【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
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北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 >>560
>>564
あすかのスジがどこの区間でも残らなかったのは
余程のことだったんだな
キハ80の特急で全く列車ごとスジ自体が廃止になったのもあすかぐらいかもしれないな あすか
和歌山区へ回送をかねて営業みたいな
説明をみた記憶があるが、
あすか廃止後の名古屋くろしおは
名古屋滞泊になったのかな? おおぞらの13連は凄いな、迫力が
グリーン車3輌、食堂車2輌で15連とか見てみたい >>578
いい加減な記憶だが、間合い運用の本体である特急型車両の
置き換えが廃止理由であり、列車廃止後は代替の急行列車が
設定された(特急格上げ後に戻った)のではないか。 >>580
かつて2編成併結。
白鳥とかも食堂車2両営業もありますたなあ。
ガキの頃乗ったまつかぜ。
13両編成の指定取ったら13号車。
食堂車(3号車)までえらく遠かったorz。
宝塚駅では8号車から後ろはホームに掛かりません状態で。
末期は6+3の9両編成になっちまったが。 東京から「富士」で出発して、翌朝下関で「まつかぜ」に乗り換え。
食堂車で晩、朝、昼の3食をとり、城崎温泉に投宿。
「まつかぜ」の車窓にひろがる日本海の眺めは遠い日の思い出。 >>583
乗り鉄にしては贅沢な旅だなw
お金持ちのボンなのか? 大阪からまつかぜに乗って博多へ。
すぐさまさんべ(ハネ)で米子へとんぼ返り。
なんてこともしたな。 >>584
レスありがとう。
小生はお金持ちのボンではなく、貧乏学生上がりの
薄給の社会人だよ。
基本は周遊券で座席夜行が定宿の旅だが、あの時は
乾坤一擲の旅だった。
ネット予約などない時代で、18時過ぎに城崎に
到着してから案内所で旅館を紹介してもらい、
2食付きで温泉旅館に泊まったのもよき時代
だったと思う。 >>586
城崎から東京へはどうやって帰ったの?
乾坤一擲の旅の続きが気になるw >>587
すみません。昔のことなので詳細は忘れましたが、
山陰ワイド周遊券の旅だったので、倉吉線などを
乗りつぶしてから、最後は「銀河」のB寝台で
帰ったと思います。
乗車当日に元町駅で寝台券を購入したところ、
当時はマルスがなく準常備の硬券でした。 食堂車付きの全盛時代の「まつかぜ」に比べると、
キハ82系末期の「南紀」はしょぼい転換シートに
改造されて、閑散とした車内で侘しさを感じた。 >>590
その通りです。
185系ECと同じこげ茶色の転換クロスシートになっていました。
青モケットの回転式クロスシートよりは上質と思って交換したのだと
思いますが、安近短の185系をイメージさせて、貫禄がなくなったと
感じました。 >>591
まつかぜ下関から城崎まで乗り通すのに青モケット2等はつらくないか!?
どうせなら1等でリクライニング自由に使ったらよかったのに キハ80はナゴヤ球場へ行くときに乗っただけだが、確かに末期は転クロだった
延命ついでに座席を交換したのは国鉄末期だったか?
全車改造したのか一部なのかは分からんけど >>592
乾坤一擲の旅なので、下関から城崎までキロ80の海側D席に
乗りました。今となっては味わうことのできない優雅な旅で
貴重な体験ができました。
食堂車はがらほどほどの利用者があり、昼食にポークカツ定食を
食べたと記憶しています。 >>594 スマソ
がらほどほどの利用者→ほどほどの利用者 >>593
東海の車は185系ECと同じ転クロで、北海道の車は183系DCと
同じ簡易リクライニングになっていました。
今ひとつ自信がありませんが、末期まで残った車両は両社ともに
全車改造されていたと思います。 >>594
おお、それはそうでないとねえ
上にもあったがおおとりおおぞらで札幌より先はグリーンでないと行く気しないですし
俺は181あさしおのグリーンしか経験ないんですがやはり雰囲気が違いますよね
20歳くらい世代が違うと思います >>597
151系ECに比べると80系DCはコスト節約のために
内装が簡略化された部分がありましたが、そんな中でも
キロ80の背もたれに高さが調整できる頭もたせがあるのが
優等車らしくてよかったです。 >>591>>596
185系は一応特急型だからまだ聞こえは良いが、JR東海の車だから
実態は、当時名古屋を中心とした
快速に使われていた117系と同じ
原型シートの老朽劣化も要因だろうが、たぶん
117系とのシートの部品共通化によるコスト削減もあったはず キハ80系の青い回転シートは背ずりがほぼ直角に近い角度で固定されていて、
最初は掛け心地が良く感じても、だんだん疲れてくるな ハザは直角シートではないけれど、リクライニングしないのは
否定しようがない事実。
キハ80系の登場当時は階級制だったことの表れだと思う。 ハザの座席もマイナーチャンジしてるんだよな。
頭のかかる部分が、平べったいのから、若干膨らんだ形になった、 登場時の回転シートは充分な設備だよ。
それまでの客車かもめなんて非冷房10系なんだしな。
スハ44も一方向きの転換しない固定座席だったし。 >>604
登場時のキハ80系の設備に対する評価は同意。
但し、スハ44の一方向きシートに対する評価は
展望車と一体の方転を前提とした設備なので、
不同意。 >>597>>594
下関→城崎がキロとか
函館→札幌以遠がグリーン車とか
かなり話を盛ってないか?
俺なんか「きたぐに」自由席で京都→青森だぞw キハ80系の「かもめ」とキハ181系の初代「おき」は山陽新幹線岡山開業まで新大阪〜倉敷間では同じ線路の上を走ってて、
キハ181系の方が馬力もあって、最高速度120キロ運転可能だったはずだが、同区間ではキハ80系「かもめ」の方が速く、
所要時間も短かったらしい 考えたら「かもめ」の走行区間は
ほとんどが架線の下だったんだね。
化石燃料の無駄使いw >>593
>>596
「ひだ」から撤退寸前の頃に名古屋から美濃太田まで乗りに行ったが、キハ80 98は青モケットの原型シートで残っていた。
他にも残っていたと思う。
>>592
昭和50年代までは特急の普通車(2等)なら上等、グリーンは庶民にはちょっとした贅沢品だった。
急行のボックスシートで上野―北陸東北や大阪―青森とかは普通の事だった。
九州から富士宮の有名な団体臨も12系客車だった。
急行のシート、ワンボックス占領出来りゃまだしも、4人びっしりで延々とだと・・・
正直、乾坤一擲の>>594氏が少々羨ましいw
(普通車乗り通しだと「しらゆき」の金沢―青森が最長か) >>608
連すまん、
急行だが、「全区間架線の下」だった「しらゆき」と「赤倉」、気動車「おが」がある。
長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 たびたびすまぬ、主語が無かったな、国語力不足申し訳ない。
『かもめ』は、長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 >>605
厳密には優等は編成順が厳格に指定されていただけで、
別に展望車と一体を前提にしてた訳じゃないよ。
はつかりやかもめでは展望車なし、
また一部は急行の指定席でも使用されてたしな。
そもそもスハ44のシートピッチでは狭すぎて向き固定だった。
後で回転式に改造されたが、それでも任意で回転させるには狭すぎ。 キハ80系とキハ181系は併結運転はできないが、国鉄時代の向日町運転所では、
予備車両か検査後か検査前のキシ80とキハ180が連結されて留置されたりしている光景が、
よく見られた >>604 >>605 >>612
>>605の書き方がぶっきらぼうで失礼いたしました。
伝わっているとは思いますが、言いたかったのは
スハ44の座席が非回転なのはそれなりの理由や
時代背景のためであり、それと比べてキハ80系の
回転シートが優れているという評価にはならない
ということです。
もちろんキハ80系登場時の座席は庶民には羨望の
的で豪華な設備でした。 ただ、キハ80系の青い回転シートは151電車の回転シートと異なり、
背ずりの裏側にはモケットが張られておらず、モケットの繊維も151系電車の
シートとは異なっていたとか 日よけがカーテンではなく、窓ごと(座席2列)に共通の
上下式だったのも、車窓重視の乗り鉄には難点だった。 国鉄時代に北海道で散々お世話になったが、
個人的には180以上身長があった俺には、80系の方が
14系のような簡易リクより背もたれも大きくてマシだったよ。 先頭車キハ82の給電能力は4両まで給電可能だが、食堂車を組み込んでるときは、
キシ80は調理設備などで多くの電力がいるから、キハ82+キロ80+キシ80の3両編成は、
キシ80がキハ80が2両分と換算されて4両編成という扱いとされ、最大で7両まで組成できたが、
8両、9両編成の時は、中間にサービス電源用としてキハ82を組み込まなければ入らなければならなかった。 >>596
東海の転換クロスシートは185系や117系と同じクロスシートだったけど
北海道のリクライニングシートはキハ183系500番台やキハ185系のキハ185に使用されているシートで
当時としては結構豪華だった >>599
117系と185系のシートは別物では? 117系はW16転換腰掛、185系はW17転換腰掛で一応別物
でも俺にはどこが違うのか全く分からんw 飛行機のコンフィギュレーションみたいだ、その記号w >>622
固定シートはT、転換シートがW、リクライニングシートがRで始まる。 >>618
変則編成として、「くろしお」
キハ82+キロ80+キロ80+キシ80+キハ80+キハ80+キハ82 キロを2両組み込む場合はキシの負荷をレンジとその他の機器に分けて分担するんだったな 最大キロを三両つなぐ観光特急だったくろしおも今や面影がないな。 キハ80系時代の「あさしお」は倉吉あさしお以外は9両編成だったが、
閑散期には8両編成で運転されることもあり、そのときは中間にキハ82が
入らない編成だった。食堂車を連結していなかったから、両端のキハ82で、
4両まで給電できたのだろう。
「あさしお」はキハ181系化されたとき、輸送量と編成見直しから、
全列車8両編成に改められた。 >>628
キハ82は出来るだけ少なくしたいだろうからね >>593
キハ80 133はオリジナルの回転クロスだったな キハ80系の「あさしお」などのヘッドマークに黒いすすのような物が付着してして、
汚れたヘッドマークが取り付けられているキハ80系の山陰特急の写真をたまに見かけるが、
エンジンの排気がすすも一緒に放出して、すすの混じった排気がキハ82の前面にまで回り込んで
それでマークが汚れていたのだろうか。 キハ181系の文字ヘッドマークには、前述のキハ80系のヘッドマークのように
なぜかすすらしき黒い物が付着してるのは写真では見たことないな。 無煙化と聞いて、SLの煙よりディーゼルの排ガスの方がよっぽど有害では?
などと勝手なことを思っていたなぁ 80系の時代はまだSL時代の名残もあったのかもね。
181系化後は特急ブームもあって盗難も頻繁した話もある。
新調しても追いつかず一部は簡易マーク付けてた位だしな。 キハ181系に置き換えられたばかりの向日町運転所担当の「あさしお」と「はまかぜ」は、
文字ヘッドマークが不足か、新調が間に合わなかったのか、一部の列車は、
キハ82の台形ヘッドマークがキハ181に取り付けられて使用されていたな あと80系当時労使問題の悪化も影響してたのかもしれないね。
手入れがあまりされなかったとか。 >>637
昔の80系「はまかぜ」の写真探してみたら。
大阪駅で撮ったキハ82の国鉄特急シンボルマーク無かった。
まつかぜで編成中間に入る運用もあったのでそれで盗まれたんだろうか… はまかぜ末期の一部181でもシンボルマーク盗られてたよ。
向日町は昔から悪質な窃盗団がいたらしく
481ボンネット車が外側でなく内側取付になったのもその為だしな。 キハ181系の向日町運転所所属車はヘッドマーク盗難防止のためにキハ181の前面貫通扉の
ヘッドマークの取り付け部にロック機構付きの重厚な開閉式の金属枠を取り付けて、その中に
イラストマーク板を収納し、枠をロックするなどしてマークを容易に外せないように改造されていたな >>641
確か181系ECにも、そんなタイプがあったような? 新幹線博多開業以前に存在した181ECや481ボンネット車のは
ロール式巻き取りタイプだから。
これは当時あまりに愛称が増えた為、交換手間の簡略化が目的だよ。
1990年代に改造されたタイプはボンネット内側に
板を取付する完全に盗難対策。 >>644
ロール巻きとりしきは、風格にいまいち欠けてたと個人的に思ふ。 >>644
勝田所属のクハ481で向日町や南福岡から転属してきた車両はロールマークを装備してたな。 >>618
キハ82は増備途上からAU12クーラー増設、既存車も改造取り付けだったけど
電源的には問題なかったのであろうか?出力に余力もあっただろうが
キハ81も運転台上にAU14増設してるけど。。 >>625
確か「はつかり」もキロ2両だったような >>646
もしあれを国鉄時代から全国的に採用していたらどうなっていたのだろうか 阪和線に特急あすかの痕跡が今も残っていようとは・・・ >>621
シートバックの上端がセパレートになっているのが185系で117系は
完全に繋がっている。 スレが伸びんということは、年齢が若い人が多いということか?
俺にとって「列車」といえばキハ82だなあ。
夏休みの度に乗っていたまつかぜ。
北海道に行くたびに利用したおおぞら、
どちらも10両以上の編成食堂車付きで、
立派な編成だった。 >>445
相変わらずお手抜きマークなので画龍点睛を欠いてるけどなw
これを契機に何故乾坤一擲と行かなかったのか、理解不能だ >>659
貫通型の美しさ、塗り分けもふくめたあのフォルムの美しさは、
世界的に見てもなかなかないぞ。 >>660
貫通型の美しさには同感しつつ
ブルドッグのダサさも好き。
要は80系全て好ましい。 ブルドッグも90点くらいかっこいいんだが貫通は100点満点の美しさ クリームと赤、クリームと青、緑と橙もええけど
俺は修学旅行色が一番好きだわ。 国鉄じゃなくなるけど、北海道のお座敷車の快速ミッドナイトっぽい塗装が好き
(基本的にミッドナイトと同じだが窓上の帯がピンク(ミッドナイト)と黄緑(お座敷車)) 熊本在住で小学生の時に鹿児島電化を迎えた俺にとって、485や583はあこがれではあったがよく見る普通の特急だった。
しかし佐世保に旅行中にみた続行する2本の「かもめ」は、極めて流麗で特別だった。 >>666
職場で今度 ミッドナイト に乗るんだと話したところ、列車名が怖い 民営化でカラフルな塗装は増えたものの趣味が悪いものが多過ぎ
特急ディーゼルだけを見ても西の181、北の183(とかち、オホーツク色)など爪の先ほどのセンスもない
そして今また261が犠牲に・・・
80系は変な色を塗られる前に引退してよかったと思う やっぱり国鉄特急色が一番だ 瑞風もある意味ブルドッグが現代に蘇ったような車両だわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています