【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
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かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/ >>159
25年程前、札幌〜トマムでカレーだったか食った。驚くほど値段高くはなく、美味かった記憶がある。ただガラガラだった。 札幌グランドホテルはチョコがうまいんだよね
・・・なんて日の前日になんてことを思い出すんだか >>155
トマムサホロEXPからも真っ先に編成から外されたのはキシだったしな。 東海道新幹線100系グランドひかりの食堂車で2度食事した
事があるのがいい思い出。2度ともカレーライスだったけどw
後0系のビュフェでもカレー喰った。 おおとりの食堂車にホッケ焼きがあった。つい昼間からアルコールも追加注文してしまった。 昭和51年10月号の鉄道ジャーナルの「急行ビュッフェのサービス拝見」という特集に出てくる下り信州1号の
売り上げで「全部で2万6千円くらいかなあ・・・、これじゃやっていけませんョ・ホント」と従業員の記事が
のっていたけども、38年前の物価で1個列車の売り上げがこれだけあれば上場でしょう、採算とれるのでは?
今じゃ車販でもこんなに売り上げ出せないでしょう? 当時は今ほど食品添加物とか保存技術が進んでないだろうから
却って採算ライン高いんじゃないの? 昭和40年代〜50年代はかえって添加物だらけじゃい
>>169
今の新幹線の東京〜新大阪一本平均らしい C制の他社払い戻し、変更が出来るようになりました。
https://twitter.com/imadegawa075/status/325744623614046208/photo/1
払い戻し特典がなくなったことを見ると、JRカードも近いうちにオレカ、周遊きっぷと同じ道を辿りそうな気がする。
良くリンクを見るとJRカード以外での払戻は裏技な件…。。。
プロ駅員やプロ乗務員で無いと_な可能性。
ちなみに、えきねっと・EX予約・5489の払戻の裏技実装や、各社(四国除く)のハウスカードでの払戻裏技はいつ出来るようになるんだろう?
JRカードのメリット
JRのどこでも変更・払戻可能(国鉄が分割された現在、出張族には重宝)
ものによってはエクスプレス・J−WESTよりも還元率が高い
JR系ホテルに安く泊まれる(ネットのほうが安いか) 三井住友のJR・GOLDカードは、条件付きだが、年会費4,200円だな。
東京在住で静岡によく出かけるんだが、JRカードは便利。 東日本で買っても東海で変更払い戻しが可能。
三井住友JRカードにしてみては? ここはマスターとデュアル持ちが可能。
http://crefan.jp/2929.html
http://crefan.jp/2930.html
個人がもてる未だに発行している希少なカードです。
申込は、三井住友カード入会案内デスクに電話して申込用紙を取り寄せました。
(メールでの問い合わせ、申込用紙の取り寄せ依頼もしましたが返事が1週間後と遅いので電話の方が早いです)
入会案内(パンフ)を見ますと、ゴールド(VISA)、一般(VISA・master)と3種類あります。
ゴールド(VISAしかない)の年会費10,500円、一般VISAかmaster1312円(一般の両方持ちは1,574円で2種類持てる)
鉄道系ではToMeカードが一番だな。地下鉄に乗るだけでもポイントが溜まるし。
JR各社のカード餅だが冬の北陸出張時は専らJRカードだな。JCB、DC、UFJは募集停止
http://img.tabinohajiwokakisute.net/20100418_1549503.jpg
http://tabinohajiwokakisute.net/?eid=324
全国を飛び回ってる身としては、6社どこでも変更払戻が出来るのは魅力です・・・。
JRカードだったら、どこのJRのみどりの窓口でも、買った切符の払戻や変更ができるんじゃなかったっけ?
ほかのクレジットカードだと、購入した会社のみどりの窓口でないと払戻などが出来ないし。
大雪で大幅に遅れた経験が何度かあるが払い戻し制約がない安心感は大きい。
JRカードはいつまで続くのかな。JR各社は全く宣伝していないし、メリットも少なくなってしまった。
全国でJRカードを使っている人はどれくらいいるんだろうな。JRカードはワイルドです、JR各社みどりの窓口で払い戻し可能
JRカードは良いよ。普通カードなら年会費無料にもできる。しかしJRカードをわざわざ選んで持った奴って真の鉄ヲタだよなあ
ネットが普及した現代これだけ情報が少ないって、鉄も見向きしてないってことだし
そうか・・・国鉄の遺産がまた消えてゆくな。 JR6社共通商品ってそんなに疎ましがられる存在なのかねえ
どんどん客は不便になっていく
こうなると、次は青春18かねえ。青春18よりもJRカードの方が先の気がする。
JR VISAカードの資料請求をしたら、申込の動機や年齢職業を聞かれた。
ただ資料請求するだけなのになぜだろう??JRカードも、いつまでもつことやら
JRカードの払戻(OR変更)時のメリット以外、存在価値がかなり薄くなったな。これは近いうちにJRカード廃止かな。 全部で2万6千円
当時の幕の内の価格から考えても
ビュフェの平均単価をかなり多めに見積もって500円としても50人強だろ?
市中の立ち食い蕎麦よりかなり高めにした250円でも110人強
客室10両連結としても2割以下の利用率
利用率悪すぎ 昭和40〜50年代初頭の東北、上信越、中央本線の急行は平日も含めて常に車内が混みあっていたのに
ビュッフェ利用率が>>173氏の計算のように低かったのは何故だろう?混みすぎてビュッフェでまで
移動するのが面倒だったのか?それともグリーン車じゃない限り、下手にビュッフェで食事取っている
時に他のお客に座席を横取りされるのを嫌ったために座席で弁当を食べる習慣が定番になったのか? >他のお客に座席を横取りされるのを嫌ったため
ああ、これはあるかもね
まず座ることが第一で座ったら混雑する列車内を移動しようとは思わないし
急行は指定席そのものが少ないから混雑の中では席を空け辛い
荷物の置き引きもあるし
だから当時はトイレの利用だって最小限にしていたし
ビュフェも安くはないし急行は米飯メニューも少ない
だから売りに来る駅弁の方がマシかな? つ「峠の釜飯」
カレーが300円で山菜そばが250円くらいだったかな。
駅で食べればカレー200円で山菜そばが150円くらいか。
ビュッフェは割高感あったからね。
俺は雰囲気が好きだったから極力利用するようにしていたが。
駅弁の中でも比較的割高な釜飯でも250円くらいだったし、
当時は安いコンビニ弁当なんて無かったからみんな駅弁だった。 伯備線やくもの冬場の食堂車。雪景色見ながらほとんどの区間を食堂車で飲んでたな。 どこでも食べられる、そして決しておいしいわけでもないメニューを
ボッタクリ価格で出していた日○食堂の殿様商売が衰退の原因。
列車の中でしか食べられない特別感あるメニューを開発できてたら、衰退しなかったかもしれない。 >>179
東京〜大阪のような長距離長時間を走る電車急行が無くなったこと
電車以上の長距離を走る気動車急行にビュフェすら無かったので
急行に供食設備が必須という概念が薄れた
急行利用のハードルが下がり自由席が主体で混雑する中、ビュフェで食事をするメリットが無かった
急行の場合はこの3つだろうな
もしキハ55や58にビュフェが連結されていたなら列車内供食の概念や方針にも、今とは違う影響を与えたと思うよ 自由席が当たり前になって、食堂車から戻ってきたら
座る席が無くなってた、という状態が大きいかも。
じゃあ椅子に座って待っていればいいかというとそうでもなく、
在来線、凍解に続いて酉も車販縮小に大鉈を振るってきた。
車販だとタイムリーに本当に欲しい品が手に入りにくかったのかな? >>181
昔は欲しい品云々より
とりあえず車販で手に入れられるものから選ぶという発想
昔は車内どころか一般商店ですら物品は多種豊富ではなかった >>183
全然違うぜ
弁当とかは今も変わらんが
つまみや菓子が今のような形態やラインナップになったのは
世の中にスーパーマーケットが普及して以後の話
加工食品と言えばカマボコとかものすごく貧相なレベル >>180 気動車急行がビュッフェ連結するほどの頂戴編成で、分割併合なしで運転されることが少なかった。
それに、エンジンなしの付随車とすると、勾配の多い路線の運用ではお荷物となる。
分割併合なしで秋田まで行くDC急行「おが」があったか・・でもキハシつけたら板谷峠越えがもっと悲惨なことになるだけだな。 半室式のビュッフェ付気動車車両を造るとした場合、エンジン1台つけるとしても、それとは別に発電用エンジンや水タンクをも搭載しなくてはならない。
キシ80のように座席定員を減らさなくてはならなくなる。エンジン2台付きのキハ58でも165系等の電車急行に比べ加速度でかなり見劣りがするというのに、拍車をかけるだけ。 急行型電車のビュッフェの全盛期って冷房目当ての利用も結構あったんじゃん?
仮に急行型のキハシを計画するならビュッフェ部分の冷房化は不可避だよな。 >>179
ぼったくり言うけど、つまりは自由席券で居座る旅客のコストが転嫁されていた面もあると思うよ >>185
初期の白鳥だって分割併合前提で食堂車2両だぜ
急行料金を別徴収(まだ下位の準急がある時代)して利用率も高かった
既にキシ80があったのだから動力付きビュフェというのも不可能ではなかった
特急と同じエンジンで差別化が出来ないのだから電車に見劣りするのは当たり前だし、特急未満の性能になるのはある意味願ったり叶ったりw
昔の気動車って所詮は「電車もどき」なんだし
要するに急行以下は食堂車の分を輸送力に充てるという方針だったという事
だから食堂車というムダスペースを付けなかっただけ >>189 特急よりも停車駅多く、加減速操作をより多く必要とするんだぜ。
基本性能は80系と同じだろ。 >>189 途中停車駅がそう多くなく、窓の開かない昼間特急に6時間以上乗ることが当たり前だった。
駅前で温かい弁当や飲み物を買って乗り込んでも、数時間たって食べようとする頃には冷え切っている。
新鮮なサンドイッチやおにぎりを売っているコンビニは存在しなかった。
全席指定席だから、食堂車まで移動するのは割と楽。そんな状況だったから、食堂車の需要があったのだろう。 比較対象は海外やで
そもそも店の選択肢がそこまで多くないくて乗車時間も長いから食堂車の需要がある 昭和50年代は当然コンビニ無し、売店は駅弁以外ご飯もの無し。
三色ぱんやドーナツ、ポテトチップスで空腹をしのいだ。
一番安心できたのは駅そば。 >>191
基本性能が同じだからこそ空調などの設備が最初からついていた特急型の方が不利だったのさ
加減速操作が多いといっても優等は通勤電車みたいに高加減速は必要としない
>>192
食堂車の供食数って多寡が知れているよ
36.10時代の気動車特急(大ムコ)って2等4両(2両は先頭車)1等1両、食堂車1両だぜ?
特急は停車時間が短く窓も開かない
客層も裕福な人が多い
食堂利用は当たり前
だからこだまのような長大編成の下等客の多くはビュフェと弁当利用が前提
それから当時は弁当どころか家庭でも冷や飯を食べるのが当たり前の時代
冷や飯を食べることに抵抗なんてない
家庭で保温ジャーなんて昭和40年代以降の普及
サンドイッチは駅弁として戦前からある
冷えていることが前提だからある意味作る方も食べる方も気楽(値段は気楽ではないが) サンドイッチにしても、パンにバターやジャムを塗り薄い卵焼きを挟んだ程度の代物に過ぎなかった。
それでも、昭和1ケタの親は、昔はこんな贅沢なもの食えなかったと子供に言っていた。
コンビニで500円で温かくておかずが結構載った弁当を買える時代って、非常に贅沢なのさ。
だから食堂車や車内販売の競争力が減少したわけなんだが。 夏場の高温多湿の環境で、スペースが限られた食堂車で提供できるメニューって限度があるわな。
厨房が暑くなるから冷房搭載しなくてはならない。冷蔵庫などの電力消費もある。
特急以外、今でも冷房車があまりないというヨーロッパに比べると、日本は食堂車の営業に向かない環境だと思う。 【Jリーグ無観客試合】
女性専用車両も浦和レッズサポーター横断幕と同じONLY表示⇒男性差別/人権侵害
みんなで女性専用車両を批判しよう!
http://www.youtube.com/watch?v=Ei3ZuHjNMjE 急行型キハ58を用いた急行列車って前身が準急であったり、新設された支線〜中央都市間や亜幹線の急行が殆んどでしょ?
もともと食堂車が連結されていた訳ではないから、食堂車が無ければ無いで別に困る訳でもないよね…。 >>199
準急の多くはキハ26や55の登場で広がったようなもの
キハ58はより大型で居住性も向上させたので急行や今まで設定できなかった長距離路線投入を優先
だいたい大半の準急が急行になったのは昭和41年から
全く時代が違う 0系(主力)時代の繁忙期に、上り「ひかり」を京都または名古屋から自由席(1〜5号車)で乗る機会がけっこう多かった。
GWやお盆や年末年始の連休時期後半は当然のごとく着席は無理で、自由席は通路まで立ち客でビッシリ。
時には指定席数両にまであふれていることもあった。
そんな時は最初から7号車あたりに乗り、発車直後に8号車食堂車に直行。
30分ぐらい待たされることもあったが、そのあとはバカ正直に通路に立つのに比べれば、極楽のひととき。
たとえば、カレーライスのセットなら、各社1000〜1200円程度で用意され、コーヒー・サラダ付きでゆっくりとくつろぎながら食事ができた。
カレーとしてはやや高めながら、各社隠し味に工夫があったり、1200円の日本食堂のセットにはフルーツまでついたり、意外にリーズナブルではあった。 >>200
でもその時代のハムサンドのハムってボンレスハムだよね つ○イノリオ氏は、食堂車のカレーに恨みがあるらしい 利用者の価値観や感じ方でいいだろよw
世の中お前さんみたいなやつばっかじゃないんだよw >>174 >>202
皮肉にも当時は列車自体の乗車率が高くて食堂車、ビュッフェの利用者の回転が悪かったということか? 結局
混雑する自由席が主体の時代の食堂車やビュフェというのは
本来はこれらとは無縁な上等級車両客や指定席、寝台客を相手にしたもので
3等客などは弁当というのが当たり前だったはずが
高度経済成長時に出来た急行ビュフェはその棲み分けを無視したから失敗したんだろうな
自由席利用で席を離れるなんてありえない
もちろん人手不足や、急行から特急への国鉄の誘導や旅客の志向もあるけどね
153系でも10年ほど
その他の形式のビュフェでも15年ほどだったからね アタマでは考えていなくても旅客の行動様式がその傾向になっていたんだろうな
あの時代の急行は本当に混んでいたし、準急が統合されたので停車駅も多く客の入れ替わりも激しかったから
盗難が怖くて荷物を置いて食事に行くという発想が無かったな。 食堂車で集団食中毒が発生し、営業停止になったという話って聞かないな・・
「明治・大正・昭和の食堂車」という本を見たが、冷蔵庫等、食材の衛生管理に関する記載はなかった。
戦前でも、刺身といった生物が提供されているんだが、氷冷蔵庫でも使っていたんだろうか?
夏場は提供しないようにしていたのだろうか? 自己レスだが、マシ35など氷冷蔵庫と石炭レンジの組み合わせなんだな。電気冷蔵庫と電気レンジを搭載してみたが、保守管理が大変なので時代に逆行するけど従来の設備に変更したようで。
氷冷蔵庫だと、列車が遅延して氷が無くなったとき、中の食材をやむなく廃棄していたのだろうか? 特急自由席に乗った時も、結局停車駅の間が長い区間を考えて食堂車に
行ってたなあ。 ファンの鉄道旅行というのは空腹だから行くというより
「食堂車を利用する」のが第一のようなイメージがあったし。
北海道しかり、東北しかり、北陸本線もそうだった。 >>214-215
食材調達のこと考えたら料理の内容自体多分に日替わり、条件次第なところもあったと思われ
あと氷冷蔵庫の予備氷自体は積んであったそうだし食材含めて途中駅での補充も不可能ではなかったかと >>214
昭和30年代に帝国ホテルが営業していた列車食堂が食中毒で休業したと
社史に記載有り 当時の世代の方々はノロやO-157にも耐えるように常日頃から鍛えられていたんだよ >>219
最近の人間は免疫力低下してるからな
アレルギー疾患が増加したのは寄生虫がいなくなったからという説がある >>220
プロポリスの一件で書類送検されちゃいましたね、その学説を唱えてた人 昔は生野菜もあまり食べなかった。寄生虫が怖いから。刺身など生ものは時期限定。
野菜等、食材の業務用缶詰、瓶詰を活用していたのかも。厨房が狭い食堂車には適している。 食堂車は調理時間短縮のために半分作っておいた食材を搭載していると聞いた事がある
しまかぜだと厨房が狭く冷凍食品積んでレンジでチン程度しか出来ないだろうな
本格的な厨房があるのはキハ110系東北エモーションとかななつ星とかあるが 戦前から半加工品は軍隊含めて結構用いられているよ。
客船と異なり食材を途中駅で補充、交換することができるが、厨房が狭いからなるべく多様なメニューを提供するには半加工品の活用が不可欠でしょ。 半加工品や食材缶詰を馬鹿にしちゃいけない。
今でも業務用スーパーで、レストラン用の食材の缶詰が売ってたりする。
味や風味は保証されている。 >>223
しまかぜの厨房は一応調理スペースもあるし
ご飯も車内で炊ける 車内でご飯焚けてもしまかぜじゃカレーとうな重だからなあ
カレーソースやタレでせっかくの炊き立てのメリット半減
松坂牛カレーは食べたことあるし辛さが物足りないけど
それはそれでうまいとは思うけどさ・・・ 博多あさかぜの桜御膳はよかった。九州らしい筑前煮に鶏の照り焼き、揚げたての天ぷら盛り合わせ。
予約制のうえ冷めた懐石膳しか出てこない北斗星やトワイライトと違って、予約不要で食べられるのだからとてもありがたかった。
魔改造のスシではなくオシ24だから、天井も高くゆったりしていてオリエント急行風の内装も素晴らしかったな。 >>228
カレーやうな重こそ炊き立てのご飯で食うべきものなんだぜ
自分でカレーやうな重作った奴なら納得するだろ
それ以外って単にカレールーのスパイスやうな重のタレの濃さで誤魔化しているだけ 温かい物は温かいうちに、熱い物は熱いうちに、腹一杯好きな物を好きなだけ注文して食える…。
我々が邂逅する食堂車のよき時代…、ヤッパこれに尽きるよな。 天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。 日本一うまい近江米はもうくえない 汚染された琵琶湖の水が原因 トッキュウジャーで、メンバー全員が弁当旨そうに食ってるの見ると、
「ああ、もはや食堂車なんざ過去の存在なんだなあ」と悲しくなる。
電王の時はまだ食堂車だったのにな・・・。 食堂車があるのに寝台車が連結されてなさそうな架空列車、例えば銀河鉄道999。電王もシンダイシャーが出てこない。 >>235
999は設定が二転三転するので怪しいところもあるが寝台か個室らしいものがある描写もあった 映画版のエメラルダスが乗り込んでくるシーンで
怯えた乗客が個室から顔を出して様子をうかがってる描写があるね マカロニグラタンの崩壊って話では、機械人間の兄弟が
「寝台車で休むか」と会話をしているぞ 出雲市行き特急「やくも3号」のキサシ180で焼き肉定食を食ったな。
新見をすぎたあたりから利用したが、それほど混んでなくてゆったり
食事が出来たのを覚えている。 >>240
やくも出雲まつかぜ共通のオリジナルメニュー「大山おこわ定食」を食べたかった そんな特急やくものキサシ180もやがて編成から外され、
境線の大篠津(だったかな)の側線に置かれ、
最終的には地元解体業者に引き取られてうず高く野積みされた解体待ちのクルマや日の丸バスたちの土台になってたな。
昔、遠足で弓ヶ浜に行ったら、観光バスの車窓から解体業者の敷地にキサシ180が見えた時はさすがにビックリしたわ。 廃車時期が国鉄民営化と同時(=清算事業団行き)だったら、今話題のトワイライトエクスプレスや北斗星の食堂車の種車になってたかなぁ?<キサシ180
やくも運用離脱からの期間が長いと状態不良で結局種車から外れたかもだが。
なんでキサシじゃなくわざわざサシから改造?、と長年の疑問だったんだが、連結器替える手間が減るだけか?? >>245
サシの連結器は密着、キサシの連結器は密着自連だから、キサシの方が交換しなくていいんじゃないの? >>246
書き方悪かった。
キサシ:密着自連だが運用離脱82/06
サシ:密連だが運用離脱85/03
改造の手間より車両の状態を優先したのかな、と。 そう考えるとキサシ180と、サシ581は非運の食堂車だったな。 >>250
キサシとキシは気動車の仲間
キサシ 走行用エンジンはないけど電源用エンジン搭載
キシ 走行用と電源用エンジン搭載
サシ 電車の仲間、電源は電動車からもらうので、モーターとかエンジンは付いてない むしろそんなことを聞いてくるような人が
何でこんな板を覗きに来てるのかのほうが不思議だ >>251
キサシ180は完全な付随車じゃなかったか?(発電用エンジン無し)
だからこそ、引き通し弄れば簡単に客車化可能だったろう、と。 >>253
すまん
ご指摘の通り、キサシ180はキハ181からの他車給電だね
加えて調べたら、キサシ80自車給電、キシ80はキハ82からの他車給電だわ ID:KVaPpqhqは、路車板の質問スレに行ってくれ。
質問を小出しにされると、「え、そこから?」、としか言えない。 >>257
質問攻めで困る事例を経験したことあるやろw >>251
気動車は走行用エンジン搭載が基本だから動力なしはクかサを表記する必要
があったてことでは? まつかぜのキシ80に乗った時、純白のテーブルクロスに対し、
薄汚れた内装材と椅子がいかにも経年の高い車両だなとわかる状態だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています