【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
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北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 >>858 その4
話はキハ82との札幌駅での初対面の時に戻るが、特別急行おおとりがまもなく到着する旨の案内放送が流れた。
このとき私は母と東跨線橋の階段昇り口付近に立っていた。5号車の停車位置のところになる。
ホームに向かって右手の苗穂方向を注視していると、数百メートル先の石狩街道の高架橋をくぐるキハ82が姿を現した。
それがだんだん近づいて来て1番線に進入し、ジョイント音を響かせながらぐんぐん近づいて来て目の前を滑るように通り過ぎた。
進入スピードが他の列車より1段速い。キハ82の先頭部のヘッドライトとパノラミックウィンドウ付近の予想外の風格ある姿に胸がときめいた。
さっぽうろ さっぽーろー さっぽーろー さっぽーろー
〜つづく〜 >>859
札幌といえば、カウベル(牛の鐘)を感じさせる発車ベル。
ジリジリジリジリーーーンが主流の時代、カラカラカラカラ・・・・・・と、
いかにも北海道と言う感じだったなぁ。
今は違うんだろうなぁ・・・ >>859 その5
次に目に留まったのは、食堂車の1段高い位置で連なっている窓、そして先頭車同士が顔を合わせて連結されている分割併合部分をであった。
やがて列車は停止した。時刻は15時50分定刻。1番ホームには12両で電源エンジンを含む24基のエンジンのアイドリング音が響く。
後に開発されたけたたましい強力エンジンの音とは異なり、ほどほどの気動車であることを感じる響きである。
停車時間は5分。まず母と西側に進み通り過ぎた8号車の食堂車の内部を見る。ホーム側の席でサラリーマン風の人が食事をしている。羨ましい。
それから札幌から進行方向が変わって先頭となる1号車へ向かって東側に向かって歩き出す。
食堂車のとなり7号車は1等車。グリーンの等級帯はないが、その代わり入口のそばに1の銀色に輝く金属製の切り抜き文字が貼りつけてある。
時間はあまりないが、思いきって1等車の車内に入って見る。車内は札幌から乗り込んだ人たちで混雑していたが、さすが特別急行、明るくとても綺麗な印象を受けた。
〜つづく〜 >>861 の追記
このとき1966年3月の北海道のキハ82系は、1961年製が21両、62年製が2両、
64年製が31両、65年製が23両と新しい状態で、その上この頃は車輌の手入れも行き届き、
晩年とは大違いで、車内も急行などとは異なり、別格の綺麗さで正に特別急行列車にふさわしかった。また車内の色調も急行などの汚れの目だたぃない濃い色のものとは異なり、明るめの色調であった。
ことに巻き上げカーテンを収納する窓上部に連なる座席番号の札が付いている銀色に輝く
カーテンレールはひときわ栄え、別格の特別急行列車という車内の雰囲気を盛り上げていた。 さっぽうろ さっぽーろー さっぽーろー さっぽーろーと
放送していた駅員さんを傍で見たことあるわ。 >>862 その6
駅員さんの案内放送のことがコメされたので、そのことについて触れてみたい。
当時の駅構内の案内放送は自動音声ではなく、肉声で行われていた。
そして屋外にも外部スピーカーが設置してあり、駅前広場にも案内放送が流れて、駅に近づきその案内放送が聞こえて来ると札幌駅に来たことが実感でき心がときめいた。
そしてベテランの人の案内放送には人それぞれ独特の節回しがあった。
最初に聴いたときは奇妙な感じがするが、その節回しを覚えてしまうと小学生だった私が聴いていても実に心地良かった。
私は今回の札幌駅でおおとりを見てからキハ82系の大ファンになり、母にせがんで特別急行を見るため札幌駅に連れて来て貰うようになった。
小学生だった私と母に都合の良い時間帯の特別急行は、土曜日の19時30分着35分発の函館行おおぞらであった。
同じ曜日の同じ時間帯に行くと、なぜか案内放送をする人も同じ人だった。
この人の案内放送にも独特の節回しがあり、台詞も丁寧であった。
この人の案内放送を何度か聴いているうちに、すっかり気に入ってしまい真似をするようになった。
ただいまから19時30分の特別急行函館行の改札をいたします。のりば1番 のりば1番です。
ホームには、特急なん号車と書いた四角い緑の札を掛けてあります。
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車にお乗りの方は改札口を出まして右手の方にお越しください。
7号車は改札口のちょうど前です。
9号車 10号車 11号車 12号車にお乗りの方は、改札口を出まして左手の方にお越しください………。
各号車番号を一つ一つ丁寧に言うアナウンスを聴いていると長い編成の特別急行が目に浮かび、さあ、これから特別急行に乗るぞという気分になれた。いっしょに聴いていた母も「流暢な放送だねー」と共感してくれた。 >>864 の続き
この人の案内放送がいかに素晴らしかったかは、私が中学生のとき、ノートを丸めてスピーカーに仕立て、この案内放送の真似をする度に、友人たちは耳を傾けじーっと聴いていたことでもわかる。
〜つづく〜 >>864 の追記
この1号車 2号車……と連呼する際、号のところにアクセントとストレスが掛かり、全体的にも独特の節回しになる。
初めて聴いたときは奇妙な印象を受けるが、この節回しを覚えてしまうと、実に心地よく、心も浮き立つような感じになる。
他の人と交代して、この人が案内放送を始めた途端、札幌駅はにわかに活気づき賑やかな感じになり、駅にいるのが楽しくなる。 ブルドックの思い出、それぞれにありますな
カッコ良くないのに大物感がある、ドラマ映画の世界で言う性格俳優みたいなものでした >>867
俺はソースはデリシャス派なのでブルドックはあんまり 北海道の函館発特急に組み込まれたキシは料理がうまかった。フライはカラッと揚がって、ソースをかけるとライスはお代わりしたかったほどだった。 >>869
ヤッターワンのデザインのモデルは消防車らしい
ボンネットには違いないから似ててもおかしくはない罠w 北海道のキロ80の乗務員室の小窓化って、いつ頃から始まったのでしょうか? 晩年のキハ81に運転室専用冷房搭載されていたっけ?
発電機のエギゾーストパイプが室内通っているから暑いんだろうな >>874
ネット上に小窓化された1980年の画像と未改造の1981年の画像があったが
1980年頃からじゃないかな。 ミャンマーでキハ80らしきものが走っているらしいね
ミャンマーはぼったくりがあまりないし、地味だけど旅行しやすい国だよ
ただ、食べ物が油だらけなのがちょっとねえ
、日本人にはきついかもしれない
ミャンマービールはなかなかいける 道内のキハ82で、
屋根上車端の換気扇の排気口からダクトが延びて車内にリターンしている車があったけど、あれはなんの意味なんだろう? 京都鉄道博物館で保存されているキハ81-3
この車両は実車はキハ81-5で、高砂工場から交通科学博物館へ移送される前、
同工場でキハ81-3のナンバーを切り取って、解体待ちで留置中だったキハ81-5に
そのナンバーを貼り付けてキハ81-3に仕立てた車両だという。
当時、同工場には北海道に配置されていたキハ82-45も留置されていたらしい >>884
スカート形状からしてもあれはキハ81 5だよなぁ。
なんで付け替えたのかナゾ。 キハ81の連結器カバーは、「つばさ」転用後から廃車まで装着されなかったが、
廃棄処分されたか、尾久客車区で保管されていたのだろうか なんだかなあ
歴史遺産に落書きされてるようでいい気がしないわ >>884
高砂工場では決して受け入れることのできない事実・・・。 >>888
高砂工場、それは加古川から国鉄高砂線沿いに
あった工場? >>889
ttp://kokutetu.seesaa.net/article/448934528.html
業者が適当に車両を持ちだして高砂工場もそれに気が付かなかったみたい。
整備業者からすれば3も5も同じって感じでしょ。
今更5番だったなんては決して言えないだろう。 Kだ。重ねていうが、釧路東署に通報すれば、水嶋めぐみの キハ82のヘッドライトの周りって、クリーム色なのとシルバーなのがあるが、どういう違いなんだろう? キハ81の絵入りヘッドマークとか見てみたかったな。151系、20系と同期生のヘッドマークは大きいから見栄えしたかも。 80年代、本州から乗り継いで『北海』で旭川へ
80系のディーゼルの音、国鉄車両独特の重厚感が素晴らしかった 幌内線廃止時に撮影された映像だが、ここの38分30秒辺りにキハ82が映ってる
キハ82って幌内線入線実績あったんだ?
https://youtu.be/_NdaxoJZ52g 一回だけキハ80系の特急おおぞらに函館〜釧路をフル乗車した事がある
まだ183系が登場しない1978年で2回食堂車へ行って食べたよ
北海定食とかにめし定食だったと記憶する >>888
例のブログの人からも、ひしひしと伝わってくる。
でも「ひょっとしたらかもしれないですね」くらいはうわべだけでも理解を示してくれてもいいとは感じた キハ81はどちらかといえば東京以北のイメージが強い。
弁天町の交通科学博物館ならくろしおが走ってた旧天鉄管内だったからまだ許容範囲だけど、
京都はキハ81にとっては縁もゆかりもない地だし、弁天町閉鎖の時にいっそのこと大宮に移しても良かったと思う。
むしろ京都にはキハ181のほうが似合うと思うけどな。 >>899
もうわかってるかもだけど、クロフォード公園に置くためのものじゃないの? カランコロンカランコロン
旅へ誘う情緒あふれる機関音。 >>906
その音ともまた違った。
またキハ58・28のエンジン音とも違ってた。 カランカランカランという音の間にニチャニチャニチャという音が入った感じかな キハ80系がセノハチを自力走行できたのは食堂車にも走行用エンジンを2台積んでたからというのもある。
もし食堂車がキシではなくキサシだったらセノハチでの自力走行は無理だったと思う。 キサシとキシ組み込みで出力が変わるか計算してみた
81系10両編成(『はつかり』編成)
6M2m1T=2520PS
82系10両編成(基本6両に4両増結)
7M3m=3060PS >>911
奥中山を越えていたのに何故瀬野八ごときが越えられないのよ、アホ カランカランカランカラン
カランコロンコロンカラン
はい皆さん、口に出して言ってみましょう。
札幌駅旧地上ホームの光景が蘇りますよw バババババババドドドドドド
ドドドドドドドドズバズバズババババババババ
はい皆さん、口に出して言ってみましょう。
183Kに替わった直後の、車両脇ではとても会話が出来なかった頃の
札幌駅旧地上ホームの光景が蘇りますよw ↑
思わず口にして、ちょっと昔が懐かしくなってしまった人、
正直に手を挙げなさいw ♪カラッ_カラッ_カラッ_カラッ・・・
♪_キョロッ_キョロッ_キョロッ_キョロッ・・・
♪__コリョッ_コリョッ_コリョッ_コリョッ・・・
どうだ!違う! >>912
はつかりは9両だし、かもめは6+6だろ
キハ82にして基本を6両にするから食堂車も2エンジンにしないと1両当たりの出力は
はつかり9両編成より落ちるのは確か ♪プフゥォ────ウン
♪グォリョグォリョグォリョゴリョゴリョゴリョゴリョ!
♪グィリグィリグィリギリギリギリギリギリ・!
♪ギュリギュリギュリギュリギュリギュリギュリ・!
調子こいてやってみたけどダメだ!むずかしい゜゜(´O`)°゜ >>920
wwwwww
音描写が複雑w
本当にそう聞こえているとしたら貴方の耳は超高性能w なーにをややこしい表記で競っとんの。
キハ80系なんてゲロゲロゲロじゃ。 確かに、ゲロゲロゲロとも聞こえるな。
濁点の入る表現はアリかな。
DMH17は奥が深いなw >>915
スレチだけど札幌駅の「きーんこーんかーん」をメールの着信音にしたいw >>925
ガラケーの頃イヤホンで録音して着信音にしたわ >>927
調べりゃすぐ出るじゃん。
自分で調べてみてわかったところまで書いてくれ。足りなければ補足する。…オレも全容を知らんかもしれんが。 >>927 キハ80系北海道仕様の特徴
1 前面に線路に侵入してきたヒグマやエゾシカを突き刺して進むための金属製の銛を装備、極東ソ連軍の露助を突き刺して札幌まで走ってきたこともある
2 グリーン車の暖房が強化され真冬でも水着で過ごせる。その代わりに普通車の暖房節約、時折凍死者も出る。 >>933
南紀の絵入りヘッドマークは個人的には×だな。文字の方が思い出補正もかかってるが、ずっとよかった。
60.3改正で絵入りになったときはコレジャナイ感満々で落胆したわ。
あくまで個人の感想だから、気にせんといて。 ナウなヤングは興味を持ったときからイラストヘッドマークしか見てないんです。
雷鳥や加越のヘッドマークがお気に入り。 キハ81にイラストヘッドマークが入ったら……と妄想してみる。
クハ481ボンネットみたいに間の抜けた感じになるだろうな。 「南紀」でモチーフが那智の滝なのは言われればたしかに違和感あるな。
綺麗かどうかとは別の話ね。 そういう問題じゃねえんだよ。
南紀という言葉のイメージの問題 >>940
南海道紀伊国の略だから何の問題もない
紀伊国内を100kmくらい走るけど
その中でも超有名な観光スポットだし >>919
はつかりは昭和38年のダイヤ改正から1両増結されて10両になってる。 キハ80系の「まつかぜ1・4号」は、車両運用の関係から新大阪・大阪〜鳥取間は13両という
長大編成で、同じくキハ80系の「あさしお」と倉吉「はまかぜ」も9両編成だったが、9両では
輸送量が過剰ということもあり、あさしお、はまかぜ、まつかぜ3・2号はキハ181系化時に、
8両編成と6両編成に改められ、博多まつかぜ1・4号も新大阪・大阪〜米子間で9両編成となった >>944
国鉄全盛時代の昭和50年頃まで、博多まつかぜの大阪−鳥取13両はガラガラだったの?
関西との時間帯が良く、博多まつかぜだけは山陰特急で別格のイメージがあったけど。
中国自動車道開通や、国鉄大幅値上げ以降は13両は過剰だったかもしれない。 中国道開通後の昭和50年代で博多まつかぜが13両で満席になるのは、
週末(特に蟹シーズンや海水浴シーズン)やGW、盆、年末年始の大阪−城崎ぐらいだったけどな。
鳥取方面の需要が中国道に移ってからも、城崎温泉目当ての客でガラガラというわけではなかった。 博多まつかぜが米子発着になる数日前、博多方先頭車キハ82に文字ヘッドマークが
取り付けられていなかったが、マークが盗難にあったものと思われる。 >>940
「南紀」って紀伊半島とか広大な太平洋ってイメージがあるな。
ヘッドマークのイラストに向いてるかどうかは別にして。 >>943
>>>919
> はつかりは昭和38年のダイヤ改正から1両増結されて10両になってる。
御堂と小鳥谷でのクールダウンはその時にやめたのかな? 現在の気動車特急の走りっぷりは凄いな!
80系特急の時代をしってる者からは、キハ187、2000・2700系、スーパーはくとなど、
飛ばし方は隔世の感がある。北海道のキハ261・281・283系も。
80系のゆったり感が懐かしいが、裏返せば表定時速が低かったわけだ。 80系の時点でDMH17系エンジンは時代遅れだったわけで、キハ60・キロ60で大馬力エンジンを試作したものの失敗に終わる。
仕方がないのでDMH17Cを横型にしたDMH17Hエンジンと、ディスクブレーキを採用した。 キハ80って鉄道見本市に間に合わせるために無理したからね。トラブル多発はご存知の通り。 キハ181系を作るよりも、キハ65のようなブースター車両を作って入れたほうが良かった
キハ181系も勾配線区用と言っているのに、自然通風式ラジエーターを採用するとか意味不明なことをやったし
DF50でも夏場はオーバーヒートを起こしがちで、定数一杯の牽引が多かった紀勢・四国車はラジエーターに散水装置を付けたほど >>957
> キハ181系を作るよりも、キハ65のようなブースター車両を作って入れたほうが良かった
それだと急行と同じ性能にしかならないよね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。