蒸気機関車D51を語る
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C62と並ぶ国鉄有名の蒸気機関車D51を語ろうぜ。 >>517
機関車の同機種間異動は特定の機関区に調子のいい缶が固定化するのを避けるため
ただ60年代以降は電化やDL化絡みでシャッフル以前に都落ちや左遷が激増 機関区間の石炭の良し悪しも調子の良し悪しに関わっていたこともあるけどね。
よく北海道の夕張炭は良く燃えて燃焼カロリーもあったけど常磐炭は豆みたいで全然燃えないで
燃えカスばかり出てダメダメっていう話を聞くけど。
東北は常磐炭だろうから相当苦しめられたんだろうな。 優等列車には筑豊炭、客レには石狩炭、その他はミックスがどこの地域も基本
石炭よりスケールにつながる水の質が影響大
水はミックスできないのでカマを代えるしかない 常磐線でゆうづる担当のC62は一ランク上の石炭を用いたという。それでどうにか条件をクリアできたとのこと。D51にそれを使ったらパワーアップしたか 疾風に良質のガソリン入れて飛ばしたら
時速700キロ越えたのと同じかな >>519
>>521
保育社カラーブックス 蒸気機関車より(久保田博氏)
蒸気機関車の牽引力計算で、石炭の発熱量を、旅客6500kcal、貨物6000kcalで算出していた、とある。
(7000と6500だったかもしれん)
また、名古屋地区鉄道100周年の出版本に、関ヶ原越えの貨物列車の牽引機D52が故障、
大垣で旅客用D51を借りて越えたが、石炭が旅客用だったため苦は無かった、の記載がある。
カラーブックスのほうには、「近年貨物も定数一杯の列車が云々」とあり、
発熱量の高い豆炭を使うことが多くなっている、とも書いてある。 連すまん、
結構前に聞いた話だが、大井川では8000kcalの豆炭?を使用とのこと、今はわからん。
>>517
>>518
あちこち使えるが、各地区の特徴というか、個性が生じたな、出場工場+使用線区という。
大宮+高崎、小岩の関東平野型や、浜松+稲沢、敦賀、郡山+長町、鷹取+吹田、奈良、福知山等々、
途中で転属したものはそれが混じりあい、また個性になっていた。 >>524
43・10ぐらいから練炭が全国に普及したと
東京近郊の機関区の石炭はその前から練炭だった
九州や北海道は比較的遅くまで地元だからか純炭だった
常磐炭と宇部炭は評判が悪かったが、くべ方次第で対処出来た
急勾配区間や長大編成には練炭の方が安定した品質で効果があったが
下手くそや手抜きした連中、機関士になれない古参の助士には評判が悪かった 関西本線の線路際を歩いてたら豆炭が落ちていたこともあった。 機関区なんか炭水台周りはこぼれた豆炭だらけだった
我々子供が撮影の合間にお土産に拾っても機関区の人はなにもいわなかった
横浜機関区なんか停めてあるD51のキャブに乗って機関士の真似事してもなにもいわれなかった 子供の頃は家にも豆炭あった。あんかに使ってたが火傷やCO中毒などよく起きなかったものだ。練炭火鉢も今思えばよく事故がなかったと思う。唯一の事故?は気に入ってた鉄人28号のコマが火鉢に飛び込み、黒い煙が出て昇天・・ 豆単は現在市販されています。
ところで我が家は50年ほど前は風呂の燃料に
豆炭を使用していました。燃やすと蒸気機関車のような臭いの煙が出ていた記憶が。
機関車用と家庭用は同じサイズだったのでしょうか。 D51のキャブって吹きさらしだけど、
当時、無線機は装備されていた? >>534
現役時代のキャブに無線設備はなかった
何かあれば沿線の鉄道電話か、汽笛、徒歩による連絡 三河島事故契機に列車無線搭載されたかと思っていた
国鉄末期頃からSL以外の屋根にアンテナ取り付け始まったけど、
それまでは携帯型無線機持ち込んでいるのかと思っていた 豆炭はサイズ同じじゃないの?あんかに入らないと困るよ。もう半世紀経つか・・豆炭はあったが炭団は見たことない、雪国にはあるかな >>536
常磐線・成田線運用のあったC57が最末期に装備したくらいかな蒸機の常磐無線は >>528
横浜機関区には投炭の練習設備があって、遊ばせてもらった。
もちろん手動開閉の96やC56用だったが。 確かに蒸機機関士は今から見れば3Kの仕事だが、
花形だし憧れの職業。 花形だし憧れの職業って今も昔もむしろ3K要素多くね? 幼稚園児の将来なりたい職業
・パイロット
・キャビンアテンダント
きついが汚くはない
・医者
病院勤めは3K
・消防士
ご存じの通り C571とD51200の重連運転の様子をニュースでやってた。やはり先頭はC571が似合うのか NHKかな?
19時ニュースは見ていたが、それではやってなかったな。 >>543
逆パターンの前がD51の補機だと函館線とかでは普通とかでは定番だったからなあ。
貨物列車だとD51同士とかだが旅客だと前がD51後ろC57とかがあった。 函館本線で客レを本務機運用したのは通しでC57
D51は前補機で運用的に無理に次位に入れることはしない
今のSL運行は客寄せ興行だから比較は無意味 動輪の大きさが違うからD51はせわしなく回ってる様に見える。昭和45年に関西本線の臨時列車で同じ組み合わせの重連を見に行ったよ 千歳線の急行貨物は前補がC57かC58で本務がD51だった テレビのニュースで大雪の様子を流してたが雪にまみれたD51745が映ってた。現役時代は何度も体験してるだろう、保存状態は良い様だが >>550
745は宇都宮と高崎だし東北・上越線は貨物も早くからEL化してたし
信越線横川までや八高線は滅多に大雪にはならないので
保存開始以降の方が雪に遭ってると思う D51、いま乗れるのは群馬だけですか?高崎〜横川。
他は調べてもわからなくて。Cなんとかは沢山見つかるのですが。
教えて頂けませんか? やまぐちのD51200が人気だけど、個人的にD51牽引といえば、室蘭本線の225レかなぁ…。
ラストはC57 135が牽引したからC57のイメージが強いけど、所定はD51牽引だったらしいから。 ありがとうございます!
父が乗りたいと言うので探していました。
山口ホームページ見た限りではD51がいつ走るのかはわかりませんね。。 >>556
高崎〜横川は後にEL(EF64?)が付いて、横川行きはD51先頭だが帰りの高崎行きはELが先頭になる
高崎からは水上往復もあってこちらはD51が往復で牽引する
ちなみにC61の日もあるのでJR東の高崎支社ホムペで確認して下さい ご親切にありがとうございます。
ホームページチェックします。なんとなく群馬のほうが良さそうですね。
父に、鉄道好きの義父とトーマス好きの子を連れて大井川に行った話をしたら、実は機関車好きだということが判明。特にD51が好きだと。
大井川にはD51をモデルにしたヒロは居ましたが、D51は無かったです。
貴重なんですね。 復活蒸気の情報ならここより鉄道路線・車両板スレのほうがレスが早くつくだろう 重ね重ね、ありがとうございます。
D51で検索かけたのが良くなかったみたいです。移動します。 >>356あたりで話題になってたD51の従台車、模型弄ってると
気になりだして色々調べたらいくつか気になったことを
保存車眺めてると
一体タイプ 101 201 211 516 561
鋲接合タイプ 86 89 200(既出)
とかでかなり振り替えられまくってる?
ついでに86番のテンダーが深川(68年)から浜松来るまでの間に振替喰らってる?
他にも気になったことがあるけどここまで長文失礼 主連棒を新しく作るとしたらどのくらい費用がかかるんだろう?
先週不具合が見つかり運休してたD51200が1週間ぶりに復活。 ここで書いたらいけないんだろうが、SLやまぐち号はC57やC56のようにボイラー径の
小さい、瑠璃光寺五重塔の塔身の細さにも共通する女型の方が似合う気がする。 客車が5両と言う点ではそうかも知れんが山口線は勾配線区ですから 山口線はD51やD60のイメージだが、敗戦後数年まではC58、戦前は8620が走っていた 難関度では急勾配が長くて長いトンネルも連続の釜石線には及ばないが、連続急勾配で
比較的長いトンネルまである点では山口線もかなりの難関。旅客もD50/D51が主力も同じだしね。
2000m越す長いトンネルがないだけが釜石線との違い。釜石線は土倉トンネルが長さ2750mあって
D50/D51駆る機関士を恐怖に陥れた。
まあ1000mもないトンネルで機関士が窒息死した播坦線の生野トンネルもあるが。 釜石線は結構早くDL化した一方で山口線や美祢線、山陰本線下関口はそれほどでもなかった
つまり労働組合的にさっさとDL化転換教育受けて楽するより
慣れ親しんだSLのほうが転換教育より楽だったんだろう 真岡 圧空無火だけど、和歌山よりは近いし、そのうち行きたい。
いったやつおる? >>567
勾配きついうえに長大トンネルあるとこは機関士や助士泣かせだからDL・EL転換は現場もホイホイ乗ったし要求もしていた
一方で平坦線でお気楽な路線は転換教育自体が不人気で上層部も放置していた
また、転換教育に興味持たないロートル連中を無煙化地区から有煙地区に転勤させてそこにSLを集中的に残した(小牛田や中央西線北部や会津線、七尾線、日豊本線南部など) 以前ニュースで保存されたが手入れが出来ていない野良SLが増えていると言ってた。国鉄OBや有志達の高齢化が原因らしい。修復より解体の方が安くつくとのことだしこの先心配 そりゃおめえ、アメリカがww2中の5年間にソ連に供与した
炭水車付き大型機関車は2000両弱。
これはジャップ自慢のデゴイチの総生産台数を遥かに凌ぐ。
それぐらい圧倒的な生産力の国なんだよ。
自国以外の片手間供与でこれだからな。 みんなよく知ってるなあ
どこから知識を仕入れてるんだ? >>570
俺の地元でも同じよ
新聞にも載ったし、政治家が議会で(国会ではない)取り上げもした
結局解体処分することで寄付を募ったが不足分は税金でってことに。
人気のSLとて誰もメンテナンスしなくなったらタダの鉄の塊だもん SLが現役で走ってた日々を知らない世代が増えれば自ずから関心も薄れてしまう
あと20年くらいか そのてん英米はSL動態保存がさかん
現役時代知ってる人間ほとんど死に絶えたが
今でもいろんなとこで営業運転している 今日、町田のD51862を見に行ったが、他のD51とはちょっと違う形だった 動態保存にかかるコストを回収する方法が未だ確立してない 欧米だと結構な金額の寄付が定期的にある
土地も車輌も施設や資材も含め金持ちの道楽でもある
維持整備をする世代を超えたボランティアが多い
行政が運行管理を簡単に認可
固定資産税などの優遇がある
日本は寄付は見込めない
ボランティアも少ない
行政は先例がないと否定拒絶たらい回し
税優遇制度は皆無
金持ちの道楽はせいぜい模型の運転 コロナで少しは社会が変わるかと期待したが
寄付は奮わないしボランティアも盛り上がらないし
日本人ってこんなのだったのか 寄付するどころか保存車両から勝手に盗み取るようなキモい鉄オタが「日本人ってこんなのだったのか」と言ってらあ。 修繕して保存しても盗られたりするなら、細部まで写真撮って設計図面含めてデジタルデータとして残しておく方がいいんではないかなあ。
それを基にレプリカ造ることもできるし。 一定の人気はあるのでは
先日、大井川で女子限定ツアーとかあったみたいやで D51が牽くやまぐち号C57の軽快な走りと違って力強くみえる。でも昔山口線を走っていたD60が山口市内に保存されているからそれを復活させてもよかったと思うが、希少価値もあっていい D60の再生ですか、すごくすてきですが、むつかしいでしょうなぁ、結局ハチロクみたいに、きがついたら元のパーツがなにもなかった・・・なんてことになるのでは? JR西日本は東日本ほどSL復活には意欲的ではないようだ。昭和51年の死亡事故が尾を引いているのか?梅小路開館の時は山陰線、奈良線、草津線を走らせると言ってたが カネがない
Bとチョンが多すぎて何かあればすぐ賠償要求
それに梅小路へ行けばほぼ見れるし
だから、自治体が対処してくれるところ以外は不可能
西小路駅−二条駅間の短絡線の残存区間1.2km程度を用いて、横川の真似を岳南電車で売りに出されているED403を直して使えばいいだけ 昭和51年の死亡事故が尾を引いているのか?線路に入れば危険なことぐらいわかるはずだが群衆心理というやつか >>595
今の撮り鉄の行動からお察しください
進化していないどころか退化しているかも 撮り鉄の9割は非鉄=ニワカ
とある地方では蒸気機関車が数十年ぶりに運転された時、線路横の自動車道路(それも対向二車線の旧国道)が完全にニワカの違法駐車で封鎖されたことがあるくらい (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 撮り鉄はカメラを免罪符にやりたい放題、何しても許されると思っている。こいつらにはコロナのワクチンは頭にするべきだ 特急はさすがに牽引してないだろうが急行は臨時を含めて幾度かある。呉線で安芸を牽いた時はC62やC59を待ってたファンは驚きと失望で迎えただろうと思う >>603 勾配区間の補機として特急運用に用いられたことはないんだろうか?
山陽本線の瀬野八ではC62牽引の特急かもめの後部補機としてD52が用いられたそうだが。後部補機は牽引とは言わないか・・
東北本線では盛岡・青森間でC60が前補機に入ったとあるが。
(参考)http://www6.plala.or.jp/orchidplace/C62.html >>603
ニセコ(ていね時代だったかもしれん)がC62のかわりにD51が牽いてきて、
残念かつ恨みの文を見たことがある(太陽だったかなあ・・・)
書いていたのは松本謙一だったかなあ、
適当な記憶ですまぬ D51は最高速度は85k/hほど、しかも振動がかなり酷いはず。運転席も狭いし機関士と助手の疲労は相当なものだろう。余裕で90k/h以上出せるC62の代わりにはならないよ >>606
その件、山区間の前補機がD51だったってことだったかな、
冬の話だったので、遅れがどうのこうののレベルではなかったと思う。
(松本氏はそれに冬は100分遅れは当たり前とか書いていた) >>606 小樽から長万部まで、カーブが多く単線の函館本線山線区間でC62は十分に高速性能発揮できないようにも思えるのだが。
それでもD51よりは早いだろうが、東海道線と比較した場合、平均速度の差は小さいのでは?
>>607 冬季100分遅れが当たり前って、本州の積雪地域と違って雪が線路に凍結しやすいからか?豪雪地帯の新潟でもそんなにはダイヤ乱れないはずだが。
サンパチ豪雪なんぞは例外として。
このサイトに、雪や雨のときはC62は制限速度50q超えて20‰の上り坂を進まないと大直径の車輪が空転して上目名のトンネル内で立往生したりする、と書いてあるな
。本来、C62向きではない区間ということか。
http://home.a00.itscom.net/yosan/jyoki/yamasen/yamasen.html 函館本線のいわゆる山線と呼ばれる区間はかなりの難所、東海道本線電化で余剰が発生したC62を使う案が出て早速3号機を送って試走させて良好だったので本格導入、だが北に渡ったのは調子のあまり良くないのばかり選ばれた >>611
C6244はめちゃ調子よいカマだった
32と3はそこそこ
2はどうしようもないレベルで、オイル漏れや軸発熱も多く
致命的にボイラー昇圧が不良で仕方なく本務期が押してた
単機ロングは任せられずほぼ山線の前補機専用
末期は時々D51が代行 32と44は検査期限切れで呉線から来た15と16と入れ替えたがその前に2が全般検査を受けて僅かの差で生き延びた。もし山陽本線に行ってたら18と同様にツバメマークを外されて一足早く廃車だっただろう >>603
今さらだが特急に関しては常磐線電化前にダイヤ混乱で遅延ゆうづるを引く羽目になったD5132を大木茂氏が撮影してるな(初期のJトレイン誌に掲載)
あと呉線の場合はC59の運用をC62と分離した頃から音戸や臨時でD51代走が出やすくなったけど電化直前は運用離脱や変更の多さで安芸までD51に >>612 D52用に造られた高出力のカマの設計自体に問題があったということ?
製造現場における品質管理が設計の要求レベルに達してなかったのか?
戦時中の粗製乱造カマを新型のに交換しても不良が発生したわけだよね。D51はそこまでの高出力求めてなかったから、品質管理が追い付けないという問題を回避できたのか。 >>611-613
というか東海道電化で余剰になったC62で調子が良かったカマは山陽本線の各機関区に配分されたと思う
山陽本線では引き続き特急牽引も担当するからね
東海道つばめ・はと牽引機で調子が良かったと評判だった29や35、36は山陽本線転用だったのがその証明だと思う
C62の好調機はどの機関区でも川崎製か汽車製ということが多いよね
先述の29や35・36、小樽築港での32と44、平の23と47・48など好調機と言われてたのは川崎製か汽車製が確かに多い そろそろ
C62・C59を語るスレ
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