【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
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かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/ >>101
私鉄では東武DRCと近鉄スナックカーが電子レンジを搭載 >>84
グリルチキン定食が懐かしい!
何時も売切で、車掌に言って予約してもらった記憶が! 静岡の元ビッフェの寿司職人だった人の店へ行ったことのある人はいますか? 列車食堂の調理人が列車を降りて調理をすると感覚が狂う人がいるらしいなぁw
何でも揺れていないとか、ジョイントのリズムがないからとかで。 >>106
それでは初期のチキン弁当の立場が・・・ >>98
いくらセントラルキッチン化された現代とはいえ
カシオペヤ・北斗星のフルコースを時給1.050円のバイト君が調理するなんて・・・
宇都宮さんが聞いたら泣きそうな話だね(´・ω・`) >>108
昨日のリアルスコープでトワイライトの食堂車を取り上げてたな
ちゃんと車内でステーキとか焼いてフライ物は油で揚げて調理してた >>109
FSNで活躍してる在来線の列車乗務員の1クルーでした。
オレも駅食勤務じゃなく、列車乗務でおれたらなあ・・・
(にっしょく→JWR→FSN)元社員より >>109
まぁトワの食堂車は8年前にスタッフを完全に入れ替えたからな。 >>111
スタッフの完全入れ替えと>>109とどういう関係があるんだ? しまかぜも食堂車あるんだが客室は2階建てだが厨房が非常に狭いな
まさかレトルト積んで電子レンジでチンとか?
料理が出来上がるスピードも速いし
新幹線0系のビュッフェも電子レンジ搭載だったとか 「まさかレトルト積んで電子レンジ(ry」って…。
今時、電子レンジもないビュッフェや食堂車があるかよw
それともコンロ、グリル、蒸し器、フライヤー、茹で麺器etc一式積むか?
それが難しいから電子レンジを使ってレトルトや冷食、半完製品を加熱、解凍するんじゃない?
今の時代、レストランや料亭、寿司屋、手作りを標榜する店でも電子レンジは使うでしょw
列車食堂の食事にそこまで高いクオリティを求めるか? 0系のビユッフェの電子レンジは、凄くでかかった。鰻弁当作る時、良く使ったよ。 >>112
Dプレヤデスクルーに金絡みの不祥事が発覚。
かなりの人数が連座しとったと記憶。 何?「しまかぜ」に専属のシェフ乗ってないのか?
それならファミレスと変わらんやん 専属のシェフ
軽食しかメニューがないのに
おねーちゃんですら時給待遇なのに 今はグルメブームで、特別な列車にしか組み込まれない食堂車に要求されるものは、ある意味、非日常的なクオリティの
高いものになっている。昔みたいなハンバーガーやカツレツ、カレーライスみたいなものだったら、狭く限られた厨房で
一から十まで専属のコックがいて提供できたかもしれない。
ところが今は、フルコースだの懐石だのと昔のような料理と全然違う。手間もかかれば時間もかかるし、人手もかかる。
しかし食堂車の限られたスペースや設備でこれをやろうとするとなると、予め用意した冷凍食品、チルド食品、半完製品を
使わないと先ずは無理。そうなると、それらの製品を使うのであれば、別に専属のシェフやコックはいらなくなるって事。
別に時給ナンボのアルバイトでもイイって話さぁ。 非正規労働者で置き換えるのは、事業を縮小orやめちゃう前フリ?
どっかの携帯電話の直営ショップみたいだな。 食堂車も食品衛生法が適用されていたと思うが、どこの保健所に申請したのだろうか?
食品衛生責任者は誰が選任されていたのだろうか? >>119
ちなみに新幹線ビュッフェでも臨時列車などで要員が確保できない時は
アルバイトだけで回して車内で鰻弁当とかをつくっていたぐらいだから
今さら感満載だけどね。
>>121
営業会社の拠点(支店)管轄の保健所
乗務員もしくは地上勤務の責任(担当)者 トワイライトの食堂車の保健所からの許可証は発行責任者が
大阪市長名になってるけど、まだ平松邦夫氏の名前だったな
全検出場したばかりのスシ24 1だったら橋下徹氏になってるかと思ったんだが >>122
と言うことは昔の新幹線食堂車みたいに複数社が担当してると各社の許可証が貼ってあったのかい? ニッポン放送夕方のニュース番組ニュースアップの提供が
「旅のレストラン日本食堂」だった。 通り抜けるだけなのに食堂車入ったら「いらっしゃいませ」て声かけられた >>121
昔、東武のDRCのビュッフェに掲げてあったが、営業場所に関しては車号の「モハ1752」で届け出てあったね。
届け出保健所は…、見ておくべきだったなぁorz ○2以上の都道府県にわたって営業を営む列車、自動車、船舶等の食堂の取扱について
昭和 28 年8月29 日 衛発第674 号
営業許可について
1 列車、自動車、船舶等の食堂に対する営業の許可は、当該列車、自動車、船舶等の食
堂の受持事務所所在地を管轄する都道府県知事(保健所を設置する市にあっては、市長。
以下同じ。)のみが行うものとする。
2 受持事務所所在地に変更のあったときは、新たに許可を要するものとする。
3 列車食堂等において、臨時に短期間他の管区に配車される場合の如きは、その都度許
可を必要としないものとする。 適当なものが見つからなかったので、これを貼っておく。
東京都板橋区列車内乳類販売の営業許可等に関する取扱要綱
(2)食品営業許可申請書の1、営業所所在地の項には、次のアに掲げる事項、2、営業所の名称、屋号又は商号の項には、次のイに掲げる事項をそれぞれ記入し、また3、営業設備の大要の項に関して次のウ、エ及びオを掲げる書類を添付するものとする。
ア 当該列車の乳類販売施設を受け持つ事務所の所在地
イ 前記受持ち事務所の名称並びに当該食堂車の車輛番号又は列車名及び列車番号
ウ 営業設備の大要ならびに営業施設の平面図
エ 当該列車の運行区間等を記載した書類(別記1号様式の1)
オ 当該列車内販売乳類の保管場所を記載した書類(別記1号様式の2) とあるサイトでみたのですが、787つばめの営業許可証の写真より、
食品衛生法第21条または福岡県食品取扱条例第5条の規定により、次の通り許可します
屋号 サハシ787−4(つばめ)
営業所所在地 列車内(博多〜西鹿児島・博多〜宮崎空港)
サハシ787−4内
営業者住所 福岡市博多区 博多駅前三丁目25番21号
営業者氏名 九州旅客鉄道株式会社 代表取締役 田中 浩二
業種及び許可番号 飲食店営業 福博保衛第8020324号 つまり食堂車の営業許可は
営業者(食堂会社、直営の場合は鉄道会社)が
その受持ち事務所を管轄の保健所に届け出て
列車または車輛ごとに許可を受けるってことだな。
>>124
列車ごとに会社が決まっていたからその会社の分だけでしょ。
車輛は運用によって日々入れ替わるわけだし。 新幹線食堂車で列車ごとに食堂会社や担当支店が決まっていたのは
人員や設備などの営業上の運用だけでなく許可も絡んでいたのか。 1970年(大阪万博閉幕後)の近鉄特急スナックカー(みやこコーナー)のメニュー
trolley.blog78.fc2.com/blog-entry-178.html
├blog-imgs-62.fc2.com/t/r/o/trolley/miyako_corner1.jpg
└blog-imgs-62.fc2.com/t/r/o/trolley/miyako_corner3.jpg
※テトラパック牛乳って三角パックのだろうか?
ほぼ同時期の国鉄列車食堂のメニュー
blog-imgs-62.fc2.com/t/r/o/trolley/menu_0470.jpg
※車内ワゴン販売での駅弁販売は食事時間帯限定だったのだろうか? >>130-131
サロンカーなにわ等にビュフェカウンターが有ったが、団臨で区間が定まっていない時はどうなのだろうか?>営業許可 >>134
ですから>>128に書いてあるじゃないですか。 賄い飯として食うならともかく
普通に食ってもうまくないでしょ 炊きたてご飯に目玉焼きと福神漬を載せたやつだったか・・・
確かに微妙w
阿川弘之著「軍艦長門の生涯」では早番の当直は懇意にしている主計科員に頼んで
「飯盒に炊きたての麦飯に油揚げを刻んだのを載せ、福神漬けを少々を入れてもらい
醤油を掛けて掻きこむ朝食前の軽い朝食がこの上なく美味かった」とあるがこれも
微妙 >>136
鉄博行って食ってこいよ
まあがっかりするだろうけど しかもあれは豪華過ぎなんだっけ
二階のレストランも店名がTdで分かる人にはわかるネーミング >>138
海軍の場合は、猛訓練の毎日で、3食ちゃんと食事を取れても、常に空腹だったという
話を聞きましたし、うちの親(海軍の少年兵でした)も、「いつも空腹だったなので、麦飯
に質素なおかずでも、美味しく食べた」と、生前話していました。
多分、我々が思うより、実体験では美味しく感じたんんじゃないでしょうかね。 >>109
電気コンロの上でフライパンでステーキってテレビ向けだったりしてな
あの番組自体が電通臭してるし 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q >>145
ちゃんと食えるものが焼けるがアホほど時間が掛かる
そのお蔭でホットケーキを焼いてくれた彼女のパンツを目の前で拝むことが出来た良い思い出 >>144
20年以上前(東持ち食堂車が緑の椅子4列の頃)の北斗星特番なんか
ステーキを焼くときフランベしてたぞ >>138
そういうのは状況にもよるだろ。
不自由な環境下でこっそり特別に食べるからうまいわけであって。
かなり腹減らしてたら元がまずい料理でもうまいのと似たようなもの。
献立だけ抜粋したらそりゃ美味くはないだろ。 トマムサホロEXPのキシ80-501って、
ちゃんとした食堂車として使われたことってあんの?
厨房の設備はすごく立派だったらしいけど。 >>157
酒、ジュース、おつまみ、お菓子、たばことかです。 >>155
札幌グランドホテルが委託営業していた頃が有った >>156
サンクスコ。
宝の持ち腐れだったんだな〜。
ろくに使いもしない設備にカネをドーンとかける。
まさにバブル。
>>159
どんな料理を出していたか分かる? >>159
25年程前、札幌〜トマムでカレーだったか食った。驚くほど値段高くはなく、美味かった記憶がある。ただガラガラだった。 札幌グランドホテルはチョコがうまいんだよね
・・・なんて日の前日になんてことを思い出すんだか >>155
トマムサホロEXPからも真っ先に編成から外されたのはキシだったしな。 東海道新幹線100系グランドひかりの食堂車で2度食事した
事があるのがいい思い出。2度ともカレーライスだったけどw
後0系のビュフェでもカレー喰った。 おおとりの食堂車にホッケ焼きがあった。つい昼間からアルコールも追加注文してしまった。 昭和51年10月号の鉄道ジャーナルの「急行ビュッフェのサービス拝見」という特集に出てくる下り信州1号の
売り上げで「全部で2万6千円くらいかなあ・・・、これじゃやっていけませんョ・ホント」と従業員の記事が
のっていたけども、38年前の物価で1個列車の売り上げがこれだけあれば上場でしょう、採算とれるのでは?
今じゃ車販でもこんなに売り上げ出せないでしょう? 当時は今ほど食品添加物とか保存技術が進んでないだろうから
却って採算ライン高いんじゃないの? 昭和40年代〜50年代はかえって添加物だらけじゃい
>>169
今の新幹線の東京〜新大阪一本平均らしい C制の他社払い戻し、変更が出来るようになりました。
https://twitter.com/imadegawa075/status/325744623614046208/photo/1
払い戻し特典がなくなったことを見ると、JRカードも近いうちにオレカ、周遊きっぷと同じ道を辿りそうな気がする。
良くリンクを見るとJRカード以外での払戻は裏技な件…。。。
プロ駅員やプロ乗務員で無いと_な可能性。
ちなみに、えきねっと・EX予約・5489の払戻の裏技実装や、各社(四国除く)のハウスカードでの払戻裏技はいつ出来るようになるんだろう?
JRカードのメリット
JRのどこでも変更・払戻可能(国鉄が分割された現在、出張族には重宝)
ものによってはエクスプレス・J−WESTよりも還元率が高い
JR系ホテルに安く泊まれる(ネットのほうが安いか) 三井住友のJR・GOLDカードは、条件付きだが、年会費4,200円だな。
東京在住で静岡によく出かけるんだが、JRカードは便利。 東日本で買っても東海で変更払い戻しが可能。
三井住友JRカードにしてみては? ここはマスターとデュアル持ちが可能。
http://crefan.jp/2929.html
http://crefan.jp/2930.html
個人がもてる未だに発行している希少なカードです。
申込は、三井住友カード入会案内デスクに電話して申込用紙を取り寄せました。
(メールでの問い合わせ、申込用紙の取り寄せ依頼もしましたが返事が1週間後と遅いので電話の方が早いです)
入会案内(パンフ)を見ますと、ゴールド(VISA)、一般(VISA・master)と3種類あります。
ゴールド(VISAしかない)の年会費10,500円、一般VISAかmaster1312円(一般の両方持ちは1,574円で2種類持てる)
鉄道系ではToMeカードが一番だな。地下鉄に乗るだけでもポイントが溜まるし。
JR各社のカード餅だが冬の北陸出張時は専らJRカードだな。JCB、DC、UFJは募集停止
http://img.tabinohajiwokakisute.net/20100418_1549503.jpg
http://tabinohajiwokakisute.net/?eid=324
全国を飛び回ってる身としては、6社どこでも変更払戻が出来るのは魅力です・・・。
JRカードだったら、どこのJRのみどりの窓口でも、買った切符の払戻や変更ができるんじゃなかったっけ?
ほかのクレジットカードだと、購入した会社のみどりの窓口でないと払戻などが出来ないし。
大雪で大幅に遅れた経験が何度かあるが払い戻し制約がない安心感は大きい。
JRカードはいつまで続くのかな。JR各社は全く宣伝していないし、メリットも少なくなってしまった。
全国でJRカードを使っている人はどれくらいいるんだろうな。JRカードはワイルドです、JR各社みどりの窓口で払い戻し可能
JRカードは良いよ。普通カードなら年会費無料にもできる。しかしJRカードをわざわざ選んで持った奴って真の鉄ヲタだよなあ
ネットが普及した現代これだけ情報が少ないって、鉄も見向きしてないってことだし
そうか・・・国鉄の遺産がまた消えてゆくな。 JR6社共通商品ってそんなに疎ましがられる存在なのかねえ
どんどん客は不便になっていく
こうなると、次は青春18かねえ。青春18よりもJRカードの方が先の気がする。
JR VISAカードの資料請求をしたら、申込の動機や年齢職業を聞かれた。
ただ資料請求するだけなのになぜだろう??JRカードも、いつまでもつことやら
JRカードの払戻(OR変更)時のメリット以外、存在価値がかなり薄くなったな。これは近いうちにJRカード廃止かな。 全部で2万6千円
当時の幕の内の価格から考えても
ビュフェの平均単価をかなり多めに見積もって500円としても50人強だろ?
市中の立ち食い蕎麦よりかなり高めにした250円でも110人強
客室10両連結としても2割以下の利用率
利用率悪すぎ 昭和40〜50年代初頭の東北、上信越、中央本線の急行は平日も含めて常に車内が混みあっていたのに
ビュッフェ利用率が>>173氏の計算のように低かったのは何故だろう?混みすぎてビュッフェでまで
移動するのが面倒だったのか?それともグリーン車じゃない限り、下手にビュッフェで食事取っている
時に他のお客に座席を横取りされるのを嫌ったために座席で弁当を食べる習慣が定番になったのか? >他のお客に座席を横取りされるのを嫌ったため
ああ、これはあるかもね
まず座ることが第一で座ったら混雑する列車内を移動しようとは思わないし
急行は指定席そのものが少ないから混雑の中では席を空け辛い
荷物の置き引きもあるし
だから当時はトイレの利用だって最小限にしていたし
ビュフェも安くはないし急行は米飯メニューも少ない
だから売りに来る駅弁の方がマシかな? つ「峠の釜飯」
カレーが300円で山菜そばが250円くらいだったかな。
駅で食べればカレー200円で山菜そばが150円くらいか。
ビュッフェは割高感あったからね。
俺は雰囲気が好きだったから極力利用するようにしていたが。
駅弁の中でも比較的割高な釜飯でも250円くらいだったし、
当時は安いコンビニ弁当なんて無かったからみんな駅弁だった。 伯備線やくもの冬場の食堂車。雪景色見ながらほとんどの区間を食堂車で飲んでたな。 どこでも食べられる、そして決しておいしいわけでもないメニューを
ボッタクリ価格で出していた日○食堂の殿様商売が衰退の原因。
列車の中でしか食べられない特別感あるメニューを開発できてたら、衰退しなかったかもしれない。 >>179
東京〜大阪のような長距離長時間を走る電車急行が無くなったこと
電車以上の長距離を走る気動車急行にビュフェすら無かったので
急行に供食設備が必須という概念が薄れた
急行利用のハードルが下がり自由席が主体で混雑する中、ビュフェで食事をするメリットが無かった
急行の場合はこの3つだろうな
もしキハ55や58にビュフェが連結されていたなら列車内供食の概念や方針にも、今とは違う影響を与えたと思うよ 自由席が当たり前になって、食堂車から戻ってきたら
座る席が無くなってた、という状態が大きいかも。
じゃあ椅子に座って待っていればいいかというとそうでもなく、
在来線、凍解に続いて酉も車販縮小に大鉈を振るってきた。
車販だとタイムリーに本当に欲しい品が手に入りにくかったのかな? >>181
昔は欲しい品云々より
とりあえず車販で手に入れられるものから選ぶという発想
昔は車内どころか一般商店ですら物品は多種豊富ではなかった >>183
全然違うぜ
弁当とかは今も変わらんが
つまみや菓子が今のような形態やラインナップになったのは
世の中にスーパーマーケットが普及して以後の話
加工食品と言えばカマボコとかものすごく貧相なレベル >>180 気動車急行がビュッフェ連結するほどの頂戴編成で、分割併合なしで運転されることが少なかった。
それに、エンジンなしの付随車とすると、勾配の多い路線の運用ではお荷物となる。
分割併合なしで秋田まで行くDC急行「おが」があったか・・でもキハシつけたら板谷峠越えがもっと悲惨なことになるだけだな。 半室式のビュッフェ付気動車車両を造るとした場合、エンジン1台つけるとしても、それとは別に発電用エンジンや水タンクをも搭載しなくてはならない。
キシ80のように座席定員を減らさなくてはならなくなる。エンジン2台付きのキハ58でも165系等の電車急行に比べ加速度でかなり見劣りがするというのに、拍車をかけるだけ。 急行型電車のビュッフェの全盛期って冷房目当ての利用も結構あったんじゃん?
仮に急行型のキハシを計画するならビュッフェ部分の冷房化は不可避だよな。 >>179
ぼったくり言うけど、つまりは自由席券で居座る旅客のコストが転嫁されていた面もあると思うよ >>185
初期の白鳥だって分割併合前提で食堂車2両だぜ
急行料金を別徴収(まだ下位の準急がある時代)して利用率も高かった
既にキシ80があったのだから動力付きビュフェというのも不可能ではなかった
特急と同じエンジンで差別化が出来ないのだから電車に見劣りするのは当たり前だし、特急未満の性能になるのはある意味願ったり叶ったりw
昔の気動車って所詮は「電車もどき」なんだし
要するに急行以下は食堂車の分を輸送力に充てるという方針だったという事
だから食堂車というムダスペースを付けなかっただけ >>189 特急よりも停車駅多く、加減速操作をより多く必要とするんだぜ。
基本性能は80系と同じだろ。 >>189 途中停車駅がそう多くなく、窓の開かない昼間特急に6時間以上乗ることが当たり前だった。
駅前で温かい弁当や飲み物を買って乗り込んでも、数時間たって食べようとする頃には冷え切っている。
新鮮なサンドイッチやおにぎりを売っているコンビニは存在しなかった。
全席指定席だから、食堂車まで移動するのは割と楽。そんな状況だったから、食堂車の需要があったのだろう。 比較対象は海外やで
そもそも店の選択肢がそこまで多くないくて乗車時間も長いから食堂車の需要がある 昭和50年代は当然コンビニ無し、売店は駅弁以外ご飯もの無し。
三色ぱんやドーナツ、ポテトチップスで空腹をしのいだ。
一番安心できたのは駅そば。 >>191
基本性能が同じだからこそ空調などの設備が最初からついていた特急型の方が不利だったのさ
加減速操作が多いといっても優等は通勤電車みたいに高加減速は必要としない
>>192
食堂車の供食数って多寡が知れているよ
36.10時代の気動車特急(大ムコ)って2等4両(2両は先頭車)1等1両、食堂車1両だぜ?
特急は停車時間が短く窓も開かない
客層も裕福な人が多い
食堂利用は当たり前
だからこだまのような長大編成の下等客の多くはビュフェと弁当利用が前提
それから当時は弁当どころか家庭でも冷や飯を食べるのが当たり前の時代
冷や飯を食べることに抵抗なんてない
家庭で保温ジャーなんて昭和40年代以降の普及
サンドイッチは駅弁として戦前からある
冷えていることが前提だからある意味作る方も食べる方も気楽(値段は気楽ではないが) サンドイッチにしても、パンにバターやジャムを塗り薄い卵焼きを挟んだ程度の代物に過ぎなかった。
それでも、昭和1ケタの親は、昔はこんな贅沢なもの食えなかったと子供に言っていた。
コンビニで500円で温かくておかずが結構載った弁当を買える時代って、非常に贅沢なのさ。
だから食堂車や車内販売の競争力が減少したわけなんだが。 夏場の高温多湿の環境で、スペースが限られた食堂車で提供できるメニューって限度があるわな。
厨房が暑くなるから冷房搭載しなくてはならない。冷蔵庫などの電力消費もある。
特急以外、今でも冷房車があまりないというヨーロッパに比べると、日本は食堂車の営業に向かない環境だと思う。 【Jリーグ無観客試合】
女性専用車両も浦和レッズサポーター横断幕と同じONLY表示⇒男性差別/人権侵害
みんなで女性専用車両を批判しよう!
http://www.youtube.com/watch?v=Ei3ZuHjNMjE 急行型キハ58を用いた急行列車って前身が準急であったり、新設された支線〜中央都市間や亜幹線の急行が殆んどでしょ?
もともと食堂車が連結されていた訳ではないから、食堂車が無ければ無いで別に困る訳でもないよね…。 >>199
準急の多くはキハ26や55の登場で広がったようなもの
キハ58はより大型で居住性も向上させたので急行や今まで設定できなかった長距離路線投入を優先
だいたい大半の準急が急行になったのは昭和41年から
全く時代が違う 0系(主力)時代の繁忙期に、上り「ひかり」を京都または名古屋から自由席(1〜5号車)で乗る機会がけっこう多かった。
GWやお盆や年末年始の連休時期後半は当然のごとく着席は無理で、自由席は通路まで立ち客でビッシリ。
時には指定席数両にまであふれていることもあった。
そんな時は最初から7号車あたりに乗り、発車直後に8号車食堂車に直行。
30分ぐらい待たされることもあったが、そのあとはバカ正直に通路に立つのに比べれば、極楽のひととき。
たとえば、カレーライスのセットなら、各社1000〜1200円程度で用意され、コーヒー・サラダ付きでゆっくりとくつろぎながら食事ができた。
カレーとしてはやや高めながら、各社隠し味に工夫があったり、1200円の日本食堂のセットにはフルーツまでついたり、意外にリーズナブルではあった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています