山陰本線福知山線の国鉄時代の旧型客車とその思い出
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山陰本線福知山線の国鉄時代旧型客車について語ろう
大阪発出雲市ゆき米子ゆき鳥取ゆきといった長距離の
旧型客車ならば特に大歓迎だが短距離客車列車でもok. 福知山線旧型客車が山陰本線より先に消えたのはデッキ転落事故が理由らしいがどんな事故だった?
高校生の悪ふざけだとかならまだしゃーない気するが鉄ヲタ例えば18キッパーが理由ならなんか残念 餘部鉄橋を渡っていた旧型客車の京都行普通列車のデッキから、
父親が息子を突き落とすという事件があった。 79年の転落死亡事故なら知ってるよ。A市内の中学生が旧客のデッキから転落して死亡。大阪駅から乗車して友達数人と走行中の最後尾デッキで遊んだ後に客室へ戻ったらしいが、1人だけ途中のA駅に降りた気配もなく蒸発。元々降りる予定だった次のT駅で駅員に連絡。神崎川鉄橋上の脇に倒れていたところ後続の貨物列車が発見された。その以降の死亡事故は知らないけどね。 >>490
三田駅にて1番線の進入分岐器付近で揺れが大きく雨で濡れていたデッキから足を滑らせたJKが転落死亡とサラリーマンが転落死亡があったな
それからまもなくして50系のレッドトレインが4本運行されるようになったわ
それを日本○産党市議団が我々の成果ですとチラシに書いていたな‥ 大阪−宝塚で阪急に乗る人がほとんどだったのは、頻度・車両・値段の面で国鉄が劣勢だっただけでなく、
旧型客車が主体だったため、デッキからの転落を防げないといった安全面でも見劣りしてたのも原因。
阪急は当然ながら自動ドアだからドアから転落するという心配もないので、そういうのでも雲泥の差があった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています