151・161・181・481・485・489系【ボンネット】スレ
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ついに489系もボンネット車が事実上の廃車!
これでとうとう151系から伝承された国鉄ボンネット型特急の思い出となりました、
ボンネット型の登場は客室から大型CPを騒音から離す目的の機能美でした。
この素晴らしく美しいボンネット型について語りませんか。
その他ボンネットバスや、東武のDRC等、私鉄のボンネット型についての話題も歓迎します。
大いに語りましょう。 >>73
鉄博のクハ181-45の連結器カバーは、上沼垂保存時代から付けてあった代用品。
元々は新ニイのクハ481用のもので、そのまま大宮に持ってきた。
因みに上部ヘッドライトはお隣りに展示してあるクハ481-26の
勝田訓練車K26編成時代の相方で廃車されたクハ481-17のものの流用品。
さらにトリビア情報を言えば、上沼垂から大宮まで陸路搬送の際、
台車を外してもトレーラーに支障するため、キングピン受けを切断した。
だからクハ181-45は二度と線路の上を走れない…。
>>75
ピン切断っていうことは、台車の上にただ乗っかっているだけと云う事だね・・・
残念だなorz JR西って商売っけ無いね、懐かしのボンシリーズ化してリバイバル運転やれば
489系でかなり儲かるのに、西管内で走った列車限定でやれば問題ないしな、
「しおじ」や「はと」も下関か幡生止まりにすればいいしな。 懐かしのボンネットってみんなはどれにに興味があるかな?
俺的には懐かしの「ゆうなぎ」だったら乗るし撮るよ。 リバイバルうずしおが絵入りマークでがっかりだった。 >>73
未だにクハ481−1508や352で現役。
>>74
カバーは偽物?
他の車両は甲種回送したのに乙種回送か。
それだけ腐食が激しかったのか。 >>81
さすがにもう足を踏ん張ってないと元に戻るって言うのは無いでしょうw
現在残っているそれ等の車両もロック装置位は付いているのでは? >>82
任意に角度調整できない奴。つまりR51改?が残っている。 元を正せばサロ150(→クロ150)のクハ181-53は、今の手抜き改造(って言うと鉄道側は機嫌悪くするだろうが)と違って、
客窓も普通車用の大型に代えたから、座席と位置がずれてるなんて事はない(筈)。
反面、その改造は相当な手間だっただろうな…。種車の窓周辺全て切り取って新しくはめたんだろうから…。当時だからできた事か…。 >>84 って事は側(外板)は、ほぼ全張替え?
サロベースから残っていたのは、屋根の一部と台枠のみ? 今月H01が廃車されたから現在は全廃、
まあシルフォードとか485から改造ジョイフルを敢えてボンネットと
呼ぶんならあるけど、
あの手の車両はさすがにもうボンネット車両じゃないでしょうw
ボンネットバスだったらまだいくらでもあるよ「伊豆の踊り子号」とか、
千葉や茨城でも展示された奴とか、
DRCは東武博物館には晒し首wが1両、公園には先頭車がまるまる1両保存されている、
が部品盗難が多発してて、悲惨な状況にorz >>85
詳しくは知らないけど、今の感覚からすれば、
車体は全面新製っていうのに近い印象はあるよな…。
窓と窓の間のピラーは動かせないし、ガラスも伸縮させる事できないから…。 >>88
ガラスが伸縮しちゃったら大変だよw
それこそノーベル賞ものだね。
結構お金掛かってるんだねえ、でもシルフィードもクハは全部鋼体は新製して
台枠と台車のみのリサイクルだから、昔の旧客もそうだったし。 配給電車の改造難易度で判るけど、80系以降の電車の大幅な車体改造
台枠を残して側を全部めくり作り直すような工事は、切断加工前に事前に
仮の補強を入れるのか?
・・・そうでもしなければ、台枠をひん曲がりそうな気がするのだが・・・。
つーか車体を切り張りする時は台車から下ろして多点支持するでしょ。 川崎重工の元151の181と大宮の最初からの181とは、形に違いはありますか? >>92
同じ質問を何回もしているけど、基本的には >>65 の通り、
外形寸法としての「形」は同じ。
だが最初期版の20系として生まれたクハ181-1(川重保存)と、
100番台以前では最終版で161系として発注されたクハ181-45(鉄博)では
細部には一口で言えないほどの違いがある。
川重車だけをとってもクハ26001→クハ151-1→クハ181-1と
改造を重ねるうちに変わったところが何ヶ所もある。
「形に違い」とはどの程度のことを聞きたいのか言ってくれないと
ここには詳しい人が多いけど、みんなレスを付けにくいと思うよ。 まあ確かに、細かい事をつつき出したら1両1両全て違うって事にもなりかねないとこだから…。 >>74
上沼垂から大宮までレールの上を走ってきてほしかった。
機関車けん引できれば可能だったんじゃない? 永いこと据え置きだったので上沼垂→大宮の移動に
足回りが耐えられなかったのでは? >>96
上沼垂に1982年から2007年まで、25年も静態保存していたわけだから、
甲種で輸送するには全検並の手間が掛かるから陸送にしたんだと思う。
足回りもさることながら、ブレーキ系統が機能しないと甲種は無理だからね。
>>74
45の台車がTR-58だったのが切断の理由だろうね。
TR-58は、車体側から筒状のキングピン受けが長く伸びて
台車に差し込まれる形になってるから、これはどうしても邪魔だよね。 クハ181-45は、鉄博移動の直前に上沼垂で最終整備したわけだけど、
アスベスト除去、ボンネット開口部のパテ埋め、再塗装に加えて
ボンネット内のMG・CPの撤去も行った。補助抵抗器も箱だけのダミー。
つまり残念ながら「車輌」から「展示物」化のための整備だった。
展示に向けての最終整備の方針を決めるに当たっては、
「161系現役当時への姿」への復元希望が一番強かったので、
クハ161-5としてのイメージを追及したとの話だった。 >>78
ある意味での商売気はあるんだろうね。
ただ、こと鉄道事業本体について言えば・・・。
消極的というか、保守的というか、役所的というか。
あの大事故の影響で、今も鉄道そのもので派手なことは「自粛」みたいな。
あの犯罪以降は、鉄道ファンに対する警戒意識も強いし。
国なり「世論」なりを気にして、特に設けの少ない鉄道事業本体関係は
「安全運転主義」別名現状維持の保守的になるの仕方ないんだろうけれども。
鉄道博物館にあるクハ181?のシートは固定されててリクライニングしないけど、
あれはR51シートなのかな?
それとも原型のシート?
リクライニングしないのに何時間も座るって大変だったろうなあ。 >>98
外観ばかりでなく臓物もで取ったのか。
もうミイラじゃんw >>100
原型のシートだね。
いわゆるロマンスシート。
それでも佐渡のボックスシートよりは快適。 初期の151系こだまはシート上の白い布が2人席分になってるいますが、てっぱくの181系ときは1人席分になっていますよね。いつ頃から変更があったのでしょうか? >>102
dクス
現在では373系ですらリクライニングするし、
最近まで普通列車に使用してたから181系とは雲泥の差だよね。
昔は早く行けるっていうことに重点を置いていて、
当時の国鉄は居住性なんてあまり考えていなかったんだろうねえ。
鉄道博物館の181も485も紙コップまでもが備え付けられてたのには驚いたな。
水なんて永久に出ないのにねw >>104
国鉄型の普通席もフリーストップ型のシートに交換されると、
グリーン席との差はピッチと足置きくらいの違いになって見劣りしてきた。
だから、3列シート化とか大きな梃入れを施してある。
今は、公衆電話や液晶TVやオーディオの撤去だね。携帯とかアプリツールが充実しているかな致し方が無い。 もしも183、189、381系にボンネットがあったら? そう言えば気動車のボンネットキハ81の話題が出てないな。
当時は故障続きで新聞の見出しに「はつかり、がっかり」って大きく出たそうですよw
晩年は「くろしお」で使用され大阪の交通科学館に保存されていますね。 クハ183-1000とクハ189は、非貫通型(スペース的にボンネット型より効率がいい)だけど
定員はクハ181と同じ。まぁ、車体が60cm短いし出入口が片側2箇所って事情もあるが…。
だから、この辺がボンネット型だったらもっと定員減になってた気がする…。
あと、一部で見られた、中間に貫通型クハ(形式は問わず)が入る編成ってのも、
存在しなかったんだろう。
しかし考えてみると、分割併合の可能性を最初に考慮した筈のクハネ581(583)が、
結局1度もそんな使い方されなかったってのも、何なんだかっていう印象…。 連投で失敬。
ボンネット型の先頭車が編成の中間に入るなんぞあり得ないと思ったけど、
実際のところは、東北+山形(秋田)新幹線でその種の現象が見られた。 電気釜たちの貫通扉が殆ど使われなかったのはやはり、組合絡みの問題か?
なら房総の183系(新総武線の地下区間の為もある?)ともかく
後に居住性改善とかで組合が貫通電気釜の悲貫通電気釜への改造要求が出なかったのが不思議。 貫通扉埋めちゃったのなかった?
隙間風が最大の理由か? >>109-110
勝田の485系晩年は両端ボンネットの7両+7両の14両編成で上野まで来ていましたよ。
ボンネット同士の連結面も当然見れましたよ、
唯スカート切断で見栄えが悪いしひたちカラーに塗色変更されたから写欲が半減したけど
京キトの485系も「ユートピア和倉」連結のためにスカート切り取って見栄えが悪かったですね。
究極はボンネットでは無いけど、485系と583系の貫通扉を生かして、
シュプール号で併結運転がありましたね。
クハ485系と583系の連結幌に萌え〜でしたね。 >>114
ttp://www.ss360.net/images/wp1/2007/06-583-485.jpg
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/9703.jpg >>113 JR以降後は知らないけど 貫通を生めた(非貫通化)は事故復旧の際581?583系で1両あっただけ。 >>112-113
青森の583系は晩年に貫通扉埋めた
(その前からガムテープで裏を塞いだりしてたが)
>>116
確かクハネ581-7 581・583系が当初から特急用として構想されていれば
もしかして貫通構造にならなかったかもしれないね
そしたら特急電車はボンネットのまま推移したんだろうか やっぱり貫通型が無くなった最大の理由はすきま風や雨の侵入なんだろうな。
最近のE231系E233も貫通扉は廃止されたし。
最近では211系もクハは貫通させて連結してないよ。
連結、開放作業の簡略化と停車時間の縮小だろうな。 連結解放の時間短縮はあっているが、あとは運転機器の増加と前面強化の必要性からだと思う。
583系にボンネットがあったとしたら
高い屋根からのフォルムはどう処理されていたか 583のフォルムだと運転台側窓から編成側面を監視するのは難しいのかな。 583の場合だとまだ美的センスがあるけど、381系のボンネットは何かカッコワリー
様な希ガス。 それにしても、隙間風云々で忌避された筈の貫通型が、E351・383・681・683系なんか(253系以降)で
再び見られるようになった…。
「併結区間」では、1組でいい車掌や車販のスタッフを2組にしなきゃいけなくなるのを回避するため?
いつの間にかAA基準って云うの無くなってしまったね。
昔は101系1000番台とか非貫通車両でも相当厳しかったんだけど。
総武横須賀線の地下区間然り。 馬鹿デカイATS-P車上装置や
コンプレッサーとか集約して乗務員も守るならやっぱりボンネット型に回帰すべき
>>122
なんかパチンコキャラのワリンちゃんみたいだww >>128
最近の車両はコンプレッサーの音静かだよ
209系ぐらいまでだね、コンプの音何か水冷エンジンみたいな音してたの。 ボンネットの運転席のパノラミックウインドウは
夜間の映り込みが気になるらしい
理想は583系などの平面ガラスのようである ボンネットの最大の特徴は何といってもシルエットが美しいから、
写真でシルエットで写すと実に美しい、ボンネット車だとすぐわかる、
だが電気釜でそれをやったらどの車両か見分けがつきにくい、
オデコのライトで分かるじゃんって言うのは、
K40編成みたくライト撤去車もあるからいちがいには言えない。 最近の『カモノハシ系』新幹線なんてボンネットの映り込みはどうなんだろうね。
自動車ではボンネットだけノングレアなマットブラックにペイントするのが
流行った時代もあるけれど。
以前はかなり衝撃が強かった新幹線のすれ違いが
この頃は気にならなくなってきている感じがあるんだが、
青函トンネル内での貨物コンテナ列車とのすれ違い問題は
貨物用の電気機関車の前面形状をロングノーズにして
解決できない物なんだろうか。
>>133
>>ノングレアなマットブラック
つ201系があるじゃないか。 まあスレチではあるが・・・
583のノーズ(と言っていいのか?)の上が青く塗られてたのも
映り込み防止の効果があったのかもな
そう言えば最近のプロ野球の外人選手は
目の下黒く塗ってんの? >>135
デーゲームでは塗ってるけど、塗ってる人と塗ってない人がいるよ。 クハ489は、たった28両でよくぞ全タイプが揃ったもんだ(ボンネット・貫通=各10両、非貫通=8両)…。
しかも、EF63と連結する関係で片栓だったんだから、考えようによっては「6種類」あったようなもの。
ただ、最後まで「白山」で残ったのはボンネット型だったって事は、
「原点回帰」的な印象でもあった。 >>136
おお
過疎ってる懐かしスレに即レスありがとうw >>138
ちょうどボンから貫通の過渡期だったからね もし489系のデビューがあと1年遅かったら、クハのボンネット型は無になるところだった…。
正に奇跡的…。
しかも片栓になってる関係で、28両しかないにも拘らず番号は1から704に渡ってる、
ってのも凄過ぎる感じ。 特急こだまって、ボンネットの485系で復活運転したことなかったっけ? 結局電車の「つばめ」も「はと」も「こだま」もボンネットで1度も走らなかったねorz
東京〜大阪を通し運転するには、JR東海が煩いんでしょ? ボン止めて電気釜になったってことは常客にとってサービスダウンだよね?どれくらい騒音増えたの? 貫通型では、CPをC-3000からC-2000にして(中間車への分散配置へ?)、
MG共々床下に移設したけど、どうだったんだろう…?
あと、クハ489-600の方(EF63連結側)は、そのCPを2個にしたとか…。
一方、非貫通型では、CPだけ再び床上に移ったから(クハ489は床下のまま)、
また(というか更に)やかましくなったのか…? 特急こだま、485のボンネットで復活運転してない?何かJRになってから走った記憶が。 >>145
485の電気釜タイプは全盛期は東北に多く、北陸や西日本では少なかったような。
東北特急はクハネ583を生んだほど需要が凄かったくらいだからボンネットではきつかったということはあるかと。
東北新幹線開業前の東北特急は先頭クハは電気釜、中間の10両はキノコクーラー世代(場合によっては483系世代)という編成が多く、北陸や西日本では逆に先頭クハはボンネット、中間車はAU13搭載車という編成が多かった。 >>148
尤も、それにしては、モハ484-600(車掌室付M')なんてのこしらえて、折角同200番代で増やした定員
また減らすなんてことしたけど(Gが上野方に寄り過ぎてて、編成中央付近にも車掌室が必要だったって話だが)…。
まぁ、仙センの485に関しては
←上野 仙台→
Tsc+M'+M+M'+M+Td+T+M'+M+M'+M+Tc
の一部を
Tsc+Ts+M'+M+M'+M+Td+T+M'+M+M'+M+Tc
に増車(Ts追加)なんて経緯もあったから、先頭車の形状(定員)云々は別にしても
輸送力が逼迫してた事情はあったんだろう…。
今日22:00時からのNHK「プロフェショナル」元国鉄職員の介護福祉士の仕事が
出てたけど、高校卒業後国鉄名古屋工場に入局、
主に485や489のボンの整備士だったそうだ、ボンネットの上で写真を撮ってる
本人を見たけど、ボンネットの整備の方が良かったんじゃないのか?と
思ってしまった。
現在56歳、国鉄からJRに変わったと同時に退職、25年介護職だそうだよ。 その写真を見てあのボンネット車は485か489か0番台か100代かなんて
そっちの方が気に成ってしまった(笑)
「ボンネットカヴァの上で写真撮れて羨ましいなあ」とかねw >>150
スレ違いだけど、その人自分の意思でその時転身したのか、気掛かりに思えてきた…。
国鉄解体の犠牲者だったとしたら、やり切れない…。 >>152
本人は障害者専用列車「ひまわり号」のボランティアに携わったのが
介護に転身するきっかけだったって番組内では紹介してたけど、
核心は分からないね、もしかしたら>>152さんの言うように、そうかも知れないね。 >>148
金沢は300番台新製配置されてたけどな そう言えば昔、「白山」の貫通だか非貫通だかが来たとき、遠目に見てた
当方の中学の同窓生が一瞬「しなの」とほざいた。
その場所、北長野駅付近だったんだから「しなの」が来るわけない…。
また、「あずさ」が189系に置き換えられた直後、この編成見て従弟が
やっぱり「しなの」と言った。これは岡谷駅付近だったから、やっぱり
「しなの」がいる筈ない場所。
ま、ヲタを別にすれば、以前(昭和50年頃)は一般には「白山」や「あずさ」(や「あさま」)と
言えばボンネット型、なるイメージが定着してたって事なんだろう…。 >>155
しなのは381系じゃないですかw
屋根はのっぺらぼうだし、どう見ても間違えようが無いと思うのですが??? >>156
普通の人はそんなもんですよ。
房総特急で183系がデビューした時、
「色違いの月光だ!」と言った友人がいましたよw >>150>>154
確か昭和50年代の「しらさぎ」は485系300番台が主流で、ボンネットがレアだったから、
489系のボンネット車が来たタイミングを見計らって撮ったのかな?
ただ昭和60年3月改正後、食堂車なし編成になってから「しらさぎ」ボンネットは
かなり増えたけど。 >>148
昭和53年10月から仙台の「ひばり」用12両編成は、上野方クハが電気釜、仙台方クハが
ボンネットだった。当時東北特急の両端ボンネットは、「あいづ」「ひたち」使用の9両編成だけ。
電気釜にイラストマークが採用された頃だったので、「あいづ」のイラストマークに出会うのが
困難だった。 何故かボンって「あいづ」も「ひばり」も絵入りありませんでしたね。
どうしてだろう? 仙センの485系は「上野方(非)貫通、仙台方ボンネット」ってカキコがあったけど、
大ムコや金サワ(485系)は両端の形状揃ってたんだろうか…?
「白山」編成は全て両端とも同一形状だったから、「雷鳥」や「しらさぎ」は
どうだったのかと思って…。 俺を鉄ヲタに引き込んだ車輌は181系だ。
あのボンネットの独特の赤い帯とサイドのJNRマークがたまらなく良かった。
特に、新潟の豪雪の中を走り抜ける姿は最高だったな。 >>160
ボンネットで絵入りは53・10以降だと金沢と新潟だけだったと思います。
「ひたち」ボンで絵入りになったのは60・3改正で勝田持ちになってからでしたね。
九州はいつからだったかな、、、 >>163
大ムコ車の「雷鳥」は片方だけボンネットはあった。それはボンネット廃止の2003年まで続いた。
大ムコ車は新幹線博多開業前に貫通・非貫通型が配備されてから、「つばめ」「はと」「しおじ」
など山陽特急でも片方ボンネットの場合があった。
「しらさぎ」は昭和50年から金サワ持ちになってからは、両端ボンネットまたは、
両端貫通または非貫通で、片側だけボンネットの記憶はない。 >>165
ボンネットのイラスト入り最初は、昭和54年1月から181系「とき」
昭和54年7月から、489系「白山」「はくたか」がイラスト入りになった。
但しその頃は489系ボンネット臨時使用の「しらさぎ」「雷鳥」は文字・ローマ字だった。
九州もイラスト入りは昭和60年3月から。ただ多くのボンネットが勝田に転属したので、
「有明」ボンネットのイラスト入りを見かけるのは少なかった。 ホームライナーのヘッドマークってどう言う仕組みになってたのかな?
よくあんなんで走行中外れないもんですねw
黒地と言うかグレー地だったよ。 >>167
にちりん、みどりも絵入り。
かもめだけは写真がない。 >>170
「かもめ」の絵入りもありますよ。
ED76さくらとボンかもめの交換シーンがRFに載ってました。 >>166
Thanks
車両基地や列車によって様々な現象が見られたわけか…。
考えてみると、国鉄特急電車としては、485系だけに、両端で形状が違う編成が
見られたことになるな(60・3・14以降の改造車を除いて
[余談だけど、個人的な思いとしては、同日国鉄は死去])…。 >>173
くだらない
クモハとは名乗らないが、新幹線電車や東武1720系など、ボンネットタイプの制御電動車なんか珍しくない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています