【懐かし】阪神国道線について語る【路面電車】
>>143
というより、甲子園線だけであれば車両5両程度で足りたし
阪神パークの一角を車庫にしても問題なかったのでは?
その例にある東急の上町車庫は、当時の写真でも周囲は民家がぎっしり建っていて
よく用地を確保したと思うし。
結局は阪神と東急の軌道事業に対する熱意の差だったのだろうか? >>162
廃止当時の阪神パークはまだ盛業中だったので
車庫を作る選択肢はなかったと思う。
あの当時は路面電車→バスの流れが当然視されていて
数年後には京都市電も全廃。
熱意というより時代の流れだった…
個人的には国道線・甲子園線よりも京都市電が惜しまれる。 >>162
青木先生も阪神が戦後、軌道線用の車両を製造しなかったことを批判的に書いているし
最後の最後まで戦前生まれの車両ばかりだった阪神と、意欲的すぎる200系の車両を造った東急で
やはり軌道事業に対する熱意の差はあったと思う。
もちろん、阪神の場合国道に他社が路面電車を敷くと脅威になる(普通に考えて国鉄の方が脅威やろと思えなかったのか)という
消極的理由だったのが大きいが。
しかしプロ野球に対する熱意は、全く逆だったようで。日公が東急の糾弾だったことを知る人ももういないか。 >>164
東急玉川線は世田谷の足として機能していた。
端的に言えば乗客が増えたので田園都市線に代わったようなもの。
安全地帯のホームも少なからずあった(特に246号線拡幅後は増えた)。
「道路上の自動車が増え、思うように走れなかった」のは同じだが、元々阪神国道線はサブの存在。
阪神バス(阪国バス)が並行していたので、存在感は低かった。
安全地帯にホームがほとんど無かったのも痛かった(乗るのが億劫)。 >>166
東急玉川線の代替が新玉川線→田園都市線で、また246号線上には東急バスも数系統走っているが
経営的に成り立っていて、バスも乗客が多い。
阪神国道線は阪神バスに取って代わるも、その阪神バスも大阪方面は乗客難で免許維持路線化。
神戸方面は市バスの撤退でおこぼれを貰っているようなもの。 海老江に錆びた架線柱が残ってたがもうなくなったかな
2000年頃にはまだあった 武庫川線の武庫大橋駅が現役で稼働してたころの写真はどこかに残ってないだろうか?
後年の朽ち果てた姿の写真はいくつか見たことあるんだけど。 >>170
浜田の車庫前にも電柱が残ってた
アサヒオートセンターのあたり 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 >>173
平日ゼロ本/日
土日1本/日
もはや代替とは呼べんな >>178
天六もかつては交通の要所で、天神橋商店街の北詰でもあり栄えていた。
市電がなくなり、阪急千里線も地下鉄と直通になりターミナルではなくなった。
それでも北大阪線があった頃、廃線後も昭和末期までは需要はあったようだが…
今は本当に存在意義がなくなった。
レール剥がしたのは正解といわざるを得ない。 >>178
梅田を経由せずに中津や野田と天六を往き来する人なんていないのかな
商店街はいまも盛況でコロナ流行まではインバウンドでウハウハだった
明らかにこの四、五年で商店街の客層が変わったと実感できる >>181
そもそも中津に降りる人間はいない。
最近は、阪急高架下付近を改造して、こ洒落たバーとかやってるけど、元々需要がない。 そうそう、あの辺り阪急もJRも高架下のリフォームで新しい店がたくさんできたけど
1年と持たずに閉店してるのも多い
今から思えばたとえコロナが無くても長続きしそうな感じしなかった
リフォーム屋が起業者をおだて上げてあの界隈の開店バブルを煽ったとも言える うめきた付近へも、中津から歩いて行けるけど、特急が停まらないのと、京都線に駅がないし、存在感がないから、
一般人は梅田から行く。
中津から乗ると座れないし、買い物ついでに帰るには、梅田になるから、益々使いたがらない。 昭和40年代の北大阪線野田―中津間の通勤ラッシュの凄まじさを
知らない人が何かいってるね >>186
公共交通機関での鉄道の利用割合が高かった昭和40年代は、どこでも混雑率が高かったことを知らずに、
何か言ってるね。 懐かし板でうめきた付近ががどうのこうのとかピントが合ってない人もいるしね 廃止になった後も、豊崎付近は軌道敷に簡単にアスファルトを被せただけでレールが所々見えたままになってた
粗い仕事と思った >>189
あのあたりは南浜も本庄中通も同じで軌道上にアスファルトを盛っただけで
後の道路拡幅再舗装工事ででレールがめくられてしまったんだ >>186
昭和40年代にの通勤ラッシュを経験したジジイが何かいっているね 架線は早々に外されたのかな?
柱はガンコ寿司の看板で有名だった中津駅西側の高架道の脇にかなり遅くまで残ってた 色がシックで今見ても渋い
岡山の宇野バスに通じるものがある >>192
支柱は2010年でもまだ残ってた(と思う) >>189
ピアスの看板のビルのところやね
微かに覚えてる >>186
運行当時、沿線は工場や事業所が多かった。
廃線後、それらが次々と無くなり住宅地に。でも代替バスは乗らず、乗ってもシティバスの大阪駅行きに乗る。 >>196
あの一帯は高層化が早かった
新御堂筋以東は民家が目立ってた 杭瀬に国道線マニアの店主が経営する喫茶店があった
店内には金魚鉢などの写真がいっぱい
もちろんもう閉店されてるが
親に連れられて行ったので今となっては場所も特定できない 金魚鉢ごときではマニアとは言えまい
せめてアミ電か散水車は押さえておいてほしかった 北大阪線に2コモーターの1形が専ら使用されていた時代、北野から中津への登坂時に
ノッチ進め状態によってブレーカーが飛び、特に雨が降ると100%ブレーカーが飛ぶんだな
リセットスイッチは運転台と客室境目の櫛桁部にあって左手マスコン、右手リセットスイッチ
これを手際よく扱わないと勾配線上であっという間に失速
上手い乗務員は速度とノッチ刻みの間合いが良くて再粘着・再加速して無事中津到着 >>192
遺構は比較的遅くまであちらこちらにあった。
架線柱のような分かりやすいものだけではなく、
商店の看板に所在地が「〇〇電停前」の表記になってるもの、
街路地図に線路が記載されたままになってるもの、
が昭和の終わり頃までは見られた。 >>204
天六側よりも野田側の方に多く残ってた印象 路面電車が邪魔者扱いされ始めたのは昭和30年代からだから
よく頑張ったじゃないか
特に北大阪線 天六~野田ではそれほど邪魔物になってなかったのでは?
知らんけど 阪神国道線は阪神電鉄の経営だったが、
阪神国道駅は阪急電鉄の経営 【福島区】大阪都心を通るのに土日祝に1本だけ 平日は走らない幻の路線バス 阪神バス北大阪線に乗ってみた【北区】
https://maidonanews.jp/article/14919362 ジュッ・・・( ▽|||)y-ξ⌒◇ヾ( ̄ ̄;) ぱしゃっ 阪神国道線、いまめっちゃ側面窓がでかい阪神ノンステバスが走ってる その阪神バスに国道線復刻塗装をすればよい、側面は雰囲気出るだろう 知らなかった
すれば評判になるのにな
何もしないよりは路線や会社をアピールできるし 今も国道線が残っていたら、阪神タイガースの優勝パレードは野田から浜甲子園寄り道で西灘まで花電車を走らせたい。 【兵庫】甲子園球場がある西宮市 「西宮」が付く駅がやたら多かった 4駅連続の「西宮」の鉄道路線も
https://maidonanews.jp/article/15071829
阪国線含む あらゆる業界で24時間営業が追放されつつある
いずれ輸送業界もそうなるかも
残るのは人命にかかわる公安と消防救急や医療介護の世界だけになる 阪神バス北大阪線、野田尼崎甲子園線が、
来年1月13日に休止になるらしい。
便数が少ないから反対の声もないのだろうな。 >>225
書類上の移行が休止扱いなだけで
実務面では実質的に廃止だわな。
バス路線廃止にありがちなこと
名残がひっそりなくなってしまうわけか >>224
近所のコンビニも24時間営業から5-23時になった。
深夜は客が少ないし、店員確保も難しいらしい。 代替のバスが免許維持路線になってたな
休日1日1往復になった
免許維持路線目当てのバスマニアがいて京都バスの年1のやつが毎年人が殺到し2台目を出してる 維持できるわ日銭になるわで、一応ウィンウィンだと思う
「維持化は単なるポーズで翌年当日に走らず廃止」の京阪バスとえらい違い 今回休止(実質廃止)区間の最終便
つまる天六→野田阪神→杭瀬北まで乗り継いだけど
乗客、いろいろしんどかった
特に北大阪線区間がやばかった
まず、天六に到着しても大半が降りない驚き
まだ帰宅中でついさっきX見てて知ったが
1日フリーあるらしいね。皆それか
そんななので座れず、立ち客多数で
ギュウギュウではないが「ざっと満員」くらい
で乗客
・先頭のハゲ爺、途中停留所で
前ドアから勝手に一瞬外出て撮りよる
運行の妨げ
・ブツブツ言ってるギリ健さんは途中で降りた
・野田阪神でバス道側へ出て撮る無法オッサン1匹
Xで報告見たけど同じ人物だろうか
自分は、かつて旧阪国線の終点だった
東神戸(今は敏馬)まで乗り継ぐ予定だったけど
満員のむさいヲタで余りにしんどくなって
結局、杭瀬から帰宅 「阪神国道線」の語
一般的に連想しがちな「阪神☆国道線」ではなく
意味的には「阪神国道☆線」が本来
「阪神国道」に敷設した路線なので。
開業させたのは「阪神国道電軌」であり国道電軌ではないし、
「阪国バス」も国道バスとはしていない。
だから、本来的には
「阪神☆阪神国道線」の呼び方が順当だが、
文字的には誰が見ても重複してるため
「阪神国道線」という呼称であり、
さらにそれを省略形にしたものが
ようやく単なる「国道線」となる。
杭瀬駅付近に現存する電車当時の民間設置の広告看板も
「国道線」ではなく、やはり「阪国線」と略されている 略称の略称である「国道線」は
阪神電車においては旅客案内上では
電車当時の古くからすでに使われてますけど、
上で述べたのは、あくまで成立的というか
本来のニュアンスの話です。 阪神バス尼崎〜西宮線も大幅に減便となった
西宮〜神戸線以下の本数に 都市部の路線バスももう終わりかあ
天六~野田は返す返す残念 天六野田ってバス化後も
比較的最近まで高頻度運行だったんだよね?
なんでそれほどだった流動が
廃止されるほどまでになったの?
実際に減った外部要因があるのか、
それとも、バス側が少しずつ減らして
故意に不便にさせたってほう?