151・161・181・481・485・489系【ボンネット】スレ
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ついに489系もボンネット車が事実上の廃車!
これでとうとう151系から伝承された国鉄ボンネット型特急の思い出となりました、
ボンネット型の登場は客室から大型CPを騒音から離す目的の機能美でした。
この素晴らしく美しいボンネット型について語りませんか。
その他ボンネットバスや、東武のDRC等、私鉄のボンネット型についての話題も歓迎します。
大いに語りましょう。 >>100
原型のシートだね。
いわゆるロマンスシート。
それでも佐渡のボックスシートよりは快適。 初期の151系こだまはシート上の白い布が2人席分になってるいますが、てっぱくの181系ときは1人席分になっていますよね。いつ頃から変更があったのでしょうか? >>102
dクス
現在では373系ですらリクライニングするし、
最近まで普通列車に使用してたから181系とは雲泥の差だよね。
昔は早く行けるっていうことに重点を置いていて、
当時の国鉄は居住性なんてあまり考えていなかったんだろうねえ。
鉄道博物館の181も485も紙コップまでもが備え付けられてたのには驚いたな。
水なんて永久に出ないのにねw >>104
国鉄型の普通席もフリーストップ型のシートに交換されると、
グリーン席との差はピッチと足置きくらいの違いになって見劣りしてきた。
だから、3列シート化とか大きな梃入れを施してある。
今は、公衆電話や液晶TVやオーディオの撤去だね。携帯とかアプリツールが充実しているかな致し方が無い。 もしも183、189、381系にボンネットがあったら? そう言えば気動車のボンネットキハ81の話題が出てないな。
当時は故障続きで新聞の見出しに「はつかり、がっかり」って大きく出たそうですよw
晩年は「くろしお」で使用され大阪の交通科学館に保存されていますね。 クハ183-1000とクハ189は、非貫通型(スペース的にボンネット型より効率がいい)だけど
定員はクハ181と同じ。まぁ、車体が60cm短いし出入口が片側2箇所って事情もあるが…。
だから、この辺がボンネット型だったらもっと定員減になってた気がする…。
あと、一部で見られた、中間に貫通型クハ(形式は問わず)が入る編成ってのも、
存在しなかったんだろう。
しかし考えてみると、分割併合の可能性を最初に考慮した筈のクハネ581(583)が、
結局1度もそんな使い方されなかったってのも、何なんだかっていう印象…。 連投で失敬。
ボンネット型の先頭車が編成の中間に入るなんぞあり得ないと思ったけど、
実際のところは、東北+山形(秋田)新幹線でその種の現象が見られた。 電気釜たちの貫通扉が殆ど使われなかったのはやはり、組合絡みの問題か?
なら房総の183系(新総武線の地下区間の為もある?)ともかく
後に居住性改善とかで組合が貫通電気釜の悲貫通電気釜への改造要求が出なかったのが不思議。 貫通扉埋めちゃったのなかった?
隙間風が最大の理由か? >>109-110
勝田の485系晩年は両端ボンネットの7両+7両の14両編成で上野まで来ていましたよ。
ボンネット同士の連結面も当然見れましたよ、
唯スカート切断で見栄えが悪いしひたちカラーに塗色変更されたから写欲が半減したけど
京キトの485系も「ユートピア和倉」連結のためにスカート切り取って見栄えが悪かったですね。
究極はボンネットでは無いけど、485系と583系の貫通扉を生かして、
シュプール号で併結運転がありましたね。
クハ485系と583系の連結幌に萌え〜でしたね。 >>114
ttp://www.ss360.net/images/wp1/2007/06-583-485.jpg
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/9703.jpg >>113 JR以降後は知らないけど 貫通を生めた(非貫通化)は事故復旧の際581?583系で1両あっただけ。 >>112-113
青森の583系は晩年に貫通扉埋めた
(その前からガムテープで裏を塞いだりしてたが)
>>116
確かクハネ581-7 581・583系が当初から特急用として構想されていれば
もしかして貫通構造にならなかったかもしれないね
そしたら特急電車はボンネットのまま推移したんだろうか やっぱり貫通型が無くなった最大の理由はすきま風や雨の侵入なんだろうな。
最近のE231系E233も貫通扉は廃止されたし。
最近では211系もクハは貫通させて連結してないよ。
連結、開放作業の簡略化と停車時間の縮小だろうな。 連結解放の時間短縮はあっているが、あとは運転機器の増加と前面強化の必要性からだと思う。
583系にボンネットがあったとしたら
高い屋根からのフォルムはどう処理されていたか 583のフォルムだと運転台側窓から編成側面を監視するのは難しいのかな。 583の場合だとまだ美的センスがあるけど、381系のボンネットは何かカッコワリー
様な希ガス。 それにしても、隙間風云々で忌避された筈の貫通型が、E351・383・681・683系なんか(253系以降)で
再び見られるようになった…。
「併結区間」では、1組でいい車掌や車販のスタッフを2組にしなきゃいけなくなるのを回避するため?
いつの間にかAA基準って云うの無くなってしまったね。
昔は101系1000番台とか非貫通車両でも相当厳しかったんだけど。
総武横須賀線の地下区間然り。 馬鹿デカイATS-P車上装置や
コンプレッサーとか集約して乗務員も守るならやっぱりボンネット型に回帰すべき
>>122
なんかパチンコキャラのワリンちゃんみたいだww >>128
最近の車両はコンプレッサーの音静かだよ
209系ぐらいまでだね、コンプの音何か水冷エンジンみたいな音してたの。 ボンネットの運転席のパノラミックウインドウは
夜間の映り込みが気になるらしい
理想は583系などの平面ガラスのようである ボンネットの最大の特徴は何といってもシルエットが美しいから、
写真でシルエットで写すと実に美しい、ボンネット車だとすぐわかる、
だが電気釜でそれをやったらどの車両か見分けがつきにくい、
オデコのライトで分かるじゃんって言うのは、
K40編成みたくライト撤去車もあるからいちがいには言えない。 最近の『カモノハシ系』新幹線なんてボンネットの映り込みはどうなんだろうね。
自動車ではボンネットだけノングレアなマットブラックにペイントするのが
流行った時代もあるけれど。
以前はかなり衝撃が強かった新幹線のすれ違いが
この頃は気にならなくなってきている感じがあるんだが、
青函トンネル内での貨物コンテナ列車とのすれ違い問題は
貨物用の電気機関車の前面形状をロングノーズにして
解決できない物なんだろうか。
>>133
>>ノングレアなマットブラック
つ201系があるじゃないか。 まあスレチではあるが・・・
583のノーズ(と言っていいのか?)の上が青く塗られてたのも
映り込み防止の効果があったのかもな
そう言えば最近のプロ野球の外人選手は
目の下黒く塗ってんの? >>135
デーゲームでは塗ってるけど、塗ってる人と塗ってない人がいるよ。 クハ489は、たった28両でよくぞ全タイプが揃ったもんだ(ボンネット・貫通=各10両、非貫通=8両)…。
しかも、EF63と連結する関係で片栓だったんだから、考えようによっては「6種類」あったようなもの。
ただ、最後まで「白山」で残ったのはボンネット型だったって事は、
「原点回帰」的な印象でもあった。 >>136
おお
過疎ってる懐かしスレに即レスありがとうw >>138
ちょうどボンから貫通の過渡期だったからね もし489系のデビューがあと1年遅かったら、クハのボンネット型は無になるところだった…。
正に奇跡的…。
しかも片栓になってる関係で、28両しかないにも拘らず番号は1から704に渡ってる、
ってのも凄過ぎる感じ。 特急こだまって、ボンネットの485系で復活運転したことなかったっけ? 結局電車の「つばめ」も「はと」も「こだま」もボンネットで1度も走らなかったねorz
東京〜大阪を通し運転するには、JR東海が煩いんでしょ? ボン止めて電気釜になったってことは常客にとってサービスダウンだよね?どれくらい騒音増えたの? 貫通型では、CPをC-3000からC-2000にして(中間車への分散配置へ?)、
MG共々床下に移設したけど、どうだったんだろう…?
あと、クハ489-600の方(EF63連結側)は、そのCPを2個にしたとか…。
一方、非貫通型では、CPだけ再び床上に移ったから(クハ489は床下のまま)、
また(というか更に)やかましくなったのか…? 特急こだま、485のボンネットで復活運転してない?何かJRになってから走った記憶が。 >>145
485の電気釜タイプは全盛期は東北に多く、北陸や西日本では少なかったような。
東北特急はクハネ583を生んだほど需要が凄かったくらいだからボンネットではきつかったということはあるかと。
東北新幹線開業前の東北特急は先頭クハは電気釜、中間の10両はキノコクーラー世代(場合によっては483系世代)という編成が多く、北陸や西日本では逆に先頭クハはボンネット、中間車はAU13搭載車という編成が多かった。 >>148
尤も、それにしては、モハ484-600(車掌室付M')なんてのこしらえて、折角同200番代で増やした定員
また減らすなんてことしたけど(Gが上野方に寄り過ぎてて、編成中央付近にも車掌室が必要だったって話だが)…。
まぁ、仙センの485に関しては
←上野 仙台→
Tsc+M'+M+M'+M+Td+T+M'+M+M'+M+Tc
の一部を
Tsc+Ts+M'+M+M'+M+Td+T+M'+M+M'+M+Tc
に増車(Ts追加)なんて経緯もあったから、先頭車の形状(定員)云々は別にしても
輸送力が逼迫してた事情はあったんだろう…。
今日22:00時からのNHK「プロフェショナル」元国鉄職員の介護福祉士の仕事が
出てたけど、高校卒業後国鉄名古屋工場に入局、
主に485や489のボンの整備士だったそうだ、ボンネットの上で写真を撮ってる
本人を見たけど、ボンネットの整備の方が良かったんじゃないのか?と
思ってしまった。
現在56歳、国鉄からJRに変わったと同時に退職、25年介護職だそうだよ。 その写真を見てあのボンネット車は485か489か0番台か100代かなんて
そっちの方が気に成ってしまった(笑)
「ボンネットカヴァの上で写真撮れて羨ましいなあ」とかねw >>150
スレ違いだけど、その人自分の意思でその時転身したのか、気掛かりに思えてきた…。
国鉄解体の犠牲者だったとしたら、やり切れない…。 >>152
本人は障害者専用列車「ひまわり号」のボランティアに携わったのが
介護に転身するきっかけだったって番組内では紹介してたけど、
核心は分からないね、もしかしたら>>152さんの言うように、そうかも知れないね。 >>148
金沢は300番台新製配置されてたけどな そう言えば昔、「白山」の貫通だか非貫通だかが来たとき、遠目に見てた
当方の中学の同窓生が一瞬「しなの」とほざいた。
その場所、北長野駅付近だったんだから「しなの」が来るわけない…。
また、「あずさ」が189系に置き換えられた直後、この編成見て従弟が
やっぱり「しなの」と言った。これは岡谷駅付近だったから、やっぱり
「しなの」がいる筈ない場所。
ま、ヲタを別にすれば、以前(昭和50年頃)は一般には「白山」や「あずさ」(や「あさま」)と
言えばボンネット型、なるイメージが定着してたって事なんだろう…。 >>155
しなのは381系じゃないですかw
屋根はのっぺらぼうだし、どう見ても間違えようが無いと思うのですが??? >>156
普通の人はそんなもんですよ。
房総特急で183系がデビューした時、
「色違いの月光だ!」と言った友人がいましたよw >>150>>154
確か昭和50年代の「しらさぎ」は485系300番台が主流で、ボンネットがレアだったから、
489系のボンネット車が来たタイミングを見計らって撮ったのかな?
ただ昭和60年3月改正後、食堂車なし編成になってから「しらさぎ」ボンネットは
かなり増えたけど。 >>148
昭和53年10月から仙台の「ひばり」用12両編成は、上野方クハが電気釜、仙台方クハが
ボンネットだった。当時東北特急の両端ボンネットは、「あいづ」「ひたち」使用の9両編成だけ。
電気釜にイラストマークが採用された頃だったので、「あいづ」のイラストマークに出会うのが
困難だった。 何故かボンって「あいづ」も「ひばり」も絵入りありませんでしたね。
どうしてだろう? 仙センの485系は「上野方(非)貫通、仙台方ボンネット」ってカキコがあったけど、
大ムコや金サワ(485系)は両端の形状揃ってたんだろうか…?
「白山」編成は全て両端とも同一形状だったから、「雷鳥」や「しらさぎ」は
どうだったのかと思って…。 俺を鉄ヲタに引き込んだ車輌は181系だ。
あのボンネットの独特の赤い帯とサイドのJNRマークがたまらなく良かった。
特に、新潟の豪雪の中を走り抜ける姿は最高だったな。 >>160
ボンネットで絵入りは53・10以降だと金沢と新潟だけだったと思います。
「ひたち」ボンで絵入りになったのは60・3改正で勝田持ちになってからでしたね。
九州はいつからだったかな、、、 >>163
大ムコ車の「雷鳥」は片方だけボンネットはあった。それはボンネット廃止の2003年まで続いた。
大ムコ車は新幹線博多開業前に貫通・非貫通型が配備されてから、「つばめ」「はと」「しおじ」
など山陽特急でも片方ボンネットの場合があった。
「しらさぎ」は昭和50年から金サワ持ちになってからは、両端ボンネットまたは、
両端貫通または非貫通で、片側だけボンネットの記憶はない。 >>165
ボンネットのイラスト入り最初は、昭和54年1月から181系「とき」
昭和54年7月から、489系「白山」「はくたか」がイラスト入りになった。
但しその頃は489系ボンネット臨時使用の「しらさぎ」「雷鳥」は文字・ローマ字だった。
九州もイラスト入りは昭和60年3月から。ただ多くのボンネットが勝田に転属したので、
「有明」ボンネットのイラスト入りを見かけるのは少なかった。 ホームライナーのヘッドマークってどう言う仕組みになってたのかな?
よくあんなんで走行中外れないもんですねw
黒地と言うかグレー地だったよ。 >>167
にちりん、みどりも絵入り。
かもめだけは写真がない。 >>170
「かもめ」の絵入りもありますよ。
ED76さくらとボンかもめの交換シーンがRFに載ってました。 >>166
Thanks
車両基地や列車によって様々な現象が見られたわけか…。
考えてみると、国鉄特急電車としては、485系だけに、両端で形状が違う編成が
見られたことになるな(60・3・14以降の改造車を除いて
[余談だけど、個人的な思いとしては、同日国鉄は死去])…。 >>173
くだらない
クモハとは名乗らないが、新幹線電車や東武1720系など、ボンネットタイプの制御電動車なんか珍しくない >>173
場合によったら、板谷峠に特急電車入れる際に(編成を6M4T→6M3Tに変更)、
それが誕生してたかも知れなかった、という気がする…。
まぁ、実際はサロ481→クロ481の改造で対処したけど…。
で、もしMcができてたら、「あいづ」辺りは、
Tc+M'+M+Ts+Td+M'+M+M'+Mc +Tc+M'+Mc
(上野―会津若松) (上野―郡山)
みたいな編成にできて、「ひたち」の一部がとばっちりの9両(輸送力不足)
なんて事態も回避できた…?ただ、通り抜け不可能なのが難点だけど…。 151系と同世代の小田急SE車もクモハとは名乗らないね。
同じく同世代の近鉄モ10000初代ビスタカーも。 >>177
そもそもの出発点が>>173の発言だって事分かってんの?
Tc側だけ貫通で何の意味あるわけ? そうだよな、電気釜なんて使ったってしょうがねえじゃん、
発言を良く嫁!! なんかスマン
ただ、ここは151、161、481、485、489のボンネットスレ
>>174のようなレスは期待してなかった
妄想でもいいから>>175のようなレスで盛り上がればと思ったんだ
>>173
151系が広島電化でセノハチを超える時、補機が必要になったけどその時に8M4Tにして
先頭を電動車にしたら良かったと思ったり?
もっとも国鉄は先頭電動車は余程の事情がない限り避けていたから考えもしなかっただろうけど。
その辺り先頭電動車設定に躊躇いをもたない関西私鉄と大違いだな。 >>181
そうせずに主電動機のパワーアップを選択した、って事だろう…。
後で考えれば、M車多くした方が編成の自由度高まってよかったと思えるが、
当時は「特急は固定編成」って発想に凝り固まってたんだろうな。
まあ、コスト的な問題とか、Tc+T→Mc+M'のような2両纏めての改造は面倒、
M→Mcじゃ定員減が大、ってな考えもあったとは思われるが…。
「電車」1963年2月号
「今後の長中距離電車の編成および車種についての考え方」によれば
交直流電車 特急 の項目には
「分割併合が可能なように前頭車は現行こだま型のような形はやめて貫通型とし」
とあり、McM'TdTsMcM'Tc ほか多くの検討案がならんでいて、
「編成途中に運転台が入り、特急電車としては外観上の見えが若干悪いこと、
座席数が減ること、の不利があるが、
構内作業が簡便なこと、予備車の減を期待し得ることの利点がある」
の記載がみられる. 鉄博図書室で閲覧可能 >モハ484-600(車掌室付M')なんてのこしらえて
東北新幹線開業後の485系の転属先で
予想される短編成化に備えてだったんだよ。
>>181-182
M車比率を高めず、パワーアップを選んだ理由として推察できること
・電動車は高価(概算で非電動車の倍価)
・消費電力でみても、あえて必要ない平坦区間で不経済
・上り勾配のみならず下り勾配を考えた場合、機械ブレーキを酷使せず、安定的に制限速度に近い定速運転がしやすい抑速ブレーキ追加が望ましい(主制御器交換)
・これらの改造による発生品は平坦区間用の新車に活用できる(実際には、101・155系最終増備車やサヤ421を電装した401・421系の電動車)
結果オーライかどうかの議論は別にして、国鉄車両は広域で使用される可能性が高いぶん、判断基準は私鉄とは大きく異なりやすい
近鉄特急でさえ一列車の走行距離最長は200km少々…
国鉄の長距離運用車両と私鉄車両の比較には、留意した方がよい >>184
モハ484-600が製造された頃はまだ、数年後に新幹線が開業する見通しが生きてたわけか…。 つべで1989年の鹿児島本線
ボン+モハ+クモハの3連有明発見 >>180
そういうのは、くだらないのを通り越して、レスの無駄遣い
度を超せば不届きな輩の悪ふざけによるスレ乗っ取り(荒らし・クラッシャー)という前例も多数あるから、釘を刺されても仕方ないだろうな! >>190
ひばり・やまばと・雷鳥・やまびこ・やまばと・とき
白山・あさま・あずさ・しらさぎ・加越・つばめ・はと
しおじ・有明・にちりん・かもめ・みどり 「かもめ」は、当初の「みどり」と併結が通常だった時は貫通型だけだった筈だけど、
60・3・14以後の、単独運転も増え始めた辺りから、ボンネット型も使われるようになったわけか…。
一方、同じ改正で「有明」の先頭車の方は、西鹿児島方がクロ480(←サロ481)、門司港方がクモハ485(←モハ485)で、
非貫通型だけに…。 >>192
「かもめ」のボンはその前82/11から登場してるんです。
仙台で余ったのが南福岡や鹿児島に来たんですね。 >>191
やまびこ、やまばと辺りはL特急時にボンネット運用があったかな?
>>194
ない。双方共1978年10月改正からL特急になったが、その時点は既にボンネット運用でなかった。
もっともやまばとは改正前まで、仙台のひばりと共通運用車が充当されて片方ボンネットは有ったが、
L特急化からは、つばさと共通の秋田車だった。
>>193
かもめのボンネットは、登場時の1976年7月からあった。
原則みどりと2階建てだったが、1往復だけ単独運転でみどり編成を繋いだ列車があり、
クロ481ボンネットがあった。でもみどり編成は肥前山口切離しだったはず。 >>191
181系時代のあずさやあさまもL特急では運用あったのかな? >>193,>>195
時刻表(交通公社B5版)の昭和51年8月号には、「かもめ」「みどり」登場の
広告があって、その頁に両特急の編成を示すイラストが載ってた。
それを見ると、4両の先頭車のうちクロ481以外の3両は貫通型クハになってて、
「かもめ」はすべて200番代って表示だった。だから、60・3・14前にボンネット型が
入ってたとは思わなかった…。迂闊と言われればその通りだけど…。
>>196
それはあった。両者に189系が入ったのは昭和50年からで、当時既に「あさま」も「あずさ」も
L特急だったから。 >>197
dクス
仮に181系が増備されてて、181系1000番台だったら、
やはりボンネットは廃止され、非貫通型の顔に成ったんですかね?
でも非貫通型にあのキノコ型クーラは似合うかな? 「181系の(非)貫通型」は当方も想像したことあるけど、仮にそれが出来てたとしたら、
やっぱりクーラーはAU13(71)系になったんじゃないかと思える…。
あと、これが実現してたら、183系なんていう別形式にしなくて済んだだろうから、
「とき」には最後まで食堂車が残った気もするが…。
それとも、181系は「こだま型」であのボンネットがそのシンボル、って考えが支配的で、
この系列での「電気釜」は所詮あり得なかったのか…? >>191
白鳥、はくたか、北越、いなほ
を忘れている >>200
その>>191の元になった発言(質問)の主旨見直したら?
肝心なこと「忘れてる」のはお宅だろ. ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています