【国鉄後期】東北を走った特急・急行【JR初期】2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「はつかり」「ひばり」「ゆうづる」といった特急列車から「月山」「陸中」などの
ローカル急行まで、東北を走った懐かしの特急・急行列車について語りましょう
前スレ
国鉄後期】東北を走った特急・急行列車【JR初期】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1227526911/
>>381
北上までやまびこ、北上からあおばだとどう? 1980年12月
つばさ
1上野0803秋田1555
3上野1203秋田1955
5上野1330秋田2122
いなほ
1上野0719秋田1502
3上野1119秋田1902
5上野1519秋田2303
だいぶ遅くなってるが所要時間差は変わってない JR発足初期はチャレンジャーな設定の臨時特急や臨時急行が多くて面白かったな >>386
上野〜北上5時間30分
北上〜秋田2時間21分
でやはり羽越・奥羽経由より遅い。
北上線が低規格なためか? 昭和から平成に移る時期の宇都宮線は定尺レール区間が多く、
ロングレール区間と定尺レール区間の混在で走っていました。
現在でも急なカーブとか、分岐点が多い区間はレールの交換を
容易にしやすくするために部分的に定尺レールが使われています。 くりこまが先行の急行を追い抜くのはかたりぐさになったが、上りいわてが本宮でいなわしろを追い抜くのはわりと語られない。 20系 急行「竿灯」
1989年8月 運転
5日…団体専用
6日…一般発売
7日…台風でウヤ 竿灯か・・・それは知らんかった
それにしても特急のメジャーな列車に比べると何ともローカルムード漂う名前
段々ネーミングが苦しくなっていくのが分かる >>396
竿燈祭り客輸送列車なんだから
苦しいネーミングでも何でもねえよ https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(40代弥勒ソフト 過疎っているが、昭和53年頃だったか、前沢から臨時急行「まつしま」で上野まで夜行で行った。
当時の時刻表は無いが、水沢始発上野行の臨時だった。455系。
当時の帰省需要の列車だろうが、急行いわてじゃない事に今思うと意外性を感じる。 >>405
「まつしま」の延長スジだったんじゃないのかな? 帰省時の上野駅は東北や上信越は凄まじく混んでいたけど常磐はそんなに混まなかった記憶がある。 455系って盛岡が北限かと思ってたが
「くりこま」があったから青森まで顔出してたのね
急行全盛期がもう少し延びていれば、
「つばさ」や「いなほ」と同ルートの電車急行が実現したろうか
「はくたか」と同ルートの電車急行とか
「白鳥」と同ルートの電車急行とか(これは上野無関係だが) >>408
交直両用電車による急行なんてすごく少なかったからな。(昭和50年3月改正時)
「いわて」「もりおか」「まつしま」「ざおう」「ばんだい」「あづま」「なすの」(上り朝の白河始発1本)
「くりこま」「あぶくま」「ときわ」「立山」「ゆのくに」「くずりゅう」
「かいもん」「ぎんなん」「日南」「ゆのか」 >>408
当時の国鉄の車両事情からいえば、
電化により余剰となるキハ58等がゴロゴロでてくるわけで、
それらを有効利用するために地方にいけば架線下のDC急行が
ずっと走っていたと思うよ。
新幹線開業前の羽越本線なんて、特急は首都圏始発のものしかないから
下りでいえば新発田発1508まで特急はなく、その間は「羽越」「きたぐに」
しらゆき」が埋めていた・・・というか列車そのものが少なかったな。
昭和50年3月当時の新潟→酒田の「最速時刻表」
新潟0535(天の川・全車寝台)0829酒田
新潟0719(羽越1号)1018酒田
新潟0908(きたぐに)→1203酒田
新潟1057(普通列車、新津乗り継ぎ)→1555酒田
新潟1431(しらゆき)→1721酒田
新潟1528(羽越2号)→1820酒田
新潟1730(白鳥)→1952酒田
新潟1802(普通列車〜新発田からいなほ2号)→2105酒田
新潟1858(普通列車、鼠ヶ関乗り継ぎ)→2311酒田
東京中心のダイヤで、地方各都市間はどんだけ不便だったんだろうな。
、 >>411
東北全域でそんなダイヤだったよ、俊足急行くりこま1号もそんな特急空白時間帯に走っていた >>411 昼間、10時〜13時台に新潟から酒田、秋田方面に向かう乗客の需要が少なかったということなんでは?
昼間の需要が見込めれば、この時間帯に1本位、特急か急行走らせてるだろ。 >>414
「需要があるぞー」という圧力でもあれば別だが。
当時の国鉄は東京と地方主要都市の大まかな旅客需要と、
郵便、新聞輸送については、キメ細かなクライアント様の都合は考えたが、
キメ細かな旅客需要は考えていなかった。
この頃から国鉄最後のダイヤ改正のような「キメ細かな旅客需要」を考えて
ダイヤをつくっていたら、後に訪れる(これも避けては通れないところだが)
「国鉄離れ」の様相も違ったかもしれない。
・・・とはいえ客レのダイヤだけは無理だろうけど。 昭和50年3月の運賃料金ならば、
例えば、新潟〜酒田間に6両編成のDC急行でも2時間おきに設定したら、
新潟〜村上間はほぼ満席。村上で7割減って、府屋あたりからポツポツ
増えだし、酒田到着時にまた満席という感じになっただろうよ。
これが昭和55年だの56年となると、
全体的に1割減してさらに、新潟〜村上といった短距離利用者が
3割〜5割くらい減るので、乗車率を維持したければ、快速化が必定となるが。 >>410
わが思い出の「つくばね」を忘れんでくれ。 上野の交直流急行電車は編成が水カツと仙センの2種類に分かれていた。 >>411 新津11時半頃発の「いなほ」に乗り換えて酒田に向かうという方法は?
1975年頃、運転されてたかはわからないが、82年9月には10月26日までの季節運行で、いなほ1号が設定されている。
また、「しらゆき」の後、普通で新発田に出ていなほ3号に乗り換えることも可能だ。
(参考)
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/3049107.html >>420
昭和50年3月当時だから、下りも上りも1、2号で、いなほは2往復だが、
「いなほ1号」を使う話になるとこうなる。
新潟1431(しらゆき)1454新発田1508(いなほ1号)1705酒田。
非現実的なので割愛したが。
上野を7時頃出る「1号」は1978年10月からだよ。 >>420
そのダイヤであっても「いなほ3号(旧1号)」に乗り換えるなら
最速で「しらゆき」からだと思うが。「しらゆき」の後の普通で
ちょうどうまく新潟発1450頃のがあればいいけど。 新津11時半頃発で酒田方面に向かういなほが、78年から冬期運休で運転されるようになったということは、この列車が東京から新潟県北部、庄内平野付近までの乗客を主な対象としていたということなんでは?
観光客の少ない冬場は需要が減る。羽越本線の沿線に蔵王のような有名スキー場もない。
新潟まで新幹線が開業して、東京・新潟間の所要時間が半分程度に縮まったから、片道4時間程度で行ける範囲が鶴岡、酒田あたりまで拡大し、新幹線乗り継ぎ前提の新潟発特急を増やせるだけの需要が見込めるようになった、ということなんでは? >>424
そういう見方は一理ある。
ただね。昭和40年〜50年頃というのは、ある程度の規模の都市間は
それなりの潜在需要があり、便利な時間帯に敷居の低い列車(急行自由席以下)
を走らせれば、それなりに乗車率は稼げたんだよ。
ただし、100キロまでの急行料金が昭和49年に200円となり、
51年に300円、53年に400円、55年には500円となり、
急行自由席利用が「敷居が低い」ともいえなくなり、快速にして
乗車率を残すか、いっそのこと特急にして、客単価を上げるかの選択を
迫られるようになる。
もちろんこの数年で運賃のほうも軽く3倍以上になっているわけだが。 片道50キロを急行自由席を利用する場合の運賃・料金
昭和44年5月10日より 310円(運210 急100)
昭和49年10月1日より 450円(運250 急200)
昭和50年3月10日改正、新幹線博多開業
昭和51年11月6日より 680円(運380 急300)狂乱値上げの始まり
昭和53年7月8日より 850円(運450 急400)
昭和53年10月2日改正 昼行特急すべてに自由席、特急停車駅乱増
昭和54年5月20日より 920円(運520 急400)
昭和55年4月20日より1050円(運550 急500)
昭和55年10月1日改正 千歳空港駅開業と北海道内の優等列車体系の変更、夜行列車削減
九州方面の幹線系統の急行の全特急化、
昭和56年 ワイド周遊券のエリア内特急自由席開放
この後、急行料金も50キロまでが新設され、若干の手直しが図られるようになる。 ついでにネタだが、東京駅〜八王子駅を特急自由席を利用する場合の
運賃料金
昭和53年7月8日だと、1450円(運450円 特1000円)
昭和91年9月25日だと、1310円(運800円 特510円) いわてやまつしま、くりこまの臨時は客車だったがまさか旧形客車? >>428
時期にもよると思うが12系が登場する以前は間違いなく旧型。
登場以降も全部の臨時客車急行に入れるほど車両はなかったからね。
基本的に客車急行は旧型が当たり前でしたね。 臨時くりこまは仙台〜青森を所要時間5時間40分と
いくら東北本線の線路状態が良いとは言え、
70km/h近い速度で旧型客車でかっ飛ばせばすげぇ乗り心地になりそうな・・・ >>420
このいなほ1号は本来は定期列車のはず
ダイヤ改正の関係で少し前に運行が取りやめになっていた 東北の特急はグリーン車が一両の編成が多く、
グリーン車二両が多い北陸や山陽〜九州の特急より
格下に思えた ひばりやはつかりの飛ばしっぷりを九州特急と比べると九州特急がローカル特急に思える。 >>296
これが崩壊してから秋田の衰退がひどくなった気がする はやぶさ、はやては西日本に返して
やまびこを速達、現やまびこやなすのはあおばにしてほしいな 青森行ははつかり、仙台行はひばり、山形行きはやまばとだな E5・E6でグリーン基調復活のことはよかったな
ラインカラーはいまもグリーンだだし東北の山並みにぴったりだからやはりこうでなきゃ
北陸踏襲とはいえE2は東北のイメージじゃない >>437
奥羽新幹線ができていればつばさは秋田で山形はたぶん別の名前かな >>438
リニューアル200系とE4系もE2系ベースの色合いだったな 4月8日(土)NHK BS1
22:00〜
経済フロントライン
▽「国鉄民営化30年」明暗分かれるJR各社。鉄道の未来は?▽ 東北新幹線が最初に上野〜青森を開業させていたら列車名はどうなっただろう。
当時の慣例からいえば、行先別に分けることもなく、速達タイプと各駅タイプのみ
だったから、速達が「はつかり」、各駅が「ひばり」で落ち着き、
いまごろは「やまびこの亡霊」騒ぎがあったかもしれない。 盛岡までの開業と知られていての公募だったけど
1.みちのく 2.あおば 3.はやて 4.いなづま 5.やまびこ
6,ひびき 7.つばさ 8.流星 9.あさひ 10.きたぐに 最初から(新)青森開業だったら200系に食堂車連結されたかも? >>445
青森というのはせいぜい岡山と同等程度だからないよ。 あと今頃は新青森まで320km/h運転してる。
東海がやったように東日本も新青森まで保有機構から買いとりゃいいのに。 【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1504890975/
関連スレ
時を同じくして消えた485系スレを立てるかこれにするか迷ったが583系の方を立てたぜ! 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁スキンケア」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜フィリピンチリスペイン上西ツイスタードライブローリングファイヤーシュート立川
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 新幹線は味気なくて嫌いという小生意気な小学生だった1993年夏休み
須賀川に近い水郡線沿線にある祖母の家から東京への帰路
須賀川からあいづに乗るか水戸からひたちに乗るか迷った末に
ボンネットに乗りたいとひたちに乗り、冬休みはあいづで行こうと決断
冬休みには既にあいづは走っておらず、ずいぶんと後悔した覚えがある…
盛岡以北のはつかりと24系はくつるには何度か乗車したが
ついに上野口の昼間の東北特急には乗ることができなかった 連投失礼
数年後、中学卒業を期に泊まり旅行と夜行列車の乗車を許可され
繁忙期に青森まで何度か24系はくつるに乗車したが
本命の583系臨時はくつる下段は
毎回寝台券発売日にみどりの窓口に行っても完売してたな
583系の下段は解放Bなのにあの大窓を独占できて大好きだったな 急行いいでってどこに需要あったんだろう、上野から新潟行きで磐越西線経由。 さすがに全線通しの需要はなかったと思うが、
首都圏〜白河・郡山
白河・郡山〜会津若松
郡山・会津若松〜新潟
の区間需要はそれなりにある。
高速道路が整備された現在は、その区間に高速バス路線が
設定されている。 当時の急行って、客の都合より車両の都合でまとめて長距離走らせていたような列車が珍しくなかった ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 仙センにもキノコクーラーじゃないサシいたんだな。
仙センはサロがキノコなし、サシがキノコのみのイメージだった。 別に東北に限った話じゃないが・・・。
子供の頃、鉄道図鑑などで485系一党の走行写真を見ると、
2パンタだったり1パンタだったりという違いが不思議だったな。
後にそれが直流電化区間と交流電化区間の違いと知るんだが、
それでもパンタの上げ下ろしを何処で行っていたは分からなかった。
さらに後に、東北本線なら黒磯、常磐線なら水戸で、
パンタ昇降を行っていた話はかなり以前のどこかのスレで知った。
『白鳥』は東海道線・湖西線は2パンタだった気がするが、
その他の区間では各セクションの手前か後の停車駅でパンタ昇降行っていたのかな? >>460
直流区間→交流区間の場合…交流区間最初の停車駅まで2パンタ
交流区間→直流区間の場合…交流区間最後の停車駅から2パンタ >>461
ありがとう。
東北特急は黒磯通過の列車もあったから、以北の停車駅でパンタ昇降かな。
関西〜九州の電車特急なら小倉か。
EF80やEF81も同じことやってんだろうな。 季節列車も含めたら国鉄特急表定速度最速列車、特急くろいそ説
上野→黒磯105分
速いね そんなおっかないことできるわけないって。たたむ時はともかく、上げる時見たことある?バネの力相当あるから、架線に当たってバウンドするのよ?
しかも、架線に触れるすり板は常に平らじゃないからね。それを高速運転中に上げたら、下手すりゃ架線切断になるって。
だから、車上切り替えの場合、直流→交流では交流区間最初の停車駅まで2パンタ、交流→直流では交流区間最後の停車駅から2パンタ。 >>466
Class 800はモード切替高速運転中にやってるぞ ひばりははつかりややまびこより停車駅多かったけど
上野仙台間の所要時間は大体において短いね 1973年
上野→秋田 特急時刻
727 (つばさ) 1510 7時間43分
1030 (いなほ) 1759 7時間29分
1205 (つばさ) 1943 7時間38分
1430 (いなほ) 2203 7時間33分
上野〜仙台は最速3時間53分、仙台から北上線経由の特急あおばで秋田まで3時間50分だから
上野〜北上〜横手〜秋田の特急があってもよかったのでは? >>471
>上野〜北上〜横手〜秋田の特急があってもよかったのでは?
その特急は上野〜仙台を3時間53分で走破できるのか? >>472
それが当時ディーゼルカーだった「つばさ」は上野〜福島で電車特急ひばりと同等のスピードだったのですよ。
ひばり つばさ
上野 1200 1205
福島 1500 1507
この間のつばさの表定速度88.7km/h >>473
ひばりは上野〜仙台を3時間53分で走破していましたか? 上野秋田の仙山線経由って昼間はなかったっけ?
仙台と山形を経由となると
相当いい業績が出せそうな感じ >>475
山形新幹線開業直前のつばさは仙山線経由(上野発着は1往復のみだけど)
当然のことだが板谷峠経由より距離長くなった分所要時間も上野〜秋田は8時間45分とかだし
東北新幹線も東京延伸の時期だから東北本線内の客はそこまで乗ってなかったが >>476
上野発着の一往復が福島〜仙台迂回のため、その区間で在来線特急が一時的に復活し
たのだが、長編成からして往年の東北特急が仙台に再び帰って来た感じもしたな。
東北新幹線開通前なら船岡の桜と485の組合せとか有名だったし。
すごく懐かしかったな、あの時。
ひばりに乗ってた頃思い出したな。 たまに繁忙期になると福島や仙台で奥羽方面にきり離すような見てくれで2系統分つないでおきながら全部が青森や盛岡、仙台まで行くだけの1系統長大編成があった
くっついてる方は自由席がメインだったはず >>482
それいまでも東北新幹線でやってないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています