【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
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北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 >>523
天王寺管理局の話だと電化の時にとき用の181系が転用される話もあった はまかぜもずっと播但線経由で運転されてるんだからあすかも1往復くらい残してもいいとおもうんだけどな
奈良まで大和路快速の代わりに座りたいって奴もいるだろうし
びわこエクスプレスにキハ投入する西なら0.1%くらいは期待できるw 1964年の時点で関西本線全線が乙線規格だった気がする。
甲線は東海道や山陽、東北等なのでつまり上から二番目。
勿論非電化でも特急運転適応規格だろう。 >>527
そもそも線路規格が高かったとしてもそれって伊勢神宮需要のおかげじゃね? >>526
って、ゆとり世代の君に妄想を言われてもなぁw >>531
1年ずれたかwすまんな。
俺はジジイというか
ブルドッグのくろしお知ってる世代。
乗ったし撮影したが、
あすかは知らない。 >>529
戦後伊勢神宮はある種のタブー扱いだから無関係。
関西本線は本来の東海道に沿ってる路線で
東北や山陽と同時期国有化された旧関西鉄道
なんだから元々の規格が高い。
戦前に燕とか天王寺まで迂回した話もあったしな。 >>533
うむ、ジジイだなw
けど国鉄の走らせてた特急って現代的な感覚だと全部中二病っぽく思える
583系なんて車両からして中二全開とも言えるしなあ >>534
>戦後伊勢神宮はある種のタブー扱いだから無関係
戦前からのを引きずってるんじゃないの? >>535
ここはジジイが集う懐かし板
ほぼ、ゆとり世代の君が来るのは
20年早いなww 名古屋線改軌前ならともかく、近鉄は名阪間では関西本線なんか相手にしていないだろう。
伊勢神宮参りも然り。
天皇陛下も近鉄を使っておられたぐらいだから。 >>539
「快速みえ」が頑張ってて、客足をJRに向けている。
もちろん、まだまだ近鉄優位は変わらないけど 電化前の頃、退勤時間でも名古屋発の旧客はガラガラだったな 関西線は乙線規格だけど線形はあまり良くないぞ。
ただ貨物輸送としては結構重要な路線だった。
四日市あたりからの工業製品や紀伊半島の農産物海産物を関西方面に流すのには重要路線。
亀山柘植の加太越えも、そこから奈良方面や草津線方面(こちらのほうが多かったかも)への貨物列車が
何本も運転されていた。 戦後に入っても近鉄のお召し運転は実は結構時期も遅い。
それに関西本線は線形もそんなに悪くないから
22m車体車両を運転出来たんだよ。 >540
JRが名古屋〜伊勢で近鉄と本気で勝負しようと思ったのは、快速みえの時が
初めてやろうね。
俺が子供の頃は、関西本線は大阪〜奈良でも使える代物ではなかったな。 昔の関西本線の中間駅見ても構内なんてかなり広いし中線もあったりする。
1964年の時点では非電化幹線として間違いなく線形はよい。
元々が標準軌論者の関西鉄道なんだしな。
無理やり80系の話に戻すとあすか廃止後にも
天理臨ではたまに走ってたよ。 新幹線開業前は近鉄だってかなりの区間が単線だしな。
当時の北陸本線や中央本線だって非電化単線も多く
スイッチバック有と似たり寄ったり。 >>545
亀山なんて優等列車無茶苦茶似合う駅なのにな >>548
それこそSLがいた頃は、なかなかのものだったよ >>548
くろしおもスイシチバシクしてたもんな。 >>551訂正
勝手に変換されてしまったw
> 伊勢線の開通が亀山を過疎化させたのか? 関西本線の凋落はあすかの失敗も戦犯の一つだろう。
単なる不人気での廃止はイメージも悪いし。 >>553
きみは頭でっかち君かな?
関西線凋落と「あすか」は何の関係もない!
by当時を知るジジイ >>554
当時を知っているとかは何の関係もないだろう。
利用者がつかず廃止は以降のイメージが悪いのは事実だと思うぞ。 ------------
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【日米首脳会談】
アメリカのトランプ新大統領に日本の高速鉄道を売り込めるか!?
https://www.youtube.com/watch?v=s2RQQhCwaCg
------------ 特急で新幹線開通もなく、ルート変更でもなく単に廃止なんて
国鉄史上初なんだよな、あすかの廃止は。 >>557
「へいわ」とか「ひびき」はちががったっけ? 奈良県が国鉄空白地帯なので
建前的に設定した面もあるのかな
役人、議員対策的な >>558
それは単に名称変更や系統整理への発展的解消だろ。
あすかは低迷のままスジが消滅したし。 >>558
初代へいわ→つばめ(公募結果による改称)
二代目平和→さくら(20系固定編成化に伴い改称)
三代目へいわ→つばめ(広島電化で電車化・東京発着化)
ひびき→東海道新幹線開通で廃止 >>557
>>560
後の北海ですらルート変更の形で北斗が増便されているんだよな 完全にスジが消滅したのなんて確かに聞いたこと無いな
あさかぜだって今もスジ残ってるんだぜ、上りサンライズが遅延したらあさかぜのスジに載せるんだよ 急行かすがが一応代替に該当するんだろうが、
それも年々減便してゆくんだしな。 いま阪和貨物線があったら
関空ー奈良の特急か快速ができてたかも 難波からひっきりなしに近鉄特急が出てる
補完の松阪行きがあれだけ埋まるんだからJRだって
圧力でもあるのか むかし 突然の大雨で室蘭線が不通になった時、
始発の特急おおぞらが小樽回りで運転されたとニュースで知ったが、
長万部から先、北海が先行か、おおぞらが先行か、
釧路に着いた編成がその後どうやって編成の向きを変えたかが
今更ならが気になる。 >釧路に着いた編成がその後どうやって編成の向きを変えたかが
>今更ならが気になる。
不通が続いて復路も小樽経由なら方転の必要はないな
逆編成で函館に戻った場合、五稜郭−有川操車場−五稜郭操車場のデルタ線を
利用する方法が考えられるけど、実際のところはどうだったのかな >>569
子供の頃だけど小樽経由迂回おおぞら1号見ましたよ、北海のスジで北海は運休でした。
その日の夜「上り」は北海でしたよ、方転は私も判らない。 そのころって中間キハの向きは
食堂境に逆だったりするんだっけか?
回す車両が限られてるなら転車台かも? 食堂車を境に中間キハが来ないように編成を組んでたよ。
例1961.10.1
←函館
DcDsDdDDDc ああそっか、ハハハシロハでしたな
中間車はぜんぶ回さないとだめか >>560
>>564
あすかのスジがどこの区間でも残らなかったのは
余程のことだったんだな
キハ80の特急で全く列車ごとスジ自体が廃止になったのもあすかぐらいかもしれないな あすか
和歌山区へ回送をかねて営業みたいな
説明をみた記憶があるが、
あすか廃止後の名古屋くろしおは
名古屋滞泊になったのかな? おおぞらの13連は凄いな、迫力が
グリーン車3輌、食堂車2輌で15連とか見てみたい >>578
いい加減な記憶だが、間合い運用の本体である特急型車両の
置き換えが廃止理由であり、列車廃止後は代替の急行列車が
設定された(特急格上げ後に戻った)のではないか。 >>580
かつて2編成併結。
白鳥とかも食堂車2両営業もありますたなあ。
ガキの頃乗ったまつかぜ。
13両編成の指定取ったら13号車。
食堂車(3号車)までえらく遠かったorz。
宝塚駅では8号車から後ろはホームに掛かりません状態で。
末期は6+3の9両編成になっちまったが。 東京から「富士」で出発して、翌朝下関で「まつかぜ」に乗り換え。
食堂車で晩、朝、昼の3食をとり、城崎温泉に投宿。
「まつかぜ」の車窓にひろがる日本海の眺めは遠い日の思い出。 >>583
乗り鉄にしては贅沢な旅だなw
お金持ちのボンなのか? 大阪からまつかぜに乗って博多へ。
すぐさまさんべ(ハネ)で米子へとんぼ返り。
なんてこともしたな。 >>584
レスありがとう。
小生はお金持ちのボンではなく、貧乏学生上がりの
薄給の社会人だよ。
基本は周遊券で座席夜行が定宿の旅だが、あの時は
乾坤一擲の旅だった。
ネット予約などない時代で、18時過ぎに城崎に
到着してから案内所で旅館を紹介してもらい、
2食付きで温泉旅館に泊まったのもよき時代
だったと思う。 >>586
城崎から東京へはどうやって帰ったの?
乾坤一擲の旅の続きが気になるw >>587
すみません。昔のことなので詳細は忘れましたが、
山陰ワイド周遊券の旅だったので、倉吉線などを
乗りつぶしてから、最後は「銀河」のB寝台で
帰ったと思います。
乗車当日に元町駅で寝台券を購入したところ、
当時はマルスがなく準常備の硬券でした。 食堂車付きの全盛時代の「まつかぜ」に比べると、
キハ82系末期の「南紀」はしょぼい転換シートに
改造されて、閑散とした車内で侘しさを感じた。 >>590
その通りです。
185系ECと同じこげ茶色の転換クロスシートになっていました。
青モケットの回転式クロスシートよりは上質と思って交換したのだと
思いますが、安近短の185系をイメージさせて、貫禄がなくなったと
感じました。 >>591
まつかぜ下関から城崎まで乗り通すのに青モケット2等はつらくないか!?
どうせなら1等でリクライニング自由に使ったらよかったのに キハ80はナゴヤ球場へ行くときに乗っただけだが、確かに末期は転クロだった
延命ついでに座席を交換したのは国鉄末期だったか?
全車改造したのか一部なのかは分からんけど >>592
乾坤一擲の旅なので、下関から城崎までキロ80の海側D席に
乗りました。今となっては味わうことのできない優雅な旅で
貴重な体験ができました。
食堂車はがらほどほどの利用者があり、昼食にポークカツ定食を
食べたと記憶しています。 >>594 スマソ
がらほどほどの利用者→ほどほどの利用者 >>593
東海の車は185系ECと同じ転クロで、北海道の車は183系DCと
同じ簡易リクライニングになっていました。
今ひとつ自信がありませんが、末期まで残った車両は両社ともに
全車改造されていたと思います。 >>594
おお、それはそうでないとねえ
上にもあったがおおとりおおぞらで札幌より先はグリーンでないと行く気しないですし
俺は181あさしおのグリーンしか経験ないんですがやはり雰囲気が違いますよね
20歳くらい世代が違うと思います >>597
151系ECに比べると80系DCはコスト節約のために
内装が簡略化された部分がありましたが、そんな中でも
キロ80の背もたれに高さが調整できる頭もたせがあるのが
優等車らしくてよかったです。 >>591>>596
185系は一応特急型だからまだ聞こえは良いが、JR東海の車だから
実態は、当時名古屋を中心とした
快速に使われていた117系と同じ
原型シートの老朽劣化も要因だろうが、たぶん
117系とのシートの部品共通化によるコスト削減もあったはず キハ80系の青い回転シートは背ずりがほぼ直角に近い角度で固定されていて、
最初は掛け心地が良く感じても、だんだん疲れてくるな ハザは直角シートではないけれど、リクライニングしないのは
否定しようがない事実。
キハ80系の登場当時は階級制だったことの表れだと思う。 ハザの座席もマイナーチャンジしてるんだよな。
頭のかかる部分が、平べったいのから、若干膨らんだ形になった、 登場時の回転シートは充分な設備だよ。
それまでの客車かもめなんて非冷房10系なんだしな。
スハ44も一方向きの転換しない固定座席だったし。 >>604
登場時のキハ80系の設備に対する評価は同意。
但し、スハ44の一方向きシートに対する評価は
展望車と一体の方転を前提とした設備なので、
不同意。 >>597>>594
下関→城崎がキロとか
函館→札幌以遠がグリーン車とか
かなり話を盛ってないか?
俺なんか「きたぐに」自由席で京都→青森だぞw キハ80系の「かもめ」とキハ181系の初代「おき」は山陽新幹線岡山開業まで新大阪〜倉敷間では同じ線路の上を走ってて、
キハ181系の方が馬力もあって、最高速度120キロ運転可能だったはずだが、同区間ではキハ80系「かもめ」の方が速く、
所要時間も短かったらしい 考えたら「かもめ」の走行区間は
ほとんどが架線の下だったんだね。
化石燃料の無駄使いw >>593
>>596
「ひだ」から撤退寸前の頃に名古屋から美濃太田まで乗りに行ったが、キハ80 98は青モケットの原型シートで残っていた。
他にも残っていたと思う。
>>592
昭和50年代までは特急の普通車(2等)なら上等、グリーンは庶民にはちょっとした贅沢品だった。
急行のボックスシートで上野―北陸東北や大阪―青森とかは普通の事だった。
九州から富士宮の有名な団体臨も12系客車だった。
急行のシート、ワンボックス占領出来りゃまだしも、4人びっしりで延々とだと・・・
正直、乾坤一擲の>>594氏が少々羨ましいw
(普通車乗り通しだと「しらゆき」の金沢―青森が最長か) >>608
連すまん、
急行だが、「全区間架線の下」だった「しらゆき」と「赤倉」、気動車「おが」がある。
長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 たびたびすまぬ、主語が無かったな、国語力不足申し訳ない。
『かもめ』は、長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 >>605
厳密には優等は編成順が厳格に指定されていただけで、
別に展望車と一体を前提にしてた訳じゃないよ。
はつかりやかもめでは展望車なし、
また一部は急行の指定席でも使用されてたしな。
そもそもスハ44のシートピッチでは狭すぎて向き固定だった。
後で回転式に改造されたが、それでも任意で回転させるには狭すぎ。 キハ80系とキハ181系は併結運転はできないが、国鉄時代の向日町運転所では、
予備車両か検査後か検査前のキシ80とキハ180が連結されて留置されたりしている光景が、
よく見られた >>604 >>605 >>612
>>605の書き方がぶっきらぼうで失礼いたしました。
伝わっているとは思いますが、言いたかったのは
スハ44の座席が非回転なのはそれなりの理由や
時代背景のためであり、それと比べてキハ80系の
回転シートが優れているという評価にはならない
ということです。
もちろんキハ80系登場時の座席は庶民には羨望の
的で豪華な設備でした。 ただ、キハ80系の青い回転シートは151電車の回転シートと異なり、
背ずりの裏側にはモケットが張られておらず、モケットの繊維も151系電車の
シートとは異なっていたとか 日よけがカーテンではなく、窓ごと(座席2列)に共通の
上下式だったのも、車窓重視の乗り鉄には難点だった。 国鉄時代に北海道で散々お世話になったが、
個人的には180以上身長があった俺には、80系の方が
14系のような簡易リクより背もたれも大きくてマシだったよ。 先頭車キハ82の給電能力は4両まで給電可能だが、食堂車を組み込んでるときは、
キシ80は調理設備などで多くの電力がいるから、キハ82+キロ80+キシ80の3両編成は、
キシ80がキハ80が2両分と換算されて4両編成という扱いとされ、最大で7両まで組成できたが、
8両、9両編成の時は、中間にサービス電源用としてキハ82を組み込まなければ入らなければならなかった。 >>596
東海の転換クロスシートは185系や117系と同じクロスシートだったけど
北海道のリクライニングシートはキハ183系500番台やキハ185系のキハ185に使用されているシートで
当時としては結構豪華だった >>599
117系と185系のシートは別物では? 117系はW16転換腰掛、185系はW17転換腰掛で一応別物
でも俺にはどこが違うのか全く分からんw 飛行機のコンフィギュレーションみたいだ、その記号w >>622
固定シートはT、転換シートがW、リクライニングシートがRで始まる。 >>618
変則編成として、「くろしお」
キハ82+キロ80+キロ80+キシ80+キハ80+キハ80+キハ82 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています