【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 >>207
一時期そちらが荒れていたので“緊急避難所”として敢えて立てました。 >>203
昭和55年の80系前面マークは文字・ローマ字だったよ。唯一例外で絵入りが「ひだ」だった。
80系全面マークが絵入りになったのは昭和60年3月改正から。 >>210
言いたいことは分かるけど
昭和55年も昭和60年も今となってはどっちも昔だよな キハ80に限らず旧国鉄色特急はある意味『希望』『夢』を与えたな。『品格』もあるし。大げさにいえば、いつかは特急に乗り故郷に錦を飾る、てな具合に。 >>212
超同意。あのカラー以上に「特急」を印象付けたカラーはないね。 >>214
ブルトレや583系のことも思い出してあげて >>209
絵入りマークが見れたのは
北斗 北海 おおとり おおぞら オホーツク ひだ 南紀 >>195
Nゲージで今度それ再現した商品だしてほしいな 日曜日の朝の日本テレビの「遠くへ行きたい」というテレビ番組に、ステンレスっぽいキハ82みたいなのが出てるJRグループのCMが流れてワロタ。
あの番組も最近終わったみたいだね。
JRグループのCMが観れる貴重な番組だったのに。 >>220
既に>>208で述べましたが、一時期そちらが荒れていたので“緊急避難所”として
敢えて立てた、と云う経緯があることを何卒御理解下さい。
それでも運営側の方々に“重複・乱立”と判断されたのなら仕方ありませんが。 ここはキハ80系を語るスレなんでしょ
そしたら思い出話とかで良いじゃん知識もひけらかす必要も無いし
へんなやつはスルーでいこうよ キハ82に限ったことでもないが、気動車の正面貫通って寒冷地の北海道では、
組合の強い国鉄でよく改善要求がなかったよな?特急は分割列車もないし・・・
改造してキハ80を転用するとか、非貫通車創るとか貫通扉の機密性を改良するとか何故なかったのかね? キハ82に限ったことでもないが、気動車の正面貫通って寒冷地の北海道では、
組合の強い国鉄でよく改善要求がなかったよな?特急は分割列車もないし・・・
改造してキハ80を転用するとか、非貫通車創るとか貫通扉の機密性を改良するとか何故なかったのかね? >>226
おおぞらやおおとりは分割列車だったろ
分割でなくても付属編成の途中駅切り離しもあったし キロ改造のキハ82は901と902があったはず。他にキハ80 901もあった。
確か札幌と鹿児島に配置されていて、「オホーツク」と「にちりん」「おおよど」で見られた。
「はつかり」用のキハ81系のキロ80として誕生した車両を改造したんじゃなかったかな?
窓の狭い外観は、結構インパクトあったね。
残念ながら見て写真を撮ってあるんだが、この珍車に乗る機会はなかった。 >>232
オホーツクに使われたキハ82 902は脱線事故で廃車・解体になった。
(保線と運転の間の連絡の不備及び保線業者の手抜きにより、線路下の
枕木をまとめて抜いたところに特急が突っ込んで脱線・転覆。線路が串刺
しになった車両もあった) 鉄道ファンら1万人の人出 水戸・ひたち号50周年イベント
【写真説明】大勢の人出でにぎわった「みと鉄道ふれあいまつり」=水戸市三湯町の常磐線内原電留線
http://ibarakinews.jp/photo/13852210880123_1.jpg
弁天橋からキハ81を借りてきて一緒に並べて欲しかった。 そういえばキハ80に冷水器が設置されてたなぁ〜。
あの冷たい水、なんだか美味かったなぁ〜。 使用できるときには緑のランプが光っていて、
それが美味しさを保証してくれているような気にさせられた。 一応冷房付きであるが北海道では殆ど使用してなかったのでは?
特急オホーツクは冷涼な気候の路線を走るため夏でも暖房掛けてたのでは? 2年間はキハ81見れなくなるのか、見に行ける人は今の内。 元々名古屋生まれだが、何故か地元のキハ80系には乗ったことが無い。
キハ80系自体は少年時分に十数回乗ったが何れも北海道だ。
名古屋駅で出発待ちの天王寺行き“くろしお”のキハ81 3[天ワカ]の車内を
覗いてみたことだけはある。
その時は、がらんどうのカウンターがあるのにビックリした。
…いつ頃まで“売店”として機能していたのだろうか? >>245
売店スペースを持つ車両ってのは幾つかあったが本来の売店としてより車販準備室として
使われてたのがほとんどじゃないか。
乗客は一度座ってしまうと動かないし売店に行くより車販のワゴンに来てもらった方が楽だから。 旭川発函館行のおおぞら乗ったことある。乗る予定のL特いしかりが運休したため、変更し立席券だった。当時のL特いしかりは冬の寒さに負けて運休ばかりだった。全車指定席のおおぞらはL特急と違う雰囲気だったのを覚えている。 キハ80系は先頭車が1エンジンなので編成が短いほど速度種別が落ちるんだな >>248
北海道では電車特急よりも気動車特急のほうがステータスが上なんだよね。昔も今も。 発行黙るの船内のキハ80は北海道で走ってたのかな? >>245-246
はつかりに使われてた頃は売店営業もやってたらしい。
つばさやいなほの時期でも車販基地として使われてたらしいが、
くろしおに移ってからは全く使用されなかったという。 キハ80系はキシで引き通し回路がクロスする構造だったがキシなし編成ではどうしたんだろうか
キシを境にドア位置が反転するが >>249
そうとも限らんよ
キシ組み込み無し、8両編成が1両あたりのエンジン台数が一番多くなる
9両編成だとキハ82がもう一両必要だから、1両あたりのエンジン台数は8両の時より少なくなる
まあ、速度種別に影響あるレベルなのかどうかは知らんけど >>255
キロが両渡り改造されてるモノがあった。 >>258
キロは初期のは改造で、後期は新製時から両渡りだったようだ
キハ80で改造で両渡りにしたのもあったらしい 昨日、帯広郊外の音更町で最高気温37.8℃を記録したというニュースを聞いて
1973年夏に幕別駅でレールが暑さで曲がって通過中の1Dが脱線した事故を思い出した。 キハ82の両渡り改造は知っていたが、キハ80の両渡り改造車もあったのか!? >>261
無かったらオール普通車編成組めないだろ 583系もサシに配電盤があるとかで安易に外すことが出来ず食堂車の営業が休止されても1985年まで連結されてたような 片渡りにして途中で反転させる構造はやめたんだな
電車でも151系や157系は編成の前後で電動車の向きが逆転してたが
451・471系は最初両端クモハだったがクハが落成したためやめた
例外は215系で全車2階建てにする関係上両端の先頭車のMM'ユニットが157系のように背中合わせになってる キハ80はJR東海車はJRマークがオレンジ色だった
JR北海道車は白だったが
何か民営化初期の頃のJR九州の485系やキハ58みたいだな(他社が白だったのに対し九州だけ赤だった) ブルドックなキハ81がマジでカッコ良かった。
実車は見たことないけど。 ブルドックはつばさやいなほに使われたんだよな。
板谷峠や上越国境越えは大丈夫だったのかな? >>269
板谷峠はEF64を補機として連結
上越線は25‰勾配だから単独走行 >>270
板谷峠は自力走行は一応可能だったが20キロ程度しか出ないために補機連結してたとか
キハ58の急行おがは自力走行してたが凄まじく遅かった 板谷峠はキハ181でも結局補機使ったんだっけか
しかし80は全国かなりの幹線を走ったことになるんだね
北海道とか、今でも本当に悪条件のところをよく主力としてやってたと思う
最初は常磐線で火を吹きまくりだったのに >>272
火吹いてたのは奥中山越えだろ
さすがに平坦線の常磐線はないよ 上野駅地下ホームに「いなほ」入線するとき「ひたち」のHMのまま入ってきて、ホーム下によういしてあった「いなほ」に交換するのだが、少年オタたちはみな大喜びだった >>278
「エンジン」燃えちゃったら走れないだろ。 いなほのマークをはずすと下のガラスにひたちって書いてある
みたいな写真をみたことがあるけど
なんだったんだろ 「ひたち」の先頭車として常磐線に戻ってきたキハ81は連結器カバーはなく、
「ひたち」の編成も7両とあって、「はつかり」時代のような華やかさは感じられない
ように見えた 火を吹きながら走ったはつかりとか、当時は衝撃だったけど
今のJR北海道は、火災で丸焼けが普通だもんね 284
北陸トンネル列車火災後、「トンネル内で列車火災が発生したら停車せずに
そのまま走り抜ける」というように規定が改められたはずだが 「お湯を沸かす」のような間違った言葉の使い方が平然とまかり通るんたよなあ。 >>286
略されて成立した言い回しのことを
「間違ったことば」、とは呼ばないわけだが。 北海道を走ったキハ80系は晩年、永年の冬季雪の中を走行する事による
ダーメジも有り故障も多かったのだろうなあ。
それでもグリーン車・食堂車を連結し長大編成で函館本線・室蘭本線・
千歳線を走破するシーンは圧巻だったなあ。 >>291 何で、あんな低性能の代物をいつまでも使っているのかと思ってました。
80年代ころ。 >>291 何で、あんな低性能の代物をいつまでも使っているのかと思ってました。
80年代ころ。 起動時、加速時の騒音は大丈夫だったのでしょうか
昔某ローカル線で乗ったキハ58でさえ轟音だったもので… >>294
181系登場時に中央西線の「しなの」に乗った。
結構、エンジン音が大きかったのを覚えている。
それから九州に向かう80系に乗ったらびっくりするくらい静かだった。
あの時代、電車では151系、客車では20系、ディーゼルは80系が最も静か。
それは在来線車両では未だに破られていないと思う。 昔の列車はスピードが上がると床下からせわしないレールのジョイント音が響きまくってた JR東海のリゾートライナーはせめてDMH17を駆逐したJR東日本を見習ってカミンズエンジンに交換するべきだった
あれ末期はエンジン不調でキハ58を補助動力車として連結する始末だったみたいだが
但し変速機が原形のままだと250PSに出力が制限される 博多発のまつかぜに乗り福知山過ぎて食堂車に行くと、品切ればかり。
なんとかサンドウィッチにありつけた。
しかし車内の煙たさはすごかったな(当時は全車喫煙車)。 長距離運用で駅停車中に給油したという話は聞かないな
特急白鳥でも大阪〜青森間無給油で走れたみたいだが
高速バスははかた号のような超長距離便は途中でガソリンスタンドに立ち寄って給油する >>300
平時は途中給油はしなかったよ。
ただ、事故や大雪等で長時間抑止されると燃料が持たなくなるので、
途中の数駅に本線上で給油・給水できる設備があった。
防災上の観点から、今では本線上で(客を乗せたまま)給油するこ
とはなくなったけどね。 80系は美しいけど、海外の評価はどうなんだろう
日本のテツが感じる造形美を理解してる人は個々にはいるだろうけど 個人的にキハ82は美しくて好きがキハ81は醜くて嫌いだ
逆にキハ183-0番台は美しくて好きだがキハ183-100番台は醜くて嫌いだ
500番台以降のキハ183は美しくて好きなんだけどね >>303
151系電車のデザインを基本に必要なデザイン改造して行ったら何故か格好悪くなったでござるって感じだからな
まあキハ82も153系を特急らしくしてみました的な感じではあるけどもうまいこと行ったな
ところでARC第2回会議に間に合わせるためにキハ80速成してああなっちゃったわけだけど
輸出上何か成果あったのかな? >>306
いやだから303と同じで
キハ81は最初から脳内で蚊帳の外だったからさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています