【1】中型万能機関車C58について語る【427】
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国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(軸配置1C1プレーリー)型車軸配置を採用している。
設計主任は細川泉一郎で、島秀雄は課長の立場で設計を担当している。
形態的には、煙室上部の煙突の前に装備された給水暖め装置など、D51形量産型に似ている。
国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けている。
一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されたが、入替機等、温暖な九州では扉を外して使用したものもあった。
太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は昭和18年発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクター(除煙板)やカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、
戦後は昭和21年から製造が再開された。
旅客・貨物・混合と牽引相手を選ばず亜幹線や軟弱路線も入線可能な中型万能機関車C58について語るスレです。 >>228
D51200やC612とかを'79/3に車籍抹消しちゃったから当時山口線で走行可能だったのは
C581かC571かD511しか選択肢がなかった
D511はなめくじで集煙装置が使えない
消去法的にC571とC581が山口線に入った
長い目でみれば、全検通してD51200を長工式集煙装置付で入れれば良かったと思う C622 D52 でかすぎて山口線使えない
C5345 3シリンダー 整備が面倒 急勾配登坂不可
8630 大正生まれのカマに山口線は酷
C551 元流線形 使えたらなあ
C51 山口無理
D51200もそうだがD50か大正生まれでもつぶしが利けてSL最期もこいつだった9600があればなあ。 >>229
そういう事情があったのですか。
そういえば79年に梅小路の車籍整理があったのを思い出しました。
山口線での活躍はC581にとっては晴れ舞台でもあったけど、結局は不幸だったな。
ボイラーさえ痛めなければ、今もスチーム号の牽引くらいはしていだろうに… C58のスレが少し賑やかになってうれしいですね。
ところで晩年の有名活躍線区、道東や陸東、房総、八高、二俣、近畿・和歌山地区いろいろ、高山、中国山地の路線、
志布志などは比較的画像も残っていますが(無論それ以前のC58天国の四国などもありますが)昭和45年頃まで残っていた
七尾線津幡口(金沢〜七尾)は訪問するファンも少なくあまり趣味誌などでも見かけなかったですね。C58140が残って牽いた
「ふるさと列車 おくのと号」は有名ですが、それ以外に44年頃から最後までは常時七尾区に7〜8両のC58が配置され別に
朝夕一往復の客車列車は数本の貨物を牽いていた記録は少ないようです。C56の方はけっこう有名でしたが「能登のC58」も忘れがたい存在です。 >>230
車籍復活前提ならD50140か9633辺りを復活させても良かった気がします(やはり古過ぎたから?)
走れるかどうかわからないですが青梅のE10とかも勾配線用の機関車ですね
後大正産まれの急勾配線と言えば58654も当てはまりますね(無理させて壊れた所まではC581と同じ?)
それか無理させないように補機用としてC1164辺りを同時に復活させるとかしたらC581も長持ちした? このスレずっと見ていたら、久々に動くC58を見てみたくなってきた。
来年は28年ぶりにパレオエクスプレスに乗りに行こうかな。 いや正月の上越線で、C58239とC58363の重連運転が見たい!
冬場なら旧客で行けるし。久々の旧客7両運転が見たいな。 そういえば、テンダー式で同一形式での重連が見られるのは東日本のC58だけなんだな。 >>235
山田線(盛岡〜宮古)の方がいいんでないかい?
どうも上越線にC58は似合わないような気がして(落ちぶれたとは云え幹線なんだから) C58280を復活させようって運動もあるみたいだな。
現実問題難しいだろうけど、実現したら凄いよな。 >>237
山田線と釜石線とでは三陸抜ける際に山越えは必須だが、強烈な急勾配と
長いトンネル3つもある釜石線の仙人越えと違い、山田線の区界越えは長いけど釜石線ほどハードな勾配でなく
長いトンネルもないから比較的C58でも楽なはずだが。
現に釜石のC58はディーゼルアシストがなきゃ仙人越えられないからなあ。
あのD51-498でさえはねのけた急坂。 区界をサミットに西は上米内から東は箱石から25‰が続くのは十分ハードと思うが
それに長大トンネルはないものの2km程度のトンネルは多数あるしそれ以下いれたら10箇所じゃ足りない
どちにしろ客車は補機なきゃ無理だよ >>239
> 山田線の区界越えは長いけど釜石線ほどハードな勾配でなく
積雪期の勾配線区で定数いっぱいの蒸機運転がどのようなものだったのか
経験値がないんだね。 >>238
C58280車歴
昭和16年-3-26 汽車製造大阪工場 製番2065
昭和16-4-3高山機関区
昭和18-10-1美濃太田機関区
昭和20-8月1日 美濃太田機関区
昭和20-8月14日 美濃太田機関区で機銃掃射を受ける
昭和44-9月25日廃車 美濃太田機関区
昭和45-3月03日 美濃太田機関区から100mの仮設線を使い古井小学校まで有火自力移動。
平成27年10月現在まで古井小学校にて保存、シールドビーム1灯化済み。
現在の愛知県知事が大のSLマニアで、名古屋臨港あおなみ線を使い蒸気機関車復活運転に熱いエールをJR東海に送っている。 >>242
C58280はJRじゃなくて長良川鉄道で走らせたがってるみたい。
現実問題難しいよな。
名古屋市長も口で騒ぐばかりじゃなくて4〜5億円くらい予算計上するくらいの努力はして欲しいな
(名古屋市民からすれば異論もあるだろうが…)
民間企業に口だけ出しても、そりゃ腰は重いだろう。 >>239
D51498+12系5両なら、補機無しでも仙人峠は充分可能。
但し、お客さんには以下は我慢してもらわなきゃね。
・煤煙
・超低速運転
・空転時の停車及び退行運転(場合によっては圧縮引出に伴う衝撃)
・ダイヤの乱れ
まあ現役時代には日常茶飯事だったんだが >>245
釜石線の蒸気全盛期は貨物はD50/D51で無論重連
旅客もD50を使うかC57か58だっけか。
旅客より貨物列車が地獄だった秘話がある。半端でない超重量級列車の鉄製品の
輸送もそうだが意外な天敵が何と三陸から上がった魚の輸送。
魚の脂が貨車からレールに垂れて機関車を空転させる死の遣いと化した。
加速出来ずに第一大橋トンネルに突っ込み登り切れずに後退。一度陸中大橋に
下がってやけくそに突入して恐怖のループトンネルをかけ上がった話もあるらしい。
2780mある土倉トンネルは入口に幕張ってトンネル突入したら閉めたなんてやっていたらしい。 >>246
おいおい、陸中大橋〜足ヶ瀬は「重連厳禁」が現場では暗黙の了解だったんだぞ。
単機でも煙に巻かれるトラブルが多発したのに、重連では死者が出るっていうんで。
(但し緊急時の救援は除く)
あと旅客も貨物もD50/D51。
理由は旅客機入れてもスピードが出ず無駄、中央東線と同じ。
土倉は幕は設置されなかった。直線だから煙が抜けやすいんだと。
(陸中大橋の「タコトンネル」も排気装置はあったが幕は無かった。排気スイッチは駅で遠隔操作) >>230
C622はデカイとはいっても軽軸重タイプだから入線は可能と思われる。 C58とC56では、曲線の小回りはC58の方が良いんだって聞いた。
5インチライブスチームの話ではあるけど、動輪軸距が短くて小回りが利くそうだ。
しかし、その短さが不安定さを産んで振動が大きかったのかなあ? 大井川鉄道ってC58は入線不可なのかな?
大井川で旧客を牽引するC58なんて見てみたい。 新金谷にターンテーブルを新設したからなぁ。
昔はバック運転しか出来なかったから大井川はタンク機関車ばかりだったが。
でも大井川は経営状態が最悪で普通電車を激減させたから、自治体からも見放されてるよorz
このままいくと廃線が近いのかもしれない、
あんな青い蒸気機関車なんて誰が撮りに行くんだよって言ってる人も多いし。
大井川は終わったって言う意見が多いけどどうなんだろ?
>>251
C58なら入線可能ですよ。 千頭にはそれより大きな9600まで置いてあるからやろうと思えばやれるだろうからねえ。 >>252
ありがとう。
入線可能なんですね。
大井川にC58が入ったら人気が出るだろうな。
迫力はC11やC56の比じゃないからね。
まぁ確かに大口スポンサーでも付かない限りは、
大井川がこれ以上機関車を増やすのは不可能だろうけど。 >>253
あの9600もなんか勿体無いですね。
保存というより、放置に近いし‥ 軸重が一応の入線の基準かと思うけど
C58が 13.5
C113次形 13.3
9600 13.16
C10 12.9
ネットで調べた限りではC11とC58が200kgの差
入線基準は厳密には最高速と出力と最大軸重だと聞いたけどどうなんだろうね?
大井川の転車台はC58は乗らないかな? 機関車の軸重は積車時だから、空車だとかなり軽くなるんじゃないか。 炭水車の積載を減らせば大井川にC58の運転は不可能じゃないけど
問題の釜はどこから持って来るかだな、
比較的保存状態の良いC58275号機をボイラー修繕するか? C58322が可能性大!
大井川と保存場所は2kmしか離れてないしな。 清缶剤挿入装置って無くても問題無いの?
最近の復活SLは無いのが多いけど… >>260
当時の薬をそのまま使わなくてもよかろうって事じゃないの。 清缶剤使わなきゃならない程悪い水はつかってないから。
水道水つかっている処も多いし。 SL列車の中には途中駅での給水で昔みたいな給水塔とかなくなったから
駅前に消防車を停めて給水してもらってる所さえある。
ばんえつ物語号は確か鹿瀬か津川で途中給水停車があって消火栓からの水を
消防車で給水してもらっている。
(実は日出谷には給水塔があったが壊しちゃったから) >>259
C58322は三島の楽寿園の保存車じゃないかな。
ところであの機関車は高校生がひとりで整備してあそこまできれいにしているようです。
ブログなどを見ると頭がさがる思いです。 軸重は第三動輪の輪荷重だから、従台車との支点を調整して軽減は可能。理論上だけど。
総重量はそれほど問題ではないはず、、、
ただ、鉄橋の最大荷重制限がある場合は別なのかな?
軸重ではテンダーは問題じゃないけど、総重量の場合は問題だね。
とはいえ、C58をタンク化してC18(笑)にしても
タンクとコールバンカー分軸重は増すだろうしなあ
C58332にそんないい子がいてくれるなんて、、、ありがとう、、、 このスレに触発されて?最近、C58の1号機の画像集めてるんだが‥
意外と錆が酷いな。
梅小路だから油断してたけど、静態保存まで手入れが行き届いてないんだな。
DL牽引で動いてる動画もあるからまだ大丈夫なのだろうけど、あの足回りの錆びはちょっと気になる。 舞鶴線でC58牽引の列車に乗ったが結構スピードも出てた(記憶が曖昧だが) よく見かけたが他形式目当てだったのであまり写さなかった。後で後悔した。 現役時代のC58を体験出来た世代の人が羨ましい。
俺なんか物心ついた頃にはSLやまぐちからも撤退していて、
363の復帰でようやく動くシゴハチを体験出来たくらいだから。 >>267
うらやましいですね。
私の世代(50代半ば)ではC58すら希少種だった。
舞鶴線でC58をスルーってことは
9600かC12目当てだったのでしょうか? >>269
その通り!9600は当時本州には舞鶴と米坂線、そして青森にしかなかったので写しに行きました。C58は既に芸備線、宇品線で見ていたので。でも奈良線や小浜線も行けば良かった。 >>270
あのあたりは昭和44〜46年頃まではまだ煙が濃かったね。
西舞鶴を中心に宮津線の9600・C58(西舞鶴区と豊岡区)、小浜線のC58(敦賀一区と福知山区)、
舞鶴線は小浜線のC58乗り入れの他に小運転と補機用の西舞鶴区のC12が加わり、さらに山陰本線からの
乗り入れや臨時列車でC57やD51も入ってきていた。あと北吸までの支線にも運用があったかな。
不思議なのは西舞鶴が接点なのに宮津線用のC58は小浜線には入らず、敦賀一や福知山のC58は
逆に宮津線には入らないといった運用が区別されていたことですね。福知山のカマはともかく管理局の違いも関係あったのかな。
(小浜線の敦賀一区は金沢局、宮津線の豊岡は福知山区) C58は当時は最後まで残るだろうと言われていたので他形式を優先的に撮ってました。でも何故か九州は志布志線にしかなかった。行ったけどラストナンバーは見れなかった。 いろいろ現役時代の頃を語れる方がいてくれて嬉しいです。当時は中学生、限られた時間と予算で行動しないといけなかったので全国を回る人を羨ましく思ってましたよ。10年早く生まれてたら・・なんて。親は煙が服が汚れて大変だったと言ってましたが >>270
岩堀春夫さんの写真集で
宮津線の臨急「はしだてビーチ」を見ました。
客車は寝台急行「音戸」の間合運用で10系7連?
そして牽引機は西舞鶴区の9600がプッシュプルで前後に!
10年と言わないまでも、あと5年早く生まれていれば
こんな凄いのを撮影できたのになぁ
270さんは「はしだてビーチ」撮りましたか? >>270です。
残念ながらはしだてビーチは撮影していません。雑誌で見て9600には不似合い?な編成に興味ありましたがタイミングが合わず再訪出来なかったです。 >>274
岩堀さんのスイッチャー魂は凄いものが有りましたね。
でも最近西武電機大好きな郷田さんにとってかわられたけど。
岩堀さん最近御元気なんでしょうか? C58は他形式のついでに撮ったのばかりでした。釧網本線や陸羽東線に行ければもっと撮れたのに・・あと大雪くずれもあったなあ かろうじて佐倉の客レの撮影に間にあったが、子供だからたいした写真を撮れなかったのが残念無念 C58はローカル線ならどこを走っても様になっていた。動輪が小さい分高速性能ではパシフィックに負けていたが。C63が作られていたらやはりそっくりになったかな 2022年 鉄道開通150年!その時にC54復元、C63製造なんて、中身はハイテクで火室の温度やボイラーの圧力を完璧に制御、所詮は夢か・・ また363が故障したらしいな。これだけ長くやってるのだから
簡単にSL運転を廃止出来ないだろうけど、ちょっと心配。 >>280
保存しているC58の後期型を改造してC63のレプリカを作るとか‥
これも無理な話だな‥ 軸焼けを頻繁におこすのは停車駅での点検による発熱チェックが手抜きと思われる
昔は一度焼けの前科もちになるとちょっとでも交換待ちがあれば機関士がすかさず点検していたが、今は運行中の点検は省略したり、そもそも技術移転が不適切で機関士がノウハウ不足のまま走っている
無駄な加減速や空転も軸焼けの一因 今は「わが国鉄時代」なんて本で昔を懐かしむ日々ですがそれらの写真の撮影日時や場所を見て「あ〜っ」てことも、なぜならその日その場所にいたから、もしかしたら撮影した人に会ってるかな?なんて思いますが。 話題の参考になれば(すでにC58天国だった房総や高山、四国あたりは消えたあとだけど…。)
少々長いので少しずつ書き込みます。
C58晩年の状況(昭和45年1970以降)と主な使用線区昭和45(1970)6月現在
北海道
釧路 62、84、98、106、119、127、139、197、319、348、385、404、408、409、
410、412、43、418 計18 釧網本線・根室本線
北見 1、82、173、331、390、391、392、395 計8
釧網本線・石北本線・一部池北線
苗穂 414、415、416、419、421 計5 千歳線及び各駅入換、補機
鷲別 422、425 計2 室蘭本線小運転、入換
五稜郭 33、126、148、213、406、407、411、417 計8 江差・松前線
◇北海道 計41(うち入換主体2)
東北
盛岡 90、239、296 計3 入換(山田線は45春に無煙化済)
尻内(管) 103、111、182、203、244、283、330、342、356、393 計10 八戸線
新庄 163、206、275、282、363、401、402 計7 陸羽西線
横手 303、304 計2 入換
会津若松 306、346 計2 入換
陸東石巻(管)…小牛田 14、19、22、50、114、117、161、302 計8 陸羽東線
◇東北 計32(うち入換主体4) 関東甲信越・東海
高崎一 6、202、211、212、263、309、311 計7 八高線
長野 69、142 計2 入換
沼津 108、200 計2 入換(45春に無煙化済みだが車籍あり)
豊橋 194 計1 入換
遠江二俣 20、99、151、153、215、219、364、365、★389 計9 二俣線
◇関東甲信越・東海 計21(うち入換主体5)
北陸
七尾 140、154、159、216、266、324、325、368 計8 七尾線(金沢ー津幡ー七尾)
敦賀第一 75、109、171、195、228、248、250、252、278、294、322 計11 小浜・舞鶴線
◇北陸 計19
近畿
亀山 51、240、260、353 計4 紀勢本線・関西本線・草津線・信楽線など
竜華 31、118、193、205、209、233、234、312、354 計9 ※関西本線など周辺
和歌山 25、328、361 計3 和歌山線など
紀伊田辺 28、180、214、221、231、260、279 計7 紀勢本線など
奈良 66、120、135、190、191、235、329、352、355、358 計10 ※奈良線・桜井線など支線区
福知山 57、164、222 計3 舞鶴線・小浜線など
西舞鶴 87、★113、★170、290 計4 宮津線
豊岡 80、201、233、316、327 計5 宮津線
◇近畿 計45 中国
米子 86 計1
新見 172、174、175、186、199、208、247、262、281、298、314、360、403 計13 伯備線ほか
芸備管(三次) 34、49、60、61、63、64、92、146、226、313、323、345 計12 姫新線・芸備線など
小郡 16、149、158、276、299 計5 入換・宇部・小野田線
長門 10、76、122、338 計4 美祢線
厚狭 47、48、79、137 計4 入換、宇部・小野田線など
宇部港駐 21、36、65、144、423 計5 宇部・小野田線など
◇中国 計55
四国
小松島 ☆88、★295 計2 ほぼ運用なし
九州
大分 105、112、115、124、224、277、350 計7 ※久大本線大分口、小運転
志布志管 424、426、427 計3 志布志線
◇九州 計10
※全国205(廃車予定の2休車も含む)
昭和46年秋になるとここからまたぐっと減ってしまうんですよね。
みなさんの思い出のナンバーもあるでしょうか? 「前はここにいたのか!」というような記憶なんかも。 >>288
ああ、すみません。実は今手元にないのですが「昭和45年6月」時点での蒸気機関車全国配置表(小さな出版社がつくった小冊子)から
私が抜き出して文章にしておいたものをまとめたものです。
見つかったらお知らせします。 凄いですね!広島で92.西舞鶴で222を見たのは覚えてます。他は曖昧、というより思い出せない。ただ300番以降は見てないかと >>291
あ、そうでした。三重町とかそうですよね。 前にもどなたかが書いていましたが
九州にC58少ないのは意外ですね。
私の出身、関西周辺には
1970年にはまだこんなにたくさんいたんだ。
私がSLに目覚めた1973年は亀山でしか
見れなかった(涙) >>293
48ー3ー31現在の配置だと 近畿 計4
亀山 66、★312、★353 紀伊田辺 260
になってますね。うーん、その前年の47−3−31だと
亀山 66、xx191、231、353 竜華 xx193、xx201、233
和歌山 xx361 紀伊田辺 xx211、xx234、260、xx267、312、xx352
近畿 計13両ですが二休車が多いので実質稼働はわずかです。45〜48の三年間に一気に減ったのですね。
亀山の231はその後小牛田に転属して陸羽東線で活躍しました。(48−3−31には小牛田にいます) >>294
書き込みありがとうございます。
★の意味は休車ですか? >>295
あ、これはこの時点では現役でその後一年間以内に廃車→静態保存された印です。
66もそうですが翌年度もまだ現役なので付いていません。 訂正 66は49−3末では既に廃車になっていましたので★マーク付ですね。 当時は勿論デジカメなどは無くフルマニュアルでした。待ち構えて狙う時は綿密に計算して撮ったものです。現像も自分でやってたし現像タンクの蓋をはずす瞬間はワクワク・・幸い一度も失敗なし 氷酢酸の臭さと暗室の蒸し暑さ
カラーは自分じゃ怖くてあきらめた 自分で現像するのはかえって割高になるけどやはり楽しい、ただ暗室は持てなかったので焼き増しはカメラ屋へ。トライXはよく使った、高かったけど。 >>298−300
停止液入れるのが遅れて、妙な斑点が出来てしまった時の悔しさ、
増感現像を誤って、粒子がめっちゃ荒れたときの悔しさ、
冬、現像時間が足らず、いまいち画像がはっきり出ていなかった時の悔しさ、
・・・・etc.
>>298
一時ポジ(リバーサル)にしていた。
NikonFM2だが、電池を買うのをケチり露出はすべて感。
まあ地雷作品の多いこと、
ただリバーサルなのでKRは今のところ無事で有難い。
いい加減スレチだな、すまぬ、行っときゃよかった二俣線・・・ 鉄道誌ではエクタクロームなどのリバーサルで写したのが多くつい真似をして使ってみたけど意味はなかった。C58は全て白黒でした。 リバーサルはマウントしてスライドで見るのが一番だね。
スキャンやダイレクトプリントだと色が濁ったりしてスライドほどきれいに見えない気がする。 雑誌でリバーサルを使っていたのは印刷工程の問題。リバーサルは経年変化で退色する、コダクロームなら退色しにくい様だけど長期保存ならやはり白黒 友人に氷酢酸を渡し、「臭い嗅いでみろ」と言って嗅がせたら悶絶してた。あっC58とは関係ないか、この頃はまだ沢山ある、と思ってたらウチのエリアはC57やD51より早く絶滅した。もう一度行けば良かった。 うらやましいお話が、、僕は1972生まれですので見てません。
亀山のC57が110と198だけになって、
S48年はC57の参宮線運用に投入
10両の旧客のけん引、そして12系の団臨は軽量なので
C58が優先的に牽引したそうです。
ビコム動輪堂「よみがえる総天然色の列車たち第2章」の20、21、22は
当時の蒸機が天然色で撮影されていておすすめです。
特に22は亀山C58の末期を多くとらえています。 >>306
どうせ宣伝だろうと思って
HPを覗いてみたらマジで凄そう!
20〜22を見たくなったが
1巻3000円超は高すぎて手が出ないな。 >>307さん
すみません、、、気を悪くされないでくださいね。
奥井さんはとてもお世話になった方で、色々とお話を伺いました。
内容は松阪の撮影が多いのですが
呉線とか有名な他の撮影地も美しい色で映像が収録されてます。
22巻は亀山のC58最後2年の雄姿!
66、312、353!家宝です。2本買っちゃった(笑)
価値はありますよ! C58は多くのローカル線で活躍してたのに他形式の影に隠れてしまっていた。黙々と使命を全うし、人知れず消えていった。 マイナーな路線でのC58の写真は少ない、姫新線、赤穂線、奈良線など、二俣線はまだ多い方だ。宇品線は全く注目されてなかったような、C11と前後で走る非効率な列車だった 奈良線は割りと早く撤退したっけね
記憶があやふやですまん 昭和45年の映画「すばらしい蒸気機関車」には奈良線と舞鶴線のC58が登場していた。 客レは朝夕に集中していて昼間はDCというパターンが多くて
子供心にどうして昼間は客レにしないんだろうと思いつつ撮影してたが
朝晩は客がそこそこ乗車するんで客車4〜5輌、昼間はそんなにいないから
DC2輌で十分ってことだと大人になって理解した D51の次くらいに保存車の数が多いのがC58なんだよな。
確か50両くらい保存されてる筈だし‥
その割には地味だよな。
C581も梅小路じゃ影薄いし、363も東京から一番近い
動態保存のSLなのに、人気無いもんな。 C58は国鉄現役時代も知ってるけど、あまりぞくぞくしないんだよ
むしろ9600とかC50のほうが蒸機という感じがする
C62やD51のような鉄塊の息吹きをアピールするものもないし魅力がない
昔の自動車だとコロナやブルーバードみたいな感じで
サバンナとかアルシオーネ、117クーペのような面白みがない >>316
「中型万能機」ゆえの悩みでしょうかね。
「特徴のないのが特徴」 スカイラインGTR=C62
ファミリア=C58
シビック=C11
フェアレディZ=C57
車に例えるとこんな感じかな。 メーカーは同じ方が良いかと
C62=クラウン
C58=カリーナ
C57=クレスタ
C56=カローラ
D51=ハイエース C58とお正月がらみの話題といえば、昭和46年(1971)〜47年(1972)の「ゆく年くる年」で
NHKが七尾線の臨時「ふるさと列車」の金沢駅発車の模様を放送したっけなあ。45年10月から運転開始して
かなり有名になっていたこの列車を臨時に「初詣用」として金沢ー羽咋に走らせたもので、
もちろん牽引は専用のC58140号だった。ビデオなんてもちろんない時代だったのでテレビから録音したカセットテープを保存してある。 Cテンダー機を日産スポーティカーで分類してみた。
R35GTR C62
R34GTR C61
R33GTR C59
シルビアS15 C57
シルビアS13 C55
プリメーラP10 C58
マーチK10 C56
パルサーGTiR C63
RS C54
ケンメリGTR C53
ハコスカGTR C51
2000GTB 8620
R32はどうも微妙。立ち位置の合う機関車が居ない
C60と言えなくもないがC59と前後するのに違和感 伊東東作氏が蒸機の形式をベートーベンの交響曲1〜9番になぞらえた一文が有名ですね。
「ベートーベンとSLと」だったかな。 D51標準型みたいな感じで嫌いだったが動輪直径も8620形よりも小さいし、
準急伊予や南風、熊野、牽引を余り撮影していない。
何だか田舎臭い感じだったのも原因かも。 C581の集煙装置は現在は取り外されてるのかな?
復活当時、国鉄長野工場にしか集煙装置の図面が無くて長野式の集煙装置が取り付けられたんだったよな。
ナンバープレートも形式入りのタイプに変更され、プレートの色も緑だった。
ちなみにC571は貴婦人の愛称で親しまれていたので、女性の口紅の色と言う事で赤い色だった。
現在じゃ女性の口紅も紫とか黄色とか多種多色だから、国鉄上層部の年配の方が思い付いたんだろねぇ。
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