懐かしの寝台列車を語るスレ2
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10系20系はね、転落防止紐を懐と膝に挟んで寝れば最高に寝心地良かったの。
そうすれば転落はまずあり得ないし、カーテンから飛び出した手脚がラジエターの役割を果たして冷暖房の強弱にも左右されずに眠れるし。 小さい頃に、金星?とかにふる里に帰るときに乗ってた
小さかったからあまり覚えてないが、3階とか物凄く狭かった気がする
懐かしいし、もっと寝台車は増えて欲しいよね >>30
そうか?それをいったら座席車の50x100cm四方にも満たない空間に
押し込められて座りっぱなしの方がよほどきついんだが。
交通機関の車中で手足伸ばして眠れる空間を確保できるのはかなりの贅沢だと思う。
正直今の昼行列車でも、選べるならG車に4000円払うより、三段Bに5000円払う方を取る。 >>34
まあ、確かに寝てる間は寝台の広さは余り関係ないから(よっぽど寝相悪くない限り)、
三段でも一応、用は足りたとも言えるだろう。
実際のところ「狭くてもいいから安い三段寝台残して欲しい」
とかいう声があったのかどうかもちょっと気になるが…。 スハネ30や10系ハネなんかは早々にゴロンとシートやノビノビ座席に転用すればよかったのにね。 >>34 10系のB寝台三段の最上段よりは、三列座席のグリーン車の方がマシなんけどな。
最近の夜行バス乗っていてもそう思う。あんな硬くて狭いベッドに寝られるかと。 B寝台三段の中段、上段で、トイレ行くのに梯子使って降りるのがしんどい。上段だと外の夜景がほとんど見えない。
この点でも、ゆったりしたグリーン車座席の方がましだ。 電車寝台のグリーン車は1両しか繋いでなかったが寝台が満床でも売れ残ってることが多かった 583系はくつるのB寝台上段なら1回だけ乗ったけど、寝ちゃえば天井の低さは気にならなかったよ。 たしか、宮脇俊三の作品の中に、
東北夜行の寝台がどれも売り切れだった時に、窓口の職員が、
気を利かせてグリーンを叩いてくれて、でもそれ見ながら、
「出ないでくれ」と願った…ような話、出てこなかったっけ?
「あれで一夜を過ごす事になるのは勘弁願いたいので、
赤ランプが点いて少し安心した」みたいな感じで書いてたような記憶が。
手元に原本がないので、記憶違いだったらスマソ。 >>41
国鉄の大幅値上げ前までは寝台が取れなかったらグリーン車という
長距離客もある程度いた頃の話
青森から上野までグリーン車で帰ったこともあったそうだよ >>37
マシなんけどな
夜行バスの座席はベッドじゃねえ
外の夜景って内の夜景があるのか?
グリーン打ち出せても断りゃいいだけ
お前色々とおかしくねえか? >>36
お前大丈夫?
10系ハネの時代にゴロントシートとか
めちゃくちゃだぞ
脳みそ腐ってるのか? >>41,>>42
最初「津軽1号」(矢島線・角館線・阿仁合線の乗り潰し)、
次に「越前」(富山港線東岩瀬―岩瀬浜・能登線珠洲―蛸島)、
次に「ゆうづる1号」(瀬棚線etc.)、
の寝台券を買おうとしたが全て発売済で、「ゆうづる1号」の時、窓口の係員がグリーン車を試した、というものだった(これも売り切れ)。
ただ、その日は「津軽2号」のグリーン車で出掛けて、今泉線・長井線・赤谷線・魚沼線、に乗ったという。
その後、念願の「津軽1号」に乗って出掛けて、角館・矢島・阿仁合線に乗った帰りに
「ゆうづる7号」のグリーン車を余儀なくされた、って話だった。
尤もこの時の「ゆうづる7号」は、寝台の使用を止めてたから、残りは普通車になるとこだった。 折り返しでベットにできないとか理由だっけ?ハザの583ゆうづる
ゆうづる7往復、十和田5往復くらいあったんだよな。
夜行のロザ、末期まであったけど、なんで繋いでたんだろうな。特ロの呪縛か
それならそれでオロ11を使って貰いたかった。スロ62、ボロすぎだったぞ そんなに三段寝台が心地よいのなら、なぜ、サンライズ出雲・瀬戸に二段式B寝台より安い料金の三段B寝台車を設けなかったのかなあ?
夜行高速バスに比べて料金はかさむが、道路渋滞は関係ない。夜行バスで10時間位乗りっぱなしという遠隔地まで行くのであれば、サンライズの方が早い。
そのメリットを考慮しても、狭苦しいベッドを敬遠する者が多かったということではないのかなあ?
まあ、鉄オタは特殊だけどね。 その辺は料金との兼ね合い次第だろうね。
3段と2段の価格差が約1000円という設定を見る限り、
"JRが提供したい価格水準"では集客不能という判断では。
実際問題、電車化前の出雲3,2号では割引切符用の3段寝台が
最後まで設定されていた訳だし。 >>47
誰も三段寝台自体が快適だと言ってるわけじゃないだろう。
ロザとの比較や、価格との総合での話なんだから、
サンライズの時代に三段寝台が出来なかったから、という理由で
「三段寝台は快適じゃなかった」とか言っても、
否定のための否定っつーか、あまり意味がない話だ。
それに、その論理だと、同じサンライズにおけるノビノビの存在価値も
ついでに否定しちゃう結果になってるよ。
あれこそ、「座席より、手足を伸ばせる空間を」の形を変えた実現だろ。
結局は、価格と設備のバランスが受け入れられれば、客は付くんだよ。 >>48
すまそ。リロードせずに書き込んだら、
価格とのバランス、という趣旨の要点が丸かぶりしてしまいますた。 >>46
全然解ってないな
オロ11って何だ?
軽量客車じゃないのか? 10系だろ?
腐食等劣化が早く43系や35系より廃車が早かった事くらい知ってるだろう? うちの親 昭和30年代に九州から上京するのにさくらの寝台とれなくて
3等座席に乗ってきたらしい。結婚式でごたごたして座席車に一晩揺られて
おまけに新婚旅行で伊豆箱根ひとまわりとかどんだけ若かったんだ?って。
当時から座席車には少しは余裕があったんだね 昔は特急が特別な列車だったというが、昭和30年代既に急行寝台より特急座席という選択だったみたいですね >>53
っていう意味じゃないんじゃない?
昭和30年代だったら、今の時代よりももっと
「列車の格」というものに反応するところがあった。
曰く、故郷に錦を飾るには急行○○の二等寝台(現Aネ)で、とかね。
>>51氏が書いてる話は、ただの旅行ではなく、新婚旅行だろ?
(あるいは、「上京」と書いてるので、長崎で式を挙げて、
そのまま東京に転居みたいな事なのかも知れないが)
そしたら、理想は特急の寝台として、それが取れなかった場合には、
急行の寝台よりも、特急の座席の方がいい、って感覚があったはず。
門出にふさわしい列車はどっち?という価値観。
今は誰も気にしない事かも知れないけど。
けど、仮に用向きが出張だったら、全然違う選択になってたはずだ。
このあたりを、「すでに急行寝台より特急座席という選択だった」みたいに
単純化して書いてしまうのは、ちょいと違うと思う。 >>49 サンライズのノビノビ座席や、あけぼののゴロンとシートという簡易寝台が、他の夜行列車にほとんど普及せず、夜行列車が衰退の一途をたどっていることをどう考えるかだな。
高速夜行バスの座席が窮屈で十分な睡眠が確保できないというのなら、より高い料金を支払ってでも夜行寝台ないし簡易寝台を利用するはず。ダイヤ通りの定刻運行という、バスにない長所もあるし。
特にゴロンとシートは、かなり料金を抑えているわけだが、足を延ばせるのに、他の列車に普及しないというのは、高速夜行バスの座席のアメニティが向上し、列車簡易寝台と差がなくなってきたというのが、一般利用客の感覚だからでは? 特急あけぼののゴロンとシートで上野から秋田まで行く場合と、高速夜行バスをざっと比較してみたが、所要時間は9時間程度で同程度。料金は、あけぼのの方が約3000円高い。
簡易式の二段寝台に比べ、夜行バスの座席が苦痛ならば、3000円位の追加出費は大したことではないだろう。
そして、ゴロンとシート車を何両も連結した夜行列車が、1本だけでなく、時間帯ずらしてもう1本位走り(あけぼの2号復活?)、秋田だけでなく、酒田行きの夜行バスを絶滅状態に追い込んでいてもおかしくない。
しかし、現実はそうなっていない。 >>53
急行『つがる』のネームバリューは大きかったらしいよ。
集団就職して『つがる』に乗って故郷に錦を飾るのが憧れだったと言う。 バスの定員考えれば、あけぼのが定期列車で存続していること自体十分健闘していると思うが。 ムーンライトも鳥海もなくなり、あけぼのもかつては二本走っていたのが、一本だけしか残っていないわけだろ。
まあ、あけぼのが一本だけ定期列車として存続しているのは、新幹線が走っていない、高速道路経由でも秋田や酒田まで行くのに結構時間がかかる、という好条件があったからだろうが。 九州からの上京ついでの新婚旅行だったそう。
関東から見るとなんで近くの伊豆なん?って感じだけど九州から見れば
遠くの贅沢な旅行先という感覚なんやろねえ。
俺から見れば九州のほうが開けてなくて観光地として俗化してなくて
いいやんと思うけど、でも写真見ると昭和30年代の伊豆はまだまだすれて
なくていい感じではある。。なんせそのちょっと前まで下田なんかは
熱海から船でいくとこだったし。
窓口氏が急行の寝台の空きまで調べたかはわからないけど、九州は東北ほど
格式ばらないというかおおらかな気がする。ただ所要時間で急行はそれなりに
特急より時間がかかってたから途中伊豆に寄ることも考えて眼中になかった
かもしれない。式の後にのるんだから早めに指定とっておけよと思うが
なんせ猛烈サラリーマンの時代で 仕事の合間になんとか時間見つけて式あげる
という感じだったから日取りが決まったのは数日前とかそんな感じだったらしい。
オヤジは母親と上京後ただちにまた地方の現場に戻って母親は都内で一週間も
二週間も放ったらかされててそれがそのあとの夫婦仲の悪さに尾を引いている。。 >>ID:SZsUbI4s氏
んー、ちょっと論点散らかり過ぎでは?
そこまで行くと、もう「シートvs身体を伸ばせる設備」という比較じゃないよ。
>>60
なるほどー。 >>61 夜行バスのシート含めたアメニティが向上し、夜行列車は簡易寝台で比較的低料金設定しても対抗するのが難しくなってきたのではないか、ということを言っているのだけど?
もう、今では、10系の三段B寝台レベルなんてお話にならないだろうということ。 >52
新婚カップルが寝台特急の座席車を利用って、大いなる驀進を思い出すよ。
>56
反則だが、583系時代の津軽でシートを勝手に引き出して寝ていくのが一番だったw
車掌も慣れたもので、朝になって客が乗ってきたら元に戻せって言われるだけだったし。 >>62
いや、だからw
元々、2013年の高速夜行バスと20世紀の寝台列車の優劣を考えるスレじゃないのに、
そこまで論点拡げたら散らかりすぎでしょ?って事を言ってるだけなんだけどねぇ。
ここは基本的に「懐かし板」なんだから。
この流れになったひとつのきっかけは、>>34氏が
>正直今の昼行列車でも、選べるならG車に4000円払うより、三段Bに5000円払う方を取る。
って書いた事かなー、と思う。
ただ、それにしても、現実にやれば鉄道がバスに勝てる、などと言ってるのではなくて、
あくまで「同じ列車の中で、もし選べるならそっちがいい」っていう程度の
仮想・理想の話だろう。
(だって純粋な昼行列車で寝台使用なんて、昔でもなかった事例なわけだし)
昼行じゃなく夜行だけど、「はまなす」なんかは、かなりいい座席車が
つながっていても、やっぱりカーペットから売れてる傾向だろ?
同じ区間同じ料金だったら、シートじゃなくて、身体伸ばせる方がありがたい、
っていうのが、普通の感覚じゃないのかなぁ?って話だと思う。
そんなにむずかしい話じゃないと思うんだが…。
「2013年の夜行バス」と「20世紀の寝台列車」を、
どうしてそこまでして同じ土俵に載せなくちゃいかんのか。
そっちの方が、むしろ理解しにくい。 つーか、なんで比較対象の三段寝台が10系前提になってるのかね。
今時点で比較するなら少なくとも70cm幅エアサス完全空調だろう。 ID:SZsUbI4sです。34のレス、及び、その辺のレスから見て、30年も前の三段B寝台の方が今日の夜行バスのシートよりもまし、という鉄オタならではの価値観によるものと受け取ったんですけどね。
マニアの価値観が一般常識だと言いたいかのようなものではないかと感じたわけで。
まあ、ここは懐かしスレだから、現在の夜行バスとの比較するところではないということは理解いたしますので。 新婚さんは寝台だと離ればなれになるから一等車 にするというケースが多かったんだよ。
寝台そのものにアレルギーを持つ人も結構いたし 。
あとは真夜中の停車駅で降りるから寝台を使うほどじゃないけど、ゆったりしたい…そんな人もいた。 >>67
「まあ、鉄オタは特殊だけどね」とか言ってたから、
ちょっと怪しいとは思っていたが、やっぱりか、って感じしかしない。
適当に遊んだ後に、捨て台詞書き逃げするという、こいつのパターン通り。
こういうとこで鉄ヲタ弄りして楽しんでるのは、
よっぽどリアルの世界で認められてない奴だからなんだろうなぁ。
>>68
その一方、規則違反の寝台2人使用をして(もちろん、寝台券は2枚取ってだが)、
列車内で初夜を済ませたという猛者の新婚さんもいたけどね。
真夜中降りる人の場合は、そもそもあまりきっちり寝込みたくないだろ。
(いくら車掌が起こしてくれても)
元の需要が違う。 >>64
きたぐには、583に変わった当時は、その技が使えたけど、途中で座席を引き出せないように鍵をかけてたな。 >>65
>昼行じゃなく夜行だけど、「はまなす」なんかは、かなりいい座席車が
つながっていても、やっぱりカーペットから売れてる傾向だろ?
同じ区間同じ料金だったら、シートじゃなくて、身体伸ばせる方がありがたい、
っていうのが、普通の感覚じゃないのかなぁ?って話だと思う。
オホーツク9号に、よく北海道フリー切符のグリーン車用を使って乗ってたけど
俺はB寝台よりグリーンを選択してたなあ。
6時に着くのに、寝台から起きだして寝癖をドライヤーで直したり
浴衣からスーツに着替えるのは正直、しんどかったから。
夜行バスのシートも快適かどうか疑わしいけどな。
前の人がリクライニングを目いっぱい倒されたら…。
カーテン閉めるのが強制になってて
寝付けないときとか、なんか棺桶の中みたいで個人的には苦手。 懐かしい夜行寝台
サークル旅行帰りはカルテット(ちょうど8人だった)
女の子達が化粧落として、コンタクト外して皆がすっぴんでメガネ掛けて別人になってたなあ >>71
人間狭いところでも十分寝付けるんだってよ 彗星はヘッドマークよりテールサインの方がカッコ良かった 三段寝台が致命的なのは座った姿勢を取れないことだな。
殆んど寝るだけの運行時間帯だったとしても、
着替え、身支度、飲食くらいは座って出来ないと辛い。
二階建て車両みたいに床面下げれば、台車間は
二段寝台の寸法で三段が出来たんじゃないかと思うんだが。 >>75
583系の三段式寝台なら乗ったことある
夜寝て朝起きたら降りるぐらいの時間なら無問題だった >>64 遅レスだけど 大いなる驀進はヒロイン?の女性3人はいずれも
ナハに乗ってたね。寝台に寝てるシーンでは格好がつかないからかな。
東京から長崎まで乗り通しではさぞきつかろう。 急用で乗る人たちばかりだから寝台は取れなかった、って解釈はないかい?
親が危篤の娘、血清を運ぶ看護婦、それに、飛び乗ってしまった列車掛の彼女、でしょ?
どれも前もって寝台が用意出来たとは思えない。 >>77-78
全車寝台ではやはり定期の営業列車としては当時から採算は合いにくかった。
夜行特急でさえ定員の多いハザを連結してまともな利益が出る水準。
まぁ、当時の日本は昼間の特急だけでは旅客需要が捌ききれなかったこともあるが。
現在でも欧米の定期夜行列車に普通座席車が混結されているのはなぜかを考えてみればわかる。 採算は取れるだろ。ただ全車寝台やるだけの需要があるって想定してなかっただけだろ
大阪を深夜にしただけで大英断の時代なんだから 昭和40年代生まれのヤングからすると盆と年末年始のピーク以外は
寝台も空きがあるか少なくとも調整席はあるという感覚だけど
昭和30年代は寝台なんて当日飛び乗ってあるはずないということ
だったんだろうな。 実際うちの親は11月の末というオフシーズンでも
寝台取れなかったわけだし。
本当にオヤジが日程が読めなかったのか、それともちょっと横着で指定券
手配するのが遅れたのかはわからんけど。ただ会社が交通公社に無茶言える
立場でもあったから本当に空席なかったのかもしれん。当時交通公社は
急な出張に備えて企業向けに座席確保してたんだよねえ。 ブルートレインを見て
これに乗れば東京に行けるんだなあと考えていた子供の頃
今は横浜と博多を行き来する生活 逆ですよ逆。
これに乗っていけば九州に行けるんだなあ、だよ。
行く時はドキドキワクワクだけど帰りは不貞腐れて品川過ぎてもまだ
寝てて新橋過ぎてあと一分寝られる、とか。
社会人になって仕事で移動するようになると旅情もなくなりますね。 >>84
そうそうw
旅先から東京に着いてそのまま出勤…、なんてそれほど優雅なもんじゃなかった。
それでも会社があるからラッシュ前に東京に着く第一陣に乗って帰ってくるけど、
そうでなければ「あさかぜ4号」以降の第二陣を利用しましたよ。
横浜到着前、まだ夜も明けきらない冬の朝のハイケンスは嫌だったなぁorz 特急列車を博多駅で見ているだけで時間があったいうまに過ぎてった子供のころ。
ブルートレイン一番手で発車する「あさかぜ4号」をホームで見ていると
食堂車のお姉さんたちが手を振ってくれたのを思い出す。 当時の寝台券の発売開始は1か月前?
どこでも買えた? 俺が覚えているのは一ヶ月前にみどりの窓口がある駅。
他にも入手方法があったのかは知らんけど。 俺が小5の時に一週前発売から一ヶ月前発売になった。 初めて全国版の時刻表買って見た時(1975年1月)、「さくら」なんかが岡山を通過して広島に停車してるのに驚いた。
新幹線のターミナルになってる岡山より広島の方が偉いのかと思って。
一方、関西―九州間の寝台特急には岡山停車・広島通過もあったからますます不思議だった。
当時は中学1年で、「深夜は大都市と雖も客扱いせず、時刻表上は通過の記載」なんて事情を知らなかったから、
「岡山より広島が偉いのか」なんて頓珍漢な感想抱いたが、事の次第を察したのはかなり後の事だったと記憶してる。 >>91
それもちょっと驚きだった。
で、後年東京―下関間がEF66牽引になって若干スピードアップした時、
事によったら大阪通りかかる時間帯が繰り下がって停車するようになるかと思ったけど、
結局廃止されるまで事態は変わらなかった。
あと、「はやぶさ」が糸崎に停まるのを「何で?」って思ったりした。 >>91
上り「みずほ」が大阪に停まってた時代もあるんだけど 本題には関係ないが「事の次第を察した」とか「事態は変わらなかった」とか、
話の内容に対して言葉遣いが大げさすぐるw 夜中に目覚めたあけぼのソロ上段の窓から見えた深山の黒いシルエット
それとは対照的によく晴れた上空に煌々と輝く満月という幻想的光景は忘れられない 上野始発の寝台付列車と言えば地平ホーム出発のイメージが強いが、高架ホームからの出発も
なかなかイイ…。照明の明るさ、ネオンの彩り、次々に発着する電車たち…、旅立ちに胸が躍る。
地平ホームも味はあるが、東北の持つ負のイメージを連想してしまい、心なしか暗い気分になる
のは自分だけだったのだろうか? >>97
高架ホームは電車なイメージ、地平ホームは客車なイメージ。
実際は高崎線や常磐線の客レの発着もあったけど、東北方面の
客レは一貫して地平、しかも13番ホームだった。
13番と言えば長距離旅行の玄関ホームだったなぁ。楽しい時代だった。 客車は推進やるから電車がバンバン走ってる時間帯に高架にいれ難いのと、長距離は荷物あったからな
地平はターレットがガラガラ言ってた いよいよ雑誌等で、待ちに待ったあけぼの特集が組まれるのか(`・ω・´) まぁ不謹慎なとらえ方なんだろうけど、現代のあけぼのには興味が無くて、
奥羽経由時代のが見たいのよね。動画は難しいとしても、
画像祭りになるのではないかと期待してしまうのだ。 >>107
共同通信ソースは継続
毎日ソースは廃止
どっちやねん! カシオペア廃止の一因は、ツアー枠で大量に確保してるせいで、
一般客は10時打ちで1階ツインさえ数駅に頼んでなんとか取れるって状況なのに、
いざ乗車日になったらツアーが売れなくてツアー枠が戻されたのか、
2両分が売れ残ってほぼガラガラな状況で走る…
という結果にした旅行会社だと思う 札幌駅の上りドアトラブル運休とか下りの機関車ATS故障(意図的でないほう)
の報道とか見てると巻き込まれた乗客の人数は定員の9割くらいいたような
上りは不人気、下りは早いとはいえ函館下車分もいるだろうし >>108
こういうときは悪い方の情報を信じた方が良い どうにかならんのか、平日に限って18でも利用可にすれば、18二日分と別途、特急、寝台で元だけ取れると思うが。 もう昔ながらの夜行列車をやる意思がないということだよ >>115
北斗星は盆暮れ正月には走らすという説もある 鉄ヲタでも新幹線や通勤電車にしか興味のないようなヲタがもう大半なんだろう
とくに若い世代は それはしょうがないだろう。寝台も客車もほとんど走ってないんだから
そうやってジジイくせぇこと言うから嫌われるんだよ >>118
心の中や嗜好まですべて現状に合わせないといけない、と言うなら、
懐かし板なんか必要なくなってしまう。
野暮な事は言いなさんな。 そりゃ鉄道に限らずどうにもならないことだな。
好きな野球選手だって力士だってアイドルだって必ず引退するときが来るんだし。 その例え方はおかしいわ。
選手や力士やアイドル個人は、鉄道趣味で言えば車両だろう。
それは、年月を経て引退するのは当たり前。
ただ、寝台列車とか夜行列車というのはジャンルなので、
野球で言えば、たとえば好きだった球団の身売りだとか、選手の質の変化とか、
最後は大リーグに行きたいとみんな思ってる傾向だとか、
アイドルの世界で言えば、人数集めたアイドルグループばかりで、
ピンで成立するアイドルがいなくなったとか、
そういう話の方に近いと思う。
それは、「歳月には抗えない」「どうにもならない」という種類の事じゃなくて、
世の中の流れや趣味嗜好や経営戦略に左右される類の事に属すると思うよ。 鉄道の専門用語では、
ディーゼルや電車の機関車が客車を引っ張るやつ を客車と呼んで、
電車の客車を電車と呼ぶみたいですね
やっと寝台列車廃止の新聞記事の内容が理解できました >>127
他の車両を引っ張る用途で、自らには乗客も貨物も荷物も載せないのが機関車
自らには動力が無いうち、旅客を運ぶのが客車、貨物を運ぶのが貨車、荷物を運ぶのが荷物車
自ら動力を持って旅客、貨物、荷物を運ぶのが電車やディーゼルカー まぁ元々は機関車、客車、貨車が鉄道車両の基本分類だったところに、
異端として電動客車、内燃動車が発生し、
旅客車両はいつの間にかそちらが主流になったために、
客車という言葉が浮いてしまった感じですかね。 客車時代末期の瀬戸のシンデラは、空調が調整できず夏でも寒くて参った。
それ以来、盛夏でも長袖を着て出かけることにしている。 戦後の日本に「虹の架け橋」とも言われたホームランをかっ飛ばし
プロ野球の星、少年たちのヒーローとなった大下弘選手が
西鉄ライオンズを去り、博多を去るときに乗り込んだのが寝台特急「あさかぜ」。
当時、ホームが大混雑し発車時には少年たちの「大下さーん」という涙声が響いたという
西鉄の選手たちが関東に遠征するときの常宿ならぬ「常寝台列車」は
はじめのうち「あさかぜ」、のちに「はやぶさ」に変わったとのことだが
これは時間帯が良かったからか、ほかに理由があるのか
ちなみに関西遠征のときには特急「かもめ」での移動が多かったという 【寝台急行〜それはかつて東京に恋い焦がれた関西人が大勢乗り込んだ、思い出の夜行列車なのである!】
走る!東海道を駆け抜けて(銀河号!)
走る!ココロの中で永遠に(銀河号!)
それが それが それが 銀河号(銀河号!)
死にたいくらいに憧れた街
東へと向かう列車で旅立つ
昇る太陽 拝んだ翌朝(銀河号!)
ガンガンギギーン 銀河号!
ガンガンギギーン 銀河号!
いつかは錦を 飾りたい
ガンガンギギーン 銀河号!
ガンガンギギーン 銀河号!
銀河を貫く伝説の夜行
寝台急行 銀河号 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています