【1】中型万能機関車C58について語る【427】
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国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(軸配置1C1プレーリー)型車軸配置を採用している。
設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で設計を担当している。
形態的には、煙室上部の煙突の前に装備された給水暖め装置など、D51形量産型に似ている。
国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けている。
一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されたが、入替機等、温暖な九州では扉を外して使用したものもあった。
太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は昭和18年発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクター(除煙板)やカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、
戦後は昭和21年から製造が再開された。
旅客・貨物・混合と牽引相手を選ばず亜幹線や軟弱路線も入線可能な中型万能機関車C58について語るスレです。 氷酢酸の臭さと暗室の蒸し暑さ
カラーは自分じゃ怖くてあきらめた 自分で現像するのはかえって割高になるけどやはり楽しい、ただ暗室は持てなかったので焼き増しはカメラ屋へ。トライXはよく使った、高かったけど。 >>298−300
停止液入れるのが遅れて、妙な斑点が出来てしまった時の悔しさ、
増感現像を誤って、粒子がめっちゃ荒れたときの悔しさ、
冬、現像時間が足らず、いまいち画像がはっきり出ていなかった時の悔しさ、
・・・・etc.
>>298
一時ポジ(リバーサル)にしていた。
NikonFM2だが、電池を買うのをケチり露出はすべて感。
まあ地雷作品の多いこと、
ただリバーサルなのでKRは今のところ無事で有難い。
いい加減スレチだな、すまぬ、行っときゃよかった二俣線・・・ 鉄道誌ではエクタクロームなどのリバーサルで写したのが多くつい真似をして使ってみたけど意味はなかった。C58は全て白黒でした。 リバーサルはマウントしてスライドで見るのが一番だね。
スキャンやダイレクトプリントだと色が濁ったりしてスライドほどきれいに見えない気がする。 雑誌でリバーサルを使っていたのは印刷工程の問題。リバーサルは経年変化で退色する、コダクロームなら退色しにくい様だけど長期保存ならやはり白黒 友人に氷酢酸を渡し、「臭い嗅いでみろ」と言って嗅がせたら悶絶してた。あっC58とは関係ないか、この頃はまだ沢山ある、と思ってたらウチのエリアはC57やD51より早く絶滅した。もう一度行けば良かった。 うらやましいお話が、、僕は1972生まれですので見てません。
亀山のC57が110と198だけになって、
S48年はC57の参宮線運用に投入
10両の旧客のけん引、そして12系の団臨は軽量なので
C58が優先的に牽引したそうです。
ビコム動輪堂「よみがえる総天然色の列車たち第2章」の20、21、22は
当時の蒸機が天然色で撮影されていておすすめです。
特に22は亀山C58の末期を多くとらえています。 >>306
どうせ宣伝だろうと思って
HPを覗いてみたらマジで凄そう!
20〜22を見たくなったが
1巻3000円超は高すぎて手が出ないな。 >>307さん
すみません、、、気を悪くされないでくださいね。
奥井さんはとてもお世話になった方で、色々とお話を伺いました。
内容は松阪の撮影が多いのですが
呉線とか有名な他の撮影地も美しい色で映像が収録されてます。
22巻は亀山のC58最後2年の雄姿!
66、312、353!家宝です。2本買っちゃった(笑)
価値はありますよ! C58は多くのローカル線で活躍してたのに他形式の影に隠れてしまっていた。黙々と使命を全うし、人知れず消えていった。 マイナーな路線でのC58の写真は少ない、姫新線、赤穂線、奈良線など、二俣線はまだ多い方だ。宇品線は全く注目されてなかったような、C11と前後で走る非効率な列車だった 奈良線は割りと早く撤退したっけね
記憶があやふやですまん 昭和45年の映画「すばらしい蒸気機関車」には奈良線と舞鶴線のC58が登場していた。 客レは朝夕に集中していて昼間はDCというパターンが多くて
子供心にどうして昼間は客レにしないんだろうと思いつつ撮影してたが
朝晩は客がそこそこ乗車するんで客車4〜5輌、昼間はそんなにいないから
DC2輌で十分ってことだと大人になって理解した D51の次くらいに保存車の数が多いのがC58なんだよな。
確か50両くらい保存されてる筈だし‥
その割には地味だよな。
C581も梅小路じゃ影薄いし、363も東京から一番近い
動態保存のSLなのに、人気無いもんな。 C58は国鉄現役時代も知ってるけど、あまりぞくぞくしないんだよ
むしろ9600とかC50のほうが蒸機という感じがする
C62やD51のような鉄塊の息吹きをアピールするものもないし魅力がない
昔の自動車だとコロナやブルーバードみたいな感じで
サバンナとかアルシオーネ、117クーペのような面白みがない >>316
「中型万能機」ゆえの悩みでしょうかね。
「特徴のないのが特徴」 スカイラインGTR=C62
ファミリア=C58
シビック=C11
フェアレディZ=C57
車に例えるとこんな感じかな。 メーカーは同じ方が良いかと
C62=クラウン
C58=カリーナ
C57=クレスタ
C56=カローラ
D51=ハイエース C58とお正月がらみの話題といえば、昭和46年(1971)〜47年(1972)の「ゆく年くる年」で
NHKが七尾線の臨時「ふるさと列車」の金沢駅発車の模様を放送したっけなあ。45年10月から運転開始して
かなり有名になっていたこの列車を臨時に「初詣用」として金沢ー羽咋に走らせたもので、
もちろん牽引は専用のC58140号だった。ビデオなんてもちろんない時代だったのでテレビから録音したカセットテープを保存してある。 Cテンダー機を日産スポーティカーで分類してみた。
R35GTR C62
R34GTR C61
R33GTR C59
シルビアS15 C57
シルビアS13 C55
プリメーラP10 C58
マーチK10 C56
パルサーGTiR C63
RS C54
ケンメリGTR C53
ハコスカGTR C51
2000GTB 8620
R32はどうも微妙。立ち位置の合う機関車が居ない
C60と言えなくもないがC59と前後するのに違和感 伊東東作氏が蒸機の形式をベートーベンの交響曲1〜9番になぞらえた一文が有名ですね。
「ベートーベンとSLと」だったかな。 D51標準型みたいな感じで嫌いだったが動輪直径も8620形よりも小さいし、
準急伊予や南風、熊野、牽引を余り撮影していない。
何だか田舎臭い感じだったのも原因かも。 C581の集煙装置は現在は取り外されてるのかな?
復活当時、国鉄長野工場にしか集煙装置の図面が無くて長野式の集煙装置が取り付けられたんだったよな。
ナンバープレートも形式入りのタイプに変更され、プレートの色も緑だった。
ちなみにC571は貴婦人の愛称で親しまれていたので、女性の口紅の色と言う事で赤い色だった。
現在じゃ女性の口紅も紫とか黄色とか多種多色だから、国鉄上層部の年配の方が思い付いたんだろねぇ。
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(40代弥勒ソフト >>328
色つきプレートを嫌う人は結構多いけど、味気無い黒プレートより
赤や緑や青のカラフルなプレートの方がいいな。
C581にも、C571にも赤いプレートが一番似合ってたと思うね。
あとは大井川のC11190の緑プレートや九州のC591の青プレートとか
凄く味わいがあるね。
京都鉄道博物館なんか保存車も多いのだし、プレートをカラフルにして
アクセントにしてもいいと思う。 現役当時のカラープレートは白黒がデフォの子供にとってはできた写真の機番がよみづらくて不満だった C581の緑プレートには違和感を覚えたのに
大井川のC11190の緑プレートは凄くいいと思えるから不思議だ。 新製品のプラレールのC581のデコレートにワラタWW
デフに鳳凰がついてるし…
あれじゃお召仕様じゃないかよWWW 京都鉄道博物館の開館記念で幾つかC581が取り上げられてる本が出てますね。
出費が嵩むけど嬉しい悲鳴と言ったところだな。 梅小路の1号機もお召し装備にするなら、
せめて塗装くらい塗り直して綺麗に整備して欲しいね。 宇都宮の公園にあるC585は状態良い?
現存車としてはC581に継いで若番? >>340
2016年1月現在、可もなし不可もなし。立派な建家の中に展示されている。なぜか動輪やあちこちの縁取りが「金色」に塗られています。気になるほどではないけど‥‥。遊園地内だけど入園は無料だった思う。 >>341
ありがとうございます
あの遊園地、E5系カラーのジェットコースターがあったりなど、いまだに盛況かのようですね
今度見に行ってみます ラストナンバー427のプレートって、「緑色」だったんですか?
志布志のカマは、全て「緑色」だったのでしょうか?
ガキの頃に撮った写真は、全てモノクロなのでもはや判別がつきません。
突然、思い出したようで申し訳ないのですが鉄博で以前飾っていた427は「黒」と「緑」の二種類が
あったので。 今年こそは363に会いに行くぞ!
と、毎年思いつつ5年くらい経った。 >>342
C58は保存台数が多いせいか保存状態が悪いのも多いのが心配な点だな。
東京の大塚の407号機も保存状態がかなり悪い。 現存するC58(動態以外)で一番状態がいいのは何号機だろう? >>348
状態がいいというのは室内に保存されているものが多いと思うけど、保存整備に恵まれているのは三島の322号をあげないとね。 室内保存で思い出したけど、C5848は保存状態いいよな。
足回りとか実際の部分は分らないけど、見た目は梅小路の1号機より綺麗だな。 保存って見た目の厚塗り塗装より、計器類とか配管類とか
シリンダーカバーとか吊りバネとか窓枠とかのメンテが大事と思う
頻繁な磨きと油差しで大差がつく
むしろありえない塗色・配色だとその時点で興ざめ >>349
322号機の画像見てきた。
あの黄色い塗装は有り得ないと思ったけど、確かに屋外展示車の割に綺麗だね。
手入れが行き届いてると思う。
>>351
そういう内部まできちんとメンテしているのは博物館に入ってる機関車くらいだろうね。
C58で博物館入りしてるのは、京都鉄道博物館の1号機だけか‥。 今動態保存されてる2台のC58は両方とも川崎車輌製なんだよな。 動態保存には技術の伝承が不可欠ですな
若い世代にSLに対する情熱をどう伝えて行くか・・ 東武鉄道もC11じゃ無くてC58を復活させれば良いのに、バック運転は前提にしていないからね。 東武もJR西からC581を借りて修繕して復活とかだったら絶対乗りに行くんだけどな。
二つ目でもC11ってのにガックリ来てしまう。 車両の格が全く違うだろうが。
C11でさえ貨物列車の営業を止めた電鉄には大冒険だぞ。 C11とC58が晩年仲良く過ごしてた線ってどこがあったっけか。
本線仕業がC11でC58は機関区ほか入れ換えで余生を過ごしていた会津若松
共に本線で活躍していた小牛田(陸東石巻線管理所)、C11は朝の上りだけの陸羽東線の通勤通学列車も牽いていたっけ。
ともにイベント列車牽引が仕事で残された七尾のC58140とC11328。 広島市内を南へ行く宇品線、転車台がないのか3両位の客車の前後にC11とC58を付けて走っていた。呉線の影に隠れて殆ど注目されなかった。その後廃線に 姫新線の姫路口
短距離旅客列車はC11、県境を越える列車はC58
和歌山線の五条付近も共存していたはず 因美線のC58が鳥取・郡家間で若桜線C11と共存。 >>366
共存かどうか微妙だけど
木曽福島区の上松入換 C12とC56がタンクとテンダの差だけと考えてカマの都合がつかなくて共通運用にしてみたけど短期間でやめちゃった晩年の山野線ってのもあったね。 >>363
父親が津山出身だった。
父親がクルマを買うまでは列車で帰省してたんで、C58牽引の姫新線の列車に乗ったことがある筈なんだが、幼稚園に入る前だったから殆ど覚えてない(;_;) C58は旅客の仕業が無くなったらお役ご免となった。貨物にはパワー不足だと、軸重が丙線対応でC形式なら致し方ないか。誰だよ最後まで残るだろうなんて言ったのは >>371
陸羽西線の貨物列車がC57・C58の共通運用で定数700トンもたされていて雨天時は軸重の
軽いC58は特に難儀したそう。 >>371
そういえば、そんな事言われてたなぁ
結局は大正生まれの古豪9600だったのは笑えた。
D51もC58も逝った後まで働いてたな。 当初は釧網本線と根室本線釧路以遠、石北本線北見以遠が不透明でC58が期限年度末ぎりぎりまで残ってラストになりそうだったが、組合が折れて予定通り完了したため、結果的に室蘭本線沿いしかも入換機がラストになってしまった 東北線桑折〜白石間はどの蒸気機関車の重連で越えていたの? 「大雪くずれ」が最後の晴れ舞台か、C58は他形式のついでに写した程度であまり写真がない、勿体無いことをした。 >>375
C51・C57・C59・C60・C61・D50・D51 >>374
世が世ならばC58が大宮の鉄道博物館に保存されてたかも知れないんだな。 C57135は百恵ちゃんが乗ってから運が回って来た 8620からC58に機種変更した路線が多いが、千葉と四国は何故か8620を全部駆逐することなく最後まで併用された 8620のほうがC58より粘着牽引力大きいんだよね! >>1
>設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で設計を担当している。
C58設計当時の車輌課長は徳永晋作です
島秀雄(前職は浜松工場長)が課長となったのは昭和17年です >>380-381
房総東線は大網から土気の坂(25‰)をC58では空転して昇れなかったので8620が残ったとか やまぐち号に関する書籍やテレビ番組って凄く多いのだけど、
ほとんどC581に触れられる事が無いのが悲しいな。 >>381 今頃すまん
あれは本来入ってはいけない線区にも平気で入れていたという、
普通ならギャーギャーわめく線路屋が何も言わなんだのだろうか。 デフに鳥(鳳凰)をあしらったタイプが印象に残る
意匠に凝ってるのもあったね 鉄道ファンには七尾線に8620がいた頃は坂を登る時は一旦バックして勢いをつけたとあるが、C58はその必要はないということか。このカマはよくわからん 七尾線のC58ってのは記録というかあまり趣味誌に登場しなかったね。出てくるのは1両だけ残った「ふるさと列車」用の140号ばかりだし。 その鉄道ファンにも訪れる人が少ないせいか快く迎えてくれる、とあった。近くには小浜線宮津線舞鶴線があったしC58目当ての人はあまりいないだろう。 金沢ー七尾間のC58は’71/3末で無煙化してしまってるから
それ以前でも貨物列車上下合計3本程度しか撮影できないのに
あえて狙うのは地元のファンぐらいだったと思われる
140号だけでなくせめてあと一機残してバリエーションつければよかったと思うが全検切れ間近のしか残ってなかった 地元のファンは色々狙えていいな、遠くから来たらどうしても本数の多い区間を優先する。朝夕は多く昼間は少ない所が多かった。SLマークのついた時刻表片手にプランを練ったなあ 貨客万能機として誕生したが客車を牽くと力強く見えて貨物だとやや頼りない感じが、一度だけ客車に乗ったがグイグイ引っ張って行くようだった。汽笛が止む前に発進するせっかちな機関士だった 七尾線のC58ついて ご参考までに
鉄道ファン誌によれば昭和44年(1969)12月現在、七尾に在籍していたC58は132・140・154・159・216・324・325の7両で、このうち216はかつてお召し列車を牽引したカマだった。
その半年後の45年6月には若干の入替えがあり、高山区より266、美濃太田区より368が入り132が廃車。
また45ー10で無煙化された首都圏よりその日を待たずに高崎一区より202・212・263の3両が転入。
なおこの高崎からの3両のC58と325号は、七尾線の引退でも廃車とならず、揃って同管理局最後の職場である敦賀一区に移動して、わずかの期間だったが小浜・舞鶴線などで活躍した。
最終的にこのグループで保存されたのは140と212・325(この2両は敦賀一区で廃車後)だったが今も現存しているのは212号だけ。なお140の解体後の一部分と263の動輪が残っている。 >>397
参考と言いながら誤った情報をよく平気で書くね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています