【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
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かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/ >>386
サシ151時代に枯れ木に見立てた仕切りを付けた 映画「皇帝のいない八月」での寝台特急「さくら」の食堂車オシ14の車内は
撮影用のセットだが、本物と見分けがつかないくらい精巧に造られていた 寝台特急「さくら」は南大夕張駅構内にブルートレイン"さくら"のセットを
置いてロケしたそうだが屋根が20系みたいで両端の屋根にある冷房用の分散
ユニットがないのですぐにわかったけどオシ14車内はそっくりだった。
http://summaars.net/kotei/kotei1.jpg >>390
あと、旧161系には、穂高や槍を模したレリーフも飾ってあったらしいね。
181系「あずさ」には二度ほど乗ったことがあるが、
食堂車なんて連れて行ってもらえなかったから、目撃したことはないけど。 >>391
>旧161系には、穂高や槍を模したレリーフも飾ってあったらしいね
それあずさ用の新製車だろ?
旧161じゃなくて181として製造されたものだよ >>392
そうなんか。詳しいね。
「とき」用にも、谷川仕様とか苗場仕様とかあってもよかったね。 北斗星の食堂車が、もうすぐこちらお仲間となる模様なのでヨロシクです。
北斗星の食堂車がダイ改で終了だって。 グランドひかり東京→小倉、食堂車で飲みながらご飯もの以外全メニュー制覇したのはいい思い出。
あとウエストひかり109系のビュッフェの居酒屋メニューよかったなぁ。 全メニュー制覇はすごいな!
ブルトレ末期の冷食全メニューならあるが…。
台風で6時間くらい遅れた時だが、一種類ずつ順番に食っていったら一周して、また一種類ずつ順番に食って、あと一つで
二周するかと思ったら品切れおこして、急きょ弁当の積込をした。 181系時代の「あさま」号は碓氷峠の関係で8両に制限されて食堂車が連結できなかったけども
山陽線で余剰になっていたモハシを組み込めば良かったのにね。 >>398
そもそも碓氷峠は協調車以外無動力なんだから
モシとかモハシは少なくとも横軽区間では関係ないよ
1等車2両か1等車1両+食堂車かで、グリーン2両ないとってことになっただけ
1等車2両+食堂車だとさすがに2等車少なすぎだしな 当時の国鉄がドル箱路線で定員減らすような真似するわけがないw 信越線は1等需要高かったんだろうけど、181系当時はあらゆる電車特急で1等2両だったよなあ。
ガキの頃、「みどり」のグリーン覗いてみたけど、客が全然いなかったな。 >>403
583をグリーン2両は用途が用途なんで出来なかったろ。
東北特急は利用率から来る定員確保があったんだろうな。
PCDCはつかりと485☓13両のひばりがG車2両だったが。 >>405
元々西日本って昔から上等クラス不毛地帯だよな。
特急でもモノクラスが結構あったし。
あのパーラーカーも西日本特急に転用したから寿命を大幅に縮めてしまったようなもの。
月光やみどりの場合昼のリクライニングシートと夜のベッドの両立の開発が間に合わなかったというのもあったような。
でも今考えたらリクライニングシートのベッド化は飛行機でやってるみたいにフルフラットシートにしかやりようがないと思う。 >>404
>583をグリーン2両は用途が用途なんで出来なかったろ
だから何? >>400
だから全室食堂を半室にして二等定員を稼ごうって意味だろ
モかサの問題じゃない >>409
そうは言ってもモハシは半室食堂車じゃねえし >>406
クロ151もモハシ150もあさまに転用すれば良かったのにと思う。
高級避暑地軽井沢もあるからパーラーカーを連結してもそこそこ需要はあったと思うし、
信越線の特急はサシの連結ができなかったからモハシを組み込んでも良かったはずだと思う。
まぁ189系置き換えの時にはどっちも廃車になる運命なのは同じだが。 >>411
なぜか客車の展望車も信越線に走らなかったな >>413
展望車ならアプト時代に皇族の御乗用列車で使ったことがあった >>411
パーラーカー先頭の「そよかぜ」とか見てみたかったな。
東京発着以外じゃ、優等需要が極端に下がることはわかっていたんだから、
もうちょっと上手な車輌配置があったのではと思うが、
まあ、481の製造がまったく追いつかなかったらしいしなあ。 トンキン至上主義のカントン人が何か増長してるな
東京>西日本じゃなく、東海道>山陽>諸線区だからな?
山陽特急で半室化、長野や新潟系統に入れてクハ化なんだから
当時の特急には格というものもあったんだよ >>417
優等需要は、
東海道>>東京発着の観光特急(伊豆、軽井沢、草津など)>>>山陽含む諸線区
でしょ。
ガキの頃、一度だけしおじのパーラーカーに乗ったことあるけど、
俺とおふくろだけだったし、
普通のロも、いつもがらがらだった記憶がある(ハは満席でも)。 とりあえず、こっちにも・・・・。
ttp://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1419920380.JPG
ttp://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1419918504.JPG 質問とか宣伝じゃないから、むしろ貴重な資料として歓迎するな。 マルポがダメってのはうざいからとかリソース食うからだけじゃなく
貴重な資料に貴重なレスが付いてもマルポで分散してると盛り上がらずに消えるから なぜサハシ111・サハシ115・サハシ403はつくられなかったんでしょうか?
(通勤向きだからですか?でも昔の時刻表を拝見させてもらったら東京〜浜松と
上野〜長岡と新宿〜長野(甲府・塩尻・松本経由)上野〜原ノ町長距離運用が沢山あったのに。 >>424
阪神国道線のことを語りたいならスレがあるよ 普通列車にビュッフェなんてあった時代って戦前よりさらに前じゃないか? 静岡の清水に急行なにわのビッフェで寿司を握っていた店主が営んでいる店があるらしいが、一見さんでも行ける雰囲気のお店? >>425 長距離運用の気動車急行にも食堂車ってなかったよなあ
キサハ58なんて造られなかったなあ >>428
つばめ鮨は普通のお寿司屋さんだよ
店主がマニアな分ハードル下がってるんじゃね?
当時のビュフェの盛り合わせ(当時300円)が1000円だからお得だよ >>430
急行用ならキハシかキサハシになりそう。
電車のサハシの気動車バージョンで。 >>429>>432
これよく模型の改造ネタでよく見かけけど、走行性能が悪くなるキサハシは無理だっただろう。
キハシでは電源と水タンクのスペースが問題になる。
DMH17を2基積んで1基を走行用、1基を電源用に使い、大型の水タンクを室内と屋根上に置く感じだろうか。 >>435 半室ビュッフェだから、キシ82ほど大型の水タンクは必要ないのでは?
ただ、気動車としての制約上、電車の半室ビュッフェに比べても提供されるメニューが限られるかもよ。 >>434
そうなの?
公式には出てないみたいだが。 むかし、時刻表の食堂車のマークを見るとわくわくしたなあ 当時だと分割しない長大編成がゴロゴロ走ってたし
非冷房で残りの車両が全部58でもよかったわけだから
キサハシでも行けなくはなかったと思う
まあ、キサシ80がキシ化されてる現実から考えるとキハシで
それも早々にキニ・キユニ化ってところだったろうな >>435 >>439
晩年は松本運転所に集められて中央東線「アルプス」で使用され1975年の電車化後は休車となったののち、
1977年にキユニ28の種車に真っ先に指定されて形式消滅・・・という経過を辿ってただろうな。
キハ冷房化の際には電源エンジン4DQ11P→4VK交換(車番は2000番台に)され、キユニ改造時に4VKはキロ28の4VK換装に転用されただろう。 寿司コーナーって、車内で包丁使って寿司ネタ切ってたの? >>441
普通の食堂車だって付け合せのキャベツちゃっちゃか切ってた訳で >>440
キハシなら「シ」の部分は当初から冷房化されているだろうし、これに電気
レンジ等の電力需要があるので、4DQではまかないきれないでしょ。
この頃4VKが開発されていればよいが、なければDMHをもう一台積むことに
なるのでは? >>441
昔は食品の保存技術が未熟だったし設備も貧弱だったからな
冷凍食品はとんでもなく不味かったし 宇高連絡船の線内で売ってたうどんは茹で上げ済みを搭載したためにコシが無かった
現在は冷凍うどんの技術が確立されているが当時そんなものは無かった しまかぜの食堂車の厨房って非常に小さいな
レンジでチンすれば料理が出来上がるので非常に割り切ってる
国鉄の食堂車は車体の半分くらい厨房だったが新幹線100系は1階に厨房、2階に食堂という構成にして定員を大幅に拡大させることが出来た 昼行特急の食堂車は廃棄ロスが凄まじく多かったのでは?
街中のレストランとは違い客層限られるし
北斗星・トワイライトエクスプレス・カシオペアで予約制にしてるのは廃棄ロスを減らし調理済みの食材を積むためのはず >>448 途中停車駅で、食材の入れ替えすることができることも考えようね。 何度も何度も説明したが食べ物を捨てるより人件費の方が高い件 北斗星では上野でしか食材積み込みをしないから
のぼりのパブメニューは売り切れが多いと聞いたが。 >>452
そういう設備の維持も安くはないから北斗星2往復時代に
仙台支店の食堂車営業拠点は閉鎖して上野に統合したんだよな
それと並行して朝食メニューのリストラを行った
具体的に言うと上野行きでは仙台で積み込んでた和食の積み込みをやめて和洋メニューを統合した
ちなみに札幌行きは函館のJR北海道の子会社に頼んでいたがこれも委託をやめた
ついでに下り北斗星カシオペア車内販売の弁当もJR北海道の子会社から
函館駅構内弁当業者のみかどにかわった >>447
その半分ぐらい厨房に取られるのが困るからこそ国鉄が電子レンジを採用した歴史を忘れてはならない
カシと言ってカシ36が出てこないカシオペア世代はそれが分かってない http://www.asahi.com/articles/ASH225J9QH22TIPE023.html
西鉄、食堂車つき観光列車導入へ 16年度以降に運行:朝日新聞デジタル
>西日本鉄道は、2016年度以降に天神大牟田線などで
初の本格的な観光列車を走らせる方針を固めた。
西鉄福岡(天神)駅と太宰府や柳川などの観光地を結んで
ゆっくり走る新型列車を導入し、国内外の観光需要の掘り...(以下略 >>456
時代が時代なら福岡市内線にも特別車が入ったんだろうな >>458
ライオンズ優勝で電車にもビールぶっかけ。 寿司コーナーがあったとは、ビュフェは特急より急行の方が豪華だったんだね 資料によるとあまり種類は多くなかったようだよ急行のビュフェは 当時 洋食が高級。寿司はファストフード
現在 洋食ってファミレスか? 寿司うめ〜
江戸時代 寿司も天婦羅もハンバーガー並みのファストフードで料理とはみなされない 東海道本線電車急行の黄金時代は昭和39年10月の東海道新幹線の開業で終止符を打たれた
昭和39年は1964年で70年代は6年後
そもそも急行電車のビュッフェに寿司カウンターつけたのは、誰か文化人が座談会か何かでそんな話ししたことが、と書いてあったのを読んだ覚えあり
戦前の1・2等の特急急行は洋食堂車で3等急行は和食堂車、という格付けも踏まえての発言と思います >>464
寿司なんて時価が当たり前だったところに定価とセットメニューの概念を持ち込んだのが
急行ビュッフェの寿司カウンターだったんじゃなかったっけ 時価って、仕入れ値で値段が変わりますということで、必ずしも高いわけじゃない
イクラですか、もとい、幾らですか、と聞けばいい
とはいうもののボッタクリも結構あるらしいし、客も粋がって値段聞かない 東海道・山陽新幹線での0系・100系ひかりの食堂車では晩年はビールを注文すると、
瓶ビールではなく缶ビールが供されていたが、コップだけはちゃんとしたグラスだったが、
もし紙コップだったら、客は完全に嫉妬していたであろう >>468
時価って仕入れの時点で確定出来る筈だから
その日の値段を明示できるのは簡単だった筈なんだよな
結局ボッタクりたいだけだったんだろう
今でもな >>470
毎日毎日、仕込みとともにメニューの値段を全部書き換えなければいけない、それこそがサービス業だ、ということですね。わかります。 寺本光照氏著書の「国鉄・JR 悲運の鉄道車両達」によると
1985年から1989年に特急雷鳥の一部に連結されていたサロ481−500こと
和風電車だんらんのビュフェにはコックの姿が無く売店や車販準備室と
して使われていたらしい。何の為に種車サシ481の厨房をビュフェに
したんだか? 中国の食堂車ってホワイトボードにメニューが書いてあって
状況次第で消したり書き加えたりするんだよね メニューに「酔蟹」とか書いていたら美味そうだな。
てか、高速化以前の食堂車なら、蟹が逃げ出して通路歩いていたりしそうだ。 ロシア号の食堂車は2両連結されてて、外人用と一般ロシア人用に別れてて、
なんとなく差別的な感じがして、メニューも肉料理、魚料理と乏しいが味付けは日本人の口にも
合うのだが、食堂車に通い詰めてると飽きてくるから停車駅でパンや弁当などを買い込む客も多いとか >>472
運転開始当初は営業していた。
売上の少なさから3名乗務から2名にした際に、
当時は車内販売が忙し過ぎて、ビュッフェまで手が回らなくなってきた。
で、材料は積んでいても自然消滅。
あとグリーン席との仕切りが無い為、G席からのクレームも多かった。
472氏は誤解してるようだが、
サシ481→サロ481改造の際に厨房機器は殆ど再利用していない。
再利用したのは水タンクからの配管回り位かな。 >>477
レス有難う。だんらんのビュフェは運転開始当初は営業していたんだ。
俺が書いた「悲運の鉄道車両」と言う本の著者の寺本氏はもうビュフェが
営業していない時にだんらんを連結した雷鳥に乗ったのかも知れないね。 >>478の訂正
俺が書いた「悲運の鉄道車両」と言う本→×
俺が>>472で紹介した「悲運の鉄道車両」と言う本→〇 472、477、478
サロ481-500は雷鳥の編成から外された後、吹田工場ではなく吹田工場の向かいの
吹田操車場跡地の東海道本線上り線沿いに留置されていたね >>480
その後9両中7両はスーパー雷鳥のG車に改造されたな
お座敷は横3列のG席、厨房はラウンジ化で トワや北斗星廃止後は食堂車をサシに復元して展示して欲しいよな。 >>482
外観よりも内装の復元が問題になりそうだな 大阪駅か札幌駅で積み込みの時見ると分かるが、意外と厨房部分はまんまだったりする >>484
俺もこの間にのぞき込んでびっくりした。
電熱器のスイッチ回りがとてもレトロな感じwww
さすがに業務用扉のすぐわきにデンと置いてある冷蔵庫は
新しくなっているような気がしたけど、どうだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています