の45年6月には若干の入替えがあり、高山区より266、美濃太田区より368が入り132が廃車。
また45ー10で無煙化された首都圏よりその日を待たずに高崎一区より202・212・263の3両が転入。
なおこの高崎からの3両のC58と325号は、七尾線の引退でも廃車とならず、揃って同管理局最後の職場である敦賀一区に移動して、わずかの期間だったが小浜・舞鶴線などで活躍した。
最終的にこのグループで保存されたのは140と212・325(この2両は敦賀一区で廃車後)だったが今も現存しているのは212号だけ。なお140の解体後の一部分と263の動輪が残っている。 >>397
参考と言いながら誤った情報をよく平気で書くね 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 山口線D51200なんて復活させ無いでC581を修繕すれば良いのに・・・・・ >>401
ボイラー修復不可能なんだろう
足回りその他も使い倒して備品になってもう数十年置き物になってるからどこがどうダメかすら把握不可能
一方で
構内運転のみでも動かしてたからD51200はいろんな不具合も直すポイントが判ってただろうし
めちゃくちゃ規制がらみでいちから作るよりはD51200のボイラー修理のほうが手っ取り早く安上がりということ >>402
東日本の244号機 秩父の363号機はいずれも後期型。特に秩父は最後期型だから梅小路のは
希少な極初期型なんだけどなあ。
最初動態化が具体化された際にC57-1かD51-1かになって山口線は長いトンネルがあるなど集煙装置必須で
ナメクジドームが仇でつけられないD51-1が動態候補から消えたのに復元した200号機は集煙装置着けないっていうし。 京都のC581は動態復活は無理でも、せめて塗装だけは塗り直して欲しいね。
お召し装備にしている癖に色褪せてるし、錆びも出てるし、ちょっと酷すぎる。 初めて来たけどC58って万能なのか
k値を下げるため、動輪を寄せたのはいいが、オーバーハングデカすぎて高速には向かないし
粘着率は低いし、責める点はC50より多い気が 万能と言えば聞こえが良いが、全てにおいて中途半端。
動輪軽が小さめなのでスピードが出ない、その割に牽引力がそれほどでもない。
足回りの構造から高速時の振動が激しい。
改良型のC63が製造されていたら現場からかなりの不満が出たと思われる。 C58の引退っていつ頃なのだろう。
幻の後継形式が企画されるぐらいだけど、様々な形式に挟撃される形で追い出されたよね。 C58で思い出した(前にも書いたかもしれんが)。
昭和46年(1971)の元旦、金沢発羽咋行の臨時ふるさと列車「おくのと号」の発車の中継が
NHKの「ゆく年来る年」で放送されたっけ。
シーズン中の運行と違って能登一宮への初詣客のための列車で年明けて発車していくシーンだった。
ビデオなんかなかったからカセットテープに録音したのが残っている。 >>408
C63の設計はほぼ完了していたがDD13,DF50,20系気動車等の登場により新製中止となった。 >>408
1957年度末 386両
1963年度末 386両
1964年度末 385両
1965年度末 384両
1966年度末 384両
1967年度末 379両
1968年度末 323両 ヨンサントオあたりが転換点
1969年度末 234両 千葉・四国局無煙化等で激減
1970年度末 190両 DE10大量投入による廃車増
1971年度末 116両
1972年度末 67両
1973年度末 40両
1974年度末 8両 石北本線北見周辺のみ
1975年度末 1両 動態保存のみ C581は赤プレートが一番似合うな。
ついでに言うとC571も赤プレートが似合うと思う。
特に『やまぐち』の黄色いヘッドマークには赤プレートが一番しっくり来るんだよな。
昔の写真を見ていてそんな事を感じた。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>407
小学館のSL辞典みたいなハードカバーの本には、
「特徴がないのでファンには人気がない」みたいな解説がついていて
子供心に強く印象に残ってる >>326
今頃すまん、
読み返していて、あっ、と思った。
確かにC51〜59と1番〜9番、重なるわな。
特に3・6・7・8・9かな. 無条件降伏による敗戦で日本が壊滅的被害を受けてから
わずか2か月後に北海道からはるばる四国まで4輌のC58が二度も海峡を渡って移動している
C58339は北見から、C58143・332・333は岩見沢からそれぞれ戦禍の東京や大阪、広島を通過して高知までやってきた
激しい空爆にもかかわらず、原爆の落ちた広島や長崎ですら列車は当日に復旧していた
今のJRではまず不可能、ありえない、信じられないが、当時の国鉄の偉大さが推察される 元機関士のコメントにC57に劣らないほどいいが動輪が小さいから高速には不向きとあった。元々ローカル線での運用に作られたから高速での運転は想定してないだろう 二刀流は、良いときはユーティリティ高しと持ち上げられるが、
ダメになるとどっち付かずとか中途半端と叩かれる 416を読んで思ったんだが、終戦前までに撮影されたC58の写真、
ネットで見れるそこそこの大きさの画像はあります?
C58って個人的にはモダンな新鋭機ってイメージが強くて
戦前登場のイメージがないので。
おそらくそう思わせてるのは、登場時からナンバープレートが「形式ナシ」だから
だと思う。 >>428
写真はあまり見ないけど動画ならS16年制作の「指導物語」に沢山出てくるよ 昔何かで8620と9600を一つで置き換える目的で開発されたって見た記憶が
まさか最後に残ったのが9600になるとはw 宇都宮の遊園地にあるC585は状態良い?
現存車としてはC581に継いで若番? >>432-433
巷間よくある話
まとめようとして、かえってドッチつかず仕様に陥ってしまう
みたいなの バナー広告の「メメントモリ」を見て、なぜか二俣線C58引退時の貨物輸送の実態を思い出した。
あ、ゴメン 「セメントオンリー」だったw >>437
つまらん。
金指駅の住友大阪セメントが二俣線貨物収入の9割を占めていたわけだか
その割にはC58がタキ1900を牽く写真はまず見掛けないな
なぜか931レやSLさよなら運転の臨客の写真はよく拾える KATO!いつになったらフルリニューアル出すんだよ
おい!志村 姫新線落合〜追分間で踏切無謀横断のボンネットバス
ぶっ飛ばしたの何号機かご存知の方いますか? いろいろ重装備な感じ
ttps://ameblo.jp/tetsudotabi/image-11629441562-12707414439.html 西古川のC5819、来月解体されるそうだが、何で前面のナンバープレートが引きちぎられたままなの?
本物は郷土資料館にあるらしいが、最後くらい本物取り付けて有終の美を飾らせてやらないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています