X



●画期的と不運の63系・72系・73系●2両目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001クハ79形
垢版 |
2012/12/18(火) 22:18:04.69ID:9e3UNLjX
戦時体制下の輸送力増強を目的に開発された電車であるが、
21世紀の現在に至るまでの旧国鉄からJRを始め、
大手私鉄でラッシュ輸送に広く用いられている「全長20m、片側4扉」
通勤輸送向け大型車体を本格採用した最初の電車として、
日本の鉄道史上画期的な存在であるにも関わらず登場の経緯から、
極めて粗悪かつ不完全な設計であり多くの犠牲者を生じさせた、
桜木町事故では設計の欠陥が被害を拡大させた63系。
「皆殺し電車」「殺人電車」「ロクでなし電車」とも揶揄された。

1951年以降安全対策・体質改善工事を実施して改称したグループ、
及び戦前製20m級2扉車(32系、42系)の4扉化改造車を含む、
72系電車(新製車)を含む63系改造編入車の72系73系を語るスレです。
0002回想774列車
垢版 |
2012/12/18(火) 22:19:04.43ID:9e3UNLjX
63系登場の経緯
第二次世界大戦末期の1944年、戦局も敗色濃くなる中、
兵器生産へ人員を動員するための通勤輸送用として、緊急に開発された。

最初に木造車の改造(鋼体化)名義で「クハ79形」制御車が竣工し、
追って「モハ63形」制御電動車及び「サハ78形」付随車が製造されたが、
終戦までに間に合ったのはクハ79形7両、モハ63形14両、サハ78形8両だった。
本格的に量産されるのは終戦後のことであるが1950年(昭和25年)までの間に、
実に688両が量産され、戦後復興の一翼を担った。
0003回想774列車
垢版 |
2012/12/18(火) 22:19:36.69ID:9e3UNLjX
63系構造
車両の最大長は従来車と同じく20mとされたが連結器長を縮めて
車体長を19.5mに延長し収容力を増加させた。
また、幅1000mmの片開き扉が片側4か所に設置された。
満員に詰め込んだラッシュ時の換気に配慮して屋根には、
太い煙突状の筒に覆いを被せた形の大容量のグローブベンチレータを装備したほか、
前面上部にもベンチレーターを設けた。
また換気促進およびガラスの節約を目的として側面の窓は3段に区切られ、
中段は固定、下段と上段がそれぞれ開けられるように作られた。
ガラスの節約のため窓の桟を増やした車両もあった。
全体的には「戦争に勝つまでの間、数年保てば良い」という設計思想のもとに、
資材を可能な限り極限まで切り詰めた設計がなされた。
車端部の形状も工作の簡易化のため単純な切妻構造とされた。
雨樋も省略され、代わりに扉の上部に水切りを設けた。
また、鋼材の節約のため外板は在来型電車より薄い1.6mm厚とされ、
施工に手間の掛かりカーバイドや酸素を消費する歪み取り措置も行われなかった。
車体下部の台枠部分の外板も省略され、台枠側面を露出させている。
0004回想774列車
垢版 |
2012/12/18(火) 22:20:56.18ID:9e3UNLjX
電装品も一部が省略されたり極めて粗悪な代用品が使用されるなどしており、
特に絶縁関係の脆弱さは後に桜木町事故の要因となるなど問題の多いものであった。
内装においても通常の車内の内張りが省略され、木造の屋根には骨組みが露出しており、
照明はカバーも全くつかない裸電球であった。
また最初期の車両については座席はドア脇の床に置かれるドアエンジンを覆う部分以外には
ほとんど設置されず、布地も張られていなかった。
さながら当時の民家同様、ほとんどバラック同然な車体であった。
また当時は電装部品が不足していたため、運転台付きの電動車として計画されながら、
床下に主電動機や主制御器などの電装品がない状態のまま制御車扱いで運用に入った車両も多かった。
さらにひどい場合は電装品どころか運転台に装備する主幹制御器やブレーキ制御弁などの,
機器もないため付随車扱いの状態で運用に入った車両さえあった。

終戦後の混乱が次第に落ち着き資材不足が収まってゆくにつれて、
内張りや座席も整備されていった。
1948年(昭和23年)から座席の座面に布を張り照明はグローブ付きに扉は鋼製になった。
1950年に63形として最後に製造された4両(63855 - 63858)は雨樋が付き、
屋根の水切りと前面上部のベンチレーターがなくなるなど、車体構造の面では戦前の水準まで回復した。
0006回想774列車
垢版 |
2012/12/19(水) 08:34:28.31ID:GJlx/z6S
まぁ980レス超えてたから仕方ないね
おちゅ
0007回想774列車
垢版 |
2012/12/19(水) 16:28:22.09ID:UVIren4e
980越えたら半日ノーレスであぼんとは初めて知ったよ。
0008回想774列車
垢版 |
2012/12/20(木) 10:49:01.09ID:RHZIwVq0
前回、クモハ73043+クハ79939で終わったのだけど。
何でこんな事書いたのだろう。
0009回想774列車
垢版 |
2012/12/20(木) 10:55:46.75ID:DsemNHP3
富山港線の話題の中で出てきた
0010平安京(ry  ◆Mb6qKzyvcQ
垢版 |
2012/12/20(木) 11:05:09.32ID:93u/tsfK
富山港線でクモハ40の代替に入ったのがクモハ73・2輌とガセ書いたのがいたから。
0011回想774列車
垢版 |
2012/12/20(木) 13:13:02.08ID:6vFb4UgC
この板には息をするように嘘をつく平戸ボボもいるからな
0012回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 08:23:44.26ID:hrVd5IlH
ブルーの全金玉車もクハはやはり木の運転室ドアだった?
新潟地区の70系もだが、「雪が入るから替えろよ!」はなかったのだろうか。
0013回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 09:06:29.57ID:kB8lZh1+
私鉄向けの分も造られたわけだが、鉄道省のロクサン配給計画とは別に、独自に20m4ドア通勤車を量産配備しようとしていた私鉄って無かったのだろうか?近鉄なんかどうなんだろう?関東の私鉄は、まだ早すぎると思っていたかも?
0014回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 10:30:13.29ID:hi65IgZf
車両製造能力の不足でお上が一括コントロールしていたからねぇ…
0015回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 11:10:38.41ID:bjm0kNZ7
既存車の修理もままならないご時勢に、量産もなにもないだろうに。
地方の小私鉄なんかは、車両不足で無蓋車にロープ張って客車扱いしてたくらいだぞ。
0016回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 13:50:44.92ID:C09pl5kb
民鉄向けの運輸省標準型に4ドアはなかったですね
0017回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 18:41:13.58ID:Eh3rTMIw
戦前戦中に20M車を入れていた会社は
南海と近鉄だけだった。
そもそも20M4扉という発想すら無かったのだろう。
0018 【東電 89.7 %】
垢版 |
2012/12/21(金) 18:46:08.63ID:xdQrxWYe
四ドア自体はつるりんにいましたね。
0019平安京(ry  ◆Mb6qKzyvcQ
垢版 |
2012/12/21(金) 19:23:35.98ID:2agWOaxU
新京阪線向けのモハ63割り当ての話があったらしいが、実現していたらどうなっただろう?
名鉄向け同様、早々に放出されたか?
0020回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 21:01:06.23ID:Eh3rTMIw
>>19
山陽と同じく異端車として10年程京都線で運用。
その後1600系と同じ車体に更新、他系列と混結出来ない
独自運用で嵐山線、千里線にも入線。
0022回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 23:23:05.83ID:tDRlXJzz
そのあたりの事情、詳しく知らないんだけど
新京阪線ってそんなに戦災の影響受けたの?
P6が多数廃車になったとか聞いたことないような

ロクサン入れて玉突きで他線への車両補充というのも難しそうだし
京阪神急行全線レベルで戦災被害車続出→割当てを受けるもロクサンを入れられるのは新京阪線のみ
→だから辞退した、ってこと?
0023平安京(ry  ◆Mb6qKzyvcQ
垢版 |
2012/12/21(金) 23:33:26.74ID:2agWOaxU
>22
神宝線の戦災被害(特に神戸大空襲)が大きかったから、小型のデロ10あたりを
モハ63で押し出せばいい、という提案?のようなものがあったのかもしれん。

阪急のプライドが許さず受け入れなかった、とホントだか冗談だか判らん記述を
見た事はあるが、投入が流れた正式な理由は見た事がない。
0024回想774列車
垢版 |
2012/12/21(金) 23:36:06.29ID:SReDam3Y
>>23
目蒲の木造車だの、加越能の客車なんかを入れていた同社がプライド・・・というのも関係ない気がする。
特に、外様の新京阪線だし。
0025回想774列車
垢版 |
2012/12/22(土) 07:27:35.03ID:V7hrJf2B
プレス・アイゼンバーン「P-6」によると、新京阪線では、昭和20年8月15日の時点で、事故・故障で
P-4/P-5・P-6に23両の可動不能車が発生しており、そのほかにも故障修理中の車両が多数いて、
この日運用に入る事が出来たのは、以下の31両だけだったとの事です。

P-6: 2連12本(各駅停車のみ・うち2本は十三折り返し)

P-4/P-5: 千里山線2連3本・嵐山線1両

使用可能車も、戦時中からの酷使と部品不足、整備員の不足もあって、故障が多発した上、修理
も滞るなど危機的な状況で、沿線住民の増加で乗客も増え続け、車両不足が深刻だった様です。

63系が入らなかったのは、出征していた社員の順次復帰で修理が進み、非可動車が減少したのと、
ナニワ工機の設立があったのではないでしょうか?

戦災被害は神宝線の方が多いですが、車両数が多い分だけ、何とか対応できたのでしょう。
0026回想774列車
垢版 |
2012/12/22(土) 11:55:24.09ID:G5Oek2TB
新京阪京都線は今聞くと信憑性のある話だね。
デイ100の様な19M大型車が走行していたし、
電圧1500V、直線区間が多い線路条件もロクサン入線には
好都合だったと思う。
0027回想774列車
垢版 |
2012/12/22(土) 12:43:10.57ID:wft+VRu1
昭和21〜22年のロクサンの状況はよくわからん。
国鉄向に限定しても、DT12やMT30装備車がどれくらいあったのか?
定説では「一定両数装備」されたが「多くは後に換装」されたらしい。
この辺り、ご存知の方がおられたら一言語って欲しい。
0028モハ80373 ◆WKtiTNsW9Q
垢版 |
2012/12/22(土) 22:03:38.37ID:HF6DwDza
ちょっと趣旨とはズレがある感じになりますが…(汗)
>>27
それと逆の例が一つあります。
鶴見線に63形ボディー三段窓最後の1両として昭和54(1979)年末まで残ったクモハ73289(旧モハ63694)は、昭和40年代下十条配置時代に、大井工場に入場した際に、MT40系からMT30Cに換装されたことが、車両履歴簿に明記されていました。
当時はまだ、首都圏にMT30が標準のクモハ60なども少数ながら散在していた頃で、MT40と特性の近いMT30とは、特段の制限のない限り、検査進行の具合などで入場によって入れ替わることもあったのかも知れません。
103系MT55初期とMT55Dや、205・211系MT61の外扇式と内扇式の入れ替わりなども、同じような事情でしょう。

こうした例とは別に、旧63〜72・73形式に対して、標準のMT40系に極力戻そうとする傾向があったのかどうかまでは、わかりません。
0030回想774列車
垢版 |
2012/12/25(火) 09:32:20.71ID:DISwmn8K
>>28
なるほど。128kWのMT30と142kWのMT40と説明されることの多い両モーターですが、
定格電圧の差(675Vと750V)を考慮すれば実用上差は無かったとも言えますね。
熱容量に違いはありますが。
一方モハ40、41のMT30化に際し、63から降ろしたモーターが流用されたとの話を聞いたことがあります。
となると、MT40とMT30は同等ではなく、極力同一形式内で統一しようとしたことになります。

>>29
おお、中央西線の5連×2ですな。もっとアップしてください。
そして語りましょう。
0031回想774列車
垢版 |
2012/12/25(火) 20:51:31.10ID:GyWWmT7p
神領区の72系は窓をアルミサッシに交換。とても綺麗に整備されていたのに
103系置換え後の他線転用は無かった。全車解体で勿体無い気がした。
0032回想774列車
垢版 |
2012/12/26(水) 13:11:03.71ID:DIJY8/r9
本当に残念でしたね、国鉄体質は。
小金掛けて体裁整えたのに1全検ちょっとであぼーん。
後の970番台ほど本格的な改修でなかったといえばそれまでですが・・・

ところで970番台って下回りの新調後も台枠だけ平成の世に生き残ったらしいですね。
0033回想774列車
垢版 |
2012/12/26(水) 20:04:53.52ID:0aiAlsjB
>>32
その台枠ですが、書類上は再利用だけど実際は新製という話もあります。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況