名寄本線
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名寄本線健在ならば行きは宗谷本線で稚内を目指し、復路は天北線経由音威子府
さらには名寄から迂回して名寄本線経由遠軽から旭川まで、などなど多彩なルートを
選択できただろうに。惜しまれることだ。 石北本線のほうは遠軽から方向転換して網走を目指す。 >>466
今は住宅が駅の周りに結構立っております。 名寄本線がアッサリ切られたのがどうも納得がいかないね >>470
さるる の下車印押してもらったきっぷを持ってるぜw 名寄本線は旅客30、貨物70の割合だろ?
貨物は木材が主。
沿線は過疎化するわけだね 脳の記憶装置に問題あるのか、留萌はすぐ出てくるんだが、名寄がなかなか出てこないんだよなあ。 今、ヤフオクで湧別発中湧別行の硬券が出品されている
画像見ると懐かしい・・ 遠軽始発4:23 → 名寄7:52
随分と早い時刻から運転していたものだと感心。 >>491
夏場は遠軽から景色が見えるが、
冬はほとんど闇夜の中。 随分前に地下鉄銀座線を夜9時頃に渋谷から乗った時、
斜め向かいに宮脇先生が旅行鞄抱えて座っていた。(生 宮脇先生を見ちゃった)
上野から夜行列車に乗ってどこかへ行こうとしていたのかな・・ 興部のパン屋でコッペパンを出したら、「おこっぺパン」? >>511
オフコースがCMで歌っていたブルボン・アルルを思い出した。 ♪何も聞かないで
何も 何も見ないで
君を悲しませるもの
何も 何も見ないで♪ 小田和正さんは、実はちょくちょく北海道に足を伸ばしている。 「言葉に出来ない」は屈指の名曲でゲスけどまだまだ名曲はありますど。
「水曜日の午後」とか「「めぐる季節」とか。北海道の、とりわけ道東を旅行している時に
おススメの曲でゲスよ。 横●創学●の学園祭にサプライズ登場して、驚かせたことがある小田氏。
この高校の修学旅行先は、今はニセコだったと思う。
北海道に行く高校が多い。 留萌も確実にそうなる
もしかしたら日高も。鵡川まで残しても意味無さそうだし 留萌に関しては絶望的。日高も完全復旧はさすがに無理。暗澹たる気分だ。 うわさはあったよね
バカな自治体がお金欲しさに結局全線廃止になっちやった 興部だけのせいではない。
北海道でどこか1路線を第三セクターで残す話になったときに、ムネヲが地元の池北線を強く推したのは事実。
池北線の方が経営きびしかったのに。
天北線はどのみち無理だったね。特に音威子府ー中頓別は代替バスすら厳しいのでは?と意見も当時から多かったから 札幌からの乗客も天北線エリアは「中抜け」で稚内を目指す人たちだったようだから
やはり存続は厳しかったと思われ。 浜頓別で白鳥の湖・クッチャロ湖を見る選択肢はあった。 名寄は下川ー紋別間が酷すぎた。
池北は置戸ー足寄間が酷すぎた。
天北は全部酷かったけど特に音威子府ー中頓別間 運転扱い駅員のみの配置となっていた中興部と小向はJRになって硬券入場券再開したけど、乗車券はどうだったのかな?出補等で販売していたのかな? 紋別は高速バスの独り勝ちだった感するよな
オホーツク紋別空港も一時期札幌から出てたが今やもう羽田から1往復のみとか過疎空港になってる プリンスホテルは、西武のトンネル会社と言われていた時代が確かにあった。
真冬に一度だけ宿泊経験あり。バイキング形式の朝食は当時は斬新に感じられ、
印象は悪くなかった。 紋別は市内の路線バスも充実しているし、高速バスもあってバスの天下だね 紋別空港は乗客の大半がマイル修行僧か?
コウノトリ但馬空港も殆どマイル修行僧で折り返し便でとんぼ返りしてしまうため地元の観光協会が観光してくれないとか嘆いてた 当時まだ名寄本線が現役で空港も元気だった頃、元紋別ー小向間に空港直結駅を作る、川西経由でなく、湧別中心部経由にする
これが出来ていたら運命は変わっていたような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています