【国鉄後期】東北を走った特急・急行【JR初期】2
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「はつかり」「ひばり」「ゆうづる」といった特急列車から「月山」「陸中」などの
ローカル急行まで、東北を走った懐かしの特急・急行列車について語りましょう
前スレ
国鉄後期】東北を走った特急・急行列車【JR初期】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1227526911/
1980.10改正時刻だと
上り 6本中3本が「ひばり」5分先行ダイヤ
仙台発 12:53(6M)・13:53(8M)・15:53(10M) >>355
おっと失礼しました。
昭和53年10月改正からは
一概にいえないダイヤになっているね。
どうも昭和50年3月のダイヤが頭に染み付いていてよくない。
とすると>>351の言っていることはなんかおかしいな。
「ひばり」と「はつかり」「やまびこ」が常時30分差であった時代って
「はつかり」「やまびこ」は全車指定席だったんだが。 >>357
53/10改正以降だと
ひばりは毎時58分発だが、
やまびこ・はつかりは28分発と53分発の2パターンあった。 >>358
「ひばり」15往復だよな。どこかで30分毎になるところもあったわけで
いろいろだったわけだな。 ひばり 30号18:28発
はつかり12号18:58発 昭和53年10月ダイヤって頭に入りづらかったよな。
その点昭和50年3月ダイヤは秀逸だった。
原則として
00→「ひばり」「ひたち」
04→奥羽・磐越西線方面
08→上越線経由「すごく速い特急」→「はくたか」「いなほ」
30→盛岡・青森方面
34→信越線方面
38→「とき」
あとは例外(1604と1808が例外の代表格)などを
覚えれば完璧だった。 急行が東北筋だと10と40,高崎筋だと17と47だが,これは
普通列車に化けることもあった。00と30がいずれも東北特急だから
大宮まで逃げ切れるダイヤで普通列車を挿れて,高崎線に逃がす
なんて感じだったのだろうか。 >>361
いなほ3時間4分
はくたか3時間4分
とき3時間5分〜3時間11分
だから実はそんなに変わらんのよね >>364
181系時代にあったよ。
というか、それくらいは自分で検索すれば?「特急とき 食堂車」で出てくるんだから。 ときの食堂車連結は181系のみで昭和53年6月で営業休止だな 子供のころは583系の昼間仕様のボックスシートは広くて好きだったなあ。
まぁボックスが家族で固まってたというのもあるだろうけど。
もし今出張とかであれに一人で乗るとなると確かにつらいかな。 70年代に走っていた俊足急行[エコーくろいそ]ですが
上野駅で10分後に特急が発車しています
終着黒磯までの間に抜かれなかったのでしょうか?
時刻表では後続特急が黒磯通過なので,抜かれたのかどうか
わかりません >>369
ひばりに抜かれると次は5分後にはつかりが来るので2本退避になる
だから宇都宮通過して必死に逃げてたのだろう
だけど、黒磯行はスレ違いじゃないのか? 急行「陸中」は凄かったよな。
なんたってキハ110が新製投入されたんだから。
急行用として作られた車両としては最後だよね。 >>361
L特急忘れじの唄というのがあったな。
あさま見よ(34)、あずさ、ひばりはマル続き、
ときのサンパチ、Lの特急。
1604は1600を1Mに譲った例だっけ?
それにしても、1600発の昼行特急で列車番号が「1」というのも凄いな。 青森行の特急は基本的に接続連絡船と同じ列番にしてたからねぇ、、 >>372
1978.10.2改正に伴うスピードダウンで(同時に583系→485系化)
上野駅発車時刻が15:30発になった1M
1982.11.14 ラストラン
あれから もう32年.... はつかり号は北国へ。
485はつかりは乗り心地が良かった、583みちのくは頭が振られる感じのロールが辛かった。
昼行の固定シートや定員以外にも長時間変な揺れの苦情が581、583の寿命に影響したんじゃないかと。 >>376
それは違うだろ。
寝台としての必要性がなくなったからだよ。 ガキの頃、青森から上野まで583系「みちのく」に乗ったけど、
全然退屈しないし疲れなかったのは鉄ゆえだと思うが、
大人になって「きたぐに」に乗ったとき、ああやっぱり583の座席は
よくできているなと感じたな。 上野から秋田までの所要時間は1973年の時刻表では
いなほ(羽越本線経由) 7時間29分
つばさ(奥羽本線経由) 7時間38分
北上線経由の方が早いのでは?と思ったら、「ひばり」と、当時仙台から秋田まで北上線経由で走っていた特急「あおば」の所要時間を足すと7時間50分で早くなかった。
当時「つばさ」はディーゼルカーだったが、上野〜福島の所要時間は3時間2分(黒磯・郡山の2駅停車)。表定速度89.9km/h。
16時発の最速達の「はつかり」でさえ2時間57分(宇都宮のみ停車)だから、いかに速かったかがわかる。 むしろ電車と気動車とはいえ、いなほの方が速い事に驚いた >>381
北上までやまびこ、北上からあおばだとどう? 1980年12月
つばさ
1上野0803秋田1555
3上野1203秋田1955
5上野1330秋田2122
いなほ
1上野0719秋田1502
3上野1119秋田1902
5上野1519秋田2303
だいぶ遅くなってるが所要時間差は変わってない JR発足初期はチャレンジャーな設定の臨時特急や臨時急行が多くて面白かったな >>386
上野〜北上5時間30分
北上〜秋田2時間21分
でやはり羽越・奥羽経由より遅い。
北上線が低規格なためか? 昭和から平成に移る時期の宇都宮線は定尺レール区間が多く、
ロングレール区間と定尺レール区間の混在で走っていました。
現在でも急なカーブとか、分岐点が多い区間はレールの交換を
容易にしやすくするために部分的に定尺レールが使われています。 くりこまが先行の急行を追い抜くのはかたりぐさになったが、上りいわてが本宮でいなわしろを追い抜くのはわりと語られない。 20系 急行「竿灯」
1989年8月 運転
5日…団体専用
6日…一般発売
7日…台風でウヤ 竿灯か・・・それは知らんかった
それにしても特急のメジャーな列車に比べると何ともローカルムード漂う名前
段々ネーミングが苦しくなっていくのが分かる >>396
竿燈祭り客輸送列車なんだから
苦しいネーミングでも何でもねえよ https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイト(40代弥勒ソフト 過疎っているが、昭和53年頃だったか、前沢から臨時急行「まつしま」で上野まで夜行で行った。
当時の時刻表は無いが、水沢始発上野行の臨時だった。455系。
当時の帰省需要の列車だろうが、急行いわてじゃない事に今思うと意外性を感じる。 >>405
「まつしま」の延長スジだったんじゃないのかな? 帰省時の上野駅は東北や上信越は凄まじく混んでいたけど常磐はそんなに混まなかった記憶がある。 455系って盛岡が北限かと思ってたが
「くりこま」があったから青森まで顔出してたのね
急行全盛期がもう少し延びていれば、
「つばさ」や「いなほ」と同ルートの電車急行が実現したろうか
「はくたか」と同ルートの電車急行とか
「白鳥」と同ルートの電車急行とか(これは上野無関係だが) >>408
交直両用電車による急行なんてすごく少なかったからな。(昭和50年3月改正時)
「いわて」「もりおか」「まつしま」「ざおう」「ばんだい」「あづま」「なすの」(上り朝の白河始発1本)
「くりこま」「あぶくま」「ときわ」「立山」「ゆのくに」「くずりゅう」
「かいもん」「ぎんなん」「日南」「ゆのか」 >>408
当時の国鉄の車両事情からいえば、
電化により余剰となるキハ58等がゴロゴロでてくるわけで、
それらを有効利用するために地方にいけば架線下のDC急行が
ずっと走っていたと思うよ。
新幹線開業前の羽越本線なんて、特急は首都圏始発のものしかないから
下りでいえば新発田発1508まで特急はなく、その間は「羽越」「きたぐに」
しらゆき」が埋めていた・・・というか列車そのものが少なかったな。
昭和50年3月当時の新潟→酒田の「最速時刻表」
新潟0535(天の川・全車寝台)0829酒田
新潟0719(羽越1号)1018酒田
新潟0908(きたぐに)→1203酒田
新潟1057(普通列車、新津乗り継ぎ)→1555酒田
新潟1431(しらゆき)→1721酒田
新潟1528(羽越2号)→1820酒田
新潟1730(白鳥)→1952酒田
新潟1802(普通列車〜新発田からいなほ2号)→2105酒田
新潟1858(普通列車、鼠ヶ関乗り継ぎ)→2311酒田
東京中心のダイヤで、地方各都市間はどんだけ不便だったんだろうな。
、 >>411
東北全域でそんなダイヤだったよ、俊足急行くりこま1号もそんな特急空白時間帯に走っていた >>411 昼間、10時〜13時台に新潟から酒田、秋田方面に向かう乗客の需要が少なかったということなんでは?
昼間の需要が見込めれば、この時間帯に1本位、特急か急行走らせてるだろ。 >>414
「需要があるぞー」という圧力でもあれば別だが。
当時の国鉄は東京と地方主要都市の大まかな旅客需要と、
郵便、新聞輸送については、キメ細かなクライアント様の都合は考えたが、
キメ細かな旅客需要は考えていなかった。
この頃から国鉄最後のダイヤ改正のような「キメ細かな旅客需要」を考えて
ダイヤをつくっていたら、後に訪れる(これも避けては通れないところだが)
「国鉄離れ」の様相も違ったかもしれない。
・・・とはいえ客レのダイヤだけは無理だろうけど。 昭和50年3月の運賃料金ならば、
例えば、新潟〜酒田間に6両編成のDC急行でも2時間おきに設定したら、
新潟〜村上間はほぼ満席。村上で7割減って、府屋あたりからポツポツ
増えだし、酒田到着時にまた満席という感じになっただろうよ。
これが昭和55年だの56年となると、
全体的に1割減してさらに、新潟〜村上といった短距離利用者が
3割〜5割くらい減るので、乗車率を維持したければ、快速化が必定となるが。 >>410
わが思い出の「つくばね」を忘れんでくれ。 上野の交直流急行電車は編成が水カツと仙センの2種類に分かれていた。 >>411 新津11時半頃発の「いなほ」に乗り換えて酒田に向かうという方法は?
1975年頃、運転されてたかはわからないが、82年9月には10月26日までの季節運行で、いなほ1号が設定されている。
また、「しらゆき」の後、普通で新発田に出ていなほ3号に乗り換えることも可能だ。
(参考)
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/3049107.html >>420
昭和50年3月当時だから、下りも上りも1、2号で、いなほは2往復だが、
「いなほ1号」を使う話になるとこうなる。
新潟1431(しらゆき)1454新発田1508(いなほ1号)1705酒田。
非現実的なので割愛したが。
上野を7時頃出る「1号」は1978年10月からだよ。 >>420
そのダイヤであっても「いなほ3号(旧1号)」に乗り換えるなら
最速で「しらゆき」からだと思うが。「しらゆき」の後の普通で
ちょうどうまく新潟発1450頃のがあればいいけど。 新津11時半頃発で酒田方面に向かういなほが、78年から冬期運休で運転されるようになったということは、この列車が東京から新潟県北部、庄内平野付近までの乗客を主な対象としていたということなんでは?
観光客の少ない冬場は需要が減る。羽越本線の沿線に蔵王のような有名スキー場もない。
新潟まで新幹線が開業して、東京・新潟間の所要時間が半分程度に縮まったから、片道4時間程度で行ける範囲が鶴岡、酒田あたりまで拡大し、新幹線乗り継ぎ前提の新潟発特急を増やせるだけの需要が見込めるようになった、ということなんでは? >>424
そういう見方は一理ある。
ただね。昭和40年〜50年頃というのは、ある程度の規模の都市間は
それなりの潜在需要があり、便利な時間帯に敷居の低い列車(急行自由席以下)
を走らせれば、それなりに乗車率は稼げたんだよ。
ただし、100キロまでの急行料金が昭和49年に200円となり、
51年に300円、53年に400円、55年には500円となり、
急行自由席利用が「敷居が低い」ともいえなくなり、快速にして
乗車率を残すか、いっそのこと特急にして、客単価を上げるかの選択を
迫られるようになる。
もちろんこの数年で運賃のほうも軽く3倍以上になっているわけだが。 片道50キロを急行自由席を利用する場合の運賃・料金
昭和44年5月10日より 310円(運210 急100)
昭和49年10月1日より 450円(運250 急200)
昭和50年3月10日改正、新幹線博多開業
昭和51年11月6日より 680円(運380 急300)狂乱値上げの始まり
昭和53年7月8日より 850円(運450 急400)
昭和53年10月2日改正 昼行特急すべてに自由席、特急停車駅乱増
昭和54年5月20日より 920円(運520 急400)
昭和55年4月20日より1050円(運550 急500)
昭和55年10月1日改正 千歳空港駅開業と北海道内の優等列車体系の変更、夜行列車削減
九州方面の幹線系統の急行の全特急化、
昭和56年 ワイド周遊券のエリア内特急自由席開放
この後、急行料金も50キロまでが新設され、若干の手直しが図られるようになる。 ついでにネタだが、東京駅〜八王子駅を特急自由席を利用する場合の
運賃料金
昭和53年7月8日だと、1450円(運450円 特1000円)
昭和91年9月25日だと、1310円(運800円 特510円) いわてやまつしま、くりこまの臨時は客車だったがまさか旧形客車? >>428
時期にもよると思うが12系が登場する以前は間違いなく旧型。
登場以降も全部の臨時客車急行に入れるほど車両はなかったからね。
基本的に客車急行は旧型が当たり前でしたね。 臨時くりこまは仙台〜青森を所要時間5時間40分と
いくら東北本線の線路状態が良いとは言え、
70km/h近い速度で旧型客車でかっ飛ばせばすげぇ乗り心地になりそうな・・・ >>420
このいなほ1号は本来は定期列車のはず
ダイヤ改正の関係で少し前に運行が取りやめになっていた 東北の特急はグリーン車が一両の編成が多く、
グリーン車二両が多い北陸や山陽〜九州の特急より
格下に思えた ひばりやはつかりの飛ばしっぷりを九州特急と比べると九州特急がローカル特急に思える。 >>296
これが崩壊してから秋田の衰退がひどくなった気がする はやぶさ、はやては西日本に返して
やまびこを速達、現やまびこやなすのはあおばにしてほしいな 青森行ははつかり、仙台行はひばり、山形行きはやまばとだな E5・E6でグリーン基調復活のことはよかったな
ラインカラーはいまもグリーンだだし東北の山並みにぴったりだからやはりこうでなきゃ
北陸踏襲とはいえE2は東北のイメージじゃない >>437
奥羽新幹線ができていればつばさは秋田で山形はたぶん別の名前かな >>438
リニューアル200系とE4系もE2系ベースの色合いだったな 4月8日(土)NHK BS1
22:00〜
経済フロントライン
▽「国鉄民営化30年」明暗分かれるJR各社。鉄道の未来は?▽ 東北新幹線が最初に上野〜青森を開業させていたら列車名はどうなっただろう。
当時の慣例からいえば、行先別に分けることもなく、速達タイプと各駅タイプのみ
だったから、速達が「はつかり」、各駅が「ひばり」で落ち着き、
いまごろは「やまびこの亡霊」騒ぎがあったかもしれない。 盛岡までの開業と知られていての公募だったけど
1.みちのく 2.あおば 3.はやて 4.いなづま 5.やまびこ
6,ひびき 7.つばさ 8.流星 9.あさひ 10.きたぐに 最初から(新)青森開業だったら200系に食堂車連結されたかも? >>445
青森というのはせいぜい岡山と同等程度だからないよ。 あと今頃は新青森まで320km/h運転してる。
東海がやったように東日本も新青森まで保有機構から買いとりゃいいのに。 【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1504890975/
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須賀川に近い水郡線沿線にある祖母の家から東京への帰路
須賀川からあいづに乗るか水戸からひたちに乗るか迷った末に
ボンネットに乗りたいとひたちに乗り、冬休みはあいづで行こうと決断
冬休みには既にあいづは走っておらず、ずいぶんと後悔した覚えがある…
盛岡以北のはつかりと24系はくつるには何度か乗車したが
ついに上野口の昼間の東北特急には乗ることができなかった 連投失礼
数年後、中学卒業を期に泊まり旅行と夜行列車の乗車を許可され
繁忙期に青森まで何度か24系はくつるに乗車したが
本命の583系臨時はくつる下段は
毎回寝台券発売日にみどりの窓口に行っても完売してたな
583系の下段は解放Bなのにあの大窓を独占できて大好きだったな 急行いいでってどこに需要あったんだろう、上野から新潟行きで磐越西線経由。 さすがに全線通しの需要はなかったと思うが、
首都圏〜白河・郡山
白河・郡山〜会津若松
郡山・会津若松〜新潟
の区間需要はそれなりにある。
高速道路が整備された現在は、その区間に高速バス路線が
設定されている。 当時の急行って、客の都合より車両の都合でまとめて長距離走らせていたような列車が珍しくなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています