>>408
当時の国鉄の車両事情からいえば、
電化により余剰となるキハ58等がゴロゴロでてくるわけで、
それらを有効利用するために地方にいけば架線下のDC急行が
ずっと走っていたと思うよ。
新幹線開業前の羽越本線なんて、特急は首都圏始発のものしかないから
下りでいえば新発田発1508まで特急はなく、その間は「羽越」「きたぐに」
しらゆき」が埋めていた・・・というか列車そのものが少なかったな。
昭和50年3月当時の新潟→酒田の「最速時刻表」
新潟0535(天の川・全車寝台)0829酒田
新潟0719(羽越1号)1018酒田
新潟0908(きたぐに)→1203酒田
新潟1057(普通列車、新津乗り継ぎ)→1555酒田
新潟1431(しらゆき)→1721酒田
新潟1528(羽越2号)→1820酒田
新潟1730(白鳥)→1952酒田
新潟1802(普通列車〜新発田からいなほ2号)→2105酒田
新潟1858(普通列車、鼠ヶ関乗り継ぎ)→2311酒田

東京中心のダイヤで、地方各都市間はどんだけ不便だったんだろうな。