>>164
東急玉川線は世田谷の足として機能していた。
端的に言えば乗客が増えたので田園都市線に代わったようなもの。
安全地帯のホームも少なからずあった(特に246号線拡幅後は増えた)。

「道路上の自動車が増え、思うように走れなかった」のは同じだが、元々阪神国道線はサブの存在。
阪神バス(阪国バス)が並行していたので、存在感は低かった。
安全地帯にホームがほとんど無かったのも痛かった(乗るのが億劫)。