151・161・181・481・485・489系【ボンネット】スレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ついに489系もボンネット車が事実上の廃車!
これでとうとう151系から伝承された国鉄ボンネット型特急の思い出となりました、
ボンネット型の登場は客室から大型CPを騒音から離す目的の機能美でした。
この素晴らしく美しいボンネット型について語りませんか。
その他ボンネットバスや、東武のDRC等、私鉄のボンネット型についての話題も歓迎します。
大いに語りましょう。 出前あったんだ
食堂車まで出かけたよ、幼稚園児がネクタイして 先々週、松任工場を外から見てきました。
最後のボンネットこと489のH01編成の廃車留置を見るためです。
車解体線にいるのは、編成が2つ?にばらされたH01のみでした。
Tc489-1だけは保存?のために工場建屋内で保管されているという
噂については、外からはわかりませんでした。
455・471や413の廃車解体が一段落したのか解体線にいるのはH01のみで、
近々に解体される模様です。
サンクスです。489系は公道からでもわかるところに停まっていますか? 兵庫の181系と大宮の181系って形が違うんですか? >>33
違うよ,兵庫工場のは元151系、純粋な最後の151系だよ、
この車両を利用して「オールウェイズ三丁目の夕日」の撮影が行われた。
駅のホーム周辺はCG処理だけどこのクハ181‐1(クハ151−1)は本物の車両。
大宮のはクハ181ー45で最初から181系として製造されたもの、
晩年サロの車体段差が合わず編成美としては悪かったですね。
まあサロ481へ転用を考慮した車体の高さっだた関係でやむおえないのかな・・・ 181系と485(9)系の先頭車とどっちが見栄えしたかな…?
後者は客室が高くなってて、何か、運転台が客室の屋根にめり込んでるように見える。
一方前者は、晩年屋根上のヘッドライトなくした(「とき」専用になっても復活せず)…。 >>40 485(9)!!!
ハゲは嫌いだ!
特急先頭車の頭には(特にボンネット車)には、やはりアノちょん曲げみたいな
前照灯ASSYが付いてなきゃ。
ところでここの住人的に新幹線以外の現行品でボンネット認定できるのはどれ?
東651, 海383, 西283,681,683, 四8000, 九783,787,883,885, 東武100, 近鉄21000,21020,23000, HOT7000
流線形ではあってもボンネットかというと微妙なのが多いねぇ。
確実なのは東武100くらいか。 >>34
区分室の電話から食堂車の調理室にある業務用電話で
メニューを注文できてウエトレス嬢にデリバリーさせられた >>44
↑のカキコミを見て列車の中でキャバ嬢をデリバリーしてくれるサービスがあったと早合点したのは俺だけでいい。 兵庫の181系と大宮の181系は
形がどう違うんですか?
>>23
つ489系
>>42
651系だろうな
運転台もっと後退させて前デッキ無くせば、ボンネットが2mくらい長くなった。
当時大胆で斬新なデザインと謳って鮮烈なデビューしたけど、485系を意識していると思うよ。
E653系、E657系と段々カッコ悪くなっている。 18X系も48X系も貫通型は貫通扉からの冬期雪の侵入や、雨漏りや風の侵入なので
早々廃車されたり、貫通扉を埋められたね。
183系1000代の地下乗り車も非貫通型になったし、
結局貫通扉は不要だったということだね。
その点ボンネット型はCP開口部の腐食ぐらいで雨風の侵入は無いから、489系は残ったんだろうね。
その証拠に489系は真っ先に貫通型が淘汰されたよ。 >>37
先々週に見た時は敷地外、公道上から見えました。
ただし見えるのは501の先頭部分と、分割された編成の妻面だけでした。
他の部分は廃車解体線の奥、建屋の間にいて敷地外からは見えませんでした。
住宅地の中の狭い公道で、駐車禁止、車も通りますので、車で行かれる人は
気をつけた方がいいと思います。なお、工場周辺には一般用駐車場はありません。
クハ181から改造されたクハ481の場合、駅のホームが低くて客が乗降に難儀した
って事はなかったんだろうか…?まぁ、この車両は床自体が低いけど。 >>52
その改造で、交直切り替えスイッチをけちったお蔭で
「にちりん」が途中で運転打ち切り、運休になったねw クハ481-102
たった唯一JR東日本に在籍して最後まで残ったボンネット型車両。 >>56
職員さんの手作り(ハンドメイド)ですよ。 >>60
上沼垂の485系がグレードアップ化したのはJR間もなくだから、
鳥海が寝台列車化して間もない頃? 昼間の485系鳥海か
のっぺり型しか写真でみたことない >>46
写真を見て、レンズの画角の違いで、角張ったり、丸っこく見えたりするのを
誤解する人がいるが、151・161・181ともボンネット形状は設計上全部同じ。
違わない。 151系と言えば
赤フィルターだな。
あれはいつまで実施していたのだろう?
>>66
赤フィルターは、運転取扱心得の列車防護の規定が変わった
1965年(昭和40年)までの実施。
下の2つのヘッドライトには交互点滅させる回路があって、
不測の事態で停車したときには、赤いランプが左右交互に点滅させる
という面白いものだった。
赤フィルターの装着と点滅確認は、取扱いが廃止されるまでは
東京−田町間の回送ですら真面目に守られていた。
AU12型クーラーの方が換気もできたし13型クーラーより良かったかも。
ガーランドベンチレーターが2ヶ所しかなかったのはその為? >>67
ありがとうございました。
謎が解けました。
ただ普通に点灯させるだけかと思っていました。
パトライト的な使い方だったのですね。 やっぱりボンネット車が美しいのは、あのキノコ型クーラーだな。
四角だったら美観が台無しだよw でも一応ボンネット車って代表車両は保存されてるんだよね、
九州のボンネットも保存されてるんでしょ?
事業用車には訓練車にしかならなかったね、
でもあの不細工な訓練車のヘッドマークはドン引きしたけどw デカ目の上沼垂ボンネット。
あの塗り分けの処理と連結器カバーがポリウレタンか布製なのは頂けなかった。
座席も簡易リクライニングシート。床も壁もそのまま。 >>72
R51シートだねw懐かしいなあ、
昔の簡易リクライニングは足を踏ん張ってないと元に戻ってしまうと言う
イヤハヤ何ともいただけない構造だったなあw
別名ギッコンバッタンシートとも呼んでいた。
181系の連結器カヴァーもポリウレタン製でボコボコでい歪な形でしたね。
テッパクのクハ181ー45の連結器カバーは新調したのかな? >>73
鉄博のクハ181-45の連結器カバーは、上沼垂保存時代から付けてあった代用品。
元々は新ニイのクハ481用のもので、そのまま大宮に持ってきた。
因みに上部ヘッドライトはお隣りに展示してあるクハ481-26の
勝田訓練車K26編成時代の相方で廃車されたクハ481-17のものの流用品。
さらにトリビア情報を言えば、上沼垂から大宮まで陸路搬送の際、
台車を外してもトレーラーに支障するため、キングピン受けを切断した。
だからクハ181-45は二度と線路の上を走れない…。
>>75
ピン切断っていうことは、台車の上にただ乗っかっているだけと云う事だね・・・
残念だなorz JR西って商売っけ無いね、懐かしのボンシリーズ化してリバイバル運転やれば
489系でかなり儲かるのに、西管内で走った列車限定でやれば問題ないしな、
「しおじ」や「はと」も下関か幡生止まりにすればいいしな。 懐かしのボンネットってみんなはどれにに興味があるかな?
俺的には懐かしの「ゆうなぎ」だったら乗るし撮るよ。 リバイバルうずしおが絵入りマークでがっかりだった。 >>73
未だにクハ481−1508や352で現役。
>>74
カバーは偽物?
他の車両は甲種回送したのに乙種回送か。
それだけ腐食が激しかったのか。 >>81
さすがにもう足を踏ん張ってないと元に戻るって言うのは無いでしょうw
現在残っているそれ等の車両もロック装置位は付いているのでは? >>82
任意に角度調整できない奴。つまりR51改?が残っている。 元を正せばサロ150(→クロ150)のクハ181-53は、今の手抜き改造(って言うと鉄道側は機嫌悪くするだろうが)と違って、
客窓も普通車用の大型に代えたから、座席と位置がずれてるなんて事はない(筈)。
反面、その改造は相当な手間だっただろうな…。種車の窓周辺全て切り取って新しくはめたんだろうから…。当時だからできた事か…。 >>84 って事は側(外板)は、ほぼ全張替え?
サロベースから残っていたのは、屋根の一部と台枠のみ? 今月H01が廃車されたから現在は全廃、
まあシルフォードとか485から改造ジョイフルを敢えてボンネットと
呼ぶんならあるけど、
あの手の車両はさすがにもうボンネット車両じゃないでしょうw
ボンネットバスだったらまだいくらでもあるよ「伊豆の踊り子号」とか、
千葉や茨城でも展示された奴とか、
DRCは東武博物館には晒し首wが1両、公園には先頭車がまるまる1両保存されている、
が部品盗難が多発してて、悲惨な状況にorz >>85
詳しくは知らないけど、今の感覚からすれば、
車体は全面新製っていうのに近い印象はあるよな…。
窓と窓の間のピラーは動かせないし、ガラスも伸縮させる事できないから…。 >>88
ガラスが伸縮しちゃったら大変だよw
それこそノーベル賞ものだね。
結構お金掛かってるんだねえ、でもシルフィードもクハは全部鋼体は新製して
台枠と台車のみのリサイクルだから、昔の旧客もそうだったし。 配給電車の改造難易度で判るけど、80系以降の電車の大幅な車体改造
台枠を残して側を全部めくり作り直すような工事は、切断加工前に事前に
仮の補強を入れるのか?
・・・そうでもしなければ、台枠をひん曲がりそうな気がするのだが・・・。
つーか車体を切り張りする時は台車から下ろして多点支持するでしょ。 川崎重工の元151の181と大宮の最初からの181とは、形に違いはありますか? >>92
同じ質問を何回もしているけど、基本的には >>65 の通り、
外形寸法としての「形」は同じ。
だが最初期版の20系として生まれたクハ181-1(川重保存)と、
100番台以前では最終版で161系として発注されたクハ181-45(鉄博)では
細部には一口で言えないほどの違いがある。
川重車だけをとってもクハ26001→クハ151-1→クハ181-1と
改造を重ねるうちに変わったところが何ヶ所もある。
「形に違い」とはどの程度のことを聞きたいのか言ってくれないと
ここには詳しい人が多いけど、みんなレスを付けにくいと思うよ。 まあ確かに、細かい事をつつき出したら1両1両全て違うって事にもなりかねないとこだから…。 >>74
上沼垂から大宮までレールの上を走ってきてほしかった。
機関車けん引できれば可能だったんじゃない? 永いこと据え置きだったので上沼垂→大宮の移動に
足回りが耐えられなかったのでは? >>96
上沼垂に1982年から2007年まで、25年も静態保存していたわけだから、
甲種で輸送するには全検並の手間が掛かるから陸送にしたんだと思う。
足回りもさることながら、ブレーキ系統が機能しないと甲種は無理だからね。
>>74
45の台車がTR-58だったのが切断の理由だろうね。
TR-58は、車体側から筒状のキングピン受けが長く伸びて
台車に差し込まれる形になってるから、これはどうしても邪魔だよね。 クハ181-45は、鉄博移動の直前に上沼垂で最終整備したわけだけど、
アスベスト除去、ボンネット開口部のパテ埋め、再塗装に加えて
ボンネット内のMG・CPの撤去も行った。補助抵抗器も箱だけのダミー。
つまり残念ながら「車輌」から「展示物」化のための整備だった。
展示に向けての最終整備の方針を決めるに当たっては、
「161系現役当時への姿」への復元希望が一番強かったので、
クハ161-5としてのイメージを追及したとの話だった。 >>78
ある意味での商売気はあるんだろうね。
ただ、こと鉄道事業本体について言えば・・・。
消極的というか、保守的というか、役所的というか。
あの大事故の影響で、今も鉄道そのもので派手なことは「自粛」みたいな。
あの犯罪以降は、鉄道ファンに対する警戒意識も強いし。
国なり「世論」なりを気にして、特に設けの少ない鉄道事業本体関係は
「安全運転主義」別名現状維持の保守的になるの仕方ないんだろうけれども。
鉄道博物館にあるクハ181?のシートは固定されててリクライニングしないけど、
あれはR51シートなのかな?
それとも原型のシート?
リクライニングしないのに何時間も座るって大変だったろうなあ。 >>98
外観ばかりでなく臓物もで取ったのか。
もうミイラじゃんw >>100
原型のシートだね。
いわゆるロマンスシート。
それでも佐渡のボックスシートよりは快適。 初期の151系こだまはシート上の白い布が2人席分になってるいますが、てっぱくの181系ときは1人席分になっていますよね。いつ頃から変更があったのでしょうか? >>102
dクス
現在では373系ですらリクライニングするし、
最近まで普通列車に使用してたから181系とは雲泥の差だよね。
昔は早く行けるっていうことに重点を置いていて、
当時の国鉄は居住性なんてあまり考えていなかったんだろうねえ。
鉄道博物館の181も485も紙コップまでもが備え付けられてたのには驚いたな。
水なんて永久に出ないのにねw >>104
国鉄型の普通席もフリーストップ型のシートに交換されると、
グリーン席との差はピッチと足置きくらいの違いになって見劣りしてきた。
だから、3列シート化とか大きな梃入れを施してある。
今は、公衆電話や液晶TVやオーディオの撤去だね。携帯とかアプリツールが充実しているかな致し方が無い。 もしも183、189、381系にボンネットがあったら? そう言えば気動車のボンネットキハ81の話題が出てないな。
当時は故障続きで新聞の見出しに「はつかり、がっかり」って大きく出たそうですよw
晩年は「くろしお」で使用され大阪の交通科学館に保存されていますね。 クハ183-1000とクハ189は、非貫通型(スペース的にボンネット型より効率がいい)だけど
定員はクハ181と同じ。まぁ、車体が60cm短いし出入口が片側2箇所って事情もあるが…。
だから、この辺がボンネット型だったらもっと定員減になってた気がする…。
あと、一部で見られた、中間に貫通型クハ(形式は問わず)が入る編成ってのも、
存在しなかったんだろう。
しかし考えてみると、分割併合の可能性を最初に考慮した筈のクハネ581(583)が、
結局1度もそんな使い方されなかったってのも、何なんだかっていう印象…。 連投で失敬。
ボンネット型の先頭車が編成の中間に入るなんぞあり得ないと思ったけど、
実際のところは、東北+山形(秋田)新幹線でその種の現象が見られた。 電気釜たちの貫通扉が殆ど使われなかったのはやはり、組合絡みの問題か?
なら房総の183系(新総武線の地下区間の為もある?)ともかく
後に居住性改善とかで組合が貫通電気釜の悲貫通電気釜への改造要求が出なかったのが不思議。 貫通扉埋めちゃったのなかった?
隙間風が最大の理由か? >>109-110
勝田の485系晩年は両端ボンネットの7両+7両の14両編成で上野まで来ていましたよ。
ボンネット同士の連結面も当然見れましたよ、
唯スカート切断で見栄えが悪いしひたちカラーに塗色変更されたから写欲が半減したけど
京キトの485系も「ユートピア和倉」連結のためにスカート切り取って見栄えが悪かったですね。
究極はボンネットでは無いけど、485系と583系の貫通扉を生かして、
シュプール号で併結運転がありましたね。
クハ485系と583系の連結幌に萌え〜でしたね。 >>114
ttp://www.ss360.net/images/wp1/2007/06-583-485.jpg
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/9703.jpg >>113 JR以降後は知らないけど 貫通を生めた(非貫通化)は事故復旧の際581?583系で1両あっただけ。 >>112-113
青森の583系は晩年に貫通扉埋めた
(その前からガムテープで裏を塞いだりしてたが)
>>116
確かクハネ581-7 581・583系が当初から特急用として構想されていれば
もしかして貫通構造にならなかったかもしれないね
そしたら特急電車はボンネットのまま推移したんだろうか やっぱり貫通型が無くなった最大の理由はすきま風や雨の侵入なんだろうな。
最近のE231系E233も貫通扉は廃止されたし。
最近では211系もクハは貫通させて連結してないよ。
連結、開放作業の簡略化と停車時間の縮小だろうな。 連結解放の時間短縮はあっているが、あとは運転機器の増加と前面強化の必要性からだと思う。
583系にボンネットがあったとしたら
高い屋根からのフォルムはどう処理されていたか 583のフォルムだと運転台側窓から編成側面を監視するのは難しいのかな。 583の場合だとまだ美的センスがあるけど、381系のボンネットは何かカッコワリー
様な希ガス。 それにしても、隙間風云々で忌避された筈の貫通型が、E351・383・681・683系なんか(253系以降)で
再び見られるようになった…。
「併結区間」では、1組でいい車掌や車販のスタッフを2組にしなきゃいけなくなるのを回避するため?
いつの間にかAA基準って云うの無くなってしまったね。
昔は101系1000番台とか非貫通車両でも相当厳しかったんだけど。
総武横須賀線の地下区間然り。 馬鹿デカイATS-P車上装置や
コンプレッサーとか集約して乗務員も守るならやっぱりボンネット型に回帰すべき
>>122
なんかパチンコキャラのワリンちゃんみたいだww >>128
最近の車両はコンプレッサーの音静かだよ
209系ぐらいまでだね、コンプの音何か水冷エンジンみたいな音してたの。 ボンネットの運転席のパノラミックウインドウは
夜間の映り込みが気になるらしい
理想は583系などの平面ガラスのようである ボンネットの最大の特徴は何といってもシルエットが美しいから、
写真でシルエットで写すと実に美しい、ボンネット車だとすぐわかる、
だが電気釜でそれをやったらどの車両か見分けがつきにくい、
オデコのライトで分かるじゃんって言うのは、
K40編成みたくライト撤去車もあるからいちがいには言えない。 最近の『カモノハシ系』新幹線なんてボンネットの映り込みはどうなんだろうね。
自動車ではボンネットだけノングレアなマットブラックにペイントするのが
流行った時代もあるけれど。
以前はかなり衝撃が強かった新幹線のすれ違いが
この頃は気にならなくなってきている感じがあるんだが、
青函トンネル内での貨物コンテナ列車とのすれ違い問題は
貨物用の電気機関車の前面形状をロングノーズにして
解決できない物なんだろうか。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています