【夢をみた】0系新幹線13号【東海道 山陽】
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日本の原風景となった『夢の超特急』の想い出と現在を語る場所はこちら。
前スレ
【一緒に、夢を見た】0系新幹線12号【東海道 山陽】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1243951589/
過去スレ(鉄懐板時代)
【東海道】0系新幹線9号【山陽】 ----- 路車板からの通算で実質11号
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1229354118/
◆KANONeY3Gk氏ご提供 さよなら動画・画像のまとめ(仮)
ttp://www.occn.zaq.ne.jp/hibiki/0kei/newpage1.html
JRおでかけネット:ありがとう0系新幹線
ttp://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/
残存コンテンツはあるもののリンク切れ
>>2以降に過去スレ(路車板時代) 東海道・山陽新幹線で忘れらない形式が100系 100系の2階グリーン車も階下のグリーン個室も新幹線では
初めてで高いけど数回使った事があるけど一人用個室は印象に残っているのは2階建て食堂車が良かった
しかし一部の100系はカフェテリアが評判悪くて乗るときは前もって食堂車が連結されている編成の指定券を
押さえたり、自由席なら食堂車が連結されてる100系X・V編成を選んだものだ
カフェテリアは良かった。コーヒーの味でも現在の車内販売のコーヒーよりも季節を問わずホットは熱くて、味わいも濃かった。
混雑気味の自由席から逃れて、良い気分転換になった。金に余裕がある時期は食堂車で1600円の「とんかつ弁当」を注文した。
余談になるのだが、1999年までJR西日本の山陽新幹線ではウエストひかりの12両編成が運行されていて、簡単なカフェテリアが有った。
ここのメニューで有名な料理はカレーライスで結構な大盛りで濃い目のコーヒーまで付いてきた。
山陽新幹線のウエストひかりには、12両編成の中央部にカフェテリアとシネマカーが装備されていた。
山陽新幹線のシネマカーの映画上映は日本映画では「男はつらいよ」、洋画では「ダーティーハリー」「007シリーズ」が上映されていた。
因みに、韓国映画上映の兆しが見えてきた時代背景からなのか、韓国映画「シュリ」もかなりの回数で山陽新幹線のシネマカーで上映されていた。 新幹線の100系の2階の食堂車で楽しむカレーライスと金属製の食器は今でも覚えている。
随分と重たいステンレスのカレー皿には割と大盛りなライスが、こんもりと盛り付けられていた。
カレールーは、これもまた重たいカレーソースポットにたっぷりとなみなみと粘度が強く入っていた。
食堂車のカレールーでも、人参とジャガイモが大きめに入っている業者もあった。
スプーンも重たくて、ステンレスの材質は18−8の水準ではなくて、より質の高いステンレス18−10、
ステンレス18−12の規格の材質で長さは22cm以上を用いていた。
新幹線のカレーライスを知ってからなのか、今では自宅のカレーで使うスプーンは18−10あるいは18−12の材質で
22cm以上の長目で大き目のステンレススプーンに替わって行った。
今では、楽天、アマゾンで比較的に手に入る質の高いステンレススプーンであるが、原材料費の高騰から、価格も高止まり気味である。
気分、雰囲気もあるのであろうが、新幹線の食堂車のカレーライスの体験が質の高いステンレススプーンに転換させる切っ掛けにもなった。
東海道山陽新幹線はどの業者もカレーライスとハンバーグは扱っていたので食べ比べるにはちょうどいいメニューだった
0系新幹線自体は食堂車が忙しいとビッフェでご飯を炊いていた時もあった 熱い思いは伝わってくるのだが、
読みづらいですわよ あれから12年。0系が伝説になってから12年でここまで世界が変わるだなんて誰が予想しただろうか。
それはともあれ、総裁、技師長、そして偉大な先人たちに敬礼。 もう12年も経つのか、早いな。
帰宅したらさよなら0系の動画でも見るか。 >>942
十河信二元総裁
島秀雄元技士帳
谷伍平元新幹線支社長
其の他新幹線関係者各位に感謝之敬礼を捧げる。 >>942
十河信二元総裁
島秀雄元技士帳
谷伍平元新幹線支社長
其の他新幹線関係者各位に感謝之敬礼を捧げる。 東海道新幹線
この鉄道は日本国民の叡智
と努力によって完成された あれから、十二支が一回りしてしまったよね。
敬礼!
∠(・○・) 海外ではLGとかサムスンとかが今や一番売れてんだよな。
日本はそれとは真逆で日本製大好きだから、日本だけ続けるのは良いかもね。
日本の家電は、なんでもてんこ盛りの万能家電ばかりで
機能を絞った低価格のメーカーに太刀打ちできなくなったのですよ、
完全に販売戦略のミスの連続なんですよね
それに、新商品にアイデア商品のニッチ商品でも負け、高級路線でも完全に中途半端で世界で連戦連敗ばかりなんだよね
どんどん事業・子会社を売却し、利益率が高い分野に集中して、財務面も改善されるんだろうけど、
注力している社会インフラ事業で躓いたら東芝のように衰退するのかな。
重電とインフラに集中するつもりなのね。
どんどん切り売りしていって、最後に残った数本の柱があっという間になぎ倒されないといいんだけど。
日本メーカーはコスト競争にどうしても負けてしまうのよな。
日本製にこだわると人件費が高くなるし、海外に製造委託しても技術を奪われるとかで上が了承しない。
国内で大量生産してコスト下げようと提案としても部品在庫を持って資産にしたくないからNG
その結果が製品原価が高くなってしまう。だから高くても付加価値を出そうと機能を付けて誤魔化して売ってるのが今の日本家電。
結局ユーザが望んでるのは安くて分かりやすくて長持ちする製品。
経営者が求めてるのは固定費が安く済む製品。
結局この考えの違いが今の家電メーカの衰退を招いてるんだよなぁっと
メーカの開発設計をしてると思う不満をここに書き連ねる。。。
あと技術者の待遇を軽視しすぎたってのもあるよね 1.5kmロングレールのはずが、ゴトンゴトンってくぐもった音がしてた。
長いこと、0系の車両側の問題かと思っていた。
実はレールの溶接後の凹みだったのね。
0系ちゃんごめん。 今ではローカルでもロングレールだったりして、
ガタンゴトンなる擬音が鉄道の代名詞にならなくなりつつある >>952
昔はストリートレーサー気取ったやつが、車のワイパーを縦位置で
止めたまま走っていた。 >>952
編成番号が下にあって見にくかったため
東海車は上部に変更されたが西日本車は最後まで下のままだった 今でも、新幹線の
ガタン ガタンが聞ける区間、わずかにあるよ
上越新幹線、大宮発車後に東北新幹線と分かれるカーブの区間
東北新幹線、盛岡発車後僅かな区間
よく聞いてないと聞き逃すけど 武蔵小杉のあたりの短尺レールはもう替わったんだっけ? >>953
在来線でも結構派手にロングレールの継ぎ目で音を出す線区がある
ボルスタレス台車で出やすく旧来の重い台車で出にくい傾向がある
溶接部分だけ強度が低く使ってるうちに凹んでしまうようである 連続換気装置化改造未施工編成(トンネルに入ると弁が閉じるやつ)はJRになっても残ってなかったか?
岡山以西に入れない >>964
Sk・YKの50以降に入っていた
区別のため+50にした トンネルで弁が閉じるタイプとターボファン式の判別方法あったっけ? SK編成で3号車に27形を入れた変則編成があったんだな
CPとリアクトルが余分になるだけで25形の代用として使えた 東海道新幹線も建設検討中や建設当時は「鉄道は最早斜陽w」
「ビラミッド、万里の長城、戦艦大和に並ぶ無用の長物w」と世間の評判は散々だったんだよな。
それが開業してみたら反対意見を見事に覆して大成功
今、菅も二階も新幹線など前評判が悪かったものの始まってみれば大成功だった過去の事例の様に
「今回のオリンピックだって開催すりゃ大歓声w」
「後世には『反対意見はあったものの結果は未曽有の大成功を収めましたとさ、めでたしめでたし』ってなるだろw」
「そんなことよりこのイベントの成功で俺に幾らの金が入るのかなw楽しみだなw」
とかニヤニヤしてんだろうな。 >>968
よくもまぁ他人の考えを勝手にそこまで思い込めるな
人生楽しそうだな 15か16か忘れたが新大阪側のデッキと客室の間にある車掌室を挟んだ通路は斜めになっていた記憶が・・・ リニア館の0系新幹線、ボンネットの部分に鋲打ちの部分がない?
同じ0系でも昭島や青梅のには鋲打ちではない N99編成やSK99編成があったのが意外だな
編成番号がインフレするかしないかのギリギリラインだった
ひかり編成は85本くらい在籍してた事があったがこだま編成は岡山以西乗り入れ禁止が+50で区別されてた 0系ボンネットの蓋?は、ボンネット内の機器搬出入用って、昔何かの本で読んでそう思っているけど、違ったかな?
181系とか485系とかのボンネットのは、機器搬出入は上半分を取り去って行って、真ん中の蓋は点検時の換気用だったはず。これも昔何かの本でパンタグラフで持ち上がってる写真を見た記憶。 ビュッフェを100系G編成と同等のカフェテリアに改造したのあっても良かったのに
イートインコーナーを廃止してガラス製ショーケースを設置するとか
食堂車でグランドひかり並に改造したのはあったが短命だった 食堂車はパンタ付の偶数形式ではなくノーパンタの奇数形式で製造すれば
一部機器をユニット相手の奇数形式に搭載とか面倒な設計にならずに済んだのでは? ビュッフェと食堂を隣接させるには、偶数形式にするしかないのでは?
食堂車営業開始後は、ビュッフェの人員削減が避けられないので、
ビュッフェの調理や皿洗いは食堂車に集約するつもりだったんだろう。 Q編成は故障でユニットカットしたら2M2Tになってモーターの負荷がやばい事になったはず
新関門トンネルの勾配が登れない? >>980
食堂車とビュッフェを両方営業すると供食設備が2つある事になり互いに競合しあって客の奪い合いになりそう
ビュッフェが2つ連結してあるのとかあったが繁忙期は両方営業して閑散期は片方休止してた? >>980
そもそも食堂車とビュッフェを並べる必要あったのかな?
元々は編成中、半室ビュッフェが2両で博多開業を目前に全室食堂車1両と半室ビュッフェ1両としたそうだが、
それだと定員が減るからね
ビュッフェの代わりは食堂車の端に売店でも設けてそれで対応しても良かったかなとも思う
>>982
東京-新大阪、新大阪-博多の「ひかり」ではやはり距離の関係か食堂車営業休止ってのが多かったな
ただ営業している「ひかり」もあるにはあった
ビュッフェ2両時代の方は世代じゃないので知らん ビュフェ車は、食堂車ほどの食事ではない、いわゆる軽食を供する車両であり、乗客への電話取り次ぎ場所であり、売店であり、車販基地。
35形の頃は、5号車と11号車の2カ所に分かれていて、東京寄り・新大阪寄りそれぞれにほぼ均等となるように連結されていた。
この5号車と11号車という配置、偶然なのか100系では車販基地が存在した位置でもある。
博多延長時に36形が27形と共に新製されたが、それまでビュフェ2両のところ、うち1両を食堂車に置き換えることにし、
かつ供食設備を有する車両を編成中央に連結することで、乗客が車内を必要以上に右往左往することを抑え、さらには
食堂・ビュフェ・車販担当者側にもメリットがあった。36形と37形の厨房部が隣接し、また27形の36形寄りには従業員用の
トイレや休憩室を設置したので、1両半の中で全て事足りることになった。 東海道新幹線57年目・北陸新幹線24年目の開業日
E4系は定期運転を終了
10/1は新幹線にとって特別な日 4両編成と6両編成はモーターがMT200B必須?
ユニットカットしたらモーターへの負担が強烈になって特に新関門トンネルの連続勾配で焼けてしまいそう まあ、10/1は年度の折り返し点だから。
年の区切りが4月に始まって3月に終わるのは日本独特 >>985
「食堂車ほどの食事ではない、いわゆる軽食を供する」とはいっても、
35形の頃はメニューの面でも結構食堂車に近いような機能を持ってたし、
セルフサービスではなくサービス係による接客体制をとってたからな。
37形以降の売店&イートインスペースのような感じとは全然違ってた。 イートインスペースの方が良かったんだね
接客係を置いたらそりゃ効率悪くなる このスレッドは1000を超えました。
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