【国鉄後期】東北を走った特急・急行【JR初期】2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「はつかり」「ひばり」「ゆうづる」といった特急列車から「月山」「陸中」などの
ローカル急行まで、東北を走った懐かしの特急・急行列車について語りましょう
前スレ
国鉄後期】東北を走った特急・急行列車【JR初期】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1227526911/
53.10の頃は特急本数全盛期で急行が補完ってイメージですかね。
急行→特急格上げが多かった頃だから、全体的な本数自体はあまり変わってないのかな。
皆さん興味深いレスをありがとん。 >>39
個人的な印象だけど53・10前は583系の時代、以後は485の時代という印象 >>39
そのせいで、東北線の特急は在来線最速の地位から転がり落ちた。
あと、上り朝一番の「ひばり」は仙台を6時前(5:58)に発車する破目に…。
きっと、それまで(6:20発)は乗れてたけど乗れなくなった、
仙台駅までタクシー使わざるを得なくなった、って客もいたと思える。
そのくせ運賃・料金はしっかり値上げしたんだよな(これは無論東北線だけじゃないが)。 最速というほど速かったわけではないが、
たしか「みちのく」が、RJ誌で算出した速度ベスト10に入ってた時期があったな。
平−岩沼間の単線区間を含んでそのランキングだったから、
みちのくすげえ、って思ったことがある。 JRになって運賃・料金が国鉄級に上がらなくなったのはありがたいw その代わり全部新幹線になるか何処にも行けない路線になったがな しかし今更新幹線以外で長距離乗る人もいないだろw
そういえば、青森駅をまたいで奥羽線〜東北線を
走る列車ってそれなりあった記憶がある 上越新幹線開業時のダイヤ改正で、一部の「はつかり」は弘前直通になった…。
ただ青森の場合、ここを跨いで運転しようと思うと全て進行方向変える必要があるから必然的に停車時間が長くなって、
時刻表上は1本の列車でも、実質的には別々って捕えられることも多かった気がする…。 >27
確か、まつかぜも初日にこけた記憶が・・・。 >>29, >>48
43.10初日の上り「やまばと1号」
山形駅発車直後に....だったはず 53.10以後、確か青森先発のみちのくは停車駅が後続のはつかり2号より多いのに仙台到着時は差が開いていたぞ 仙台までの客は「みちのく」、上野へ行く客は「はつかり2号」に
分離しようとしたんだろうか…?
それにしても、何で件の改正で「はつかり」と「みちのく」の青森発時刻を
入れ替えたのか。「はつかり」が485系に代わったから、「白鳥」と間違えない
ようにするため? 北海道民と青森県民は同じ色の特急が並んでたら見境無く誤乗する人種にしたいらしいな。 そもそも旧客時代なんか見分けのつきにくさは
もっとひどかったもんなw 多層建て急行や初期のつばさ・やまばとじゃあるまいし…
みちのくが先発になったのは、はつかり偏重による混雑を解消する意図があったんだろ。
53.10では
・はつかりの大幅スピードダウン
・両列車へ自由席の設定
という大きな変化があったからな。
所要時間も上野到着時刻も大差無くなったから、
自由席客をみちのくに誘導する為に出発順序を入れ替えたんでしょ。 >>56
つばさ 上野〜秋田・盛岡
やまばと 上野〜山形・会津若松
多層建て特急だったから、この2列車は乗る車両間違えたら大変だなと。
まぁ全席指定の時代だから、問題にならなかったとは思うけど。 >>57
>問題にならなかったとは思うけど
まあね
郡山や福島着く前に検札あっただろうし 違う行き先の食堂車で食事中に分割して…なんてケースはあったかもね。
>>59
その為のというより、特急は例外無く全席指定の時代だった、というだけの話。 >>54
方向サボだかヘッドマークだか変えるの駅員の仕事で
違う行き先の掲示のまま走ってたのは東武だっけ?
国鉄はやってなかったっけ?
>>61
あれ?それがないように白鳥はわざわざ2両食堂車繋いでたんじゃなかった?
九州ブルトレが朝食時間中に分割してなければ特急がそういうことしたことはないはず
急行は知らん 新幹線の話になって悪いけど、当方の知人で、「こまち」に乗るべきところを
併結の「はやて」に乗った、って御仁がいた。
で、盛岡で慌てて乗り移ったんだと。
全車指定席でもそんなことが起こり得る…。
>>62
つばさ・やまばとも食堂車は2両連結されてたけど、
編成の端の車両に乗車してる客なんかは、別編成の食堂車に行く人も少なからず居たんじゃないかなと。
世代的に当時を知らないからただの妄想だし、もしかしたら編成間の行き来が制限されてたのかもしれないけどね。
急行はカオスだから、色々あったろうね。 >>62
>それがないように白鳥はわざわざ2両食堂車繋いでたんじゃなかった?
単に、例えば直江津-上野間食堂車無しじゃ問題あるからだろ
単独走行区間が長すぎる
>>64
>別編成の食堂車に行く人も少なからず居たんじゃないかなと
どこから行っても自分の側の編成の食堂車の方が近い
意図して別の編成側に行く人もういたろうが
そういう人は分かってやってたんだろうから問題なし 近いったって最短だと1両分だしどっちでも良いやってなることもあるんじゃない?
というか「問題になるとしたら」の妄言をつぶやいただけだから、あまりマジレスもらってもどうしょうもない。 >>64
会津編成連結後のやまばとは食堂車がなかったような 両方に食堂車があったのはつばさだけだったっけ?
そうか、時期も違うし共通運用ではないもんな。 >>66
すまん
編成表見てたら根本的に俺の間違いだわ
他編成の方が近い号車も存在してる
4号車、11号車キシと勘違いしてたわ
5号車、12号車だから8号車からは5号車の方が近いな
>>68
かもめ、白鳥 >>69
いやいや
どうせ俺のくだらん妄言だからw
そうか、かもめを忘れてた… うーむ
去年の3.12といい東北は初日に祟られてますなあ
>>51
推測だが、運用変更のついては53・10改正で「やまびこ」1往復の青森延長という形で増発した事に加え
スピードダウンもあったので1/2Mを485系運用にしないと485か583系の運用がこなせなくなった
又は混雑列車であるので485系化で定員増加を図ったとか?
ダイヤについては>>55さんの言ってる通り自由席設定が大きいと思われますな。
それと規格ダイヤに乗っける為には50分発のままだと2Mもそうだが12Mのスピードダウン幅が大きくなるためとか?
本来のダイヤ
2M青森4:53 仙台9:20着9:22発 上野13:55着
12M青森4:50 仙台9:27着9:29発 上野13:43着
逆にすると
2M青森4:50 仙台9:26着9:28発 上野13:43着(当時東北上り特急の仙台発は28・58分が基本)
12M青森4:53 仙台9:33着9:35発 上野14:08着
※発車時は3分続行なのが7分に開くのは途中停車駅ホーム設備の関係かと。 あ、間違えた
本来のダイヤ
2M青森4:53 仙台9:27着9:29発 上野13:43着
12M青森4:50 仙台9:20着9:22発 上野13:55着 ヨンサントーの船出も散々だったらしい…。
宮脇俊三氏の「時刻表ひとり旅」の中に「私はダイヤ改正初日に郡山まで往復したのであるが、
余りに画期的なダイヤ改正だったためかダイヤは大混乱を呈していて、
復路では改正前より時間がかかった」
っていう記述がある(文言は不正確だけど)。 >>75
奥羽本線では>>49に出たやまばと1号のトラブルは勿論EF71・ED78の故障、
東北でも盛岡〜青森で色々起こったとか >>76
上り「やまばと1号」の遅延はダブル事故なんだよ。
まず山形駅発車直後の列車がいきなり故障。別の編成を使って山形駅を20分遅れくらいで
出発したが,この編成が福島駅でまたも具合が悪くなり福島から上野まで
電気機関車が牽引して上野到着が3時間1分遅れだった。
・・・・という内容を廣済堂ブックスの「鉄道雑学事典」だかなんだか忘れたけど
早大鉄研か慶大鉄研(どっちか忘れた)の本で読んだ。 何と言っても一気に「全線電化複線化、120km/h化」だったんだから、
まぁ、机上の計算通り行かなかったところもあったんだろう…。
考えてみると、あのダイヤ改正以後事実上在来線の進歩は止まったようなもんだ。
精々局所的に130〜160km/h運転やってる程度だし、それでさえダイヤ通りなんてことまずない…。 しかし、120km/h化で大いに揉めたし
急行のスピードアップも全車指定電車急行のみだった
それでも路線はがたがただったし >>75-77
東北本線は青森駅の信号故障ほかかなりの駅で構内作業の混乱を起こした
影響が東京以西にまで及んだため10月5日に貨物を全面運休させて混乱を解決したが
奥羽本線は電機の修理が元で2週間ほど米沢―山形で蒸機牽引列車が復活することに >>78
E751系「スーパーはつかり」「つがる」は、たしか130km/h運転やってたよね。
651系「スーパーひたち」の岩沼−仙台間はどうだったんだろう?
線形良さそうだけど、国鉄時代の規格のままなら120km/h? >奥羽本線は電機の修理が元で2週間ほど米沢―山形で蒸機牽引列車が復活することに
何それ萌える。形式とか何だったんだろう、気になるなぁ。
>>54の2枚目、格好いい >>82
EF71が立て続けに故障(10月中だけでも20件)した関係で
一部の貨物列車が蒸機牽引になったという話だから牽引したのは多分D51辺り ED71は故障してSLが代走ってことあったと聞いたけど、
"F"の方もか…。
しかし、板谷峠は昔から4110とかE10とか特殊仕様の
SLがいた所だから、D51が単独で登坂できたのかって気もする。
荷が軽けりゃ問題なかった…?
問題あるだろ。板谷、43.10の20年前には電化されてるのに、蒸気入れたのか
迂回するとか、DD51を手配するとかなかったのかね >>84-85
>>83だけど蒸機で肩代わりしたのは米沢以北の運用
米沢以南は動けるEF71とED78で走らせた ああ、米沢以北だったか。当方も迂闊だった…。
で、後にはそのEF71が、一旦撤退した「つばさ」の補機の運用に
再び就くなんてこともあった…。181系化されて福米を自力走行の予定が
矢鱈に故障(エンジンがオーバーヒート)したからって。 キハ80とかキハ181って食堂車繋いでたことや
高速ダイヤで国鉄としては結構無理してたんじゃなかったっけ?
一方、DC急行は食堂車ないし、冷房ないしそんな高速ダイヤ組む必要もないし
一応ノッチ制限して低速で走ってる「だけ」には問題なかったんでしょ? 181系DCのエンジンは、本来の規格(許容限界)より15%ばかり回転数上げないと120km/hは
出せなかったとか…。と某書には記載がある。
となれば、上野―福島間で電車並の速度(時刻表上はそうだった)で走らせた
のは相当な酷使だったんだろう。 キハ181の板谷越えはの不具合はむしろ低速ゆえに冷却が追い付かなかったことが原因だったと聞いた覚えがある。 諸説が飛び交ってるわけか…。
それにしても、少なくともダイヤ上は、600km近く走って所要時間が電車と20分しか違わなかった
わけだから、国鉄は181系DCに関しては相当に「高速車両」って自負持ってたんだろうな…。 板谷峠スレにも色々あるからそれも見てほしい↓
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1243825209/l50
キハ181の機関・変速機や冷却方式はDMH17系列より高速運転前提だったからああなったわけだけど 冷却機能が低速だと機能せず、高速走行時(80km以上?)には機能したらしいな。
自然空冷なので当たり前と言えば当たり前。
となると東北本線での高速走行は問題ないんだろうけど、問題は福米越え。
特にトンネル区間では熱がこもるらしく、「しなの」にしても冠着トンネルが鬼門だった模様。
板谷峠もトンネルが多く、これが複線断面ならまだいいんだろうけど上下別の単線トンネルになってる。
そう考えるとキハ181は「北斗」の運用に適任と思うのだが、どういう訳か渡道は実現しなかったな。 空冷ってか、自然冷却ね。ああいうラジエター、厳寒地だと管の外が凍結して余計に効かなくなるんだよな。
さらに中も凍結して破裂するし、キハ80も初期の頃は庫内に入れて下回りにスチームかけてたって甲組に
書いてあったけど、キハ181だと屋根までやらなきゃいけないから大変そう。折り戸だし。
あのラジエターをとっとと強制冷却にして幹線系統の電化がもっと遅ければ大活躍してたろうに >>88
それが原因で今度は板谷越えの貨物列車が計画運休になった >>97
悪い、正確なタイトル失念してたもんで…。
調べたところ「国鉄形車両 事故の謎とゆくえ」だと思われる↓。
http://www.umehara-train.com/profile.html キハ181は「しなの」や「つばさ」も勿論だけど、
「かもめ」や「なは・日向」に投入するのもありだったんじゃない?
>>100
キハ181は故障が多かったしすでにキハ80系列に
慣れてた現場からは嫌がられたんじゃない?
苦労する割にダイヤがあまり高速化しないからってことで
高山線や紀勢線も投入が拒否されてたし
一方四国特急は最初からキハ181だったし
特急やくもも最初からキハ181だった
ってここは東北のスレじゃないのかよw
ところで、急行型で110km/hの高速ダイヤ
組めたのって定員制急行だけ?
そして、キハ58急行の東北本線での最高速度って95km/hだよな?
85km/hじゃないよな? 181系DCって言うと、「しなの」に連結されてたキサシ180が引っこ抜かれて
「つばさ」に使われたとか…。
そんな歴史に接すると、長野県出身者としては秋田が嫌いになりそう…。
八つ当たりだし、「しなの」でもオーバーヒートに泣かされて仕方なく、
って事情があったらしいけど…。
しかし、話はそれで終わらず。更に後年、「白山」から外したサシ489の
一部をサシ481に改造、やっぱり秋田に転属にさせた…。 その後再度サシ489になるというオチも忘れずに
(最終的にスシ24になったのもあるが) 1両だけ出戻ってきたってのがな(サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83)。
形式は復旧したけど番号は戻らず…。
それにしても元々のサシ489-10〜12は、サシ481化された時点で「●(横軽対策車印)」は
消したんだろうか?
というのは、協調運転用の制御回路は外したとしても、機械的な強度は碓氷峠通過用に
高められてた状態の筈だから…。 八つ当たり?
何言ってんの?
文体ですぐにわかるけど、この子いつもどこかズレてるよね。 なんかついこの間まで奥羽新幹線がって子と同じ臭いがするね。
所要時間の短いしなのよりつばさに使った方がいいとおもうが。 >>106,>>107
他人を悪し様に抜かすんだったらテメェらはどれだけの名文書けるんだ?
ここに挙がってるようなので上手い事ほざいてるつもりか? 誤乗君も彼でそ?
名文駄文じゃなく、文章が特徴的だから一目瞭然。 誤乗君はゆうづる11号と13号が並んで停車してるのをみて何を思うのか? >>112
このスレの最初の方にいる青森駅に583が並んでたり、485はつかりと白鳥が並んでると誤乗が頻発するような話してる人。 民営化直後のあけぼのに指定席が連結されたと思ったがすぐやめちゃったのは何がしたかったんだろう? >>115
ほんの一時期14系客車?を最後尾に付けてたな 当時のあけぼの3・2号の時刻を見ると、
奥羽本線内は湯沢−青森間が有効時間帯で、
ここを立席・指定席特急券で乗れることになってるな。
ヒルネの時間が長かったからサービスとして連結したものの、
実際連結してみたらあまり客がいなかった、とかかね? 夜行バスに対抗してみたけど、津軽と被ることに気づいたとか? ゴロンとの発想はさすがにまだこの時期にはなかったか。 多客期には20系まで投入するくらいの寝台需要はあったようだし 東北方面の夜行特急だと
「あけぼの」「はくつる」「ゆうづる1号」が寝台の取り難さ御三家と聞いたが。 昔の「みどりの窓口」を見ていたやつなら
その程度常識だ。 ゆうづる1号なんて朝の5:00頃に青森着くのにそんなに需要有ったっけ?
70年代だと寝台特急〜連絡船に乗る人は飛行機に移行してたと思うが。 >>127
夏休み中の繁忙期だろ?
それ>>126にレスしても意味ないんじゃないか? 70年代というより昭和40年代と50年代で分けたほうが考えやすい >>126
国鉄の運賃料金の値上げラッシュがはじまる前までは需要あったよ。
具体的にいつか忘れたが初乗り運賃が30円から60円になったとき
国鉄離れが起き出して,80円になったとき息の根がとまったといえる。 ある時期郡山にいた。
新宿の呑処みたいに24時間なにかしら列車が動いていた。
24時間1秒も欠かすことなく改札口には駅員がいたし,きっぷ売り場は開いていた。
だがある時期から急行自由席で乗ることができる「深夜」列車は
「津軽」「出羽」「あづま」「いわて」だけになってしまった。
あのときすごく寂しい思いをした。そのころ山陰本線の米子〜下関間は
夜行列車がなくなっていた・・・・・。
・・
・・
・・
でも
・・
・・
・・
いまじゃもう(以下ry・・・ 昭和51年秋に、国鉄の運賃料金値上げが言わば「自由化」された。
で、初乗りが30円→60円になったのを始め、未曾有の値上げラッシュで、
競合交通機関に対する価格面での優位性が一気に減殺された…。
それが翌年、グリーン料金とA寝台料金だけ値下げなんて事態にも至ったが…。 昭和46年のきっぷがあるんだけど、
仙台〜青森特急料金800円
特急・急行用グリーン券1400円
とか見るとグリーン券って高いんだなぁと思った。確か急行だと250円だっけか 二等車の名残をひきずっていた時代のグリーン料金って、良い座席の対価ではなく、金持ちと貧乏人を分けるためのものだったからな。 ところが46年当時連絡船はグリーン400円座席指定300円とかいうよく分かんない設定。
小学校に入学する前から「みどりの窓口」をみていたけれども
「ひばり」だの「とき」だの言われてもピンとこなかったな。
はつかり?なあにそれおいしいの?・・・みたいな
だけどそのフレーズだけは覚えていたもんで数年後授業中など
「トキって知っているか?」
「ハイ!知っています。新潟行の特急です」
「ヒバリって知っているか?」
「ハイ!知っています。そろそろ4号が上野を出発します」
なんてよくあったなー。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています