【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
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北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 民営化でカラフルな塗装は増えたものの趣味が悪いものが多過ぎ
特急ディーゼルだけを見ても西の181、北の183(とかち、オホーツク色)など爪の先ほどのセンスもない
そして今また261が犠牲に・・・
80系は変な色を塗られる前に引退してよかったと思う やっぱり国鉄特急色が一番だ 瑞風もある意味ブルドッグが現代に蘇ったような車両だわな >>673
ただ新塗装と国鉄時代からのマークの組み合わせや
旧塗装とJR化後のローマ字マークの組み合わせも結構似合うけど まさか気動車で非貫通のボンネット型先頭車が誕生するとはね>瑞風のキイテ 瑞風は、昔のローカル気動車についてた柵みたいのを
ゆふいんに取り付けた感じ 最後の乗車は、おおとり、と思いました
最初で最後のキシ利用、カニ飯の類を食べた記憶
30年以上も前のことです >>681
自分は食堂最後はオホーツクだった。北海定食もあったね
82系自体は南紀の92年まで・・とおもいきや
御殿場線60周年記年号に乗れた1994秋が最後 おおぞらだったか、まつかぜだったか。
両方とも食堂車も堪能したな。 そうそうカニ飯北海定食が押しの日食アナウンスだった
最後82系に乗ったのは小樽博臨、ちと寂しい客数だった 小樽博のスリッピ号、懐かしいな。
あの頃は夏休み旧客で張碓まで行って海で遊んだり出来た。
御殿場線60周年記念号、メモリアル6040ひだ号、
それからメモリアル南紀号。これが82系最後の運用
どれもプラチナチケットで乗るのは容易じゃないが。 三笠の近くのクロフォード公園は迫力ある編成で。苗穂の資料館には先頭カット。無理して行って良かった
ホームがディーゼル臭くて五月蝿くて北海道来たな・・・と思い出す姿 贅沢列車もいいけど、82系を復活してくれないかなあ。 >>685
まだこの時代はダブオクが定着する前だったから、何とか取れたけどね
前日にメモリアルひだ取れたが、モソモソと同じ車両だったから取り巻きが
五月蝿かったが(苦笑い) キシ80 37は窓が大きいといわれてたが微妙すぎて差がわからなかった^^; 583とか381系のベネシャンブラインド内蔵窓のテストをしたんじゃ?
で、寸法も変わったと ブラインドといえば583位しか知らなくて80系にブラインドが装備された車両があるなんて思っても
みなかったから、初めて乗ったときは驚いた
1970年代後半当時、趣味誌の気動車特急特集でもキシのブラインドに触れた記事はなかったような・・・ キハ80は通常タイプは国鉄色のまま活躍が終わったよな >>696
腐っても鯛のことわざを用いて、色が変わっても181と言って春秋の伊勢臨撮ってた俺って? >>697
えらい。
新津のキハ58が現役のころは40なんてと思ってたけど、今は只見に通ってる。 >>698
あざーす
伊勢臨はキハ58の頃から撮ってたからその続きであったのもあったし、
草津線沿線でこの時期は走りもだけど、三雲で柘植行きとの交換があったので運用次第では、福智山色や代走117との
交換撮影したり、定番の中在家やマイナーポイントで撮ってたりしましたわ
そういや、JR後関西線奈良ー亀山間80系が走ったのは天理臨の一回だけでしょうか? 旅のレストラン日本食堂からお知らせします
食堂車では北の味覚北海カニ定食をご用意しております
是非食堂車までお越しくださいませ
また、車内販売にて北海道産ミルクを用いました濃厚アイスクリームを250円にて販売しております
こちらも是非ご賞味くださいませ キハ80のエンジンを出力の大きいものに取り換えた車両がなぜ出なかったのだろうか >>701
そういう時代になった頃、最終増備車でも車令15年越え、車内も陳腐化。
使っていたのは北海道と名古屋持ちのひだ、南紀のみ。
北海道はすでにキハ183が主力、キハ80系は脇役。
名古屋の分はまだまだ主力だったが、更新して使うような内容ではなかった。
金をかけるまではなかった、ということじゃないか。 新宮電化の時点で初期車の廃車が始まってるから本当はもっと早く淘汰される予定だったんじゃないだろうか。国鉄の財政の悪化とか諸々の事情で一部はJR化後も残ってしまったが。 じりじりと低速で雪の山線を登る北海。ガキの頃は景色きれいだな〜位に思ってたが必死の力行だったんだなぁ 液体変速器なら下手な進段制御の電車よりは
時間さえかければ上りやすいとは
聞いたことある ガキの頃家のベランダから20系だいせんと13連まつかぜを見るのが休みの日の朝のルーティンでした
60.3以降の北海道のキハキシキロの並びはいまだに違和感がありますね
絵入りマークもひだ以外はしっくりこないのは頭が固いんやろなあ キハ82、戦前のモハ51以来の半流線型の完成された姿である。181系ではやや退化気味。 35年くらい前に図書館に「まつかぜ1号」のテープを
借りて来た記憶があってな。
大阪→博多?の車内アナウンスをひたすら録音しているやつ
復刻してくれないかな まつかぜの車内放送なら沿線の名所案内が盛りだくさんじゃなかった?
宝塚歌劇、武田尾温泉、玄武洞、城崎温泉、竹野海水浴場、余部鉄橋、
山陰海岸国立公園、湯村温泉、湖山池、東郷湖、三朝温泉、大山
これで半分くらいか。 >>713
どうせなら、
「特別急行まつかぜ号京都発福知山線山陰本線経由博多行」
がええのう。 >>714
そう!沿線案内が良かった。
最初は玄武洞、続いて餘部鉄橋、鳥取砂丘、大山。
食堂車で大山おこわを頼むシーン、車掌に「終点まで乗り通す客いるのか」など聞き取っていたり。
乗り継ぎ列車案内、食堂車営業案内も良かった。
どこのメーカーが出していたのかなぁ。 博多行まつかぜって下りなのに地平ホーム時代の
鳥取駅1番線に止まらなかったっけ?
東京行きいなばが上りなのに2番線だったのは確かだが キハ82同士が向かい合った連結面を真横から見る姿に萌えてしまう…俺って変? >>718
切妻面と運転席面が向かい合った連結面を見るとなおのこと萌えてしまう俺は変か? >>718-720
片や切妻面同士、片や運転席面同士が向かい合った3両のキハ82の連結面に萌える俺は変?w >>721
運転席のある 車両が続くと 、とっても萌える。特急車ならなおさら。 うんうん、皆で萌えよう!!キハ82って電車特急より特急らしさを感じてしまう〜何故だろう。 >>723
萌えるから、今度富から発売のキハ80系を大量予約してしまった…やっちまったぜw 下関駅にて
583のつばめは静々と発車
82かもめは轟音と多量の排気を残して発車
おれはかもめに惹かれた >>721
その後ろで何両もつながって頑張ってるキハ80のことも忘れないであげて 切妻面(後位)同士が連結されたキハ82を初めて目撃した時(1983年3月 おおとり)の感想は
「これ、制御回路や電源回路が繋がるのかよ・・・!?」
『80系はキハ82前位とキロ後位以外は片渡り』程度の知識しかなかった俺には衝撃的だった。
これが契機で北海道には後位が両渡り改造されたキハ82が存在することを知り、以前から持っていた
80系の編成組成の疑問は概ね解消できたが、それでも未だに疑問が残る編成があるんだよな・・・orz
>>726
憶えておきます・・・。キロやキシのことは絶対忘れないんだが・・・w >>727
13両編成おおぞらで札幌切り離し3両の中のキハ80も向きが違っていて違和感あった 山陽新幹線開業前のかもめ,なは日向はセノハチをどのくらいのスピードで登っていったのだろう >>729
かもめ乗ったけど、いかんせんガキの頃だったんで、
セノハチの存在は名前くらいしか知らなかったんで、
果たしで補機が付いていたのかどうか、どのくらいのスピードで走っているかチェック、
など全くせんかったなあ。すまんな。 >>730
貴重な証言ありがとうございます。
あの区間を13〜14両の長大編成で駆け上がっていく姿は迫力満点だったろうな >>729
キハ82系9M4m編成が22.6‰にR300が加わった換算勾配25‰相当の瀬野八を定員乗車で
上ると変速5ノッチで40q/h、5ノッチ5分制限で4ノッチ運転だと速度1割減といったところか。 >>723
キハ185系(^o^)v
キハ85系(^o^)v >>731
そいえば長大編成。
山陽本線の特急停車駅ならホーム長も余裕だったろうけど。。
13両時代のまつかぜで宝塚駅停車、「後ろはホームに掛かりません」
見に行ったら確かにドア開けっぱ。
オヤジ実家近い宮津線久美浜駅。
あさしおが停まってたがやっぱりホーム長足りない。
で、ドア位置に合わせてか階段がいくつかあった。
業務用だとは思うが誰か利用者いたんかなw >>735
ドアカットしてなかったのかw
スイッチ盤で車両単位でドアカットは可能なはずだが誤操作でホームに掛かってないドアを開けてしまう事故が起きる懸念がある >>729>>730
山陽新幹線博多開業前に瀬野八の第二トンネルの上で撮影をしたことがあるけどトンネル前のカーブを轟音と共に登ってくるが中々被写体に入ってこない。60キロ出てたかな?同じ80系でもローカルの電車の方が遥かに軽快に登ってきてたな。 >>730
80系はセノハチで補機なんてなかった。スピードは電車特急と遜色なかったような。
もっとも山陽本線の電車特急は、2つの勾配と曲線が多いので、東北本線や北陸本線よりスピードは遅かったが。 釧路→札幌の車内情景をノンストップひたすら録音
6時40分発 おおぞら1号 函館行き
このカセットテープまだもっている >>739
カセットの保管はしっかりね
油断するとカビ生えるぞ
出来ればデジタル化した方が良いですよ >>717
鳥取で後ろ6両切り離しがあった影響だろう。
その切り離した6両が、もう1本の大阪行き「まつかぜ」で折返していた。 臨時北斗のキハ80はテーブル付きリクライニングシート化されていたから
当時でも結構豪華な車内だった >>735
舞鶴・宮津線経由の「あさしお」は、80系時代10両→9両で、
京都〜倉吉運転の「あさしお」は7両だった。
そんな事情があったなら、こちらを7両にすればと思ったが、天橋立などの観光需要が多かったか? いちんちちんおうふくだけあった米子あさしおは何両だたん? 関西から城崎方面に直行するのは
まつかぜ、はまかぜと分担してたのもあるかと この時期、早朝の向日町へ行くと
まつかぜ、はまかぜ、あさしお、あさしお
と4本のキハ82が顔を並べ、夏場と比べて
噴き上げる紫煙に迫力があった。 >>710-711
リアル乗車では「南紀」しか知らん世代の近畿民だけど、
北海道の「おおとり」だけは唯一似合ってたと感じる。 >>748
711だけど、オレもリアル乗車は南紀とナゴヤ球場臨しか知らんよ。
南紀はS60.3から絵入りになったけど、そのときには似合わなさにガックリしたわ。 >>748
俺は北海道の80系全盛期(55-10改正以前)を知っている世代だけど、
見慣れた列車がすごく安っぽくなったように思えた。
一時期鉄道趣味から離れた時期があったが、これがきっかけだったな。 >>750
それは電車特急にも言えたよな。特にボンネット型 北斗とおおぞらとオホーツクはJR化後のキハ183系で採用されている
ローマ字タイプの絵入りマークにしていたら似合っていたかも 特急色は落ち着いた色だから
鮮やかな色のイラストマークが
似合わないのもあるな リアル世代じゃないが、文字HM限定で言わせてもらうと、
80系も181系もふくめて特急形気動車にかんしては明朝体のHMが渋くていいね。
北海とか南風とかさ。 >>753
逆に絵入りマークが負けちゃうんだよね。 でも、文字HMは、すぐ「くすんでしまう」のが難点。気動車なので。 >>756
オレはピカピカよりもくすんだ方が味があっていいなぁ >>758
リア充してない現状を強弁しているようだな。みっともない!! あすか廃止以降のくろしお編成は名古屋滞泊の
間合いを利用して臨時列車に活用されていたが
「りんどう」「はつひ」では食堂車は営業して
いたのかな? 広田尚敬「国鉄車両形式集2 気動車」図書館から借りてきた。80系の写真を見ているだけでエンジン音聞こえてきそう。 >>760
69〜70年冬臨の下り急行「のりくら52号」に時刻表だと食堂車があるってのはかなり有名な話だけど
キハ80系だったのかねえ? 臨時運行のみの路線で食堂車営業は
オペレーションが難しそうだな
客車であるところならまだ良いが >>762
当時1往復だった「ひだ」が最初から食堂車連結がなかったのに、格下の臨時急行が
実際に食堂車営業したのかな?
しかし写真でも80系「のりくら」を見た記憶がない。 一時期の臨時北斗のキハ80は定期北斗のキハ183初期型より座席良かった >>718
萌えたんで82同士の写真撮ってる@博多行きまつかぜ
が、13号車指定席→3号車食堂車まで歩く。
機械室→運転台→貫通路→運転台→機械室、長いトンネル脱出…
ガキ自分ながら、なんかヤバイ所だとは分かったw >>768
引き戸じゃなくて、押し戸だからな。客室〜機械室 なんか通っちゃいけんことなってるちゃろか?
って思ってまうわね。 キハ181は機械室がさらに長いので
狭さと相まって船の機関室に
紛れ込んだようだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています