151・161・181・481・485・489系【ボンネット】スレ
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ついに489系もボンネット車が事実上の廃車!
これでとうとう151系から伝承された国鉄ボンネット型特急の思い出となりました、
ボンネット型の登場は客室から大型CPを騒音から離す目的の機能美でした。
この素晴らしく美しいボンネット型について語りませんか。
その他ボンネットバスや、東武のDRC等、私鉄のボンネット型についての話題も歓迎します。
大いに語りましょう。 >>612
それは上野駅の駅の構造からじゃないの?
行き止まり式の地平ホームだと上野寄りにクロがくれば改札が近いからね。 まあモーター付けるか運転台付けるかの二択だったんだろ? >>613
いや、クロは鶯谷側に連結されていた。
9両編成に限らず、583系も含めてグリーン車はすべて鶯谷寄りに連結されていて、
それも不思議だったんだよねえ。
おっしゃる通り、上野寄りにグリーン車があれば便利になのにとガキの頃思っていた。
グリーン車どころか特急乗車にも縁がなかったけど。
青森駅での利便性を優先したのかな? >>616
そうです。青森寄りっていうと正確じゃないので、鶯谷にしておいた。
上野の地上ホームの先端のほうって、昔はなんかすげー寂れていて、
グリーン車っていうイメージじゃなかったんだよなあ。 クハ481+モハ484+モハ485+サロ481+サシ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クハ481
この編成から一両減らすにはどうしたら良いか
実際にはサロ481を抜いて、クハ481をクロ481に入れ替えた訳だが
クロ481+モハ484+モハ485+サシ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クハ481
あと考えられるのはサロ481、モハ484、モハ485を改造、または新製車で
クハ481+モロ484+モハ485+サシ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クハ481
または
クハ481+モハ484+モロ485+サシ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クハ481
とすること
多分ハ+ロでユニット組ませたくなかったんじゃないかな?
クロを下り列車の先頭にしたのは慣習的なものじゃないかな? ttp://www.youtube.com/watch?v=dMvd-hdTBbI
「思い出の国鉄・ひたち」
4分42秒ー TscM'MM'MTdM'MTc 「あいづ」と共通運用の9両編成
3分38秒ー TcTsM'MM'MTdM'MTc 10両編成
(所定12両編成:8.9号車のM'M 減車
→当時GW終了後の閑散期などに 減車されることが多かった)
サロ組み込み位置や文字ヘッドマークから「53.10」前の映像
上野発車直後の「ひばり」「ひたち」並走シーンからM'Mの向き同定出来、
クロ481が上野寄1号車であったことがおわかりいただけるかと思います.
ttp://www.youtube.com/watch?v=dMvd-hdTBbI
こちらは 「53.10」以降の「やまびこ」
ttp://www.youtube.com/watch?v=XXH37DaSduw
「思い出の国鉄・東北本線」 そうだな
上野寄りがクロだな
みんな堂々と下りよりって言ってるんでそれ前提にレスしてたよ 「みどり」にクロが連結されてたけど、
編成の4分の1がグリーン席っていうのはすごいな。
さすが「みどり」を名乗るだけのことはあるw
っていうのはともかく、みどりのグリーンって利用率はどうだったんだろう? >>622
4両編成ってことは佐世保線のみどりか。なら、ぶっちゃけ空気輸送。
元々いなさ/出島+弓張と同じ編成だったし観光で利用者も多かったわけだが、
長崎佐世保線電化と国鉄運賃大幅値上げが重なったのが不運だった。
どちらも自由席は混んでたんだけどね。 JR九州になったら「赤いみどり」になってしまった。 >>621
みんなじゃないよ、俺は疑問だったから「会津若松寄り」ですかって?で聞いたよ。
1人の方が勘違いされていると思われ。 485系電車は151系電車で車種が増えすぎた反省から、できるだけ車種を絞ったんだよ。
しかし電動車比率を2:1以上にしようとすると、グリーン車が入らなくなる。
それでクロ1車種のみの車種追加で済まそうとしたんだよ。
今だったら食堂車外しちゃうんだろうけど、当時は特別急行で供食サービスを外す
事は考えられなかった。
ちなみにクロ481は下り向き設計の制御車なんだが、
これ、東京起点の東海道線が基準の呼び方で、東京から神田方、東北線だと逆向き
という事になる。
つまり、東北線では下り向き制御車が上り方に付く。
この辺を誤解してる人が多いのではないかな。
クロ481は東北線では東京側に来る。
そのまま上野〜東京へと走ってゆくと、東京駅ではちゃんと下り側になってるわけ。 >>627
クロでもモロでも1車種のみの車種追加で済むのは一緒だけどな
編成の向きも東京駅に並べたとき基準なんてこの板住人ならみんな知ってるだろ 今思えば483系なんて区分は必要なかったような希ガス。
あんな少数派だし、モハユニットしかないのだから、
当時の国鉄は483系を大量に製造しようと思ってたのかな?
483系は485系が増えたから止めたのか?
それとも何か別の理由があるんだろうか? >>628
いや、みんな知ってると思ってたら、
>>615=>>617
みたいな人もいるし、
>>621は下りの意味を勘違いしてるな、と思って。
電車の編成は東海道線東京側基準になってるのに、号車表示が下り側からってのも
誤解の元になってるのかなと。
クロにしたのは>>618の推測どおりだろけど、「クロを下り列車の先頭」と誤解しているね。
系列は違うが、181系電車ではモハシを全てハに改造した挙句、
「あさま」ではモハシを使わずに食堂車を素直に諦めている。
電動車はハで行こうと。
新潟に集約した際、旧い車が多かったサロを廃車にしモロを残し電動車比率を上げられたが、
これは既にモロを造ってしまっていたからだろう。
経年の浅いサロ1両を長野で存置させている。
JRになってから編成単位の運用になって、こういう考え方はなくなってきた。 思えば、「会津やまばと」が設定された頃って、「ひばり」二往復、「やまびこ」一往復時代なんだよな。
そんなに会津若松を重視していたのに、今じゃ磐越西線は、定期快速が一便だけの超不便な路線。
なんでこんなことになったんだろうなあ。
本来なら、磐越西線を改軌して新幹線を! という声があがっても不思議はないんだが。 磐越西線はSLが走ってるから改軌は考えていないんじゃないのかな、
あそこはもう観光路線だし。
そんなこと言ったら山口線を改軌だとかはやらないだろうし、
新幹線と接続してる線区なら全部可能だからね。 >>629
んな事言ったら、485系電車だってモハユニットしかない。
日本には交流電源周波数が2つある事を知らないのかな。
近郊電車も急行電車も造り分けてたのに。 >>612>>618他
今頃すまん
・9両編成
・6M3T
・食堂車連結(やまびこ・やまばとまで共通運用もあるが、当時特急は「基本的に」食堂車連結)
この3つの条件をクリアするとなると、クロかモロを組み込むことになる。
で、使いづらい片モロユニットを作るより、クロ改造+新製を選んだんじゃないか、>>618氏のとおり。
クロを上野方に持ってきたのは1号車という事もあるが、当時の上野口の客車の優等列車は上野寄りが優等車で、
それに合わせたのだろう、後年自由席の設定の際生きてくるが、既に自由席があった西日本の特急も上り方
(上野口では下り方)が自由席になっていたので、それもあったんじゃないか。
他にも似たようなレスがあったな、すまぬ。
>>629
481系が60Hz用で483系が50Hz用(1965年登場)、485系(1968年登場)でようやく50・60Hz両用。
481・483系が登場した頃は一刻も早く電車特急が欲しかったが、両用トランスと整流器は開発されていなかった。
で、既に使われていた物を利用して出来たのが両系列。
483系よりも581系のほうが微妙だったかな、581系が登場した翌年には583系にとってかわった。
長文すまん 単純に3電気式車の開発が間に合わなかっただけだろう。
483系は単なるつなぎ。輸送需要に早急に応えるためにやむなく造っただけ。
181系登場前の161系も同じことが言えるな。 ただ単にインフレナンバーだよなぁ今じゃ現場に嫌われるね、
まぁ昔の人は電気機関車みたいに483系500番台とか1000番台とか付けるの嫌だったんだろうな。
実際487系なんて無いしな。
>>635
171系を飛ばしたのはどうして? >>636
>171系を飛ばしたのはどうして?
>>636ではないけど。
1959年に改正された車両称号規程によって、今の3桁の形式の基本形ができあがったわけだけど、
当初は十位の振り分け方が、0〜4が一般用、5〜8が優等用だった。で、交直流型の優等用でまず
50Hzの451系と60Hzの471系が作られて、その後453系に発展したけど、直流型にならえば特急型は
続番の455系になるところ、481系に番号を飛ばして付けられた。
特急型の十位が8に飛んだことで、481系と同じMT54搭載とする直流特急型も右に倣えで181系に
番号を飛ばした。なので、171系が空き番になった。
詳しいことを書くと長くなるんで、ざっくり説明するとこんな感じ。 番号の付け方は割合場当たり的なんだけど、
番号の分け方から見て、国鉄が優等列車の主力は急行と考えてたフシがある。
185系電車なんか、本来なら171系と付けても良さそうなもんだった。
急行列車は今後この電車で置き換え、特急格上げ名目で値上げしますって感じ
だったから。
JRになって、もう急行作らん、って感じで各社十位5から8を適当に使うようになったね。
何故か200番台は飛ばされる傾向がある。
151系電車でMT54に換装、抑速発電段、ノッチ戻しを追加したのに暫く151系のままだった
車両もあったんだよね。 急行用の新車がなくなり特急だらけになっていたのに、
十の位を8だけに縛リ続けていたら、破たんするのは目に見えている >>639
だから、JRになって先祖返りともいえる5〜7に戻ってるじゃん、十位。 JR各社で番号の取り合いになってるからなあ。
JR東は370番台を海に取られてるんで351を取ってEまで付ける念の入れよう。
新幹線はもっと凄いね。
東海道が0が起点で百位が奇数。
東北が百位偶数の筈が頭にE付けて100から付け直した。
一方東海道は律儀に守っていて700まで行って後ろにアルファベットの苦しい状況。
素直に1100系とかにしちゃえば良かったのに。 >>642
>東北が百位偶数の筈が頭にE付けて100から付け直した
100じゃなくて1からだべ JR東日本の系列呼称はE1〜だけど、番号はE100〜。
このままいけばE10で1000番台に突入。
一方、海/西は寸詰まり。100年後には721型10万番台とか出てくるのかな。
あるいは新0系とか。 松任工場で順調に整備されているねクハ489−1
新交通科学館へ入館する為の整備、
489系にバックミラーが無いのはどうしてだろう?
クハ481にも無いけど。 >>646
クハ481の481系ロットのド初期車にはあったような。
破損が多いこととあんまり使われなかったから483系ロットのクハ481以降バックミラーの取り付けを止めたはず。
ちなみにクハネ581の581系ロットも当初バックミラーがあった。 >>647
何で気付くのがその時点なんだろうな?
181系だと有効活用してたとも思えないんだけど >>649
なぜかって最初が「つばめ」やったからやろ >>645
海はキハ11・25と二代目襲名しているからそのあたりは国鉄式の命名基準に準拠
しているので当分問題は無さそう。近郊型も細かい番台付与で対処しているから
大きなメカ上の変更でも無い限り315系は出て来ないと思われる。 なぜパーラーカーを金持ち需要の少ない山陽に転用したんだろ?
「あさま」とかの関東発着特急に転用すれば充分需要があったと思うんだけど。 481・485・489は、肩のあたりのラインが帳尻あわせっぽくて、
格好悪かったよなあ。
床下機器の関係で車高が高くなるのはわかるが、
もうちょっと上手い処理はなかったものか。
それができないのであれば、
せめてスカートをもうちょっと長くして、
腰高感を解消してほしかった。 >>654
まだあさま出来てないし
需要もないよ
そもそもが一等展望車の代わりなんだから東海道くらいしか需要なんてないのさ
山陽に回したのは回さなかったらクハが足りなくなるからだろ パーラーカーは全車普通窓に改造されたのは、
山陽本線でのダンプカーとの追突事故がきっかけだったんだよな。
あの事故さえなければ、現在でもパーラーカーは実在してたろうに。
実際2mX1mを超える窓の車両も平成では存在するからな。 >>658
クロ181も客室部新製してる訳だからそれは違うんじゃね? 連投すまん
そもそもダンプカーとの追突事故って静岡だぜ
それも昭和39年
これが原因なら直ぐにクハ181に改造してる筈
でも実際の改造は昭和47年から >>656
逆にクハ481・489からすると、181系はボンネット部分が間延びして見える。 >>654
>>657
481系の落成が一年早かったら、別の展開もあったかもなあ。
日光特急、伊豆特急、軽井沢特急なんて似合いそうなのにな>パーラーカー
国鉄絶頂期なんだから、いろいろ新しい発想があってもいいと思うけど、
絶頂期ゆえに、輸送力の最大化が最優先だったんだろうな。 >>662
>日光特急、伊豆特急、軽井沢特急なんて似合いそうなのにな>パーラーカー
実在してなかった列車まで持ち出しても意味ないよ
需要なかったってのが分からんのか? 181の横軽通過は8両が限度だったから
定員の少ないパーラーカーなんぞなおさら入れる余地はないと思われ >>664
でも需要的には山陽よりもはるかにあっただろうに。>パーラーカー
そもそも山陽路は優等クラスの不毛地帯でありモノクラス特急も山陽路に多かったイメージある。
寝台特急でB寝台が2段な25形や15形になって以降はA寝台付きの関西発九州特急は民営化前にはなかった。
新幹線ひかりRSもG車がないのも山陽路の優等クラス不毛地帯を象徴している。 別府、宮崎、長崎なんかは、新婚旅行の優等需要ありそうなのにな。
オールA寝台の「ことぶき」もあったことだし、ライバルの関西汽船は
いろんな優等船室を用意していたのに。 >>665
>でも需要的には山陽よりもはるかにあっただろうに
無いよ
根本で勘違いしてるんだな
パーラーカーは私的な用事で乗るようなものじゃないから パーラーカーつーのは、客層も含めてなんか謎なんだよな。
1等車の代替というけど、かなり性格が違うと思う。
客車特急の1等車は上流階級の社交場という性格もあっただろうし、
財界人や政治家(戦前は軍人も)の急な移動に備えて、
展望席=実質は予備席が備えられていた。
ところがパーラーカーは定員制の完全予約制、しかも一日8往復。
電話を席にもってきてくれたというが、パーラーカーを利用するような要人?が
衆人環視のもとで電話できるものなのだろうか?
あと、コンパートメントは定員以下利用の需要もあったと思うが、
その場合の規定はどうなっていたのだろうか?
まさか相席ありだったなんてことはないよね?
パーラーカーについてハードの情報はたくさんあるけど、
そういうソフトの情報がないんだよなあ。 パーラーカーの最大の顧客層は、京都へ足を伸ばす外国人観光客。
本来の富裕層のうち、ビジネス用途の客は殆ど飛行機へ流れていたのが実情。
当時の飛行機は収容能力が小さく、グループでまとまった数の席を確保するのは
(旅行会社でも)困難だったので、外国人観光客は必然的に国鉄利用になった。
このスレでも何度も話題になるが、新幹線開業後の山陽転用でパーラーカーの
利用者が激減するのは当然。外国人観光客は京都より西へは行かなかったから。 >>668
同じ旧1等の末裔でもパーラーカーとナロネ20を比べたら旧1等の性格をそのままに残してたのは寧ろナロネ20な気がする。 そういや、787系と253系のグリーン車は、「現代のパーラーカー」と呼ばれていたな。
普通に考えて「現代のパーラーカー」需要があるのは、成田エクスプレスだろうが、
しかし、成田エクスプレスのグリーン車が満員なのは見たことがないな。 今、パーラーカーに相当するのは強いていえばグランクラスになるけど、
客層や高貴さといった点ではパーラーカーの足元にすら及ばない。
グランクラスはお金さえ出せば誰でも乗れるけど、
パーラーカーは上流層や外人しか乗れない雰囲気だったからな。 JRも、航空会社みたいに上級会員カードをつくって、
グランクラスの予約はその会員を優先する、みたいなことにすれば、
「パーラーカー」になる…、なんてことはないか。
鉄は案外年収高い人多いし、下手すりゃ鉄ばかりになる可能性も。
ただ、グランクラス一度乗ったけど、非鉄&とにかく酒飲んで元取ろう爺ばっかりで、
爺たちは態度もよくなく、案外、鉄ばかりのほうが品がよくなるようにも感じた。 冬季の車両故障騒動に巻き込まれたい人におすすめ、485系1500番台「L特急いしかり号」で行く危険な札幌=旭川間の旅
・最低気温氷点下の北陸や信越に東北で走ってるから大丈夫だろうと思ったら、最高気温が氷点下だった
・足元がぐにゃりとしたのでデッキの床を見てみたら吹きだまりの粉雪が積もっていた
・デッキがやけに活気があると思ったら子どもが車内に積もった雪で雪合戦をして遊んでいた
・L特急だと思って駅に行ったら711系が代走していた
・485系のトイレや洗面所に行ったら凍結していた
・発車してから30分の間にドア故障や暖房装置故障に襲撃された
・駅から駅までの10kmの間に吹雪による視界不良に襲われた
・ヒーターがついているから安全だろうと思ったら、溶かした雪がまた凝固して車両故障に襲われた
・床下機器箱にはヒーターや粉雪浸入防止シールがついているから大丈夫だろうと思ったら、制御装置や抵抗器等の「中身に」樹氷ができていた
・列車が突然ブリザードみたいな暴風雪に襲撃されて、デッキも抵抗器もモーターも制御装置も「中身も」すべて粉雪まみれになった
・「北海道向け特別耐寒耐雪仕様だから安全」だとと思って夜間屋外に留置したら、翌朝には自力走行不能になった
・「雪を溶かすドアレールヒーターがついてるから安全」だと思って出発したら、ドアに溶かしきれない雪が詰まって次の駅で開閉不能になった
・「そんな危険なわけがない」といって出発したら2時間後フラッシュオーバに襲撃されて機関車に牽かれて車両基地に戻ってきた
・常連客の1/3が運休・遅れ経験者。しかも雪が溶けるタイミングから「晴天がある日ほど危ない」
・当時関係者で流行っていた最新流行の行事は「熱湯かけ」「雪落とし」車両に大量の雪や氷が付着していたため
・札幌駅、旭川駅における客の特急券払い戻しは12〜3月平均2000人、うち約1000人がL特急いしかり号の乗客(多分ネタですw) 新聞購読を止めて、月3000〜4000円、年間36000〜48000円の節約
その上日本を貶め、国民を虐げる売国新聞の世論工作の影響力が減って一石二鳥
これはもう新聞購読を止めるしかない 京都の新鉄道博物館で、兵庫のクハ151は展示されるのかな? >>677
展示車両はもう、決まっている。少しは調べろ。 151系なんて解体されて1両もいねぇだろwww
寝ぼけてるのかぇぇ クハ151−1「・・・」
クハ181-45「・・・」 交通科学博物館にあったモックアップのクハ151の先頭部は昔、ボンネットのクハ481だったが、
同館が改装されてから「こだま」のヘッドマーク付きのクハ151になったが、整形されたのだろうか >>681
151のモックアップを481もどきの塗装にしていた。 >>683
その車両は現在大宮の鉄道博物館に有るよ。 客室の屋根の高さを10cmいじればどちらとでも言い逃れられる説 >>685
181と481の違いかい?
床面が高くなったので、車体はほぼ同じでも屋根高さが高くなっているのだが。
ボンネット車では違いが明白。
ま、一般人や現物を知らない連中には関係ないだろうが、形式図で屋根高さに注目するよりも、
写真や保存車をしっかり見て、夏休みの宿題を仕上げようね。 クハ481-501、502はクハ181の改造車で本来の485系の先頭に立つと、
車高の低さが目立っていたが、485系の中間車との連結部付近に大きな段差ができたりしたりとか、
貫通幌をうまく引き通すことはできていたのだろうか >>687
そのおかげで交直切り替えスイッチが最初から無かったもんだから、
有明が、門司で運転打ち切りに成ってしまったよorz
当時のウテシは出発前に確認しなかったんだろうか?
あれは事件なのか事故なのか判別しにくいがどちらだろ?
その後、九州内を出無い運用に回されて 「かもめ」・「みどり」専用車両に成ってしまってたorz 非貫通型と比べるとボンネット型の運転室と客室ドアの寸法が小さい気がする
あと運転室も狭い 運転士から苦情がでなかったの?
パノラマカーは色々あって労務担当の人が宥めるのに苦労したそうだよ 広さについては、ボンネット型のほうが電気釜より先に有ったのだから
いいんじゃないかな
むしろ視界とか停止位置で苦労しなかったのかな >>691
おまえだって色々なクルマ普通に運転出来るだろ ttp://www.railway-museum.jp/news/pdf/20151204_800EF58_1.pdf
クハ181-45・クハ481-26 運転室公開 >>690
宥めるって、
おまえらこれからは社運を賭けて造った花形車両を運転できるぞ!
とか?
そんなものかなあ
運転士としてはそんなのどうでも良いから安全運転できる保証してくれよ、と言いたいところだよ https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(弥勒ソフト) 今週土曜(3月12日)にBSフジで「社長道中記」が放送される。
151系「こだま」が出てくるぞ。 >>689
今は当然禁止されてる事なんだが、
昔バイトで車販してて、準備室の無い編成だと
後ろの運転席で休憩させてもらってた。
ボンネットは一番広いぞ。
寸法的には電気釜とあまり変わらないが、
フロントガラスまでの距離が離れてるのと、
メーター等の計器類が低い位置にあるので圧迫感が無い。
貫通型は最悪。狭い垂直のハシゴ上がって行かないと上がれない。
太ってる運転士は特に大変だったと思う。
特に貫通路使う運用の車は貫通路組み立てたままなので、
運転席と助手席も一回ハシゴ下りないと行き来出来ない上、
普段外してあった貫通路と運転席の仕切り折戸が付いていて、
これがかなり邪魔。
よくもこんなパズルのような構造を考えついたものだ。 >>697
どこの線区だか推理したけど、
貫通・非貫通・ボンネットの全種類走ってる走行線区って信越線?
あさまとかかな?それとも九州かな。 >>698
北陸筋じゃねぇの、スーパー雷鳥で貫通路常用してたし。 >>697
運転室背後にある空調ファン。
貫通型からファンで強制的に冷風導く方式だけど、、
ボンネット型はA4サイズくらいの蓋開けて、客室側のクーラーファンから送りだしていたっけ? >>699
かなり過去の事だし…正解。
>>700
記憶が曖昧なんだが、網の中にファンあったのは、貫通型以降。
ただ、貫通型はクーラーからではなく、
室内の壁から空気取る換気扇みたいなもの。
モハ485のデッキにあった換気扇とほぼ同じ構造。
電気釜は運転席から見ると同じに見えるが、
運転席側のクーラー吹き出しから分けていた。
客席の一番運転席側クーラーの吹き出し口の形が違うのはこの為。
ボンネットは吹き出しあったけど、ファン無しだったような気がする。 >>701
貫通型のは換気扇だったのか。
運転室屋根のの後ろにグリルがついていてこれが謎。
ちょうどクハ381みたいな感じの。 京都の博物館入りしたクハ489-1、雨樋部分の赤塗装が省略されたままなのが残念。 昨日(7/2)20:45- NHKニュース「常磐線120周年」のなかで
ほんの一瞬 クロ481「ひたち」の映像が出てきてびっくり >>704
サワ車はいつから省略するようになったんだろ >>705
出てましたね
こないだの国鉄色485系のラストランの時の放送でもそうですが、NHKは鉄道関係の映像が豊富ですね 金沢の白山用の489系は定員の問題とATS-P搭載の関係で
非貫通とボンネットで入れ替えたんだよな 横軽末期の頃(平成一桁後期頃)に
サワ区に白山編成と別で
489系チンイツで両端ボンネット(もちろん国鉄色)な編成があったな
北陸の田舎へ帰省するときに金沢でなぜかこの編成をよく見かけたものだ
ATS-Pは積んでなかったが最後に横軽超えで高崎くらいまで臨時で走らせたら面白かったのだが
まあ高崎構内でATS-Pが要るからダメかもしれんが >>710
クハ489-4とクハ489-504が両端になっていた編成ですかな?
この編成はしらさぎ用だったような >>711
その編成ですな
たしかにしらさぎに入ってました
自分は大阪から北陸線の現3セク管内へ行くので
しらさぎには用はなかったのですが
ちなみにボンネットではないがクハ481-201によく乗ったものです >>711
>>712
K24編成だったかな
碓氷峠越え設備も無用の長物
逆に長野の489系は二度と北陸本線に入られない仕様で封じ込められた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています