【国鉄後期】東北を走った特急・急行【JR初期】2
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「はつかり」「ひばり」「ゆうづる」といった特急列車から「月山」「陸中」などの
ローカル急行まで、東北を走った懐かしの特急・急行列車について語りましょう
前スレ
国鉄後期】東北を走った特急・急行列車【JR初期】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1227526911/
>>165
急行含めて新幹線から外れたところや短中距離の利用があったからな
新幹線から乗り継ごうにも宇都宮・黒磯以北だと普通列車の本数自体微妙だったし
(この辺は結局今も解決したか怪しいし退化してる部分もあるが) >>165
郡山までの在来線利用は激減でしたよ、新幹線利用は必然と大宮からになり料金区分が下がるので、在来線特急料金の上野〜郡山とほぼ同額でした(たしか2400円くらい) >>165
>>167
東北新幹線開業直後だと新幹線は本数が少ないので利用しづらかったから
在来線特急利用者もかなりいた。というか在来線特急もかなり残っており
このことが例えば「ひばり」の愛称が消えることにつながったといってよい。
上越新幹線開業時(東北新幹線「本格」開業)上野〜郡山間の昼行在来線特急は
4本になり自動的に新幹線シフトとなる。とはいえ須賀川本宮二本松の利用者には
乗り換えなしの在来線が重宝されるようになる。
まぁどっかのサイトで快速くりこまの廃止は新幹線誘導とか言ってる人もいたしねぇ JR初期といえば鉄道畑に残れなかったJR従業員が慣れない「商売」していたな。
東北本線黒磯以北の普通列車に突如として車内販売が出現したがそれも「失業対策」
だったのかな。ワゴンを押すスピードが速く声もかけないもんだから買う気もなかったし
売れるのを見たこともなかった。 えーあいす
えーあいす
えーあいす
(トコトコドタバタ)
くださ〜い
はーいありがとうございます! 余剰人員ってJR初期にいたの?足りないからやっぱり国労雇おうかなとか言ってなかった? >>170
盛岡の基地外団体の一味だったよな確か。 >>175
駅務関係にはいたいた。
運転士だと足りない職場もあったのは事実。 上野青森間の夜行は常磐線経由主体だった。
客車列車が福島近辺の勾配を避けるためだろうと思っていたが、実際には583系でも
常磐線経由の方が多かった。
常磐線経由にしなければならない特別な理由があったのだろうか。
>>182
奥羽方面への夜行、上越、信越への夜行と被るからだろ >>183
なぜ他の夜行とかぶると駄目なのかな?。昼間の電車の方がよっぽどかぶっていると思うけど。
>>184
583系は昼間は主にはつかりに使われていたよ。しかも5310以降は8M4Tだし。
でも、みちのくは583系だったから関係あるのかなあ。 東北は貨物を通すから、北海道連絡のゆうづる十和田はそのまま常磐経由だったんでしょ
常磐も取手以南は大変だったらしいけど、東北は貨物を大宮操から山貨、武蔵野に逃がせるから 勾配がきついから客レが常磐経由なんでしょ。なら貨物だって常磐経由じゃないか?
複々線で他線へ流せるという点では東北とも同じだし >>182
Wikiによれば、上野−宇キ宮間は中電が多く、奥羽方面への夜行も多いことが
理由とのこと。
たしかに、黒磯での機関車交換を考えるとなんとなく納得できる。 >>187
東北線の貨物は基本的に重連だったでしょ >>185
昼間なみの続行運転してたら黒磯駅死亡するだろ >>185
583が8M4Tになったのはもっと後。1986年頃。
53-10改正の時点でどこ減車したんだよ。 >>187
今度は平以北の単線区間が夜中にパンクするし
貨物も10000系使用列車なんかは寝台特急より優先だった以上東北本線経由
>>190
もっとも黒磯の交換作業は夜間のほうが忙しかったがな まぁ大宮〜上野だと高崎線との兼ね合いもあるだろうしね 初めて583系のゆうづるに乗った時は発車30分後に突然車内が真っ暗になってビックリしたものだ。 14系の半端な簡易リクライニング、12系のクロスシート、
座席夜行としてはどちらが好みでしたか?
高校時代に12系のつがるも14系のつがるも、部活の全国大会で弘前←→上野で乗ったことがあるが、
14系の方が圧倒的にいいに決まってるだろ。 いやいや2人までならボックスの方がいいよ。足のばせるし
14系、ガッタンガッタン五月蠅い >>199
もしかして14系の座席回転させるって発想はないのか? >>199
足を伸ばしたって背もたれは90度のままだろうがよ。
本当に乗ったことあるのか? >>200
もしかしてガッタンガッタンの意味わからない?寝返りうつたびに面倒なんだけど
>>201
あんだけのリクライニングなら足のばした方がいいよ。本当に乗ったことあるのか? >>203
別にリクライニングさせなくても14系の座席の方が快適だわ 1971年の夏のはずだが、鷹巣から花巻まで、急行陸中、よねしろの自由席で乗っていった覚えがある。
大館で、むつを切り離し、盛岡で陸中と分離といった、多層立て急行の一群。
余りにも分割併合が複雑で、覚えきれないが… >>197
14系ハザといえば銀河51号で利用したのが最初だったがあの簡リクは確かに夜行ではきつかった記憶があるな。
確かにリクライニング自体はありがたいが、座席によっては体動かした時に豪快に音を立ててシートが戻るなんてのもあった。 12系なら、L字型になって寝たものだ。
臨時の八甲田(上野駅21時代発車のヤツ)に乗れば、
盛岡以北はガラガラだから1BOX占有できたよ。
14系の座席はシートピッチが狭くて、快適では無かったし
14系使用の急行は1BOX専有できるほどガラガラにはならなかったような記憶がある。
14系の座席はずらした背もたれが戻らないように空き缶を挟んで尾久のが通
もし昔の赤羽に特急が停車したら3〜4番線のホーム係員は神しかいなかっただろう。
カンペをみていたのかみていないのか知らないけどあのころのホーム案内放送はすごかったな。
今度の4番線には高崎線経由籠原行普通列車がまいります。2つドアの車○番から○番でお待ちください。
3番線には急行「八甲田」がまいります。お出迎えのかたおまたせしました。
4番線籠原行の次には東北本線経由「いわて2号」盛岡行がまいります。停車駅は
大宮 古河 小山 宇都宮・・・・
いちいち「東北線経由」「高崎線経由」をアナウンスしていたのは赤羽と
普通列車だけ停車した尾久だっただろう。 >>213
>尾久だっただろう
これって
尾久だけだっただろう
の間違いか? >>206
>>212
言われてみればレアものですな。 高崎の客車で月に数回程度上野〜盛岡や上野〜新潟とかやらないのかな
青春18を乗らせないように急行で いつ乗るか?
今でしょ!
状態にしないと切符売れないよ。 53.10後のキハ58系の連結のハチャメチャさが、懐かしい。
仙台から酒田行くハズが、着いたら新潟だったってことあった。 >>218
ツアー形式にすればいけるんじゃ?
上野→新潟は6時間程度、盛岡までは9時間か。
盛岡は片道夜行運用でも面白いかもな。
名称は「佐渡」と「いわて」か?
「佐渡」はともかく「いわて」のインパクトがちと足りない気もするな。
「北星」だと聞こえがいいんだけど全車寝台だったという矛盾が、、、 >>221
リバイバル列車として復活し
これがラストチャンスみたいに煽れば、
採算取れるかも。 >>220
つまり、あさひ・月山で、月山に乗るつもりが、あさひに乗ってたんだよな?
そこまではまだいいとして、あさひ編成の方に終点まで?
併結区間は山形までで、そっから先の方がうんと長いだろ。
しかもあさひの方は、坂町から羽越つなぐし、
酒田方面への乗り換え案内も流れたはずだよな?
話半分で聞いても、ちょっと盛りすぎ感がありすぎて白けるぞ。 泥酔して乗っておれも似たようなことやったことあるが・・・。 長岡夜行から信越鈍行乗り継ぎ
あさひに乗った。
米坂、仙山線から見る渓谷美は素晴らしかった。
山寺もあんな山の上までお寺があるなんて驚いた。
帰りは常磐線経由で相馬発のときわに乗った。 昭和44年4月4日 44年前のこの日
特急「はつかり1号」は大宮駅を定刻から13分遅れの10:51に発車するも
雨模様の仙台駅には定刻どおり14:14に到着
583系初乗車の際の思い出 >>227
山形駅で停車中に改札まで
走っていった。 ttp://web2.incl.ne.jp/hakusan/r01/2070/2072/touhoku00.htm こち亀8巻
・両津の悪友が亡くなり、宮古の実家までおとどけ
・上野駅一番列車485系「やまびこ」
・栃木県で両津は退屈
・盛岡から山田線で宮古へ、途中区界駅停車
・ついたら夕方
泣ける話だし、古きよき国鉄ファンにはたまらない >>233
近距離券売機の金額と、
トイレのあとはの貼り紙もな。 >>234
盛岡駅か。
部長は秋田に行くんだが当時田沢湖線経由は「たざわ」がなしだから大変かな
しかも一回宮古まで尾行してるが列車あったのか?
宮古も先の震災で変わってしまいまして…
こち亀の当時には「埼玉に法事にいくのに新幹線乗った」で中川をきょとんとさせるのもあるよな
まだ東北新幹線開業前だからネタになるが今ならこちらがきょとんとなるw 常磐道は全通の見通しだから、JRの企画部次第でしょう
叶ったとして客車版のゆうづるでしょうがね >>237
しかしJRは福島地区の再建はまだ未定なんだよなあ 秋田市の奥羽線と新幹線近くに住んでるが夜中に鉄道音がすると昔あけぼのを思い出す
実際は新幹線の保線車なんだがね
今でも羽越あけぼのを「鳥海」とか「天の川」という人がいたりするぐらいだしな秋田は 「あけぼの」か
陸羽西線経由での運転なんてのもあったな。
ついでにいえば上野〜仙台の在来線を最後に走った毎日運転の昼行特急は「つばさ」だったりするが。 更に言うと、今でも「つばさ」は秋田の列車。山形に取られて悔しいという声があったりする。 >>240
ひたちじゃなくて?
つばさは82年に定期が福島止まりになる→山形新幹線でこまくさになったはずだが >>240
仙山線経由だった在来時代末期か
船岡の桜を背に走る姿が見れたな >>240 >>244
その上野直通つばさが去って約1年であいづ(+夜行の大半)も廃止、
以後一気に宇都宮〜郡山・福島間途中駅の風景は勿論配線も寂しくなった 仙台で上野行きのつばさとスーパーひたちに接続する新幹線があったな。 >>242
1982年の段階では上野〜福島間に「つばさ」「やまばと」計3往復。
上野〜郡山間には「あいづ」1往復がまだ健在でした。 つばさは全編成秋田行きだったの?
山形や横手止まりはなく?
秋田といえば新宿発陸羽東線経由寝台急行あきたもありましたな
たまに幕が残ってる車がある
ついでなら「東北奥羽経由あけぼの青森」や「羽越経由鳥海青森」もまだ幕がある
しかし山形新幹線は東北優等列車をつまらなくした3大戦犯だな
残りはIGRと震災 >>248
1982年改正の前なら全て上野−秋田間で3往復。
改正後は上野・福島・山形−秋田間で計5往復。
そもそもこの年の改正では、山形行きの「やまばと」が廃止されていないので、
「つばさ」の上野・福島発山形行きというのは存在しえない。
横手行きがあったのは1986年頃の一時期。 青森行きがあったのも、横手行きがあったのと同じ時期のはず。
なので「つばさ」という列車名の特急は、
東北六県全ての県庁所在地を走ったことになる。 >>252
DC80系の時代は一時期、福島で秋田行きと盛岡行きに分割してた。 その盛岡編成が電車化された時に「やまびこ」と改称された。
いま新幹線で、福島で「やまびこ」と「つばさ」を分割・併合して運転してるのは
いわば先祖返りみたいなものかもしれん。 >>253
てっきりたざわみたいに田沢湖周りでもしたのかと思っていたら新幹線のやまびこ・つばさみたいなつなぎ方をつばさにしていたのか
やまびこはどうしたやまびこは
なんか誤乗しそうで怖いから盛岡行きは常磐周りを使ったほうが良さそう >>254
やまびこはつばさより新しいのか
あおば、ひばり、やまびこな印象が
(後年新幹線主力となる仙台やまびこはなかったけど)
実は「こまち」は団体用臨時であった名前らしい >>256
東北、北海道特急は設定時とその後の変更が沢山あるからね
キハ82は6、7両の基本編成、付属編成を使って分割併合運転してたけど
のちに単独運転に移行したのが多いんだよね
つばさ、やまびこ、白鳥とかね 「やまばと」もDC特急時代は山形行・会津若松行の併結だった >>251
あおば も東北全県踏破してるよね
あけぼのもそうかな あおばは客車急行時代の1956年頃、
仙台に到着した編成の一部を「みちのく」につないで青森まで走ってたんだが、
これを当時どう案内していたかで結果は変わるな。
でもそれ以前に、「あおば」は急行、特急、新幹線のいずれの時代も、
山形を経由した時代は無かったはず。 確か「つばさ」の行先で存在したのは(定期列車だけで)
東京・上野・福島・山形・新庄・横手・大曲・秋田・青森 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています