【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
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かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/ しまかぜカフェや東北エモーション、おれんじ食堂などは認めない、という人たちが移ってくるだけかと えーw
こちとらろくに食堂車を使ったことないので思い出話だけでも貴重なもんなのに しまかぜに批判的な人いるの?
近鉄の供食サービスは歴史長いんだけどな 俺が知ってる近鉄特急は車内販売やめた後(´・ω・`) 近鉄特急の女性販売員は容姿より経験を優先していた印象なのに対して
新幹線「つばさ」の女性販売員は美人だったなあ 最近流行のご当地の贅を尽くした駅弁よりも、
昔ぁ〜し食堂車で出されていたカレーライスやスパゲティ・ミートソース、
ハンバーグやとんかつなどのが旨そうに思えてしまう記憶補正。 調理したての暖かい料理の方が良いかな?
調理室から、おいしそうな匂いが漂ってきたのも、食堂車ならではかな。 近鉄の「しまかぜ」には専属のシェフは乗ってないしあんなのダメダメ >>274
50年代前半の日曜夕方18時発のひかり号は指定席もグリーンも全て満席放送
が車内に流れる中車販を待たずに11号車から9号車のビュッフェにサンドイッチ
を買いに出向いたらビュッフェも満員の大盛況だった。行列が客室まで伸びて
いたので調理中のナポリタンスパゲッティの煙が客室にも漂っていたな。
今でも街中でバターの焼ける匂いとトマトソースにコーヒーの香りが混ざった匂い
に接すると当時を懐かしく思い出す。 鉄道弘済会担当の食堂車で出される食事は不味そうなイメージw >>248
サシ581はレストランに転用されてたよ 近鉄特急のスナックコーナーはいただけなかったな。
あんなあけすけな場所で匂い出すなよ、と言いたい。
コーヒー香くらいならいいが。
しかし昔は、国鉄の幹部が平気で
「半室ビュッフェの隣の客室は、匂いに釣られて客が寄ってくるんですよ」
なんて平気で放言していたからな。今なら大問題だ。 >>279
10100系の階下みたいに仕切りが有ればね >>51
実は北斗星用のスシ24も内装結構変わっている >>279
小田急の喫茶コーナーはどんな感じだったのかな?1910や1700のは客室に匂いが充満しそうだが。 >>245-246
キサシ180は台車が特殊ゆえ…
仮にキサシの実車が残ってたとしても、メンテの都合上、より汎用的なTR69を履いたサシ481/489のほうを選択するのは必然だったかと 昔、北斗星のグランシャリオで食べたビーフカツレツベルン風。
細かめのパン粉で揚げたビーフに輪切りのトマトとチーズを乗せてオーブンで焼き、デミグラスソースをかけたヤツ。
今では自分の得意料理になり、それなりに好評だ。
でも、デビュー当初のグランシャリオにあったサーモンステーキは今だに再現できない。素材の違いかな? 若いのに
時代の流れで
いらない子
ずらずらと
列をつくって
廃車待ち 0系「ひかり」の食堂車で食事したことがあるが、その車両は客室と通路との
仕切り壁に窓がなく、照明も薄暗いオレンジ色だったがそれがまた落ち着いた
雰囲気を出していて、また運ばれてきた料理も高級に見え、日本一豪華な食堂車のように思えた >>287
その仕切りに窓が付いて、富士山が見えますというCMをタモリがやってたのを見た事がある。 「まつかぜ1・4」号の食堂車の人気メニューだった「大山おこわ定食」
この定食は米子から材料が積み込まれてからの提供となっていたようで、
「まつかぜ」が大阪や博多を出発してからすぐ食堂車へ行ってこの定食を注文しても、すぐには
できなかったようだ >>284
実際のスシ24は、低屋根で車体断面が他の車両と違うなど趣味的には面白いけど、
もしサシ581を種車にすれば(こちらもキサシ180と廃車時期などの理由で無理だったろうが)、
屋根の高さや車体断面などが幾分揃えられたのかなと思うと、ちょっと残念w そういえば当初は函館止まりの日本海につなぐ予定だった
トワイライトエクスプレスのスシ24もサシ581ベースにならなかったな
サシ481/489ベースにしていたから計画変更で札幌までいけるようになったものの
当初の計画ではサシ581ベースにしていても何ら障害はなかったわけだから ビュッフェと食堂車を両方営業していた0系の「ひかり」では、カレーライスは、
ビュッフェではメニューには「カレーライス」と書かれていて、食器は使い捨ての皿、
食堂車ではカレールーはソースポット入りでライスは陶器製の皿に盛られていて、また、
メニューには「ビーフカレー」と書かれていて、食堂車の方が値段でも少し高めなど
かなりの差が見受けられた サシ581に関しては、新幹線博多開業やらなんやらで西日本の583系一党が余剰気味になった上に、
同地区の583系夜行特急の食堂営業廃止になった際、
サシ581を他の昼間の特急電車に転用できないか、なんつー話があったらしい。
一番の有力案は、豪雪で故障が続発してた上越線特急「とき」のサシ181の置換。
もし実現したらサロ181形1000番台以上の凸凹編成が見られたかも。
もしかしたら電源関係改造の際に低屋根化くらいしたかな? >>290-291
サシ581は非電化区間でユニットクーラーが限界に支障するんで改造対象から外された、ってどっかで見た 日本海につなぐんだったら非電化区間に入らないじゃないか >>293
サシ581の場合、転用以前に編成から外すところから当時はネックになってたしな 大阪南港で開かれた大鉄道博で食堂として使用されたサシ581が博覧会終了後、
大阪府貝塚市内で食堂として活用されていた 一時期簡易営業スタイルの営業もあったけど
どういう感じだったの? 298
583系の「雷鳥」の食堂車は晩年は酷いものだったらしい
食器は使い捨ての紙皿やアルミ箔皿で、定食ものはプラスチック容器に
詰められた弁当のようなもので、ナイフもフォークも使い捨てのプラ製だったという >>292
79年に乗った「こだま」ビュッフェのカレーライスは陶器の皿で供されましたよ?
使い捨て皿と聞いてたから少し驚いた記憶がある。 >>300
79年だとこだまのビュッフェ車はまだ全車35形のはず。
ひかりに入り始めた37形だとシンクの流水使用に制限があるので
使い捨て食器に切り替えられたが、35形ではその必要は
なかったって事じゃないかな。 寝台特急「みずほ」の食堂車は昭和59年4月から軽食主体の簡易営業となり、
時刻表での列車食堂の記号もビュッフェを示すコーヒーカップのマークの記号に
なっていて、ビュッフェとして営業していた >>302
それってB寝台の二段化改造による電源不足のための措置だったのでは? 時刻表の表記上とはいえ、ブルトレでビュッフェが
あったとは初めて知った衝撃の事実だわw 303
その頃から「みずほ」の利用率が低迷してきていたこともあったのではないかな >>286
まるで氷河期世代の派遣社員のようやなw
可愛そうに >>303
2段化改造中は代わりに座席車入れてたし、同じく改造中のさくらは正常に営業してた。
みずほについては、>>305も言っているように利用者低迷。 ほおおおおおお
でも末期の「はやぶさ・さくら」ってみずほのスジだったんだよなあ(´・ω・`) 山陰本線経由で廃止まで1往復だけ残った寝台特急「出雲」の食堂車は、
売店の扱いで、軽食をレンジでチンして販売してた 売店営業あるだけましじゃない、末期はソファシートをいかしてロビーカー扱いだ >>308
末期の「はやぶさ・さくら」は以前の富士のスジに近い
で、富士が元のみずほのスジに近い時刻に移動 伊豆急と南海にも食堂車を営業する列車があったが、やはり社線内だけでの短時間の営業では
効率が悪かったようだ >>301
カウンターで座って食べた記憶があるから35ですね。
37のビュッフェスペースは簡易化されていたのが理由だったのか・・・
ひかりのビュッフェは車販基地と言った感じでコーヒーを沸かしたりサンドイッチ
製造がメインだった印象です。 昭和54年の時刻表見て驚いた
夜行列車の食堂車で営業しているのは、東京発の九州行きだけとは
この頃ブームがあったみたいだけど、既に食堂車は衰退しきっていたわけだ >>299
「しらさぎ」も酷かったとか
>>314
レトルトで車販品のうなぎ弁当を調製していたよ 北海道のキハ183系の特急「おおぞら」などでは車販準備室で「かに飯弁当」などが
客の注文に応じて調製されて販売されていた >>313
南海で営業の効率を云々する話は聞いたことがないな
輸送力を問題視する記述は見るが
難波和歌山市全通時の一等・喫茶合造客車に端を発するものだから
食堂ではなく喫茶
一両だけあった全室仕様も手持ちの資料では喫茶室車となってる >>316 レトルトと言っても、レストラン用のものもあるから安っぽいものとは決めつけられないよ。
海外への贈答品用として、レトルトの鰻を販売しているデパートもある。 >>303
列車の利用率が下がる中、食堂の利用率も落ちて採算が取れなくなっていた。
バイトが弁当と飲み物売っていた。
九州ブルトレの食堂の末期はテナントも凄い赤字を出していたというし。 >>318
戦争しなければ2001系が食堂車と冷房車繋いで白浜まで走ってたかもな。 ちょっと考えにくい想定だな
戦争と関係なく阪和電鉄とのスピード・着席競争で2001系を登場させモノクラス化、
まだ新車のクイシニを全廃したわけだから >>323
白浜輸送の競争激化したらありえたんじゃないの?
先に阪和がやったかもしれないが。 都ホテルは新幹線で食堂車も営業していたが、ハンバーグでもカレーでもホテルと
食堂車とではソースなどの味付けが違っていたようで、食堂車の方は不味い方だという人もいた おでんとか焼き鳥はメニューにあったの?
居酒屋風とか今あってもいいのに >>327
おでんは存在した「しらさぎ」食堂車で食したことがことがある
焼き鳥は知らない >>327
まず市販臭漂う電チンかレトルトのボイルになるだろうな…。
ビュッフェやカフェテリアであればそのクオリティーでも妥協出来るが食堂車ではマチ中のお勘定以上で電チンやレトルトは
さすがに勘弁だろw
でもどうだろう?金帯あさかぜの食堂車にはパブスペースがあったけど、そんなメニューあった可能性あるかもなw
でも、なんか見たことあるかなぁ…、時刻表のビュッフェのメニューにあったような、なかったような…。
ちょっと納戸にある古い時刻表でもみてみるかなぁ…、自分も気になってきたw あまり知られてないけど
九州ブルトレでバイキングスタイルの朝食があった 境線大篠津駅構内の側線に留置されていたキサシ180の車内はイスが
散乱していたりして荒れ果てていたが、その後キサシ180-10が米子駅前で
マニ50と連結されて飲食店「トレーンビアホール米子」として活用されていた >>327
現役の食堂車の話ですまんが、5,6年前の北斗星の食堂車には
パブタイムメニューにおでんがあった 下り「トワイライトエクスプレス」の食堂車のカレーやピラフなどの
軽食は1000円を超えていて高すぎるように思える。
そして、逆に本日のランチが720円とか >>329
電チンって何だよ?
レンチンだろ?
レンチンやレトルトはクオリティとは関係ないし 東京〜西明石間の0系「ひかり」に登場した寿司専門の食堂車
入口のところに暖簾が掲げられ、コックがハッピ姿で本格的に寿司を握り、
ウエイトレスもハッピ姿など寿司店を思わせる風格があり、出張帰りのビジネスマンには
好評だったようだ >>336
誰かのHPにグランドひかりの食堂車で地鶏焼鳥があったということが書かれているのはあっただけ。 国鉄時代、食堂車の料理は「高い、まずい」とよく言われてたのは、
エビフライやハンバーグなどがステンレス製の食器に盛り付けられていた
こともあったからではないか バブルのころの新幹線食堂車の定食メニューだとスープ以外のメインにサラダに
デザートはワンプレートに盛り付けだったが特に貧乏臭くは無かった。 実際、別にうまくはなかっただろ
グランドひかり末期に昔の価格に下げたことがあったが
あれぐらいならまあ値段相応かな… 現役のときも高いまずいの代名詞だったと聞く
揺れて狭い車内で調理するならまあそんなもんやろ
と現役時代をあまり知らない俺がうらやましがってみる(´・ω・`) 当時はファミレスなんてのがなくて、味の比較対象は街の洋食屋や食堂だったんだよね。
それと比べて高めの値段設定と、同等あるいは少し旨い程度の味だったの。
だから「値段の割に旨いものでもない」ってのが、当時の国鉄叩きに躍起だった新聞によって「話が盛られた」と言うのが真相。 >>339
昔は洋食でステンレス製の食器は普通だったんだよ
>>343
>当時はファミレスなんてのがなくて
当時が何時を指すのか分からんけどすかいらーくができたのが1970年な
それに当時の街の洋食屋や食堂、デパ食とか色々あったけど食堂車の方が上ってことはなかったよ
上野で考えてみな
日食やじゅらくは並以下だったよ ところで0系や165系等の売店営業の列車の売店って
どういう感じだったのだろうか キハ81型の後部のデッキのところに設けられていた売店のような感じではなかったのか 0系の売店て営業していたのを見たことがない、いつもシャッターが閉まってた。 食堂車は営業休止の東京〜博多間直通0系「ひかり」では、食堂車は営業休止ということを知らない客が
東京駅や博多駅を出発直後にいずれ開店するものと思って食堂車の通路に数人並んでいることもあった この手の供食設備って末期になるとカウンターの上に駅弁の山だけが築かれている場合が多いね
頼めばコーヒーとか入れてくれるんだろうけど一見すると弁当以外何もないように見える 売店利用難易度
りつりん号>>>>>キハ81>>0系>>165系>>681系 キハ81の売店は「くろしお」では車販準備室として使用されていたような >>352
加藤汽船のならよくうどん食ってるわ、とボケておこうか >>350
20系登場時のPR映画では普通の売店として紹介されていたよ。 ビュフェがコーヒーカップのマーク。
食堂車は、在来線がフォークとナイフのアイゼンクロスで、
新幹線がフォーク&ナイフ&スプーンのサンバルカン。
もし和食堂車が残っていたらどんなマークだったのだろうか?
「お椀から湯気」とか? かつて名古屋〜東和歌山間を阪和貨物線経由で結んでいた特急「あすか」は
運転時間帯が悪く不評で、また天王寺を経由しなかったことから利用者がつかず、
食堂車は従業員が客室で集まって雑談しているほどで、客が席に着いたときは、
逆に従業員が驚くほどだったという 今の感覚だと名古屋行きは朝食需要、東和歌山行きは夕食と晩酌需要がありそうだよな 新幹線、在来線の食堂車、ビュッフェ車が全検、改造などで工場入場時に厨房設備や
カウンターが撤去されると、ゴキブリがゾロゾロ出てくることがあったという >>356
なんか最近、明知が時刻表につけてなかったっけ? 四角の盆の上に茶碗とお椀の絵だったような>戦前の和食堂車マーク 新幹線の食堂車の記号は在来線の食堂車の記号となぜ異なっていた? >>356
戦後復活した食堂車って戦前で言えば和食堂車なんじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています